森博嗣 Vシリーズ  作品別 内容・感想

黒猫の三角  DELTA IN THE DARKNESS   6点

1999年05月 講談社 講談社ノベルス
2002年07月 講談社 講談社文庫

<内容>
 三年連続で起きている殺人事件。最初は11歳の者が殺害され、次は22歳、33歳と。いずれも同じ凶器で殺害されている事件。そして、今年も新たなる被害者が! 阿漕荘に住む探偵・保呂草は、大家であり阿古護送の隣に建つ桜鳴六画邸に住む小田原静江から警護の依頼を受ける。当日、いつもバイトを頼んでいて同じ阿漕荘に住む小鳥遊練無と香具山紫子と共に厳重に警戒する中、衆人環視の密室で小田原静江は殺害されてしまう。かつて桜鳴六画邸当主でありながら、今は没落し、敷地内の離れに住まわせてもらっている瀬在丸紅子によって語られる推理とは!?

<感想>
“S&Mシリーズ”を通して読んで、とりあえずこの“Vシリーズ”の最初の作品まで読もうと思い、なんとかここまで到達できた。2年以上かけて読み通すことができた。

 本書はシリーズの最初と言うこともあり、ここでレギュラーメンバーが紹介され、その後のシリーズに続くように書かれている。そして、本書で起こる事件は、ある種のシリアルキラーによる犯罪が描かれている。奇妙なルールにのっとった連続殺人事件の謎にレギュラーメンバーが挑むこととなる。

 本書を読んでいて奇妙に思えるのは、全くとっていいほど容疑者について言及されないこと。犯行現場に怪しげな人は多々いたものの、それらの人々に対する事細かな説明や描写がなされないのである。犯人はシリアルキラーっぽい殺人鬼ゆえに、登場人物表に掲載されていないものが犯人だと言うことがありうるのか?

 本書を初読の人は、といったような微妙な感触を抱くかもしれない。ただ、私は再読であり、犯人の正体がわかっているので、異なる捉え方をすることができた。それについては、ネタバレになってしまうので、説明できないのだが、この作品は再読してみると、初読時とは異なる感情で読むことができるものとなっている。

 そんなわけで、初読時は微妙な読書となるかもしれないが、二度読んでみると本書に対する深さをより感じることができると思われる。と、そんな感じでVシリーズ最初の作品を再読したのだが、さすがにVシリーズ全部を読み返そうとは思わないので、とりあえず森氏の作品再読の試みはこれくらいで終わりでいいかなと思っている。


人形式モナリザ  SHAPE OF THINGS HUMAN   5点

1999年09月 講談社 講談社ノベルス

<内容>


月は幽咽のデバイス  THE SOUND WALKS WHEN THE MOON TALKS   5点

2000年01月 講談社 講談社ノベルス

<内容>


夢・出逢い・魔性  YOU MAY DIE IN MY SHOW   6点

2000年05月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
「夢の中の女に、殺される」・・・・・・N放送のプロデューサは、20年以上前に死んだ恋人の夢に怯えていた。彼の番組に出場する小鳥遊練無たちの前で事件は起きる。銃声は一発、ところが密室の中の死体には銃創が二つ?

詳 細


魔剣天翔  COCKPIT ON KNIFE EDGE   6点

2000年09月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 航空ショーでアクロバット演技中のパイロットが撃たれ、死んだ。航空機は二人乗り。パイロットが座っていたのは後部座席。しかし、撃たれたのは背中から。犯人は一緒に搭乗していた女性記者なのか? 衆人環視の中、成立した空中の完全密室!! この謎を、瀬在丸紅子が解き明かす。

詳 細

<感想>
 あいかわらず事件そのものを強調することもなく淡々と進む話しの流れ、よりどころのない会話といい、良くも悪くもこれがVシリーズだといわんばかりの相変わらずの構成。それにしても突然の関根朔太の告白にはまいったが。

 ただ、今回の作はいままでのVシリーズ五作のなかでも一番よかったと思われる。空中での誰もいないはずの背後からの銃殺。解答もアクロバティックではないものの、オーソドックな本格らしく仕上がっている。犯罪予告の暗号状における瀬在丸の指摘やダイイングメッセージといい(これはちょっとと思わないでもないけど)、ラストですっぱりと謎を明らかにしていく様は壮快であった。

 シリーズ中の傑作なのだろうか? それとも読者がこのシリーズに慣れてきたのか?


恋恋蓮歩の演習  A SEA OF DECEITS   6点

2001年05月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 大笛梨枝はさる文化教室で羽村怜人と出会う。話すうちに二人は意気投合し、梨枝は怜人に恋心を抱く。やがて二人は惹かれあい、仲が進んでいったときに旅行に出ることに。彼らは豪華客船ヒミコ号での船旅を選択する。
 保呂草は前回の事件でもかかわった画家・関根朔太の自画像の強奪をたくらむ。その絵を持っていると思われる資産家の鈴鹿家を紫子の手を借りて毎日張り込みを続ける。そんな中、保呂草はこれまた前回の事件で関わりあいになった各務亜樹良によって、鈴鹿が持つ関根朔太の自画像が豪華客船ヒミコ号の船上でオークションされるという情報を受ける。そこで彼は紫子を伴って船に乗ることに。
 保呂草に許された時間は那古野から宮崎までの一日半だけ。しかもなぜか見送りに来たはずの小鳥遊練無と瀬在丸紅子が無賃乗客したまま航海に居座ってしまう。そして船旅の夜、突然の銃声の後、男性客の消失事件が発生。楽しい旅行? 絵画強奪? は意外な方向へと!?

<感想>
 保呂草の泥棒物語、はたまた紅子のための事件。

 読んでいる途上では、あれこれと文句をつけたくなることもあったのだが、最後まで読み通してみるとけっこうすっきりとしてしまう。物語の内容としては上々のものではないだろうか。この作品を読むと、ルパン3世というわけではないにしても、保呂草の怪盗としての物語を書きたかったのだろうと思える。しかし、今作品Vシリーズが枷になり紅子の存在が邪魔だったのではないだろうか。事件自体も紅子のためだけに起こしたようでもあり、はたまた別に紅子がでしゃばらなくても、とも思えないでもない。それとも作者の考え方の移り変わりとして、紅子が主体であったかのようなVシリーズが保呂草主体に、という分岐点の作品となるのであろうか? 次回作に注目!!


六人の超音波科学者  Six Supersonic Scientists   6点

2001年09月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 六人の科学者が集う土井超音波研究所。そこに通じる唯一の橋が爆破され、山中深くに築かれた研究所は陸の孤島となった。仮面の博士が主催する、所内でのパーティの最中に研究所内の博士の一人の死体が発見される。招待されていた瀬在丸紅子たちは真相の究明に乗り出すが、紅子と練無は無響室に閉じ込められ、練無に魔の手が! さらに博士たちの中から犠牲者が!! そして消失してしまった一番目の死体!? これらの事件はどうつながるのか。紅子はこれをどう推理するのか!?

<感想>
「恋恋蓮歩の演習」で見事だまされたので、警戒しながら読んでいた本書。そしたら実にど真ん中ストレートの直球勝負で攻められた。ただ、ずばり言ったら地味なんだよねぇー。

 そして、今回意外性を感じなかった理由は、犯行を他へと匂わす仕掛けが少なかったせいがあるだろう。あんまりいろいろ述べてしまうと犯人がわかってしまうのだが、博士たちひとりひとりの紹介とか客たちの紹介とかが少なく、個性が感じ取れなかったところがポイントであろう。

 無理やりオールスターキャストにするよりは、仕掛けを成功させるような要素を盛り込んでほしかった。それでなくても十分いけるないようだと思うので、見せ方によってはもっと面白くなると思うんだけどなぁ。それともそのプラスアルファの部分をキャラで補うという形がこれらシリーズ作品の特徴なのだろうか。


捩れ屋敷の利鈍  The Riddle in Torsional Nest   6点

2002年01月 講談社 講談社ノベルス密室本

<内容>
 秘宝“エンジェル・マヌーバ”が眠る“メビウスの帯”構造の捩れ屋敷。密室の建物の内部で死体が発見され、秘宝も消えてしまった。さらに、完璧な密室に第二の死体が! 招待客は保呂草潤平、そして西之園萌絵。探偵は前代未聞の手法によって犯人を言い当てる。

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<感想>
 従来の著者の本に比べてページ数が短い。講談社ノベルス創刊20周年記念特別書下ろし作品ということによるものなのだろうか。登場人物も、現在続けられているVシリーズの面々ではなく、キャラクタとしては保呂草と西之園萌絵の二人のみ(あと国枝が登場)の登場という異色作。主要キャラクタが少ないせいでページ数が短くなっているのだろうか? 本作における内容であればいつものページ数のものが書けるのではないかと思うのだが・・・・・・

 なぜページ数にこだわるのかというと、事件が起きたときに現場が密室になっているのだがそれが説明不足に感じられたためである。もう少しその密室の堅牢ぶりやあらかじめの建物の概要を紹介(特に第二の密室)してくれないと、不可能性に納得がいかないまま事件が解かれてしまう。せめてこれならば図でも入れてもらいたかったものだ。


朽ちる散る落ちる  Rot off and Drop away   6点

2002年05月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 土井超音波研究所の地下、出入りが絶対に不可能な完全密室で、奇妙な状態の死体が発見される。一方、地球に帰還した有人衛星の乗組員全員が殺されていた。数学者小田原長治の示唆で事件の謎に迫る瀬在丸紅子は、正体不明の男たちに襲われるが・・・・・・

<感想>
 比重としてはミステリというよりも、Vシリーズキャラクタによる物語のほうに比重がおかれているような気がする。それも、今作の中だけでというわけでもなく、前作や次の作品などにからめて(伏線を張っているというわけではないと思うが)の保呂草の仕事に関する部分や紅子の生い立ちなどである。

 今作の内容でのミステリの部分なのだが、トリックとしては面白いと思う。しかし、そのトリックがただ単に独立していて、話となんのからみもないのが欠点。ただ、“ここ”に“こういうものがあり”、“こういう風にした”。というだけで終わってしまっている。

 それにしてもこのシリーズ、全体を通して何か仕掛けがあるというわけではあるまいが・・・・・・


赤緑黒白  Red Green Black and White   6点

2002年09月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 深夜、マンションの駐車場で発見された死体は、全身を真っ赤に塗装されていた。数日後保呂草は、被害者の恋人と名乗る女性から、事件の調査を依頼される。解明の糸口が掴めないまま発生した第二の事件では、色鮮やかな緑の死体が! 美しくも凄愴な連続殺人。

<感想>
 前作「朽ちる散る落ちる」と同レベルくらいのできである。ミステリーとしては凡作であるし、目新しいようなものもなかった。また、最近の作品の特徴として動機などにはあまり追求しないことにより、登場したのに意味のないまま終わってしまう人たちや、話があやふやなうちにぼかされてしまうというようなところが多々ある。

 要は、今作も通常の“Vシリーズ”の一作にしかすぎない。登場人物の動きやシリーズを通しての話として気になる部分があり、それがページをめくらせる原動力となっている。もはや一冊の作品としてより、“Vシリーズ”の行方とその次のシリーズの行方しか気にならなくなってきている。

<追記>
 感想を書いたとき、この「赤緑黒白」がVシリーズの最終作だとは思っていなかった。前シリーズと同様に10冊で区切りをつけるものだとはわかっていたのだが「捩れ屋敷の利鈍」は外伝的な作品で一冊として数えないのかと勝手に思い込んでいたためにもう一作でるのだと思い込んでいたのだ。他のHPの感想などを見ているうちにそのことに気づき、著者のHPにてさらに確認をとったしだいである。

 いやーー、終わっちゃったんですね。なんだったんだろう、このシリーズ、というのが正直な感想。Vシリーズと前S&Mシリーズとの関連は自分では全く気づかなかったものの、これも他のHPにて理解することができた。でも10作書いて、目玉が前シリーズとの関連のみというのも少し寂しい気がする。もう少し保呂草のキャラを立てるとか、目的を明確にしてもらえればなどと思うところは多々あった。結局、あっという間に、さらっと終了という印象のみのシリーズであった。


四 季

2003年09月 講談社 講談社ノベルス
2003年11月 講談社 講談社ノベルス
2004年01月 講談社 講談社ノベルス
2004年03月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 天才科学者、真賀田四季。彼女はどのように生を授かり、どのようにして育ってきたのか。そして彼女が必要以上に犀川の前に姿を現す理由とは。「すべてがFになる」で起きた事件の真相が今明らかに! そして四季は何を望み、どこへ行こうとするのか。

<感想>
「四季四部作」というタイトルが付けられているものの、これだけで独立した作品であるとはいえない。主人公である真賀田四季は元々“犀川&萌シリーズ”の登場人物であるので、当然この一連の作品を読んでおかなければ話の内容を理解することはできないであろう。また本書はその“犀川&萌シリーズ”の補完的なものだけではなく、“犀川&萌シリーズ”と“Vシリーズ”をつなぐ役目ももっている。ゆえに、これら一連のシリーズ(つまり講談社ノベルスから出版されているもの全部)を読んでおかなければ「四季」の内容を本当に味わうことはできない。

 この「四季」という作品でなんといっても目玉となる部分は前述したとおり“犀川&萌シリーズ”と“Vシリーズ”の関係が明らかになるということだろう。私は“Vシリーズ”を読んでいるときは、前のシリーズとなんらかの関わりがあるとは全く想像していなく、何も考えず淡々と読んでいた。ただ実をいえば、私自身はこの「四季」を読む前にとあるHPにて、すでにこのネタを予想して書いているものを見ていたので本書に対する驚きは薄かった。しかし、最初にその事実を知ったときにはなるほどと思い、こんなところまで計算して書かれていたのかと感心してしまった。今まで読んだシリーズ作品は一冊一冊としてそれなりのクオリティーを保ちながらも、それらがシリーズ全体として意味を持つ作品として書かれていたということはすごい事であるとしか言いようがない。

 そして本書の「四季」自体の内容に関してなのだが、これ単体としては思うところはあまりない。“春”はまだミステリーという形態がとられ、単独作品としてもそれなりに完成されていたと思うのだが、他に関してはもうすでに1冊の本という形態には収めようとはしていなかったように感じられた。“夏”では「すべてがFになる」の舞台となる島へ四季がこもることになるまでの顛末が書かれ、“秋”では四季自身がほとんど出てこない。そして“冬”では現在と未来に時間軸がずれながら進行し、四季の思いらしきものが語られてゆくという具合になっている。“冬”においては、本書が前述したシリーズに影響があるということだけでなく、森氏が書いた他の作品にまでも、その軌跡が残されているということが明らかにされる。

 結局のところ本書を読んでの感想というのは、四季自身に対する人生の収束というよりは、“犀川&萌シリーズ”から始まる一連のシリーズの後始末が“四季”の名の元において行われたというように感じられた。これが書かれて、そしてこれを読んで初めて一連のシリーズが終わったといえるのであろう。




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