<内容>
2014年、カリフォルニア州にある家の屋根裏から本と手紙の束が発見された。ひとつはウィリアム・ソーン名義でかかれたパルプ・スパイスリラー、手紙の束は編集者から作者にあてたもの、そしてもうひとつタクミ・サトー名義で書かれた“改訂版”という原稿。戦時中に書かれたこれらの作品に秘められた事実とは・・・・・・
<感想>
タクミ・サトー名義で作家デビューをしようとするものの、太平洋戦争が起き、世間では日系人に対する非難が巻き起こる。そうしたなか編集者のアドバイスによりウィリアム・ソーン名義としてのスパイ・スリラーに方針転換させられることとなる。そのウィリアム・ソーン名義の原稿と、編集者の手紙によるアドバイス、そしてタクミ・サトー名義で書かれた別の原稿。これら3つの文書が並行して披露されていく構成の物語。
メタ・ミステリっぽくて面白かったかなと。ミステリとしての真相云々というようなものはないのだが、3つの原稿や手紙に描かれていない事実を読み手側が連想していくことこそが本書の醍醐味であると思われる。戦争によって肩身の狭い思いをすることとなった日系人らの感情を、ひとつのミステリ作品の方向性の転換・編集というもので表しているところはなかなかの力技。本作品の内容云々よりも、構成が光る作品という感触。
<内容>
リアリティ番組のなかで“名探偵”として活躍する芸能人のモーガン・シェパード。彼はある日、ホテルのベッドで手錠につながれている状態で目を覚ますことに。さらには、そのホテルの客室のなかに、見知らぬ5人の男女がおり、バスルームには男の死体が! そして、備え付けのTVのなかから馬の面をかぶった者が現れ、3時間以内に死体を殺害した犯人を当ててみろとシェパードに要求する。3時間以内に犯人を見つけることができなければホテルを爆破すると・・・・・・
<感想>
タイトルに惹きつけられて購入したものの、今年一番のハズレ作品をひいてしまったような感触。映画「ソウ」まがいの、極めて残念なサスペンス・ミステリ。
何が残念かといえば、3時間以内に真相を推理せよ、と言われているにもかかわらず、一向に探偵らしく推理する気配がないところ。そのままグズグズで進行していくところはなんともなさけない。たぶん、この作品での“名探偵”という呼称は、皮肉でつけられたものであって、本当の意味の“名探偵”を表していないのであろうが、それでもひどい。
さらには、共感できない薬漬けの主人公、黒幕の計画性のなさ、陳腐な過去と逆恨み感が強い復讐の理由、その他もろもろ。そして何が一番なさけないかといえば、ラストの主人公と黒幕の対決のグズグズ感。その対決に至っては、情けなさ過ぎて涙が出てきそうになるくらい。
と、そんな妙なネタ満載なので、キワモノ系のミステリを読みたいという人は、手に取ってみてもよいのではなかろうか。内容を別とすれば、何気に読みやすい作品であったということは付け加えておきたい。
<内容>
私立探偵のマカニスは招待されて会員制の狩猟クラブを訪れた。そこに住む6人の家族たちが狩猟クラブの会員であり、現在クラグは存続問題で揉めていた。そうした中で起こる銃による殺人事件。その前に起きた自殺と思われる事件も、この殺人事件に関係しているのか? クラブの中で何が起きているのか? そして探偵が秘密裏に呼ばれた理由とは??
<感想>
タイトルに惹かれて買った作品であるのだが・・・・・・これは失敗。やけにもったいぶった言い回しで話が進められつつ、その中味は薄っぺらい。話の途中途中で、本格ミステリ談義のような挿話が入れられているものの、本書の内容には全くそぐわなかったような気がする。ゆえに、そういった挿話は単なるかさましとしか思えなかった。
一応は、構成上の工夫がなされている作品ではあるものの、どこか一本筋が通っていればいいものの、核心的な部分が見当たらず、結局読み終えても何も残らないというような感じであった。一番許せないのは、そういった微妙な作風であるにもかかわらず、古典ミステリ作品のネタバレを披露してしまっているところ。内容云々よりも、そのネタバレ故に、あまりお薦めしたくない作品である。
<内容>
革靴会社の重役ダグラス・キングは会社の乗っ取りを企てようとしていた。金を用意し、株の買収を進めようとしていたさなか、何者からか息子を誘拐したと電話で告げられる。キングが息子の様子を確かめてみると、なんと誘拐犯は息子ではなく、運転手の息子を間違えて誘拐していたのであった。身代金を払うと、会社の買収ができなくなり、自らの破産が待ち受けることに。キングは選択を迫られ・・・・・・
<感想>
エド・マクベインによる87分署シリーズの代表作ともいえる「キングの身代金」が新装版として刊行されたので、再読してみた。実は、このHPにあげていないものの、87分署シリーズはハヤカワ文庫版で全て読んでいる。マクベインの死によって、その後作品がでなくなってしまい、それ以後読んでいないのだが、ハヤカワミステリで刊行された分がハヤカワ文庫になっていないのもあり、それらを読めなかったのが心残りとなっている。
その代表作となるこの「キングの身代金」であるが、実は87分署シリーズの中では異色作となっている。というのもシリーズでは通常、刑事たちが主人公を務め、彼らが主軸となり物語が展開されていくのだが、本書では脇役にまわっている。ゆえに、この作品をシリーズの初めとして読む人にとっては、刑事たちの印象はほとんど残らないものとなるであろう。本書では、誘拐犯と交渉することになるダグラス・キングと誘拐犯らが主軸となって動く物語となっている。
この作品が有名作として残っているのは、実は映画の原作や、舞台化されているからである。そうした映像化などをしやすい作品と思われるのだが、個人的にはこの作品自体はあまり評価していない。というのは、全体的にグダグダというか、運転手の息子に対して身代金を払いたくない会社社長や、間違えた子どもを誘拐してきた誘拐犯らのいざこざが描かれる物語となっているからなのである。ゆえに、誘拐もののミステリだからと言って、計画的な犯罪模様を期待して読むとがっかりすることであろう。
終始、家族間でのごたごた、会社の社員同士のごたごた、誘拐犯たちのいざこざ、そういった要素のみで構成された作品という感じ。そうしたごたごたが、室内人場面で表されるので舞台化向きという趣があるようで、他の媒体に取りざたされているようである。ただ、誘拐ミステリとしては、残念な出来の作品という感じである。また、87分署シリーズとも異色となっているので、シリーズのファンとしてはなんとも言い難い作品なのである。
<内容>
エミール・デラコートは有名な奇術師であったが、脱出マジックに失敗して植物状態になってしまい、今では車椅子の上で身動きのできない状態でいる。その後、息子のマクシミリアンが彼の跡を継いで、有名な奇術師となったのだが、時を経ることによってマクシミリアンの腕も落ちつつあった。
そんなある日、マクシミリアンは妻がマネージャーと浮気をしている事を知り、自宅に仕掛けた舞台によって彼らを罠にかけようとするのであるが・・・・・・
<感想>
壮大なる悪ふざけにして、華麗なるバカミスが描かれている作品。
この作品を読んで、日本のいくつかの作品を思い起こすことができる。我孫子武丸の「探偵映画」、東野圭吾の「十字屋敷のピエロ」、恩田陸の「木曜組曲」。これらの共通点はというと、物語のほとんどが1つの部屋、もしくは1つの場面にて構成されているということ。本書では語り手が脳溢血で植物状態になった元奇術師ということで、視点を自ら動かすことができないまま、その場面をながめてゆくこととなるわけである。
そのような状態で、壮大なる悪ふざけが幕を開ける。ある種、どんでん返しといえないこともないのだが、トリックとか論理とかが介在するわけではなく、あくまでも“悪ふざけ”という表現がぴったりであるという気がする。その奇術師による、奇術師らしい悪ふざけがふんだんに繰り返され、どこからどこまでが真実で、何が虚飾なのかわからぬまま一気にラストまで駆け抜けていく。そして、そこでようやく誰がこの物語の全てを支配していたかが明かされることになるのだが、まぁ、それはここまできてしまえばもはやどうでもいいと(驚くべきところもあるのだが)思えなくもない。
本書の大きな特徴は、その悪ふざけをよくぞここまで続けたなという一点に尽きるであろう。正直なところ、文章で奇術のすばらしさを感じ取るのは難しいことであり、この作品の中でも技術的な奇術を見せ付けることができたとまでは言い難いのだが、その奇術に対する心意気は誰もが感じ取ることができたに違いない。
<内容>
精神を病んだため、病院に隔離されていた元ピアニストのヴィンスは脱走の機会をうかがっていた。愛するルースを取り戻し、彼からルースを奪った男に復讐するために。病院から逃亡を企て、成功したヴィンスの手によってひとつの部屋に集められた男女たちに一夜の悲劇が訪れる!
<感想>
前回読んだ「奇術師の密室」で気になる作家のひとりのなったマシスンであるが、今回翻訳された作品は前作とは打って変わってノンストップ・サイコ・スリラーとなっている。
この作品では一夜にして起こった出来事が、スピーディーに描かれている。病院から脱走してきた心を病んだピアニストが逆恨みによる復讐を遂げようとする作品。主人公は結末を予想させる暇もなく、周囲の人々を惨劇に巻き込みながらひたすら破滅への道へと進み続けてゆく。読んでいる途中で気になるところは、その復讐が成就されるのかどうかというところ。
本書に関しては「奇術師の密室」のような作品を期待して読むと、拍子抜けしてしまうかもしれない。まぁ、この作品単体であれば割りとありがちな内容のようにも思えるかもしれないので、無理に読まなくてもよい一冊であるかもしれない。しかしマシスンという作家、前作のような怪作を書き上げているという可能性もあるので、新しい作品が出たらとりあえず読まずにはいられないのが困ったところである。
<内容>
子供を生むことができないことから離婚され、心に傷を残したままひとりで暮らすティア・チャンドラ。友人からの勧めもあり、新聞の結婚募集欄“心の架け橋”に投書することを決める。そうして知り合った男性とティアは付き合うこととなり、いつしかティアはその男性に惹かれていく。しかし、そんななかティアは仕事上のトラブルを抱えていた。彼女は宝飾品の仲介業を行っていたのだが、ひとりの顧客が高価な宝石を抱えたまま、いっこうに金を払う気配がないのである。宝石の持ち主からは催促をされ、板挟みの状態となるティア。そして一つの殺人事件が起きることとなり・・・・・・
<感想>
本書は経歴不詳のインドネシアの女流作家が描いた作品。読んでみれば実際に女流作家らしい筆致を感じ取ることができる。作風に関しても大雑把に言えばクリスティー風といえ、取っ付きやすいサスペンス・ミステリ小説となっている。
本書で起きる事件と、それを取り巻く謎は結構複雑なものとなっている。宝石の仲介業者を営む独身女性。彼女が取引先とトラブルを抱えながらも、結婚募集欄に投書をし、そこに怪しげで魅力的な男性が現れる。ところどころにちょっとした謎や策略を感じさせつつ、やがて殺人事件へと発展してゆく。
と、事件が起きるところまではよいのだが、そこから捜査編と解決編へといたる中盤にきて、すぐに犯人の見当がついてしまうところが惜しまれる。事件が起こるまでは色々と話を捻っていたように思えるのだが、そこから先が単調すぎた感じがする。警察の捜査に関しても明らかにいただけない部分があったので、そうしたところもマイナスポイントか。
本書はシリーズものの一冊ということで、事件と並行して主人公となる警察官とその姪との恋愛話、家族話が盛り込まれている。ただ、この作品一冊を読むうえでは余計な話と感じられてしまう。とはいえ、こうした恋愛話の盛り込み方などが女流作家が描くミステリ作品だということを強く感じさせられた。
それなりに面白く読めはしたのだが、通俗のサスペンス・ミステリというものの域を超えるところはなかった作品。
<内容>
私はアルゼンチンからの留学生としてロンドンへと来ていた。順調な学校生活を送っている中、突然、下宿先の老女が何者かに殺害されるという事件が起き、偶然にも私はその事件の発見者になってしまう。その事件が起こる直前、高名な数学者であるセルダム教授のもとに殺人を予告するメモが届けられていたのだという。この事件を発端に、事態は連続殺人事件へと発展してゆくことに。私はセルダム教授と共に事件の謎を解こうとするのであったが・・・・・・
<感想>
この作品のタイトルを聞いて、この本にどのような印象を抱くだろうか。たぶん普通のミステリであろうというくらいしか、想像がつかないのではないだろうか。ところがどっこい、これが想像を上回る変わった本となっているのである。
個人的には「論理的殺人考査」とか「数学記号連続殺人」などといったタイトルのほうが、もっと注目されたのではないかと思わなくもない。
本書では最初に下宿をまかなう老女が殺害されるという事件が起こる。ここまでは普通のミステリであるのだが、ここからの展開が変わっているのである。高名な数学者のもとに送られてきた予告状とそこに書かれていた記号を元に主人公とセルダム教授は事件について語り合うこととなる。
その後、彼らは事件について語り合うのだが、何故か数学的論理的な知識を用いるのみで事件について語り明かすのである。普通のミステリのように、被害者がどうだとか、現場の状況はどうだとか、細かい現場状況の話などはほとんどなされない。本書のページのほとんどが、事件とは関係なさそうな知識によって埋め尽くされているのである。記号論、オッカムの剃刀、フェルマーの最終定理と数々の数学の挿話が出てくる中で、殺人事件は連続して起こり、それがいつしか解決に向かっていくという内容となっている。
では、それらの数学的な話が具体的に解決に結びついているのかというと、読み終わったあとに考えてみてもどうであったかなと首を傾げざるを得ない。だからといっても物語に全く関係ないというわけでもない。
結局のところ、変な展開のミステリを読まされてしまったなという気がしてならないのである。本書は奇書というには言いすぎかもしれないが、それに類するような作品といってよいであろう。ただし、物語の途上が奇異だからといって、決してあいまいな終わり方をしているわけではない。きちんとした結末が与えられ、最後まで読めば物語の全ての流れがきちんと理解されるようになっている。
と、まぁ、ちょっと変わった本であるが一見の価値はあると思えるので是非とも入手してもらいたい本である。文庫ゆえに絶版にもなりやすいと思うので手に入れられるうちに入手しておくべき本であると思える。
<内容>
推理作家である“私”のもとに一本の電話がかかってきた。電話の主は10年前に1度だけ口述筆記を依頼した事のあるタイピストのルシアナであった。彼女は元々有名作家であるクロステルのもとでタイピストの仕事をしていた。しかし、ある事件によってやめなければならないはめになったと言うのである。さらに彼女は自分は命を狙われていると語り始め・・・・・・
<感想>
この作品の前に紹介された「オックスフォード連続殺人」という作品も一筋縄ではいかないものであったが、こちらもそれに劣らず奇怪な内容の作品となっている。前作は本格ミステリと言えないこともなかったのだが、今作はサイコ・サスペンスというように位置づけたほうがよいような内容。
妄想で片付けるか、それとも計画的な復讐と見るか、そこが分かれ目となる。
作品の序盤ではルシアナという女性が大作家であるクロステルから命を狙われ、身の回りの人が次々と死を遂げているという話がなされてゆく。この話を聞いても、事件性があるようには感じられず、どう見ても妄想であるとしか考えられない。しかし、もう一方のクロステルから話を聞くと、こちらもまた信憑性があるように思えつつも、どこかまた胡散臭い。
そうして、最終的にこの話をどのようにとらえるべきか、判断が読者にゆだねられるかのような書き方がなされている。まるで長めのリドルストーリーを読まされたかのように。
個人的には、あくまでも小説であるがゆえに偶然の話とは考えず、長きにわたる復讐の話であると考えたい。ただ、そうすると真の動機について、クロステルが語る“彼”という存在が非常に胡散臭く見え始めてしまう。また、タイトルにある“緩慢な死”という言葉を考えると徐々に死に至りつつあるというように捉えることができ、超自然的なようでありながら、ごく自然的とも解釈することができる。
と、そんなわけで考えれば考えるほどわかりにくくなる作品である。とにかくギジェルモ・マルティネスが描く作品は一筋縄ではいかない。
<内容>
アルゼンチンからオクスフォードに留学している“私”は、数学者であるセルダム教授から、とある筆跡鑑定の依頼を受けることとなる。その筆跡は、ルイス・キャロルの日記にまつわるもので、もしこれが本人の筆跡だとわかれば、ルイス・キャロルに関する新事実を証明できるかもしれないという。セルダム教授も参加しているルイス・キャロル同胞団で、ルイス・キャロルに関する最新本を出版しようとしていたタイミングで、研究助手をしていた女学生がその切れ端を見つけたのだと。その切れ端の内容を同胞団の前で披露しようとしていた矢先、女学生はひき逃げにより重傷を負うことに。その後、同胞団を巡る殺人事件が連続して起きることとなり・・・・・・
<感想>
ギジェルモ・マルティネスというと、「オックスフォード殺人事件」の邦訳が2006年、その後「ルシアナ・Bの緩慢なる死」が2009年に訳されている。それ以来の日本での紹介となる作品。本書は「オックスフォード殺人事件」に登場したワトソン役の“私”と探偵役のセルダム教授が組んでの続編という位置づけ。とはいえ、前作を読んでいなくても本書は充分に楽しめるものとなっている。
序盤はちょっとじれったいと感じられる展開。ひとりの女学生が、ルイス・キャロルに関する重要な紙片を手に入れたものの、自分の手柄にしたいと考え、その内容を誰にも明かさない。皆の前でそれを披露しようとした矢先に、ひき逃げにあって重傷を負い、その内容が明かされるのはさらに先送りにされることとなる。そんな感じで、その紙片には何が書かれていたのか、ということをどんどんと先送りにされ、その行為がどうにもじれったいと感じてならなかった。
ただ、その紙片と存在とひき逃げ事故、それを気に、別の殺人事件が起きることにより、事態は一変することとなる。紙片を巡っての殺人事件なのか? 誰が何のために事件を起こしているのか? その紙片はそこまで重要なものであるのか? そういった謎を抱えたまま終盤へともつれこんでゆく。
そして最後にセルダム教授により真相が明かされることとなるのだが、これがうまく事件を解き明かしていると感心させられるものとなっている。論理的というよりは、うまくつじつまを合わせてというような感じではあるが、それでもうまく事件を解き明かしていると感じられた。それら真相により、一連の話がうまく結び合わされ、物語自体に深みを増していると感じられるようなものであった。また、事の真相は最後の最後まで予断を許さないようなものとなっていて、最後まで読み終えると、事の真相はよりいっそう深みを増すものとなっている。
<内容>
ノースカロライナ州にて弁護士を務めるデボラ・ノットは理不尽な裁判を目の当たりにしたことから、地方裁判所判事に立候補することに。さっそく選挙戦に挑もうと準備する中、昔デボラがベビーシッターをしていたゲイル・ホワイトヘッドから頼みごとをされてしまう。18年前、ゲイルとその母親が行方不明となり、その後死亡した母親とそのそばで泣いていた赤ん坊のゲイルが発見されたのだ。その事件の犯人は捕まっておらず、18歳になった今、ゲイルは事件の真相が知りたいと言い出したのである。忙しい中、デボラは過去の事件を調べ始めるのだが、すると昔の事件を掘り起こされたくないと思った者が動き出し始め・・・・・・
<感想>
ハヤカワ文庫補完計画の1冊として復刊された作品。この作品に関してはタイトルを聞いたことがなかったので、過去の隠れざる名作? と思って購入したのだが、意外と結構新し目な作品。日本では1995年にミステリアス・プレス文庫から出版されていたもよう。
こちらの作品、シリーズ作品となっており、女弁護士デボラ・ノットが活躍するシリーズ。本書はその1作目で、シリーズは現在も続いており、今のところ20冊目まで出ているよう。日本では三冊目までが同じくミステリアス・プレス文庫から出版されている。
この作品では主人公である弁護士デボラ・ノットが判事に立候補し、選挙に挑むこととなる。その際、障害となるのが父親の存在。実は彼女の父親、過去に酒の密造人として警察に目を付けられていた人物であり、地元の黒幕的存在。それが障害に・・・・・・というようなことが帯に書いてあったものの、実際はデボラが周囲から迫害されるという事はほとんどない。それどころか、地元の人たちと普通に人間関係を気づき、仲良くやっているという印象。むしろ父親が地元の黒幕的というところが強みにもなっているような・・・・・・
また、この作品ではデボラは、地元の判事に立候補しながらも、過去の事件を掘り返すという難関にも挑んでいる。その過去に起きた警察も突き止められなかった事実を、地域の住人という地位を生かしつつ、デボラが掘り返すことにより新たなる真実が見え始めることとなるのである。
事件の捜査が進展する後半は面白かったのだが、前半は主人公の地域付き合いが描かれているといった感じで、さほど楽しめなかったかなと。選挙戦にしても、事件の捜査にしてもどこか平凡という印象。ただし、後半の展開は非常にスピーディーとなったので、そこは楽しむことができた。真相も、近代的な社会問題や、地域性などを交えたものとなっており、なかなか見どころがあった。とはいえ、登場人物らが平凡のように思え、物語としてもシリーズものとしても、印象が薄かった。
<内容>
1936年、ロンドンにて、高名な心理学者リーズ博士が自宅で殺害された。事件前にリーズ博士の元に訪問者が来て、帰っていき、その後リーズ博士の声が聞こえ、生きているのが確認されていた。その後は、誰も訪ねてきていないはずであった博士の部屋に何者かが侵入し、博士を殺害していったという状況。しかも扉には鍵がかかっていた。リーズ博士は3人の患者を抱えており、彼らが何らかの動機を持っていたのではないかと考えられたのだが・・・・・・。元奇術師の私立探偵ジョセフ・スペクターが事件の謎に挑む。
<感想>
タイトルにつられて購入した作品。久々のハヤカワミステリ。そして買ってびっくり、なんと結末が袋とじになっているという入れ込みよう。これは期待して読まずにはいられなくなった作品。
そうして読んでみたのだが、しっかりと本格ミステリしていて、面白かった。途中、動機や展開があやふやになりそうな感じもしたものの、最後にはしっかりと被害者の患者の関係も踏まえて、結末が付けられていた。“密室”という点に期待しすぎると微妙と思われるかもしれないが、犯行における前後の構成はうまく創りこまれていたと思われる。
探偵役の個性がそんなに出ていたとは思えなかったものの、もしも今後続編が出るようになれば、それなりに定着してゆくのかもしれない。ひょっとすると、今後ポール・アルテみたいになってゆくのかなということを期待したい作家である。
<内容>
1961年、5人姉弟の長女である16歳のローレルは、衝撃的なものを目撃してしまう。それは母親が見知らぬ男をナイフで刺殺するという場面。事件は、母親が末っ子の幼い弟をかばってのこととして処理された。その事件から50年後、有名女優となったローレルは、母の死期が近いことをさとり、昔起きた事件について調べ始める。母親の過去に何があったのか? そしてヴィヴィアンという女性との間に何が起きたのか?
<感想>
著者のケイト・モートン氏は他に「忘れられた花園」や「湖畔荘」などを書いており、近年日本でも話題になっている作家。ランキングなどで取り上げられており興味があったので、この度文庫化された本書を購入し、読んでみた。
この作品は主人公が少女時代に目撃した事件を50年後に改めて調査を試みようとする内容。しかもその事件と言うのが少女の母親が関わっていた事件であり、その母親が老衰により亡くなろうとしているのをきっかけに母親の秘められた過去を調べ始めるのである。ゆえに、この作品では現代である2011年とそれ以外の過去のパート、1961年や戦時中である1940年前後に飛びながら物語が語られてゆくこととなる。
この作品に関しては、ケイト・モートン氏の作家としての力量に尽きると思われる。“秘密”というタイトルゆえに当然過去の出来事に秘密が隠されているとはいえ、賢明な読者であれば読んでいる途中でその秘密になんとなく気づくのではなかろうか。ただ、そういった真相などは関係なしに、物語に惹きつけられ、ついついページをめくっていき読み通してしまうと言いう魅力をこの作品は兼ね備えている。
戦時中の様子や、過去の様々な描写、さらには現代に至る場面、そういったものがこれだけうまく描ければ、たぶん著者のケイト・モートン氏は何を書かせてもうまいのではと感じられる。この著者であれば、どのような内容の作品でもそれなりの秀作に仕上げることができるのではなかろうか。
<内容>
1948年、黒人労働者イージー・ローリンズは働いていた飛行機工場で解雇を言い渡される。それによって家のローンに悩むこととなったのだが、よく行く酒場で仕事を紹介してもらうこととなる。それは、オールブライトという非合法な仕事をしているらしい男から、ダフネという女の行方を捜してもらいたいというもの。彼女を探すにも、黒人しか立ち入ることのできないような酒場へ入り、その後行方がわからなくなっているというのだ。胡散臭そうな仕事であるが、金に困っていたイージーは依頼を引き受けることとなり、そして殺人事件に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
家にあった積読本の消化。古本で購入した作品。この作品、戦後間もない1948年を舞台として書かれた作品であるのだが、なんと書かれたのは1990年と割と新しい。てっきり昔に書かれた作品だと思って読んでいたので、読了後に書かれた時期を知って驚かされた。
本書はイージー・ローリンズという私立探偵が活躍するシリーズ作品。ただ、この作品はその第1弾のため、まだイージーは私立探偵ではなく、単なる工場を首になった失業者。その他背景として、黒人として戦時中前線にたっていたとか、凶暴で残忍なマウスと呼ばれる男と腐れ縁であるとか、地域の黒人社会のなかではそこそこ人とのつながりがあるなどといったところ。
一部特殊な背景があるにしても、基本的には一般的な青年とも言っていいイージーが、血なまぐさい事件に関わることとなる。最初は単なる人探しを請け負っただけであったが、他にもその失踪した女を狙うものがいたりと、徐々にその女を巡る陰謀に巻き込まれてゆくこととなる。そうしたなかで、警察から殺人事件の嫌疑をかけられたり、ギャングから追われたりとイージーは散々な目にあう。しかし、その事件にはどっぷりとつかっていて、逃げ出すこともままならない状況であるので、なんとか事の解決をはかろうとイージーが動き出してゆくこととなる。
戦後を作品の背景にしたのは、血なまぐさいハードボイルドのような世界を描き出したかったからであろうか。全体的に血なまぐさい内容の作品であり、かつ、警察捜査もおざなりという感じで、緻密な捜査が行われるという内容ではない。それがゆえに、本作品のような後半ばたばたしたなかでの強引な事件の解決へと持ち込むことができたという感じ。そんなわけで、ハードボイルド作品としても、なかなか荒々しい感じの小説であった。古き良き(良いのかどうかはわからないが)時代のギャング小説で描かれる世界のハードボイルド作品と言う感触。