Robert R. McCammon  作品別 内容・感想

ナイト・ボート   

1980年 出版
1993年07月 角川書店 角川ホラー文庫

<内容>
 ブードゥーの祈りが聞こえるカリブ海。海の底の墓場から「夜の船」がよみがえる。それはかつて闘いに敗れたUボートだ。中からは無気味な物音がもれている。なにものかが潜んでいる。生物なのか亡霊なのか。楽園は無気味な気配につつまれはじめた・・・・・・


奴らは渇いている   6点

1981年 出版
1991年05月 扶桑社 扶桑社文庫(上下)

<内容>
 ロサンジェルス警察のアンディ・バラタジン警部は、確かにその予兆を感じていた。彼は子供のころにハンガリーで、同様の吸血鬼騒ぎに遭遇していたのだった。それでも、バラタジンはその過去を信じ切れず、警鐘を鳴らし続けていた母親を阻害していた。しかし今、吸血鬼の軍団はすぐそこまで差し迫っていた。プリンス・コンラッド・ヴァルカンと名乗る吸血鬼の王は、手下たちを駆使して、徐々にその影響力を高めようとしていた。多くに人々が吸血鬼の存在に気が付かない中で、少数の人々がその存在に気付き始め・・・・・・

<感想>
 マキャモンによる壮大な吸血鬼ストーリー。これまた長らくの積読本をようやく消化できた。

 普通にエンターテイメント小説として面白かった。出だしは、やや低調であったが、中盤くらいからはどんどんの内容に引き付けられ、読むスピードもあがっていった。最初から最後まで続く、迫りくる絶望感に対し、目を背けたくなりつつも、どこか目を離せなくなる(吸血鬼の魔力か?)という状況。後半に入り、希望の光は少し見えてくるが、圧倒的な絶望感のなかで物語はどのような顛末を迎えるのかが気になり、ページをめくる手を止められなくなっていった。

 現在、ホラー界といえば、すっかりゾンビに取って代わられた感があるが、こういった感染系ホラーといえば、吸血鬼が元祖であろう。古典ホラーを発端として、その流れから20世紀末のモダンホラーが流行っていった時代に書かれた吸血鬼物語として、価値ある作品と言えるのではなかろうか。


ミステリー・ウォーク   7点

1983年 出版
1998年02月 ベネッセコーポレーション 福武文庫(上下)
2003年10月 東京創元社 創元推理文庫(上下)

<内容>
 インディアンの血をひくビリー・クリーモアの母親は霊を鎮める不思議な力を持っていたがために、地元の人たちからは魔女と恐れられていた。そしてビリーもその能力を引き継いでいることが明らかになる。そんなある日、ビリーが住む町で伝道師ファルコナー父子が集会を開くこととなり、信仰心の強いビリーの父親は妻とビリーを連れて、集会場へと赴く。そこでは運命の出会いが待ち受けており・・・・・・

<感想>
 マキャモンの作品で一番最初に読んだ作品。今は創元推理文庫版も出ているが、私は昔に購入した福武文庫版を持っているので、そちらで再読。

 スティーヴン・キングが出て以降、モダン・ホラー・ブームが起きて、このような作品が多々書かれたのではないかと思われる。ただ、そういったなかで本書はその最高峰に位置する出来栄えの作品ではないかと思っている。マキャモンの作品を全部読んだわけではないのだが、個人的にはマキャモン作品のなかでは一番この作品が好きである。

 善とか悪とか、ビリーが持っている力だとか、そういったものが基本的にはっきりと描写されないところが絶妙と言えるかもしれない。霊の存在を感知したり、それを成仏させたりという力を持っているビリーであるが、それをどのようにしてとか、どういった場合にその力を使って、というようなことは本人もよくわからないまま。ただ、そうした力を持った状態で、やや宙ぶらりんな状態であるにもかかわらず、地元の人たちからは単に虐げられていくことになる。

 そうしたなかでクリーモア家の家族の状況も微妙なものとなる。同じく力を持つビリーの母親は、昔から地元で魔女と呼ばれる存在。しかし父親は、自分の理解が及ばないものに対しては耳を塞いでしまうという、いわゆる普通の人。そんな葛藤の中で虐げられながらも地元で生活していく彼らの生き様は印象的である。

 そしてある種、ビリーと対になる伝道師ファルコナーの息子ウェインとの関係性が物語上の核となる。最後の最後まで二人が話をする場面はないのだが、その出会いとある種の邂逅によって印象的なラストを迎えることとなる。そして、本書の一番の主題ともいえるビリーが見つけるべき“神秘の道”ミステリー・ウォークを今後も探し続けてゆくという現実に希望の光が灯るという形で、物語に幕が引かれることとなる。


アッシャー家の弔鐘   7点

1984年 出版
1991年07月 扶桑社 扶桑社文庫(上下)

<内容>
 ホラー作家のリックス・アッシャーは父親の具合がよくないということで実家に呼び寄せられた。その実家というのが広大な敷地を持つ資産家アッシャー家であり、父親が亡くなるとなれば莫大な遺産を相続することとなる。リックスには兄と妹がいるが、特に兄と折り合いが悪く、しかも彼は父親を憎んでいたので、アッシャー家とは関わりを持ちたくなかった。しかし、リックスにはアッシャー家の歴史を作家として書き上げたいという野望があり、実家の滞在をずるずると引き延ばしていた。
 アッシャー家の近隣の敷地に住むニュー・タープという少年の弟が行方不明になるという事件が起きる。しかし、誰しもが行方不明になったことを気にせず、その事実を隠してさえいた。ニュー少年は自ら弟の行方を捜そうとしたとき、自分に奇妙な力が宿っているのに気づき・・・・・・

<感想>
 積読のひとつであるマキャモンの過去の作品。今更ながら読んでみると、初期のころのマキャモンの作品はいいなぁーと、本当に思わせられる。まさに王道のモンダン・ホラーという味わいであった。

 エドガー・アラン・ポーの作品「アッシャー家の崩壊」をモチーフとした、兵器産業により莫大な富を得たアッシャー家。死の間際にある当主ウォーレンとその息子と娘たち。主人公は次男で作家を生業とするリックス・アッシャー。彼の眼を通して、アッシャー家という存在とそのおぞましさが語られてゆく。

 その現実的なパートに対して、ニュー・タープ少年を軸とする超自然的な観点から描かれる、もう一つの物語が平行して進められてゆく。当然のことながら、リックスの話とニュー少年の話が最終的には交わり合い、大きなうねりとなって物語を動かすこととなる。

 どちらか片方だけの話であれば、凡庸となるのだろうが、この二つのパートをうまくまとめているところに非凡さがうかがえる作品。また、話の展開にも意外性があったり謎があったりと読者を決して飽きさせない。

 最初はポーの「アッシャー家の崩壊」を知っていた方が楽しめるかなと不安であったのだが、読んでいなくても全くと言っていいほど問題がなかった(ただし、知っていればもっと楽しめるかもしれない)。もはや入手しづらい作品であるのが惜しいところ。スティーブン・キング以外の作品でモダンホラーを楽しむための格好の入門書と言ってよい作品。


スティンガー   6.5点

1988年 出版
1991年02月 扶桑社 扶桑社文庫(上下)

<内容>
 テキサス州のさびれた鉱山町インフェルノ。その町にある学校が廃校することとなり、人びとが町の行く末を心配する中、とてつもない事態が巻き起こる。異様な物体が空から飛来してきたのであった。最初に落ちてきたのは、“ダウフィン”と名乗る逃亡者。“ダウフィン”は、町の少女の体を借りて、人びととコミュニケーションをとり、助けを求める。そして、その“ダウフィン”を捕えに来た“スティンガー”。スティンガーは、建物を壊し、人を襲いつつ、ダウフィンを捕えようと町に殺戮をもたらし始め・・・・・・

<感想>
 長年の積読のひとつを解消。マキャモンは超自然的と言えるような存在が出てくる小説の書き手かなと漠然と思っていたのだが、本書はなんとエイリアンと人類との戦いを描いた作品となっている。ただし、純然たるエイリアンによる侵略ではなく、“ダウフィン”と名乗るエイリアン(善)を追ってきた“スティンガー”というエイリアン(悪)が相手を捕えるのを目的としたなかで、その“スティンガー”の暴れっぷりが描かれている。

 退廃する田舎町を舞台として、田舎で暮らす様々な家族の在りよう、暴走族同士の抗争、少年少女の恋愛物語、といった人間模様を背景にエイリアンとの戦いが描かれている。作品は上下巻と長めになっているのだが、物語上で流れている時間はほぼ1日くらい。そんな1日の間でスピーディーに想像だにしない出来事や事件、そして殺戮が描かれた内容となっている。

 こういう形態のSF作品って、ありがちだと思われるが、何気にそんなに小説としては出回っていないような気がする。そんなベタなエイリアンと地球人との対決、そして人間同士の絆と愛にあふれたエンターテイメント作品として完成されている。とにあくありがちでベタな感じの小エピソードがところどころに溢れているという感じではあるが、それを一つの作品としてまとめているところは凄いと言えよう。オリジナリティがあるかと言われると微妙なような気もするが。


マイン   5点

1990年 出版
1995年02月 文藝春秋 文春文庫(上下)

<内容>
“ミスター・モジョは起きあがった。あの女はいまも涙を流している”ローリング・ストーン誌でこんな広告を目にしたとき、“神”からのメッセージだとメアリーは信じた。あの60年代の闘争の日々、リーダーのロード・ジャックは光り輝く“神”だった。その彼が自分を呼んでいる。あのとき彼に捧げることができなかった“供物”を求めて・・・・・・
 その“供物”は、健やかな男の赤ん坊でなければならない。盗んででも、邪魔立てする者は撃ち殺してでも、指定された日までに届けねば。盗んだ女、盗まれた女、双方にとって赤ん坊はマイン(わたしのもの)だ。それは傷つき破れた60年代へのこだわりなのだ。ひた走る女と追いすがる女の血みどろの争いに、奇妙な共感が交錯する。

<感想>
 ロードノベルであり、逃亡者と追跡者の物語。しかし、執念や恐怖は十分に感じすぎるほど感じられるのだけど行き過ぎのような気も・・・・・・。まぁ、ホラーであればこれぐらいが普通なのかもしれないけど。ただ、同じ場面の繰り返しになってしまうために後半は飽きが来てしまう。

 どうしてもメアリーが赤ん坊を盗んで逃走する理由が弱いと思う。もうすこしロード・ジャックにまつわる話が強く、具体的であればと思ったのだが。


遥か南へ   

1992年 出版
文藝春秋 単行本
2000年01月 文藝春秋 文春文庫

<内容>
 はずみで人をころしてしまったヴェトナム帰りのダンは、余命いくばくもない身ながら逃避行に出た。道連れは顔半分に痣のある美少女に、ダンを追う三本腕の賞金稼ぎとプレスリーのそっくりさん。アウトサイダーにされてしまった者たちは、癒しを求めてひたすら南へ向かう。温もりと恐怖が混ざり合う不思議なロード・ノヴェル。


魔女は夜ささやく   6点

2002年 出版
2003年08月 文藝春秋 単行本(上下)

<内容>
 判事ウッドワードとその書記マシューは魔女裁判を行うべくファウント・ロイヤルの街へとやってきた。彼らがやって来たときには街はすでに荒んでおり、大勢の人々も魔女の脅威によって出て行ってしまったという。牢に囚われているのは混血の美女レイチェル。住人のいく人かが彼女の奇態を目撃しているのだという。街の復興のためにも早く魔女を処刑してもらいたいという住人の要望がたかまるなか、書記のマシューはこの事件に疑問を抱く。果たして本当に彼女は魔女なのか・・・・・・

<感想>
 うーーん、話が長いわりには普通だったなという印象。別に悪いということはないのだが、前半からあれこれといろいろな謎を引っ張ってきたので、それらが複雑に絡み合っているのかと思ったのだが、実のところそうでもなかった。伏線を貼られたかのような事件も終盤を待たずに明らかになってしまったりと、あれっと思うところがしばし見受けられた。最終的にはかなり単純なところに着地してしまったなという感じがした。

 本書は上下巻になっていてページ数はかなり厚いものの、比較的読みやすい部類の本といっていいと思う。ただし、そのわりには私は読了するまでに長い時間を要した。その理由は内容によるところが大きい。話自体は面白いのだが、なんせ内容が魔女狩りだとか差別的なものだとか、少々胸がむかむかするような場面が多々見受けられる。そういった内容によってページをめくる手が止まってしまったことは何度もあった。そういう描写をあまり過度に受け止めることがなければサクサクと読めるのではないだろうか。特に終盤は一気に読み進めてしまうことになるであろう。

 ただ、結局のところ10年の時間をかけてマキャモンが何を書きたかったかのかということはよくわからない。本書は物語としては面白いといいきれる。しかし、ホラーとかミステリーとかいったジャンルにくくるとするならば中途半端なところに位置しているように感じられた。これであればマキャモン自身の作品である「少年時代」を超えているとも言いがたいようにも思える。これは期待しすぎてしまったということなのだろうか。それでもマキャモンがまた本を書き始めてくれたのだからよしとしておくべきなのかもしれない。




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