Jim Thompson  作品別 内容・感想

取るに足りない殺人   6点

1949年 出版
2003年09月 扶桑社 単行本

<内容>
 映画館を経営していた年上の女と結婚したジョー。そのジョーの手腕もあって映画館は町でそれなりの成功を収めている。しかし、妻が新しい家政婦を連れてきたときから、ジョーの人生は狂い始めることに。大手の映画会社に自分の映画館が乗っ取られようとするとき、ジョーはある計画に従って動き始めるのだが・・・・・・

<感想>
 結構あっさりしているなと思われたのもそのはず、本書はトンプソンの初期の作品であり、最初に書き上げたノワール作品といってもよい位置付けの本だそうだ。これぞトンプソンの原点というべき作品なのであろう。

 これ以降のトンプソンの作品といえば、感情と狂気のみでぐいぐいと押していく作風という気がするのだが、本書では逆にもう少し物語り自体が練られている。特に映画館にまつわる互いのだましあいの場面については面白く読むことができた。ただし、その場面が引き伸ばされることはなく、あっさり終わってしまったのには少々物足りなく思えた。よって、以降の作品では(全て読んでいるわけではないのだが)逆に、ちょっとした小手先の業などは使わずに感情面だけで暴走しきることに終始する作風へと移り変わって行ったのではなかろうか。とはいえ、ひょっとしたらマネーゲームに終始するような作品もあるのかもしれないので、その辺はこれから色々と読んで確かめてみたいところである。

 本書はこういったトンプソンの作品の移り変わりを理解するうえでは決して外せないものであろう。


内なる殺人者   6点

1952年 出版
2001年02月 河出書房新社 単行本

<内容>
 保安官補ルー・フォード、幼い頃に一度起きた狂気の衝動。もはやそれは眠ったままと思っていたが、ふつふつと彼の中で目覚めを待っていた。そしてある売春婦との出会いから彼の中の狂気が目覚め始め、ルー自身を狂気の淵へと駆りたててゆくことに・・・・・・街のすべてを巻き込みながら

<感想>
 ポップ1280を読んだ後に本書を手にとったのだが、驚くほど内容が似ている。両方とも保安官補が出てくるのだが、異なるのはその狂気に駆り立てる部分の根本がことなるようである。本作における狂気は幼少時代の出来事が主となっている。かつそれが題名となり「内なる殺人者」となっているが、それならば、「ポップ1280」は外側からの殺人者、もしくは殺人者降臨というようなところか。


残酷な夜   5点

1953年 出版
2000年04月 扶桑社 単行本

<内容>
 田舎町に突然現われた青年、カール・ビゲロウ。彼は大学の聴講生になるために、あえて値段の低い下宿先を選んだという。しかし、その下宿先の宿主が曰く付きの人物で、さる出来事から殺し屋の影におびえ、酒びたりになっているのだという。そんななか、カール・ビゲロウの奇妙な下宿生活が始まるのだが・・・・・・

<感想>
 トンプスンの作品で長らく積読になっていた作品であるのだが、今月にこの作品の文庫版が出てしまうということで、これを機に慌てて読んでみたしだいである。

 読んでみての感想はというと、とにかく歪な作品だとしかいいようがない。カール・ビゲロウというこれまた変わった青年が町に現われるも、どうやら秘められた目的を持ってきたことがうかがわれる。そこで、プロフェッショナルに事を運んでゆくのかと思いきや、なんともことの運び方が無様なのである。もっとプロフェッショナルな展開を期待していたので、そこのところは期待はずれであった。

 そして、他の登場人物たちも何を考えているのか、いまいちよくわからない歪な人たちばかりで、そういったなかで明確な目的があるにもかかわらず横道にそれっぱなしの展開で話が進められてゆく。

 トンプスンが描くノワール作品には色々な種類があるのだが、これもまた他とは一線を画するできばえになっている。ただし、それが良いのか悪いのか、決して万人向きとは言えない作品なので評価に困ってしまう。あまり一般にお薦めできる作品ではないが、感じの良い小説に飽きたという人は、たまにはこんな本を読んでみてはいかがか。


死ぬほどいい女   6点

1954年 出版
2002年03月 扶桑社 単行本

<内容>
 訪問販売員のフランク・ディロン、通称ドリーは代金未払いの客を捜しに訪れた家で、強欲な老婆に遭遇する。ドリーはその老婆といっしょに暮らす女性モナを見た途端一目ぼれしてしまう。ドリーは彼女の悲惨な身の上話を聞き、彼女をつれて逃げることはできないかと考え始める。そしてドリーはある計画を練り始めるのだが・・・・・・

<感想>
 人には、何らかの事象によって人生が変わるという分岐点があるのではなかろうか。例を示せば、仕事であるとか、結婚、身の周りの人の死によるものとかさまざまであろう。そして人生が悪いほうに変わる事象を挙げるとするならば、ギャンブル、金、酒、女などといったところであろうか。本書においてはタイトルどおり女によって転落していく男の様子が綴られている。

 普通。あまりにも普通に感じられる転落人生。気が弱く、仕事もうまくいかない男がとある女に出会ったことから起こす犯罪劇。この主人公がかんじんなところで、今一歩踏み切れない様子には同情さえも感じられる。そしてその発端となる女のほうにも特に悪意があるというわけではないところがさらに哀れみを誘うのである。そして男が女を自分のものにするために行った犯行の行く末は・・・・・・

 なんといってもこの物語で味を出しているのはラストにおける結末であろう。そこにはたっぷりと皮肉がこめられているようでもあり、主人公と共に涙を流しながら馬鹿笑いをしたくなってしまう。そして主人公が辿り行く普通のありふれた結末。なんとも悲しく、なんとも寂しいような夢も希望もない道程。人の人生なんてこんなもんだろうかと思わず周りを見回したくなってしまう。


失われた男   6点

1954年 出版
2006年06月 扶桑社 扶桑社文庫

<内容>
 町の新聞社に勤めるブラウン。ある日、彼が住む町に家を出て娼婦となった妻が突如舞い戻ってきた。そのことを聞きつけ、心中おだやかではなくなったブラウン。彼は計画を練りつつ妻に会い、そして・・・・・・。その後、ブラウンの周囲で起こることに対して、彼は何故か犯罪により全ての片を付けていく。そしてブラウンがたどり着く先は・・・・・・

<感想>
 この作品を最初読み始めたときは、かなり奇妙な話であると感じられた。何が奇妙かといえば、主人公の行動の元となっているものが読めなかったからである。

 本書はノワール作品といってよい内容であると思う。通常ノワール作品といえば、何かに憑かれた主人公がどんどんと堕ちゆく道へとひた走り続けるというような内容のもの。ただし、その行動に基づくものにはだいたいお決まりのパターンがあり、そのほとんどが“金”か“女”である。ところが本書での主人公の行動原理はそれに当てはまらない。決して金のようには思えないし、女がらみではあるのだが欲望に取り付かれているようにも思えない。

 という妙な違和感を抱えながら主人公が次々と犯罪を犯していく様が描かれてゆく。しかし、最後になりそれらの行動に対する元となるもの、さらには主人公自身の基盤をも揺るがされるような事実が明らかにされる。そして読んでいるほうは、そこでようやく納得がいくとういわけである。

 今まで読んできたトンプソンの作品とは似ているようで異なる作品と感じられた。これは単なるノワール色の濃いだけの作品というわけではなく、ある種のミステリ色も付け加えられた作品となっている。本書を読んで“失われた男”というタイトルが意味するものを存分に感じ取ってもらいたい。


深夜のベルボーイ   6点

1954年 出版
2003年03月 扶桑社 単行本

<内容>
 その青年ダスティは母親はすでに亡くなっており、失業中の父親をかかえ、ホテルで夜勤の仕事についている。ダスティは以前は大学に通っていたのだが、父がある事件によって失業したことにより大学を辞めざるをえなくなってしまった。いつかは復学したいと思いながらもずるずると仕事をこなしていく毎日であった。
 ある日ダスティがいつもと変わらず仕事をしているとき、その女は現われた! 彼の運命を変えるべき女性に会ったのだ。そしてその時から彼の運命はこれまでの生活とは異なるものへと突き進んでいくのであった・・・・・・

<感想>
 この作品では落ちゆく男の様子が描かれている。そしてその落とし方というのがなかなか絶妙。基本的には巻き込まれ型といっていい展開である。主人公の青年はあれやこれやと考える間もなく、唐突に事件に巻き込まれていく。そしてこの青年がある種の後ろめたい部分を持っているがために、どっちつかずのような態度を終始とることとなる。それがゆえに、少しずつ蟻地獄の中心へと引き込まれるかのように落ちていく。そのたずなさばきが絶妙な一冊である。

 本書は特に強烈に引き込まれるとかそういった類のものではない。しかしノワールという展開が限られるかのようなジャンルにおいて、この作品はまた変わったパターンの一つを見せてくれる。多彩なトンプソンの手腕にまたもや感心させられる一冊。


アフター・ダーク   6点

1955年 出版
2001年10月 扶桑社 単行本

<内容>
 ふらりと街へやってきた男、ビル・コリンズ。実は、かつて一世を風靡したボクサーだったが、いまはわけあって街から街へと放浪の生活をつづけている。しかし、立ち寄ったバーで、魅力的な未亡人フェイと出会ってしまったことから、彼は危険な犯罪劇へ飲み込まれていく。心の暗黒をかかえ、逃れようとしてもフェイのもとにもどってしまうビルは、子供の誘拐という卑劣な犯罪に関与せざるをえなくなる。のっぴきならない状況に陥った彼には、それでも、運命の女性と子供とを救う、究極の一手があった!!

<感想>
「ポップ1280」、「内なる殺人者」に続いて読むことになった本書であるが、これもいわゆるノワールといわれるジャンルにあたるのだろう。しかし、ノワールというとだいたいパターンや先行きが見えてしまい、マンネリになりがちかと思いきや本書はまたちょっと異なるパターンから描かれている。

 たいがいがこういった本においては周りを省みずにがむしゃらに突き進んでしまうタイプが多いものの、本書の主人公は明らかに自分の中の狂気というものを認めていて自問自答しながら彷徨いつづけている。その先には絶望しかないとわかっていながらも、他に選択肢はないかのように暗黒の底へと自ら歩みつづける状景には鬼気迫るものがる。

 ジェットコースターのように落ちるのではなく、羽毛がゆっくりと徐々に床へと達するかのように落ちていく、本書はそんな小説である。


荒涼の町   7点

1957年 出版
2007年03月 扶桑社 扶桑社文庫

<内容>
 流れ者で、あちらこちらで問題を起こしてきた不運な男、バグズ・マッケナ。彼は何故かテキサスの田舎町の石油王に気に入られ、ホテルの警備主任としてやとわれる。バグズはある日、ホテルの支配人から会計係が不正を行っているという証拠を手に入れてくれないかと頼まれる。バグズは厄介ごとに巻き込まれる気はなかったものの、結局はその事件の渦中へと入り込み、やがてはその事件をもとに恐喝されるはめに・・・・・・そして保安官のルー・フォードという男に目を付けられてしまうのであったが・・・・・

<感想>
 トンプスンの小説というと、不安定な人格の人物が登場し、それらが不安定な物語を作っていくという印象を持っている。その登場人物たちは決して型にはまらず、こちらが予想するような普通の行動をとることなく、まさかと思うような行動を取ったり、またはあえて泥沼に踏み込むような行動をとって事態をさらにややこしくさせてゆく。

 そんな行動をとる代表的な人物といえる者が本書の主人公であるバグズ・マッケナ。彼は自分のそのような性癖を理解しており、今までの体験譚から自分はろくな目に会わないということがわかっていながらも、ずぶずぶと泥沼へとはまっていく人物なのである。

 トンプスンの小説ではただ単に男が落ちていく様相を描くといった小説が多い中で、本書ではその落ちていく人物を利用しようとする影の主役が存在する。それが保安官ルー・フォードという人物。あとがきを読むまで気がつかなかったのだが、なんとこのルー・フォードは「おれの中の殺し屋」で主人公を勤めていた人物。というわけで、本書では主人公という位置づけではないのだが、ルー・フォード再登場ということになるのである。そうした背景を知っておくと、さらに本書を読むのがおもしろくなることであろう。

 また、本書で驚かされたのが最終的にきっちりとしたミステリ的な結末が付けられていること。だいたいトンプスンの書く小説というのはノワール系の作品が多く、主人公が落ち続け、悪いほうへと向かい続けてフェイドアウトする結末という印象を持っている。それがこの作品では、思いの他きっちりとした終わり方がなされており、また違った意味で従来のトンプソンの小説とは驚かされる事になる。

 と、そんなわけで本書は意外と読み逃すのには惜しい小説ということができるので、ぜひとも一読してもらいたいものである。また、「おれの中の殺し屋」を読んだことがないという人には、こちらも名作といえる作品なので、一緒に読み通すことによって面白さが倍増すること間違いないであろう。入手しやすい今のうちに読んでおくのをお薦めしたい。


グリフターズ   5点

1963年 出版
2006年07月 扶桑社 扶桑社文庫

<内容>
 人を騙し、小金を巻き上げる事で生活を続ける詐欺師のロイ。ある日、人を騙すのに失敗し、殴られてしまい、病院行きとなる羽目に陥ってから彼の人生の全ては狂い始める。何年も会っていなかった美貌の母親リリイ、ロイの愛人のモイラ。3人が出会うことによって、運命は思いも寄らない方向へともつれて行き・・・・・・

<感想>
 最初は“詐欺師”が登場してくることにより、詐欺師の人生が面白おかしく語られる小説なのかと思ったのだが、読者の思う方向には決して行かない物語をつむぐことこそがトンプスン流のようである。

 そんなわけで、序盤はちょい役でしかないと思われたロイの母親のリリイとロイの愛人のモイラが物語が進むにつれて存在感を発揮し始めてゆく。ただし、それにより物語が面白いほうへ進んでいったと言う風には受け取れなかった。もう少し単純な面白おかしい話を期待していたにもかかわらず、難解(心情的に)ともいえるグロテスクな物語へと展開していってしまう。

 と、そんなわけでラストの展開には驚かされはしたものの、全体的にあまり楽しめたとはいい難い作品であった。とはいえ、こういう物語こそトンプスン流なのであろうなとも納得させられる作品でもある。


ポップ1280   7点

1964年 出版
2000年02月 扶桑社 単行本

<内容>
 ポッツヴィル、人口1280、保安官ニック・コーリーは心配事が多すぎて食事も睡眠も満足に取れない。考えに考えた結果、自分にはどうすればいいか皆目見当がつかない、という結論を得た。
 口うるさい妻、うすばかのその弟、秘密の愛人、昔の婚約者、保安官選挙・・・・・・だが目下の問題は、町の売春宿の悪党どもだ。何か思い切った手を打って、今の地位を安泰なものにしなければならない。なにしろ彼には、保安官という仕事しかできないのだから。

<感想>
 これはもうホラーといっていいだろう。きわめて現実的な反面、どこか道徳を欠いた感のある保安官ニック・コーリー。彼の存在がきわめて妙である。これが暴力をもって突き進む悪漢タイプの男ならばまだ納得できるのだが、ニックは臆病であるかのような部分を覗かしている。ある意味、けっして暴力的ではないのであるが自らが手をくださないわけでもない。行動が唐突かのようにみえて、どこか計算されている。この微妙なところに立ってふらふらしている男の存在は極めてホラーである。


鬼警部アイアンサイド   6点

1967年 出版
2005年05月 早川書房 ハヤカワミステリ1770

<内容>
 捜査中の事故によって下半身不随となり、車椅子に乗り捜査を行うサンフランシスコ市警察特別顧問のアイアンサイド。彼は、エド・ブラウン部長刑事、イヴ・フィットフィールド女性警官、そして助手のマーク・サンガーとチームを組み、数々の事件を解決してきた。そうしたなか、助手のマークがいざこざに巻き込まれ、喧嘩相手を殺害してしまい、窮地に立たされる。助手の無実を証明しようとアイアンサイドは捜査を行うものの・・・・・・

<感想>
 家にあった積読の1冊。わたしは知らなかったのだが、過去に日本でも放映された「鬼警部アイアンサイド」というドラマシリーズがあったようである。それをノベライズ化した作品となっている。

「鬼警部アイアンサイド」の存在自体を知らなかったため、トンプスンが書いているのだから非情の警部が活躍するような話かと想像していた。しかし、その中身は全く異なり、なんとなくアットホームな感じさえするものとなっている。車椅子に乗った警部アイアンサイドが仲間たちと協力して事件に解決するといいうシリーズらしい。この作品では、その仲間のうちのひとりが窮地に立たされ、アイアンサイドが他のメンバーらとともに仲間の無実を晴らすべく捜査をするというもの。

 読んでいてふと思ったのは、車椅子に乗って捜査しているという感覚が全く感じ取れなかったこと。これはドラマをノベライズ化したゆえのことかもしれないが、この作品のみ読むと車椅子で操作する警部という絵が全く浮かんでこなかった。

 ということが気になったものの、他に関してはテレビドラマシリーズの1つとしてうまくまとめられた作品ではないかと素直に感じられた。最初に出てきたきり、途中ではその存在を忘れていた“処刑人”とアイアンサイドとの最後の対決は、なかなか見ものであった。コメディタッチかつ、アクションサスペンスとしてなかなか良い味を出していると思われる。この作品の発展形がジェフリー・ディーヴァーのリンカーン・ライム・シリーズといったことになるのであろうかと、考えずにはいられなくなる。


この世界、そして花火   

1988年 出版
2009年04月 扶桑社 扶桑社文庫

<内容>
 「油田の風景」
 「酒びたりの自画像」
 「システムの欠陥」
 「四Cの住人」
 「永遠にふたりで」
 「深夜の薄明」
 「この世界、そして花火」

<感想>
 ジム・トンプスンの死後に発表された、初期の作品や未発表の原稿、中短編を集めた作品集となっている。ちなみに短編集という形で発表されたのはこれが初めてとのこと。

「酒びたりの自画像」ではトンプソンの半生が描かれている。どのようにしてアル中となり、どのようにして編集者としての仕事を続け、どのようにして作家になったのかがつづられている。そうして、さまざまな体験をしてきたなかでの一場面として描かれたのが「油田の風景」となるのであろう。

「システムの欠陥」「四Cの住人」「永遠にふたりで」はトンプスンにしては薄味のサスペンス・ミステリ作品。初期のころに書かれたものかと思いきや、1950年から60年にかけてと、作家として脂の乗り切った時期に書かれていたようにも思える。

 しかし、トンプスンの経歴を調べてみると、彼の代表作が書かれた時期、実際にはそれらの本は売れていなかったようである(死後にようやく評価されたとのこと)。そうしたなか、彼は映画の脚本とか短編とかさまざまなものを書かなければならない立場であったようだ。

「深夜の薄明」と「この世界、そして花火」はトンプスンらしい中編作品となっているが、「深夜の薄明」は未完成作品。また「この世界、そして花火」は生前には発表されなかった作品とのこと。実際に、生前短編集が出ていないことからもトンプスンが不遇の作家であったことがわかる。いや、不遇というよりも、その当時からすれば先鋭的すぎる内容であったということなのだろう。ジム・トンプスンは生まれてくるのが早過ぎた作家と言えるのかもしれない。




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