シャーロック・ホームズ  短編 内容・感想1

シャーロック・ホームズの冒険   

1892年 出版
2006年01月 光文社 光文社文庫

 シャーロック・ホームズの作品は創元推理文庫版にて、あらかた読んでいる。ただ、いくつか読み落としていたものもあるので、今回(2006年)光文社文庫からシャーロック・ホームズ全集が出るということにより、これを機に再読も含めてコンプリートしようと考えたしだいである。

 そうしてこの「シャーロック・ホームズの冒険」から読み始めたのだが、当然のことながら面白い。いや、本当によくできていると感心してしまう。しかもこの作品が1890年代に1ヶ月ごとに雑誌に掲載されていたのだから、これはすごいという他はないであろう。今現在に読んでも楽しめるこの作品が、100年も前であれば熱狂的に受け入れられたであろうことが容易に理解できる。


ボヘミアの醜聞   A Scandal in Bohemia

1891年7月号 「ストランド」誌

<感想>
 この作品がホームズの最初の短編だったのか、と今更ながら驚いてしまう。この作品は内容云々よりも、アイリーン・アドラーという女性の存在のみで占められているといっても過言ではない作品。女性とのロマンスというものが全くといっていいほど描かれなかったホームズにとって、唯一彼が「あのひと」という敬称で呼ぶ女性。後のホームズの研究家達にとっては、決して避ける事のできない、というよりも存分に話題を振りまいてくれる存在であるともいえよう。

 内容に関する限りでは、事件自体はホームズが請け負うようなものではないと思われる。ただボヘミア国王自らが頼みに来たとあってはさすがのホームズも事件を断る事はできないであろう。というわけでホームズ自らがスキャンダルの種となる手紙を取り戻そうと奔走する。

 その結果、ホームズの成功譚というよりは、アイリーン・アドラーの抜け目なさを見せつけられ失敗に終わるのだが、このように登場早々主人公の成功で終わらないところは、後の色々な作品にも影響を及ぼしているのではないだろうか。そういえば、ルパンの登場時も失敗で終わっていたような気がする。

「君は見ているだけで、観察していないんだ。見ることと観察することとは、まるっきり違う」


赤毛連盟   The Red-headed League

1891年8月号 「ストランド」誌

<感想>
 言わずと知れたホームズの作品の中でも名作中の名作。もう様々な作品集の中や漫画などでも色々なところで読んでいる。そして、これからも語り継がれるであろう作品。

 本編はなんといってもそのアイディアに尽きるであろう。“赤毛”の者を優遇し、奨励金がもらえるという不思議な組合。ホームズはその組合の話を聞き、裏に潜む犯罪を暴きだすというもの。構造の単純さゆえに、同じような作品を書くのは難しいと思える。憶えているところでは島田荘司氏の「紫電改研究保存会」という作品などがある。ただやはりこの構造の作品は最初に発表されたがゆえに、純然たる一番の作品と言うのはこの「赤毛連盟」に尽きるであろう。

「概して、事件の外見が奇怪に見えれば見えるほど、その本質は単純なものだ」


花婿の正体   A Case of Identity

1891年9月号 「ストランド」誌

<感想>
 この作品は今であればそのトリックに容易に予想がつくものであるのだが、100年前に考案されたということ自体がすごいと言えよう。

 事件は、そこそこの資産を持った結婚適齢期の女性が婚約者を捜してもらいたいというものである。その女性は義理の父親から束縛された生活を送っていたものの、とある舞踏会でその男性と知り合い、結婚の約束をしたのだという。しかし、式の直前に行方知れずになってしまったというもの。

 この作品ではホームズの推理だけではなく、その解決による結末の付け方もなかなか変わっていて面白い。これは女性には深く関わらないというホームズのスタンスの表れといえるかもしれない。

「もし、ぼくらがあの窓から手をつないで抜け出し、この大都市の空を飛び回って、家々の屋根をそっとはがしてのぞけるとしたら、どうだろう」


ボスコム谷の謎   The Boscombe Valley Mystery

1891年10月号 「ストランド」誌

<感想>
 事件はとある青年が父親殺しの嫌疑を受けて拘留されたというもの。その青年は父親が殺害される前に、森の中で口論しているところを目撃されており、かなり分の悪いこととなっていた。しかし、ホームズはその事件の様相を聞き、青年の潔白を信じるというもの。

 ホームズが事件の様子を聞き、青年が潔白であると推理するところは、ある意味心理的推理が行われたといってよいであろう。ただ、実際に事件の真犯人を当てるのには、推理ではなく、完全なる科学調査にて犯人を特定している。よって、現在であればあたりまえの指摘であるのだが、100年前であれば、このような誤解もひんぱんに起こりえたということであろうか。

 最後の場面ではホームズが真犯人を公表せずに終わらせるところは、あやふやのままというよりはハッピーエンドで終わらせたと、とるべきなのであろう。

「事件の異常さというやつは、それ自体がひとつの手掛かりになる。犯罪事件というのは、特色のない平凡なものほど、犯人をつきとめにくいものなんだよ」


オレンジの種五つ   The Five Orange Pips

1891年11月号 「ストランド」誌

<感想>
“KKK団”を用いてのスパイものを描いたような作品。

 ただ、事件そのものが漠然としていて、結局事件だったのか事故なのか微妙なまま片付けられしまう。さらには解決においても納得のいくような終わり方はしていない。つまり、全体的に中途半端のまま終わってしまったという作品。あるいは全てはホームズの妄想に過ぎないという捉えかたができなくもない。

「失敗は四度ありましたよ。三度は男に、一度は女に出し抜かれました」
「ぼくのところに持ち込まれる事件に、尋常なものはありませんよ。ここはいわば、最終上告裁判所ですから」


唇のねじれた男   The Man with the Twisted Lip

1891年12月号 「ストランド」誌

<感想>
 まじめに働く男が何者かによって怪しげな建物に連れて行かれ、そのまま失踪してしまうという事件。ホームズは失踪した男の夫人からの依頼を受け、単独で阿片窟へと乗り組んでゆく。

 ネタとしては既に発表されている、とある作品に近いため、読んでいけば真相はわかるようになっている。トリックの奇抜さというよりは、とある男の人生の奇抜さを描いた作品といえるのかもしれない。

「きみは沈黙というすばらしい才能をもっているね、ワトソン。だからこそ、きみは相棒として申し分のない存在なんだ」


青いガーネット   The Adventure of the Blue Carbuncle

1892年1月号 「ストランド」誌

<感想>
 広場での乱闘の後、残されていたのは古い帽子と食用のガチョウ。そのガチョウの胃の中から宝石が発見されるという事件。
 この作品の見どころは、なんといっても一つの帽子からホームズが持ち主の人物像を推理するところと言ってよいであろう。多少眉唾な気がしなくもないが、帽子一つで人物像を事細かに推測する力技には脱帽。

 ただ、本題の事件のほうはホームズが証言を追って行くと犯人に自動的にたどり着くような構成になっているので、こちらはちょっと物足りないと感じられた。

「人間がこれだけ密集して、お互いの行動が影響しあってくると、どんな出来事の組み合わせも可能になる」


まだらの紐   The Adventure of the Speckled Band

1892年2月号 「ストランド」誌

<感想>
 初めて読んだホームズの作品はたぶんこの「まだらの紐」であったと思う。トリックのインパクトが極めて強く、一度読んだら忘れられない一編である。現代においては、このトリックは成立し得ないなどと言われているようであるが、それでも十分に説得力のある殺害方法のように思えてしまう。

 また、ホームズと敵対関係にある人物がこれでもかと言うほどの悪人であるのもまた見者のひとつといえよう。ホームズ作品屈指の悪役キャラクターかもしれない。

「ぼくはあんな大男じゃないが、もうすこしいてくれれば、腕力じゃひけをとらないところを見せてやれたんだがね」


技師の親指   The Adventure of the Engineer's Thumb

1892年3月号 「ストランド」誌

<感想>
 物語の構成は「赤毛連盟」に通じるものがあるかもしれない。高額の報酬に目がくらみ、わけのわからない仕事を行うために真夜中に仕事に出向くことになった青年技師の冒険綺譚。

 その怪奇な冒険が語られるまではよかったのだが、ホームズが推理を働かせるというほどのものでもなく、なし崩しのようにあっという間に事件が解決してしまう。それも中途半端な形で。ただ、ホームズの最後のひと言によって、この作品全体をうまく締めている。

「経験ですよ。経験は間接的に役立つものです。あなたはこの経験を人に話すだけで、これから一生のあいだ、すばらしい語り手としての名声を得ることができるんですよ」


独身の貴族   The Adventure of the Noble Bachelor

1892年4月号 「ストランド」誌

<感想>
「花婿の正体」の逆パターンで、この作品では花嫁が行方不明になるというもの。式を挙げる直前まではこの結婚に熱心であった花嫁が、その最中に気もそぞろになり、いつのまにか失踪してしまうという事件。

 物語としてはなかなか凝ったものになっているといえよう。ただ、それを導き出すホームズの推理というか連想はちょっときびしいものがあるように思えた。とはいえ、その点さえ除けば様々な伏線も張り巡らされており、うまくできていると思われる。ようするに解決に至るのに決定的な何かがあればもっと良かったのではないかと思われる。

 また本編はミステリ作品としてだけではなく、貴族階級の結婚に対して皮肉に描いた風刺作品のようにも捉えられた。

「今回の事件でおもしろかったのは、一見不可解そのものに見えることがらも、実にかんたんに説明できるものだということを、はっきり示してくれたことだろうね」


緑柱石の宝冠   The Adventure of the Beryl Coronet

1892年5月号 「ストランド」誌

<感想>
 銀行頭取が宝冠を担保に預かったところ、その宝冠についていた宝石が盗まれるという事件。しかも、容疑者として捕らえられたのは銀行頭取の息子であった。

 一見、捕えられた容疑者が犯人としか思えないのだが、その容疑をホームズが覆す。容疑者のとった行動が実は犯行を行っていたというものではなく、別の解釈にとらえるという推理は見事なものである。さらには科学捜査によりホームズの推理を裏付ける。

 この辺、科学捜査が先か、推理が先なのかは微妙なところであるが、互いが結び合わせられることによって真実が強調されているといえよう。

「まったくありえないことをすべて取り除いてしまえば、残ったものがいかにありそうにないことでも、真実に違いないということです」


ぶな屋敷   The Adventure of the Copper Beeches

1892年6月号 「ストランド」誌

<感想>
 これも「赤毛連盟」や「技師の親指」に通じる作品となっている。失業した家庭教師が高額の報酬の仕事を依頼される。その家庭教師はこの依頼を不安に思い、ホームズに相談をもちかけるというもの。そして家庭教師は仕事を受けつつ、何かがあればホームズへ連絡を取るという手はずをととのえる。

 あたりまえのことながら、当然のごとく事件は起きるのだがこれは意外性に欠け、真相がばれやすいのではと思える。何しろ推理の余地もなく極めて怪しく、さらにはその家庭教師に髪の毛を切ってもらいたいと要望するのであれば、何を行いたいかはだいたい予想がついてしまう。また、最後に真相を暴く場面も少々あっさり目でもう少し見せ場をつくってもらいたかったところ。

「芸術のために芸術を愛する者にはね、些細な、とるに足るもののなかにこそ深い満足を汲み取ることがよくあるものなんだよ」


シャーロック・ホームズの回想   

1894年 出版
2006年04月 光文社 光文社文庫

 前作「冒険」に掲載されていた最後の作品「ぶな屋敷」が書かれてから半年の間を置き、また怒涛のペースでホームズものの短編が書き綴られている。これだけ書き続けるのはたいしたものだと思うのだが、これだけ連続で書かせたゆえにドイルのほうも書くのが嫌になって「最後の事件」で幕を閉じようと思ってしまったのではないのだろうか。ドイルが書き続けるため、そして作品のレベルを上げるためにも、もう少し余裕をもって書かせたほうが、と思うのであるが当時は作家に対してこのような書かせ方が普通であったのかもしれない。はたまた、あまりにも人気が出すぎた結果であるのかもしれない。


名馬シルヴァー・ブレイズ   Silver Blaze

1982年12月号 「ストランド」誌

<感想>
“回想”一番最初の事件は馬の盗難と調教師の殺人事件が扱われたもの。現場の状況やその前の出来事により想像される世間一般の推測に対して、それをホームズが覆す。推理の元となっている着目点がよくできている。これは話の展開といい、ホームズの推理っぷりといい、なかなかの名作であると思われた。

「重要なのは、さまざまに入り乱れた見解や報道のなかから、事実による−絶対確実な事実による−骨組みを抜き出す事さ」


ボール箱   The Cardboard Box

1893年1月号 「ストランド」誌

<感想>
 送られてきたダンボールの中には人の耳が入っていた・・・・・・というショッキングな事件。そのダンボール自体や関係者の背景からホームズが事件の全体像を推理するというもの。一応、ホームズが推理するという形態はとられているものの、何となくなし崩し的に話が収まってしまったというように感じられた。軽いサスペンス・スリラーともとれないことはないと思える作品。

 ただ、ひとつ感じたのはダンボールが送られてきた女性は自分には何の心当たりもないと警察に訴え出たのだが、もう少し考えるべきことがあるのではと・・・・・・。

「きみは自分のことがよくわかってないね。顔つきってのは、その人の感情を表すものだ。きみの顔つきも、そりゃあ正直なもんだよ」


黄色い顔   The Yellow Face

1893年2月号 「ストランド」誌

<感想>
 タイトルだけみるとシムノンの作品かと混同してしまった。この作品はシャーロック・ホームズの失敗譚が書き記された作品。冒頭でこれはホームズの失敗譚である、と語っているのだが、これはあえて提示しなくても面白かったかもしれない。

 本編を読んでみると、これはかつて読んだことがあると思いだすことができた。つまり、それだけインパクトのある作品であるといえよう。夫が妻の不貞を疑い、黄色い顔をした謎の人物を目撃するとうい内容。そして、話が進むうちにホームズの存在など吹き消してしまうかのように、心温まる話で終わるところが印象的。最後にホームズがワトソンに語りかける言葉がなんともいえない。

「ワトスン、ぼくが自信過剰ぎみに思えたり、事件のために努力を惜しむように見えたりしたら、そっと『ノーベリ』と耳うちしてくれないか。恩にきるよ」


株式仲買店員   The Stockbroker's Clerk

1893年3月号 「ストランド」誌

<感想>
 これは完全に「赤毛連盟」の二番煎じ。ただ、その仕掛けたトリックもあまりひねりがなく、最後の解決もホームズの推理を待たずに自動的に話が進められてしまう。ホームズものとして描くよりは、犯人側の視点から描いたほうが面白くなりそうな作品であったかもしれない。

「そう。なぜでしょう? それに答えが出れば、解決に一歩近づく。なぜか? 考えられる理由はひとつしかない」


グロリア・スコット号   The Gloria Scott

1893年4月号 「ストランド」誌

<感想>
 ホームズが最初に手がけた事件をホームズ自身の口から語られる作品となっている。事件自体よりもホームズがその事件に臨むまでの若かりし日々の頃が描かれているところのほうが見ものである。

 起こる事件は語られなくとも一目でわかる“恐喝”。この事件でのホームズの役割といえば暗号の鑑定くらい。あとは語られる昔話となってしまう。というわけでミステリとしては物足りないものの、ホームズの過去を知るうえでは貴重な作品といえよう。

「以上が事件の真相だ、ワトスン。きみのコレクションに多少なりともお役に立つのであれば、自由に使ってくれたまえ」


マスグレイヴ家の儀式書   The Musgrave Ritual

1893年5月号 「ストランド」誌

<感想>
 これは「グロリア・スコット号」に続いてのワトソンと出会う前にホームズが経験した事件を描いたもの。昔から伝えられてきた伝承に隠された暗号をホームズが読み解き、宝の在処を探すというもの。もちろん、そこに犯罪の要素も加わってくるのだが、使用人の男女関係の描き方は前作“冒険”の「緑柱石の宝冠」を思い起こさせる。なかなか楽しませてくれる一編であった。

「ワトスン、この中にはどっさり事件があるんだぜ。どんな事件が詰まっているか知っていたら、ほかのものをしまい込むより、このなかのものを出してくれと言うだろうさ」


ライゲイトの大地主   The Reigate Squire Carbuncle

1893年6月号 「ストランド」誌

<感想>
 ホームズの静養のためにと出かけた土地で事件に巻き込まれるというもの。いうに及ばず、事件を解決した後のホームズは必要以上にリフレッシュされている。

 事件は地主同士の争いが起きている村で、強盗による殺人事件が起きるというもの。被害者が握っていた紙片からホームズは犯人を推理する。本編での見どころはホームズが一見奇怪な行動をとりながらも、実はその行動により犯人を罠にはめていくという場面。これはまたホームズらしからぬ行動でありながらも、ある意味ホームズらしい事件の解き方の片鱗を見たと感じられた。

「探偵術においてもっとも重要なのは、数多くの事実のなかから、どれが付随的な事柄で、どれが重大な事柄なのかを見分ける能力です。これができないと、精力と注意力は浪費されるばかりで、集中させることができません」


背中の曲がった男   The Crooked Man

1893年7月号 「ストランド」誌

<感想>
 推理小説というよりは、ひとつの物語であり、さらに言えばその展開自体もわかりやすいものとなっている。仲むつまじい夫婦が突然、大喧嘩を始め、その後に使用人が発見したのは夫の死体とそこに倒れている妻の姿。その妻が先日、背中の曲がった男に出会ったときから運命の歯車がおかしな方向へと回り始めたという事件。

 これはある種、「まだらの紐」とか、さる有名な推理小説のネタをモチーフにしたものかと思ったのだが、最後はかなりあいまいな状況で終わらせてしまったと感じられた。あくまでも名誉を重んじた事件といったところか。

「推理をする人間が他人にすごいと思われるのは、推理の基本となる小さなポイントのひとつを他人が見落としているっていう、ただそれだけのことなんだ」


入院患者   The Resident Patient

1893年8月号 「ストランド」誌

<感想>
 これはなかなか趣向の面白い事件が描かれた作品。仕事のない医者が資産家から開業の話を持ちかけられ、順調に成功を収めていくのだが、その資産家がとある日を境に急におびえ出すというもの。そしてそれが殺人事件へとつながっていく。

 話の中で最初に語られているのだが、本編ではホームズの推理が冴え渡るというものではなく、あくまでも奇妙な事件をとりあつかったものとしている。実際、話としては面白く、「赤毛連盟」などと話が似ていながら、少しその趣向を変えたものとして出来上がっている。たまには、こういった内容の話も良いのではないだろうか。

「これは自殺じゃないね。きわめて綿密に計画された、血も涙もない殺人ですよ」


ギリシャ語通訳   The Greek Interpreter

1893年9月号 「ストランド」誌

<感想>
 この作品は事件の内容でというよりも、ある人物の登場により有名になった作品といえるであろう。その人物とはマイクロフト・ホームズ、シャーロック・ホームズの兄である。この兄というのが、ホームズよりも推理力がありながら、必要以上に捜査を行おうという労力は用いないために探偵にはならなかったという人物。

 そんな兄と共に今回は事件に向かうことになるのだが、その事件自体は添え物という感じでしかなかった。ギリシャ語の通訳者が何者かに強制されて、拉致されたギリシャ人の通訳を行うというもの。今まででこのような作品では、何らかの計略によって、犯人側が必要とする人物を連れ出すというものが多かったのだが、今回は単純に直接的な暴力を用いたものとなっている。そして事件自体もひねりがあるものではなく、まさに直接的な事件そのものというものであった。

 今回、このような添え物的な事件を用いたのは、あくまでもマイクロフトを登場させたかったということが主であったからではなかろうか。では、なぜマイクロフトを登場させたのかといえば、それは「最後の事件」につながるためではなかろうかと推測する。

「探偵はぼくにとって生活の手だてだけれど、兄にとってはただのアマチュアの趣味なのさ」


海軍条約文書   The Naval Treaty

1893年10月、11月号 「ストランド」誌

<感想>
 この“回想”の中では一番長い作品。内容はタイトルにある“海軍条約文書”が盗まれるという事件であり、盗まれた場所の地図まで挿入された気合の入った作品・・・・・・と思ったのだが、結局は平凡な作品というところに収まってしまっている。

 そんな内容よりも、話の途中で薔薇を手にして、突然妙な話を始めるホームズの行動のほうが気になったところである。また、平凡な事件ではあったが、事件解決の際にホームズがちょっとした悪ふざけをする場面が一番印象的であった。

 と、そんなこんなでホームズ作品にしてはちょっとずれた一作であったか。

「宗教ほど推理を必要とするものはありません。すぐれた推理家の手によれば、宗教は精密科学にすらなりうるものなのです」


最後の事件   The Final Problem

1893年12月号 「ストランド」誌

<感想>
 言わずと知れたシャーロック・ホームズ最後の事件。たぶん、この作品を書くにあたって、前々から決めていたのだろうと思うのだろうが(たぶん、マイクロフトを登場させたのはこの作品のためではないかと勝手に考えている)、できることならモリアーティー教授も何作か前に登場させておいてもらいたかったと思うしだいである。

 まぁ、もちろんこの作品を読んでいる時点でホームズが復活するということは知っているのであれやこれやと語れるのであるが、私自身にとっては、この一作品は「さようならドラえもん」とだぶってしまうのである。

 ホームズがドラえもんで、ワトスンがのびた、モリアーティーがジャイアンというのはちょっと強引か? ということで、ドラえもんが戻ってくるためには、のびたが十分ひとり立ちできなければならないということで、ワトスンがモリアーティーを倒したときにホームズが現われるべき・・・・・・というのは話が飛躍しすぎか?? ・・・・・・って、なんか最後の最後で変な感想になってしまった。

「ワトスン、ぼくの人生は、決してむだではなかったと言っていいと思う。たとえ今夜終わりのときを迎えるとしても、ぼくは心安らかに受け止められるだろう。ロンドンの空気は、ぼくのおかげでずいぶんきれいになった」


シャーロック・ホームズの生還   

1905年 出版
2006年10月 光文社 光文社文庫

 約10年の歳月を経て甦ったシャーロック・ホームズの冒険譚。前作の最後の短編「最後の事件」ではホームズが死んだ事になってしまったが、なんとか生き返らせることに成功。この作品集でもますます勢いのある活躍を見せてくれている。

 ホームズの短編作品の中では中期ともいえるこの作品集であるが「踊る人形」や「六つのナポレオン胸像」などといった代表作の姿を見ることができる。それらを考えるとドイルが10年間休養を経たというのはファンにとっても結局のところ良かったことなのではないだろうか。ただし、純粋な推理小説としての内容のものよりは、ドラマチックな物語性重視の作品が増えてきたということもまた事実ではある。


空家の冒険   The Empty House

1903年10月 「ストランド」誌

<感想>
 これは事件そのものは添え物にすぎず、ホームズが如何にして生還したかということが中心に語られている作品といってよいだろう。

 とはいいつつも、著者のドイルも「最後の事件」を書いたときには、その後にホームズを生還させなければならないという事は考えていなかったわけで、苦し紛れになりながらもなんとかホームズを生き延びさせたという気がするのはしょうがないことであろう。そこに、ホームズ作品に精通している人にとっては有名な“バリツ”などというものがでてきたりもする。

 まぁ、ホームズが“どうやって”生き延びたかという事の細かいところはほとんどの読者はさほど気にはしないであろう。それよりもこれからもホームズが活躍する冒険を読めるということが一番の楽しみなのである。

「やあ、ワトスン。すまない、ほんとうに。まさか、こんなに驚かすことになろうとは思わなくて」


ノーウッドの建築業者   The Norwood Builder

1903年11月 「ストランド」誌

<感想>
 この作品についてはあまりよく覚えていなく、どんな話であっただろうと考えつつ読んでいたのだが、最後にホームズが犯人をとある罠に仕掛ける場面でようやく思い起こすことができた。このラストの場面はホームズ作品のなかでもそれなりに有名な場面といってもよいのではないだろうか。

 本編は、推理小説としてはかなりわかりやすい作品といえるかもしれない。ただし、謎を解く側にとっては証拠などからの推論というよりも直感的に気づくというような形になるであろう。ホームズ自身は建築物を測定することで予想はしていたようだが、それについての情報は真相が明らかになってから読者に伝えられている。まぁ、当然のことそれを明らかにしてしまったら誰でも真相に気づいてしまうのだろうかしかたないといえよう。

「きみにはなかなかりっぱな才能があるが、想像力だけが足りないのが惜しいね」


躍る人形   The Dancing Men

1903年12月 「ストランド」誌

<感想>
 これはもうタイトルを聞けばどのような作品であったかすぐに思い出すことができる。ホームズ作品の中でもかなり有名な作品であり、暗号を扱った作品であれば、必ずといっていいほどこの「踊る人形」の内容について言及しているといってもよいであろう。

 この作品は事件自体よりもホームズがどのようにして暗号の謎を解いたかというところがポイントとなっている。その解き方というのが奇抜なものではなく、難解なパズルを解くかのような解き方を示している。この解き方そのものに魅了された方も多いのではないだろうか。

 また、ここで起こる事件は悲劇的な終わり方をしており、そういう意味でも印象に残る作品となっている。

「人間が考案したものなら、必ず人間が解けるものだ」


美しき自転車乗り   The Solitary Cyclist

1904年01月 「ストランド」誌

<感想>
 亡くなった父親の友人だというものが現れ、彼の依頼により家庭教師をすることになったという女性の依頼人。それがいつしか、家庭教師をする家へ自転車で向かう最中に何者かが後をつけてくるのだという。という依頼を受けてホームズが事件に乗り出すというもの。今でいえばストーカー風の犯罪といったところ。

 この作品は平凡な事件といえるだろう。構図も見えやすく、事件の先行きも予想しやすいものである。ホームズ作品の中ではあまりこれといって特徴のない事件といったところか。

「それでも、こんな奇妙な、しかも珍しい点がいくつかある事件に巡り会ったことは、喜んでいいんじゃないかな」


プライアリ・スクール   The Priory School

1904年02月 「ストランド」誌

<感想>
 公爵家の御曹司が預けられていた学校から誘拐されたという事件。さらにはその時に一緒にいなくなった教師が死体となって発見される。

 本書に収められている短編の中ではページ数が長く、犯行現場付近の地図が掲載までもされている力作といえよう。ただ、その肝心な地図がどれだけ物語上効果を上げているのかは疑問である。結局のところホームズが扱うにしては普通の事件であり、警察がもっと力を入れて捜査をしていれば簡単に事件は解決したのではないかとも思われる。

 ただ、ひずめのトリックについては、この作品が推理小説上初めて用いられたというのであれば貴重な一編といえるかもしれない。

「そのとおりさ! きみの言うとおり。ぼくの説明だと、たしかにおかしいんだ。したがって、どこかでまちがったことになる」


ブラック・ピーター   Black Peter

1904年03月 「ストランド」誌

<感想>
 皆から忌み嫌われていた元船乗りのブラック・ピーターが銛で一突きにされるという異様な状況で殺害されるという事件。

 これはホームズの冒険憚の中ではいたって普通の事件と思われる。というよりは、この事件も警察が普通に捜査していれば犯人を捕まえることができたであろう。ホームズが犯人を特定するに至った捜査の過程こそが警察のすべき捜査であると感じられた。というよりは、ひょっとしてホームズ式の捜査が後に警察で用いられたとか??

「ぼくもずいぶん犯罪を捜査してきたが、空を飛ぶ犯人なんてものにはまだお目にかかったことがないよ」


恐喝王ミルヴァートン   Charles Augustus Milverton

1904年04月 「ストランド」誌

<感想>
 ホームズが恐喝を生業にしている男ミルヴァートンから、とある手紙を取り戻そうとする話。

 これは推理小説というよりは、まさにホームズの冒険憚。普段は事件の捜査を生業にするホームズが今回ばかりは犯罪者の真似事をするという内容。さらには、ラストの一幕が印象的な作品。ホームズが扱う事件にしては珍しい・・・・・・と思いきや、よくよく考えると最初の短編作品であった「ボヘミアの醜聞」と同じような内容であることに気づく。

「あまりにも漠然としているな。だって、それじゃ、このワトスン君の人相書きみたいじゃないか!」」


六つのナポレオン像   The Six Napoleons

1904年05月 「ストランド」誌

<感想>
 何故かさほど高価でもないナポレオン像が次々と壊されてゆくという事件。これもホームズものとしては代表作に数え上げられるひとつであろう。

 この作品がここで語られるネタの走りなのかどうかはわからないが、少なくとも代表作であり、これを超えるような作品はなかなかないという金字塔的な作品といえるだろう。たぶん似たような作品は色々と出てはいるであろうが、これを先にやられてしまうと後出の作品は印象が薄くなってしまうに違いない。

 また、今回読んでいて気づいたのは、この作品がただ単に像を壊していくという行為だけのものではなく、あくまでも“ナポレオン像”を壊すという犯政治的なミスリーディングを取り入れた作品であったのだろうということ。さらには、ラストで皆から賞賛されて照れるホームズの様子が人間味が溢れていてほほえましい作品でもある。

「いや、きみのやり方を曲げさせたくはない。きみはきみの、ぼくはぼくのやり方でやる、ということでどうだろう」


三人の学生   The Three Students

1904年06月 「ストランド」誌

<感想>
 試験用紙を盗み見したのは誰なのか? という内容。ホームズものにしては珍しく血なまぐささのない作品。

 この作品自体は印象が薄かったのだが、証拠品として落ちていた“ピラミッド型の黒い塊”というものにより、犯人の正体を思い起こすことができた。ほのぼのとまではいかないが、このようなちょっとした事件というのもたまにはよいであろう。

「一度だけ、きみは過ちを犯した。将来、きみがどんな立派な人間になるか、見守らせてもらうよ」


金縁の鼻眼鏡   The Golden Pince-Nez

1904年07月 「ストランド」誌

<感想>
 資産家の家で秘書の仕事をしている男が何者かに殺害される。その男は品行方正で人に恨まれるような人物ではなかった。現場に残されていた“金縁鼻眼鏡”からホームズが導き出した真相とは、という内容。

 相変わらず、ちょっとしたところから事実を導き出して行く手際は見事なものである。とはいえ、本書ではみるべきところはそのくらいで後はこれといった見せ場も少なかったかなと。ただ、似たようなトリックの作品が他にもあったが(しかも同じ短編集の中で)、この作品ではホームズの仕掛ける何気ない罠が秀逸である。

「なあに、推理はきわめて単純だ。眼鏡ほど、推理するにうってつけの材料になるものはまずないと思う」


スリー・クォーターの失踪   The Missing Three-Quarter

1904年08月 「ストランド」誌

<感想>
 優秀なラグビープレイヤーが試合を前にして失踪したという事件。ただし、誰かにさらわれたというものではなさそうで、何らかの誘いによってどこかへ行ってしまったというような様相。関係ありそうな人物といえば、消えた人物のがめつい養父くらい。

 結局のところ問題は動機であり、何故に大事な試合を前にして失踪しなければならなかったのかということ。本編はミステリというよりはメロドラマじみた内容であり、そんなわけでラストの場面ではなんとなく場違いなホームズの存在を目の当たりにすることとなる。

「行方がわからなかった人物がどうなったかを確かめるところまでが、ぼくの仕事です」


アビィ屋敷   The Abbey Grange

1904年09月 「ストランド」誌

<感想>
 最近いたるところに出没する強盗にある資産家の家が襲われ、主人が殺害されたというもの。単純な強盗事件のようであるのだが、殺害された主人が嫌われ者で、婦人に暴力を働いていたということだが何か事件に関連が・・・・・・

 これも警察が解決するような事件のように思えるもの。婦人の証言や現場の様子に矛盾を感じ取ったホームズが地道な捜査で真相へとせまってゆく。そして最終的にホームズがとる行動は、まさに勧善懲悪もののお手本といったところか。

「あなたは被告。ワトスン、きみは陪審員だ。ぼくが裁判長です。この被告は有罪でしょうか、それとも無罪でしょうか?」


第二のしみ   The Second Stain

1904年12月 「ストランド」誌

<感想>
 政府に関する機密文書が盗まれ、それをホームズが取り返さんとする内容。
 これもミステリというよりは、メロドラマチックな作品であった。機密文書の行方を追ってホームズがあれこれと行動していくさまは、探偵小説というよりはスパイ小説であるかのよう。特に絨毯のシーンはこの作品の名場面といってもいいかもしれない。

 そして最後はホームズが雇い主をたぶらかして真相をひた隠しにするものの、それで簡単に納得してしまう人物が機密文書を扱っていてよいのかということが最大の問題であったような気が・・・・・・

「ぼくたちにも外交上の秘密というものはありましてね」




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