<内容>
レオは二人の弟と幼馴染のヤスペルと4人のチームを組み、銀行強盗を企てる。軍の倉庫から密かに大量の銃を盗み出し、銀行強盗を行うための訓練を行う。そして一切証拠を残すことなく、見事銀行強盗を成功させる。その後もレオ達は銀行を襲い続けるのであったが・・・・・・
<感想>
今年一番の話題作をなんとか今年中に読むことができた。読む前は、その分厚さから躊躇してしまっていたのだが、実際に読んでみるとこれが非常に読みやすい。分厚さを感じさせることのない、スピーディーな展開の悪漢小説。
ストーリーは、兄弟で銀行強盗を働く一味の話。長男のレオは兄弟で強盗を繰り返しつつも、彼らの家族をひき裂いた父親の存在が忘れられず、過去を思い返しながら今を生きてゆく。レオは父親を憎みつつも、弟たちとの家族の絆を大切にしているのは、皮肉にも未だ忘れることのできない父親からの教えによるものであった。
本書の特徴としては、実際の話を元に描いた小説であるということ。フィクションの要素を付け加えているようであるが、大筋は実際に起こった事件を元にしているという。それは、数々の銀行強盗が行われたものの、実はそれがプロによるものではなく、初犯である家族の手によって行われ続けたというものである。その銀行強盗の手口と家族の絆を描きあらわしたのがこの作品ということになる。
ただ、読んだ感想としては、一番印象に残ったのは読みやすかったというところかなと。銀行強盗の手口とか、実際にそれを行っている時のサスペンス感などと見どころは多々あるものの、基本的には普通に話が流れて行っているというものであった。そんなに奇抜な展開とかがあるわけではなく、ある意味予想を上回るような内容のものではなかった。ということで、ノン・フィクションとしては面白いのだが、フィクションの小説としては、もう一味くらいあってもよかったのではなかったかなぁと。
<内容>
ボストン沖のシャッター島に、精神を病んだ犯罪者のための病院があるという。その病院で一人の女性患者が行方不明となり、捜査官のテディ・ダニエルズとチャック・オールの二人が派遣された。病院内のものに話を聞いてみると、その女性患者は鍵のかかっているはずの病室から突然消えうせてしまったのだという。逃げ出すことは不可能なはずの病院内。そしてどこかよそよそしい職員達。この違和感はいったい何なのか・・・・・・
<感想>
島へと向かう二人の捜査官。その島では絶対不可能と思われる状況から消えた女がいるという。
こんな感じに物語りは進んでいく。しかし、その物語がどこへどのように進んでいくのかが全く予想できなかった。何か違和感を感じながらも読み進めていくと、今度はその建物自体に秘密の気配が感じられる。妙だ、このとてつもなく妙な味わいはなんなのだろう。
今のアメリカの作家が本格ミステリーを書くとこういう感じの本になるのかなぁなどと考えながら読み進めていく。そしてついに袋綴じの部分にさしかかる。その扉には「封を切って、あなたの推理が正しいかどうか、確かめてください」と書いてある。とはいうものの、推理も何もここまで読んで何の想像も思い浮かばない。結局この話は何だったんだと思いつつ、封を開けて読んでみると・・・・・・なるほど、そういうことだったのか・・・・・・
封を開けた先には物語りを根底からひっくり返すような崩壊が待っていた。読んでいる最中に感じられた違和感と言うものにもすべて理由が付けられる。とはいいながらも今の世によくこんな本を書く作家がいるのだなぁと、妙な感心をしてしまう。これは奇書というべき本である。
<内容>
1918年、アメリカでは社会主義者らによる活動が活発化し、各地でテロ活動が勃発し、社会的な情勢不安からか組合活動が頻繁に起きていた。そんななか、父親が警部であるボストン市警の巡査ダニー・コグリンは組合グループに潜入して内部調査をせよ、との特命を受ける。
また、オクラホマ州でまじめに務めながら、結婚をし、子供がもうじきうまれそうという黒人のルーサー・ローレンスがギャングのトラブルに巻き込まれ、人を殺してしまい、州から逃げ出さなければならない羽目におちいっていた。そして、彼は知り合いのつてでボストンへと向かうことになる。やがてルーサーはコグリン家の使用人となることに。
労働革命に目覚めながらも、上司や父親との間で板ばさみとなっていくダニーと、黒人ゆえにさまざまな差別から絶えざるを得ない日々が続くルーサー。そんな彼らがボストンで起こる大きな労働闘争の果てに見出すものとはいったい・・・・・・
<感想>
久々のルヘインの作品ということで、どのようなミステリを味わうことができるのかと思っていたのだが・・・・・・読んでみたら、これはもうほとんど歴史小説というような内容の作品であった。本書は1900年代初頭のボストンにおける労働闘争を描いた作品である。
この作品を読んで楽しめるという人もいるかもしれないが、個人的にはあまり楽しむ事ができなかった。実際に、そのときに起きた事実についてもあまりよく知らないし、実在の人物も出ていたようだが、あまり興味のわく人物というのも見出せなかった。また、章と章の間にモノローグとしてベーブ・ルースが登場しているのだが、これもまたベーブ・ルース自体に特に思い入れがないせいか、ルースが感じる感情描写にも思い入れるということは全く無いまま終わってしまった。
後半になって、家族の話というようなものに収束して行くのだが、前半ではさほど家族愛というようなものが語られたようにも思えず、後のほうの展開は唐突のようにさえ感じられてしまった。ということで、本書を読んで感じたのは、その頃、その場所で、こういうことがありましたという事実くらいである。
今現在、本書が本屋に結構並べられて置いてあるが、本をあまり読まない一般の人が、これを読みきれる事ができるか疑問である。ルヘインの次回作はできれば、もう少しミステリ色の濃いものを期待したいが、もうそういう路線からは外れてしまうのかな?
<内容>
1926年、ジョー・コグリンは警官を父親に持つものの、彼自身は犯罪を繰り返す無法者として生きていた。ある日、仲間と現金強奪を企て、それを実行したとき一人の女と出会うこととなる。彼女は、エマ・グルードといい、地元のギャングのボスであるアルバート・ホワイトの女であった。ジョーとエマは互いに惹かれ、アルバートの目を盗んで、逢瀬を繰り返す。そんなある日、ジョーに災難が降りかかり、彼はエマと別れ、刑務所に入らざるを得ないこととなり・・・・・・
<感想>
ルヘインの作品を読むのも久しぶりだが、この作品は今まで読んだルヘインの作品で一番良かったのではないかと思われる。それほどに面白い小説であった。アメリカの禁酒法の時代を背景とした最高峰のギャング小説といえよう。
実は読み終えた後、あとがきにより気がついたのだが、本書は「運命の日」の続編という位置づけ。とは言っても、私自身全く気付かないまま読んでいても本書を堪能できたので、特に「運命の日」を読んでいなくても問題ない。それどころか、個人的には「運命の日」はあまり面白くなかったので、この作品のみ読んでも十分と言えよう。ルヘインの構想では「運命の日」は3部作となっており、本書が第2部とのことであるが、本書と「運命の日」ではずいぶんと作風というかイメージが異なるような気がする。
この作品は、ジョー・コグリンという一介のチンピラがギャングのボスへと成り上がる様を描いた作品。成り上がるといっても、実力でというよりは、彼の父親が市警の警視正という立場であったことが大きな要因の一つとなる。それがどのように、関連するのかは読んでのお楽しみということで。
本書のメインテーマはタイトルにある“夜に生きる”というもの。ジョーは、生き方によっては普通の一般的な人生を送ることもでき、また物語中でそのチャンスが与えられる場面もあったのだが、あえてそれを拒否し、無法者として生きることを選択する。その無法者としての生きざまをジョー・コグリンが言葉にすると“夜に生きる”となるのである。
あえて波乱万丈な人生を選択したジョー・コグリンの生きざまを是非とも堪能してもらいたい。ジャンルとして好き嫌いはあるだろうけれど、こういった作風のものが好きな人にはたまらないのではなかろうか。
<内容>
バーテンダーのボブは捨てられていた子犬を拾う。仕事の帰り道、ごみ容器から泣き声がしたのを聞きつけ、保護することとなったのである。同時に、その近隣に住むナディアとの出会い。なんとなしにではあるが、ボブの人生に希望が見えてきたように思えたさなか、彼が務めるバーに強盗が押し入る。ボブのバーは、裏金を一時的に預かる“中継所”と呼ばれている場所であり、そこの金が奪われたことにより、厄介ごとに巻き込まれてゆくこととなり・・・・・・
<感想>
デニス・ルヘイン描く新作であるが、いつもの作品と比べるとページ数が薄い。これは、元々は短編であったものが、映画化されることによって日の目を見た作品。それにともない、長編化されたという経緯のもの。
帯に“孤独な男と一匹の犬の出会い”と書いてあり、内容にもそれらしきことが書いてあったので、男の再生を描いたちょっと良い話なのかと、読む前には感じられた。ただ、読んでみるとそんな単純な話ではなく、多くの登場人物が入り乱れる思いのほか複雑な話。“犬”が登場する効果がどれほどのものかは微妙。
これくらいの短いページの作品であれば、主人公のバーテンダーと犬のみにスポットを当てた、ちょっと良い話で十分だったのではないかと感じられる。それを短いページのなかで、いつもながらのルヘインの小説のように、群像小説に近いような策謀入り乱れるごちゃごちゃとした話が盛り込まれている。ここまで描くのであれば、もっと長いページ数でじっくりと語りつくしてもらいたかったところ。短い作品だからと言って、手軽に取り掛かってしまうと、痛い目を見てしまう内容といえよう。じっくりと落ち着いて内容をかみしめながら読んだほうが楽しめる作品と思える。
<内容>
第二次世界大戦下のフロリダ州。元ギャングのボスであったジョー・コグリンは一線を退き、幼馴染のディオン・バルトロに実権を譲っていた。現在では、組織の顧問役を務めながら幼い息子と二人きりの生活を送っていた。そんなとき、ジョーを暗殺するという計画を聞きつけることに。誰が何のために、いまさらジョー・コグリンを殺害する必要があるというのか? ジョーは事の真相を突き止めようと、動き始めるのであったが・・・・・・
<感想>
「運命の日」「夜に生きる」と本書での三部作という位置づけの作品。ただ、「運命の日」は主人公が別で内容もかけ離れているので、読まなくてもよいと思われるが、本書は「夜に生きる」の直属の続編であるので、こちらはあらかじめ読んでおいた方がよいであろう。
一世を風靡したギャングのその後を描いた作品。ギャングの顧問役として、一線を退き、息子と平凡な日々を過ごすジョー・コグリン。しかし、周囲の陰謀により、彼はまた騒乱の真っ只中へと乗り込んでゆかざるを得なくなってしまう。
もう、ただ単に“裏切り、また裏切り”という感じの内容。誰を信じたらよいのかわからない状況のなかでジョーは孤軍奮闘しながら、己の身を守り続けなければならない。もし彼が死ぬことがあれば、息子をひとり残すこととなり、さらには息子自身が騒乱に巻き込まれるのを恐れつつ、行動を起こしてゆくこととなる。
最初は、陰謀の正体が全くみえず、分かりづらい状況が続くのだが、黒幕の正体とその目的がわかれば一気に霧が晴れることとなる。さらには、事の全ての真相が明らかになると、やるせない気分に陥ることとなる。そして、ラストでは登場人物らが、なんともいいようのない数々の選択を迫られることとなり、読者はもはやことの成り行きを見守るほかない状況。
読んだ感想はというとタイトルの「過ぎ去りし世界」という言葉が全てを表しているような。とにかく深い印象を残す作品であることは確か。前作「夜を生きる」を読んだときには、これがルヘインの最高傑作と思ったのだが、本書を読むと「夜を生きる」と「過ぎ去りし世界」の2冊セットでルヘインの最高傑作としたいと改め直すこととなった。
<内容>
レイチェルの母親は作家であり、シングルマザーであった。その母親はレイチェルに実の父親の名を告げることなく不慮の事故で死亡することとなる。後に残されたレイチェルはジャーナリストの道へと進みつつ、実の父親が誰なのかを探し始めるのであったが・・・・・・
<感想>
今回のデニス・レヘインの新作は、なんとも表現しにくい作品。決して面白くないというわけではないものの、手放しで面白いかといえば、そうとも言えないような。読了後もなんとなくモヤモヤしたものが残る。
最初は、主人公であるレイチェルが自分の父親が誰かを探してゆく話となる。その話と交差しつつ、自身のジャーナリストとしてのキャリアそしてパニック障害との闘いが描かれてゆく。そして、中盤以降は結婚後の話が繰り広げられることとなる。
中盤以降の話に関しては、予想外の展開が次々と起こるので、未読の方は情報を入れずに先入観無しで読んでもらった方が楽しめると思われる。この中盤以降からようやくサスペンス小説らしい展開となり、一気にラストまでノンストップでなだれ込む。
後半次々と起こる理不尽な出来事にレイチェルが翻弄されることとなるのだが、ここで微妙に感じてしまうのが、あまり前半の流れと関係のない展開となっているところ。さらに言えば、レイチェル自身の物語と関係のないところで話がどんどんと進んでいってしまっているのである。ゆえに冷静に後半の物語を眺めると、単に理不尽というような印象が強く、そこがなんとも微妙であるなと。
なんとも深いのか、浅いのか、よくわからない作品。ただただ、著者の企みというか、物語の操作に読者が翻弄され続けるというような・・・・・・