評論 作品別 内容・感想

動物化するポストモダン

2001年11月 講談社 講談社新書
<内容>
 第一章 オタクたちの疑似日本
 第二章 データベース的動物
 第三章 超平面性と多重人格

<感想>
 文芸誌「ファウスト」誌上にて、東氏が「ゲーム的リアリズムの誕生」という文芸批評を掲載しているものの、それを読んでも用語の意味などがわからなく、内容を理解できなかったので思い切って買ってみたのがこの本である。

 というわけで、東氏の入門書のような位置付けで買ってみたのだが、読んでみてこの本は買ってよかったと思っている。“動物化”とはどういう事なのか、“ポストモダン”って何? という人はこの本を読めばその意味を理解する事ができるようになる。

 例えば“ポストモダン”という言葉も“私達の時代”なんていう言葉に置き換えてみると意味が通りやすくなる。厳密には“ポストモダン”という言葉自体にはもっと色々な意味が込められているものの、一番わかりやすく解釈してしまえばその他の批評文を読む際には十分に役に立つ。

 また、第二章に書かれている“データベース的”という言葉で表される文章を読んだときには目から鱗が落ちるような気分を味わった。私自身も、一時はパソコンゲームに熱中していて、また世代的には“ガンダム”から“エヴァンゲリオン”へと渡る真っ只中を体験してきているので、なるほどと思える分析が多かった。

 今まで、本にしろゲームにしろアニメにしろ、色々なものを見てきているのだが、“分析”という事に関しては一切考えずに生きてきたゆえに、このように文章で画期的に表されるとものの見方がかなり変わってきそうである。

 この本を読んでからは、これを機に様々な批評論に目を通してみたいと思うようになった。

 ただ、私自身もこのようなサイトをやっているわけであるから、元々“批評”というものをしてみたいと考えてはいる。とはいっても、いまだにこのHPにて書いているのは“感想”であり、“批評”の域に達しているとは言いがたい。

 今回、この書を読んでみると参考文献や注釈としてさまざまな本が出てきてることに気づく。書籍やゲームなど以外の論評から、哲学的なもの、さらには精神分析にまで渡っている。こういうのを見ると自分もまだまだ勉強不足であるということを痛感してしまう。


ホラー小説時評

2002年08月 双葉社
<内容>
 1990年2月から12年間にわたり『SFマガジン』誌上に連載された名物コラム「ホラー小説時評」を完全収録した本書は、幻想と怪奇の世界へ読者を誘う至福のガイドブックであると同時に、ホラーというジャンルが日本に定着し、発展し、ついには一大ブームを巻き起こすにいたる経緯をリアルタイムで跡づけた、稀有なるドキュメンタリーなのである。(本書帯より)

<感想>
 ホラーの紹介、推薦書としてもさることながら、12年間にわたってリアルタイムで続けてきたものを一冊にまとめたということに大きな意義がある。これを読むことによってどういった流れで今現在の一連のホラー関連書が進出してきたかがよくわかる。時代の流れを追っていくのも面白いし、その都度で自分が読んだ本が出てくるとそれがどのような位置付けにあるかなどといったことがわかるのも面白い。また、著者の好みがはっきりしていて、好き嫌い隔てなく多くの本を取り上げているもののばっさり切ってしまうかのような選評もなかなか楽しい。冗談やお世辞ではなく帯にかかれている“永久保存版”という看板はまぎれもなく真実である。ぜひとも一家に一冊!


本格ミステリ戯作三昧

2017年12月 南雲堂 単行本
<内容>
第一部 作家と作品をめぐる贋作と評論
 第一章 島田荘司
  《贋作篇》 翼上の小鬼
  《評論篇》 奇想、犯人を動かす
 第二章 綾辻行人
  《贋作篇》 十角館の殺人ふたたび
  《評論篇》 『十角館の殺人』と記号キャラ
 第三章 天城一
  《贋作篇》 夏と冬の犯罪
  《評論篇》 夢の中から火の島へ
 第四章 高木彬光
  《贋作篇1》 甲冑殺人事件(問題篇)
  《評論篇1》 罪なき探偵
  《贋作篇2》 甲冑殺人事件(解決篇)
  《評論篇2》 罪ある探偵
 第五章 G・K・チェスタトン
  《贋作篇》 21世紀の見えない男と奇妙な足音
  《評論篇》 <見えない男>ははぜ見えないか?
 第六章 ウィリアム・アイリッシュ
  《贋作篇》 幻の花嫁とのランデブー
  《評論篇》 本格ミステリとしての『幻の女』
 第七章 ジョン・ディクスン・カー
  《贋作篇》 世界最短の密室
  《評論篇》 密室の奥にひそむもの

第二部 作家と作品をめぐる贋作と評論
 第八章 意外な犯人
  《贋作篇》 『第二の銃声』さらなる解決篇
  《評論篇》 『アクロイド殺し』考察
 第九章 多重解決
  《贋作篇》 赤後家蜘蛛の会/四〇二号室の謎
  《評論篇》 多重解決ゲーム
 第十章 リドル・ストーリー
  《贋作篇》 英都大推理研vs「女か虎か」
  《評論篇》 リドルとパズルの間
 第十一章 見立て殺人
  《贋作篇》 二十一世紀黒死館
  《評論篇》 誰が殺人を見立てたの?

第三部 エラリー・クイーンをめぐる贋作と評論
 第十二章 『盤面の敵』
  《贋作篇》 盤面の強敵
  《評論篇》 盤上の人形遣い
 第十三章 『帝王死す』
  《贋作篇》 死ぬのは王だ
  《評論篇》 王を殺す、冴えたやり方
 第十四章 ラジオドラマ
  《贋作篇》 私立探偵の冒険
  《評論篇》 クイーンのラジオ・デイズ
 第十五章 『エジプト十字架の謎』と『Yの悲劇』
  《贋作篇》 刑事コロンボ/赤の十字架
  《評論篇》 Murder by the Synopsis

<感想>
 昨年末に出た評論作品。今年になってから、他のHP上での感想を見て、興味を持ったことにより購入。ただ単に、評論が書いてあるだけではなく、贋作を提示してからの評論という趣向が面白い。

 評論に関しては、やけに細かいな、と思えるものある。なんか、区別をしているものの、その細かな違いがよくわからなかったりとか。それでも、評論家の人はそういった細かい分野わけみたいなことをして、作品に対する評論を行っているのだなと感心。

 個人的に面白かったのは、高木彬光氏描く探偵・神津恭介に関するもの。“神津恭介は内面に<悪>を持たない”から、“しかし、やっていることは外道である”という流れの評論が面白かった。この神津恭介に関する“見方”は目から鱗というか、なるほどこんな風に読み取れるのだなと感心しきり。

 この贋作から評論の流れに関しては、前半の探偵を軸とした評論に関しては良かったのだが、後半は作品全体とか評価の対象が広がったことにより、あまりまとまりがなかったかなと感じられた。また、第三部のエラリー・クイーンに関する部分は、単にクイーン作品を褒めちぎっているだけのようにも感じられて微妙(しかも、さほど面白いと思えない作品を取り上げて)。

 全体的には非常に見どころ、読みどころの多い、良質な評論であったかなと。評論としては読みやすさは抜群と言えよう。


名探偵たちのユートピア  黄金期・探偵小説の役割

2007年01月 東京創元社 単行本
<感想>
 楽しんで読む事ができた評論集であった。こういった評論集で良し悪しを決める個人的な指標は、その評論を読んだとき、そこに掲載されている作品を読みたくなるかどうか。この評論では、主に黄金期といわれる時代の海外の探偵小説を扱っている。さらに言えば、ミステリファンであれば誰もが知っているような作家ばかり。よって、ここに掲載されている多くの本を既読しているのだが、本書を読むことによって、また読み返してみたいと思うようになった。読者にこのように思わせるような評論は優れていると言って良いであろう。

 上記のように、ここでは有名な作家を扱った評論がほとんどなのだが、それらが単なる紹介ではなく、独自のアプローチを用いて紹介しているところがすばらしい。コナン・ドイルの作品を西部劇からハメット作品へとつなげていったり、推理作家ではない人たちが一時期こぞってミステリ小説を書いたことについて考察していたり、クイーンの悲劇シリーズの探偵ドルリー・レーンについて述べていたりと、色々な側面から有名作品をとりあげて評している。

 これらについては、有名作家・有名作ゆえに誰もが楽しんで読む事ができる評論、という面からもお薦めできる内容となっている。

 また、この評論を読むことによって、黄金期時代から江戸川乱歩、横溝正史といった日本の探偵小説の発展期にいたるまでの時代経過が検証できるように書かれている。よって、これはミステリ初心者から、ミステリに精通したひとまで誰が読んでも楽しめること請け合いの評論集といえるであろう。


すごい本屋!

2008年12月 朝日新聞社出版 単行本
<内容>
 住人約100人の和歌山県の山奥にある本屋「イハラ・ハートッショップ」。田舎の本屋の日常のみならず、原画展やエスキース展などといった数々のイベントなど、小さな本屋を舞台に数々のドラマが生まれてゆく。

<感想>
 本好きの人であれば、誰もが一度は自分で本屋をやってみたいと考える事があるのではないだろうか。私自身も、あくまで想像の上でだが、そういったことを考えたりすることがある。

 そのとき、どのようなことを考えるのかといえば、本屋をやっていって採算がとれるのかとか、ミステリ作品ばかりを集めた本屋を作りたいとか、本が汚れたり破かれたりするのが嫌だからいかに客にさわらせないようにするかとか、ろくでもないことばかりを想像してしまう。

 そしてふと、とあるHP上で紹介されていたことにより、この作品に触れてみたのだが、私が考えていた本屋とは全く異なる実情が描かれた内容となっている。この作品は当然ながら実話であり、数多くの本屋が立ち行かなくなって閉店してゆく中で、住人わずか100人という地域のなかにある本屋が元気いっぱいに稼動してゆく様が描かれた作品なのである。

 ただし、ここで間違ってはいけないのは、この作品がどうやれば本屋でもうけることができるのか、ということを書いた本ではないということである。ここで描かれている本屋「イハラ・ハートショップ」は、いかに地域に貢献し、いかにして子供達に本と触れ合うことの楽しさを伝えることができるかという信念をもとに本屋を成り立たせていこうというものなのである。

 子供達や、大人達にも読書というものに興味をもってもらおうと行われるさまざまなイベント。そのイベントに積極的に協力しようとする多くの人々。そして、そのイベントを心から楽しむ地域の人々たち。そういった人々の触れ合いが一軒の本屋をとおして描かれてゆくのである。

 この作品を読んで、私自身が今まで考えた事のないような本屋の世界というものに触れる事ができ、まさに目から鱗が落ちる思いであった。あくまでもこの本屋というものはひとつの例、ひとつの形に過ぎないと思うのだが、こういった考え方によって成り立つ本屋というものがあるということがわかっただけでも私自身非常に貴重な思いを感じる事ができた。

 この「イハラ・ハートショップ」のみにとどまらず、もっと他の本屋がどのような考え方によって成り立っているのかということに触れてみたいと思うようになった。これは、私自身よいきっかけになる一冊であった。


文学賞メッタ斬り!

2004年03月 PARCO出版
<感想>
 そのタイトルの通り、各種文学賞について大森氏と豊崎氏の二人が強烈に言いたい放題のメッタ斬りにする本。

 ある種ここまでくれば、毒舌も小気味がいいものと捉えられる。変な制約があって遠まわしにほめるような表現をされるよりは、これくらいバッサリと斬り捨ててくれたほうが読む側としてはスッキリする。ただし、あくまでも両氏による独断と偏見といった部分が強いので、必ずしも全面的に賛同できるような内容ではないのだが、これこそが本書のコンセプトなのだからいたしかたがない。ただ、希望としては本書は大森、豊崎両氏によって語られているのだが、他の人に同様のコンセプトで語ってもらえたらと思う。そうすれば色々な意見を対比できて、ますます面白いと思うのだが。

 本書を読んで面白いと思えるところは、まずこれだけ多くの賞があったのかというところ。私は主にミステリー関係の本を主として読んでいるので、そちら側の賞については聞いたことのあるものが多かったが、それが文学関係の本になるとさっぱりわからない。文学賞や各地方にて行われている賞などを合わせると膨大な数になるということを本書にて気づかされた。そしてその賞の相互の関係や、上下関係などが赤裸々に語られている点はとても興味深い。

 また、本書の特徴たる点は各賞の審査員についても言及しているところ。しかもそれが両氏の好き嫌いでおもいっきり斬り捨てられているので、そのインパクトは強烈なものがある。しかし、このへんのところを冷静に読んでみれば、これから本を書いてなんらかの賞に応募しようと考えている人にとっては“傾向と対策”になりうるかもしれない。自分の書いた本が“どの賞に合っているのか”だけでなく、“どの審査員なら推してくれるか”というのを考えてみるのも一興であろう。


 そして本書で一番強烈な印象が残った一言はこれ。

「文学賞は、作家のためにある(読者のためにあるのではない)」

 よくよく考えればそうなのかもしれないが、言われてみて目から鱗が落ちた。そして本文中から引用させてもらうと、

「ミステリだと、理想的には乱歩賞でデビューして、2作目か3作目で吉川英治文学新人賞をとり、そのあと日本推理作家協会賞。そこから直木賞をとればベストセラー街道驀進で、残念賞は山本賞。その前に大藪春彦賞でもとっておくと、賞金額が大きいので生活が助かる。功なり名をとげたら吉川英治文学賞の正賞かな。悠々自適の隠居生活に入ってから、日本ミステリー文学大賞。大衆小説で国民作家コースを歩むなら、芸術選奨を経て、文化功労者に選ばれて年金もらうとか」

 なるほど、読者と作家の想いというのは現実的に考えれば隔たりがあるということか。作家も食っていかなければならないのだから。納得!


探偵小説と記号的人物  ミネルヴァの梟は黄昏に飛びたつか?

2006年07月 東京創元社 KEY LIBRARY
<感想>
 こういった評論に関しては読んでいる冊数が少ないせいか、実際に熟読してみると興味深く読むことができる。実際に私自身が読み続けてきた、本格推理小説における第三の波以降の軌跡というものを感じ取ることができた。

 本書を読んで興味深く感じられたのは、探偵小説が描かれるにいたっての背景。別にこれに関しては作者のそれぞれが示し合わせたわけでもなく、特に意識したわけでもないにもかかわらず、年代を追って分析してみると時代性というものがうかがわれるのがわかる。現在のミステリ作品における“動機”について、“トラウマ”というものが多用されているということを考えると確かに興味深い。

 この評論の内容とは外れてしまうのだが、これを読んでいて推理小説において“動機”というものがどれくらい重要なのかということを考えてしまった。通常、本格推理小説を読んでいる上では、今まで重要と思っていたのはトリックとロジックについて。動機については結局は後付けであり、謎を解くうえではあまり重要ではないと思っている。しかし、だからといって動機についてがあまりにも適当な小説を良い作品といえるかといえば、そうも言えない。隠し味というには、存在感がありすぎるが、実際のところ動機というのも推理小説を評価するうえでは実は重要なものではないかと今更ながらに考えてしまった。

 また、本書を読んでいて感じたのは“清涼院流水”という存在。彼に関しては熱烈なファンがいるものの、作品に関してはさほど評価されているとは言えないであろう。にもかかわらず、こういった推理小説の時代の転機というものを考えるうえでは必ず主題にあがってくる人物である。そのへんについて言及しているところも非常に興味深い。

 と、読んでみて色々と感じるところは多かった。ただ、同じことに関して至るところで言及していたり、というところが多々見られ、あまり一冊の本としては整理されていないという印象であった。また、評論というよりも、他の論者に対しての反論的な部分が多いというのも特徴というか、癖のある部分のひとつともいえる作品である。

 また、作品の最後には米澤穂信氏、辻村深月氏、北山猛邦氏との座談会が収録されており、現代のミステリ作家がどのようなことを考えて作品を描いているのかがわかるというところも大きな特徴といえよう。

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物語のウロボロス

1998年05月 筑摩書房 単行本
1999年09月 筑摩書房 ちくま学芸文庫
<内容>
 序 章 物語あるいは自壊する形式   大江健三郎論
 第一章 観念と循環する意識   夢野久作論
 第二章 顕現する象徴とその消滅   久生十蘭論
 第三章 密室という外部装置   江戸川乱歩論
 第四章 物語の迷宮・迷宮の物語   小栗虫太郎論
 第五章 完全犯罪としての作品   中井英夫論
 第六章 伝奇と壊れた物語   国枝史郎論
 第七章 欲望と不可視の権力   半村良論
 第八章 世紀末都市と超越感覚   稲垣足穂論
 第九章 都市感覚という隠蔽   村上春樹論

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<感想>
 いつごろから積読だったのか、もはやわからないくらいの積読本。ひょっとしたら文庫版発売と同時に買った可能性もあるので、20年の積読ものになるかもしれない。

 たぶん、以前に読もうとしたがハードルが高くて読み切れなかったように思える。というのは、基本的にそれぞれの章において、各作家のひとつの作品についての評論となっているので、それを読んでいなければ、ほぼ内容が理解できないのである。そんなわけで、読書から遠ざけていた評論である。

 それで、月日が経って、ここに掲載されている作家の本をある程度読んだのかというとそんなこともなく、なんとなく無理やり読んだという感じで強引に読了。よくわからなかったところもあれば、それなりに参考になったところもある。

 ミステリ界の三大奇書や江戸川乱歩、村上春樹などに関しては、一応読んでいるので、それなりに興味深く読めた。特に読書時によくわからなかった「黒死館殺人事件」については、再読してみようかなという気にさせられた。また、「ドグラマグラ」や「虚無への供物」あたりは、前に読んでからずいぶんと月日がたっているので、これらも再読したいという意欲がわいてきた。読んだことのある本に関しては、評論によって自分気が思いつかないような解釈を提示されると、そういった読み方もあるのかと感心させられてしまう。

 と、さまざまな評論を堪能させられたものの、よくわからない部分が多かったというのが素直なところ。それでも、“メタ”という言葉に関する解釈がわかりやすく書いてあったりと、何気に知識として根付く部分も多々見受けられる。

 また、各作品に対して、社会的な背景を用いつつ、評論を行っているが、それらに関しては書く方はどこまで社会的な部分に影響を受けているのだろうかと疑問に思えなくもない。深層部分では、そういったことに対する影響もあるかもしれないが、実際には作品を書く上で、さほど複雑なことなど気にしていないのではないかと、勝手に失礼なことを考えてしまう。ただ、それら作品に対しての読者の受け止め方や人気に関しては社会的な部分は大きいと思う。その時代に見合った作品というのは必ずあるのではないかと思われる。

 というようなことを色々と考えさせられながら読んでいたのだが、こういった評論などもたまには読んだほうがいいのかなと、ふと感じたりする。この作品については、当初、読み終えたら手放そうかと考えていたのだが、よくわからなかったゆえに、もう少しとっておいても悪くないかもしれない。10年後くらいにもう一度再読すれば面白いかもしれない。ただ、それまでのうちに三大奇書を再読しておかなければ意味がないかと。


本棚探偵の回想

2004年09月 双葉社 単行本(函+帯+月報+蔵書票付)
<感想>
 待ちに待っていた本がついに出た。あの「本棚探偵の冒険」の続編。それが本書「本棚探偵の回想」である。値段はちょっと高めであるが、本好きの人であれば是非とも読んでもらいたい一冊である。この本には図書愛好家のさまざまな楽しみ方が載っているのだ。これらを読んでいるうちに本のとりこになり、必ずや自分でも何かしてみたいと思うこと間違いなし。

 前作「本棚探偵の冒険」を読んだときは、その内容にはまってしまい古本屋巡りをはじめることになってしまった。そのときにやってみようと思ったのが早川書房のハヤカワミステリを全巻古本屋で集めるということ。とはいえ、地方都市では難しく現在は頓挫してしまっている(とはいえ、150冊を超える本を入手したのだが)。

 そういったさまざまな他人には理解されないような楽しみがこの本の中にあるのだ。本が好きな人でなければ決してわからないであろう事。そして蒐集家でなければ決して理解されえないこと。そういった大人の楽しみ(決してエッチなことではない)がこの本には書かれているのである。これほど魅力的な本は他にはないといいたくなるほどの吸引力がこの本にはあるのだ。

 この本を読んで困ったことに、またふつふつと湧き上がるものが出てきてしまった。自作の本のトレーディングカードか、いいな。今、私の頭の中ではスキャナとカラープリンターをどこに置こうか(もちろん持っていない)という部屋の配置換えが目まぐるしく行われている最中である。


本棚探偵の生還

2011年08月 双葉社 単行本(函+帯+月報+2冊組)
<感想>
 待ちに待っていた、というのは嘘で、とっくに忘れていたわ! なんと前作から7年ぶりに復活を遂げた。

 読んでいて感じたのは、著者の方に、この企画というか“本棚探偵”というシリーズ・エッセイを続ける気持ちが落ちてきているのかなということ。喜国氏の古本に対する情熱は冷めることなく続いているだけに、書くネタ自体はいっぱいありそう。にも関わらず、本がでないわけだから、エッセイを書こうというテンションが落ちているというほかないであろう。実際に読んでいると、こういったエッセイを書くネタはたくさんありそうに思えてならなかった。

 今回、2冊組となっていて、始めに分厚い方を読んだのだが、そちらを見た限りではネタに関しても薄く、パワーダウンが感じられた。残念な感触を受けつつ、薄い分冊の方を見てみると・・・・・・こちらのほうが内容が濃かった! これは厚い方ではなく、薄い分冊の方こそ本棚探偵の本懐を垣間見えることができる。何しろ、ホームズ発祥の地と銀河鉄道999が体感できるのだから!!

 一応、次巻「本棚探偵 最後の挨拶」も刊行予定とのことであるが、この分だといつごろ出るのかな。まぁ、期待せずに気長に待つこととしましょう。


本棚探偵最後の挨拶

2014年04月 双葉社 単行本(函+帯+月報)
<感想>
 漫画家で古本収集家でもある喜国氏による古本エッセイ、第4弾! 前回の「回想」から「生還」のスパンに比べれば、短い時間で出版されたと感じられる。

 一応、この巻で“本棚探偵”としてのエッセイは完結とのこと。ただ、復活もありえるかもしれないので、そのへんは期待していいかも。と言いつつも、今までのエッセイと比べると、ややネタが乏しく、内容も低調と感じられなくもない。

 作成ネタでは私家版暗黒館くらいであったし、古本を巡る旅についても読者側から見れば、やや低調。結局困った時の日下三蔵という感じ(それはそれで面白いのだが)。

 とはいえ、あくまでもエッセイであるのだから奇想天外なものを求めるほうがおかしいのであろう。このエッセイを読んでいれば、喜国氏の持つ、古本に対する愛情が存分に感じられるのは間違いない。やはり、内容云々ではなく、そうした古本への愛情を今後も喜国ファン、古本ファン、読書ファンのために書き続けてもらいたいと願うばかり。


本格力  本棚探偵のミステリ・ブックガイド

2016年11月 講談社 単行本(喜国雅彦/国樹由香:共著)
<感想>
 本棚探偵シリーズの続編なのかと思いきや、それとは別に進行していった企画のよう。雑誌「メフィスト」に掲載されていたようで、9年間連載していたものをまとめたもの、とのこと。

 基本的には、推理小説マニアの博士が女子高生に海外本格ミステリを課題図書と読ませて、その感想を語り合うという“H-1グランプリ”が主体となっている。その他には、“エンピツでなぞる美しいミステリ”、一ページ内に本格テイストあふれた言葉を書道で描く“ほんかくだもの”、ミステリ作品をテーマに描く挿絵“勝手に挿絵”、国樹由香氏のエッセイと漫画などで構成されている。ただし、“H-1グランプリ”以外は、回によってあったりなかったりしていたり、国樹氏の作品についても段々と犬の話のみになってきたりと、おまけ的な印象が強い。

“H-1グランプリ”については、ミステリ初心者は、これを読んで感じいるところがあるのかどうか微妙と思える。結構、入手しづらい作品も多く見受けられるし、読書初心者には厳しいようなチョイスが多いような・・・・・・。また、この作品自体をミステリ初心者が手に取るのかどうかが一番微妙ではなかろうか。なんとなく、喜国氏のファンかミステリマニアくらいしか読みそうもないような気もするのだが。

 ミステリマニアの観点からすると、古今東西のミステリをきちんと抑えているなという気もする。ここに紹介されている本で読んだことのない本は入手したいところであるが、そのほとんどが絶版のものばかりのところが困ったもの。また、個人的な意見とは異なる評価のものも多々あるので、なんとなく再度読み直してみたいと思えるものも多々あった。読んでいない本についての感想よりも、自分が読んだ本について感想の方が楽しめた気がする。そういった意味では、ミステリ啓発本というに程遠いかも。


奇天烈! 古本漂流記

1998年08月 青弓社 単行本(キテレツ古本漂流記)
2005年04月 筑摩書房 ちくま文庫(増補改題版)
<感想>
 喜国氏の「古本屋探偵」を読んで以来、古本に興味を持つようになり、本書もそのタイトルを見て衝動買いしてしまった。それで、その内容はというと・・・・・・なるほど、こういう本の集め方もあるんだなと、ますます古本に対する奥深さを感じ取ることができた。

 なんといっても本書を読んでいて楽しくなってしまうのは、この著者の本を購入するスタンスのすばらしさ。ジャンルを問わず、とにかく変わった本を買ってみようという試みと、さらには、その買った本の内容を詳細に吟味して、その関連の珍品が他にはないかと探し回ろうとする気概はすばらしいとしか言いようがない。私なんかが本を買うときはミステリーとかSFに限定しているのだが、この著者のような古本へのアプローチの仕方もあるのだなぁと素直に感心してしまった。

 ただ、本書の中では購入した本のあらすじが長々と書かれていて、そればかりにページ数をとられていたというところは残念であった。本を買う過程とかあらましをもっと書いてもらいたかったところである。

 何はともあれ、本書を読んだことにより益々古本屋へ行くのが楽しみになってしまった。一度行ったきりの古本屋とかもあるのだが、今までとは別のスタンスを持って、そういったところに足を運んでみれば何か新しい発見があるかもしれない。


日本SF全集・総解説

2007年11月 早川書房 単行本
<感想>
 この作品は架空のSF全集を作るという企画を行いながら、各作家とそのSF作品について紹介していくという内容。最初は冗談でやっていた企画のようだが、周囲の反響を呼び、第1期から第3期までと長期間で行われた企画となり、それが1冊の本としてまとめられた。

 この趣向からしてかなり面白い。私自身はSFについてはさほど詳しくないので、特に昔の日本のSF作家についてはよく知らないのだが、それでも楽しく読むことができた。よって、日本のSF界に詳しい人が読めばよりいっそう楽しめるであろう内容になっている。

 私にとっては、本書はさまざまなSF作家の紹介という形で汲み取れたのだが、日本にまだまだ知らないSF作家がたくさんいたということに驚かされた。この作品はあくまで有名な作家を集めたものなので、もっとマニアックな作家を取り上げればどれだけの数がいるのだろうと考えてしまう。

 ただ、そうしたなかでSFのみを書いている作家というのはどれだけいるのだろうとも考える。本書の中で第1期に属する人たちは知らない人が多かったのだが、第2期、第3期あたりになると知っている作家もちらほら見かけることができる。そういった知っている作家といえば、大概が多岐にわたって作品を書いている作家が多い。

 昔からSF作品は売れないとか、SF作品不遇の年とか、そういった理由もあるかもしれないが、それだけでなくSFに着手する人たちが多趣味であり、好奇心旺盛な人が多いなどといった特長もあるのかもしれない(もしくは移り気が多いとか)。

 まぁ、色々な理由が考えられるが、本書を読んでいるだけでSF界の流れがなんとなくつかめ、単なる本の紹介というだけでなく、色々な事を考えさせられる作品であるとも言えるであろう。

 個人的にはこのような趣向でミステリによる全集を組んでもらえたらと期待したいところである。


このミステリーがひどい!

2015年08月 飛鳥新社 単行本
<感想>
 最近出たばかりの推理小説評論。タイトルにインパクトがあり、書店で見て気になった人もいるはず。さっそく購入して、盆休みの時期を利用して読んでみた。

 著者の小谷野氏は比較文学者という肩書を持ち、作家でもある。ただし、推理小説の評論家ではないゆえに、好きなことが言えるという立場。それでも、作家という身の上でありながら、ここまで自分の好き嫌いを赤裸々に語るという人も珍しいであろう。

 この小谷野氏、一応好きな推理小説もあるようなのだが、基本的には推理小説などつまらないものというスタンスらしい。大雑把にまとめてみると、リアリティがなさすぎるものは駄目、きちんとした物語が描かれていないものは駄目、というような感じ。これを見てみると、はなっから推理小説とは相性が悪いのではないかと思われてならない。だいたいが、リアリティとは程遠いところにある小説こそが推理小説であるのだから。

 私見では、推理小説など、リアリティがあり過ぎたり、物語が濃すぎたりすると、社会派小説よりになってしまうので、好みからは遠ざかる。新本格推理小説世代である私にとっては、綾辻氏の「十角館の殺人」とか、歌野氏の「密室殺人ゲーム」くらい、現実から離れたような世界のほうが好みであったりする。とはいえ、リアリティという言葉でまとめて良いかどうかはわからないが、確かに小説を読んでいて、“そういった行為は納得できない”とか、“それはちょっと無理があるのでは”などと思う事はよくある。この辺の、どの辺までが許容範囲であるのかというものは、人によって違うのであろう。案外、この許容範囲が広い人ほど本を楽しめる人なのかもしれない。

 と、この小谷野氏、いろいろな推理小説やSF小説をこき下ろしているのだが、最後の方では以外にも北村薫氏の作品は好きであると、読んでいるうちに著者の好みがよくわからなくなってきた。これだけ、推理小説を批判しながらも、これはと思う作品があったら是非とも薦めてもらいたいといっているのだが、個人的にはこの人には好きな本を絶対に薦めたくないなと感じてしまった。


新 海外ミステリ・ガイド

2008年10月 論創社 単行本
<内容>
 第1章 海外ミステリの歴史
 第2章 ミステリの各派
 第3章 各探偵とヒーローの系譜
 第4章 ミステリのトリック
 第5章 ミステリの映画化の歴史

<感想>
 第1章の「海外ミステリの歴史」に関しては、非常にわかりやすい。その名の通り、海外ミステリの歴史をたどるうえで非常に参考となる。この第1章に関しては、まさにミステリ入門編として最適なものであり、またミステリを深く知る人でもあらためて歴史の流れを復習するのに役立てる事ができる。

 他の章に関しては、第1章と比べると、単なる書籍等の羅列に過ぎないという感じがした。これらに関しては、もっと内容を絞ってもらえればよかったのだが、ページ数の縛りもあるためか、歴史の流れをただ単に作家や作品名を羅列して流れを追うというだけになってしまっているのが残念である。個人的には、この作品の1章ごとに別々の書籍としてもらえればと感じられたところである。

 よって、この本全体からすれば、“海外ミステリの資料”というようなもの。あまりにも、作品名を記載しすぎているので、初心者向きとは言いづらい。これを初心者が見ても、どの作品から手を付ければよいのか、検討もつかないであろう。

 そんなわけで、ある程度ミステリ作品を読んだ人のための、著書目録という位置づけになりそうな作品である。


津山三十人殺し

1981年09月 草思社 単行本
2001年11月 新潮社 新潮OH!文庫
2005年11月 新潮社 新潮文庫
<内容>
 昭和13年5月、岡山県のとある部落にて、わずか1日のうちに一人の人間により30人が殺害されるという事件が起こった。これが後に言う「津山事件」である。本書はその事件について丹念な取材と、多くの捜査資料を元に、当時の事件の様子を書き綴ったノンフィクションである。

<感想>
「津山三十人殺し」を聞いて、真っ先に思い浮かべるのは横溝正史氏の「八つ墓村」である。ご存知、「八つ墓村」はこの「津山三十人殺し」をモチーフとした作品になっている。ただし「八つ墓村」はあくまでも「津山三十人殺し」を脚色した独立した作品と言えるので、その実在の事件について詳しい事が描かれているわけではない。

 他のミステリー作品で「津山三十人殺し」を描いたもので思い浮かべる事ができるのは、島田荘司氏の「龍臥亭事件」と京極夏彦氏の「絡新婦の理」あたりだろうか。特に「絡新婦」ではその風俗などについても詳しく書かれているので、本作品の中味を紐解くのにはとてもわかりやすい参考物件となるだろう。

 さて、本書「津山三十人殺し」では、その昭和に起きた惨劇について余すことなく詳しく描かれている。加害者がどのように犯行を練っていったのかを加害者自身の行動に焦点を当てて描かれており、本当によくここまで取材できたなと驚かされるものになっている。

 この作品を読んで事件の認識を改めたのは、この事件が驚くほど計画的なものであったという事。私自身の印象ではもう少し、突発的なものであったと思っていたので、こういった面は以外であった。
 また、事件後のその集落を取り巻く“後始末”の方が、その関係者たちにとってはいかに大変であったかと言う事もよくわかるように書き留められている。

 本書は事実関係の確認が多く、“分析”という面では物足りないように思われた。とはいえ、この事件では既にある程度の“分析”はなされているだろうから、今更深読みする必要はないのかもしれない。

 また、たとえ犯人の内面を“分析”するにしても、このような事件というのは通常起こりうる事ではなくあくまでも“例外的なもの”であるわけだから、それに対して検討というのも難しい事であろう。それを考えると、その事件の被害者、また事件が起きたことによって非難されたり処罰されたもの達にとってはなんとも不幸な出来事であったのだろうと言うしかない。


スペース・オペラの読み方

1994年05月 早川書房 単行本(改題:愛しのワンダーランド)
2008年08月 早川書房 ハヤカワ文庫
<感想>
 2008年に亡くなられた、SF小説の翻訳家・作家として活躍された野田昌宏氏によるSF小説のブックガイド。

 本書を、どのような層を対象として薦めればよいのか、考えれば考えるほど難しい。

 SF小説の紹介本としては、ハインライン、アシモフ、クラークといった有名どころを紹介しているので、初心者向きのような気もするが、実際には初心者向きとは言いがたい。というのも、かなりネタバレ気味の紹介が多かったり、小説からそのまま長文を引用していたり、抄訳を長々と載せていたりと、どうも初心者向きとは思えない。かく言う私自身も、ここに掲載されている作品で、読んでいない本が多数あったので、ネタバレ等を避けるために読み飛ばしたところも多々ある。

 そんなわけで、ある程度(というか、ベテラン層と言えるくらい)SF小説を読んだ人の方が本書を楽しめるのではないかと思われる。

 また、SFに関わる逸話なども多々掲載されており、興味深く読む事ができる場面も多々ある。やや自慢げというように思えなくもないのだが、確かに自慢したくなるような話ばかりなので、そこはご愛嬌ということなのであろう。

 SF小説というもの自体、かなりマニアックな媒体であり、ファン層やこれらについて語る事ができる人というのも少ないことであろう。特に著者の野田氏が若い頃は今とは異なり、そういった作品に触れることさえ困難であったと思われる。そうしたなかで、そのSF界隈のなかでもさらにニッチといってもよい、パルプ雑誌の収集やスペース・オペラ作品に対する偏愛ぶりを存分に感じる事の出来る作品となっている。こうしたSFへの愛し方もあるのだという、情熱というよりも生き様さえも感じ取れる作品と言えよう。


欧米推理小説翻訳史

1992年05月 本の雑誌社
2007年06月 双葉社 双葉文庫(日本推理作家協会賞受賞作全集72)
<感想>
 双葉文庫の日本推理作家協会賞作品として刊行されたのを機に手に取ることができた作品。今まで、海外ミステリ作品がどのような流れて発展していったのかということが書かれた作品は読んだことがあるのだが、日本にどのようにしてそれらが訳されてきたのかという流れについては、あまりよく知りえなかったので本書は大変参考になる作品であった。

 と、上記に述べたように本書は日本にどのようにして海外ミステリが翻訳され、出版されるようになってきたかという流れが描かれている。それらを有名な著者を用いてそれぞれ分けて書いてあるので非常に読みやすくなっている。

 クリスティーを代表するイギリスのミステリ作家の大きな流れやヴァン・ダインから始まるアメリカのミステリ作家の台頭など、そういった歴史的な変動が描かれているところは見逃せない。また、ディクスン・カーの作品が最初はあまり良い訳され方をせずに日本に入ってきて、その後あまりはやらず不遇の扱いをうけていたということも本書を読むとよくわかるように描かれている。

 また、日本ではまだあまり訳されていないオースチン・フリーマンがソーン・ダイクンものの長編を21冊も書いているということは実に興味深い・・・・・・というより、もっと訳してくれないかなと思ったりもする。さらには流行作家として時代に埋もれていった地下鉄サムで有名なジョンストン・マッカレーの話やイギリスで一世を風靡したエドガー・ウォーレスの存在なども実に興味深い。

 本書を読んでいて印象深いのは、昔は海外の作品がきちんと訳されずに大まかな訳され方、もしくはページ数を縮めた抄訳という形で日本で出版されていたということ。そしてもうひとつ、一連の海外ミステリ作品が日本に入ってきた流れが戦争の影響によって止まってしまったということ。

 現在、海外の翻訳作品がきちんとした形で簡単に手に入るということが当たり前になってはいるが、それがどれほど恵まれたことなのかということを改めて理解させられる内容であった。


日本SF・幼年期の終り  −『世界SF全集』月報より−

2007年08月 早川書房 単行本
<内容>
 part1 Essays by Japaniese Authors
  星新一、筒井康隆、眉村卓、光瀬龍、平井和正、半村良、矢野徹、石川喬司
 part2 Essays on Author
  真鍋博、手塚治虫、藤本義一、尾崎秀樹、石森章太郎、都筑道夫、三木卓、浅倉久志
 part3 Essays on Science Fiction
  福島正美、佐野洋、生島治郎、水野良太郎、小鷹信光、松本零士、石原藤夫、松谷健二、谷川俊太郎、団精二
 part4 Essays on World Science Ficton
  野田昌宏、伊藤典夫、榊原晃三、三輪英彦、金森誠也、吉上昭三、飯田規和、深見弾

<感想>
 1968年10月からSF企画として早川書房から出版された「世界SF全集」。約4年で全35巻が出版され、その中に月報としてSF作家のみならず漫画家、ミステリ作家等、そうそうたるメンバーによるエッセイが掲載された。全105編のなかから厳選した34編がここに収録されている。

 各種著名人のエッセイが読めるのみならず、戦後のSFというものに対するスタンスを感じ取ることができる内容となっている。なかには戦争を間近なところで経験した人もおり、単なるSFエッセイとは言い表せないようなものも感じさせられる。

 感慨深かったのは矢野徹氏のエッセイ。ここには、アメリカには長い歴史の背景がないゆえに未来に代用するものを求めたのではという考えが示されている。また、日本でも敗戦から抜け出す希望を描くためにSFが必要だったのではないかと書かれている。自らの体験に基づいているがゆえに、それなりの説得力を感じてしまう内容。

 また、それぞれの作品や作家に対する思いが描かれているものもあり、紹介されているSF小説に興味を抱くことができ、SF推薦エッセイとしても読むことができる。さらには、スペース・オペラ、ミステリ小説とSF小説の対比、SF小説とSF漫画との対比などといった興味深いことも描かれており、多彩な楽しみ方ができるエッセイ集。




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