<内容>
“赤い館”と呼ばれる屋敷には資産家のマーク・アブレットが住んでいた。そのマークの元に一通の手紙が届く。それは15年来会っていない兄がオーストラリアから帰ってくるというものであった。その兄は一族のごくつぶしであり、実家から遠ざけられた人物なのだが、いったいどのような用事があって・・・・・・
その兄が訪ねてくるという日、たまたま“赤い館”を訪ねてきたギリンガムは館の中で扉をたたくマークの秘書のケイリーの姿を見ることに。なんでも、マークと訪ねてきた兄が部屋で会っているものの、ドアが開かないというのである。二人は家の外へ出て窓から中を覗き込んでみると、そこにはマークの兄が拳銃で撃たれて死んでおり、当のマークの姿は影も形もなかったのだった!
ギリンガムは素人探偵として名乗り出て、ワトソン役に任命されたベヴリー青年とともに事件の捜査に乗り出すことに!!
<感想>
本書は再読の作品。とはいうものの、もういつ読んだのかも忘れたくらい昔に読んだ作品なので全く内容を覚えておらず、改めて新鮮な気持ちで読むことができた。
久々にこの作品に触れてみて、読んだ感想はというと、初心者向けの本格推理小説であるなということ。これは多くの推理小説に触れている人であればすぐに真相に気づくことができるのではないかと思われる。
というように、真相についてはだいたいわかってしまったものの、それに気がついても本書を読んでいる間は十分に楽しめた。なんといっても本書は著者のA・A・ミルンがこだわり抜いた推理小説となっているからである。
どのようにこだわっているかについては前書きにて著者自身が書いているのでそちらを参考にしてもらいた。本書を通して読んでみて、私自身が感じたことは、“しろうと探偵”というものにこだわり抜いた作品であるなというところである。
読む人によっては、この作品は色々な部分が書き足りないとか、捜査方法であるとか、さまざまなところで物足りなさを感じる人もいるかもしれない。しかし、ミルンはあえてそういった細かなものを省略して“しろうと探偵”が行う捜査のみに終始したというのがこの作品なのである。そういうところに、私はこの作品が“新本格推理小説”といわれるものと重ね合わせることができるように思えたのである。そう考えると妙にこの作品に愛着が湧いてしまうのである。
ということで、好みの問題もあるかもしれないが、海外の推理小説を読み始めたばかりの人とか、推理小説自体を読み始めたばかりの人などにはもってこいの作品といえよう。版を重ねており、入手しやすい本なので、いつでも気軽に読むことができるというところがうれしいかぎりである。
<内容>
ジェニーはふと、昔住んでいた家に訪れてみたくなり、足をのばしてみることに。するとその家の中でジェニーは昔家を飛び出して女優になって以来、会うことの無かった叔母と再開することに・・・・・・ただし再開といっても叔母は死体となって横たわっていたのだが。それを見たジェニーは動転してしまい、現場に残された証拠を隠滅したあげく、自分のハンカチを置いたまま現場から逃走してしまう。何故か自分が疑われると思い込んでしまったジェニーはそのまま逃避行の旅に出ることに。
<感想>
これはミステリーというよりもファンタジーといったほうがよい話であろう。最初に事件が起こるものの(結局は事件らしい事件でもないのだが)、あとはドタバタコメディが繰り広げられる展開となっている。最初からミステリーを読む、と構えずに楽しい小説を読むというスタンスで読めばそれなりに面白く感じられる小説ではないだろうか。
なんといっても本書が楽しいと思えるのは登場人物が皆、やけにポジティブなところ。警察に捕まると思い込み逃げだす少女や、その少女を手紙を介して支援する女性やら、警察官やら、その他もろもろと、出てくる人物の全てが物事を良い方向にとらえている。そんな雰囲気に飲まれるように読んでいるほうも何か楽しくなってしまう小説であった。
ミステリーとしてはいまいちながらも、楽しい小説を読めたということでそれなりに満足させられた。また、ラストでの本書は主人公の少女の成長物語であるという締め方もなかなか良かったと感じられた。
<内容>
「パーフェクト・アリバイ」 (戯曲)
「十一時の殺人」 (短編)
「ほぼ完璧」 (短編)
<感想>
本書は「クマのプーさん」「赤い館の秘密」にて日本ではお馴染みのミルンによる戯曲作品。ミルンという作家は戯曲、詩集、エッセイ、小説と多岐にわたって活躍した作家であるが、長編ミステリ作品はわずか2作しか残していない。そういう意味でもこのミステリを描いた戯曲が長編作品化されるというのは貴重と言えよう。
内容は倒叙ものとなっている。最初に犯人が犯行を行う場面が提示され、その犯行を探偵役のものが暴くというもの。この犯行の手口がなかなか気が利いていて、もし最初に提示されなければ、独力で真相に到達するのは難しいであろう。さらに犯人は、強固なアリバイを作り、警察の容疑から逃れようとする。
事件は自殺であったと、警察は認めざるを得なかった。しかし、ジミーとスーザンのカップルは、被害者が殺害されたと疑い、二人で考えることによって真相へと到達する。彼らは、ちょっとした食い違いを見つけることによって、真相に到達するのだが、その食い違いは本当にちょっとしたものであり、通常であればなかなか気がつかないものであろう。とはいうものの、着眼点は冴えたものであり、凝ったミステリ作品にできあがっているのは確か。
ミステリの内容としては戯曲というものには向かないようにも思え、どちらかというと書籍としての方が良いと思われる。ただ、全編にわたってユーモラスに描かれており、殺人事件を描いた内容であるにもかかわらず、力を抜いて楽しめるというところが戯曲として成功した要因なのであろう。
一緒に掲載されている2作の短編作品とともに、十分にミステリを堪能できる作品であった。
<内容>
「赤屋敷殺人事件」 (省略)↑上記の「赤い館の秘密」参照
「推理小説の故郷」 横溝正史
「父を支えた猫たち犬たち」 野本瑠美(横溝正史次女による書下ろしエッセイ)
<感想>
A・A・ミルンの名前で気づく人もいるだろうし、「赤い館の秘密」と言えばミステリファンにはお馴染みのタイトル。横溝正史訳ということで論創海外ミステリから「赤屋敷殺人事件」というタイトルで刊行された作品。
感想に関しては(内容)と同様に上記に「赤い館の秘密」の感想を書いているので、そちらを参照していただきたい。特に、前に読んだときと感想に隔たりはない。ただ、今回読んでみて、序盤やけに状況描写がわかりづらいなと感じさせられたような気がした。元々、内容がわかりやすいような、ミステリ初心者向きの作品と言うイメージであったのだが。
本書に関しては、作品の内容云々よりも、あとがき等による横溝正史とこの作品の出会いについて書かれている文章の方が見ものであった。横溝正史がこの作品に出会って感銘を受けたことや、ここに出てくる素人探偵、アントニー・ギリンガムが金田一耕助のモデルになったといういきさつなどが書かれている。そういった逸話を読めただけでも満足。