<内容>
突然、息子から「みんなの顔が<のっぺらぼう>に見える」と告げられた父親。それを聞いて彼は、20年前に突然姿を消した兄から「いつかお前の周りで、誰かが<のっぺらぼう>を見るようになったら呼んでほしい」と言われたのを思い出す。兄さんに会わなければならない。そして20年ぶりに再開した兄の口から不思議な物語が語られることに。
<感想>
本書を読んでいるときに、マキャモンが書いた「少年時代」を思い出した。子供の頃に地域にて起きるさまざまな事件というものは、ときとして魔法のように感じられる。その魔法というのもさまざまで、それは良い魔法であったり、または悪い魔法でもあったりする。大人の視点から見れば、同じ事象でも全く異なるように感じられるはず。それを子供の目というフィルタをとおして物語をみるとなぜかそこになつかしさを感じ取ってしまったりする。
本書において、とある子供が遭遇したさまざまな事件が語られる。それらは実際に不可思議で、ある種の超自然てきな事が書かれているにもかかわらず、なぜか普通に起こった出来事のように読み取ってしまう。まさにそれは物語の雰囲気から感じ取れる、昔を思うなつかしさに取り込まれてしまったせいなのかもしれない。昔の田舎のあの雰囲気であれば、そう、確かに起こりうるようなことだったのでは、となぜか感じてしまう。そのような作風にて描かれた不思議な作品である。
物語を通して感じたのは、著者にとって初作品であるからしかたのないことかもしれないが、若干読みづらさというもの感じた。物語が一人の男によって語られるのだが、それがふと現実に戻ってきたり、または関係ないほうに話が飛んだりと、そういった点は少々気になった。また、これは明らかに推理小説というものとは異なる作品である。どちらかといえばファンタジーといってよいだろう。にもかかわらず、途中まであたかもミステリーのような事件の書き方をしている。ファンタジー路線でいくのならば、全編通してそのような書き方で一貫したほうがよかったのではないかと感じられた。
<内容>
小学生のギーガン(あだ名)はまた死体を見つけてしまった。これで10人目である。骸骨池のそばで死んでいたのはギーガンもよく知っている根本という男であった。ギーガンは死体を発見したときには必ず鎌倉のおばあちゃんの所へ報告をしに行くようにしている。そして次第に事件はギーガンの周囲の人も引き込みながら・・・・・・。この街でいったい何が起こっているのか?
<感想>
この本こそ“ミステリーランド”で発表したらどうかと感じられるような雰囲気の本。とはいえ、この本は位置づけというものが非常に難しい。ミステリー、ファンタジー、ホラー、童話、それらの要素を兼ねそろえていながらも、そのどれかとは判断つけづらい。結局何が言いたいのかというと、出版社としては、こういう本って売りづらいんじゃないのかなぁという事。
本書において、一番気になるのはその“あいまいさ”加減ではないだろうか。本書で起こる物事や事象に、とりあえず結論としては形付けられるものの、それがはっきりと断定できるものとはなっていない。そういう書き方は、あくまで作風であり、それが持ち味であるということは理解できる。しかし、そこで激しく好き嫌い分かれてしまうのではないかとも思える。余計なことかもしれないが、なにかもう少し、はっきりとした持ち味があればなぁと思わずにはいられない。
本書では街で不思議な数々の事件が起こり、小学生達が上級生や大人の力も借りて街ぐるみで事件を解決していくというもの。話が進む中で、エピソードがあちこち飛び、その辺がやや読みづらいかなと思ったのだが、それ以外は特に気になるところはなく面白く読むことができた。ちょっと大人向けのファンタジーといったところか。
<内容>
元ミュージシャンの龍哉、サラリーマンの光平、図書館に勤める“くるみ”らは龍哉の家で3人一緒に暮らしている。平和な生活が続く中、音沙汰の無かった龍哉の父親が死んだという連絡が入る。その父親は龍哉に1台の車と1丁の拳銃を遺したというので、龍哉ら3人はそろって北海道までそれらを取りに行くことに。実はそのとき、光平とくるみは別々にその拳銃を使って、復讐をなしとげようと考えていたのだが・・・・・・
<感想>
失礼ながら思っていたよりもおもしろかったと正直に述べたい。読み始めてから中盤までは同居している3人の主人公のそれぞれの人生模様が描かれているだけという感じがして、その後の展開には期待していなかったのだが、中盤に起こる発想の転換が物語を大きく変えることになり、読んでいるほうにも大きなインパクトを与える効果をもたらしている。この中盤から後半にかけては物語に引き込まれて、あっという間に読み通してしまった。これはなかなかあなどれない一冊であった。
と、おもしろい内容であったがゆえに、あまり中身については触れないことにする。どのような内容か興味をおぼえた人はぜひとも手にとってもらいたい。
ただ、本書に対して言いたいのは、面白かったにもかかわらず、それでももう一つインパクトが足りないと感じる部分もあるということ。本来ならば本書だけでの評価を述べることが公平なのかもしれないが、どうしてもこういう作風であれば、ある著者の本と比べたくなってしまうのである。その比べたくなる作家は誰かというと伊坂幸太郎氏。ちょうど伊坂氏が「グラスホッパー」という秀作を今年に書いていて、3人の主人公の視点が切り替わりながら話が進むという点、さらに物語の先の展開が読めないという共通点などから、どうしても2冊を頭の中で比較してしまうのである(物語の内容はまったく異なるのだが)。その比較をしてしまうと伊坂氏の「グラスホッパー」に軍配が上がるかなと個人的にはそう感じられた。
両者を比べることによりどのような事が言いたいのかというと、小路氏がこのような路線でいくのならば伊坂氏を上回るような作品を出さなければ今後きついのではないかと感じられることである。小路氏は本書が3作目で前2作は本書と異なる作風になっているので、次の作品がどのようなものになるのかはわからない。逆にそのような状態であるからこそ、小路氏の作品を買うときに何を期待して買っていいのかがわからないのである(本書を買った理由はメフィスト賞作家であるという事から)。
今後、同じような作風の作品を出すのであれば強烈な一作を、別の路線でいくならば斬新な一作を。そういった代表作が出てくれると、買う側も小路氏に求めるものができて本を買いやすくなると思うのだが。
<内容>
原之井は久々に日本に戻ってきた。アメリカでのとある出来事によって失意にくれていたとき、十年前に交わしたある約束を思い出したのであった。高校生のころにヤオと十年後にまた会おうという約束を。そして、その時にヤオにあるものを渡そうと。
約束の場所へと向かった原之井で会ったが、そこで出会ったのはヤオの夫と名乗る男。彼がいうにはヤオは失踪してしまったというのだ。原之井はヤオの行方を捜そうとするのであるが・・・・・・
<感想>
展開、内容ともに楽しませてくれた作品。十年ぶりの約束を果たそうとする男の話と並行して語られる裕福な家に住む少年の幽霊話。これらが、過去、現在、未来のどのパーツに当てはまるのかと、誘導されるかのようにあれこれと予想しながら読み進めていく事となった。そして最終的には・・・・・・意外なというよりは心温まる話が語りつくされる事となる。
まぁ、やっている事はミステリーよりだとは思うのだが、全体的な話からするとミステリーよりというわけでも無いようにも思える。どちらかといえば、この著者はストーリーテーラなのであろう。
色々な方向から語られつつ、やがては一つに向かっていくこの物語は読む人の心を癒してくれるものとなっている。本書のタイトルとなっている“HEARTBEAT”という意味が示すものが印象的なのも特徴の一つ。できれば、続編をと思うのだがそれはちょっと難しい事かな。
<内容>
東京下町の老舗の古本屋“東京バンドワゴン”。この古本屋を経営しているのは大所帯の8人家族。彼らの周囲ではしょっちゅう変わった事件が起こり、それを家族一丸となって解決していく様子を描いたホームコメディ。
「百科事典はなぜ消える」
「お嫁さんはなぜ泣くの」
「犬とネズミとブローチと」
「愛こそすべて」
<感想>
この作品の続編が単行本で出たときから気になっていたのだが、今回の文庫化を機に購入してみた。そして読んでみたところ、これは本当に楽しんで読むことができた。以後のシリーズ作品も文庫化を待ちながら追いかけていこうと思っている。
本書は既になくなってしまった、古本屋の三代目亭主(79歳)の妻の視点で語られている。ようするに幽霊の目線からということになる。最初は若干、その視点が気になったのだが、読み進めていくうちにまったく気にならなくなった。
この作品の見所は現代を舞台にしながら、どこか懐かしい下町の雰囲気と人情味あふれた家族の様子をうまく書き表しているというところ。こういった雰囲気の作品であれば、どんな年代の人も純粋に楽しむことができる作品であると思われる。
また、本書はミステリとしての側面もあるのだが、そちらを必要以上に強調していないという面もうまくバランスがとれていると感じられる。この作品をミステリと言ってしまうと、ミステリパートの弱さというのを感じ取れてしまうのだが、本書はあくまでも家族の様子を描いたホームコメディ作品として成り立っている。そのホームコメディ作品のなかで、ミステリが隠し味のような効果をあげている作品という言い方のほうがしっくりくる。
というように、殺人とか陰惨な雰囲気のない、楽しめる作品を読みたいという人にお薦めの本。浅田次郎氏が描くような人情味あふれる作品が好きという人にはもってこいではなかろうか。
<内容>
「百科事典は赤ちゃんと共に」
「恋の沙汰も神頼み」
「幽霊の正体見たり夏休み」
「SHE LOVES YOU」
<感想>
東京バンドワゴンの2作目。大家族を描いた作品であるのだが、前作が進行していくうちに家族が増え、今作ではさらに家族を増やしながら物語が展開されてゆく。
今回は、高価な百科事典が売りに出され、しかも百科事典のなかで奇妙な切り抜きがあるという謎、自分が売った大量の古本をまた1冊ずつ買いなおしてゆく老人の謎、一緒に住むことになった孫が見る幽霊の謎、東京バンドワゴン目録の謎、といった騒動を繰り広げながら、堀田家の暮らしぶりが紹介されてゆく。
今作も前作と同様、ミステリの絶妙な加減がホームコメディを引き立てており、物語主体の内容を崩すことなく大家族とその周辺の人々の暮らしぶりが生き生きと表されている。前作で登場人物が増えつつあったものの、今回はさらに登場人物というよりも、家族が増えてゆくこととなるのだが、そういった展開も微笑ましく、快く受け入れることができるものとなっている。
微笑ましく、人情味があふれ、決して押し付けがましくない感動を得ることができるこの作品、類似作が数多くありそうながらも、独特の味と深みを持ったシリーズといえるであろう。今後もぜひ読み続けて行きたいシリーズである。
<内容>
ニューヨーク市警・失踪課で働くダニエル・ワットマンは知人の少年サミュエルからひとりの少女の失踪を告げられる。その行方を探してみるものの、やがて死体となって発見される。どうみても自殺の状況であるのだが、ワットマンはひっかかるところを感じ、事件をサミュエル少年と協力して追っていくことに。
CGデザイナーのメグリヤは幽霊が写っているという写真をデイヴィッド・ワットマンに見てもらうことに。するとデイヴィッドはその写真を見て倒れ、意識不明の重体となる。いったいその写真が何を語ったというのか? デイヴィッドの娘でダニエルの姉という人物が幼い頃行方不明になったという事件に何か関連があるのか!?
<感想>
面白くはあるものの、ミステリというかそういうジャンルは抜きにして物語として楽しめるというような内容。ミステリっぽくはあるものの、謎解きというよりは物語が展開していくなかで真実が徐々に明らかになっていくというもので、純然たるミステリというような内容ではなかったと思える。また、超自然的なものも普通に物語の中に取り入れられているので、ホラー小説風にすることもできたのではないかと思えるのだが、あえて著者はその方向には行かずに純然たる物語として仕上げたように感じられる。そういったこともあって、ジャンルの区分けがしにくく、どのような物語かをひとことで言いづらいのだが、面白い作品であるということは確かである。
ただ、ひとつマイナス面だと思われたのが本書が同じくミステリ・フロンティアから出版された「HEARTBEAT」という作品に関連があるということ。この物語自体は前作を読んでいなくても楽しめるのだが、頻繁に前作を匂わせるような場面が出てくるので、3年位前に出た前作の内容を忘れている身の上としては、やや読み進めるペースがにぶるように感じられた。今回の作品と前回の作品との関連性はあまりないのだから、あまり前作の雰囲気を匂わせないほうがよかったのではないだろうか。
話の内容が失踪事件や、やや陰惨な話が含まれているので手放しに良い話とはいえないのだが、人と人との絆を感じさせる良い作品に仕上げられているということは間違いない。
<内容>
「あなたのおなまえなんてぇの」
「冬に稲妻春遠からじ」
「研人とメリーちゃんの羊が笑う」
「スタンド・バイ・ミー」
<感想>
シリーズ第3作目。今作では、古本の中から現れた“紺”を中傷するメッセージ、古い知人から届けられた大量の古本の中に隠された“極秘文書”、少女をつけ狙う“羊男”の謎、堀田家を狙うスキャンダル事件といった難題に立ち向かうこととなる。
前作同様、楽しめるシリーズであることは確か。作品をおうごとに、登場人物が増えているので巻頭に登場人物相関図を付けてくれたのはありがたいところ。これを見れば、今までの作品の展開を一気に思い起こすことも可能。
今作も内容については問題はないのだが、気になる点をひとつ。それは、登場人物に藤島というIT企業の社長がいるのだが、この人物がオールマイティー的な存在になりすぎて、なんでもかんでも財力で解決してしまうという場面がよく見られるようになってきたこと。これは東京バンドワゴンの大黒柱ともいえる勘一の理念に反するのではないかという気がしてならない。また、今後も何か問題が起きても、藤島の財力で解決してしまうということになれば、ちょっとご都合主義的すぎるようにも感じられてしまうのである。
あくまでも物語の展開にも下町風情は残したままで続けていってもらいたいものである。
<内容>
終戦直後の東京、華族の娘・五条辻咲智子は父親から重要な文書が入った箱を渡され、静岡県の伯母の家へ届けるように告げられる。咲智子は身を隠して駅へと向かうもののアメリカ兵にとらわれそうになる。その彼女を助けたのは堀田勘一という古本屋“東京バンドワゴン”を営む家の息子であった。咲智子は堀田家の主人・草平から静岡へと向かうよりここに身を隠した方がよいといわれ、優しい人々にかくまわれ、下町で過ごすこととなる。
<感想>
東京バンドワゴンシリーズの過去を描いた番外作。本編ではすでに亡くなってしまい、幽霊となって家族を見守るサチおばあちゃんの若き日を描いた作品。シリーズ作品ということで、いつもながらのアットホームな良い話に仕上げられている。とはいうものの、個人的にはちょっとやり過ぎかなという風にも感じてしまう。
元々、このシリーズといえば権力とかそういったものとは関係なく、下町での大家族の様子を描いた作品のはず。それが戦時中の混乱した時代の話とはいえ、やたらと東京バンドワゴン界隈に権力が集中し過ぎているように思えてならない。下町の良い話のはずが、始めに権力有りきの話のようであり、なんともしっくりこなかった。
本編の方もやや、力を持った人たちが集まりつつあり、その力で何でも簡単に解決となりつつあるような気がしてならないが、できるだけ下町の素朴な力を中心に話を進めていってもらうことを願いたい。
<内容>
「あなたの笑窪は縁ふたつ」
「さよなら三角また会う日まで」
「背で泣いてる師走かな」
「オール・マイ・ラビング」
<感想>
シリーズ4作目であるが、前作は外伝であったので、久々に東京バンドワゴンを堪能できたという感じである。ただ、その外伝であるが、それも今回の内容に深くかかわっているので、決して読み飛ばすべきものではない。というわけで、とにかく順番に読んでいった方がよいということ。
今作では、ページ数が増える怪談本の謎、古本屋の前にテーマ別に捨て置かれる本の謎と東京バンドワゴンの蔵書の秘密について、紺が以前勤めていた大学にて講師を辞めることになった理由、アメリカから我南人を訪ねてきた男の要件。これらの難題とバンドワゴンの面々は向き合うこととなる。
難題とは書いたものの、東京バンドワゴンの人たちにとっては、もはや日常。むしろ、こういった問題がなければ80歳の勘一などは退屈でボケてしまうのではなかろうかというほど。そうした不可解な事件やバンドワゴンの人々を巡る事件に直面しつつ、なんだかんだと言って楽しみながら彼らは当たり前の日々を過ごしてゆく。
この作品を読んでいくと、かなりご都合主義のようにも思えるのだが、今作の登場人物のひとりが「あんたらみたいな連中はね、ぽかぽかした陽の当たるところにいなきゃならねぇんだ」と言って、彼らのために泥をかぶることを決意する。こうした人々が東京バンドワゴンの周りに集まっているからこそ、ご都合主義のように堀田家の人々が伸び伸びと暮らせる環境が作られているのだと言えよう。さらには、そうした人々が集まっているのは、まさに堀田家の人望なのである。
<内容>
「林檎可愛やすっぱいか」
「歌は世につれどうにかなるさ」
「振り向けば男心に秋の空」
「オブ・ラ・ディ オブ・ラ・ダ」
<感想>
東京バンドワゴン、シリーズ5作目(外伝入れて6作目)。安定したハートフル・大家族・コメディ。雰囲気は相変わらずいいのだが、やや登場人物が多すぎてきたような・・・・・・
今作では、本の上に置かれ続ける林檎の謎、古書店での映画撮影の騒動と盗作騒ぎの顛末、バンドワゴン周辺をうろつく怪しげな者たち、藤島を付け狙う男と女、このような謎や騒動と向き合うこととなる。
シリーズを通して読んでいる者にとっては、当然のようにこの続編も読まないわけにはいかないであろう。いつもと変わらずというと、マンネリ化しているようにも思えるが、そのマンネリ化こそが安心して読める一端とも言えよう。昔のホームドラマのように、お約束事を楽しみながら読む小説である。
今作で目を惹いたのは、中学生となった研人の目を見張る成長ぶり。今までは最年少として騒いでいただけという印象が強かったが、その最年少の役割はかんなと鈴花に譲り、見事物語のなかでも重要な役割を担うこととなった。現状ではミュージシャンとしての道を歩み始めたように思えるが、今後どのように成長していくのか。こうした一人一人の成長も見逃せないシリーズ。
<内容>
「雪やこんこあなたに逢えた」
「鳶がくるりと鷹産んだ」
「思い出は風に吹かれて」
「レディ・マドンナ」
<感想>
東京バンドワゴン、シリーズ6作目(外伝入れて7作目)。いつもながらの安定したハートフル・コメディが披露されるのだが、徐々に膨れ上がる登場人物の数についていけなくなってきた。親切に登場人物表が付けられているものの、そこから探し出すのもつらくなってきている。どんどんと、新しい子供たちが生まれ、新たな登場人物が登場し、物語をにぎわせてくれるのはありがたいのだが、なんとかそこらへんを落ち着かせてもらいたいもの。このへん、年配の読者にはつらいのではなかろうか?
今作では、本屋に探りを入れに来る者たちや、多くの本を頻繁に買いに来る者、友人からの無茶な頼みや、研人の学校での騒動、さらには“山端文庫”なる胡散臭い存在などの解決にバンドワゴンの家族たちが奔走する。
なんとなく嫌な話のようなものも含まれているのだが、それらをハートフルな解決へと持っていくのが本シリーズのらしさであるのだろう。ご都合主義と言われようと、そのご都合主義こそが大切な作品であると思われる。登場人物の多さについていくのがきつくなってきたが、まだまだ付き合っていきたいシリーズではある。
<内容>
「紺に交われば青くなる」
「散歩進んで意気上がる」
「忘れじの其の面影かな」
「愛の花咲くこともある」
「縁もたけなわ味なもの」
「野良猫ロックンロール」
「会うは同居の始めかな」
「研人とメリーの愛の歌」
「言わぬも花の娘ごころ」
「包丁いっぽん相身互い」
「忘れものはなんですか」
<感想>
東京バンドワゴン、シリーズ7作目(外伝入れて8作目)。ただこの作品、本編というよりも外伝っぽい。今まで詳しく語られていなかったサイドストーリーを集めた短編作品。
シリーズを通して読んでいる人にとっては感慨深く、さらにはこんなことがあったのかと微笑ましく読める内容。紺と亜美の出会い、青とすずみの出会いと葛藤、藍子がシングルマザーとして子供を産むまでの苦悩、等々が語られている。
この“東京バンドワゴン”のシリーズをまだ読んでいない人が、いきなりこれを読んでも楽しめないのであしからず。是非とも最初の作品から順番に読んでもらいたいところ。本書は、軽く楽しめて面白かったのだが、我南人視点の物語がないのが残念であった。ただ、これに関してはあえて書くことはないのかもしれないが。
<内容>
「秋 真っ赤な紅葉はなに見て燃える」
「冬 蔵くなるまで待って」
「春 歌って咲かせる実もあるさ」
「夏 オール・ユー・ニード・イズ・ラブ」
<感想>
安定した面白さが続く“東京バンドワゴン”シリーズ。やや登場人物が多すぎるようになったきらいはあるものの、そのへんはもう気にせず強引に読み進めている。とりあえず、主要な堀田家の面々さえ脅えておけばなんとかなる。
今回はあまり大きな事件もなく、平々凡々としたなかでの暮らしぶりが語られている。また、いつものようにバンドワゴンにもたらされるちょっとした問題も滞りなく円満に解決されてゆく。そうしたなかで、デジタルデータに関する堀田勘吉の考え方については、興味深く読むことができた。
今作で起きた一番の問題といえば、中学生の研人が語りだした進路についてのこと。これにより、堀田家が右往左往する・・・・・・というか、意外と落ち着いた状況のなかで、大人の人々が研人に人生を諭すという事が行われる。周りにいるのが特殊な人生を歩んできた人ばかりなので、一見説得力がなさそうに思えるが、これがなかなか含蓄のある重みのある言葉を研人に投げかけてゆくのである。そこで研人の出した答えは!? というのが今作の焦点となる。
シリーズ開始当初は子供であった者たちがどんどんと成長し、さらに家族も増えてゆくので、問題には事欠かない東京バンドワゴン。そうした問題を家族全体で解決しつつ、さらに絆を深めてゆくのであろう。
<内容>
警視庁SPの土壁英朗は、大臣を守るために銃で撃たれ足を負傷した。その怪我により、リハビリ生活を余儀なくされ、長期の休暇をとることとなった。そこで土壁は母親の墓参りへ行くことを決める。土壁の母親は彼が幼いころ離婚し、別れたままであったが、2年前に事故死したことを知らされていた。北海道の見ず知らずの土地へと赴く土壁であったが、思いもよらず彼の親族は好意的に迎えてくれる。そして土壁は自分に小学5年生となる異父弟がいることを知る。しかしその弟は、自分が母親を殺したと告げ、自ら座敷牢にこもっているというのだ。親族たちと邂逅した土壁は、弟の真意を探るべくしばらくこの土地にとどまろうとすることを決意したのであったが・・・・・・
<感想>
東京バンドワゴンシリーズ以外の小路氏の作品を読むのは久しぶり。ハヤカワミステリワールドから出ていたので、本格ミステリっぽいのかなと思い購入。
読んでみると、最初は事件らしい事件はなく、単に自身のルーツを探るような話のみ。それが、徐々に脅迫行為とか、ちょっとした事件が起き、主人公が騒動に巻き込まれることになる。ただ、その騒動と言ってもさほど大したものではなく、何かが起きつつあるようなので、主人公がそれに積極的に関わっていこうというような展開。中盤以降で、主人公が初めて訪れた村と、自身がSPの警護で傷を負った事件との関わりが見えてくることとなる。そうして、事件全体と母親の故郷である村の秘密が徐々に明らかになっていくという内容。
村の秘密とか、思いもよらぬ事件のつながりととか、それぞれがうまく結び合わさって、うまくひとつの大きな形を作り上げている。読み終えてみると、単に事件が起きたのではなく、さまざまな思いがメッセージとして主人公に語り掛けていたということに感嘆させられる。
ただ、うまく出来ている反面、物足りなさも感じてしまう。これを読んだきっかけが、最初に書いた通り濃厚な本格ミステリを読めるかと期待したのだが、印象としては子供向けの小説というようなレベル。陰惨さや厭な部分を極力省いた内容となっているので、読みやすいことは間違いないのだが、その分子供向けという印象が強まってしまう。端正にまとめられたがゆえに、軽めの小説になってしまったような気がする。ハードカバーではなく、文庫で読んでも十分だったかなと。
<内容>
「夏 猫も杓子も八百万」
「秋 本に引かれて同じ舟」
「冬 男の美学にはないちもんめ」
「春 ヒア・カムズ・ザ・サン」
<感想>
「猫も杓子も八百万」では、独居老人が遺したという東京バンドワゴンで買ったと思われる本の謎について。「本に引かれて同じ舟」では、東京バンドワゴンにまつわる物騒な写真について。「男の美学にはないちもんめ」では、再度東京バンドワゴンの蔵書データが狙われる話。「ヒア・カムズ・ザ・サン」では、研人の受験と恋の行方について。
そんな感じで、いつもながらの人情噺が繰り広げられる。ただ、ここで気になるのが、あまりにも登場人物が多すぎて、そのそれぞれの人生の顛末を追うだけでページ数の大半が割かれてしまい、謎解きがあまりにもあっさりとしてしまっているところ。これはなんとも未消化気味に感じられてならない。
それであるならば、一層謎解きめいた話は失くしてしまうとか、または短編形式にせずに長編として書き上げたほうが、もっと物語に堪能できるような気がしてならない。登場人物らと共に年を重ねながら、という描き方は非常によいと思われるのだが、それを続けていくうえでは書き方に工夫が必要なのではと感じられてしまう。
<内容>
「春 花も嵐も実の生る方へ」
「夏 チャーリング・クロス街の夜は更けて」
「秋 本を継ぐもの味なもの」
「冬 ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」
<感想>
なんと今回は英国の秘密諜報員が関わる事件に巻き込まれ、東京バンドワゴンの面々(といっても一部の人)が、イギリスまで出向くことに。と思ったら、あっさりとすぐに帰ってくるというフットワークの良さ。例え国際的な事件が起ころうとも、常に舞台の中心は東京の古本屋でなければならないということであろう。
その他にも“呪いの目録”にまつわる騒動やら、老翻訳家にまつわる家庭内事情、さらには研人とその周辺にまつわる騒動などを解決してゆく。
前作の感想でも書いたのだが、ちょっと登場人物が多すぎ。それにより、肝心の物語が薄めで、ほとんどが登場人物の紹介にページが割かれているような印象。シリーズが長く続くにつれて、ちょっとバランスが悪くなってきたような。