<内容>
奈津川家の四男、四郎は日本を離れ、単身アメリカ・サンディエゴでERで外科医を務めている。業務で忙しい日々が続く中、日本から母親が頭に怪我を負い重態との報告を受ける。四郎は疲れきった体を引きずるようにして、福井県の奈津川家へと帰ることに。
四郎の父親、丸雄は政治家であり、家長として家では恐れられ、嫌われる存在。長男の一郎は父の跡を継ぐように政治家秘書となり、政治家へと基盤を着々と築いている。三男の三郎は、小説家をしながら、家出ぶらぶらとしていた。次男の二郎は17歳の時に丸雄と大喧嘩し(17歳までの間、ずっと大喧嘩していた)突如、閉じ込められていた蔵(祖父が自殺したという因縁つきの蔵)から消え去り、そのまま消息不明となっていた。
四郎が帰り、母親のことを聞くと、なんでも最近出没している、主婦連続殴打事件に巻き込まれたという。母親がその五人目の被害者だというのだ。被害者は死亡こそはしてないものの、何人かは意識不明の重態となっており、皆、頭を殴られた後に、頭にビニールをかぶせられて、生き埋めにされていたというのだ。さらにそこには暗号のように、ぬいぐるみやら奇妙な符号の付いた写真やらが必ず落ちているのだという。
奈津川家では、この事件は二郎のしわざではないかと・・・・・・
<感想>
講談社ノベルズはニ段組が通常であるのに、なぜか、この小説は1段である。読み始めてみると、妙な文体が続き、段落わけが少ないことから、その効果を狙ってニ段組にしないのだなと思っていたが、この文体も最初だけで、途中からは、高校生の独白のような文章となってしまう。まぁ、このほうが読みやすいから助かるけど。
中身はけっこう面白い。極上のエンターテイメント小説といってよし。壮絶な家族物語と連続殴打事件が折り重なって、一つの物語をかもし出している。この中の連続殴打事件も、奇妙な暗号がありすぎる点がなんとも不可解だが、動機などが面白く、それだけでも一つの話として成立した、しっかりしたものとなっている。それだけでも話としては十分で、家族凄絶物語のほうは、それにうまく色をつけているのか、余分なのかは微妙なところ。
<内容>
「何とかと煙は高いところが好きと人は言うようだし父も母もルンババも僕に向かってそう言うのでどうやら僕は煙であるようだった」
煙になれなかった「涼ちゃん」が死んで二年。十五歳になった「僕」と十四歳の名探偵「ルンババ」が行く東京の修学旅行は僕たちの“世界と密室”をめぐる冒険の始まりだった!
<感想>
奇想天外のトリックであるが、この物語にマッチしている。
この物語の中でバカミスと呼びたくなるような密室トリックが挙げられている。もし、他の作品でこのネタが出されていたら、怒りだしかねないようなものだが、不思議と本書の中では許す気になってしまう。まさにこの作品にこの密室ありといったところだ。
また物語としてもうまくできており、見事青春小説とマッチしたミステリーになっている。恐るべし舞城王太郎。
<内容>
「熊の場所」 (2001年9月号:群像)
「バット男」 (2002年2月号:群像)
「ピコーン!」 (書き下ろし)
<感想>
舞城氏によるミステリではない短編集。「世界は密室でできている」からミステリ部分を抜いたような作品といえばわかり易いかもしれない。
猫殺しを続ける小学校の同級生になぜか惹かれつづける「熊の場所」
バットを持った浮浪者による間接的な影響を描いた「バット男」
元暴走族の夫婦の生活を描いていく「ピコーン!」
どの作品も舞城調によるテンポで淡々と語られてゆくものの、その中にそれぞれの主人公の悩み、迷いなどが独特の表現で浮き彫りにされる。そしてどれにも共通することであるが、必ずしも物事がうまく解決されるわけではなく、時には残酷な道のりを経て物語が進められる。とはいうものの、決して暗鬱に語られるわけではなく、それが淡々と語られる様に主人公の強さ(もしくはあきらめでしかないのかもしれないが)が感じられ、単なる不幸物語には終わらない。これを文学と呼べるのかどうかはわからないが、少なくともこれが2002年にかかれた極めて今の世の中を風潮するような現代的な作品であるということは確かである。
<内容>
恋するアイコがガーリッシュに悩んでる間も世界は大混乱! 殺人鬼はグルグルだし子供は街で大爆発!! 魔界天界巻き込んで、怒涛の傑作、今ここに降臨!!!
<感想>
予想だにしない展開にて読者の度肝を抜きながらストレートな語り口で世界を構築していく。小気味良いのかどろどろしているのかの微妙さ加減の中で話が進められていくのはまさに“舞城節”である。
女子高生を主体にした青春小説なのかと思いきや、誘拐、連続殺人鬼、暴動と状況は猛スピードにて混乱していく。また、意味深な題名に実はいろいろな要素が隠されている。
相変わらずのストレートな表現によって、ゆがんだ世界を突き進む。出だしからは、脱ミステリの方向で進んでいくのかと思わせたが、徐々にミステリの方向へも広がっていく。それが完全にミステリであるとはいいがないものではあるが、ミステリ的にまとめているように見受けられる部分もある。一言で言えば“舞城氏らしい、いつもの作風”であるとなるのか。
第一章の流れは好きだったのだが、突然妙なファンタジーのような第二章とか、むりやりまとめてしまって落着いている第三章はあまりいただけなかった。第一章のキレたようなノリのままで突っ走ってこその“阿修羅ガール”ではないかと思ったのであるが・・・・・・
結局、今回の作品ではそのミステリかそうでない方向かへの傾き加減が中途半端だったように思える。このような出だしであるならば、脱ミステリ路線の青春小説で突っ走っていってもらいたかった。
<内容>
「苦しさを感じるなら、僕なんて愛さなくていいんだ」
聖書/「創世記」/「ヨハネの黙示録」の見立て連続殺人を主旋律に、神/「清涼院流水」の喇叭が吹き荒れる舞台で踊りつづける超絶のメタ探偵・九十九十九の魂の旅が圧倒的文圧で語られる。
舞城王太郎の手による“JDCトリビュート”ここに極まれり。
<感想>
怪物・舞城王太郎は“流水大説”さえも喰らい尽くすのか!
西尾維新氏に引き続き舞城氏が手がけるJDCトリビュート。なんとその題材は“九十九十九”。これをどのように表現してくれるのかと思いきや、のっけからのけぞらせてくれる。これがあの“九十九十九”なのかと。そのような強烈な登場を果たしておきながら、そこからさらにメタに継ぐメタ。現実なのか虚構なのかがだんだん分りづらくなり、それはまさに深淵の中に飲み込まれてゆくかのようにおちいる。
この作品を読み始めたときはJDCトリビュートとはいえ、舞城氏らしさ爆発だな、と感じた。しかし、読んでいるうちにある感覚に陥り始める。そう、まるでジョーカーやカーニバルを読んでいるかのような、だんだんと目を通すだけになってくるような、あの意味がありそうでない文字のら列を追っていくだけのような・・・・・・はっ! これは“流水大説”!! そう、いつしか舞城氏の作品はあの流水大説であるかのごとく、様相を変え始める。それは舞城氏が流水大説を喰らったのか? それとも流水大説に摂りつく清涼院氏の思念が舞城氏を侵食し始めたのか。いつしかこのトリビュート作品は読者の思いをよそに、二人の作家の観念における戦いへと発展し始めていたのだった・・・・・・
と、あれこれ書いてはみたものの、では小説としてどうなのかというと面白いといえるものではない。最初はそれなりにミステリーしてはいるものの、それがだんだんと意味をなさないものになってしまう。結末に至っても、特に全体を通しての到達点というものは感じられなかった。本書は清涼院氏の流水大説を好んで読む人か、舞城氏のファンである人向けというような限定的なものと言えよう。
<内容>
中学生の獅見朋成雄(しみともなるお)は獅見朋家代々に伝わる背中の“たてがみ”が生え始めてきた。その鬣が生えたことによって成雄が思い、悩み、感じ、また行動せざるべきものとは。
<感想>
最近の舞城氏の小説は私が求めているものとは異なる方向へと進んでいっている。私にとっての舞城氏のピークは「世界は密室でできている」であり、その次の「熊の場所」や「阿修羅ガール」あたりからミステリーとは違う方向へと進み出し始めた感がある。しかし、まだ「阿修羅ガール」あたりは進むべき方向がある程度示唆されていたような気はしていたのだが、近頃の作品はどういう方向性をもって書かれているのかがよくわからない。
本書はある種どのような感想をも抱くことができる。“再生”の物語ということもできよう。または“友情”の物語といってもいいかもしれない。もしくは、“愛情”“恋”“ファンタジー”“絶望と希望”などとなんとでもいうことができる。結局、その辺のところは読者にゆだねられているのかもしれない。ただ、残念ながらこういう作品を私自身は楽しむことができなかった。しかし、舞城氏はこれからはこの作品に近いような小説を書いていくのではないかと思える。明らかにミステリーではないと思える作品からは距離をおいてみようかなと考え始めているところである。
<内容>
(省 略)
<感想>
わけがわからんが、何かすごい小説。長い作品で、とても一読では最初から最後まで理解するというのは到底無理。
これを読んでいて感じるのは、ここに書かれているミステリネタを使えば、普通の推理小説を数冊書くことができるのではないかということ。もったいないと思う反面、舞城氏にしてみれば、とてもそんな普通の小説を描くことには満足いかないのだろうと考えられる。
何しろ探偵が時空を操り、時を超え過去へ戻り未来へと赴くだけでなく、空間までも飛び越えて別の世界へと行ってしまう日には、常人では到底理解できない。ただ、わけのわからない小説でありながら、複数の探偵たちが、多数のギャラリーをひきつれて、ワイワイと推理を披露していく場面などには楽しさを感じてしまうのである。
妙な魅力がある小説であることは確かだが、とても万人にお薦めできる作品ではない。ミステリ好きに薦めるということもできず、舞城氏好きにしか薦めることができない。またはミステリに興味がないというSFファンあたり薦めれみれば面白いと感じてくれるのかもしれない。