<内容>
ラルース家の二人の女が住む家で首無し死体が発見される。亡くなったのは姉のオデットで、妹のジョゼットは失踪したと考えられた。容疑はジョゼットにかけられるものの、現場には数々の不信な点が。モガール警視と部下のバルベスは事件の捜査を行ってゆくも、なかなか決めてが見つからない。そうしたなか、モガール警視の娘・ナディアは大学で知り合った日本人青年・矢吹駆を誘い、事件の謎を解き明かそうとする。ナディアと駆が事件の仮説をとなえていくなか、さらなる事件が起きることとなり・・・・・・
<感想>
感想を書いていなかったので久々の再読。私が笠井氏の作品を最初に読んだのはまさにこの作品。創元推理文庫版で読んだのだが、発売当初であったかどうかは憶えていない。ただ、この作品を読んだときの強い印象は今でも忘れがたい。というのは、当時新本格ミステリが全盛の時期で、この作品もそのひとつであろうと軽い気持ちで読んだのだが、その硬い文章と中身の難解さに驚かされた。タイトルからして、絶対に軽めの青春小説であろうという思いを覆されたのは、とにかく今でも印象的。
そして再読をしてみての印象であるが、文体がやや硬めで読みづらいというのは当時の印象のままだが、物語の内容については難解というほどでもない。むしろ、事件に関してはとにかく丁寧に描写しているということに気付かされた。ただ、難解と感じられるのは、矢吹駆が駆使する“現象学的推理”についてや、物語の背景となる思想について。
事件については“首の無い死体”と、その一族にまつわる関係性を中心に展開されてゆく。何故、死体の首を切らねばならなかったのかということと、現場の状況から導き出される推理とその真相については目を見張るべきものがある。さらには、第二の事件に関するアリバイトリックなどもなかなかのもの。
事件とそれに対する推理などは、本格推理小説らしく、うまく出来ていると思われる。ただ、本書の特徴として、そこに現象学というものや、歴史的考察や思想などが取り入れられることによって、作品自体を取っ付きにくいものとしているように思われる。とはいえ、その取っ付きにくさこそがこの作品、そしてシリーズの特徴であり、これこそが独特なミステリを構築していると言えるのであろう。
これはただ単に読む推理小説というだけでなく、再読のし甲斐がある推理小説といってよいと思われる。数年後にでも、再度読み直してみたい作品。
<内容>
猛暑のパリを逃れるようにカケルとナディアはナディアの父親の部下であるジャン=ポール・バルベスの故郷である南フランス地方を訪れる。そこで遭遇するのは、ヨハネ黙示録になぞらえた連続殺人事件。密室のなかで石球と弓矢で二度殺された死体、閉ざされた塔のなかで首を吊られた死体、等々。ナディアは秘められた過去の秘密を探り出し、犯人と思しきものを特定する。一方、カケルが出した答えとは・・・・・・
<感想>
「バイバイ、エンジェル」に続いての再読。いや、この作品は分厚いので読むのが大変であった。しかも内容も濃いというか、難解。“ヨハネ黙示録”を題材とし、それにまつわる謎を矢吹駆は解き明かそうとし、さらにはそれを象徴するような連続見立て殺人事件が起こることとなる。
物語の途上は、その“黙示録”を基調とした謎について考察、その黙示録に関わるものを調べたりといったことが行われていく。さらには、その黙示録を背景とした事件の裏について調べてゆき、ナディアらは、過去に起きた禍根について知ることとなる。そうしてナディアが到達した真相は・・・・・・
というところで「バイバイ、エンジェル」と同様に、ナディアが出した答えは否定され、真相をカケル・・・・・・ではなく、今回がカケルが指名する別の人物により謎が解き明かされることとなる。その真相はというと・・・・・・驚かされるというか、難解ではずの謎が明快に明らかにされるというか、それまで宗教的な色どりを見せていた殺人事件が、本格ミステリ一色に染められた解決を見せられることとなる。
それが良いかどうかは別として、真相については全く不満はない。ただ、やはり読んでいて長かったかなと。ここで語られた背景の全てが必ずしも語られる必要があったのかどうかは微妙。それでも本書が本格ミステリにおける力作であるということは否定のしようがない。まぁ、ある種の怪作といってもよいのかもしれない。
<内容>
フランスで起きた女性を狙った連続猟奇殺人事件によりパリ市内はパニックに陥ろうとしていた。死亡した3人の女性は、どれも“首”“両腕”“両足”と別々の部分が切り取られ持ち去られていた。そして4人目の女性に魔の手が迫る。過去の名女優、ドミニク・フランスに何か関連があるとされる事件であったが、その事件を捜査するモガール警視とバルベス警部は打つ手なしという状況。そうしたなか、過去に似たような事件が起きていたことが浮き彫りにされ、ドミニク・フランスの親族が事件に関係しているのでは・・・・・・もしくはドミニク・フランス自身が生きているのでは? と。事件関係者から話を聞いた矢吹駆は自分なりの解釈を語り始め・・・・・・
<感想>
「天使」「黙示録」と続いた矢吹駆の3作品目は“薔薇”。この作品では切り裂きジャックを彷彿させるような連続殺人鬼が扱われたものとなっている。しかも犯人はただ殺人を起こすだけではなく、死体の一部を持ち帰る“アンドロギュヌス”という署名を残す殺人鬼。
前2作とは打って変わって、本書は街を揺るがす連続殺人事件を扱ったもの。そのためか、サスペンス・ミステリというような感じの内容になっており、前の2作と比べると格段に読みやすく感じられた。また、このような内容のものであれば、矢吹駆が活躍するような事件ではなさそうにも思えるのだが、徐々に事件はある一部へと収束してゆき、矢吹駆の活躍も光ることとなる。
特に、矢吹を活躍させるためか、途中でアリバイ工作のようなものが扱われているところは本書におけるポイントと思われる。そのあたりを糸口に犯人特定のポイントが定められたようにも思われる。ただ、事件がある程度収束しないと犯人当てができなという事実がありつつも、収束しすぎると犯人の検討が付きやすくなるというジレンマがまとわりつく。そんな感じで、真相を暴く場面に関しては、やや盛り上がりに欠けたと感じられなくもない。
それでも、犯罪を暴き、犯罪に関係する者たちの行動を暴き、真相を看破する矢吹駆の働きは見事と思われた(ややジャン・ポールやナディアらが単純すぎるというきらいもあるが)。シリーズとしての悪役“ニコライ・イリイチ”の存在も以前よりはハッキリと見え始め、シリーズものとしても読みごたえのある作品といえよう。
<内容>
小説「昏い天使」で新人賞を受賞し、話題を呼んだフランス帰りの青年・宗像冬樹。宗像は2作目の小説に取り掛かっていたものの、一向に書くことができなかった。構想はおぼろげにあり、かつて記憶に残るものを題材にした「黄昏の館」というものを書こうとしていた。そのことを編集者に話すと、その編集者の勧めにより、その記憶にある館を探し、訪ねてみることとなった。おぼつかない記憶をヒントに地域を特定し、その館へと訪れることとなった宗像。そこで彼を待ち受けていたものは・・・・・・
<感想>
この創元推理文庫版を読むのが初となる作品。笠井氏の作品のなかでは読み逃していたものなので、復刊してくれてうれしい限り。
これがなんでなかなか復刊されなかったのかというと、厳密なミステリとはちょっと異なる趣向の小説だからであろう。ミステリっぽいところもあるのだが、幻想小説のような、または伝奇小説のような味わいの作品となっているのである。
途中読んでいるときは、なんでこれをもっと本格ミステリ風にしなかったのかなと思えてならなかった。記憶の片隅に残る館。その館に隠された秘密の数々。館に住む一族の秘密。そして殺人事件・・・・・・
殺人事件が起こるのであれば、もっとミステリ風にしてもよさそうな感じではあるのだが、本書は単なるミステリのみにはとどめたくはなかったということだったのであろうか。超自然的というような、そういった現実的な事象のみで収まるものにはできなかった、というところだったのかもしれない。そんなわけで、ちょっと異色の“館”ものが味わえる小説に仕立て上げられた作品。
<内容>
<感想>
<内容>
竜王翔はフランスで学生運動に身を投じていたが、レジュー・ドールと名乗る男の誘いにより、とある陰謀に巻き込まれる事に。その事件の後、ひとり逃げ出した翔は雪山へと身を潜み、山中に住む老人の世話になって暮らしていた。
しかし、ある日翔は立て続けに悪夢を見ることになる。それは翔の姉が殺されるという不吉な夢であった。しかも昔、翔は叔母から竜王家の血に潜む忌まわしい秘密を聞かされたことがあったのだった。翔は単身山を降り、姉の行方を捜そうとするのだが・・・・・・
<感想>
この「サイキック戦争」は1巻2巻が講談社ノベルスで1986年、1987年にそれぞれ出版され、そして1993年に新たに書き下ろされた終章を含む完全版が文庫として出版された。その文庫版を元に2006年に加筆修正し、分冊されたものが本書となる。
「ヴァンパイヤー戦争」を読んだということもあり、その後に出たこの作品も新装復刊されたのでさっそく手にとって読んでみた。それでその感想はというと・・・・・・色々な意味で微妙といったところであった。
まず、内容はほとんどが「ヴァンパイヤー戦争」を髣髴させるもの。ただ、文庫にして2冊という中で「ヴァンパイヤー戦争」のように背景についての多くの書き込みがあると、肝心の物語の部分が非常に薄っぺらいとしか感じられない。本書はどちらかといえば、タイトルの“サイキック戦争”というものよりも、社会情勢の描写のみがなされている作品としか読み取れなかった。
もちろんのこと“サイキック”というものも出ては来るのだが、その部分が非常に少ない。T巻とU巻の後半ちょこっとだけである。本来ならば、社会的背景よりもこの辺の部分の書き込みが欲しかったところなのであるが(少なくとも私はそういう内容を期待していた)。そして、ラストではあっという間に凝縮したように話が進んで行き、簡単に決着がついてしまうというもの。この最後のシーンだけで一冊書いてもおかしくないくらいの内容だったのではと思えるのだが・・・・・・。
と、そんなわけで物語としては非常に内容が薄かったという印象でしかない。特に重厚で壮大な「ヴァンパイヤー戦争」を読んだ後にこれを読んでは、物足りないという感想しか出てこないであろう。
<内容>
異端の作家、神代豊比古が遺した空前の大作「梟の巨なる黄昏」は、手にした者を破滅させる呪われた書物でもあった。不遇の作家・布施朋之とその妻、流行作家の宇野明彦、大手出版社の次期社長、美貌の阿久津理恵。1冊の魔書をめぐって4人の男女の欲望が交錯する。戦慄の異色長編サイコ・サスペンス。
<内容>
飛鳥井史郎の探偵事務所にひとりの女子高生が訪れ、彼に身元調査の依頼をしてきた。彼女の母親はシングルマザーであり、父親が誰なのかわからないので調べてほしいというのである。仕事がなく暇を持て余していた飛鳥井は、その調査を引き受けることに。飛鳥井は調査を行い、父親らしき人物を調べ上げるも、約束の日にちを過ぎても女子高生は彼の元を訪れず・・・・・・すると、彼女が失踪したという知らせが入ることとなる。いつしか、飛鳥井は郊外で起きている連続少女殺人事件に巻き込まれることとなり・・・・・・
<感想>
久々の再読であるがこれはうまくできているなと改めて感心させられる。ハードボイルドとして、なかなかのできであり、笠井氏の脂の乗り切ったころに書かれた作品という印象を受ける。
物語の発端は、女子高生から自分の父親を探してもらいたいという依頼がなされる。その依頼自体は平凡とも入れるが、背景として当時に起きた女子高生コンクリート事件について言及したりと、社会性を持たせているところは著者らしさが出ていると思われる。
その後、失踪事件、連続殺人事件へと発展していき、事件は五里霧中とも言える状態に。しかし私立探偵・飛鳥井は、登場人物のひとりが過去に書いた小説「三匹の猿」をモチーフとした物語に導かれるかのように真相へと肉薄していく。
単なる事件を描くだけでなく、3人の男、3人の女、さらには3人の娘へと繋がってゆく物語を紡ぎあげたところはさすがであると感じられた。ハードボイルド小説としてだけではなく、ミステリ作品としてもかなり濃厚な色合いを見せたものとなっている。最後は、ややどんでん返しが多かったような気もするが、うまくまとめられていると思われる。何気に矢吹駆シリーズを別とすれば、ミステリ作品としては笠井氏のなかで一番良い作品ではないかと個人的に思っている。
<内容>
革命前夜のパリ、対立する警察と群集の間に起こった発砲事件から物語は始まる。逃走する黒い影を目撃した若い詩人シャルルに解明を依頼され、名探偵デュパンが登場する。バルザック邸の娼婦殺しに至る謎の連続殺人事件の真相とは!!
<感想>
とっつきにくい内容である。自分がフランス史をいかに知らないかということを痛感させられる。その革命の体制や思想が理解できないまま読み進めるのはかなり至難であった。
本書では事件が起こり、探偵としてオーギュスト・デュパンが登場するのだが、容疑者のほうの扱い方が変わっている。たいていの推理小説であれば犯罪の前に登場人物のほとんどが紹介されて話がすすめられるという形式がとられる。しかし、ここでは事件の関係者であり主要人物であると思われるものたちが、名前が出てくるのみでほとんど登場せず、事件後にデュパンが会いに行くことで彼らの人物像が語られるというようになっている。これは容疑者たちが史実の人物(? かどうかはよくわからない)であるからこういう手法をとっているのだろうか。
この物語の核を著者は“群衆”というものに置きたかったようである。しかし残念ながら一度読んだだけでは私にはそれを読み取ることができなかった。その“群衆”というものを読み取ることができなかったせいか、事件におけるトリックなどには感銘を受けることはできなかった。ひとつひとつを取り出せば、どれもどこかで見たことのあるようなトリックであるし、その芸術性うんぬんを語られてもいかんともしがたい。
とはいうものの骨太の作品であるのは確かである。スケールの大きさは壮大なるものだ。ただ、著者が描きたかったのがデュパンよりも二月革命前後におけるフランスの様相、思想のほうが比重が大きかったのだろうと感じた。
<内容>
「硝子の指輪」
「晩 年」
「銀の海馬」
「道 −ジェルソーミーナ」
<感想>
私立探偵・飛鳥井が活躍する作品集。普通のハードボイルドのみならず、アメリカ帰りの飛鳥井ゆえの日本社会に対する解釈がどの作品にも軽く盛り込まれ、社会派小説とも捉えることができる内容。
本書は単なるハードボイルド作品というだけでなく、ミステリとしてもすぐれている。掲載作品4編のうち、3編が人捜しを依頼されるものとなっているのだが、それぞれが単なる人探しのみで終わってはおらず、徐々に複雑な様相を見せることに。
最初の「硝子の指輪」は、人捜しから殺人事件へと発生し、その動機としてHIV感染が浮かび上がってくる。一見、単純な事件のようにも見えるのだが、飛鳥井が秘められた真相にたどり着く。
「晩年」も人捜しであるのだが、依頼人が示唆する太宰治の作品に秘められたものを紐解くものとなっている。さらには、真相を掘り下げれば掘り下げるほど、どんどんと過去の秘密が湧き出てくるという展開にも目を見張るものがある。
「銀の海馬」は、行方不明者を捜していくうちに、キーポイントとなる“銀の海馬のアクセサリー”。それに秘められた真相が実にミステリ的でうまくできている。
表題作の「道」は、結婚相談所を通して結婚した男女の元で起こる事件。ひょっとすると結婚詐欺か? というところから二転三転するミステリ模様が描かれる。これまた一筋縄ではいかない見事な展開がなされている。
どの作品も、さほど長いページ数ではないのに、それぞれ濃い内容の作品となっている。ハードボイルド作品集として、レベルの高さを感じる逸品。ひょっとすると著者の笠井氏は、これを書いたころが一番脂がのっていたのでは!? と思わせるほどの作品。
「硝子の指輪」 (小説すばる 1993年5月号)
ニューヨーク帰りの女性を探してもらいたいという依頼者が殺害された事件。その依頼者は妻と別居し、タイ人の娼婦と暮らしており、HIVを患っていたというのだが・・・・・・
「晩 年」 (小説すばる 1994年3月号)
刑務所を出所後、行方をくらませた次男をさがしてもらいたいという依頼。太宰治の作品、「晩年」に秘められた意味は?
「銀の海馬」 (小説すばる 1995年4月号)
行方不明になった父親を捜索する依頼。ホームレスになったらしいという噂も。海馬のアクセサリーが示す真相とは。
「道 −ジェルソーミーナ」 (小説すばる 1996年2月増刊号)
結婚相談所を経営する女からの依頼。縁組により結婚が決まった夫婦に不審な事件が起きたという。妻が失踪した後、夫が自殺したと。依頼人はその夫の自殺の原因を調べてもらいたいと・・・・・・
<内容>
天童直己は新人賞を受賞し、作家デビューしたものの、2作目が書けずに悩んでいた。そんな彼に編集者の三笠から、かつて同様に2作目が書けずに失踪した作家がいることを知らされる。天童がその作家について調べていくと幻の作品となった「天啓の宴」という作品の存在に突き当たる。その作品の影に、少女小説家が惨殺された事件があったことを天童は知る。そうして「天啓の宴」に関する出来事を調べていくうちに天童は自らの手で、その“天啓の宴”を書きあげようとするのであったが・・・・・・
<感想>
昔読んだことがあるのだが、内容を忘れていたので創元推理文庫版で再読。メタフィクションと言われるこの作品であるが、意外としっかりとした推理小説のようにも感じられ読み応え十分の内容。
ただし、推理小説と言っても謎を探すとか、犯人を探すとかという趣向のものではない。そこに表される複雑な構造と、描かれている内容の真偽を判別するという変わった作品。まさにメタフィクションたる内容である。
奇数章で語られる過去を回想する男の話と、偶数章で語られる新人作家による調査の話。これらがない混ぜとなり、過去から現在に続くひとつの物語が形成されてゆく。部分的にはきちんとした解答が明かされていないところもあるのだが、大筋は判別できるようになっている。また、終章である程度全体の内容を把握できるように探偵小説の終幕のように描かれているので、親切設計ともいえるかもしれない。再読することにより、思いのほか傑作であったことに気づかされた。
<内容>
矢吹駆誕生の謎に迫る笠井潔の処女長編小説
小さな呟きが頭蓋の芯で反響しあい、叫び声が心底で、恐怖と歓喜に充ち百のシンバルのように激しく轟きわたる。――完璧な自殺それが問題だ――かつて革命の時を生きた男は植民地都市の一隅で、中空への飛翔を試みる。20年の歳月をへて今明かされる矢吹駆の罪と罰。
<内容>
ミステリ小説の金字塔とも言われる「ザ・ヒヌマ・マーダー」。その作品を書いた作家・仲居が残した原稿により、「ザ・ヒヌマ・マーダー」は、別人の手で書かれたのではないかという説が浮上することに。さらには、病院で死去した仲居の死についても、誰かの手が及んだのではないかと疑われる。「ザ・ヒヌマ・マーダー」に隠された真相とはいったい!?
<感想>
長年の積読のひとつをようやく読了。単行本で購入したにもかかわらず、手を付けず。後に創元推理文庫から出たので買い直す始末。さらには、「天啓の宴」と続けて読むことにこだわり、「天啓の宴」を二度ほど読むこととなった。昨年、「天啓の宴」の二度目の読了を果たし、ようやく本書に手を付けることができた。ただし、「天啓の宴」とは大した関連がないので、続けて読む必要はほとんどない。
本書は、実際の人物をモチーフとしたメタフィクション小説となっている。ただし、実在の人物の名をそのままつかわずに、笠井氏自身を匂わせる宗像冬樹、竹本健治氏をモデルとした天童直己氏など、ペンネームや小説のタイトルなどを変えて作品に登場させている。
最初読み始めて、中盤くらいまでは、小説というよりは評論めいた内容に思えたので、さほど楽しめなかった。到底ミステリとは呼べない代物だなと思ったものの、中盤を過ぎてから一気に展開が変わっていくこととなる。そこから、現在と過去の事象が入り混じり、さらには「ザ・ヒヌマ・マーダー」と呼ばれるテキストがいく種類も存在することがわかり、小説家・仲居の死の真相にも迫る内容となってゆく。
この中盤以降から俄然話が面白くなり、物語に魅かれ、読むスピードもアップしていくこととなっていった。現実と過去の並びを複雑にしつつ、見事複雑な物語を紡ぎあげているところは見事と言えよう。登場人物の家系図を書いていくと、話が分かりやすくなることであろう。
予想だにしないミステリを展開させてくれており、意外性を楽しむことができた作品。ただ、ミステリという観点からすれば「天啓の宴」のほうが、よりミステリらしく面白かったかなと。とはいえ、本書は“メタフィクション”にこだわった作品ともいえるので、着眼点を変えて読むべき作品なのかもしれない。ここだけでしか味わうことのできない独特のミステリを楽しめる内容と言えよう。
<内容>
八神村営スキー場で作家・矩巻濫太郎の前で起こる数々の事件。リフトからの人間の消失。ゲレンデにばら撒かれるバラバラ死体。雪山の山荘での殺人劇。白骨死体を掘り起こす女。八神村にはびこる天啓教団の信者達がからむ奇妙な事件。それを解き明かすのは女性スキーインストラクターの大鳥安寿。安寿の人知を超えた推理によって次々と暴き出される事件の真実!
「空中浮遊事件」 (1997年11月:小説すばる)
「屍体切断事件」 (1998年3、5月:小説すばる)
「吹雪山荘事件」 (1998年11月:小説すばる)
「白骨死体事件」 (1999年7月:小説すばる)
<感想>
唐突なる命題というのか、不可思議な物語というのか、何か奇妙なものを押し付けられたような気分になる本である。短編四編によって構成されているが、内容はざっくばらんに言えば、二時間サスペンスドラマ仕立てのようなもの。しかし、笠井氏が書く本書がそれだけで終わるはずもなく、笠井氏が暮らしている付近のスキー場を用いたかのような背景とそこに根ざすオーム真理教をモデルにしたような天啓教団の暗躍。そして探偵を超越したかのごとく神もしくは天使として降臨してきたような探偵役の安寿。
ワトソン役となるのが、笠井氏をベースにして悩める法月氏を前に出したかのような作家・矩巻濫太郎。どうもこの作品は内容そのものよりも、このような小説をなぜ書いたのだろうかということに注目してしまう。まず、不自然に思えるのが探偵役。スキーインストラクターの大鳥安寿が事件を解決するのだが、そもそもただのスキーインストラクターとは思えない知識に眉をひそめたくなってしまう。そして「吹雪山荘事件」では作家(もしくは作者?)の悩み(法月氏のゲーデル問題?)を取上げ、探偵の矛盾に悩む場面をはさみ、それを解決するかのような安寿の活躍(?)。しかしこの安寿の位置的な問題は作家・矩巻の悩みを解決するものであるのかもしれないが、読者がそれで納得するかというのはまた別の問題ではないだろうか。
このようなスキーをモチーフとした作品を書くのはいいのだが、それならばもっとライトなものを書き、前述で触れたような問題については、また異なる作品でじっくりとページを割いて行うべきではなかったのだろうか。
<内容>
毎年の定例のなった笠井潔が中心となりミステリ作家と編集者らによるスキーツアー。1998年1月、その冬も彼らはスキーツアーを行うことに。しかしツアーの前日、関東甲信越地方に大雪が降り、彼らの計画に多大なる影響を与えることに。車に分譲して、ある者は電車でと雪道により遅れるも皆なんとか現地にたどり着く。しかし、彼らはそこで奇妙な事件に巻き込まれることに。一度ロッジに入り、鍵を部屋の中に置いたまま外に施錠せずに出たはずが、なぜかロッジの鍵がかかり部屋に入ることができなくなってしまう。
ツアーに出席したものによって綴られる当日の出来事。そしてそれらを元に謎を解明しようとするミステリ作家達。そしてその真実とは?
<感想>
「五十円玉二十枚の謎」という本が以前出版されたが、それによく似た構成。現実に起きた不可解な出来事をミステリ作家一同が解決編として、それぞれ回答を出すという構成。そして最後には読者に対する解答の呼びかけも行っている。
まぁ、それはいいのだが、それにしてもこの問題提示の仕方には疑問が湧く。すべて真実を書いているのだか、虚構をわざと織り交ぜているのだか、ぼかしているような部分が表現の中に多々見られる。どうもただ純粋にロッジの鍵の施錠の問題のみをいいのか、それとも語りに対する仕掛けを見抜くべきなのかと変に読者を惑わせるような文章にしているのに解答を呼びかけるというのはどうも解せない。どうにも後味が悪いというか、なんか喉につまったようなというか・・・・・・うーん。
<内容>
ナディアは旧友であるフランソワ・デュバルが入院していることを知り、彼に会いに行くことに。。フランソワはウィルス学者であり、アフリカ現地で未知のウィルスを追求しているうちに自らがその病気に発祥してしまい死の床をさまよっていた。彼は共同研究者にそのウィルスに関する文章をアテネまで届けてもらいたいとナディアに頼む。
ナディアはアテネに渡り、その文章を渡そうとするがすれちがいが生じてミノタウロス島にあるダイダロス館まで行くことになる。その途上、カケルとはぐれたナディアは旧知であるコンスタンス・ジェールに遭い、彼を同行人として誘い込む。そして島に渡る直前に事故死かと思われる現場に遭遇する。すでに何人かの人物がミノタウロス島に向かっており、その死亡した人物も何らかのかかわりがある人物であるとナディアは考え、背後に何らかの事件が動きつつあるのを感じ取る。カケルもまたナディアとは異なる方法によりミノタウロス島へと向かい、島に招かれたもの、招かれていないもの等が一同集結する。
そしてミノタウロス島に12人の男女が集まったとき、殺人事件は開幕する。一人また一人と殺されて行くなかカケルとナディアは・・・・・・
<感想>
「哲学者の密室」以来の矢吹駆ものの作品である。本書は閉ざされた孤島における連続殺人事件を取り扱ったもの。とはいうものの、その本題に辿り着くまでが長い。なかなか事件らしい事件が起きず、薀蓄や思想らしきものが永遠と語られて行く中、物語がスローペースで進められる。いちおう本書においては、“共同体”、“ギリシア神話”といったところが焦点となって語られているようだが、その本筋から多岐にわたって枝分かれしてゆき読んでいるほうとしては何がなんだかわからなくなってしまう。「哲学者の密室」のときもあれこれと語られていたのだが、それはあくまでも中心に物語があり、それを説明するような形で述べられていたので納得のいく形で読み進めて行くことができた。しかし今回はその主となる物語自体がはっきりしなく、中心がはっきりしないままあれこれ語られるので読み進めてゆくのはかなり困難であった。
そして、ミノタウロス島に舞台が変わりようやくここから本題が進められるのだが・・・・・・。前半のほうが後半よりはスピーディーであるものの、それでも事件の最中に長々と論証だけならまだしも、思想的な文章を挿入されると話し自体がぼかされるような感じを受けてしまう。今回の事件そのものも、目新しいというものではなく、どちらかといえば孤島における連続殺人事件を矢吹駆による“本質直感”推理によってどう解かれるのかという点に重きをおいているように感じた。そのためか事件自体にあまりサプライズ性のようなものはなく、淡々と進められていってしまう。また、その事件自体もかなり説明不足のように思え、結局事件が解かれても{あぁそうだったんだ」という程度の感慨しかない。
本作においては、著者が書こうとすることにおけるバランスと私が期待して読み取ろうとしたバランスというものがかなり食い違ったものになっていたように思える。ひょっとしたら私には読み取れなかった背景、伏線などが挿入されていて物語はさらに深みをましている部分があるのかもしれない。ただ、私にはそういう作品としては読みとることができなかった。
<内容>
「追跡の魔」(別冊文藝春秋:1997年春号)
以前ストーカー被害にあっていた女性が、また同じ男につきまとわれていると、サイコセラピスト・鷺沼晶子から相談を受ける。飛鳥井はその男の様子を探るべく調査を進めるのだが・・・・・・
「痩身の魔」(別冊文藝春秋:1998年夏号)
鷺沼のクライアントである拒食症を患っていた女性が姿を消したという。彼女の父親は事件によって死亡し、そのことで意気消沈していたというのだが・・・・・・。飛鳥井がその父親の事件を調べていくうちに意外な事実が浮かびあがる。
<感想>
私立探偵、飛鳥井シリーズ。今まではあまり意識しなかったのだがこのシリーズは社会派ものであったのか。2編の作品の中でストーカー、拒食症、外国人労働者を取上げ、さらに細かく犯罪者、TVゲーム、家族と言ったキーワードもちりばめられている。
あとがきによると、私立探偵の外側から見る視点と言うのが社会を見渡すのに適しているというような事が書いてあった。なるほどと思わず感心してしまう。ハードボイルドの全てがそうだとはかぎらないだろうが、これからはそういった読み方も意識できるだろう。本作を読むと確かに社会派とハードボイルドが違和感なく融けあっているのがわかる。
本作の2編は社会派という側面だけではなく、当然本格ミステリとしての要素も十分に含まれている。どちらの作品も表面的には事件の構造がはっきりしているのだが、実はそれとは異なる真相が隠されている。というような謎解きも十分に楽しめ、読ませてくれるものになっている。しかし、比重として社会派という側面や重苦しい雰囲気のほうが強いというのも、また確かである。
一つ残念なのは、作品が2編しか掲載されてないと言うことか。あとがきにも書かれているのだが当初は3編載せる予定であったが、その3編目が長編になりそうだということで、この2編のみが掲載されたとの事。という理由があるにせよ、なんとなくバランス的に2編では物足りないような気がしてしまう。これは贅沢な悩みと言うことで、飛鳥井シリーズの長編を首を長くして待つことにしよう。
<内容>
1988年末、旧家・高見澤家にて、ちょっとした奇妙な事件が起きた。高見澤家の長女・緑は、親戚である北澤響に事件の相談をもちかける。また、響の知人である作家の宗像とフランス語講師のナディア・モガールも共に話を聞くことに。
それからしばらくして、高見澤家にて冬至に行われる儀式の最中、一見、無差別とも思える毒殺未遂事件が起きた。いったい犯人は何を目的としていたのか!? 宗像は響やナディアと共に事件の真相を暴こうとするのだが・・・・・・
<感想>
久々の笠井氏の新作長編。しかも日本を舞台にした矢吹駆の新シリーズか? ということで大きな期待をしたのだが・・・・・・やや、微妙な内容であった。小説というよりも、教科書で語られる事のない昭和史を読んだという感触が強かった。
本書を読んでの印象は、内容云々よりも、笠井氏のとって次のステップを踏むために書かなければならなかった一冊という感じであった。山口雅也氏が書いた「奇偶」という作品のような位置づけのように感じられる。
また、本書は笠井氏が著者のひとりであった「吹雪の山荘」というリレー小説にて、本当に書きたかったことをようやく書くことができた作品とも言えるのではないだろうか。
ただし、ミステリ作品としての濃度は薄かったような気がする。単にミステリ作品としてみるのであれば、これだけのページ数はいらなかったであろう。
本書のなかで終始取りざたされるのは、毒殺未遂事件が起きた際、犯人が誰で、いつ、どのようにして毒を入れたのかということ。この推理が延々と語られてゆくのである。序盤は、条件が出揃っていない中で推理が展開され、そこから少しずつ事実が明らかになっていくと、その事実を付け加えてまた推理が繰り返される。物語はこの繰り返しのみと言ってもよいくらいである。
他にも撲殺事件やら、何者かによって書かれた「円家の殺人」という小説などといった謎もあるのだが、それらの謎さえも毒殺未遂事件を取り巻くのみというような位置づけにしかなっていない。
そんなわけで、最終的に解かれる解答は極めて理論的ではあるものの、事実があまりにも小出しにされ続けるという展開ゆえに、あまり感心させられることなく終わってしまうという結末。
とはいえ、これでひとつ新たなシリーズ展開を作るための下地ができたことかと思われるので、是非とも新しい矢吹駆の作品を書いていってもらえればと期待している。
<内容>
ナディア・モガールがミノタウロス島で起きた陰惨な事件を体験して帰って来た後、ナディアの父のモガール警視は殺人の通報を受けて現場へと急行する。ひとりの男性が銃殺された事件で、被害者はルーマニアからの亡命者。厳重な警備がされたアパートの一室にもかかわらず、被害者は何故無防備な状態で犯人を自宅に入れたのか? さらにはダイイングメッセージとなる“DRAC”という文字が意味するものは何か? モガール警視の捜査で同じく亡命してきた元女子体操選手が事件に関わっていそうだということはわかったものの、事件は中途半端な状態のまま国家憲兵隊に権限を乗っ取られてしまう。
ナディアはミノタウロス島から戻った後、精神的な後遺症が残り眠れない日々を過ごす。友人からの勧めで精神分析医にかかることとなるのだが、そこから徐々に女性の血を抜き、殺人を繰り返すという“吸血鬼事件”に関わって行くこととなり・・・・・・
<感想>
「青銅の悲劇」により新シリーズ突入か! と思っていたら、「オイディプス症候群」以後の時代に戻ってしまっている。でも、シリーズを追いかけ続けてきた読者の立場からすれば、この作品の時代設定の方がすんなりと内容に入ることができる。というわけで、今作はミノタウロス島から帰って来たナディアが遭遇する事件が描かれたものとなっている。
全800ページにわたる大作であるが、ミステリ部分を要約すればここまで長くなる内容ではないと感じられる。ただし、それを笠井氏流の細部を論理的に検証しつくすことにより真相を見極めるという推理方法がなされるうえでは、こうしたページ数になるのもしょうがないといえるのかもしれない。とはいえ、精神分析に関する詳細については、やや詳し過ぎるようにも感じられた。
亡命者が殺害された事件と吸血鬼事件と命名される連続殺人事件。これらの事件が、ダイイングメッセージや動物の見立て、事件関係者の行動と矛盾、そういった一つ一つの事象を検証し、論理的に真相を明らかにする矢吹駆の推理は見事と言えよう。特にムーミンのキーホルダーひとつでここまで論理的な検証が行われるとは予想だにしていなかった。
全体的には満足のいく本格推理小説となっているが、その長さと難解さは決して一般的とは言い難い。ただし、通常の本格推理では満足がいかないというマニアックな人にとっては持ってこいの作品といえるであろう。久々に矢吹駆の推理を堪能できたという感じがした。
<内容>
年を取り、そろそろ仕事からの引退も真剣に考えるようなってきた私立探偵の飛鳥井。そんな彼の元に調査の依頼がもたらされる。つい最近、行われていた国会デモの映像に映っていた若い女の身元を探してもらいたいというのだ。その理由は、43年前に懇意にしていた友人とあまりにも顔が似ているからであるという。それだけの情報では捜査のしようもないので、まずは43年前に知り合いであったひとりの男の行方を捜してもらいたいという。それならすぐに見つかるだろうと思った飛鳥井は、さっそく調査してみるが、なんと男は43年前から行方不明となっており・・・・・・
過去と現在にまたがる同じ場所で起きたと思われる事件、そして密室から消えた幻の女。飛鳥井が調査を進めていくにつれ、徐々に明らかになっていく真実とは!?
<感想>
笠井氏久々の新作であり、しかも私立探偵・飛鳥井シリーズとしては14年ぶりとのこと。個人的には今年「三匹の猿」を再読していたので、このシリーズの新刊を読むのはちょうどよかった。
内容は人捜し。ただ、その人を捜していく過程で、それらに関連した人物たちがやけに血生臭い過去を持つ人たちばかりだと印象付けられる。背景としては、近年起きている安保法案に関するデモが、40年前に起きた安保闘争とだぶり、二つの時間を行き来する作品を描きたかったのかなと感じさせられた。
とある人物を捜していく中で、現在起こった墜死事件と、40年以上前に起きた同じ場所での人物消失事件が取り上げられることとなる。ただし、探偵の目的としてはあくまでも人捜しゆえに、事件の真相をあぶりだすということは本当の目的ではないのだが、飛鳥井はそれらの解明にものめり込んでゆくこととなる。
なんとなく過去のシリーズ作品から比べると、ややミステリ性が薄いかなと感じられた。とはいえ、あくまでもハードボイルド作品ということを基調とすれば、このくらいのミステリ濃度で十分かとも思わせられる。ただ、ミステリ的な部分が薄いと、過去から現代にまたがる社会的な問題の方を描いた小説という部分のみ強くなってしまう。面白く読めたものの、過去の作品による期待感が大きかったため、ミステリとしてもう一工夫欲しかったなという感じ。
<内容>
1978年6月、ナディアと矢吹駆は作家のシスモンディから消失した手紙の謎について相談される。思想家クレールの元にシスモンディが持って行った手紙が、些細な時間の間に無くなってしまったのだという。その謎が解き明かされる前に、何者かに深夜に呼び出されたシスモンディは、ナディアを誘い、二人でセーヌ川に係留された船へと向かう。そこで二人が見た者は、全裸の女性の首無し死体であった。後の調査によると、その船は監視されていたことがわかり、犯人がどのように脱出したのかがわからない状況となってしまうことに。事件の謎は39年前に起きた連続J首無し死体遺棄事件に起因するのではないかと・・・・・・
<感想>
長かった、読むのに2か月以上かかった。ハードカバーで上下段二段組で800ページ。読み通すのに、ただただ根気が必要。
久しぶりの矢吹駆シリーズで、作品の流れとしては、前作の「吸血鬼と精神分析」の後に続く時系列。内容は、盗まれた手紙の行方と、首無死体にまつわる不可能犯罪の謎を解くというもの。実はこの作品、ミステリパートのみで考えると、そんなに詰め込まれた作品と言う感じではない。
本書を読むうえで、苦労した点は、とにかく政治、軍事、思想もろもろの時代背景に関する話が、あまりにも多く語られる事。これらがまた読みにくく語られている。何故、読みにくいかと言えば、それぞれの思想的な話に関して、一つの流れだけではなく、色々な国の話が散文的に語られ、とにかく知っていることを書き散らしたというような感じで書かれている。せめて、どこか一国に焦点を当ててとか、ひとつの流れに沿って、という書き方をしてくれればよいのだが、語りがあちこちに飛ぶために、内容が入ってこず、物語に没頭できないので読み通すのが大変であった。
ただ、ミステリ部分に関しては、何気に中編くらいのボリュームしかないのではと思いつつも、うまく話が描かれていたので、読みどころはあった。難解な謎について、矢吹駆流の推理により、過去に起きた事件を検証しつつ、理屈とつじつまを合わせて真相へと導いていくという流れには感心させられた。なんだかんだ言って、ミステリとして、しっかりと読み応えのあるものとして作り込まれている。ただ、それでもあまりにも長すぎる作品ゆえに、気軽にお薦めできる作品ではないというところが難点。