<内容>
永広影二、40歳。彼が実家に帰る途上、妙な感覚におちいる。そして実家の駅についたとき、ある異変に気付くことに! 彼は40歳の姿のままで23年前にタイムスリップしていたのだった。父親が殺されたあの年に。未解決の父親の死。姉の失踪劇。時を越えて彼にせまる過去の謎を解き明かし、父親の命を救うことはできるのか?
<感想>
いわゆるタイムスリップもの。分かり易くいえば、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」である。実際、本当にそんな感じ。ただし、全体的にページの薄さも影響しているのか、かなり物足りなさを感じてしまう。謎というのが、父親の死に関することぐらいで、中盤は終始それについての推測のみにページが割かれている。しかもその解決というのも、読者にインパクトをさほど与えるものでもない。
特に内容がタイムスリップものという、目新しいものではないからこそ、この作品ならではというものが付け加えてもらいたかった。それでも西澤作品らしさというのは十分に感じられるものになっているのだが。
<内容>
SF作家の森奈津子がコンビニにて、とんでもない事件と遭遇した。何やらわからぬままに爆風に吹き飛ばされたかのように店内にいた人々が倒されてしまうという事件。その爆風は何と宇宙人によるものであり、爆風に吹き飛ばされた女性は皆、股間に男性器が生えてしまうという事態に! そんな事にもたいして動じない森奈津子であったが、今度はなんとその男性器を持った女性ばかりが狙われるという連続殺人事件が発生することとなり・・・・・・
<感想>
感想はひと言で言えば「思っていたよりも探偵小説していなかったな」という事だけ。
起きた事件はまさに珍妙といえる。なんの脈絡もなく、宇宙人によって女性に男性器が生え、その女性達が次々と殺害されてゆくというもの。こういった展開であれば、もちろん何故その女性達が殺害されなければならないのか? などといった理由がSF的な設定に絡められてどのように描かれるのかと言う事を楽しみに読み進めていった。しかし、本書の中ではほとんどが探偵小説的な展開はなされずに、女性と女性の絡み合いばかりが描かれていた。どちらかといえば、ポルノを絡めた探偵小説を書くというよりは、探偵小説を書くという建前の中でポルノを書きたかったのでは? と邪推したくなってしまうような内容であった。しかも結構ページ数があったりするから、本当にもうそういった印象だけが強く残るだけ。とはいえ、個人的には楽しめなかったと言えないわけでもなくはない(←適当に言葉尻を濁らしたりして)。
<内容>
見ず知らずの若い男に殺されそうになりながらも、なんとか助かった梢絵。だが、なぜ自分がこんな目に遭ったのかが全くわからない。警察の調べでは、男の手帳に残されたメモから、彼が連続無差別殺人事件の犯人であることが濃厚であるという。最後のターゲットの梢絵だけが助かったのだとも。ところが男は事件後に失踪し、依頼、行方が知れない。事件から四年後、梢は、男が自分を襲った理由をはっきりさせるため、<恋謎会>に調査を依頼した。各メンバーはそれぞれが持ち寄った“証拠”をもとにさまざまに推理を繰り広げるのだが・・・・・・
<感想>
反則すれすれの西澤流ロジックミステリー。お題はミッシングリンク。著者の匠千暁シリーズもののように、何人かが集まり謎について推理(憶測?)を展開してゆく。本書は千暁シリーズよりもシリアス調であり、かつ、警察などによる裏づけも加えて推理を展開していくところが特色となっている。
ある種の「毒入りチョコレート事件」のようでもあるが、論理という部分においてはあまり納得しきれない。この部分では従来の酩酊推理と同じく、憶測の色が相変らず強い。さらには、途中で事実に対する反証が次々と加えられるというのもどうかと思う。まぁ、いつもの酩酊推理調の突飛な考えをあれこれ聞くといううえではなかなか楽しむことができる。
そしてラストになり、一筋縄ではいかない展開が読者を待ち受けている。それまで不透明だった部分が一気に開けて、これしかないという解決がそこで明らかになる。ただし、それには色々と穴があったり、反証したくなる点もあるのだが・・・・・・それでもここで読者は著者が行いたかった展開に気づき、驚かされることは間違いないであろう。そして残ったのは一人の・・・・・・
<内容>
巨大シャンデリアの落下事故は、“意図した超能力”による犯行か、あるいは“意図せぬ超能力”によるものか!? 極めて情緒的な動機を苦いまでに清明な論理で解き明かす表題作ほか、“論理の神業”が冴え渡る。どう見ても中学生に見えない美少女・神麻嗣子ほか、今回は能解匡緒、遅塚聡子らが大活躍!
「不測の死体」 (2001年1月号:小説現代増刊メフィスト)
「墜落する思慕」 (2001年5月号:小説現代増刊メフィスト)
「おもいでの行方」 (2001年9月号:小説現代増刊メフィスト)
「彼女が輪廻を止める理由」 (2002年1月号:小説現代増刊メフィスト)
「人形幻戯」 (2002年5月号:小説現代増刊メフィスト)
「怨の駆動体」 (書き下ろし)
<感想>
“チョーモンイン”シリーズに限らないが、いつもながらの突飛な論理の飛躍振りは相変らずである。ただ、そこに付け加えられる“強引に納得させられる理由付け”も冴え渡っている。
このシリーズにおいて基本的なスタンスというのはずっと変わっていないのだが、今作において微妙に変わってきたと思えるところがある。作品としては「猟死の果て」から、最近のものでは「夏の夜会」に感じるのだが、論理というよりも登場人物の感情的な部分によりスポットが当てられている気がする。そして特に今回の作品では今まで出てきた主要登場人物たちの出番が控えめになっているので特にそれを感じたのかもしれない。えてして“チョーモンイン”シリーズというのは“キャラ萌え”として取られられてもおかしくない作品群である。それを払拭しようとしたのかどうかまではわからないが、多少なりとも著者なりの変化があったのだろうか? とはいうものの次作はまたどうなっていることか楽しみである。
このシリーズはいちおう続きものとなっていて全編における仕掛けが張り巡らされており、それらしい表記もそこここに見られる。しかしながらもうこれらも長年続いているためすでに時系列などはごちゃごちゃになっている。完結したら読み直したほうがいいかな。
<内容>
「この世界のルールを理解しよう、なんて無駄な努力は諦めた」。印南野市で発生した連続女性殺人事件。遺体の口には必ずある紙片が、現場には犯人の指紋がべったりと遺される。やったのは“ファントム”・・・・・・まるで実体のない幻のようなやつ。「ここにいる自分とは、その存在とは、いったい誰のものなのだろう」。彼の自問は、谺せず、ひとり美しい構図を描き切る!
<感想>
著者からの注釈で、「本書は“本格”でもなければ“ミステリ”でもない、幻想ホラー小説の方向を模索」と書かれている。しかしその割には、あまりにもミステリ的にしすぎてしまったように思える作品。
上記の注釈から、本書を読む際には“ミステリ的な収束はしませんよ”ということを踏まえて読んでもらいたかったのであろう。ただ、その注釈をいれなければならないほど“ミステリ的作品”となっている。その辺を踏まえずに読んでもらえばラストでどのような解決がなされるのかと期待せずにはいられないような創りになっている。結局読み通していけば著者がどのような“幻想的世界”もしくは“幾何学的な美しい世界”というものを創造したかったのかはよくわかる。その反面、このような世界を描きたかったのならばもう少しミステリから離れて世界を構築してもらいたかった。
わかっていても、日頃から日常から逸脱した世界を構築し、そのなかで本格ミステリを築いてきた著者だからこそ、どうしても“ミステリ的”な世界の収束を期待してしまうのだ。
といったところを踏まえた上で読んでいただければ、新たなる西澤氏の世界を堪能することができるのではないのだろうか。ぜひとも著者が到達せんと目指した世界の様相をながめていただきたい。
<内容>
さまざまな悩みを持つものが、その男の元を訪れる。だが誰もが皆どうやってここに来たのか、誰から紹介してもらったのかも覚えていない。その男の名は“ハーレクイン”。その男は人々の願いをなんでもかなえるというのだが・・・・・・
「トランス・ウーマン」 (小説すばる:1998年9月号)
「イリュージョン・レイディ」 (小説すばる:1999年3月号)
「マティエリアル・ガール」 (小説すばる:1999年5月号)
「イマジナリィ・ブライド」 (小説すばる:1999年9月号)
「アモルファス・ドーター」 (小説すばる:2000年7月号)
「クロッシング・ミストレス」 (小説すばる:2001年2月号)
「スーサイダル・シスター」 (小説すばる:2001年7月号)
「アクト・オブ・ウーマン」 (小説すばる:2002年6月号)
<感想>
著者の最近の著作の中で“記憶を掘り起こす”というものが何点か見受けられる。ただ、そういった作品にはどうも違和感をぬぐうことができず、覚えていてしかるべきことまで忘れているのはおかしいのではないかと感じてしまうのだ。今回の短編集も当初はそのような内容なのかと思ったのだが、もう少しバラエティに富んだものであった。かつ、記憶を扱ったものもあるのだが、本書においてはそれらをあまり違和感を感じさせることなく、うまく取り扱っている。
特に最初の作品「トランス・ウーマン」では“記憶”ネタのようになるのかと思いきやギリギリのところで踏みとどまり、“虚栄心”を取り扱った作品として完成している。この展開はうまくできている感じさせ、他の作品も同様に楽しむことができた。
作品群にはミステリとして真実を追及していくものや時にはSFテイストのものまである。また、記憶を掘り起こすという内容のものもあるがこちらは良い作品に仕上がっている。“記憶”ものは短編で扱うほうがいいのかもしれないと感じさせる。
さまざまな様相をみせる作品集にできあがっており、読むものを飽きさせることはないであろう。誰もがかならずや“ハーレクイン”の世界に魅入られるはず。
<内容>
マモルがこの学校に来て半年がたつ。そこは生徒がたった6人の学校。しかも日本人はマモルただ1人。ここの生活に慣れてくるにしたがって、いったいここは何のための学校なのだろうと考え始める。しかし、ある日新入生がこの学校を訪れたとき学校に潜む“邪悪なモノ”が目覚め始める。そしてそれは平穏な世界の崩壊へと・・・・・・
<感想>
この試みには感心してしまう。西澤氏のアイディアはまだまだ枯渇しないようである。
10代前半の多国籍の少年少女たちが集められた施設で起こる事件が描かれたもの。この物語で一番興味深いものは、その施設は何のためのものであるかということ。集められた少年少女たちもそれぞれの推理を互いに繰り広げていく。ただ、これは誰がどのように考えてもなかなかしっくりといく回答というものは見つからないのではないだろうか。あれこれ考えても、どうしても妙な部分や細かな疑問点は残ることとなる。しかし、それがラストによって世界が音をたてて崩れ落ちたときに、全てが明らかになる。
この物語に微妙な感情を持つ少年少女をもってきて、歪んだ世界観を書き表すというのはとてもマッチしていると思う。その不思議な世界の中における数々の不思議な現象、またその世界が揺らぐ瞬間の意味、これらの全てに重要な意味が与えられている。そして突然の殺人事件の露呈により起こる世界の崩壊。これらの崩壊の様が悲しいながらも、ある意味必然なのだろうと納得させられてしまう。
何を書いているのか判りづらいだろうが、ネタバレしないように注意しているつもりである。とりあえず、この本を手に取りその少年少女らが歩む世界へと足を踏み入れてもらいたい。そうすれば何を言いたいかはわかってもらえるはずである。
<内容>
「怪獣は孤島に笑う」 (平成10年6月号:小説新潮)
「怪獣は高原を転ぶ」 (平成10年11月号:小説新潮)
「聖夜の宇宙人」 (平成11年1月号:小説新潮)
「通りすがりの改造人間」 (平成13年3月号:小説新潮)
「怪獣は密室に踊る」 (平成14年2月号:『大密室』)
「書店、ときどき怪人」 (平成14年5月号:小説新潮)
「女子高生幽霊綺譚」 (平成14年12月号:小説新潮)
<感想>
“行きたいところへ、行ってしまうぞ、どこまでも”
ミステリーの観点から見ると、あぁ西澤氏が遠いところへ行ってしまった・・・・・・というように感じるが、そこは視点と度量を大きく広げユーモア・ミステリーとして読むべき本であろう。
大怪獣や人造人間、宇宙人、幽霊とありとあらゆる特撮物の住人たちがこぞって本書におしよせてくる。著者いわく“特撮物”というように銘をうっている。そして本書の特徴はその未知の生物について何ら説明はなされないということである。ただ単に、そこに出てきてしまった物体。それらが時に事件に密接に関係していたり、もしくは事件に全く関係なく現場をひっかきまわすだけであったりと、何がどうなるかは予想できない展開が繰り広げられる。
そこで繰り広げられるミステリーはあいた口がふさがらなくなるようなものから、時には従来の西澤氏の著作のような論理的展開が飛び出したりと、これもまた予想がつかないものである。論理的な展開も時には“はっ”とさせられるようなこともあるのだが、基本的にはいつもの練りが足りないかなという印象。本書におけるミステリーとしての楽しみは、細々としたところではなく、どのような展開が飛び出してくるのかと大味なところを楽しむべものなのであろう。
余談ではあるが、読んでいるうちに西澤氏の作品ではなく挿絵を書いている喜国氏の作品であると錯覚してしまったのは私だけであろうか?
<内容>
「招かれざる死者」
「黒の貴婦人」
「スプリット・イメージ」
「ジャケットの地図」
「夜空の向こう側」
<感想>
読んでいて、なんとなく寂しさを感じてしまった。何が寂しいかというと、本書ではこの“匠千暁シリーズ”がすでにリアルタイムで進行していなくて、同窓会めいた雰囲気をかもし出していることにである。やはり、彼らは大学生のままがいい。学生気分にひたりながら、あぁでもない、こうでもないと、長々と論議推論を夜通し語り続けることがこのシリーズの魅力なのではないだろうか。それが社会人という現実的な雰囲気のなかに呑まれてしまうと、あわただしい時間の流れにからみとられてしまったように感じられてしまう。タックたちはいつまでも学生のままがいいと思う。
というわがままは置いといて、本編の内容であるが、どの短編も短すぎるように感じられる。やはりこのシリーズの魅力は、あぁでもない、こうでもないと、いろいろな可能性を追求し、議論しつくすことが魅力ではないだろうか。ゆえに短すぎると淡白にかんじられてしまうのである。
本書の中では「招かれざる死者」と「スプリット・イメージ」の2編が従来のシリーズらしい作品かと思う。「ジャケットの地図」なんかは外伝的に感じられ、「黒の貴婦人」と「夜空の向こう側」あたりはミステリーというよりも、シリーズの登場人物達の感情や近況のほうに主題が置かれているようである。
できればこのシリーズは学生時代に遡って、その時の長編でもと期待したいところ。
<内容>
小学6年生の菅野智己は眠りに付いたときに、ジェニイという猫(智己が勝手にそう呼んでいる)に乗り移ることができる能力を持っている。そんな智己の周辺で事件が起こった。智己の同級生の女子3人が何者かに車で襲われて一人が重態になったという。どうやらこの事件の犯人は昨年誘拐未遂事件を起こした犯人と同一人物らしいのだ。智己は猫に乗り移っているときに偶然その犯人と思しき人物と遭遇する。智己は単独で事件を解決しようと猫の体を借りて調査を進めてゆくのだが・・・・・・
<感想>
3人の女の子を巻き込む誘拐未遂事件と昨年起きた誘拐事件。この謎を解く・・・・・・というだけならば普通のミステリーで終わってしまうのだが、そこに付け加えられたのが主人公がネコの身体を借りることができるという設定。このSF色を付け加えたような設定が本書の特徴を出し、一風変わったミステリーとして出来上がっている。
その設定はともかくとして、事件が起こってからの論理的推理をあぁでもない、こうでもないとひねくりまわすのは、西澤氏ならではのいつもの展開。とはいえ、その論理的推理を交わしているのが猫と犬であるのだから想像すると思わず吹き出してしまう。とはいえ猫探偵ならではの情報収集のやり方については面白く、こういう一風変ったミステリーも良いなと感じられた。
そして本書が少年の成長物語でもあるということを付け加えておきたい。子供にもお薦め。
<内容>
「蓮華の花」 (『新世紀「謎」倶楽部』 角川書店 1998年)
「卵が割れた後で」 (ミステリマガジン 早川書房 1997年1月号)
「時計じかけの小鳥」 (『名探偵はここにいる』 角川スニーカー文庫 2001年)
「贋作『退職刑事』」 (『贋作館事件』 原書房 1999年)
「チープ・トリック」 (『密室殺人大百科(下)』 原書房 2000年)
「アリバイ・アンビバレンス」 (『殺意の時間割』 角川スニーカー文庫 2002年)
<感想>
読む前は、このタイトルから論理的な謎解きに重点を置く作品集かと思ったのだが、西澤氏の過去のノン・シリーズの短編を集めただけのものであった。少々残念。内容は副題に“謎と論理のエンターテイメント”とつくだけあって、幅広い内容となっている。良くも悪くも西澤氏らしさが出ている作品集といえよう。
「蓮華の花」
この作品のタイプは私はあまり好きではない。西澤氏の作品に長編「夏の夜会」というものがあるのだが、それと同様のモチーフのもの。つまり、忘却した記憶を掘り起こしていくというもの。しかし、私にはそれほど重要な出来事をすっぱり忘れてしまうという感覚がいまいち呑み込むことがでないので、これをネタとしてミステリーに用いるにはどうかと思ってしまう。
「卵が割れた後で」
これは練りに練られたよい作品だと思う。アメリカで起きた日本人留学生殺人事件を独特の角度から描いた作品でもある。日本人留学生に対する外国人の感情を描いただけに終わらず、ミステリーとしてもうまくまとまっていると思う。特に、ラストに繰り返される逆転劇は圧巻。
「時計じかけの小鳥」
論理の飛躍というよりは、行過ぎたネガティブな妄想という感じ。確かに偶然にしては、ある出来事が一つの方向に傾きすぎているような気がするが、考えすぎととれないこともない。真実はいったい・・・・・・
「贋作『退職刑事』」
パスティーシュとしては良くできていると思う。しかし、元々の作品自体が地味なので。こういう論理的展開を送るならば、タックシリーズによる論理的展開をしてくれたほうが私の好みである。
「チープ・トリック」
本書では「卵が割れた後で」と本編の2作がベストであろうか。語られるのは奇怪な密室殺人であったはずなのに、それがラストには別の構造のミステリーへと切り替わっていく。誰が本当の事を話し、誰が嘘を付いているのか? ホラーテイストなミステリーとして完成している一作品である。
「アリバイ・アンビバレンス」
本書の中では、これが一番西澤氏らしい作品といえよう。とあるアリバイを崩す出来事から、論理の飛躍が始まっていく。そしてその論理の行き着く先は、色々な意味で残酷な方向へと・・・・・・
<内容>
職を失った十和人(つなし かずと)はハローワークを出たところで一人の男に声をかけられた。ちょっとしたバイトをやってみないかと。そのバイトの内容とは、ある場所で一ヶ月間不自由な状態ながら過ごしてもらうのだと。法外な値段を提示された十は仕事を引き受けることに。
そして当日指定された場所に行くと同じ依頼を受けた女性と少女と顔を合わせることに。これから3人は監視カメラと盗聴器のある部屋で1ヶ月間家族として暮らしてゆかなければならないというのだ・・・・・・しかし、いったい何のために!?
<感想>
本書はミステリーというよりもちょっとしたファンタジーという色合いが強い小説になっていると思う。ある種SFチックな、ちょっとした家族のいい話といった雰囲気である。これは映画やドラマなどでも使える内容なのではないかなどと思わず考えてしまった。
本書は基本的にはミステリー路線とは外れていると思うのだが、そこは西澤氏らしく各章にいつもの推理合戦のような演出がなされている。これは章ごとに雑誌掲載されていたという事もあり、その辺を考えての演出であると思う。よって、いつもの西澤氏の作風が好きだという人も十分に楽しめる内容となっている。
とはいえ、そういった“おまけ”的な部分をなかったとしても(むしろ無くてもよかったような気が)十分に大人のメルヘンといった雰囲気で楽しめる良い本となっている。逆に今までの西澤氏の本が理屈っぽいということで敬遠していた人あたりになどが読むには丁度いいかもしれない。
<内容>
「一本気心中」 (小説現代メフィスト2002年9月号)
変装能力:別居中の夫と従妹の女性が鍵の閉まった部屋で死んでいた。これは心中なのか・・・・・・
「もつれて消える」 (小説現代メフィスト2003年1月号)
予知夢:不倫相手の男が何やら不審な行動をとっているようなのだが、その理由とは・・・・・・
「殺し合い」 (小説現代メフィスト2003年5月号)
発火能力:男子中学生に突如起こった昔を思い返す出来事・・・・・・そして彼がとった行動とは!?
「生贄を抱く夜」 (小説現代メフィスト2003年9月号/2004年1月号)
瞬間移動:友人に家に呼ばれた後、気がつくと閉ざされた部屋でストーカーの男と二人きりに!!
「動く刺青」 (小説現代メフィスト2004年5月)
念写:念写で覗きをしていた男が目撃したのは、時間によって位置の変る刺青??
「共喰い」 (小説現代メフィスト2004年9月)
思念弾:レストランにて3人の客が同時に命を落とした! それも3種類の超能力によって・・・・・・
「情熱と無駄のあいだ」 (書き下ろし)
物体移動:レストランにて企てた女の復讐劇とはいったい!?
<感想>
神麻嗣子シリーズの作品のはずなのだが、特に物語の時系列に沿った作品というわけでもなく、外伝的な位置付けの作品集のように感じられた。しかもその一つ一つの短編作品が全くといってよいほどミステリー作品として成立していない。
個々の作品がどういう流れになっているかといえば、超能力がからんだ事件が起こり、少しずつその状況や進行具合が小出しにされて、いつのまにか解決にたどり着いているというもの。しかもその解決具合もあやふやな問題を残したままになっており、すっきり解決されたという印象には程遠い。
そんな具合で本書はミステリーというよりも、綺譚集とでもいったほうが納得いく作品となっている。超能力を扱っているのだから自然と神麻嗣子シリーズになるのは当たり前なのかもしれないが、別にこのシリーズでやらなくてもよいような内容であった。久々に出たシリーズ作品という事で楽しみにしていたのだが、ちょっと拍子抜けといったところ。
<内容>
「腕貫探偵登場」
「恋よりほかに死するものなし」
「化かし合い、愛し合い」
「喪失の扉」
「すべてひとりで死ぬ女」
「スクランブル・カンパニィ」
「明日を覗く窓」
<感想>
この“腕貫探偵”という設定については以前何らかの本で西澤氏が、今後書いてみたい設定のミステリーという事で、読む側としてもそんな設定のミステリーならばぜひとも読んでみたいと思っていたもの。
本書がどのような設定のものかと言えば、まずは役所を思い出してもらいたい。その役所で腕貫をした、いかにも公務員というような30代くらいの男が独りもくもくと事務仕事をしている。その男がいる窓口が相談所となり、何か相談がある人は窓口に置いてある名簿に名前を書き、順番を待つと言うわけである。そして、その腕貫の男に不可解な出来事を相談してみると、男は重要なヒントとなる事を相談者に伝えるという構成のミステリーである。
これがほぼ同じような導入でそれぞれの短編が続いていくようになっている。ようするに一連の流れをパターン化したミステリー短編集である。ただ、序盤では相談者が腕貫探偵に事件の様子を伝えていくというものだったのが、後半では事件が起きてからその内容を探偵に相談するというものに若干変って行ったという変更点があったくらいか。
という事で面白い設定のミステリーであるのだが、では内容のほうはどうかといえば、これは他の西澤氏の短編と全く変わりが無い。特に最近の薄味気味の短編ミステリーとなってしまっている。ようするに探偵が推理するに当たって、根拠とか論理とかいうものよりも、推測という色が強い内容のミステリーとして出来上がっていると言う事である。そんな感じなので、ミステリーとしての内容への期待は程ほどに読んでもらえればと思っている。
あと、設定に関してもSFめいた設定にせずに、どこか建物を決めて本当に公務員のような相談の仕方にしたほうが良かったのではないかと思えたのだがどうであろう。ただ、そうするときっかけとなる話のもって行き方が難しいという事なのであろうか。
<内容>
女性の足に魅力を感じ、のめり込む老人。日々の労働に疲れる看護婦。息子を亡くし絶望する女。犯人を追う刑事。さまざまな人々が“決して触れてはならない存在”と出会うことによって人生を狂わされる。そして関連性のないと思われた殺人事件や死亡事故がその“存在”によってつながれることに・・・・・・
<感想>
本書は西澤氏の作品の中では異色といえるであろう。あえて過去の作品にあてはめるのであれば「猟死の果て」あたりが近いかもしれない。これはどのような小説家と問われると、ひと言でいうのは難しいのだが、やはりタイトルにあるように“フェチ”な本であるとしか言いようがない。
この本は多視点から書かれた小説となっている。それぞれの視点の人物同士にはほとんど結びつきはないと言ってよいであろう。それがただ一点、ひとりの人物により人生を狂わされてしまうという事において共通しているといえるのである。
そして、その狂わされてしまう人々にとっても、また人々を狂わしてしまう人物にとっても実に残酷な物語となっている。これはモラルも何もかもかなぐり捨てた異色小説であるといえよう。
一応、ミステリーとしての効果も狙っているようだが、それはまぁ普通のできといったところ。やはり本書は何度も記述しているように、とにかく“異色”さ加減が際立つ作品であった。
<内容>
ある朝、作家の鈴木小夜子は見知らぬ歩道橋の上にいることに気がつく。昨晩飲み過ぎてしまい、その時の記憶が全くない。手元にはいつも持ち歩いている自分のバッグはなく、変わりに2千万円がはいったバッグが! そして彼女は見知らぬ美青年と出会い・・・・・・
<感想>
何か、どうでもいいような内容だったな・・・・・・という感想は乱暴すぎか? 大雑把なストーリーは40代の女性が酔っ払い、ちょっとした奇妙な体験をしつつ、ひたすら醜態をさらす話。
この作品も西澤作品おなじみのストーリー上、都合のよいところだけ記憶を無くしたところから始まる。といっても、酔っ払って記憶を無くしたという設定であり、さほど不自然ではないともいえるかもしれない。事件性がうかがえるところは、現金2千万円が入ったかばんをいつの間にか持っていたというところ。そうこうしているうちに謎の青年と出会い、突如主人公の40代女性は青年にからみはじめる。
最初と最後はうまくできているというか、それなりに整合性はとられている。よってミステリとして悪くはないのだが、短編でも十分な分量。まぁ、文庫で読んでちょうど良かったかなと。ただ、この作品ってどの層の人が読めば共感や賛同が得られる作品なのだろうかと考え込んでしまう。
<内容>
「無為侵入」
「闇からの声」
「捕食」
「変奏曲<白い密室>」
「ソフトタッチ・オペレーション」
<感想>
この作品は神麻嗣子シリーズであり、当然のことながら神麻嗣子も登場するのだが、何故かその存在は極めて薄い。まぁ、単純に神麻嗣子が登場する場面が少ないからということではあるのだが、話の中心となるのは、それぞれに登場する事件の当事者という事になっているからでもある。ただし、それならば神麻嗣子シリーズである必要性があるのかなと首を傾げたくなってしまう。
本書で注目されるのは、それぞれの作品に共通する“異様な動機”。「無為侵入」では何ゆえ犯人は部屋に忍び込んだにも関わらず、何もしなかったのか? 「闇からの声」では何ゆえ殺害に到ったのか? 「捕食」では料理を振舞うと人が死ぬという仮想の裏に隠された悪意について。「ソフトタッチ・オペレーション」では何ゆえ閉ざされた部屋の中に人々が集められたのか?
その中で一作「変奏曲<白い密室>」は、他の作品とは構成が違い、通常のミステリ色が強い作品といえる。ただ、最終的にはそこに到る心情的な説明が省かれているために“唐突”というような言葉しか残らないのだが・・・・・・
と色々と手を変え品を変え、面白いミステリを展開させてくれてはいるのだが、いくつかの不満が残された。特に挙げるとするならば表題作となっている「ソフトタッチ・オペレーション」。この作品はページ数にして本書の半分を占めており、なかなか楽しませてくれる内容にはなっている。この作品は岡島二人氏の「そして扉が閉ざされた」という作品をモチーフにしているといってもいいであろう。とある建物の中に、深い接点のない3人の人物が閉じ込められてしまうという内容。しかもそこには超能力の存在が見え隠れしてくる。
というような内容であり、展開にしてもその結末の付け方にしても、うまく出来上がっているとは思えるのだが、謎のいくつかが解明されていない状態で話が終わってしまっているのだ。そこはもう少しきっちりと話をつけてもらいたかったところである。この「ソフトタッチ」にしても、書きようによってはひとつの独立した長編として完成させることが出来たのではないかと思われるのだが、これだけで終わってしまうのはなんともおしいことである。
<内容>
1982年8月、台風が吹き荒れるなか、5、6件の家屋しかない小さな村・首尾木村にて村人のほとんどが惨殺されるという大量殺人事件が発生した。生き延びたのは中学校の教師1人と中学生の男女3人の計4人のみ。彼らの証言から、犯人は英会話教室の外国人講師であり、事件後自殺したということで事件にかたが付けられた。
その事件から数年後、首尾村で起きた事件に不審なものを抱いた人物が事件を再調査しようとしたとき、またもや連続殺人事件が繰り広げられることに・・・・・・
<感想>
西澤氏、久々の超大作というべき作品なのだが・・・・・・そのできについては微妙であった。いや、微妙というよりもこのような作品を書くこと自体が西澤氏の作風に適していなかったのではないかと思われた。
物語の最初はサスペンスフルな幕開けから始まる。村の中学生達が村中の人々が惨殺されているのを発見していくという場面。このへんを読み始めたときには小野不由美氏の「屍鬼」をほうふつさせるような物語が始まるのかと期待したが、残念ながらそういった雰囲気の小説にはならなかった。何しろ緊迫すべき場面のなかで、恐怖におののいていたはずの中学生達が論理的に起きた事象について解説し始めたり、無駄な性的描写が書き綴られていたりと、せっかくのホラーテイストの雰囲気が台無しになってしまっている。ここは、もっとスピーディーに話を流していってもらいたかったところ。
そして中盤以降で物語の真相を追っていく場面でも、最近の西澤氏の作品にありがちな“都合のいい記憶喪失”を元に話が進められていく。このへんの展開についても、もう少し工夫してもらいたかったところである。
また、始終書き綴られる性的描写に関しても、物語を深めたり、陰惨な雰囲気を強調したりという効果は感じられなく、ただ単に浮きまくっているようにしか思えなかった。
全体的な流れと、結末に関してはさほど悪くないと思えなくもないものの、いかんせんマイナス面が多すぎると感じられる作品であった。大長編というのが売りともいえる作品であるのだが、この無駄な長さがかえって欠点を強調しているという印象が強かった。
<内容>
「体験の後」
「雪のなかの、ひとりとふたり」
「夢の通い路」
「青い空が落ちる」
「流血ロミオ」
「人生、いろいろ。」
<感想>
市民サーヴィス課・相談窓口で働く腕貫探偵が活躍する続編。個人的にはこのシリーズ、変わった状況を用いずに、市役所の窓口で淡々と仕事をし続けてもらいたいと思っていた。しかし前作で既に、出張相談窓口などといった、外へ出て業務を始めたりと、“腕貫探偵”らしからぬ状況が多かったように思える。今作ではさらに、業務とは関係なく、役所の外で普通に色々な相談を受けてしまっている。確かにタイトル通り、“残業中”ということなのだろうけれど、そのような形にしてしまうと“腕貫探偵”のミステリアスな部分が薄れてしまうと思えるのだが・・・・・・。
また、今作のようにうまい料理屋でレギュラーメンバーのような人たちが集まって、推理を展開させるのは、匠千暁シリーズの専売特許だったような気がするのだが。
今作の短編集の内容を見返してみると、前半は少々いまいちであったように思える。
「体験の後」は突然、レストランを襲ってきた強盗に腕貫探偵たちが巻き込まれるという話なのだが、アクロバットなトリックもあるとはいえ、全体的に無理があるように感じられる作品であった。
「雪のなかの、ひとりとふたり」は不倫の三角関係による犯罪を描いた普通のサスペンスミステリ。
「夢の通い路」は西澤氏らしい記憶にちなんだミステリ作品。
と、ここまでは普通の内容の薄いミステリ作品のように感じられたのだが、これ以降の作品については、なかなか濃いミステリを堪能することができた。
「青い空が落ちる」は、堅実な年配の女性教員が死ぬ少し前にとった奇妙な行動を調べるというもの。この女性が死んだということについては、病死ということで間違いないのだが、何故5千万円という大金を現金でおろしたのか? という点が謎となっている。ミステリというよりは、ちょっと奇妙な物語という按配。
「流血ロミオ」はアクロバット的な展開がなされるミステリ作品。となりあった家に住む高校生の男女の女のほうの部屋で当の女が殺害されていて、男は気絶していて、被害者の叔父が外で交通事故により死亡するという複雑な状況。とはいえ、この叔父というのが全ての事件の原因となっているようにみえ、事件は即解決というように思えるのだが実は真相は・・・・・・。この解決に至っては、少し無理があるようにも思えるものの、心理的な面や、細かい伏線などを生かした、本格ミステリとして完成している作品と感じられた。
「人生、いろいろ。」は、三角関係によるアリバイトリックを用いた殺人事件・・・・・・を行うはずであったのだが。真相については、結構普通と思えるものの、その後の展開がひねりが効いていて面白い。一見、なさけないようで達観しているとも思える主人公が全てうまいところを持って行ったような。そういえば、この作品“腕貫探偵”が出ていないし・・・・・・
<内容>
昭和52年、22歳の奈路充生は婚約者の両親に挨拶をするため、高知を訪れていた。彼女と待ち合わせをしていたのだが、急きょ来ることができなくなったと代理で来た楡咲という女性から告げられる。その女性と食事をした後、市内をぶらつこうかと思った矢先、空から銀色に輝く雨に打たれることとなり・・・・・・
そして31年後、奈路充生が目覚めたとき、彼の体は別の生命体に乗っ取られていた。31年の間、その生命体が彼に代わり、生活を続けていたというのである。いったい自分は31年の間、どのような人生を送ってきたというのか。その喪失感を取り戻そうとするのであったが・・・・・・
<感想>
始まりの舞台が過去である昭和52年となっていたので、どのような展開になるのかと読み進めていたのだが、まさかSF的な展開が繰り広げられることになろうとは。
主人公を含め、多くの人が銀色の雨に打たれ、別の生命体に乗っ取られてしまう。ただし、その生命体は侵略とかの意思があるわけでもなく、元の宿主に代わって普通に生活を送るというただそれだけ。しかし、被害にあわなかった人間にしてみれば、知っている者の人格が突然変わってしまうという事態に遭遇することとなる。そうしたなかで、まれに元の人格が蘇えり、ひとつの肉体に二つの意識があるという状態になることがあるのだが、それが主人公に起きた状況というわけである。
物語の分量としては、その設定に関する話が3分の一、主人公の昔の話と現状の確認が3分の一、主人公が目覚めた後に起こる事件についてが3分の一というような感じか。いや、事件に関しての部分は質・量共に、もう少し薄めであったような印象である。
当然のことながら、過去に起きた事象が、31年後の現在の事象に絡んでくるわけであるが、無理やり絡めたという感じが強かった。ようするに無理やりミステリ仕立てにしたという気がした。SF的な設定をきっちりとしすぎた分、他の事象が薄まってしまったという気もする。また、SF的というか、読んでいる途中では“自然健康生活促進小説”というような感じでもあった。
<内容>
「シュガー・エンドレス」
「テイク」
「家の中」
「虫とり」
「青い奈落」
「マリオネット・エンジン」
<感想>
西澤氏のノン・シリーズ短編集であり、SF系、ホラー系の作品集でもある。
読んでみた感想としては、決して出来が良いとはいえなかった。さまざまなアイディアが盛り込まれている事はわかるのだが、そのアイディアがことごとく物語とマッチしていないというか、つなげられていないという印象が強かった。ということで、西澤氏のファンであれば別であるが、そうでなければあまりお薦めできない作品集である。
「シュガー・エンドレス」はわかりやすい物語ではあるものの、結局のところ薀蓄だけの話で終わってしまっている。現代ホラー風でもあるのだが、そこまで恐怖心を強調するような内容ではない。
「家の中」はホラー系の作品で、「青い奈落」は幻想系の作品。その他はSF系の内容となっている。
「虫とり」はテーマとしてはよくあるような“世界創造”をモチーフとしたもののよう。また、「テイク」と「マリオネット・エンジン」は似たような雰囲気の作品であり、研究機関を中心として物語が描かれてゆく。
これらそれぞれの作品というよりも、全ての作品に言えることなのだが、どれもテーマが存在はするものの、目的が定かではないため話がどういう方向へ行くかわからず、そして到達点が見出せないまま終わってしまっているという印象しか残らない。
ただただ、以前の西澤氏らしくないというか、最近の西澤氏らしいというか、とにかくそんな感想のみがのこる作品集。
<内容>
辺見祐輔は、いつものように大学の仲間たちと飲み、午前様を迎えた。しかし、その日警察が突然彼の元を訪れてきて驚かされることに! なんでも、飲んだ後に別れたうちの後輩のひとりが、刺し殺されたというのである。女性に襲いかかったところを、逆に反撃されて、死亡したというのだが・・・・・・
一方、警察は別の殺人事件もかかえていた。住宅で女子高生が首を絞められ殺害され、その側では巡回中の警官までもが同じ手口で殺害されていたのである。一見、女子高生を殺害した現場を訪れた警官が、犯人の手にかかったと思われるのだが、それにしては不審な点があり・・・・・・
<感想>
久々に匠千暁らによる酩酊推理を堪能する事ができた。ただ、シリーズ前作の「依存」の余韻が作中の登場人物らに残っているようで、やや重たい雰囲気のなかでの推理合戦となっている。とはいえ今後、匠千暁らの状態が良い方向に傾いてゆきそうな希望も垣間見える事ができる。
内容については、二つの事件の謎を追うものとなっている。一つは、深夜公園で起きた殺人事件。それが不可解な状況であり、被害者と加害者の立場が全くわからないものとなっている。死亡した大学生と凶器の包丁があるという事実だけで、それ以外は謎。
もう一つの事件は、住宅内で女子高生と警察官が同じ手口で殺害されていた事件。どうやら警察官は巻き込まれたようではあるのだが、何故殺害されたのか? どのような時系列で事件が起こったのかがいまいちはっきりしていないというもの。
この二つの事件の背景が調べられ、徐々に事件の関連性がうっすらと見えてくる。そして、復活したタックこと匠千暁と、単独で事件をおっていたボアン先輩こと辺見祐輔が事件の見えない隙間を推理によって埋めてゆく。
その推理については、いつもどおりのシリーズらしく、あくまでも推測という範疇でしかない。とはいえ、“これしかない”というような推理を提示されるわけであるから、読者はもはや納得せざるを得ないわけである。
いや、それでも複雑に練った事件の構成といい、意外な動機や意外な行動理由など、予想を上回る凝りに凝った内容となっている。久々に西澤氏らしい作品を読む事ができたなと、大変満足させられた。やはり西澤氏には、もう少し頻繁にこのシリーズを書いてもらえたらなと思わずにはいられない。