カ行−カ  作家作品別 内容・感想

誰でもない男の裁判   The Trial of John Nobody   6.5点

2004年06月 晶文社 晶文社ミステリ

<内容>
 「黒い小猫」
 「虎よ! 虎よ!」
 「誰でもない男の裁判」
 「猫探し」
 「市庁舎の殺人」
 「ジメルマンのソース」
 「ティモシー・マークルの選択」
 「姓名判断殺人事件」

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<感想>
 いろいろな形式の作品が寄せ集められた作品集である。たぶん、これがA・H・Z・カーのベスト作品集となるのではないだろうか。文学的な作品から、ミステリー、物語と幅広い多種多様の作品を投げかけてくれる。次の短編がどんなジャンルのものなのかと楽しみながら読み進めることができる本となっている。

「黒い小猫」
 これはミステリーというよりも、一人心理サスペンスとでも言ったほうがいいかもしれない。もし本当にこのような事が起きてしまったら、自分だったらどうするのだろうと考えずにはいられなくなる展開である。ぜひとも小さな娘さんがいる父親に読んでもらいたい作品。

「虎よ! 虎よ!」
 確か何かのミステリー・アンソロジーにて読んだ事がある気がするのだが、あまり印象に残らなかった一編である。詩人が探偵という、ある意味魅力的な設定をもっているのだが、肝心の犯罪自体が小さく、見えづらいもののためか、その探偵の活躍がぱっとしない。全体的にはうまくできているように思えるのだが、その地味な面をぬぐいきることができなかったというところか。

「誰でもない男の裁判」
 宗教的な色合いの濃い内容となっているのだが、どぎもを抜くような事件の発端と、足をすくわれるような事件の結末に読んでいるほうはノックアウト寸前である。普通のミステリーでこういうネタをやっても栄えないと思うのだが、この設定であるからこそ許される結末といったところか。

「猫探し」
 特にひねりがあるわけでもないのだが、ほのぼのしていて良い作品である。思わず、アイフルのチワワの事を思い浮かべてしまう。

「市庁舎の殺人」
 普通の警察ものの作品である。普通の作品であるのだが、この作品群の中にあるのは少し違和感を感じてしまう。それぐらい普通の作品。とはいえ、ラストの一幕は印象的である。

「ジメルマンのソース」
 これは物語としてよくできている作品。奇譚集としてはありがちで、オチも定番なのであるが、それでも面白いものは面白いといったところ。

「ティモシー・マークルの選択」
 これまた、こんな問題作を読者に投げかけてくるとは。ラストまで読み終わったときに、主人公が結局どのような選択をとったのか、また自分だったらどのような選択をするのかと考えずにはいられない作品。本当に何が飛び出してくるのかわからない作品集だなと思わされる。

「姓名判断殺人事件」
 これは打って変わって、正統派のミステリー作品。真相を見つけ出す根拠はどうかと思われるのだが、良く練られている作品であると感じられた。これはなかなかの秀作といえよう。


殺人者の湿地   Murderer's Fen (Andrew Garve)   6点

1966年 出版
2013年09月 論創社 論創海外ミステリ109

<内容>
 セールスマンのアラン・ハントには野望があった。それは金持ちの女と結婚して、ひと財産を築くこと。着々と計画がなされていくなか、思わぬ邪魔がはいる。彼がバカンスの時にちょっと手を出した女が、アランの住所を突き止めやってきたのだった。「この女をなんとかしなければ」。そこでアランはある計略を練るのであったが・・・・・・

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<感想>
 アンドリュウ・ガーヴという作家については全然知らなかったのだが、過去にはかなりの作品が邦訳されていた模様。ただ、しばらくの間、日本での紹介が途絶えていて42年ぶりに訳されることになったとのこと。作品の多くはハヤカワミステリから出ていたようである。

 この作品は、良心の呵責がない男が自身の利益のために金持ちの女と結婚しようと企てるという内容。ただし、そこで別の女から邪魔が入り、なんとかその障害を乗り除こうと更なる計略を練る。そして主役が切り替わり、今度は警察側による捜査が語られて行くこととなる。

 最初に読み始めた時は、ややありきたりの倒叙小説のように思えた。警察の捜査が始まって行き、すぐに容疑者としてアランが注目されるものの、アリバイや素行も完璧であり、彼を犯人とする決定的な証拠が見つからないという状況。そういった状況が明らかになるにつれて、これは一筋縄ではいかない、練りに練られた犯罪を描いた作品だと痛感させられることとなる。

 短めの作品であり、スピーディーなサスペンス小説といえよう。特に中盤以降は、事件の全容が気になって、ページをめくるスピードが早くなり、あっという間に読み終えてしまった。なかなかあなどれない、ミステリ作品である。


運河の追跡   The Narrow Search (Andrew Garve)   5点

1957年 出版
2014年07月 論創社 論創海外ミステリ125

<内容>
 元モデルのクレア・ハンターは、結婚して娘をもうけ、幸せに暮らしていた。しかし、夫の本性に気づき、彼と離婚することを決意する。離婚に同意しなかった夫は、なんと幼い娘をさらうという暴挙に出る。クレアは、友人でカメラマンのヒュー・キャメロンの力を借り、娘を探し出そうとする。二人は、幼い娘の痕跡をたどり、運河へと船で乗り出すこととなったのだが・・・・・・

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<感想>
 夫にさらわれて行方不明となった幼児の行方を捜すという話。運河を舞台にしての追跡劇。

 意外と思えたのが、全体的に地道な流れだという事。子供をさらわれた女は、まず弁護士に相談するのだが、きちんとした手続きに基づき淡々と処理をしていく。法に基づくという精神があるのかどうかはわからないが、それがサスペンスという作調にそぐうのかどうか。また、運河を舞台に移してからの追跡劇にいたっても、主人公たちは警察張りの地道な捜査を続けていく。

 きちんとした手続きにのっとっての離婚訴訟と追跡劇を書きましたというような印象の本。中身については、追跡劇のみというところで見どころが少ない。本の表紙に、妙なウサギの絵のついたコップが掲載されているのだが、本を読んでいくとこれが内容に直結していることに気が付く。このコップが一番、印象的か。


壜の中の手記   The Oxoxoco Bottle and Other Stories   7点

2002年06月 晶文社 晶文社ミステリ

<内容>
 アンブローズ・ビアスの失踪という米文学史上最大の謎を題材に、不気味なファンタジーを創造し、NWA(アメリカ探偵作家クラブ)賞を受賞した名作「壜の中の手記」をはじめ、無人島で発見された白骨に秘められた哀しくも恐ろしい愛の物語「豚の島の女王」、贈られた者に災厄をもたらす呪いの指輪をめぐる逸話「破壊の種子」、18世紀英国の漁師の網にかかった極彩色の怪物の途方もない物語「ブライトンの怪物」、戦争を糧に強大な力を獲得していく死の商人サーレクの奇怪な生涯を描いた力作「死こそわが同志」。
 異色作家カーシュの奇想とねじれたユーモアにみちた傑作集。

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<感想>
 これは明らかにカーシュの傑作選であろう。ふとこんな作品集を数多く出していたらとんでもないことだと思ってしまった。それぐらい味のある数々の短編が揃っている。これからも作品をどんどん紹介してもらいたい作家となること請け合いである。

 お気に入りは「ねじくれた骨」「骨のない人間」「時計収集家の王」の三編。「ねじくれた骨」はある囚人の生活を描いた一編になっているが望んだ人生、思い通りにならない人生というのが皮肉をこめて書かれている。「骨のない人間」はある種SFといってもよい。今回集められたカーシュの作品では最後にオチをつけているものが多く見られた。そのなかでもシンプルで一番判りやすい一編だと思う。「時計収集家の王」では国王制による国というものの脆弱さが風刺されているように見える(そこまでねらってはいなかったか!?)一編。どこかで聞いたような話しでもあり、先は予想できるもののうまく描かれている。

 他の作品も味があり、帯にかかれているように“恐怖と奇想の王国”へどうぞと進めたくなる逸品。


廃墟の声   Voices in the Dust of Annan and Other Stories   7点

2003年11月 晶文社 晶文社ミステリ

<内容>
 「廃墟の歌声」
 「乞食の石」
 「無学のシモンの書簡」
 「一匙の偶然」
 「盤上の悪魔」
 「ミス・トリヴァーのおもてなし」
 「飲酒の弊害」
 「カームジンの銀行強盗」
 「カームジンの宝石泥棒」
 「カームジンとあの世を信じない男」
 「重ね着した名画」
 「魚のお告げ」
 「クックー伍長の身の上話」

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<感想>
「壜の中の手記」に続いての短編集であるが、こちらもかなり楽しませてくれる内容となっている。しかし、2冊続けてこれだけの内容の短編がそろうというのだから、なかなかたいした作家ではないだろうか。この際ぜひとも、カーシュの作品を読み尽くしてみたいものである。

 序盤の短編を読んだときは、どちらかといえば文学的な作品なのかなと思ったのだが、これが見事にラストで落としてくれる。特に「乞食の石」の落としかたは見事。この痛烈な皮肉というものもカーシュの味わいのひとつである。

 また「無学のシモンの書簡」の話などはよく考えるものだと感心してしまう。これは不思議な宗教的な味わいの内容。

 他にも、ホラー調の「ミス・トリヴァーのおもてなし」。SF調の「一匙の偶然」。サイコ調の「盤上の悪魔」、「飲酒の弊害」。綺譚「クックー伍長の身の上話」。といろいろな様相にて楽しませてくれる。

 今回の作品の中では「大泥棒(?)カームジン」ものが4編も含まれているというのが興味深い。あとがきによると、「カームジン」シリーズは結構な本数があるようなので、いっそのことまとめて一冊の本として出してもらいたいものである。

 これはカーシュの第3編が出たら絶対に買いである。たぶん晶文社から出してくれるだろう(期待)。


犯罪王カームジン あるいは世界一の大ぼら吹き   Karmesin (Gerald Kersh)   6点

2003年 出版
2008年09月 角川書店 単行本

<内容>
 「カームジンの銀行泥棒」
 「カームジンとガスメーター」
 「カームジンの偽札づくり」
 「カームジンとめかし屋」
 「カームジン脅迫者になる」
 「カームジンの宝石泥棒」
 「カームジンとあの世を信じない男」
 「カームジンの殺人計画」
 「カームジンと透明人間」
 「カームジンと豪華なローブ」
 「カームジン手数料を稼ぐ」
 「カームジン彫像になる」
 「カームジンと王冠」
 「カームジン出版業」
 「カームジン対カーファックス」
 「カームジンと重ね着した名画」
 「カームジンと『ハムレット』の台本」

 「埋もれた予言」
 「イノシシの幸運日」

<感想>
 2003年に晶文社から出版された「廃墟の声」に収められていた犯罪王カームジンのシリーズ短編が、一冊の本としてまとめられたのがこの作品。

 このシリーズは、カームジンが作家であるジェラルドー・カーシュに自分が経験した冒険の数々を語ると言う内容。この話を聞くとカームジン自身がものすごい犯罪者であると思えるのだが、現在のみすぼらしい格好といい、過去にそんなすごい犯罪者の名前を聞いたことすらないことといい、どこか胡散臭くも聞こえるのである(何しろ、幽霊と共に詐欺を働いた話まで出てくる)。

 しかし、たとえ胡散臭い話であったとしても、その内容にひきつけられることは間違いなく、結局のところ著者のカーシュも、読み手であるわれわれもカームジンが語る冒険譚に聞き入ることとなってしまうのである。

 という、そんな物語がショートショートに近い分量で、いかんなく語りつくされる作品となっている。また、日本版ボーナストラックとして付けられたノン・シリーズものの「埋もれた予言」や「イノシシの幸運日」も存分に楽しめる内容なので、読んで損をする事は決してない作品集である。

 あなたも気軽に、胡散臭いおじさんの昔話に耳を傾けてみてはいかがか。


リモート・コントロール   Remote Control (Harry Carmichael)   7点

1970年 出版
2015年07月 論創社 論創海外ミステリ151

<内容>
 酔っ払い運転により、犬と散歩していた男が引き殺された。酔っ払い運転をしていた男は、記者クインの知人で会った。そのためか、クインは加害者となった男の妻から相談の電話を受けることに。2回くらいのやりとりがあった後、なんとその妻が死亡するという事件が起きる。それは、自殺なのか、他殺なのか? 生前に電話のやり取りをしていたというだけで、クインは警察から容疑をかけられることとなってしまう。クインは友人である保険調査員のジョン・バイパーに相談するのだが・・・・・・

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<感想>
 本ミス・ランキングのベスト10に入っていたのを見て、慌てて読むこととなった。全くのノーマークで、このままだったら読むのは年明けになっていたであろう。これは、年内に読んでおいて良かったと思える作品。

 この作品は記者クインと保険調査員バイパーの二人が主人公として活躍するシリーズであるそうなのだが、著者のハリー・カーマイケルの作品自体が翻訳されるのがこれが初。そんなわけで、読んでいるうえではシリーズというものをあまり意識することができず、実は最後までクインという人物について、やや胡散臭げに思いながら読んでいた。

 この本、事の真相がはっきりするまでは、実に地味。酔っ払い運転による死亡事故と、その加害者の妻の死亡事故。この二つの事件により物語がひっぱられてゆくものの、たいした事件性を感じられないまま、そのまま鬱屈とした雰囲気で進んでゆくこととなる。確かに酔っ払い運転も、他殺か自殺かわからない死亡事故も、どこかしっくりこない微妙な雰囲気がするのだが、だからといってそこに確たる問題があるのかどうかが見えてこない。

 しかし、最後にバイパーが仕掛けた罠により、真相が明らかになり、それにより殺意の構図がはっきりとした輪郭で現れることとなるのである。これは、なるほどと感嘆させられてしまった。読んでいる途中では、これほどきちんとしたミステリ作品に仕上げられているとは全く思えなかった。また、タイトルの“リモート・コントロール”という言葉さえ、ある種のミスリーディングとなっているようにさえ思えてしまう。これは、ランキング内に入ったという先入観がなければさらに驚かされたかもしれない作品。


ラスキン・テラスの亡霊   Deadly Night-Cap (Harry Carmichael)   5.5点

1953年 出版
2017年02月 論創社 論創海外ミステリ188

<内容>
 アングロ・コンチネンタル保険会社は調査員であるジョン・バイパーに事件の調査を命じる。それは著名な小説家クリストファー・ペインの妻が毒を飲んで死亡した事件。自殺であると保険会社は多大な保険金を払わなければならないのだが、この件は本当に自殺であるのかバイパーは確かめることとなる。ペイン夫人の夫との不仲、そして浮気相手である主治医の存在。バイパーが友人で新聞記者であるクインとともに事件を調べていくと、さらなる事件が起こることとなり・・・・・・

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<感想>
「リモート・コントロール」で話題となったハリー・カーマイケルの作品。こちらは「リモート・コントロール」よりも17年も前に出版された作品とのこと。こちらでもバイパーとクインのコンビが活躍している。

 ただ、前作から期待してこちらを読んだ感想はどうかというと、ちょっといまいちとしか・・・・・・期待し過ぎたというわけでもなく、この作品自体がかなり微妙であったかなと。

 時期として、著者が作品を書き始めたばかりの時期であるからかもしれないが、どうも探偵役であるバイパーの言動というか、その感情が鼻につくような感触であった。捜査をしながらその状況にひとり酔っているかのような。また、毒殺というミステリで取り上げるのには難しい題材(どうしても曖昧な感じが残る作品が多いような)が用いられていいたところも微妙と感じられた原因かもしれない。

 真相についても真犯人の意外性よりも、どこか曖昧なままで終わってしまった部分がいくつか見受けられた方に意識が集中してしまった。まぁ、この著者、かなり多くの作品を書いているようなので、まだまだ良い作品が残されているということを期待して、次の邦訳作品を待ち望みたいと思っている。


アリバイ   Alibi (Harry Carmichael)   6点

1961年 出版
2018年02月 論創社 論創海外ミステリ204

<内容>
 保険調査員のジョン・パイパーはスタンリー・ワトキンという男から調査依頼を受ける。彼が言うには、別居している妻と連絡がとれなくなったというのだ。親類が亡くなったことにより、遺産相続の件でどうしても連絡をとらなければならないと。パイバーはワトキンの妻が住んでいた場所へとおもむくが、そこで彼女は家政婦にも何も伝えないまま、突如行方をくらましたというのである。パイパーは付近を聞き込みしながら状況を整理しようとするのだが・・・・・・

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<感想>
 ハリー・カーマイケルの作品が訳されるのは3作品目。1作目の「リモートコントロール」は良かったが、2作目の「ラスキンテラスの亡霊」ちょっとという感じであったので、この3作目はどうなのかと注目。読んでみると、これは「リモートコントロール」に負けず劣らず良い作品であった。

 今作の主要人物は保険調査員のパイパー。彼は依頼により、別居している夫人の行方を捜すこととなる。何の脈絡もなく不意に姿を消した女性。パイパーは綿密な調査により、夫人の行方を追ってゆく。

 途中、やや退屈に思える部分もありつつも、短めの作品ゆえに何気に読み通せる。そしてとある事件が明らかとなるものの、その事件を起こした人物の正体が全く明るみに出てこない。そこで本書のタイトルの“アリバイ”というものが重要なキーワードとなりえるのだが・・・・・・

 最終的には、そうきたかと。「リモートコントロール」のときと同じように、意外な角度から犯罪の真相が明らかになったという感じ。特にトリック自体が目新しいものというものではないのだが、そこは見せ方の妙であると思われる。これはなかなか侮れない作品。


殺人交叉点

「殺人交叉点」1957年 出版:1972年 新版
「連鎖反応」1959年 出版

<内容>
 ボブを殺したのがヴィオレットであることに誰も疑いなど抱きませんでした。ボブをあれほど大事に思っていたルユール夫人でさえそうでした。しかし真犯人は、この私だったのです。大学生の男女六人のグループとそれを見守るルユール夫人。そこで十年前に起こった二重殺人の真相が、時効寸前に明らかに・・・・・・
 ブラックで奇妙な味わいの「連鎖反応」を併録。

<感想>
 まさに叙述ミステリーの走りであろう本書。とはいえ、今ではめずらしくない作風ではあるのだけれども。

 それよりも併録されている「連鎖反応」。こちらは「殺人交叉点」を読んだ後にはだまされまいと構えながら読んでいたら、違う意味で驚かされる。こちらは前作とは異なる、ブラックユーモア・ミステリー。なかなか面白い。必読の一作。


溶ける男   The Melting Man (Victor Canning)   6点

1968年 出版
2005年10月 論創社 論創海外ミステリ29

<内容>
 私立探偵カーヴァーは友人のつてにより大富豪オドウダから盗難車の捜索を依頼される。しかし、カーヴァーは休暇をとろうとしており、依頼は断ろうとしたのだが、オドウダの娘の姿を見て一目ぼれしてしまい結局依頼を引き受ける事に。しかし、この依頼はただ単に車を見つけるというだけではなく、その裏には秘密が隠されていた。三つ巴の抗争の中、車を取り戻そうとするカーヴァー。果たしてその結末は!?

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<感想>
 スパイ小説、もしくはハードボイルド小説という作品であり、どこにでもありそうな内容であるとも言えなくもない。私立探偵が依頼を請負い、事件を解決しようとする。そうすると、敵なのか味方なのかわからないものが多々出てきて、とある品を奪還するために抗争を繰り広げてゆくというもの。その話の途上で、どんどん脇役が殺害されていくものの、なぜか主人公は後ろから頭を殴られて気絶するだけで殺されはしないというのも、もはや約束事。

 そんな感じで特に特筆すべき点もない普通のサスペンス・ハードボイルドを読んだという感じであった。ただし、プロットはそれなりに練られていて、三つ巴という構成がうまく描かれた作品であるとは感じ取れた。とはいえ、もう少し主人公自身のスタンスがはっきりしていればとも思われたのも事実。

 そんな中で注目すべき点はラストシーン。タイトルの“溶ける男”が意味するアクションシーンはこの作品一番の見物と言えよう。普通のハードボイルド小説とはいえ、それなりに見せ場が盛り込まれている作品となっている。


ルルージュ事件   L' Affaire Lerouge (Emile Gaboriau)   7点

1866年 出版
2008年11月 国書刊行会 単行本

<内容>
 1862年、パリ近郊ラ・ジョンシェール村でクローディーヌ・ルルージュ夫人が何者かに殺害されるという事件が起きた。ただ、このルルージュ夫人と名乗る者については、どのようないきさつがあってここに住み着いたのかは誰も知らず、未亡人らしいということしか分かっていなかった。そうしたなか素人探偵タバレが捜査を進めていくうちに、偶然にも懇意にしていたノエル青年から驚くべき事実を聞かされる事に。この事件の裏に潜むものがパリの大貴族コマラン伯爵の跡継ぎに関係するということが徐々に明るみになり始め・・・・・・

<感想>
 本書は紛れもなく濃厚なミステリ作品と言えるものであろう。するとウィルキー・コリンズの「月長石」よりも2年早く出版されたこの本こそが現時点で私の知る限り、もっとも最古のミステリ長編作品であるということになる。しかも本書が「月長石」に勝るとも劣らない秀逸な作品であるということも確かである。

 エミール・ガボリオの作品を読むのはこれが初めてなのだが、今まで色々なところで情報を得ていたゆえに、ガボリオ作品=ルコック探偵という図式が勝手に自分のなかでできあがっていた。事実、本書の序盤にルコックという人物がでてきている。しかし、その描写がとてもうさんくさく、これが本当に主人公かと思えるようなものであった。そうしたなか読み進めていくと、その後ルコックは登場することなく、別に登場する素人探偵タバレという人物を主に物語が展開してゆくこととなる。

 そうして最後にあとがきを読んでわかったことなのだが、どうやら“ルコック”という人物が活躍しだすのは、この後の作品からということである。よって本書では素人探偵タバレやその他の登場人物による多視点の物語であり、特に主人公たるもののいない小説になっているという事を余談ながらもここで付け加えておきたい。

 本書はルルージュ夫人という身元に関してはほとんど謎の女性が殺害されるという事件を追うものとなっている。やがて探偵がしゃしゃり出てきて、夫人の過去を調査し、それが明らかになることによって、彼女を殺害して得をする者を見つけ出し、そして逮捕に踏み切ることとなる。

 こうした捜査の様子を見ていると、かなり雑であり、犯人たる根拠もたいしてないまま逮捕にいたっているのが見て取れる。このへんは100年以上も前に書かれたものということもあり、現代における風習や常識などと照らし合わせると、微妙と感じられることが多々あった。

 ただ、そうした決め手の欠く犯人逮捕など荒があるところを差し置いて、本書が優れたミステリ作品と感じられたのは、登場人物らそれぞれに関する複雑な人間関係のつながり方にある。

 素人探偵タバレを始め、弁護士であり被害者の知人であるノエル青年、やがて事件の中心人物となってゆくコマラン伯爵とその息子、そして事件には直接関係ないはずの事件を裁かなければならないダビュロン判事までが一人の女性を巡って、事件のなかの人間関係に組み込まれてゆくこととなるのである。

 こうした複雑な人間関係がうまく絡められ、そして互いの感情を前面に押し出すことによって、ミステリ作品としてうまく成立させている作品こそが本書といえよう。

 たぶん、これを書いたガボリオ自身は当時ジャンルとして見出されていなかったミステリというものを意識して描いた作品ではないのであろう。また、我々が知らないだけでこういったミステリめいた長編作品というものはこれ以前にも出ていても不思議ではない。ただ、ミステリ的な完成度という面からすれば、本書以前に書かれた作品で本書に追従するようなものはたぶんないのであろう。ゆえにこの「ルルージュ事件」こそが世界最古、世界で最初に長編ミステリ作品と言われるゆえんであると思われる。

 あと最後に付け加えておくと、本書は世界で最初ということを意識しなくても、一冊の本として充分に良い内容の作品であることは間違いないので、古典ミステリファンであれば誰にでも手に取ってもらいたい作品である。


バスティーユの悪魔   Les Amours d'une Empoisonneuse (Emile Gaboriau)   5.5点

1882年 出版
2020年05月 論創社 論創海外ミステリ252

<内容>
 ゴーダン・ド・サント=クロワ騎士は、ブランヴィリエ侯爵夫人との密通がばれ、バスティーユ監獄へ捕らえられることとなる。そこで彼は、毒薬について詳しい囚人のエグジリと懇意になる。ゴーダンは、自身を罠にかけたものへの復讐を誓い、毒物の知識を監獄で学んでゆく。そして、エグジリと共に脱獄を図ろうとするのであったが・・・・・・

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<感想>
 日本では「ルコック探偵」でお馴染み・・・・・・といっても今は入手しづらいうえに昔であってもマイナーかな?(ちなみに私は「ルコック探偵」を未読) そんなエミール・ガボリオがミステリを書く前に発表した歴史サスペンス小説。読んだ感触としてはアレクサンドル・デュマの冒険小説のような感じ。

 ただし、この作品、著者が病気を患ったゆえに未完になった作品とのこと。それを後に出版社が書き足し、完成させたものらしい。そんなわけであるためか、後半尻切れトンボ感が否めない。この作品、実際読んでみると非常に面白い。自業自得とはいえ、監獄に囚われた男が別の囚人の力を借りて、監獄のなかで力を蓄え、復讐を果たそうとする。しかし、場面は一転話が変わり、二世代目の話となる。そこで歴史は繰り返されると言わんばかりの物語が展開され、やがて実はまだ最初からの一連の物語の流れが続いているのだと気づかされることとなる。

 そんな感じで、最後はどうなるのかと思ってハラハラしながら読んでいたものの、ブツ切りに伏線も完全に回収されないまま思わってしまった。あとがきを読んで、上記に書いたことが理由で、こんな構成になってしまったのだと知らされることに。

 結構、面白い作品であったので、なんとももったいないとしか言いようがない。しっかりと書き上げていれば、エミール・ガボリオもミステリ路線の作家ではなく、冒険小説の書き手として以後活躍していたのではないかと思ってしまうくらい。


機械探偵クリク・ロボット   Krik-Robot, Detective-A-moteur (Cami)   6点

1945年、1947年 出版
2010年06月 早川書房 ハヤカワミステリ1837

<内容>
 発明家ジュール・アルキメデス博士と彼の手によって作られた名探偵・クリク・ロボット。難事件を警察に代わって、二人が快刀乱麻のごとく解決する。
 「五つの館の謎」
 「パンテオンの誘拐事件」

<感想>
 銃声が鳴り響いた後、ナイフがささり死亡した男の謎。礼拝堂から有名人の遺骸が盗まれ、その遺骸に対し身代金を要求してきた誘拐犯一味との対決。という二つの事件を扱った名探偵クリク・ロボットが活躍する作品集。

 名探偵ロボットが活躍するということで、どんなものかと期待したのだが、こちらが想像していた期待とはやや外れていた。というのも、ロボットが事件を解決するというよりは、ロボットを作った博士がロボットの便利機能を使用して事件を解決しているようにしか見えないのである。ゆえにロボットというよりは、便利な機械というように思えてしまう。そんなわけで、結局名探偵はロボットではなくロボットの生みの親であるアルキメデス博士という気がしてならなかった。

 とはいえ、奇天烈なトンデモ系ミステリとしては十分楽しめることは間違いない。「五つの館の謎」は館とはあまり関係ないものの、十分に珍妙な事件が扱われている。解決についても、前例がないトリックではないと思うが、うまく今回の事件に組み入れているという気がした。それだけに「パンテオンの誘拐事件」のほうが、謎ときというよりはスパイもののようになってしまっていて、やや残念。

 このクリク・ロボットのシリーズはこの2作しか書いていないということで、これ以上読むことができないのは惜しいところ。できることなら<推理バルブ><仮設コック><短絡推理発見センサー>などを駆使したクリク・ロボットと博士の活躍を再び見たかったところである。


ルーフォック・オルメスの冒険   Les Aventures de Loufock=Holmes (Cami)   6点

1926年 出版
2016年05月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 第一部 「ルーフォック・オルメス、向かうところ敵なし」
 第二部 「ルーフォック・オルメス、怪人スペクトラと闘う」

<感想>
 探偵ルーフォック・オルメスが活躍する作品集。どの作品も10ページ前後とショートショートくらいの分量となっている。第一部はオルメスが遭遇する色々な事件が描かれ、第二部は怪人スペクトラとの死闘が描かれている。

 ただ、この作品が読んでみると・・・・・・いや、色々な意味で凄いというか、バカげているというか・・・・・・ここまでやってくれればただの“バカ”をもう通り越してしまっているのだが。それにしても、シャーロック・ホームズ全く関係ないじゃん! と思えるところが一番。なんでこの探偵をシャーロック・ホームズ風の名前にしようとしたのかが一番不思議なところ。

 とにかく奇想天外、予想不可能なネタが満載。なにしろダジャレでトリックを成立させてしまうようなものまで存在してしまう。もはやミステリを通り越してSFではないかと思えてしまうくらい。第二部の“怪人スペクトラ”との闘いについては、オルメスが捕らえて、スペクトラが脱獄しての繰り返し。つっこみどろこ満載の“死闘”でありつつも、もはやそういった外野からの野次さえも超越してしまう作品集。

 なんか、読んで得したのか損したのかわからないが、とりあえずこういう作品があったということを知ることができただけでも良かったのかもしれない。とにもかくにも、きちんと日本語のダジャレに対応させて訳してくれた訳者の方にごくろうさまと言いたい。


ティンカー・テイラー・ソルジャー・スパイ   Tinker, Tailor, Soldier, Spy (John le Carré) 

1974年 出版
2012年03月 早川書房 ハヤカワ文庫(新訳版)

<内容>
 英国情報部“サーカス”に情報部員として所属していたが、現在は引退していたジョージ・スマイリー。スマイリーはその引退生活から呼び戻され、任務を依頼される。彼がサーカスに所属していたときの情報部員のなかに、ソ連に情報を流していた二重スパイがいたというのだ。その裏切り者の正体を暴くこととなったスマイリー。彼は当時の関係者から事情を聴取していくのであったが・・・・・・

<感想>(再読:2013/07)
 実はこの作品、昨年読んだばかりなのだが、初読では内容がサッパリ頭に入ってこなくて、わけのわからないまま読み終えた次第。しかし、このままでは続編に着手するのもどうかと思い、再読を決意。今回は、メモをとりながら読書を進めてみた。

 さすがに2度目の読書ともなれば、内容が頭に入って来る。この作品が読みづらいと感じられてしまうのは、登場人物が多いこと。さらには、海外作品では当然のことであるが、同じ人物を違う呼び名で読んだり、はたまた、似たような名前が多々あったりと、注意深く読んでいかなければ誰が誰だかわからなくなってしまう。また、話の流れが一貫していなく、フラッシュバックが多々埋め込まれているせいで、現在の行動なのか、過去の話なのか、きちんと読んでいかないとその流れがわからなくなってしまうのもややこしいところ。こういった点を、読み手はクリアしていかなければ、内容を把握していくのは難しい。

 それでも、注意深く読んでみると、話の3分の2くらいは、過去にあった出来事の掘り返し、登場人物紹介、全体にわたるスパイ網などの説明と言う気がする。物語の山場は、後半になって“ティンカー”“テイラー”“ソルジャー”“プアマン”“ベガーマン”と暗号で示された5人のなかにスパイがいると断定されてから。そのうち“ベガーマン”は主人公のスマイリーを指しているので、実質その他の4人のなかにスパイがいるということになる。そして、徐々に4人のなかから対象者が絞られてゆき、結末を迎えるという展開。

 この最後の展開こそが、一番の見どころだと思えるのだが、そこに行き着くまでが長かった。また、終幕が終わってからも、物語はすぐに終わらずに、やや冗長気味に続けられる。実はこれらは、3部作を通しての謎となる“カーラ”という人物に対する伏線のようなのである。この作品全体の中でも、この人物に対してそれとなく言及しているところがあり、それが今後の作品に効いてくるよう。よって、この作品を読んだだけでは一概に冗長とは言えないようである。

 そんなわけで、ようやくこれで次作にとりかかることができるようになった。次の「スクールボーイ閣下」も、メモをとりながらじっくりと読んでいくこととしよう。


<感想>
 2012年の4月に「裏切りのサーカス」というタイトルで映画化されることとなり、新訳・新装版として刊行された。これを機に、一度有名なスパイものの作品を読んでみるのもいいだろうと思い購入。

 しかし、実際に読んでみると内容が難しい。スパイ小説といいつつも、そのほとんどが伝聞や、いつ誰が何をしたかということが漠然と語られていくのみ。時系列順に話が進むわけでもなく、過去に起きた事件(らしきもの)を掘り起こしながら、現在の話と物語が入り組んでいくというもの。

 いや、正直なところ内容を消化しきれなかった。きちんと内容を把握するには、少なくとも登場人物のそれぞれを理解するためにメモが必要となりそう。そういったことをきちんと踏まえた上で読んでいくと、論理的に犯人=裏切り者を割り出すということをしているよう。

 スパイ小説の最高峰ということであったが、まだまだ私には敷居が高かったか。次に読む時には、メモを片手にきっちりと時間をかけて読んでいきたい。続編も買ってしまったのだが、それらを先に読むべきか。それともこちらを再読すべきか・・・・・・迷うところである。


スクールボーイ閣下   The Honourable SChoolboy (John le Carré)   6点

1977年 出版
1987年01月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 ソ連諜報部・工作指揮官カーラの策謀により、英国諜報部“サーカス”は壊滅的な打撃を受けた。“サーカス”のチーフであるジョージ・スマイリーは、カーラに反撃するべく、彼の弱点を探り始める。そこで浮かび上がったカーラの資金源と見なされる極秘送金ルート。それに関わっていると見なされる香港の実業家であるドレイク・コウとその弟。スマイリーは詳細を調べるために、工作員のジェリー・ウェスタビーを送り込む!

<感想>
「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」に続く、諜報組織“サーカス”の長、ジョージ・スマイリーが活躍するスパイ小説第2弾。前作で裏切り者の存在があぶりだされた“サーカス”であるが、今作では反撃を試みるべく、ソ連の工作指揮官カーラ自身に探りを入れてゆくこととなる。

 今作は前作ほど難解という感じではなかったのだが、主題がぶれているような感じがし、物語についてゆくのが大変であった。最初はカーラ自身について調べてゆくことになるのかと思いきや、徐々にカーラに関する計画、そしてその一端を担う人物へ、と言う風に移り変わっていく。それゆえ、カーラ自身の存在は置いてけぼりにされ、いつのまにかドレイク・コウという人物をあぶりだしてゆくという話になってゆくことに。

 ここに書いてある手順がリアリティのあるスパイ活動の本当の姿なのかもしれないが、実に地道な手順。あっちに行って事の詳細を探り出し、それをヒントにして、こんどは別の地点へ行き、そこで詳細を探り出しという繰り返し。そんな世界規模のお使いを延々と繰り返し、計画の秘密を探っていくという展開。

 そして最後には、突然ジェリー・ウェスタビーの暴走が・・・・・・。なんでここでジェリーが主張し始めるのかと思いつつも、よくよく考えたらこの作品、スマイリーよりもジェリーのほうが真の主人公と言う感じがした。何気にカーラの計画をあぶりだすという目的が、いつのまにやらジェリー・ウェスタビー自身の物語に変容しつつあった作品という感じである。それでも、それとは別にカーラの陰謀にまつわる計画に歯止めをすることはできたようなので“サーカス”としては十分機能を果たしたということなのか。

 次の巻の「スマイリーと仲間たち」がシリーズ最終巻となるのだが、そちらではカーラとの決着が付くこととなるのであろうか? そしてその他の登場人物たちの行く末は!?


スマイリーと仲間たち   Smiley's People (John le Carré)   7.5点

1979年 出版
1987年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 かつて諜報部をまとめていたジョージ・スマイリーの元にひとつの知らせが入る。情報提供者であった将軍と呼ばれる元ロシアの亡命者が殺害されたというのだ。彼は生前、スマイリーの元に重要な情報を届けようとしていたという。しかし、現諜報部のものたちは、将軍は過去の人物と考え情報を軽視していた。その後始末を依頼されたスマイリーは、老将軍の足取りをたどり、彼が伝えようとした情報を探ってゆき・・・・・・

<感想>
「ティンカー、テイラー、ソルジャー、スパイ」「スクールボーイ閣下」に続く3部作の完結編。「ティンカー、〜」が映画化されたことにより新訳版が2012年に出版され、それとともに本書を含む三部作が店頭に並んでいたので、一気に購入してみた作品。長らく時間はかかったが、ようやく最後まで読むことができた。

 そして、本書を読んだ感想はというと、とにかくスパイ小説として圧巻の作品であったということ。スパイ小説というもの自体に触れたことは少ないものの、本書を読むとこれぞスパイ小説であると感じずにはいられなくなるような作品であった。これは読んで良かったと心から思える作品。また、これら本格的なスパイ小説を読むにはじっくりと腰を据えてゆっくりと読むべきものなのだと実感させられた。軽く読み飛ばし気味で読んでしまうと、わけがわからないまま終えてしまうこととなるであろう。本書はとにかくじっくりと内容をかみしめながら読むべき作品。

 最初は、ロシアから亡命してきた老婆に何者かが接触してきて、それにより老婆自身がなんらかの陰謀にからめとられたと感じ始める。老婆は、こういう時に相談するべき亡命者仲間の“将軍”と呼ばれるものとコンタクトをとる。それにより“将軍”は事態の背後に大物が隠れていることを感じ、かつて協力者であったイギリス諜報部のスマイリーと連絡をとろうとする。しかし、スマイリーと接触する前に“将軍”は殺害されることとなる。その将軍の訃報を受けてスマイリーは将軍が遺した痕跡から、事態の背後に横たわるものをあらわにしていこうと独自の捜索を始めてゆく。

 これらの展開が事細かに語られてゆき、その細かいパーツのなかからスマイリーが事の背景を洗い出してゆく。ただ、その洗い出しは簡単なものではなく、さまざまな人を巡って証拠を固め、推測し、そしてやがて、かつてスマイリーら諜報部と対立していたロシアの大物スパイ“カーラ”に迫ることとなってゆくのである。

 この状況証拠を洗い出してゆくときに、突如時間が過去に遡ったり、現実に戻ってきたりと注意深く読んでいかないとわけがわからなくなりそうな所がいくつも見られる。また、序盤に起きるわけのわからなかった行動描写が、後に明らかにされるように描かれていたりする。さらには、各場面上でその視点となっている人物が誰なのかわかりづらくなっているところもあり、それら全体を含めて、注意深く読み進めてゆくことが必要となる。

 そして、スマイリーによる詳細で、果てないスパイ活動の先に待ち受けてい入るものこそが、カーラを手にするための道筋として開けてくるのである。ここで描かれる最後の場面に関しては三部作を読み続けてきた者にとっては万感の思いとしか言いようのないものがこみあげてくることであろう。表舞台から降りてしまうことを惜しみつつ、ようやくジョージ・スマイリーの念願が結実されたことを祝うしだいである。




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