<内容>
フランクリン刑務所の所長であるピーターズは、突然その地位をなげうって、謎めいた書簡が示す宝を探しに旅立つことを決意する。刑務所を訪れた謎の女、殺害された死刑囚、ピーターズが付け狙うこととなった男とそれを依頼してきたギャングのボス、たどり着いた廃墟とそこで遭遇する密殺殺人。行く先々で起こる事件の末に、ピーターズが見出したものとは!?
<感想>
なんとも癖のある作品であった。人によって好き嫌いがはっきりとわかれそうな作品であるが、個人的にはこうした雰囲気のものが好きであり、まさに癖になりそうな内容。
あらすじはなんとも説明し難い。刑務所長が唐突に、あてもない旅へと出かけてしまうという、その導入だけでもとんでもないもの。そして行く先々で奇妙な事件に巻き込まれ、何が何だかはっきりしないまま話が進められてゆく。すると、まさかの密室殺人までにも遭遇することとなる。
そして驚かされるのが、元刑務所長ピーターズが経験してきた異様な体験が実は、とあるひとりの人物を中心とした背景に全てつながっているという事。そうすることにより、不可解に思えたそれまでの事象についてもはっきりとした構図が見えてくることとなる。
本書はミステリというよりも冒険作品というようなジャンルに近いと思われる。密室殺人が出てくると上記に示したが、実はミステリとして期待できるようなトリックが扱われているわけではない。ゆえに、その密室についても、ミステリ的な要素というよりは、不可思議な事件のなかの一つの要素という位置づけとして捉えられるものであった。
こうした悪夢のような出来事を潜り抜け、夢から目覚めた先には何が待ち受けているのか? タイトルの通り、めぐりくる悪夢に苛まれるかのような雰囲気をじっくりと堪能してもらいたい作品。
<内容>
1930年代、全面戦争突入前でまだ情勢が安定していた時期の北京。アメリカで弁護士をしていたものの、不満を抱き退職し、北京へと来ていたトム・ネルソン青年。満州貴族のタオ親王や、日本人特務機関員ミスター・モトらと友人となり日々を謳歌するなか、エレノア・ジョイスというアメリカ人女性と出会う。ある日、イギリス人探検家のベスト少佐から北京での不穏なうわさを耳にする。そして、ベスト少佐の家を出るときにエレノアと出くわすこととなる。次の日、ベスト少佐が死体として発見されることに! ミスター・モトから北京から出ていくことを薦められるトム青年であったが、何故かエレノアが気になり、彼女と行動を共にしようとする。すると、トムは国家を揺るがす陰謀に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
この作品が書かれた背景についてであるが、チャーリー・チャン・シリーズを書いていたビガーズが亡くなり、その後継者として白羽の矢が立てられたのが、現代小説の書き手として名をはせていたジョン・P・マーカンドであったとのこと。そして雑誌社が費用を出して1934年から35年にかけてマーカンドを朝鮮、日本、満州、シナへと取材旅行へと出し、その成果として書かれたものがこの“ミスター・モト”シリーズである。
このミスター・モトというのは、天皇直属の秘密諜報部員という設定で、全6作品書かれている。どの作品も主人公は別々のアメリカ人青年となっており、ミスター・モトは重要な脇役として描かれているようである。
本書もアメリカ人青年が主人公として描かれ、平和なはずの北京にて、クーデターに巻き込まれる様子が描かれている。単にスパイもの陰謀ものとしての内容のみならず、青年の成長を描く小説ともなっている。というか、ひょっとするとメインはアメリカン人青年の成長にあり、それをミスター・モトが手助けをするというところがキモであるのかもしれない(なんとなく映画の「ベストキッド」を連想してしまう)。
まぁ、今の世に読んで面白いかというと微妙であるのだが、当時の世情や、こういったシリーズ作品が描かれていたということを知るうえでは貴重であるかなと。ビガーズの後継として期待されたというには、ミステリ色が弱いのが残念なところか。
<内容>
劇作家であるジャーニンガムは、突如、旧知である旧家ダーニール家の子息スティーヴンの訪問を受ける。彼が言うには、父親で信託銀行の社長をしているゴードンが、銃弾が頭にあたり死にそうであるという。ただし、父親には以前から自殺の兆候は見えず、また銃の取り扱いについても慎重であるので、事故であるという事も考えられないという。そこでスティーヴンは、ジャーニンガムにこの事件を殺人に見せかけてほしいと・・・・・・
<感想>
このイザベル・B・マイヤーズという作家、懸賞に応募したデビュー作がエラリー・クイーンの「ローマ帽子の謎」を抑えて優勝したことで有名とのこと。ちなみにその作品は「殺人者はまだ来ない」というタイトル。その後、残念ながらミステリ長編はもう1作のみしか書いておらず、それが本書「疑惑の銃声」。
ただ、この作品、決して面白いものとは言えない。というのも主人公が警官や私立探偵ではなく、劇作家。それが自殺をしたようにしか思えない事件を、なんとか殺人事件に見せることはできないかという相談を受けるというとてつもないもの。故に、警察が行うような捜査はせず、被害者の背景を調べることに尽きるものとなっている。
そして本書の核といえるものは、ダーニール家の者達がそれを知ったら死を選ぶしかないという“秘密”は何かということ。この“秘密”の存在を巡って、死の連鎖は続くこととなる。確かにその“秘密”が何かという点については興味深いものではあるが、それだけで話を引っ張るというのもどうかなぁ、などと思いながら読んでいた。
そうして、最後まで読み終えた感想はというと・・・・・・なるほどと思いはするものの、今の時代に読んでもピンと来ない内容だなと。ただ、それだけその当時は重い問題ということなのだろうと納得できなくはないのだが。最後の最後でミステリ的な部分についての真相提示に至ってはいるものの、そこまできたら、もはやそんな問題はどうでもよさそうという感じ。
<内容>
ヨットで航海しつつ、優雅な生活をおくるトラヴィス・マッギー。彼の仕事はトラブルの解決を請け負う“始末屋”であった。ある日、トラヴィスはマリーナを経営している旧友・タッシュに出会う。タッシュが言うには、マリーナの経営は順調であったのだが、最近、工場誘致のための土地の買収の問題に悩まされているのだと・・・・・・。旧友との再会もつかの間、そのタッシュは買収を巡る問題に巻き込まれた末に、何者かに殺害されてしまう。マッギーは旧友の仇を討とうと、事件の裏を探り始める。
<感想>
40年も前に書かれた作品というわりには、古臭さが感じられず、実に現代的な内容であると感じられた。旧友の死を巡って、主人公トラヴィス・マッギーが動き始めたところから、この作品はハードボイルドのような内容なのだなと思ったのだが、その後、物語はそういったものとは異なる展開をしていくことになる。
マッギーは旧友のための復讐を開始するのだが、その手段が直接的なものではなく、土地の買収や、株の売買などといった金融にからめた手段をとっていくのである。こういった部分が事細かに書かれており、サスペンス小説の要素としてみれば、実に取っ付きにくいものとなっている。この部分は、もう少し直接的な方法をとるか、もしくはもっと簡潔に描いてもらいたかったところである。ただ、逆に著者にしてみれば、この部分こそが持ち味であり、一番力を入れて書いていた部分なのかもしれない。
といったわけで、本書は本格推理小説でもなければ、純粋なハードボイルド・サスペンスというものでもない。ちょっと変則的な金融ハードボイルドとでも表現すればよいのであろうか。
とはいえ、登場人物らが魅力的な者達が多く、それなりに楽しんで読めたことも事実。特にマッギーの本書の中での恋人・パスとの関係については強い印象が残されることとなった。そういうわけで、この作品単体だけでは、それほど評価は高くないのだが、もし別のトラヴィス・マッギーものの作品が出版されれば、そちらも読んでみたいと思わされるような内容ではあった。
<内容>
シェルドン・ギャレットはふと立ち寄った喫茶店で二人連れの女の奇妙な会話を耳にした。どこかで何か恐るべき犯罪が計画されているらしい。この雲をつかむような事件を持ち込まれたゲリスン大佐は、残されたわずかな手がかりをもとに推理と探索を積み重ね、知られざる犯罪者を一歩一歩追いつめていく。しかしゲリスンの懸命の努力を嘲笑うかのように関係者は次々に姿を消し、あるいは殺され、やがてギャレットにも魔の手が迫った。はたしてゲリスンは事件を未然に防ぐことが出来るのか?
<感想>
世界探偵小説全集の一冊としてはさほどふさわしくないもののように思える。それは内容がまったくの警察小説に思えるからである。探偵は出てくるものの、事件の性質上、その探偵自体が必要のないものに思えるのだ。かえって、警察小説として登場人物を絞ったほうが、全体的に締まった内容になったのではないかと思う。
編集者としてはこの作品を復刊させるためと、ここで登場する探偵アントニー・ゲリスンを紹介するために選んだ一冊なのであろう。しかし、この探偵の登場するもっとふさわしいものがなかったものかと考えてしまうのだが・・・・・・
<内容>
チャールズが新しくついた仕事は女流作家イーニッド・レスター=グリーンの屋敷での財産管理。しかし、その屋敷というものが稀代の幽霊屋敷といわれるフライアーズ・パードン館であった。過去に住んでいた屋敷の主人達は皆その屋敷で死亡し、だれも買い手が付かなかった屋敷をイーニッドが買い取り、住み始めたのである。すんだ途端に、次々と起こる怪異に怯える使用人たち。そしてある日、とうとうイーニッドが閉ざされた部屋の中で死亡するという事件が・・・・・・しかも溺死という状態で!
マーティン・ポロロック名義の幻の作品。
<感想>
かつて住んでいた人が皆謎の死を遂げたという怪奇な館の設定はよかったのだが、全体的には説明不足と感じられた。登場人物表もなく、館にいる人々を把握するのも困難であった。
本作品の主題は密室の中で溺死していたという不可能犯罪の謎を解くというもの。主題といっても、実はこの一点だけ。他には特にこれといったものはない。これであれば、短編か中編くらいにしたほうが良かったのではないかと思える。その事件の前後があまりにも何もなさ過ぎるのはどうかと思えた。
また、過去にもその館で事件が起きていたようなのであるが、そちらについては何の言及もなかったよう・・・・・・。なんとも中途半端というか、色々な部分が足りないというか、とにかく未消化で終わってしまった。
<内容>
F・X・ベネディクスが代表を務めるライノクス無限責任会社。順風満帆に思われていた会社の経営が今現在危機を迎えていた。なんとか今をしのぐことができれば、今後の見通しは明るいはずなのだが・・・・・・。そんな危機を迎えていた矢先、ベネディクスに恨みを持つマーシュという粗暴な男がベネディクスに会談を申し入れてきた。そしてその怪談が行われたとき、悲劇が・・・・・・
<感想>
薄いページながらも、先鋭的なミステリ手法で描かれた作品であり、内容にひきつけられ、あっという間に読み終えてしまった。今までフィリップ・マクドナルドの作品を何冊か読んだことがあるものの、あまりぱっとしない印象であったが、この作品を読んで大いに印象が変わることとなった。
物語はマーシュという粗暴な男が会社の代表を務めるベネディクスに、なんらかの計画を練りながら徐々に近づいてゆくという展開で進められてゆく。そして二人が会談の席についたときに、事件が起こるというもの。
その後の展開を見れば、推理小説を読みなれた人であれば、何が起こったのかについてはピンと来る人もいるのではないだろうか。ただ、本書の見るべきところは、そこに至るまでの用意周到な伏線や、結末と発端を入れ替えた構成、念を入れた真相の解決といった、凝りに凝った全体構成にあるといえるだろう。これは確かに、実験的手法と呼ばれるにふさわしい、いや、もしくは先鋭的手法といってもよいような古典本格ミステリ作品である。
また、本書はそれだけに終わらず、後半においてもまた、前半と同じような事象が繰り返され、物語がどこに行き着くのかを解りづらくするような心憎い展開がさらになされている。
と、そんなわけで本書は入手困難の幻の作品といわれていたようであるが、まさに復刊されるにふさわしいミステリ作品であることは確かであろう。これは入手しやすいうちに是非とも読んでおいてもらいたい作品である。
<内容>
大蔵大臣ジョン・フードが何者かに殺害された。その報を受けた新聞社“梟”の編集長ヘイスティングズは、共同経営者であり第一次大戦時の英雄であったゲリスン大佐に現地へ出向いて状況を調べて欲しいと頼み込む。ゲリスンは現地の警察らと話し合い、事件捜査に協力するための状況を作り上げる。しかし、捜査を行っている最中に、警察は凶器の“鑢”に残された指紋から容疑者と思しき男を逮捕してしまう。しかしゲリスンが犯人と考えていたのは別の人物であり・・・・・・
<感想>
おぉー、これまたシンプルで面白い探偵小説に仕上げられた作品である。フィリップ・マクドナルドの作品を最初に読んだのは「Xに対する逮捕状」であり、そのときはあまり面白いという印象がなかったのだが、前回読んだ「ライノクス殺人事件」といい、この「鑢」といい、意外と良い作品を書いているなと見直し始めている。
本書は単純な構造の事件を扱っているものの、きちんと論理的な解決がなされる、端正に仕上げられた探偵小説となっている。また主人公である探偵やその周りを取り巻く人たちとの関係が明るめの雰囲気で描かれており、殺人事件を扱った小説のわりには、それなりにハッピーに仕上げられているといってよいであろう。
ただこの作品はシンプルすぎて、犯人が簡単に想像できてしまうというのが欠点といえるかもしれない。なにしろ、登場人物が限られているので、探偵が怪しくないという人物を除いてゆけば消去法により真犯人に到達できてしまうのである。
とはいえ、古典的探偵小説としてよくできた作品である事は間違いない。この著者、日本では紹介された作品数が少ないようであるが、まだまだ良作が眠っているのではないだろうか。最近の古典作品翻訳ブームのなかで、今後何冊翻訳されるかが楽しみである。
<内容>
ホームデイルという田舎町にて、11歳の少年が殺害されるという事件が起こる。しかも犯人は自らを“ザ・ブッチャー”と名乗り、犯行声明を打ち出す。さらに続く、第2第3の殺人事件。ロンドン警視庁からやってきた、アーノルド・パイクは必死に犯人を捕まえようとするが、その特定さえままならない。そうしたなか、パイクは打開策を打ち出すのであったが・・・・・・
<感想>
無差別連続殺人事件を描いた作品。しかも、出だしは平和な家庭においての、愛される子供が殺害されてしまうというショッキングな場面から始まってゆく。
ロンドン警視庁からアーノルド・パイクが来て、捜査に乗り出すものの、先を行き続ける犯人に翻弄され、手も足も出ない様子。そうしてパイクはなんとか犯人を突き止めようと、とある作戦を試みる。
その作戦については、今の世では当たり前のものであるが、当時は珍しい方法であったと思われる。また、隣人の顔をそれぞれ特定することができる田舎町であるというところもポイントといえよう。とはいいつつも、そんな人口の少ない街であるにも関わらず、犯人の手掛かりが一向につかめないというもどかしさも、この事件から感じられるようになっている。
印象としては、きっちりとした警察小説といったところ。主人公としてパイクが目立つものの、基本的にはチーム捜査により犯人の特定を目指そうとしている。地道な捜査、地道な対応により必至に犯人の正体に肉薄していくという展開が印象的。
ただ、ひとつ肩透かし気味に思えたのが、犯人を捕らえたのみで終わってしまって、動機などの検証についてあまり触れられなかったところ。もう少し、事件後の様相を書き綴ってもよかったのではなかろうか。
<内容>
ヴェリティ・デストリアは自分の屋敷に、ジョージ・クレシーとノーマン・ベラミーの二人を呼び寄せる。ヴェリティは、3人がかつて戦時中に関わった事件で、恨みを持つ者が脅迫状を出してきて、自分たちの命を狙っていることを告げる。クレシーは防備を固めようと、近くにいた親戚の若者らを呼び寄せることに。また、たまたま屋敷を訪ねてきたヴェリティの姪とその恋人らも含め、屋敷に多くの者が集まってくる。そうしたなか外は嵐となり、屋敷は孤立してしまう。それを待ち受けるかのように殺人事件が起き・・・・・・
<感想>
なんと吹雪の山荘もののミステリ! でも本格ではなく、サスペンス風の内容だった。
戦時中のとある事件について恨みを持つ男が送ってきた脅迫状。当事者3人が集まって、どのようにするか対策をたてる。さらにその屋敷に、何人かの昔の事件とは関係のない人々が集まって来て、その後、外は嵐となり屋敷に閉じ込められる状態となる。犯人の正体は誰なのか? 屋敷に集まっている者の中にいるのか、それとも屋敷の外に!? というような内容。
閉ざされた山荘にて連続殺人が起こるという内容で、さらにはアリバイなども意外ときっちりと確かめられたりするものの、どうも本格ミステリらしさが薄い。その一番の原因は、探偵役がきちんと定まっていないからであろう。さらには、登場人物らが初対面の者が多く、連携もとることができない。そうしたなか右往左往しながら、姿なき犯人主導で事件が展開されてゆくという感じ。
最終的には意外な犯人の姿が明らかになる・・・・・・のであるが、物語の途上では、正体を明らかにしていないとはいえ、犯人からの視点も語られていたりしている。ゆえに、読み終えてみると、犯人の正体を当てるということにさほど重きをおいた作品ではなかったのかもしれない。むしろ、そこに至るまでの真犯人の狂気を表す、物語主体のサスペンス作品という意図で書かれたのではなかろうか。
<内容>
名探偵として知られるゲリスン大佐の元にロンドン警視庁副総監から手紙が届く。それは、休養中申し訳ないが、とある殺人事件についての資料を送るので考えてもらいたいと泣きつくものであった。事件は、深夜に資産家の男が撲殺されたというもの。容疑は、家にいた被害者の家族と使用人を含めた10人。資料には、事件後行われた検死審問時、それぞれの者が証言した様子が記録されている。それを読むと、被害者に対し多くの者が動機を持ち、それゆえに誰が犯人なのかがわからないといった状況。ゲリスンは、その記述の中で奇妙に思った証言に注目し・・・・・・
<感想>
序文でフェアプレイをうたい、読者に推理を促すという試みがなされている作品。“読者への挑戦状”までは挿入されていないが、その試みに乗ってみようというスタンスで犯人当てを意識しつつ読み通すことができる。
発端となる事件が起きた後には、検死審問での関係者の答弁がなされ、それにより犯行後の状況が徐々に明らかとなってゆく。その答弁により、被害者が女性関係にだらしがない人物であり、さまざまなトラブルを巻き起こしていることが明らかになる。よって彼に対し、殺意を抱く動機を持つ者は多く、それにより警察は犯人を絞り切ることができず、名探偵ゲリスンの登場となるのである。
そして、犯人が指摘されるのであるが・・・・・・論理的には穴だらけかなと。とはいえ、ゲリスンが指摘する犯人と、その指摘方法については、なかなか捻りが効いたものであり、目を見張るものがある。ただ、欠点となるのは、他の者達が犯行を行うことができないかというと、そんなことはなく、他の容疑者たちの嫌疑が一切晴らされていないというところ。
と、犯人当てとしては欠点があるものの、犯人指摘の点に関しては十分読み応えがあるといってよいであろう。この考え方はなかなかのものであると唸らされる。もう少し論理的に外堀を埋めてくれれば文句なしといえたので惜しいところ。ページ数が少なく読みやすく、なおかつ楽しめる本格推理小説となっているので、これはお薦めしたい作品。
<内容>
映画会社の編集主任キャメロン・マケイブは、編集中の新作フィルムからある新人女優の出番をすべてカットするようにとの理不尽な指示を受ける。その翌朝、編集室の床に血を流して横たわる問題の女優の死体が発見された。夢破れた女優の自殺なのか、それとも殺人か。撮影所の複雑な男女関係もからんで捜査は難航する。続いて起きた第二の事件のあと、容疑者が逮捕され、事件は幕を閉じたかに見えたのだが・・・・・・
「どんな探偵小説においても無限の終わり方が可能である」という作者がエピローグに仕掛けた“二度と繰り返し得ないトリック”とは!?
<感想>
確かに“問題作”とはいえるが、それだけに止まる。ある意味、意欲的な失敗作といってもいいのかもしれない。
一人称にて語られる文体においては、登場人物や状況を明確なものにはしていない。さらには、一人で独善的に考えるに至って、状況をややこしくしてしまう。もっと、証拠のすべてが提示されたと思われてから、まとめて推理をしてもらいたかった。最終的にはこの物語がなぜ一人称にて語られなければならなかったのかという意図ははっきりする。最後まで読んでみると、もう一度読み返してみたくなるという誘惑に駆られたのは確かだ。しかし、それにしてももう少し書きようがあっただろうとも思う。
さらには、問題となっているのかなっていないのかわからないが、エピローグの部分は蛇足としかいいようがない。その一人称で語られた部分の内容がわかりづらいので、自ら内容を語りなおしているかのようである。そのような仕儀が欠点に輪をかけてしまっているように感じられる。このエピローグの部分は本来であれば、作品に好意的な評論家によって書かれるべき文章。それを自分で書いてしまうということにはどのような背景があったのだろうか? まぁ、それでも古典における奇書的な参考文献の一冊ということで・・・・・・
<内容>
1734年、アメリカ、フィラデルフィアにて新聞を発行しているベン・フランクリンは町の権力者コリン・マグナスと険悪な関係におちいっていた。ベンがマグナスの独善的な行為を新聞によって告発したからであった。それに激怒したマグナスはベンに呪いをかけてやると脅してくる。実際に、マグナスがこれまでに呪いをかけてやると宣言した相手には不幸な出来事が訪れ、町に住む人たちはマグナスを恐れていたのであった。そして実際にベンの身のまわりで奇妙な出来事が起き、さらには命を落とす者までもが出始める。さらに、これらの事件は思いもよらぬ展開へと・・・・・・
<感想>
ベンジャミン・フランクリン。1706年マサチューセッツ州ボストン生まれ。科学者、政治家、出版者として数々の功績を残し、後にアメリカの100ドル紙幣の顔となる。特に有名な功績としては雷の実験を行い、避雷針を考案したこと。
と、なんとベン・フランクリンというのは実在の人物であったと言う事に、本書を読み終えた後に気づかされる。ようするに本書は歴史ミステリという位置付けの本であったのだ。
本書の内容は町の権力者が主人公ベン・フランクリンに呪いをかけると宣言するところから始まってゆく。そしてベンの身のまわりで、本当に悪魔が事を起こしたような事件が相次ぐ事になる。
と、序盤の展開だけを聞くと、がちがちの本格ミステリという感じがするのだが、中盤になると西部劇のような冒険ものといったほうがよいような展開になってくる。
ただし、最後にベンが真相を告げる部分に関しては、町の住人を集め、衆人の前で犯人を告発すると言う本格推理小説らしい展開がなされている。
とはいえ、やはり歴史ミステリという部分を意識して書かれた作品ゆえに、全体的に見てもあまり本格推理小説という感じはしなかった。また、ベン・フランクリンという人物について知っているか知らないかによっても、本書の惹き込まれる度合いが変わってくるのではないだろうか。ちょっと変り種のミステリがありましたよ、というくらいの位置付けの本と言うことでよいのでは。
<内容>
「名探偵アレクサンダー大王」
「名探偵ウマル・ハイヤーム」
「名探偵レオナルド・ダ・ヴィンチ」
「名探偵エルナンド・コルテス」
「名探偵ドン・ミゲール・デ・セルバンテス」
「名探偵ダニエル・デフォー」
「名探偵クック艦長」
「名探偵ダニエル・ブーン」
「名探偵スタンレー、リヴィングストン」
「名探偵フローレンス・ナイチンゲール」
<感想>
2004年の復刊フェアにて購入した作品。初めて読む作家かと思いきや、ハヤカワミステリから出ている「悪魔とベン・フランクリン」の著者であった。ベン・フランクリンというのは、実在の人物であるのだが、何でこの人を主人公にすえたのだろうと不思議に思っていたが、この短編を見れば一目瞭然。もともと、実在の人物を主人公にすえたミステリを描く人であった。エラリー・クイーン・ミステリマガジンで取り上げられた作家であったようなのであるが、この作品が海外で出版されてから、すぐに日本で翻訳されたところをみると、期待の新人ということであったのだろう。ただし、その他の作品は日本で訳されていないようで、その後それほど良い作品は描かれなかったのかもしれない。
で、この作品はというと、有名人を探偵に用いた割には、あまりにマニアックすぎて・・・・・・半分くらいの人しか知らなかった。アレクサンダー大王やクック艦長も名前くらいは聞いたことはあるが、詳しくは知っていない。日本での著名人といえば、ダ・ヴィンチとナイチンゲールくらいであろうか。また、こいつ誰だ? というような人も混ざっているのだが、物語の最後でそれが明らかになるという趣向の話も描かれている。
一番面白いと思えたのは「名探偵ウマル・ハイヤーム」。これは探偵役が裏切り者を捜す話なのだが(ほとんどの作品がこういう内容)、時代背景や伏線などが見事に取り入れられており、ミステリとして完成されていると感じられた。犯人を指摘するために、探偵が体を張るという手段もなかなか面白い。
その他は、ミステリっぽいような冒険譚が多かったかなと。やはりページ数が少ない短編であると、主人公や時代の背景を書き切れないので、それらを物語に生かしづらかったのではないかと感じられた。じっくりと描くのであれば、中編くらいの分量が良かったのではなかろうか。
<内容>
サルウィック教授は、まじめに生きてきた自分の人生を捨てて、犯罪者になろうと思い立つ。彼はダウンタウンの酒場で喧嘩をしていた犯罪者ライリーを助け、逃走しているときにマダム・マッドキャップと運命の出会いを遂げる。仮面をした婦人、マダム・マッドキャップは大掛かりな犯罪を企てているという。彼女は、サルウィック教授とライリーに仲間になるように告げ、さらには他の犯罪者たちも仲間にし、大掛かりな仕事に乗り出してゆくこととなり・・・・・・
<感想>
ジョンストン・マッカレーという名前、どこかで聞いたことがあると思っていたら、「地下鉄サム」を書いた人であったか。また、作品に触れたことはないのだが「怪傑ゾロ」もこの人が書いたとのこと。本書もそうした作品に負けず劣らず、爽快な冒険活劇となっている。
最初はサルウィック教授が突如、犯罪に目覚め、そこから犯罪者としての道をたどっていくこととなる話なのかと思わせられる。それが途中から、マダム・マッドキャップと名乗る仮面を付けた女が登場し、一躍彼女が主役の座へと躍り出ることとなる。この謎のマダム・マッドキャップが教授やその他の犯罪者たちを部下とし、さまざまな犯罪行為を繰り広げるという内容。
もちろんのこと、その犯罪行為のみが語られるというものではなく、このマダム・マッドキャップは何者? 何故このような事を行うのか? といったところが焦点として語られてゆくこととなる。そして最終的にはマダム・マッドキャップの謎と、途上で起こる不可能犯罪の謎などが明かされることとなる。
ミステリというよりは冒険譚というものであり、目新しいというよりは定型の冒険活劇というようなもの。また、定型ゆえに読みやすく、マダム・マッドキャップがたくらむ陰謀劇に惹かれてゆくこと間違いなし。昔ながらの物語の割には、訳が今風のため、犯罪者たちの言い回しが面白いと感じられた。