<内容>
1945年8月15日、玉音放送が鳴り響く中、女の死体が発見される。その1年後に発見される、さらなる女の死体。三波警部補は1年前の事件に引き続き、こちらの事件も担当することに。捜査線上に上ってきた小平という男。その男の逮捕により次々と明らかになる事件の奥行。三波は小平が犯した事件の全てを裏付けようと奔走するのであるが、己の抱える問題に押しつぶされそうになり・・・・・・
<感想>
外国人が書いたとは思えない、戦後の日本を描いた警察小説。エルロイと高村薫を合わせたような作風。決して読みやすいとは言えない作調で、クセがあり過ぎるが、独特の歪み切った雰囲気を感じ取れるのは確か。
個人的には、このデイヴィッド・ピースという作家については最初の作品である「1974 ジョーカー」を読み、合わないなと感じてしまった。ただ、この「TOKYO YEAR ZERO」という作品が「このミス」に取り上げられていたので、文庫になるのを待ち、読んだ次第である。
内容は戦後に起きた“小平事件”というものを取り上げたもの。そこに戦後の様相を描き、警察組織や、日本の暗部に踏み込んだ物語となっている。“小平事件”というものを描いたとはいえ、それについてはあまり感情移入できなかった。実際、あくまでも取り上げただけという感じであり、その犯人の情操に踏み込むというものではない。どちらかといえば、ひたすら主人公である三波警部補の心情に迫っていたという感じであった。そして、三波警部補抱える暗部とはいったい! というところが、この物語の核であったかのように、驚愕の真相が待ち受けることとなる。
実際に読んでみて、もろ手をあげて面白かったとは決して言えないが、なんとなく気になる作品となったことは確かである。できれば、もう少し肝心の“小平事件”のほうを取り上げてもらいたかったところ。ただ、この作品を読んだことにより「TOKYO YEAR ZEROU」のほうも気になってきた。文庫化されたら、さっそく購入するとしよう。
<内容>
ギャングの一員であるロイ・ケネディは、医者から肺がんを宣告される。そんな折に、ボスから命じられた仕事を行うと、裏切りに遭うものの、相手を返り討ちにし、なんとか生き延びる。そのときに道連れとなった少女を連れて、ロイは逃亡の旅に出ることとなるのだが・・・・・・
<感想>
ノワール風のロードノベル。肺がんを宣告された中年のギャングの男。組織から依頼された仕事の最中、裏切りにあり、危うく死亡しかける。しかし、なんとか生き延び、さらにおまけとして一人の少女を助ける羽目となってしまう。組織から狙われていることを知った男は、少女を連れて過去の想い出の地へと逃亡する。
なんとなく良い話のような、結局はそうではないような。今まで散々悪いことをしてきた男がそこで良いことをしようとしても結局はうまくいかないということを告げようとしているような話。それでも決してありきたりなストーリーではなく、読む側を飽きさせない展開となっているので、最後まで内容に惹かれて読み切ってしまう小説であることは確か。ちょっぴり印象に残るノワール作品。
<内容>
ナチによるユダヤ人大量虐殺の首謀者で責任者であったラインハルト・ハイドリヒ。チェコがナチスに占領され、その総督としてハイドリヒが就任した際、亡命したチェコ政府はハイドリヒの暗殺を計画する。チェコに送り込まれた二人の青年パラシュート部隊員は、周囲の協力を得て暗殺計画を実行するのであったが・・・・・・
絶賛され、数々の賞を受賞したノンフィクション小説。
<感想>
海外でも異例のノンフィクション小説として有名になった作品のよう。日本でも、2013年に出版されたときには、それなりに話題となり、各種ランキングなどにも掲載されていた。内容は、ナチスドイツが台頭しつつある世界の中で、着実に出世していくハイドリヒの様子と、彼を暗殺しようとするチェコの兵士たちの史実を描いたもの。
本書の特徴としては、著者であるローラン・ビネの視点から語られる物語となっており、著者の意見や感想などが頻繁に繰り返されるというもの。個人的には、こういった形式の歴史小説というのは好みではない。以前に読んだ日本の歴史小説で、「ここの事象はこういった事実があるからこうなのだ」という具合に、事細かに、まるでクレーム対応するかのごとく、ことあるごとに注釈をはさんでくる作品があった。小説なら小説らしく、勢いをとめるようなことはせずに、説明したいことがあるなら、注釈をつけるなり、巻末でまとめるなりしてほしいと思ったものだ。
この「HHhH」もそれに似たような感じで、ことあるごとに著者視点の意見をはさんでくる。それが単に、歴史的事象の検証かというと、それのみではなく、なんとなく著者自身が物語のなかに入り込み、登場人物らと共に事を起こしたかったのではとさえ感じられてしまう。ただ、これを否定してしまうと、この作品の特色が薄れてしまうので困ったところ。普通の歴史的事象を描いた小説にしてしまったら、これほどまでに話題にはならなかったであろう。
ただ、小説としても十分に見どころはあり、ハイドリヒの暗殺計画から、その計画後に起きた事象などが描かれた後半については一気読みさせられてしまうくらい物語に惹きこまれてしまった。第二次世界大戦中にこのような事件が起きていたという事を知ることができただけでも、十分に価値がある作品だと言えよう。
<内容>
15歳の黒人少年イーストは街の麻薬斡旋所の見張りを務めることで収入を得ていた。ある日、斡旋所が警察の手入れを受け、仕事がなくなることに。そしてイーストはボスから新たな任務を命じられることとなる。それは三人の仲間と共に、2000マイル離れたウィスコンシン州へ行き、指定した人物を殺害するというもの。イーストは、お目付け役のマイケル、コンピューターに強いウォルター、そして組織の殺し屋でありイーストの弟でえあるタイと4人で車で現地へと向かうこととなり・・・・・・
<感想>
今年の話題作のひとつをようやく年末ぎりぎりに読むことができた。内容は大雑把に言って黒人少年らのロードノベル。
読んでみてどうだったかというと、あまりこれといった印象は・・・・・・と。基本的にはロードノベルといっていいと思えるのだが、それ以外にも理解し合えない兄と弟の物語でもあり、犯罪小説でもある。さらには車での長い旅が気の合わない同士による不安定なものであるというのも大きな特徴といえるかもしれない。
と、読んでいる時はそんな大きな印象を受けなかったものの、よくよく考えてみれば、これは15歳の少年の話なのだなと今更ながら思い当たる。というのも、読んでいる時には大人びた雰囲気というか、小説だからというか、もっと20歳近い大人が語る物語のようにしか感じられないのである。これを15歳の少年の旅だということをしっかり念頭に置いて読み上げれば、2000マイルの旅路がはるかなものとなるのであろう。
何気に地域的なものや、人種的なものも話の内容に含まれていたような気もするので、全ての感情を理解するということはできなかったのだが、自分のいるべき場所を求めるような少年の心持ちには感じ入るものがあった。今まで離れたことのない街を離れ、旅をすることによって、少年は本当の孤独というものに気づいたのかもしれない。
<内容>
モネの“睡蓮”が書かれた場所として名をはせる村。その平和な村で、眼科医が殺害されるという事件が起きた。被害者は名うてのプレイボーイで結婚しているにも関わらず、数々の女と噂となっていた。そうしたなか、容疑者となったのは既婚者である美貌の女教師。そして事件を担当するセレナック警部は女教師に一目ぼれしてしまい・・・・・・。村を徘徊する水車小屋に住む老女、たぐいまれな絵画の才能を持つ11歳の少女、そして事件の謎を解こうとする引退した元刑事、事件の行く末は!?
<感想>
年末のランキングにて話題になった作品。慌てて入手して、速攻で読んでみた。このミシェル・ビュッシという人、フランスの人気作家のようで、日本ではこれが邦訳2作目。1作目の「彼女のいない飛行機」もそれなりに話題になっていたようだが、そちらはチェックしきれていなかった。
本書は冒頭で「ある村に、三人の女がいた」から始まり、物語上重要となる、80歳を超えた老女、36歳の既婚の夫人、そして11歳の少女の存在が示唆される。その後、老女の視点を主として物語が流れて行くこととなる。そして平和な村で殺人事件が起き、三人の女がそれぞれ事件にどのように関わってくるかが語られてゆく。
趣向としては面白かったのだが、少々微妙に思えることもある。まずは、事件を担当する警部が容疑者に一目ぼれするなど、なんとも情けない。しかも肝心の捜査もおざなりであるのだが、そこは平和な片田舎の村ということもあり仕方のないことなのか。
また、肝心のこの作品全体に仕掛けられた、とある真相についても・・・・・・結構わかりやすかったかなと。さらに細かいことを言えば、読者に対してフェアであるか、という部分がかなりおざなりになっていたような。
ただ、この作品自体がゴリゴリの本格推理小説を楽しむという趣向ではなく、とある女性の人生に注目すべきものという感じなので、メロドラマ風の作品として楽しむべきものなのであろう。水車小屋のあるモネの睡蓮という作品が描かれたという村の情景と、メロドラマ風の雰囲気を堪能していただきたい。
<内容>
人気作家ピエール=イヴ・フランソワにより集められた作家志望の5人の女性たち。彼女たちとその付き添いで来た、参加者のひとりの娘マイマと、参加者のひとりの夫で警察関係者のヤン。計8名が“恐るべき太陽”荘にて、そのオーナーであるダナエの元で数日間を過ごすこととなる。その後、何故か作家のピエールが姿を消し、殺人事件が起きてしまうことに。誰が何のために事件を!? 外部の助けを待とうとする中、さらなる殺人事件が起き・・・・・・
<感想>
今年のミステリランキングを参考にして購入した作品。著者のミシェル・ビュッシの作品については、2017年にもランキングを参考に「黒い睡蓮」という作品を読んだことがある。フランスを代表するミステリ作家とのこと。
本書については、これはやられたとしか言いようがない。最後まで読み終えたのちには、これはうまく作り上げられたミステリであると感嘆するしかなかった。これは本当に今年読んでおいて良かったと思えた作品である。特にミステリファン必見の書と言っておきたい。
舞台は島の別荘であるのだが、完全に閉ざされた島というわけではなく、その点においてはやや中途半端な舞台設定という感じではあった。そこに集まった人気作家、そして作家志望の5人、その家族2名を合わせた8名が、タイトルにもなっている“恐るべき太陽”荘で過ごすというもの。その館で過ごす様子は、参加者の手記で表されており、そこに参加者の家族である子供のマイマや、憲兵隊員ヤンの視点もからめて物語が描かれてゆく。
舞台背景において、ただ単に作家志望のものが集められたというだけではなく、未だ行方知れずの連続殺人鬼の存在や、別荘をとりまく不思議な像の存在など、より不穏な雰囲気を醸し出している。そうした背景のなかで、「そして誰もいなくなった」ばりに、一人また一人と集められた人々が殺害されていく様子がサスペンスフルに描かれている。
最終的に明かされる真相はなかなかのものなので、未読の方は是非とも何の情報もなしにまっさらな状態で読んだほうがよいと思われる。今のところ、今年一番の海外ミステリお薦め作品である。
<内容>
「序文」 クリストファー・ゴールデン
「謝 辞」
「年刊ホラー傑作選」
「二十世紀の幽霊」
「ポップ・アート」
「蝗の歌をきくがよい」
「アブラハムの息子たち」
「うちよりここのほうが」
「黒電話」
「狭 殺」
「マント」
「末期の吐息」
「死 樹」
「寡婦の朝食」
「ボビー・コンロイ、死者の国より帰る」
「おとうさんの仮面」
「自発的入院」
「救われしもの」
「黒電話[削除部分]」
「収録作品についてのノート」
<感想>
昨年、話題になった作品。ホラー界の新人ジョー・ヒルによる作品集。実はスティーブン・キングの息子。
もしモダンホラー小説とは何か? と問われたら、とりあえずこの小説を読んでみてはいかがと薦めたくなる。それほどまでに、この作品集にはモダンホラーの全てが詰まっているのではないかと思わされてしまうほどのものである。
ホラーなどは安っぽい娯楽小説だと思っている人にも是非とも読んでもらいたい。どの作品も、文学的な筆力が感じられ、たんなる娯楽小説というレベルから抜け出たものとなっている。そこに、不安であったり、超自然であったりと、読む人を不思議な世界へと引き込む要素が盛り込まれているのである。
特に良いと思われた作品は、ひとつのホラー作品を巡って編集者が恐怖の世界を旅することとなる「年刊ホラー傑作選」、風船人との友情を描いた「ポップ・アート」、カフカ「変身」の現代版「蝗の歌をきくがよい」、誘拐された少年の心情を描く「黒電話」、知恵遅れの弟が作る不思議な創造物を描く「自発的入院」。
<内容>
イグネーシャスが二日酔いをかかえながら起きだすと、自分の頭に角が生えていることを発見する。しかもその角には、相手の秘められた思いが全てさらけ出されてしまうという恐るべき能力が秘められていた。イグネーシャスは自分の恋人が殺害され、その容疑が自分に向けられていることを知り、真犯人は誰なのかを探り出そうとするのであったが・・・・・・
<感想>
「20世紀の幽霊たち」がツボにはまったので、新作も読んでみたのだが、こちらは微妙と言ったところ。色々な意味で中途半端というように感じられた。
主人公自身が、結局のところどんな人間なのかがよくわからず、意志の強い人間なのか、優柔不断な人間なのかあいまい。そして、角が生えたことによる能力も万能なのか、そうでもないのかというところも微妙。結局はその能力をきちんと生かしきれなかったという感じ。
主人公の敵役のほうも、単なる悪人なのかと思いきや、人間らしさを見せたり、そこにページ数を思いっきりつかってみたりと、これもあいまい。さらには主人公の恋人のスタンスも微妙であり、最後の最後までその存在に振り回されたという思いが強い。
単なる復讐劇を人間味あふれるような感じを出したくなったゆえに、微妙になってしまったという印象。ホラー作品であるのならば、悪い方に突き抜けてしまったほうが良かったと思うのだが。
<内容>
ヴィクトリア・マックイーンは八歳のときに父からもらった自転車で、異界へ出入りすることができるようになり、失せ物探しなどが得意な子として知られるようになった。ただ、ヴィクトリアの家庭はうまくいっておらず、やさしい父親に対して、不平不満をしょっちゅう口にする母親。そんな母親に対して、父は徐々に家に寄り付かなくなる。そして、ヴィクトリアが17歳のとき、母親とうまくいかなくなり、家を飛び出す。そんなときに彼女は“NOS4A2”のナンバープレートを付けたロールスロイスに乗るチャーリー・マンクスに遭遇する。マンクスは連続児童誘拐犯であり、不思議な力を持つヴィクは長きにわたって、このマンクスと戦うこととなるのであった!!
<感想>
前作の「ホーンズ」に比べれば、話がわかりやすくてよかったかなと。“悪”と闘う女性の一代記、とも言えるような内容。
不思議な力をもった女の子が、やや複雑な家庭環境のなかで育ってゆく。そして、悪の化身ともいえるチャーリー・マンクスという存在に出会う。やがて彼女は自分の家族を巻き込んで、チャーリー・マンクスと命を争う戦いを強いられることとなる。
それなりにうまく出来たストーリーだと思われる。一般的な女性(あくまでもアメリカ人視点で)が、孤軍奮闘でわけのわからない存在と戦うことになるわけだが、葛藤しつつも自分の人生を受け入れ、悪に立ち向かっていくというスタンスが良いと感じられた。
ただ、全体的に粗も多いと思われる。分かりやすいストーリーゆえに、やや子供向けの小説というようにも捉えられた。さらには、悪の存在であるはずのチャーリー・マンクスが、実はそれほどたいしたことがないといったところも、やや興が覚めてしまう。もう少し、警察との関連をからめて、現実と虚構の違いという部分に力を入れたほうが、大人向けのモダンホラーというものになったのではなかろうか。
<内容>
かつてのロックスター、ジュード・コイン。ある日、ジュードは“幽霊の取り付いたスーツ”と命名されたものをネット・オークションで競り落とす。そして、それが届いたとき、不可思議な事が彼の身の回りで起き始める。さらには、不思議な事どころか、そのスーツに取り付いた幽霊に命を狙われることに。その幽霊は、かつてジュードが捨てた女の義理の父親だというのだが・・・・・・
<感想>
本書がジョー・ヒルの処女長編。既にジョー・ヒルの作品は数冊読んでいるのだが、このデビュー作を積読にしてしまい、今更ながらようやく読了。作品の感想はというと、なんとなくあいまいというか、まぁ、そんなもんかというような・・・・・・
年老いたロックスターが、昔付き合いながらも捨てた女の親族から復讐を受けるというもの。しかもその復讐が単なるものではなく、幽霊による復讐というなんとも、物凄い発想。その幽霊の襲撃から逃れつつ、さらには撃退せんと、ジュード・コインは現在の彼女であるメアリベスと共に愛犬を連れて、車による旅に出る。
話が進んで行き、全体的な背景がわかってくると、誰が悪いのかが段々と曖昧になってくる。さらには、ジュード・コインにそこまで執拗に復讐される理由があるのかと疑問にさえ思えてくる。そうしたところが、作品全体にあいまいな感触を受けてしまうのだが、そもそもホラー小説なんてそんなものなのかもしれない。理不尽な恐怖こそが、ホラーの醍醐味か??
この作品も含めてであるが、個人的にはジョー・ヒルの作品は長編だと微妙という感じ。短編作品の「20世紀の幽霊たち」は良かったので、今のところは短編作家という印象。長編を書くには、少々アイディアの盛り込みが足りないというように思えてならない。
<内容>
私立探偵・ドックの元を訪れてきたのは、昔の彼女であったシャスタ。彼女が付き合っている男が何らかの計画にはめられそうで命の危険が迫っているという。依頼を受けて調査を始めたドックであったが、突然暴動に巻き込まれ、ドックは死体と共に警察に発見されることとなり・・・・・・
<感想>
あなたは本屋で“トマス・ピンチョン全小説”を見かけたことがあるだろうか。大型のハードカバーで、ポップな表紙を付けて、所狭しと本棚に並べられている。興味はあったものの文学小説に興味がなかったのでスルーしていたが、そのなかに探偵小説らしきものがあり、なんとなく購入してみた。それがこの「LAヴァイス」という作品。
ただ、読んでみてちょっと後悔。というのも私が苦手と言うか嫌いな作調の小説であった。どんなものかといえば、よく近代のアメリカの文学風作品で目にするのだが、薬でラリった人間が、ラリったようなノリと共に、いかれた状態で闊歩してゆくという感じの作品。これがまた、まさしくこの作品にジャストフィットしているというありさま。
最初は主人公である私立探偵ドックも特にラリった様子はなかったものの、だんだんと怪しくなってゆく。さらには、著者も特に読者に対して事象を詳しく説明する気はないようで、何が起きているのかよくわからない。というか、そもそも最初の依頼からして何度か読んでみても理解できないという始末。主人公がノリと行動力で人々の間を駆け抜けていきながらも、何を捜査し何を解決しようとしているかよくわからないまま、警察を含めた陰謀のなかへと、ただまっしくぐらに突っ込んでゆく・・・・・・というような。
これがあくまでもアメリカ流のカルチャー小説であるのかなと。ただ、日本でこれを模したようなカルチャー小説を描いたとしても文化の違いからこのような形にはならないであろう。それゆえに、文化の違いからこうした作風を敬遠してしまうのか。それでもトマス・ピンチョンの小説では、この作品が一番取っ付きやすいというのだから、よっぽど私にはこの著者の作風が合っていないということなのであろう。とはいえ、内容に関係なく“トマス・ピンチョン全小説”を本棚に並べてみたいという欲求にかられる人は少なくないであろう。