<内容>
「遺言状を書きかえたい」というルパート・セスリーの要望に対して弁護士が屋敷を訪ねてきたところ、当のセスリーは突然アメリカに旅立ったのだとルパートの従弟のジェームズから告げられる。しかし、他に誰もルパートが出かけたということを知っていたものはいなく・・・・・・。そんな折、隣町の肉屋で吊り下げられた首無し死体が発見される。果たしてこの死体の主は・・・・・・
<感想>
グラディス・ミッチェルの作品を読むのはこの本で3作目。最近ようやくミセス・ブラッドリーという探偵役についての認識ができかけてきたような気がする。とはいえ、物語が進行している中では、ミセス・ブラッドリーは探偵らしき捜査はするものの、何故か探偵らしいとは全然思えないから困ったものである。
また作品全体を見渡しても、厳密な探偵小説だとは言いがたいものを感じてしまう。最初に死体が発見され、誰の死体か明らかであるようにもかかわらず、なかなかそれを断言しないまま物語がどんどん進行していってしまう。
個人的にはもう少し、何が基本的な謎となり、何を問うミステリなのかというものをきちんと整理してもらいたいところである。とはいえ、ミッチェルの作風から言えば、そのようにきちんと整理せずに、謎をぼかしつつ物語を進めていくというのが作風なのであろう。
最終的には、謎の全てがきちんとまとめられており、恒例ともいうべき最後に掲載される“ミセス・ブラッドリーの手帳”にて事件が解説されている。それを読めばこの本はそれなりに探偵小説として成立されている作品だといえないことはないのだが、なにかしっくりしない気分も残ってしまうのである。
ただ、そういうことを気にしないで、周囲の人たちから恐れられることを喜びながら探偵活動をしているミセス・ブラッドリーの様子を楽しんで読んでいくというのが、ミッチェルの作品の正しい読み方なのであろう。
<内容>
とある田舎の村“ソルトマーシュ”。そこは平和な村であるが村に住む人々は少々変わっている。頑固な牧師、その牧師に何かと反対する謹厳的な妻、村の人を動物に例えようとする老婆、1人父なし子を生もうとする女性、等々・・・・・・
そんな村にて祭りの夜、牧師が何者かに襲われる事件が起きる。そしてさらには殺人事件までもが! 平和だった村でいったい何が起きようとしているのか?
そんな事件に挑むのはこれもまた一癖二癖もある、ちょっと気味の悪い老婆の心理学者ミセス・ブラッドリー。魔女の血をひくという、ちょっと変わった女探偵ここに登場。
<感想>
奇妙な人々が住む村で起こる奇妙な事件。村の様相を見ると、どんな事件が起きても不思議ではないように思えるのだが、それでもそこに住む人々は事件が起きれば右往左往する始末。
全体的に見てみると、何かあれこれはぐらかされるといった印象を受ける。物語の核をなす殺人事件があり、それ以外にもあれこれと事細かな事件は起こる。しかし、その細かな事件はすぐにそれなりに解決されてしまう。小さな事件も最終的にはそれなりの伏線といえないこともないのだが、伏線というにはわかりにくい。
ただ本書には注目すべき点があり、巻末にミセス・ブラッドリーの手記がついている。それは事件全体をミセス・ブラッドリーの視点によって書かれたものでこれがなかなか面白い。さらに付け加えれば巻末の解説を本書の訳者でもある宮脇孝雄氏が書いているのだが、そこに本書の楽しみ方のようなものが書かれており、それを読むとなんとなくこの物語を肯定したくなってしまうのだから不思議なものだ。この作品を読む人は是非とも最後の手記と解説まで読み通すことをお薦めしたい。
それと、奇妙な老婆探偵ミセス・ブラッドリーはキャラクターとして面白い。ただ、もっともっとハチャメチャでもよいのではないかと思える。ぜひともこのミセス・ブラッドリーが活躍する他の作品も読みたいものである。
<内容>
町にやってきたサーカスの開幕を楽しみにしていたサイモンとキースの兄弟はその前夜、夜中に家を抜け出して会場の偵察へ行くことにする。二人はその途中、ナイフを手にした怪しい人影を目にすることに。翌日、ナイフで切り裂かれたサーカスの女団員の死体が見つかり村は大騒ぎとなる。そしてその後次々と村の若い女性を狙った切り裂き魔による殺人事件が続くことに。サイモンとキースは警察に請われてやってきた心理学者の老婦人ミセス・ブラッドリーの助けを借りながら事件の真相へとせまってゆく。
<感想>
本書に登場するミセス・ブラッドリーという心理学者はグラディス・ミッチェルのシリーズ探偵となっており、「ソルトマーシュの殺人」においても活躍している。とはいうものの、「ソルトマーシュ」のときはさほど印象深い探偵としてはとらえておらず、はっきりいってその存在を忘れていた。今作ではようやくミセス・ブラッドリーの味というものが感じられ、本書を読めばこれから先、訳されるであろうミセス・ブラッドリーが登場する作品をより楽しく読むことができるだろう。
本書は切り裂き魔による連続殺人という重い内容が描かれている。しかしそこを少年の視点によって描くことにより、不必要に残忍な印象を受けないものとなっており、連続殺人事件が行われているにもかかわらず終始のほほんとした雰囲気で話が進行している。
本書は少年を主人公にしたという点が当ったと言えよう。殺伐とした雰囲気をなごませるだけでなく、主人公の兄と年下でも兄よりも論理的な推理を披露する弟と、なかなか魅力的な人物像で描かれている。その二人が子供っぽさを持ちながら、大人の世界に少しずつ足を踏み入れつつ、真相へと肉薄していく様は読んでいて決して飽きのこないものとなっている。
少し惜しく感じたのが、最後があまりにもあっさりと終わりすぎているところ。後日譚などを書いてもらって、少年達の行く末を見てみたかったのにと・・・・・・もうちょっとその余韻に浸りたかったと感じられた作品である。
<内容>
大学生のオハラはクロスカントリーの競技の最中、道に迷い、とある農場に迷い込んだ。そこに住む怪しげな夫婦に助けを求めるものの、その代わりとして手伝いを申し渡される。それは、ひとりの重病の男を車まで運び、病院へ連れて行くというものであった。オハラは男と二人で重病の巨漢の男を車へと運びあげるのだったが、その行為があまりにも怪しかったために、途中で車からの逃走をはかる。逃走後、オハラの服にはべったりと血が付いていて・・・・・・
その後、どうしても事件のことを忘れる事ができないオハラはミセス・ブラッドリーに助けを求めることに。
<感想>
本書はまさしくグラディス・ミッチエルらしい作品といえる。この作品も、盛り上がるところで盛り上がらず、盛り上がりそうもないところで盛り上がるという展開がてんこ盛りなのである。
事件は農場で“病人”らしき血だらけの大男を運び出すところから始まる。さらには、何年にもわたる怪しげな失踪事件や、巨石群での事件など本格ミステリの要素がこれでもかと言わんばかりに用意される。
しかしそれらを一切、本格ミステリらしい展開に持ち込んでいかないところこそがミッチェル作品なのである。
見せ方によっては謎の事件として扱われる巨石の下敷きになる場面も、延々とミセス・ブラッドリーら幾人かの人々がしっかり目撃していたりと、謎が謎を呼ぶという展開には決してなされない。本書は冒頭は本格ミステリらしく始まるものの、後半へと進むにしたがって、冒険サスペンスのような展開へと突入していく。
という内容のために、この作品は今までミッチェル作品を未読の人にはあまりお薦めできないように思える(とはいえ、どの作品から薦めていいのかわからないのも困ったところ)。むしろ、シリーズ作品としてのキャラクター小説と言えないこともない作品なので、シリーズを通して読んでいる人には、かなり楽しめる内容なのではないだろうか。
<内容>
ミセス・ブラッドリーは彼女の患者であり、長年の知り合いでもあるブーン・チャントリー卿から“シャーロック・ホームズ生誕百周年記念”と銘打たれたパーティーに招待される。ブラッドリーは秘書のローラとその婚約者であるギャビン警部を連れて参加することに。途中、バスカヴィル家の犬に扮した突然の乱入騒ぎがあったものの、パーティーは何もなく終わりを告げた。とはいえ、チャントリー卿が家庭教師のリンダ・キャンベルと婚約すると告げたときから、屋敷の雰囲気は悪くなることに。そしてある日、リンダの行方がわからなくなり・・・・・・
<感想>
本書は今まで翻訳されたグラディス・ミッチェルの作品のなかでは格段に読みやすく、また、ミセス・ブラッドリーを囲むサブ・キャラクターについても詳細に書かれている作品なので、一見の価値があるといえよう。今後、このシリーズを読んでいくなかでは、見逃せない作品といえるかもしれない。
また、この作品はホームズ愛好家を喜ばせるような趣向もいくつかあり、特にパーティで催される“ホームズ作品に関連する道具探し”というものは、実際に行ってみたいという人もいるのではないだろうか。
とはいえ、見所はそのくらいで肝心のミステリ作品としてはかなり薄めであった。事件自体も物語の半ばくらいまでこなければ発覚せず、ほとんどその一つの事件のみしか起こらない。そういうわけで展開としては、やや退屈さを感じてしまう。そして事件に対する解決についても、なんとなく誰が犯人でも良かったように思え、これといった決め手に欠けていたように感じられた。
そんなわけで、シリーズ作品としては見所が多々あるものの、一冊のミステリ作品としてはやや弱めであったかなという印象にとどまる。
<内容>
ミセス・ブラッドリーの孫娘サリー・レストレンジは友人であるフィリスの父、サー・ハンフリーからタナスグ湖で謎の生物の調査にさそわれることに。多くの人々が参加する中、どうみても気乗りしない人たちばかり。そんななかでも特にアンジェラ・バートンは調査に乗り気でなく、しかも皆に不愉快さを振りまき、敬遠されていた。そんなアンジェラが人が誰も寄り付かないような小屋で死体で発見され・・・・・・
<感想>
読者の期待を裏切りつつも、読者の予想だにしない物語をつむいでゆくというのはこの作家ならではといえよう。本書はいかにもグラディス・ミッチェルらしい怪作である。
このタイトルを見れば、ミステリ・ファンであれば誰しも“まるで怪物によって殺害されたかのような死体”というものを想像するであろう。しかし、本書で出てくる死体については、単なる毒殺体であり、怪物とはいっさい何の関係もない。当の気になる怪物の存在については、本書のなかではいるのだかいないのだかわからない観測の対象でしかないのである。
ということで、本書はミステリ作品としては凡庸である。ミセス・ブラッドリーの存在も、以前読んだ作品ほどは怪しくなく、秘書で助手ともいえる行動派のローラや本作品の主人公ともいえる孫娘サリーの陰に隠れて常識的な老婆としか感じられなかった。
ただ、この作品の中での出没(?)する怪物の存在というか扱いがただただひたすら奇怪であるとしか・・・・・・