<内容>
「雀がしゃべった・・・」 緊迫した状況下のドイツの古都ハイデルベルクで、アメリカ人技術者が巻き込まれた謎の殺人事件。毎日決まった時刻に松の木に敬礼する男、主人公をつけ狙う不気味なナチの指導者。次々に降りかかる難問を解決して、果たして無事アメリカ行きの船に乗ることができるのか。
<感想>
軽い題名とは裏腹に、一人でドイツに滞在するアメリカ人の孤独と戦争時代の暗いドイツの背景が色濃く描かれた一冊となっている。推理小説というよりはハードボイルドの形態に近いであろう。日本の作品で言うならば大沢在昌氏の「走らなあかん、夜明けまで」のような巻き込まれがたの話である。
ただこの作品、どうしてこの世界探偵小説全集のなかに組み込まれているのだろうと考えてしまうような作品。それがなぜかというと、謎という謎らしきものがないのである。題名になっている“おしゃべり雀”の話も途中で軽く明かされてしまうし、殺人を繰り返すものも別に謎というわけではない。時代背景を捉えた点とか、別の視点においては異色たる作品であるのかもしれないが、それがミステリとして反映されているのかという点については疑問である。
<内容>
匿名の正体主によって高層ビルの屋上にあるペントハウスに集められた8人。それぞれが何のために集められたのかわからないため、戸惑いが生ずる中、ラジオから正体主と思われる者の声が鳴り響く。この閉ざされた館の中で、命を懸けたゲームを行ってもらうと。そして彼らは今夜、ひとりずつ死ぬことになりと・・・・・・
<感想>
アガサ・クリスティーの「そして誰もいなくなった」よりも先に発表されたことにより、その元になったのではないかとも言われる作品。小説版もあるようだが、戯曲が先であるということと、小説版に関しては以前に紹介されたこともあるようなので、今回はあえて戯曲版のほうを翻訳して刊行したとのこと。
まぁ、「そして誰もいなくなった」風の作品であることは確かなのだが、全体的に粗目としか言いようがない。これは戯曲ゆえに致し方のないことなのであろうが、こうして本の形で読んでみると、物足りなさや粗さを感じずにはいられなくなる。
ラジオにより語られる正体主の発言については、やはりピンと来ないものがある。録音にしては矛盾が生ずるし、かといって生放送できるような状況でもない。しかも、被害者となる者たちが、必ずしも想定通りの順番に死んでいくとは限らないような状況であるがゆえに、やはりラジオの発言と展開には違和感を抱いてしまう。
結局のところ、物足りなく感じてしまうのは戯曲ゆえにしょうがない事であろう。もし小説版であれば、そういった事細かい点は補完されているのではないかと思われる。舞台として考えれば、スピィーディーに展開されてゆく場面を見ることにより圧倒されてしまうことであろう。
<内容>
「眠れる童女、ポリー・チャームズ」
「エルサレムの宝冠 または、告げ口頭」
「熊と暮らす老女」
「神聖伏魔殿」
「イギリス人魔術師 ジョージ・ペンパートン・スミス卿」
「真珠の擬母」
「人類の夢 不老不死」
「夢幻泡影 その面差しは王に似て」
<感想>
何も考えず購入し、てっきり普通の推理小説だと思っていたため、読んでみてびっくり。これほどアクの強い小説を読んだのは久しぶりだ。
じっくり読んでみても、さっぱり内容が頭に入ってこない。それもそのはず、ここで語られているのは著者が作り出した架空の舞台であり、そこでの架空の出来事が語られているという内容。さらには、著者のスタンスもついてこれる者だけが理解できればよいという、ある種いさぎのよい姿勢。そんなわけで、読み手を選ぶ作品である。
探偵小説っぽいところがなくもないのだが、“エステルハージ博士の生活”とでもしたほうがニュアンスとしては合っているような気がする。さまざまな不思議な事件を解決するというよりは、エステルハージ博士が体験するというような内容。
といったとこで、万人にお薦めできる作品では決してない。普通の小説では飽き足らないという方にお勧め。どちらかといえば、幻想文学小説といった類であろうか。
<内容>
魔術師ヴァージルは権力を有する女・コルネリアから“無垢なる青銅の鏡”を作ってほしいと依頼される。コルネリアによると娘を取り戻すために鏡が必要なのだと。簡単に鏡を作ることができないため、ヴァージルは依頼をしぶるものの、結局は引き受けることに。鏡を作る材料を手に入れるため、旅に出るヴァージル。その旅の末に彼が見出したものとは・・・・・・
<感想>
論創海外ミステリのなかには、何故このレーベルで取り上げられたのかわからない作品が多々あるのだが、本書もそのひとつ。そもそもアヴラム・デヴィッドスン自体がミステリの書き手というよりは、SF作家というほうに寄っているという印象もある。ただ、エラリー・クイーン名義の「第八の日」と「三角形の第四辺」を執筆した作家であることはミステリファンからは有名なことであるので、そちらで名前を知ったという人も多いかもしれない。
本書に関しては、冒険ファンタジーものという内容。ギリシア神話のような世界観のなかで(あくまでもデヴィッドスンが創作した世界のよう)、魔術師が鏡を作るために冒険に出かけてゆくという話。何気に単純な話のようで、単に話を追っかけてゆくだけのような物語のようなのだが、作品の後半になるといくつかの意外な事実が出てくるという展開がなされている。ゆえに、後半になるとけっこう見所満載というか、最後のほうになって盛り上がりを見せる作品になっている。
意外と、ファンタジー小説として面白かったなという感じ。ただ、結局のところはあくまでもファンタジー的な内容であるので、できれば他のレーベルでやってもらいたいところ。訳者によれば、このシリーズがあと2冊続いているそうで、それらも出したいということであったのだが・・・・・・
<内容>
架空のイギリス王家、ビクター二世と王妃イザベラ、そしてその娘に当たる王女ルイーズ。この王家のもとである日、ひとつのたわいもないいたずらがなされる。それがいつしか行過ぎたものとなり、さらには殺人事件へと発展して行く。あちらこちらへと顔を出す13歳の王女ルイーズはこの事件の真っ只中に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
本書は25年前にサンリオSF文庫から出版され、それが扶桑社ミステリー文庫にて復刊されたという作品。故に、SFの要素とミステリの要素をあわせ持った作品なのかと期待して読んだのだが、あまりそういったものは感じ取る事ができなかった。
この本の内容は王家の内幕を主人公である13歳の王女ルイーズを中心として語られていくという内容。とにかく、その王家の醜聞についてが延々と語られていたという印象しか残っていない。そんな場面が続き、ようやく中盤になって殺人事件が起こり出す。そして王家の醜聞にからめた解決がなされる、というそんな内容。
と、簡単にあらすじについて説明したのだが、実際に私自身の中に残った印象というものはこの程度でしかない。結局なんだったんだろう、というような疑問符が残ったまま終わってしまう。
しかし、この本を読んだ事によって沸き上がる不可解な思いについての解答は、物語を読み終わった後に挿入されている“訳者のノート”にて説明されている。この部分を読むことによって、初めて本書の舞台となっている王家が架空のものであり、その中でどういった物語が進行されているかと言う事がようやく理解できるようになった。
ちなみにこれから本書を読むという方は、この“訳者のノート”という部分は極力ネタバレにはならないように書かれているので、こちらを読んでから本編を読んでいったほうがより理解できるのではないかと思える。とはいえ、この本を読んで、ここまで内容を掘り下げて理解していくと言うのはかなり難しいことなのではと思われるのだが・・・・・・
<内容>
ピブル警視のもとに、彼の父親の元上司でノーベル賞を受賞した事のある科学者から一通の手紙が届く。彼を訪ねてくるようにと書かれていたが、その場所はスコットランドの西海に浮かぶ孤島。しかもそこは、とある教団が居座っている場所でもあった。ピブル警視は亡くなった父の過去を知るために単独へ島へとおもむくのであったが・・・・・・
<感想>
“ピブル警視の警察退職の事情が明らかになるファン必読の書”とあるのだが、ピブル警視が登場する作品自体を読むのが初めてなので、なんの感慨も抱けなかった。実際、本書を読んでみて、この本の中心と成す部分がそのピブル警視の諸事情というくらいしか思い当たらず、この警視に対する感情移入がなければ、何の印象も残らない本という気がしてならない。
話の内容は教団の教祖のような人がピブル警視の父親の知り合いで、その彼を連れて、なんとか島から脱出するという話。大雑把に言えばそのくらい。ゆえに、特に謎と呼べるようなものはなく、せいぜいスパイ・スリラーと言えなくもない作品。
そんなわけで、これ単体で読むのはお薦めできない作品。ただ、それならそれでピーター・ディキンスンの本って、何から読めばいいのだろうと言われても、現状では何も答えようがない(現在入手できるかは別として、ハヤカワミステリにて数冊の本が訳されてはいるようだ)。
この本、“論創海外ミステリ第50巻特別書下ろし”という名目が付けられているのだが、これをそんな位置づけにしてよかったのだろうか?
<内容>
石油王スルタンが砂漠にかまえる宮殿にて、心理言語学者ウェズリー・モリスは暮らしていた。彼は、スルタンが飼う多くの動物の面倒をみ、特に知能の高いチンパンジー、ダイナに言語を教えるという仕事をしていた。あるとき、その宮殿内で殺人事件が発生する。アラブ側は、その事件を独自の言語体系を持つ沼人のせいだとし、争う構えを見せる。そうしたなか、成り行きからモリスが沼人との交渉に向かうこととなるのだが・・・・・・
<感想>
特殊な環境のもとで発生した事件のてん末を描くミステリ作品。富豪のもとでチンパンジーに言語を教える心理学者が事件に(嫌々ながら)挑むこととなる。
本書を読んで真っ先に感じるのは、ピーター・ディキンスンはミステリ作品を書きたいというよりは、沼人の言語体系とか、チンパンジーによる言語などと言った特殊学術的なものを描きたいがために、この作品を書いたのだろうなということ。そのくらい、この奇異な世界や言語体系的なものが強調されている。というか、ミステリ作品として謎自体が強調されているのかが微妙。
さらに、この作品世界が奇異と思えるのは、一見文明から切り離された世界を書いているようでいながら、飛行機が登場したり、事件解決にビデオカメラが役に立ったりと、どこか世界設定の不安定さを感じ取れる部分があるからなのかもしれない。
そうしたなか、肝心のミステリ的な展開は薄いともいえるのだが、最後の最後でまるで“チンパンジーは見ていた”とでも題したくなるような場面が待ち受けているのには感嘆させられる。
しかし、やはり物語全体を通して奇怪なミステリ作品という印象はぬぐえない。というよりは、ディキンスン描く世界というのは、こういったものが普通だと考えるべきなのであろう。
<内容>
医薬品会社の実験薬理学者デビッド・フォックスは、動物を用いた実験にて高く評価されていた。彼は会社の命令でカリブ海の島国へと派遣される。そこは魔術を信仰する島民を独裁者が支配するという奇怪な島。デビッドがそこで行うこととなった実験は目新しいものではなく、日々鬱々と実験をこなす毎日が続いていた。そんなとき、彼は島全体をめぐる陰謀劇に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
1981年にサンリオ文庫から刊行された作品がちくま文庫として復刊。復刊されたのもうなずける、良作ならぬ強烈な怪作。
最初はもとミステリっぽい作品なのかと予想していたのだが、物語の始まりは、まるで企業小説、もしくはサラリーマン小説のような感じで幕を開ける。未開の地に転属させられた薬理学者の憂鬱を描いたような内容。そんな感じで物語が始まり、読みにくいというか、興味が持てないというか、微妙な感じで話が続いてゆくのだが、中盤になってから波乱万丈な展開が待ち受けている。
100ページを超えるころにようやく殺人事件が起こり、事件が起こったと思いきや主人公がとんでもない状況に陥る羽目に。そこからはまさに予測不可能。単なるサラリーマン小説から、政治小説、陰謀小説へと早変わりし、もはやジャンルを超えるかのような怒涛の展開へとなだれ込む。
昔にサンリオSF文庫で出たということもあり、現在でもジャンル分けすれば、SFのほうに組み込まれるかもしれない。もうちょっと詳しく言えば、仮想政治小説といってもよいのかも。魔術信仰と、その信仰を利用する政治、そこに現代的な薬学まで加わり、幅広い分野にて一連の物語を仕立て上げている。一度読んだからと言って、すべてを理解することができるような作品ではなさそう。伝説とされた復刊作品とはいえ、決してとっつきやすい物語ではなく、万人にお薦めできる小説とはいいがたい。ただし、奇書のたぐいが好きな人にはたまらない小説であることは間違いない。
<内容>
刑事のジム・オニールは地域からの依頼で、葬式の際に空砲を撃つ弔銃隊の役目を務めることとなる。ジムらが葬儀で空砲を撃った後、老齢のアンナ・エラリーの気分が悪くなり、彼女はその場を離れる。その後、アンナは心臓発作で死亡と診断されたが、後の検死の結果、銃によって射殺されたことが明らかになる。自分の目の前で犯行を許したジムは執拗な捜査を行うことに。すると、そのアンナの夫の死因についても怪しく思えるようになってきたジムであったが、家の階段を踏み外し、ベッドから出られぬことに・・・・・・それでもジムはベッドの上で捜査を続け・・・・・・
<感想>
微妙なような、面白いような。それなりに魅力のあるミステリだとは思えるのだが・・・・・・
葬式の際に起こった殺人事件。旧家であるエラリー家。亡くなったアンナの義理の妹ローラには二人の息子がいて(二人とも死去)、そのひとりの息子には4人の娘がいる。ちなみにその4人の娘の母親は駆け落ちして行方不明。作中に家系図がついているのでわかりやすくなっているが、言葉のみだと、混乱しそうな感じ。その他もろもろのエラリー家に関連する一族がいる。今回起きた事件は、外部による突発的な犯罪とは考えにくく、一族のなかに犯人がいると考えて警察は捜査を進めてゆく。
その捜査を進めるのは、著者のシリーズ探偵のひとりであるらしい刑事ジム・オニール。家庭人でありつつも、警察捜査には力を入れ、この作品中で不慮の事故にあい、足を骨折した後も自宅を捜査部屋のように使いながら捜査を進めてゆく。ただし、ところどころで幼少の娘による邪魔に悩まされる。
と、そんな感じで物語は進められてゆくのだが、物証にこだわるのか、それとも登場人物らの感情的なところに動機を当てはめてゆくのか、どっちとらずというようなわかりずらい捜査方法であった。個人的には、その捜査の途上の部分に見応えが乏しいと感じられてしまったので、そこが微妙と思われた。
ただ、結末の付け方はさほど悪くはなく、それなりにうまく描かれていたのではないかと思われる。それゆえに、捜査途上の部分がもう少しうまく書かれていればなと惜しいと感じられてしまう。もう少し、動機や伏線の肉付けが欲しかったところ。
<内容>
スーザン・ローデンの大叔母ハリエット・ローデンが亡くなった。ハリエットは長い間、一族のものを寄せ付けない隠遁生活をしており、巨額の遺産も遺書により一族のものには一切分け与えないとして死んでいった。ハリエットの死後に、大叔母がどのような人生を送ってきたのか気になったスーザンは、彼女が残した14冊の日記を見つけ、過去を紐解いてゆく。ハリエットの長い人生の中で隠され続けたその真相とは・・・・・・
<感想>
ひとりの女性の過去を紐解く物語。一応、日記により過去の人生を辿ると言うことになっているが、日記本文だけで辿るのではなく、当事者ハリエット・ローデン主観による過去の物語が語られるものとなっている。
物語の大きな分岐点は、ハリエットの婚約者が亡くなったこと。その後しばらくして、もうひとり別の恋人ができることとなる。しかし、ハリエットはその恋人を選ぶことなく独身を貫くこととなる。何故、独身を貫くことを決意したのか? そこが焦点となっている。過去にハリエットと共に住んでいて、その後ニューヨークへと旅立った又従姉のローズの存在も真相の鍵を握るひとつと思われる。
という展開により話が進み、最後に真相が明らかとなる。特に事件らしい事件が起きる話ではないので、退屈という印象は否めない。ただ、それでも事の真相はいったいどのようなものなのかという興味に惹かれ、最後まで読み通すこととなった。作品の分量的な面では、ちょうど良かったと思われる。そして最後に語られる真相であるが、なるほどという思いと、それはさすがにという疑問と半々というようなもの。それでも作品としての意図は充分にくみ取ることができるので、全体的には充分に物語を堪能することができたという感触。
<内容>
平凡な街で平和に暮らす薬局店の主人グレゴワール。妻と子供に恵まれ、何一つ不自由のない生活を送っていた。そんなある日、町の奔放で淫らな若い娘が裸で日光浴をしているのを見かけ、グレゴワールは過去の想い出と昏倒しつつ、何故か彼女の首に手をかけて死亡させてしまう。女が死亡したことにより、彼女と暮らしていた男が容疑者として逮捕される。女とほとんど接点のないグレゴワールは疑われるはずもない。しかし、無実の若者を見捨ててよいのかと葛藤する中、グレゴワールその事件の陪審員に選ばれることとなり・・・・・・
<感想>
読む前は法廷ミステリなのかと思いきや、実際に読んでみると犯罪を犯した主人公がひたすら悩むという文学風の小説。
この作品は映画化されて高評価されたという有名作。それを知って納得。小説で読むよりも、いかにも映像化した方が栄えそうな内容。小説では犯罪を犯した主人公が無実の罪をきせられた容疑者のことをひたすら悩むというもの。奇妙なのは、自分が犯した犯罪については、さほど悩んでいるようではない。それに残された家族のことを考えると自首をするなどもっての外。そんなこんなで悩んでいる中で、容疑者を告発するための裁判に陪審員として選ばれることとなり、さらに煩悶することとなる。
こうした内容なので、ミステリ小説としての見どころはあまりなく、主人公や容疑者らが裁判の結果どのような人生をたどることとなるのかがポイントといったところか。ただ、これを読むと日ごろ読むミステリ小説では如何に完全犯罪を成すかを試みる犯人に対し、それを嘲笑うようなアンチ完全犯罪小説のように思えてならない。
<内容>
中等学校にて突如生徒の死亡事故が起きた。そして事件に何らかの関係があると思われるロドニー・ブレイクという少年が謎の失踪を遂げる。このブレイクという少年は何ら目立たない生徒であったが、失踪する直前の授業中に見事な絵を描いて担任のゴードン・シーコムを驚かせていた。ゴードンはブレイクの事が気になり、彼の行方を追おうとする。そしてゴードンは彼の驚くべき出生の秘密を知る事に・・・・・・
<感想>
今で言えばモダンホラーというジャンルに属されるであろう。これが描かれた当時であればSFと言われてしまう可能性もあったかもしれない。
と、そんな風に描かれている作品なのだが、なんの予備知識もなく読んでいったら、その話の展開の意外さに驚かされる事になるだろう。最初は学校で死亡事故が起き、いったい何故そのような事が起こったのかという話が突き詰められると思いきや、そんな事は放っておかれて一人の少年の行方を追う流れへと進められてゆく。その謎の少年なのだが、出生を調べていくうちになんと双子だという事がわかり、彼とは別のもう一人の存在が事件に関わっているということがわかるのだ。そしてさらに調べを進めてゆくと、もっと意外な事が・・・・・・
というように、読んでいるほうは話の流れにどんどんと惹き込まれていく事間違いない。内容がミステリーではないので、論理的に話が帰結するというものではなく、あくまでもモダンホラーとしてとらえて読んでもらいたい作品である。あと、最後に付け加えるとすれば、最後にもうひとつくらいどんでん返しが欲しかったかなというところ。ただ、今まで読んだ論創海外ミステリの中では異端の一作であり、かなり楽しめた作品であるという事は付け加えておきたい。
<内容>
マサチューセッツ州ケープコッドに住む50歳の独身女性ウィッツビー。彼女と姪のベッツィは、彼女たちが住む避暑地に客を迎えるべく用意をしていた。そして、二人の友人たちが来て、なごやかに過ごしていたときに、近所の小屋にこれまた避暑に来ていた有名作家デイル・サンボーンが殺害されているのを発見する。その後の調べにより、作家サンボーンが多くの人々に恨まれていることがわかり、容疑者多数という状況。しかも、サンボーンが殺害された前後に、彼の小屋に多くの人々が訪れていたことが明らかになる。そうしたなか、容疑者として警察に拘留されたジミー・ポーターの疑いを晴らすべく、ジミーの雑用係であるアゼイ・メイヨが捜査に乗り出す。
<感想>
タイトルは掲載されたことはあるが、今まで訳されたことがなかったという幻の作品。「コッド岬の惨劇」というタイトルで紹介されたこともあるようだが、きちんと翻訳されて日本で出版されるのはこれが初めてのよう。
読んでみると、なんとなく探偵小説初心者に説明しながら話を進めているようにも感じられる作風。タイトルからして陰惨な内容なのかというと、そんなこともなく、登場人物たちが集まって、あれやこれやと騒ぎながらゴシップ混じりに捜査を進めていくという内容。どうやら、コージー・ミステリの走りである作品という見方もあるようなのだが、実際にそんな感じの作品。
基本的に、話が進められつつ、真実がちょっとずつちょっとずつ関係者の口から明かされてゆき、最終的に真相が明かされるというもの。その真相に関しては、さほど印象的なものではなく、誰が犯人でも・・・・・・という気がしなくもない。しかし、そういった論理的な整合性よりも、全体的に感じさせる陽気な作風こそがこの作品の重要な点なのではなかろうか。さらには、若干22歳の女性が書いた作品であるというのもポイントかもしれない。歴史的には重要な点も見いだせる古典作品。
<内容>
ビリングスゲートで祭が開催されようとする中、探偵のアゼイ・メイヨは、いとこで祭の行政委員を務めるウェストンから祭の間、名誉警察署長になってくれと頼まれる。なんでも、祭を妨害しようとする者がいるとのこと。最近、物が盗まれ、そのなかには散弾銃までもが・・・・・・。もし祭が中止になるようなことがあれば、小さな町にとっては大打撃になるということでアゼイは依頼を引き受ける。そうしたなか、散弾銃によりメアリー・ランドールが殺害されるという事件が起きる。アゼイらは、祭に影響が出ないように殺人事件をひた隠し、内密に事件の解決に乗り出すのであったが・・・・・・
<感想>
論創海外ミステリ101で紹介された「ケープコッドの悲劇」以来のテイラーの作品。本書も「ケープコッドの悲劇」と同じく、シリーズ探偵のアゼイ・メイヨが登場する。とは言っても、この著者の作品が日本で紹介されたのは、まだこの2冊のみ。
人が殺され、陰惨な様相も見られる作品なのだが、ユーモア調とさえ感じられてしまう作風。大きな祭によって登場人物らさえもが浮かれているのか、全体的に“躁”と感じられるような雰囲気のなかで犯人探しが行われる。
犯人探しと言いつつも、とにかくドタバタ劇の連続。町の人々から日ごろ怪しく思われている者たちが、いつも以上に怪しい行動をとり、大騒ぎの挙句にアゼイ・メイヨと警官らに捕らえられという場面が繰り返される。そうこうしながら、次第に容疑者は減って行き、最終的に残ったものは・・・・・・という感じで展開される物語。
まぁ、面白いといえないこともないドタバタ系サスペンス小説という感じ。厳格な本格ミステリという感じではないので、肩ひじ張らずに楽しむべき作品と思える。ただ、それにしては探偵アゼイ・メイヨによる事件の締め方はちょっと疑問に思えるところ。証拠により犯人がはっきりとあぶりだされているのだから、それなりの結末の付け方があったのではないかと・・・・・・
<内容>
「ヘッドエイカー事件」
「ロンダーバード事件」
「白鳥ボート事件」
<感想>
著者のP・A・テイラーの作品が論創海外ミステリで紹介されるのはこれで3冊目。いずれもアゼイ・メイヨという人物が探偵を務めている。使用人など、様々な職業を経て、今では周囲の者たちが一目置く探偵として認められている人物となっているアゼイ・メイヨ。
本書は3作品の中編と言ってもいいくらいの分量の作品が収められており、どれも読みごたえがあった。これはなかなかよくできているミステリ作品集であると思われる。ただ、その中味がドタバタコメディ風になっているところが読み手の好みがわかれるところと思われる。個人的には、事件の内容から動機、そして真相に関してまで、それぞれよくできていたので、真っ当なミステリとして仕上げた方が良かったように思われた。何故か、探偵が容疑者を追いかければ必ず逃げられ、暗闇ではハードボイルド風に殴られて気絶し、という感じのB級ミステリ風に展開されるものとなっている。
作中の「ヘッドエイカー事件」と「ロンダーバード事件」の2作がそれぞれうまくできていた。犯行方法や、意外な真犯人といったミステリとしての要素がきっちりと抑えられている。「白鳥ボート事件」に関しては、他の2つと比べると、中味がかなり煩雑な感じであった。今作を読むことによって、今まで長編で読んだ時よりも、アゼイ・メイヨという探偵についてはっきりと認識することができた。
「ヘッドエイカー事件」 伯父に会いに行ったはずの妻の行方がわからないと相談を受けたメイヨ。探しに行くと、その伯父の銃殺死体を発見することとなり・・・・・・
「ロンダーバード事件」 資産家の敷地に無断でとめられていたキャンピングカー。中からは死体が発見される。運転していた女は、いつの間にかキャンピングカーがすり替わっていたと・・・・・・
「白鳥ボート事件」 公園で撮影中に銃で殺害されたと思われるカメラマン。そして逃げたモデル。その死体を発見したメイヨは事件の捜査に乗り出すこととなり・・・・・・
<内容>
古書研究家で素人探偵でもあるガーメッジは知人が持ちかけてきた依頼を引き受けることに。その依頼とは、数年前に起きた夫毒殺の嫌疑をかけられた事のある夫人が何者かに狙われているので、魔の手から救い出してもらいたいというものであった。その未亡人には従妹の関係となる娘、養子の青年、長年付き添ってもらっている家政婦などと何らかの動機を持ちそうな人々がそばにいるので、とりあえずガーベッジは未亡人の所在を隠すこととした。そしてガーベッジが過去に遡り事件を調べているとき、殺人事件が起きてしまう!
<感想>
なんとなくありがちな名前のせいか、どこかで聞いたような気もするのだが、日本ではそれほど有名にはなっていない作家のよう。私自身もどうやら読むのは初めてのようである。しかし、読んでみるとこれがまた、クリスティ風というかなんというか、なかなか取っ付きやすいミステリ作品となっており、楽しんで読む事ができた。
本書の内容は何者かに脅迫され、命を付け狙われている夫人を魔の手から救い出すというもの。この夫人の夫は数年前に起きた毒殺事件で死んでおり、夫人に嫌疑がかけられたものの、判決で無罪をいいわたされた。しかし、その時の事件は未だ尾を引いており、彼女に対する嫌疑は沈静化されたとはいえないところに起きた今回の事件。
と、こんな話なのだが、物語を引っ張っていくうえでも読者に飽きさせないような構成になっており、すらすらと読む事ができた。基本的には平凡な流れのような事件ではあるのだが、見せ方というものを心得た作品といえるであろう。
また、結末に関しても、動機についてはなかなか凝っているといえるものであり、かなり楽しませてくれたミステリ作品である。
本書に出てくる主要キャラクターは素人探偵のガーメッジをはじめ、彼の妻や使用人、そしてガーメッジに翻弄されるばかりの警部など、魅力的な人物でいっぱいである。これは、今後も別の作品が翻訳されていってもおかしくないシリーズといえるであろう。
<内容>
ジョニー・レッドフィールドから招待され、彼の屋敷へとやってきた素人探偵ヘンリー・ガーメッジ。レッドフィールドの屋敷を散策中、ヘンリーは彼のすぐそばにいたジョニーの叔母、ジョセフィーヌ・マルコムが銃撃を受けるという事件に遭遇する。庭のなかで彼女を殺害したのは誰なのか? 限られた容疑者たちの全ての者に確たるアリバイはなく、誰もが事件を起こし得ることができた。事件を起こすことにより誰が得をするのか!? 警察による捜査が行われる矢先、そこに意外な別の人物が登場し、さらなる殺人事件までが起こることとなり・・・・・・
<感想>
庭園で起きた銃殺事件の謎を解くという、シンプルかつオーソドックスなミステリ。しかも、矢継ぎ早に事件が次々と起きていくことにより、読んでいるものを飽きさせない構成。300ページ弱という薄さで、なかなか取っ付きやすい本格ミステリといえよう。
ただ、全体的にスッキリし過ぎていて、これといった特徴がない小説という気もする。最初事件が起きた後に、容疑者が訊問されるものの、その訊問によって得られるものがほとんどなく、登場人物の紹介程度の役割しかないのがもったいない。一応は、物語の最初から結末へとつながる種をまいており、最後できっちりと回収するという形が採られているのだが、その割には伏線がきっちりと張られているという印象は薄い。ひとつひとつがきちんと描かれているようでありながら、そのひとつひとつのパーツがやや弱く、さらに言えば、効果を出しきれてないようにも感じられてしまう。
最終的な真相は、なかなか驚くべきものとなっている。単なる軽いミステリ作品という程度に終わらせないところは見事。もうちょっとうまくひとつひとつの要素を書き表すことができれば、それなりの秀作として名をはせたかもしれないところが残念。
<内容>
「トンネル」
「失 脚」
「故 障 −まだ可能な物語」
「巫女の死」
<感想>
スイスの作家、デュレンマットの作品集。劇作家としても有名。昨年のミステリ・ランキングをにぎわせた作品の一つということで、また文庫で読みやすそうということもあり購入した作品。ただ、実際に読んでみると、全然ミステリっぽくないなと。もう少し、ミステリ的な作品だと思っていたのだが、綺譚集とか、モダンホラーに近いような感触。
「トンネル」は、列車がトンネルに入った後に、そのトンネルから全く出る様子が見られなく、主人公が慌てふためく作品。まさに、トワイライトゾーン。その状況を全く気にしていなかったり、運命を享受したかのような人々の様子が印象的。
「失脚」は、作品中では一番読み応えがあった。アルファベットのAからPまでで表された人々の会議室での様子を描いた作品。場面は会議室のみ。まさに劇作家的な内容と言えよう。そこで、国家を巡る陰謀と失脚劇が展開されてゆく。“革命は会議室で起こるのだ!”と言わんばかりの内容。類を見ないような作品である。
「故障」は、ひとりのセールスマンが立ち寄った屋敷で裁判ゲームに付き合わされるというもの。サラリーマンは被告となり、ありもしない殺人の容疑をきせられてしまう。ラストへの展開は、なんとなくありがちのようにも思えるのだが、解説により、何故このような展開になったのかを説明されると、意外と深い作品であったということに気づかされる。
「巫女の死」は、「オイディプス王」をモチーフとした作品・・・・・・というよりも、オイディプス王に対して、著者なりの別の解答を付けた作品と言うように捉えられる。あまりピンとくる内容ではなく、作品中の中ではいまいちというように捉えられた。
<内容>
「悪魔を見た処女」 エツィオ・デリコ(1940)
ホテルに静養に来ていた客が殺害されるという事件が起き目撃者は当日、田舎から出てきたばかりの女中であり、彼女は悪魔を見たと・・・・・・。警察が捜査を開始したところ、唯一の目撃者である女中はショックで田舎に帰ってしまったという。女中から話を聞くために、彼女の跡を追ったものの、その女中は何者かに殺害されてしまい・・・・・・
「遺書の誓ひ」 カルロ・アンダーセン(1938)
宝石の盗難と共に殺害された男について捜査するため、警察が現場へと急行する。それとともに、私立探偵とジャーナリストのコンビも現場に現れる。被害者は、戦場で共にした8人で死亡したものが遺産を寄贈し、財産を蓄えていくという約束をしていた。そして、残りの生き残りは3人となっており・・・・・・
<感想>
吉良運平氏が翻訳し、戦後すぐに刊行された2作品が紹介されている。エツィオ・デリコはイタリアの作家(ただし、ここに掲載されている作品はフランスが舞台となっている)。カルロ・アンダーセンはデンマークの作家である。
「悪魔の処女」は、読み始めは昔書かれた、サスペンスっぽいミステリ作品だなという印象のまま読んでいったのだが、最後の解決では思いもよらぬ解決を見せられ驚かされることとなった。最初は、女中がただ単に犯人を目撃しただけなのに、何故悪魔と言い始めたのかがよくわからなかった。これは単に時代的なものなのかと、軽く見切りをつけ、読み続けていったのだが・・・・・・それがまさか、あのような結末になろうとは。期待をせずに読み進めていったぶん、結構驚かされてしまった作品。
「遺書の誓ひ」は、これは普通の探偵小説という感じの内容。ただ、どこか惜しいという思いを感じずにはいられなくなる作品であった。戦場で共にした8人が死亡したときに残される遺産の行方。その遺産を狙うかのように起きる殺人事件。そして、過去に行方不明になった人物や、秘められた過去を持つ人物。そういったミステリ要素満載の作品となっていて、きっちりとした探偵役も備えられているのだが、事件の解決部分がちょっと惜しかったような。犯人の指摘と、その犯行の様子を描き上げた推理などもよかっただけに、最後の最後でわかりやすい決定的な証拠を突きつけられれば、なおさらよかったのになと思わずにはいられなかった。