Richard Notrh Patterson  作品別 内容・感想

罪の段階   7点

1992年 出版
1995年10月 新潮社 単行本
1998年11月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
 弁護士のクリス・パジェットの元に著名なTVインタビュアーのメアリ・キャレリから電話が入った。メアリは作家ランサムからレイプされそうになり、とっさに拳銃で撃ち殺してしまい、今警察にいると言うのである。クリスはかつてメアリと知り合いであり、現在はその間にできた子供カーロと二人で暮らしている。クリスは迷ったものの、結局はメアリの弁護を引き受けることに。法廷では正当防衛の線で検察側と対決することになるのだが・・・・・・

<感想>
 これはもう、“うまい”としか言いようのないできである。なんといっても書き方がうまい。女性がレイプされそうになった際に銃で相手を撃ち殺したという、難しい設定での法廷における駆け引きを見事に描いている。さらには、そこに親と子との絆、カセットテープに秘められた大物政治家の秘密などと、その他もろもろの要素をうまく組み込んで1冊の小説として完成させているのだからすごいといえよう。そして結末もアクロバット的な駆け引きを用いずに、極めて現実的な大人の処理が行われているのもさすがなところ。とにかくこの作品に関しては褒めちぎるしかない。

 若干、主人公クリスのパートナーであるテリの家庭問題のパートが余計のようにも思えたのだが、これは次の作品の布石となっているようなので、そう考えれば納得できるものである。

 私自身は法廷モノの小説は避けて通ってきたのだが、こういう面白い小説を読んでしまうと、だんだんとはまりそうになってしまう。この作品の次の話である「子供の眼」をすでに購入してあるのだが、これをいつ読もうかと迷っているところである。なんにしろ楽しみがまた増えたわけである。


子供の眼   6点

1994年 出版
2000年09月 新潮社 単行本
2004年02月 新潮社 新潮社文庫(上下)

<内容>
 テリーザ・ペラルタは気鋭の弁護士クリストファー・パジェットの元で働いており、クリスとは恋仲となっていた。テリーザは働こうとしない夫リッチーとの離婚を決意するが、リッチーはそれを拒否する。しかもリッチーは娘のエリナの養護権を主張しながらも、テリーザからさらなる金をまきあげようとする。さらにはクリスとその息子を巻き込んで、陰湿な嫌がらせを行い、上院選へ出馬しようとしていたクリスに影が差す事に・・・・・・
 そんな騒動が続く中、ある日、リッチーが突然死亡する。その死は自殺なのか? 他殺なのか!? 周囲の者達が困惑する中、警察が逮捕したのはクリストファー・パジェットであった!!

<感想>
 これもよく出来た法廷小説だなという他にない。正直言って内容としては離婚にまつわる陰湿な嫌がらせとか、幼児虐待をなすりつけられたりとか、嫌な話が多々あるので読んでいて楽しいとは言いがたい。しかし、それでも文章自体はやけに読みやすく、また話の結末についても気になるところが多々あったので、ページをめくる手が止まるようなことはなかった。

 本書の物語のポイントとしては誰がリッチーを殺害したのかという事。弁護側は自殺という方向性をもって裁判に臨んではいるものの、誰が読んでも他殺には間違いないと思うことであろう。では、それならば誰が殺害したのか? そしてクリスが殺害したのではないかという思いも棄てられず物語を追って行くことになる。

 ただし、本書は法廷ものであるので、弁護側にとっては事件の真相というものはどうでもいいことなのである。弁護側が証明するのはただ単にクリスが無罪であるという事を知らしめればよいのである。これこそが法廷ものの楽しみでもあり、またもどかしさでもあるといえよう。

 また、本書ではもちろんのこと法廷ものとして、見るべき点も多々挿入されている。今回一番気になったは検察側、弁護側による陪審員を選択する場面。物語上ではこの部分は余計だなと感じられた。しかし、裁判においては実はこの部分こそが重要な意味を持っているのだという。検察側にしろ、弁護側にしろ、自分達の主張をいかに陪審員たちに納得してもらうかが裁判のポイントとなるという事が本書の全体を通して語られているといってもよいであろう。

 さらに本書に登場する登場人物たちも魅力的であり、それも見どころのひとつなっている。主人公であるクリス親子とテリーザ親子。対立するテリーザの夫で作品中では完全なる悪役といってもいいリッチー。そして途中からは主人公の座を乗っ取ったといえる弁護士のキャロライン・マスターズ。そのキャロラインに対抗する検察側のヴィクター・サリナスもいい味を出している。

 パタースンの小説を読んでいると、これらの登場人物が作品をまたがって登場しているというところもまた注目すべき点である。前作「罪の段階」と本書の関係は続編といってもよいくらいであるが、他の本においても今回出てくるキャロライン・マスターズが中心的な役割をしていたりする。というように一冊一冊の完成度のみならず色々な観点で楽しませてくれるパタースンの本、これはもう一冊二冊といわずに全巻制覇するべき本であるといえよう。


最後の審判   6点

1995年 出版
2002年09月 新潮社 単行本
2005年06月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
 敏腕女性弁護士キャロライン・マスターズはとうとう念願の合衆国最高裁判所の判事へと登りつめようとしていた。そんなとき、彼女の元に父親から電話がかかってきた。父の話によれば姪(姉の娘)のブレットが恋人を殺害したという容疑をかけられているというのだ。キャロラインはかつてとある理由により訣別し、その後二度と戻らなかった故郷へと戻ることに・・・・・・

<感想>
 今作もパタースンの小説らしく、物語に惹き込まれ、一気に読まされてしまった。とにかくこの著者が書く作品は安定しており、どの作品を読んでも楽しませてくれる。今回の物語は「罪の段階」や「子どもの眼」にも登場したキャロライン・マスターズが主人公となっている。

 ただひとつ本書で残念であったのは、法廷小説としての内容が薄かったということ。パタースンといえば、法廷ミステリを書く作家という印象が強く、「罪の段階」や「子どもの眼」ではいかんなくその手腕を発揮してくれた。しかし、今回は法廷の場面は出てくるものの、そこで起こる駆け引きとかそういったものの書き込みが少なく、あっさり目で終わってしまった。

 というのも、本書の主題は“法廷”というものではなく、あくまでもキャロライン・マスターズの半生を描いた小説となっているからである。物語の始まりは、キャロラインの姪・ブレットが犯罪に巻き込まれた(もしくは起こした?)ためにキャロラインも事件に巻き込まれてゆくという流れになっている。しかし、話が進むにつれてブレットの印象は徐々に薄くなってゆき、キャロライン自身とその過去に強くスポットライトが当てられてゆく。さらに言ってしまうと、そのキャロラインの過去こそが今回の事件に対して大きな鍵を握っていたというように描かれているのである。

 本書のタイトルは最初は“The Final Judgment”であったのだが、途中で“Caroline Masters”と改題されたという。それくらい、この本はキャロライン・マスターズについて深く掘り下げた作品となっている。

 と、そんなわけで従来期待されるパタースンの作品とは異なるかもしれないが、今後パタースンの作品を読み続けるうえでは重要な位置付けとなる作品である(というのも、キャロラインは今後も他の作品に重要な役割を持って登場するらしい)。

 また、法廷ミステリとしては内容が薄いにしても、キャロライン・マスターズ自身を巡るミステリとして濃い内容となっているので充分にお薦めできる作品である。


サイレント・ゲーム   7点

1996年 出版
2003年03月 新潮社 単行本
2005年11月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
 トニー・ロードは成功した刑事弁護士として名をはせ、再婚した妻と息子と共に、順風満帆の生活を送っていた。そんなトニーのもとにある依頼が持ち込まれる。それは、彼のかつての親友であったサムとスー夫妻からの弁護の依頼であった。かつてトニーが生まれ故郷レイクシティに住んでいたころ、恋人が殺害され、トニー自身が殺人犯ではないかと疑われるという事件が起きたのだ。そのときの無念と屈辱をバネにして、故郷から飛び出し、刑事弁護士になったトニー。彼は、親友のために忌まわしい思い出が残る土地へ再び帰郷することに・・・・・・

<感想>
 うーん、これもうまく描かれている。もはや彼に法廷ものを書かせれば、あとは熟練の腕を見せ付けられるだけとしか言いようがない。今回も作品に引き込まされ、そして色々と考えさせられてしまった。

 何を考えさせられるかといえば、陪審員制度について。日本にもいずれ導入されるとのことであるが、興味のある人はぜひともこの作品を読んでもらいたい。この作品を読んで、自分が陪審員になったとして、果たして判決を言い渡すことができるかどうかということを考えながら読んでみると興味が尽きない内容となっている。

 私自身も、ひたすら真の犯人は? とか、法廷における賛否は? とか考えながら読んでいたものの、結局のところ答えが出ないまま物語は真相へと突入していくこととなっていった。

 やはり本書の一番興味深いところは事件の真相は? ということなのだが、重要なことは決してそれだけでなく、全編にわたって交錯する弁護人、検察側、容疑者、加害者の関係者らの感情の描写も見所となっている。

 さらには本書に触れることによって、裁判というものの理不尽さや、裁判の一連の手続きにまつわる不快感などとそういったさまざまな要素についてもリアリティを持って感じることができるようになっている。

 本書はミステリ小説、法廷小説としての楽しみを味わえるだけではなく、陪審員に備えるための心得の一冊というものにも成りえる作品であろう。一度法廷小説を読んでみたいという人には格好の入門書といえよう。


ダーク・レディ   7点

1999年 出版
2004年09月 新潮社 新潮文庫(上下)

<内容>
 中西部の都市スティールトンでは、球場を建設するという大プロジェクトを巡って、賛成派の現職市長と反対派の郡知事アーサー・ブライトによって、熾烈な市長選が繰り広げられていた。そんなときにブライトの支援者のひとりであったジャック・ノヴァクが変死体として発見される。その死体の状況はスキャンダルとなりかねないものであり、市長選においてブライトは苦戦を強いられることが予想されることに。ブライトから命じられた検事補のステラ・マーズは元の恋人であったジャック・ノヴァクの事件の真相を究明しようと捜査にのりだす。事件を調べていくうちにステラはスティールトンで暗躍する麻薬組織や球場を巡る汚職を目の当たりにすることとなり・・・・・・

<感想>
 今まで読んできたパタースンの作品といえば、リーガル・サスペンスばかりであったので、それとは違う本書の内容に驚かされる。雰囲気としては、今までの作品と変わらないのだが、今作では政治と金を扱った濃い内容の小説になっている。

 事件は球場建設を巡って市長選が激化する中で現職市長に対抗しようとするアーサー・ブライトの支援者が殺害されるというもの。主人公のステラ・マーズはブライトから目をかけられており、自分の野心のためにもこの事件をブライトに対する市民の印象が悪くならないように解決を図ろうと考えてゆく。ただし、事件は思いもよらない方向へと徐々に広がってゆくことになる。

 今までのパタースンの作品と比べれば格段に内容が難しい作品といえるであろう。野心的な検察局の人物達、球場を建てようとする計画に全てをかける者達、その都市のなかで麻薬を扱うことによってなり上がって行く者達。そういった全てが事件に関係してゆくことになる・・・・・・というよりも、そういう背景が発端で起きた事件のひとつが浮き彫りになったと言ったほうがよいであろう。

 そうした政治と金の裏側を主人公のステラがさまよいながらも、利権とは別にあくまでも事件としての真相へと迫り行かんとする様相もまた圧巻である。

 さらに本書は、この大都市という背景の中で生き抜く人々・家族というものにもスポットが当てられている。当然のことながらステラ・マーズの人生にもスポットがあてられており、かつて栄えていながらも衰退の道を歩みつつあるスティールトンという都市のなかで登りつめようとする様がその家族を通して描かれている。

 少々内容的にも難しいところはあれど、読み応えのある作品であることは確か。大人が読むための社会派ミステリとして大いに推奨したいところである。

 そういえばパタースンの未訳作品はまだ何冊かあるはずなのに、この「ダーク・レディ」以降訳されていないのは何故なのだろう?


野望への階段   

2007年 出版
2009年01月 PHP研究所 単行本

<内容>
 かつて湾岸戦争時にパイロットして活躍し、英雄と呼ばれることとなったコーリー・グレイス。その後、彼は上院議員となり、さらに共和党からの大統領候補と目されるまでになる。実際に、大統領候補として名乗りをあげるグレイスであったが、他の候補者と戦うために、スキャンダルや政治駆け引きなど、さまざまな事態に直面することとなり・・・・・・

<感想>
 久々のノース・パタースンの新刊。本国ではベストセラー作家であるが、日本ではいまいち人気がないのか、それとも訳が遅れているだけなのか、ここ最近なかなか新刊が訳されない。4年以上の月日が経って、「ダーク・レディ」以来の新刊として登場したのがこの「野望への階段」。とはいっても、アメリカではパタースンの新刊は色々出ているようで、そうした中この本が出版されたのは大統領選で盛り上がったからなのであろうと容易に推測できる。

 というわけで、この作品はミステリ的な要素はあまりなく、フィクションながらまるで実際の選挙戦をドキュメンタリーとして描いたような内容となっている。よって、物語として楽しむというよりも、アメリカ選挙戦がどのようななかで行われているかという事例のひとつとして読むべき作品である。

 日本国内での選挙戦とは方法も背景もまた異なるものとなっており、さまざまな人種間のなかで何を主張すべきかということが、いかに複雑であるかがうかがい知れる。ただ、そうしたなかで、この作品の主人公であるコーリー・グレイスのような人物が実はアメリカでの理想の大統領像なのではないかとも受け取ることができる。どのような人物かといえば、破天荒ながら、他からの卑劣な攻撃に屈せず、実力行使ができる強い人物。つまりは、昔ながらの西部劇でよく見るようなカーボーイ的なキャラクターこそがアメリカを代表するわかりやすい人物像なのではないだろうか。

 と、いいつつもこの作品の主人公のコーリー・グレイスのような人物が本当に大統領にふさわしいかというと微妙と感じられないこともない。なんとなく国家業務よりも己の正義のほうを優先させてしまいそうな気がしてならないのだが・・・・・・




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