Trevanian  作品別 内容・感想

夢果つる街   7点

1976年 出版
1988年04月 角川書店 角川文庫

<内容>
 カナダのモントリオール市の一区画であり、移民が集う吹き溜まりの街“ザ・メイン”。その街では知らぬ者がいないラポワント警部補。妻は亡くなり、ひとりで暮らし、楽しみと言えば週に二回、決まった友人らと行うカードゲームのみ。彼はある晩、見知らぬ男の死体を発見する。この街をよく知るラポワントは、捜査を開始し、街のさまざまな人々から情報を集めてゆく。そんな彼に押し付けられた、新人刑事のガットマン、そして街で見かけて何故か家に連れ帰ってしまったマリー・ルイズ。いつもとは異なる状況ではあるが、ラポワントはいつものように街を練り歩き・・・・・・

<感想>
 再読となる作品。リアルタイムで読んだ作品ではなく、発表後10年以上経ってから読んだと思われる。ちなみにこの「夢果つる街」、「このミステリーがすごい!」が始まった88年版の海外ミステリ第1位に輝いた作品でもある。

 ミステリというよりは、ザ・メインという街に漂う退廃的な情緒と、ラポワントという老警官の人生を描いた物語。まさに“街”と”そこに生きる人”とを描き出した作品である。

 一応、その街で起きた刺殺事件を巡り、その事件を中心に描いているのでミステリとしても十分捉えられる内容。ただ、その結末についてはラポワント自身に強く降りかかってくるものであり、やはり単なる事件を描いた作品というものではなく、“その街に生きる人”というものに強くスポットが当てられることとなる。

 ここに登場するラポワントという警官、決してスーパーマンというような人物ではなく、普通の人と言えるであろう。ただ、その人が長きに渡りひとつの街に関わってきたことにより、その街に愛着を持ち、そして彼自身が街の一部となってしまったような人物なのである。そしてその街に長らく生き続けてきた男が、この物語の中で、周囲にあるものがさまざまな変化を遂げていくことを目の当たりにしていくこととなる。その変化についていけない“古き街”の象徴であるラポワントが、なんともいえぬ哀愁を誘うのである。

 個人的には、ラポワントのその後というか、続編のようなものが見たかったのであるが、そういったものを書かれることはなかったようである。それが残念という気持ちもあるのだが、この作品のみで終わっているゆえに、より強い哀愁を感じられるということも確かではある。


シブミ   7点

1979年 出版
1987年09月 早川書房 早川文庫NV(上下)

<内容>
 アラブ過激派を狙うユダヤ人報復グループの若者二人が、ローマ空港で虐殺された。指令を発したのはアラブ諸国と結んで石油利権を支配し、CIAをも傘下に収める巨大組織<マザー・カンバニイ>。だがグループの一人、ハンナがからくも生き延び、バスク地方に住む孤高の男に救いの手を求めた。ニコライ・ヘル、<シブミ>を体得した暗殺者に!
 1930年代の上海で少年期を送り、日本軍の将軍から<シブミ>の思想を学んだヘルは、かつてハンナのおじに受けた恩義に報いるために<マザー・カンパニイ>から彼女の身を守ることを決意する。だが巨大組織の魔手はすでに彼の許に伸びていた。追撃を逃れるためにバスク山中に足を踏み入れたヘルとハンナを待ち受けるものは何か?
 日本の心を身につけた男の波瀾の半生と、巨大組織との死闘を描く冒険巨編。

<感想>
 一見、あやしげな日本の格闘術<シブミ>を身につけた男が組織相手に八面六臂、闘い狂う冒険活劇かと想像した。実際、読み進めると、怪しく思えた<シブミ>とは、まさしく<渋み>という日本語であり、格闘術ではなく日本の思想であった。そしてヘルは誇りと気品をたたえ世界の暗殺者という舞台へと進んで行く。

 この日本の書き方が、外国から見た誤った文化ではなく、きちんとそれらしくとらえているところには驚く。さらにその日本文化に対する考察も深く、自分なりの解釈のように打ち出しているところはすばらしい。作者は日本文化を研究する大学教授とかか?

 内容のほうは、きちんと日本の文化をとらえてくれるのはいいが、その分、解釈だの哲学的な考え方などといった部分にページが多く割かれたりする。純粋なアクションを期待するには少々まわりくどくもある。しかし、少年期から青年期へと覚醒して行くヘルの成長や、後半の洞窟での命がけのシーンなどと見所はたくさんある。

 ただ、大きな不満が一つある。それは、文庫では上、下巻になっているのだが、まさにこの中巻となるべき部分の話を書いてもらいたかった。少年期から青年期へ写る部分から、壮年期と暗殺者として活躍した部分は詳しくは書かれていないのである。この部分を書いてこそ、ニコライ・ヘルの一生となるのではないだろうか。残念ながら、作者が創作したにもかかわらず、ニコライ・ヘルは600ページぐらいでは書ききれる人物ではない。


バスク、真夏の死   6.5点

1983年 出版
1986年 角川書店 角川文庫

<内容>
 バスク地方の小さな町で医者の助手として働くこととなった青年医師ジャン・マルク・モンジャン。彼はある日、カーチャという娘と出会う。カーチャの双子の弟ポールが怪我をしたということでモンジャンは診察に出向き、彼らの家族と親しくなり、付き合いを始めることに。やがてカーチャと恋仲になるものの、何故かポールはその交際を強く反対し続け・・・・・・

<感想>
 感想を書いていなかったので再読した作品。ただ、内容を全く忘れていたので、新鮮な感じで読むことができた。ちなみにバスク地方とは、フランスとスペインの境界にまたがる地域とのこと。

 本書はミステリというよりは、メロドラマじみた内容の小説。主たる登場人物は青年医師モンジャンと彼と恋仲となるカーチャ、そしてカーチャの双子の弟ポールの3人。他に登場するのはモンジャンの上司にあたる医師と双子の父親くらい。そのような限られた登場人物のなかで物語は展開されてゆく。モンジャンとカーチャの仲が進み続けるも、何故かポールはそれを頑なに阻止しようとする。という感じで、恋愛と不和の様子が描かれていく。

 正直なところ読んでいる最中はミステリとはいいがたいゆえに、つまらないと思っていたのだが、最後まで読むとなんとも凄まじい小説であったと感じずにはいられなかった。結末にはある程度予想をつけていたのだが、その予想を上回るようなカタストロフィが待ち受けている。読了後に、他の小説では味わえないような妙に強い余韻が残り続ける。


ワイオミングの惨劇   6.5点

1998年 出版
2004年06月 新潮社 新潮文庫

<内容>
 さびれた鉱山町にふらりと一人の若者が訪れた。若者はその鉱山町で暮らそうというのか、町の人々に頼み込んで数々のちょっとした仕事を手伝うことに。そして若者が徐々に村に人々になれ始めた頃、その小さな町に刑務所から脱走した3人の凶悪犯がやってきて、町はパニックになる。

<感想>
 プロンジーニの「雪に閉ざされた村」を思い起こすような内容の本。パニック・サスペンスとでもいいたいところなのだが、トレヴェニアンが描く本書はそれだけでは納まらない内容になっている。

 序盤のほうは一見、文学作品であるかの内容。最初は一人の青年がさびれた町にて、人々に認めてもらい、町の住人にならんとしてゆく様子が描かれてゆく。この青年がまた変った人物であり、正直者なのか単なる嘘つきなのかがわからない。そうこうしているうちに、今度は町に凶悪犯がやって来て、物語は一変して陰惨な舞台が幕をあける。

 凶悪犯たちは何をせんとしているのか。また村の人たちは、その彼らに対してどういう反応をするのか。さらにまたそのなかで青年がなす役割とはなんなのか。先行きはいったいどうなるのだろうかということが気になって、ページをめくる手を休めることができず、あっという間に結末まで一気に読んでしまった。そのショッキングといえる内容にもかかわらず、不思議と終始落ち着いた雰囲気があるという変った作品であった。

 また、本書はその山場が終わった後の後日譚が詳しく述べられてる。最後まで読むと、本書は誰かが主人公というよりは一つの町の盛衰、またそれだけに留まらず、時の流れそのものを書き写した1冊のドキュメントというように思えてくる。最後の最後まで凝った構成がなされた味わい深い本といえよう。


パールストリートのクレイジー女たち   

2005年 出版
2015年04月 ホーム社 単行本

<内容>
 1936年、6歳のジャンは母と妹と共にノースパールストリートへとやってきた。別居している父親が家族共に住もうということで、ここに家を借りたのである。アイルランド人区画のスラム街であるパールストリート、そこに住むクレイジーな女たち、そんな環境のなかで新たな生活が始まったのだが・・・・・・

<感想>
 アメリカで戦争が始まろうとする中、スラム街に引っ越してきた家族の様子が描かれた8年間。パールストリートでの物語・・・・・・ということなのだが、はっきり言ってつまらなかった。自伝小説だからつまらないかと思いきや、前書きにはフィクションというように書かれている。これがフィクションであるならば、物語としてあまりにもつまらないのではないだろうか。

“クレイジー女たち”とタイトルに書かれている割には、そのクレイジーな女自体がほとんど出てきていない。物語は、ジャンという少年が見たもの、体験したものが主として語られている。ジャンがパールストリートで生きるうえで、いろいろなことを体験するのであるが、そのエピソードのほとんどが印象に残らず、つまらないものばかり。というか、書き方が平凡なのだろうか? どうも、ごく普通の生活が淡々と綴られているだけという感じであった。

 唯一感銘を受けたエピソードは、ジャンと教師ミス・コックスとの邂逅であるが、あまりにも現実的で残酷な終結がなされており、そこから話が広がることはなかった。この例のように、華々しい話がなく、失敗エピソードの繰り返しのなかで、苦しい生活が続いていくという流れ。トレヴェニアンの小説という事で、ミステリ色を多少なりとも期待していただけに、あまりにも普通小説すぎてがっかりしてしまった。




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