その他の作品 作品別 内容・感想

倫敦から来た男   

1934年 出版
2009年10月 河出書房新社 単行本

<内容>
 港湾駅で30年にわたって働き続けるルイ・マロワン。彼が夜勤で、いつものように高見にある転轍操作室から外をながめていると、二人の男が口論をしているのを発見する。そして一人の男が相手を殴ると、男はスーツケースを持ったまま海へと落ちていった。殴った男が去った後、マロワンは海に潜りスーツケースを回収する。その中に入っていたのは、多額の現金であった。思いもよらぬ大金を手にしたマロワンであったが・・・・・・

<感想>
 今の世でこの作品を読むとノワールという言葉が出てくるのだが、書かれた当時にしてみればあくまでも文学作品であり、「罪と罰」を意識したものとなるのであろう。思わぬ大金を手にした男のてん末が描かれた内容となっている。

 読んでいて思うのは、主人公が何故こうも悪い方向へと進んでいくのかと。二つ選択肢があった場合、悪い方悪い方をどんどんと選択して行き、そのまま最悪の結果へと突き進むこととなる。

 少し考えてみれば、ハッピーエンドとまではいかなくても、もう少しうまい方向へたどり着くことができたのではないだろうか。それとも、思わぬ大金を一般の者が手にした場合のてん末というのは、このようなものなのであろうか。読み終えた後に、どこからが誤った道で、どこまでだったら取り返しがきくのだろうかと考えずにはいられなくなる。こうした内容の作品を現代調で書いてみたらどのようなものになるのかということも考えてみるとおもしろそうである。


ドナデュの遺書   

1937年 出版
1979年01月 集英社 集英社文庫

<内容>
 フランスの商港、ラ・ロシェルの資産家であるオスカール・ドナデュが死んでいるのが発見された。彼の遺書が公開され、遺産は一族のものたちに分配される。その後、それまで地元の名家とされていたドナデュ家は徐々に衰退の一途をたどり・・・・・・

<感想>
 シムノンによるノン・シリーズ作品であり、ミステリではなく普通小説。一族の衰退(というか崩壊)を描いた作品であるのだが、シムノンの作品にしては長めの作品。

 第一部では、ドナデュ家の当主であるオスカールの死から始まり、その死に直面した一族の様子が描かれる。そして第二部では時が経過し、その後のドナデュ家の様子と、さらなる衰退の模様が描かれている。

 さまざな登場人物が出てくる多視点の作品であるのだが、一番の存在感を出しているのがドナデュ家の一員ではないフィリップ青年。この男が第一部では、ドナデュ家の娘と駆け落ちするのだが、第二部ではなんと、ドナデュ家の重臣のような位置に収まってしまっている。この出世というか、変化が見物。しかし、本人の元々の力量のなさなのか、結局はドナデュ家の崩壊の手助けをしてしまうかのような・・・・・・

 全体的に、一族の衰退を描く小説であるがゆえに、愚痴ばかりというか、ネガティブな行動や発言が繰り返され続ける。それが延々と、という感じがし、決して楽しめるような内容ではない。とはいえ、文学風の小説ゆえに、こんなものなのかもしれない。それでもラストでは、それなりの山場を見せてくれている。


ロニョン刑事とネズミ   5.5点

1938年 出版
2024年03月 論創社 論創海外ミステリ314

<内容>
 警察にしょっちゅう厄介になっている“ネズミ”と呼ばれる男が大金を拾ったと、封筒に入った現金を警察に届け出てきた。実はその金は、飲み代をせびろうと駐車していた車のドアを開けたところ死体を発見し、その死体から盗んできたものであった。ロニョン刑事は、金を持ってきたネズミの行動に不審なものを感じ、ネズミを尾行しはじめ・・・・・・

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<感想>
 ある意味メグレ・シリーズの外伝とでも言うべき作品なのかもしれない。メグレ・シリーズに出てくるロニョン刑事が主人公のひとりとなっている作品。もう一人というか、真の主人公はネズミと呼ばれているコソ泥。この二人が中心となって物語が描かれている。

 全体的には微妙というか、どこか中途半端と感じられた。本書はキャラクター小説というような捉え方をして、ネズミとロニョン刑事の行動と振る舞いに着目すべき作品なのだと思われる。作中ではひとつの殺人事件らしきものに徐々にスポットが当てられてゆき、その事件の行方についても語られるものの、この収束のしかたがかなり中途半端であった。ゆえに、本書においては事件中心というよりは、その事件の周りで右往左往しているネズミとロニョン刑事のほうに着目すべき作品なのであろう。

 一応、ユーモア小説っぽい書き方をしているのかもしれないがロニョン刑事があまりにも愚直ゆえに、あまり楽しめる小説という風には捉えられなかった。ネズミの行動においても、事を起こすというよりは受け身的なスタンスゆえに、中盤以降はそんなに見所もないという状況。そんなわけで、全体的にあまり楽しめない作品であった。


マンハッタンの哀愁   

1946年 出版
2010年02月 河出書房新社 単行本

<内容>
 フランスの有名な舞台俳優フランソワ・コンブは同じく女優である妻と離婚し、第二の人生を求めて単身ニューヨークへと渡った。そこで、ラジオなどの仕事を細々とこなしながらも、失意にくれる日々が続いた。そんなある日、フランソワは軽食堂でケイと名乗る女と出会う。互いに惹かれるようになった二人であったのだが・・・・・・

<感想>
 失意にくれる俳優が心機一転を求め、ニューヨークへとやってくる。そこで運命の女性との出会いにより、やがて再生していくという物語のよう。

 そんなわけで再生の物語なのだが、どうにも話が大人過ぎてよくわからない(私自身、十分いい歳なのだが)。男と女が出会い、そのまま話がうまい具合に進むのかというとそういうわけでもなく、互いに嫉妬や激情にかられながらも、やがて心が通い合うというようなそんな感じ。ただ、その嫉妬や激情が洒落にならないくらい激しいものなのである。年を取ればとるほど、人間というのは複雑で難しくなるものなのかと、ふと痛感してしまう。

 本書の舞台はニューヨークなのであるが、ちょうどこの本が書かれる直前に著者のシムノンはフランスからアメリカへと渡ってきたとのこと。そして、シムノンは妻がいるにもかかわらず、秘書となった女と不倫の関係に陥る。つまり、ここに描かれているのはシムノンの自伝的小説なのである。その体験をもとに1年足らずで本にしてしまうところは何とも言えぬ作家としてのすさまじさを感じさせる。


ブーベ氏の埋葬   

1950年 出版
2010年12月 河出書房新社 単行本

<内容>
 静かに余生を送っていたブーベ氏と呼ばれる老人が、古本屋にて版画集を見ている最中に急死した。身寄りのないブーベ氏に対して気の毒に思ったアパートの管理人は、彼の埋葬を引き受けることとする。すると、ブーベ氏の妻と名乗る女性が彼らのもとを訪ねてくる。さらに、ブーベ氏の過去を知るというものが次々と現れることに。警察は事態を収拾しようとブーベ氏の過去を調査するのであったが・・・・・・

<感想>
 過去を誰にも打ち明けることなく過ごしていた老人の死後、次々と彼を知るというものが現れる。多くの人々が訪れることによって、徐々に明らかとなる彼の経歴。しかし、その経歴が集まり、彼の過去が明らかになればなるほど、ブーベ氏の人生の全容がぼやけて見える。むしろ人々に過去を告げられることによって、その存在が見えなくなってしまうかのように。結局のところ、ひとりで余生を過ごし、ブーベと名乗っていた最後の人生こそが彼の孤独な真実を明かしていたかのように思われる。とはいえ、その彼も過去のつながりを決して失わぬように、昔過ごした地域の近くでひっそりと過ごしていたというのもまた印象的。


リコ兄弟      5点

1952年 出版
1956年12月 早川書房 ハヤカワミステリ288

<内容>
 ギャングの手下として働くエディ・リコ。彼には弟がいて、下の弟ジノは組織の殺し屋をしており、末の弟のトニィも組織の中で働いている。ある日、トニィの行方がわからなくなり、エディは弟の行き先を探し出すようにボスから命じられる。エディは、組織に逆らうことなく、淡々と弟の行方を追ってゆき・・・・・・

<感想>
 シムノンが表現する、ギャングとその家族を描いた作品。このような内容のものを単一の視点のみから描き切るというところはいかにもシムノンらしい。

 ギャングの世界で生き続けてきた男が、行方をくらました弟を探し出すというもの。その弟を探し出すという過程のなかで、主人公の家族の様子が描かれてゆくこととなる。ギャングの手下として働いていなければ、いかにも普通の家族という様相。しかし、ギャングの掟により、弟を見つけなければならないという行為と、弟を見つけた先に待ち受ける行為との葛藤に主人公は悩まされることとなる。

 ノワール小説のはしりのような感じの作品。ただ、シムノン作品ゆえか、ギャング組織などについてはさほどあからさまには描かれていない。また、一見肝心と思われる終幕についても詳細には描かれていない。そういった細かい描写を避けることによりあえて文学風にしているところがノワール作品とはちょっとことなるシムノン風というように捉えることもできる。


モンド氏の失踪   

1952年 出版
2011年08月 河出書房 単行本

<内容>
 ある日、警察にモンド夫人が訪れる。夫が突然失踪したのだと。モンド氏は48歳、<モンド商会>の社長であり、業績も順調であり、姿を消さなければならない理由などはないはず。実はモンド氏は、突然それまでの人生を捨てようと思い立ち、自らの意思で逃亡生活を送ることを決意していたのだった。

<感想>
 社会からの逸脱をテーマにした作品とのこと。話としては、決して珍しいものではない。誰しもが、例え順風満帆な人生であっても、突如今までの自分の生活を捨ててどこかへ行きたいと願うことはあるのではなかろうか。大概の人は想像のみで終わるのだが、たまにそれを本当に実行してしまう人がいる。日本であれば、突如ホームレスになったりというような話を耳にすることもある。近年であれば、人生を捨てるまではいかないにしても、離婚という形で人生を変えようとする考え方は、男女問わず多いのではなかろうか。

 ここでのモンド氏も同様に、特にこれといった理由はないのだが、今までの人生に倦み飽きたという感覚から、突然人生からの逃避行を始める。その行動については、年代も地域も異なるので、共感を覚えるようなものではないのだが、こういった人生の送り方もあるのだなと、あくまでも一つの例として受け取ることができる。さらには、偶然にも自分がたどってきた人生の一端に出くわすことがあれば、逃避行を行った本人としては、結局今までの人生を振り替えざるを得ないのではなかろうか。社会からの逸脱をテーマにしつつも、自分の人生からはそうそう逃れられるものではないということを示唆しているようにも感じられる。


証人たち   

1955年 出版
2008年04月 河出書房新社 単行本

<内容>
 病身の妻をかかえ、その介護に振り回されることにより不安定な精神状態に陥る裁判官のグザヴィエ・ローモン。彼は今、殺人事件の案件を抱え込んでいた。ランベールという男が妻殺しの容疑で起訴されたのである。一見容疑は明らかのように見えたのだが、裁判は徐々に難しい展開を見せ始め・・・・・・

<感想>
 法廷モノということなのであるが、その場面場面がわかりづらく感じられた。また、法廷での話の進め方や証人達の供述もわかりづらい。どうにも、本当に容疑者を裁く気があるのかさえもわかりづらい。

 話としては、裁判というものの難しさを伝えたいのだろうということはわかるのだが、これでは起訴するにあたっての証拠が貧弱すぎるのではないかと思える。

 ひょとしたら、その当時であれば斬新な内容であったのかもしれないが、今の時代から見てみるとありきたりの法廷モノという気がしてならない。

 また、肝心の法廷場面よりも主人公であるローモンの妻に対する悩みとその生活ぶりのほうが重苦しく、物語り全体を喰ってしまっていると感じられた。まぁ、こうした苦悩振りがいかにもシムノン作品らしいと言えなくもないのだが。

 作品自体を楽しむというよりも、あくまでもシムノンのファンが読むべき作品といえよう。メグレ警部シリーズが好きであれば、この作品もその雰囲気を楽しめることであろう。


ストリップ・ティーズ   

1958年 出版
1977年07月 集英社 集英社文庫

<内容>
 カンヌの小さなキャバレー“モニコ”。店のベテランダンサーのセリータは、女主人の後釜を狙っていた。ある日、新人の踊り子モーが店に入ってくる。彼女の存在を恐れたセリータは、嫉妬に燃え上がり・・・・・・

<感想>
 最後まで読めば、サスペンス風の小説と言えないこともないのかもしれないが、基本的には物語というような作品。ストリップショーを行うキャバレーでの愛憎劇が描かれている。

 話の中心となるのはベテランダンザー、セリータ。彼女の周囲に対する愛憎や裏切りが描かれてゆく。このセリータに関しては、衝動的な行為や、それに対する後悔など、やや支離滅裂気味に描かれているようにも見える。ただ、彼女がダンサーというよりも、ひとりの女優として見ると、そのひとつひとつの行為に対して、何かを演じ切らなければならないという衝動にかられていると考えることもできる。それゆえに、衝動と後悔という矛盾する行動をとりつつも、結局は愛憎という感情的な部分に流されて行ってしまったのだろうと。

 大人の世界の物語といったところ。その他にも魅力的な設定のダンサーたちも出て来ていたので、それらの人物描写にも力をいれて描けば、もっと大作として取り上げられたのではなかろうか。


闇のオディッセー   

1960年 出版
2008年11月 河出書房新社 単行本

<内容>
 パリで産婦人科医を営むジャン・シャポは裕福で何不自由のない暮らしをしていた。社会的身分に恵まれ、妻と子供がいて、秘書兼愛人も抱えるという誰もがうらやむ生活。しかし、シャポは自分の医療技術や、恵まれた生活にふと疑問を抱いたことから全てがうまくいっていないように錯覚し始める。やがて、かつて捨て去った愛人に関する匿名の脅迫状を受けることとなり・・・・・・

<感想>
 女にだらしがない医者が大いに悩む話。大雑把にいえばこんな内容。

 最近読んでいるシムノンのノン・シリーズものにしては珍しくサスペンス色の強い話。基本的には主人公である医者から視点のみで語られてゆくので、心理サスペンスという具合にとらえることができる。

 とはいいつつも、主人公が抱える悩みというのが、中年であれば誰もが抱える普通の悩みとか、自業自得の愛人問題などであるからさほど共感できるようなものではない。そうした自身の悩みを抱え、自身で自身を追い込みつつある男が最後の最後でとある事実を突き付けられ、突発的な行動を起こすこととなる。

 現代においてはこうした結末を迎える作品も珍しくはないかもしれないが、この時代ではそれなりにショッキングな作品として迎え入れられたのかもしれない。また、映像化されたことにより、さらに注目を浴びるようになったということにもうなずける内容である。

 シムノン流の文学的な心理サスペンス小説ということで。


青の寝室   

1964年 出版
2011年02月 河出書房新社 単行本

<内容>
 フランスの田舎町にて、妻子ある男トニーと食料品店を営む男の妻アンドレは不倫の関係におちいる。二人はトニーの弟が経営するホテルの青色の部屋で情事を重ねる。やがて二人の関係はとある事件により明らかにされることとなり・・・・・・

<感想>
 河出書房から出続けているシムノンのノン・シリーズ小説を読み続けているのだが、そのなかでも凝った構成の作品。裁判にかけられているらしい男が警察官に事情聴取されている場面から始まり、そのまま事情聴取と男のフラッシュバックにより話が進んでいく。

 事情聴取により明らかにされるのは男の不倫関係について。その不倫の発端、展開、その後というものが延々と語られる。不倫を元になんらかの事件が起きたらしく、それにより男は裁判にかけられているようなのだが、事件の詳細は語られない。物語の最初から最後まで続く、事情聴取によって事件の全貌が明らかになるように描かれている。

 淡々と機械的な聴取が行われるなかで感じられる男のいらだち。そして事件だけではなく、すべての事の発端となったひとつの激情。語られ方や秘められた思いに強い印象を植えつけられることとなる一冊であった。


小犬を連れた男   

1964年 出版
2012年08月 河出書房新社 単行本

<内容>
 ひとり孤独に暮らす男フェリックス・アラール。彼はいつしか、小犬を飼い、その犬と散歩をすることが日課となる。48歳となったアラールは、自身で手記を書くことを決意し、文房具店でノートを購入する。そして自分の人生にけりをつけることを考え始めるのであったが・・・・・・

<感想>
 なんとなく犯罪小説のような趣を見せるのだが、結局のところ何も事を起こさないという、なんとも不思議な雰囲気の小説。

 主人公のフェリックス・アラールは、犬とともに過ごす孤独な初老の男。なんらかの行為により、今の人生を送ることとなったようであるが、彼の過去はすぐには明らかにされず、繰り返されるフラッシュバックとともに、少しずつ明らかになってゆく。

 結局のところアラールは、自身の人生に何を期待して生きようとしていたのか? 読んでいてそれがよくわからなかったのだが、当の本人もわかっていなかったのかもしれない。故に手記を書くことにより、自身の人生を見つめなおそうと思ったのであろうか。ひとりの男の生き様が淡々と語られてゆき、最初から最後までもの悲しげな雰囲気と孤独がまとわり続ける小説。


ちびの聖者   

1965年 出版
2008年07月 河出書房新社 単行本

<内容>
 パリの片隅、貧しい露天商の家に生まれ、母と兄姉たちに囲まれながら育ってゆくルイ・キュシャ。彼は無口で人に歯向かうこともなく、さらには彼の小ささから“ちびの聖者”と学校で呼ばれていた。ルイは特に夢や希望というものを持っていたわけではなかったが、やがて色彩に興味を持ち、独学で画家への道へと歩んで行くこととなる。

<感想>
 ちょっと不思議な作品というか、一見だれかの伝記にも思えたのだが、実際には架空の人物を描いたフィクションであるとのこと。“ちびの聖者”とあだ名を付けられた少年が画家への道を歩んでゆく様が描かれている。

 一応、本書では画家への道を歩んだ青年が成功していく様が描かれてはいるものの、決して華々しく描かれているわけではない。というのも、主人公自身が華々しい道を選ぶわけでもなく、ただ単に絵を描きたいという欲求にしたがって、淡々とその作業を進めてゆくだけなのである。

 主人公は子供の頃から達観しているのか、それとも感情が希薄なのか、自身の意見を言わず、なんら希望をもたないまま日々の生活を過ごしてゆく。大勢の家族と貧しいながらも淡々と暮らしていく様子は当時の生活事情を表しているようであるが、このルイの家族が世間一般的な家族なのか、それともかくべつ貧しい家に生まれたのかはよくは分からない。ただ、その地域における日常生活のなかに埋もれた一つの風景を描いているという事は確かだと感じられる。

 やがて、彼の家族もひとりまたひとりと家を離れて行き、ルイ自身も画家としてひとり立ちすることを決意する。ただし、ひとり立ちといっても、精神的な意味合いというよりは誰にも邪魔されずに絵を描き続けたいという欲求によるものからである。そして、絵を書き続けることによりやがて一流の画家と称されることになる。特に本人はその評価を気にしているわけではないのだが。

 この作品はちょうど戦争と重なる年代のなかで描かれている。ただ、主人公のルイは背が低いことにより兵役から免除されることとなる。それにより彼は絵を書き続ける事ができるのだが、このエピソードも“ちびの聖者”という意味合いと本作品の内容を考える上では非常に重要な一場面といえるのではないだろうか。

 フランスの片隅に生きる家族達の生活と、聖者と呼ばれる主人公の人生がシムノン流の筆致で描かれた作品。


猫   

1967年 出版
1985年01月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 エミール・ブワンは晩年、妻を亡くし、同じく夫を亡くしたマルグリットと再婚をすることとなった。結婚をしてみたものの、一緒に住んでみるとうまい具合に行かず、エミールが連れてきた猫と、マルグリットが飼っているオウムに対し、それぞれ不満を持ち始める。その思いが形となって表れることとなり、二人の関係はますます気まずいものとなり・・・・・・

<感想>
“猫”というタイトルから、なんとなく良い話だと思い込んだ人は、実際にこの本を読んでみて、それが大きな間違いであることに気付くであろう。本書は、再婚した老夫婦の確執を描いた話である。

 互いを気に入って、再婚を果たしたはずの二人であったが、価値観の違いから徐々にすれ違ってゆく。しかも、二人が高齢ゆえに己を変えるということもできず、二人の溝は深まるばかり。なんで、こうした先行きを予測することができなかったのかと言えば、互いがそれぞれ寂しさと孤独を抱えていたからである。

 そうした二人の確執を表す象徴として、“猫”と“オウム”の事件が起き、それにより二人の関係は後戻りできなくなる。その後も、ずれ続ける生活を強いられるものの、時間が経てば経つほど、結局二人に残されたものは互いの存在しかないという絶望に気づかされる。

 二人の初婚はうまくいっていたゆえに、結婚とは何か? というたぐいの話ではないのだが、老齢の者が互いに寄り添いながら生きることについての命題を突き付けられたような感じであった。


十三の謎と十三人の被告   6点

2018年10月 論創社 論創海外ミステリ219

<内容>
【十三の謎】(1928年−1929年)
 「第一話 G7」「第二話 カテリーヌ号の遭難」「第三話 引っ越しの神様」「第四話 入れ墨の男」「第五話 死体紛失事件」
 「第六話 ハン・ペテル」「第七話 黄色い犬」「第八話 モンソオ公園の火事」「第九話 コステフィーグ家の盗難」「第十話 古城の秘密」
 「第十一話 バイヤール要塞の秘密」「第十二話 ダンケルクの悲劇」「第十三話 エトルタの見知らぬ婦人」

【十三人の被告】(1929−1930)
 「第一話 ジリウク」「第二話 ミスター・ロドリゲス」「第三話 マダム・スミット」「第四話 フランドル人」「第五話 ヌウチ」
 「第六話 アーノルド・シュトリンガー」「第七話 ワルデマル・スツルヴェスキー」「第八話 フィリップ」「第九話 ニコラス」「第十話 チンメルマン夫妻」
 「第十一話 トルコ貴族」「第十二話 オットー・ミュラー」「第十三話 バス」

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<感想>
 これは面白かった。シムノン作品ゆえに、もっと地味な作風かと思いきや、何とシャーロック・ホームズ譚のような作品が読めるとは。

 ここに掲載されているのは「十三の秘密」「十三の謎」「十三人の被告」という三つの連作シリーズの二つが収められている。「十三の秘密」に関しては創元推理文庫の「第一号水門」に収められているのでここには掲載されなかった。

 そのうちの「十三の謎」については、個人的にお薦めしたい作品集となっている。これは“G7”と呼ばれるまるでスパイのような呼び名の刑事が活躍する様子が描かれている。これが、それぞれ語られる事件がまるでホームズ譚のような魅力的な謎が語られていて目を惹くものがあった。ただ、どの作品も10ページ少々と短め故に、全貌を理解する頃には犯人が捕まってしまうというもので、その短さがもったいないと感じられてしまう。中には「死体紛失事件」のように印象的なものもあったので、それぞれ30ページくらいで書き上げてくれれば、もっと凄い作品集になったのではないかと考えずにはいられなくなる。

 続く「十三人の被告」に関しては、「十三の謎」に比べるといまいちであったかなと。こちらはフロジェ判事が事件の謎を解くというものなのであるが、“被告”という名の通り、裁判所に呼ばれてきた被告がそのまま事件の犯人というものがほとんどなので、意外性については乏しい。また、裁判を描いた作品ゆえか、事件の描写がなかば箇条書きのような感じになってしまっているので、物語という感じが薄かった。

「十三の謎」と「十三人の被告」の二つ合わせて、シムノンはこんな作品も書いているのだと改めて読んでもらいたい作品集である。短めの作品集であるが、内容は濃いので、1編1編じっくりと味わって読まれることを希望したい。




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