竹本健治  作品別 内容・感想2

クレシェンド

2003年01月 角川書店 単行本

<内容>
 ゲームソフト会社で働く八木沢は資料を取りに行くため会社の地下へと足を運ぶ。するとそこでとてつもない、幻覚に襲われるはめにおちいる。そして八木沢はその後も度重なる幻覚により苦しめられることとなる。その白昼夢とも呼ぶことのできない、とてつもなく恐ろしい幻覚の原因を受験浪人中の岬の力をかりて八木沢は探ろうとするのだが・・・・・・

<感想>
 怒涛のように繰り出される“由良布流”の濁流に、ただただ流されるしかすべはない。

 理由やいわれなどは何もないというような不条理なほど圧倒的な幻覚。これはミステリというよりは“幻想小説”といったジャンルに入るであろう。しかし、本書ではこれを単なる“幻想小説”として終わらせるだけでなく、様々な薀蓄や研究による理由付けによってミステリの分野へと引きもどそうとする力技には感嘆させられる。


闇の中の赤い馬   5点

2004年01月 講談社 ミステリーランド

<内容>
 聖ミレイユ学園にて悲劇が起こった。ウォーレン神父が校庭にて、落雷により死亡するという事故が起こったのだ。さらに、その事故をなぞるかのように、ベルイマン神父が閉ざされたサンルームで原因不明の焼死体となって発見された。
 僕は女探偵を気取るフクスケにワトソンに指名され事件の謎解き調査に駆り立てられる。しかし僕は夜毎、“赤い馬”の悪夢に悩まされることに・・・・・・。この夢は事件に何らかの関係があるのか!?

<感想>
 この作品に対してはとらえ方が微妙になってしまう。このミステリーランドというのは子供にも大人にも楽しめるというスタンスはとってはいるものの、前々からどこか設定が中途半端であるという気がしている。そしてその中途半端な設定の狭間にはまってしまったのがこの作品といえるのではないだろうか。

 内容はは学園物のミステリーとなっており、全寮制の学校内で起こった事件の謎を生徒達が調べていくといったもの。その設定自体は子供向けという形式に沿っていると思う。しかし、その事件の裏に潜む背景や事件自体の陰惨さというものは、あまり子供にはお薦めできないものとなっている。結局のところ、どの年代の人に勧めたらよいのかがわかりづらい本である。

 本書はミステリーというよりはホラー的な本として見たほうがいいのかもしれない。夜毎夢に出てくる“赤い馬”にうなされる主人公の心情描写や神父殺しの犯罪行為などは、なかなか陰惨なものに彩られているといえよう。

 余談ではあるが、この事件の犯罪行為を頭に描いてみると、
(ネタバレ→)  ガンダムのソーラーレイシステムによる攻撃を思い出す。 (←ここまで)

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狂い咲く薔薇を君に   6点

2006年04月 光文社 カッパ・ノベルス

<内容>
 明峰寺学園を舞台に一年生の津島海人とその先輩で二年生の武藤類子、そして囲碁棋士の牧場智久が事件に挑む学園ミステリー。

「騒がしい密室」
 “t.u”というイニシャルが入った傘を手に校内放送で女性とが津島海人にメッセージを残した後に死亡するという事件が起きた。放送室は鍵で閉ざされていたのだが・・・・・・果たしてこれは自殺なのか? 他殺なのか??

「狂い咲く薔薇を君に」
 演劇部による舞台公演の最中にヒロインが殺害されるという事件が起きた。おもちゃの矢がいつのまにか本物の凶器にすりかわっていた。犯人はどのように犯行を成し遂げたのか!?

「遅れてきた死体」
 校庭にて何者かによって描かれたミステリー・サークルの中心に学園の生徒の死体が置かれていた。しかも死体の内臓は全て取り除かれていた。犯人はいったい何を考えてこのような所業に及んだのか・・・・・・

<感想>
 ライトな乗りのミステリー作品集となっている本書。特にこれといって印象に残るような作品はないのだが、よくよく読んでみれば、かなりきっちりと本格推理が描かれているということがよくわかる。多少、突飛に思える部分もあるのだが、まずまずよくできている作品集といえるのではないだろうか。

 本書のあとがきを読んでみたところ、実はこれらのストーリーの原型となったものは、だいぶ以前に書かれたもののようなのである。そう考えると、若干の古臭さが感じられるのもわからないでもない。できることならば、昔のストーリーから小説をおこすだけでなく、新たなものも追加してシリーズ作品として書き続けてほしいものである。

 せっかく久々に登場した牧場智久もこれ一冊だけでは物足りないであろう。また、牧場智久ものでなくとも竹本氏のミステリー、できれば今回のようなライトなものでなくもう少し濃い目のもの、をもっと読みたいものである。


ウロボロスの純正音律   7点

2006年09月 講談社 単行本

<内容>
 作家・竹本健治は出版社・南雲堂の南雲氏から漫画を描いてみないかと薦められる。かねてから、漫画を描いてみたいという希望があった竹本はその依頼を承諾する。竹本は、せっかく描くからには普通に描くのではなく、知り合いたちにアシスタントとなってもらい、大勢が関わる漫画創りというものに挑戦しようと試みる。南雲氏はその場所として、自分が住んでいた館を提供してくれる。その館というのが、美貌のメイドや怪力の大男が住み、さらに多くの蔵書や美術品が存在するという、ミステリにはおあつらえ向きのものであった。どこか謎を秘めたような館の中で、大勢のひとたちと作業を進めていくうちに、殺人事件が起こることとなり・・・・・・

<感想>
 まず、この本を読んで驚かされたのは、ウロボロスのシリーズにしては真っ当すぎるほどのミステリ小説であるということ。ここまで普通に本格ミステリが行われている本であるとは、読む前は思いもしなかった。しかも、“館もの”の本格ミステリである。

 舞台は“黒死館”風の建物の中。現代における設定のなかでまるで黒死館が甦ったかのようなミステリが展開されてゆく。しかも、古典ミステリを思わせるような見立て殺人事件が次々と起きてゆく。その不可解な事件がどのように解かれるのかと、読んでいて興味がつきない推理小説であった。

 さらには本書もウロボロスならではの、実名小説となっているので、登場人物のうちの誰が殺害されるのか? さらには誰が探偵役なのか? などなど、とにかく先が気になってしょうがない小説となっている。

 まぁ、全体的に冗長とは言わないまでも、相変わらずの博覧強記ぶりで、事件に関係あるのかないのか、わき道にそれたような話が長々と続くこともあるのだが、この作品に関しては、それも大目に見るべきところであろう。こういった様相も含めてのウロボロスであると言えるのだから。

 最終的にトリックに関しては眉唾ものというか、少々脱力気味になってしまったのだが、まぁ、それなりに満足できる小説であったと思っている。とにかくミステリファンを楽しませるという意味では、間違いなく魅力的な作品に仕上がっていることは事実である。


キララ、探偵す。   5点

2007年01月 文藝春秋 単行本

<内容>
 乙島侑平はどこにでもいるようなアイドル好きの大学生。普段は普通に大学に通い、アイドル同好会で活動し、居候している探偵である叔母の仕事を手伝ったりしている。そんなある日、研究者の従兄から、これまたよくあることなのだが新製品のモニタを頼まれることに。届けられた大きな箱を開けてみると、中に入っていたのはキララと名乗る“メイド・ロボット”であった!!

 「キララ、登場す。」
 「キララ、豹変す。」
 「キララ、緘目す。」
 「キララ、奮戦す。」

<感想>
 竹本さん、時流に乗ったな・・・・・・それがうまくいったのかどうかまではわからないが・・・・・・

 まぁ、表紙を見るとそのままなのだが、メイドが活躍するミステリーという内容。ただし、一応ミステリーということにはなっているようなのだが、そのミステリーという部分は添え物でしかなかったように思える。どちらかといえば、メイド・ロボットとその周辺の人々が繰り広げるドタバタ・コメディというものである。

 よって、普通のミステリーを期待している人には物足りない内容といえるだろう。メイドが出てくるSFチックコメディというものを許容できる人は楽しめるかもしれない。ただ、このくらいの内容であれば小説ではなく漫画で楽しむような部類の本かなと感じられる。「別冊文藝春秋」で連載されている短編ということなので、今後も続いてゆきそうなのだが、個人的にはこれ一冊で充分かなと。


せつないいきもの   6点

2008年07月 光文社 カッパ・ノベルス

<内容>
 「青い鳥、小鳥」
 「せつないいきもの」
 「蜜を、さもなくば死を」

<感想>
 最近の竹本氏の作品、「キララ」シリーズや「牧場智久」シリーズを読んでいると、昔からこんな作風だったっけと首をひねりたくなってしまう。それとも、現代性というものを取り入れるのがうまい作家とでもいうべきなのだろうか。

 内容については、前シリーズ作品に比べると学校の外での事件が中心となっているためか、前作ほどは幼さは感じられなくなっているような気がする。とはいえ、よく内容について吟味すると、どれもさほど事件性が高くないものばかり、とも感じられてしまう。

「青い鳥、小鳥」は読唇術によって、監禁事件の可能性を捜査していくというもの。「せつないいきもの」は大勢の知人の前での飛び降り事件を追求していく内容。「蜜を、さもなくば死を」は爆弾による脅迫事件を扱ったもの。

「せつないいきもの」に関しては、まだ動機というものについて凝っていると感じられる部分はあったものの、どの作品も結論という部分については弱いというか、平凡という印象しか残らない。どれも、もう一押し足りないというのが正直な感想。

 とはいえ、寡作な竹本氏がせっかく書き続けてくれているシリーズのようであるので、今後もどんどん続けていってもらえれば、こちらも当然読み続けていきたいと思っている。その勢いで、もっと牧場智久が活躍できそうな長編を書いてくれればと、さらなる期待をしてしまうのは行き過ぎであろうか?


ツグミはツグミの森   6点

2009年10月 講談社 単行本

<内容>
 ミラノ高校の天文部一同は夏休みを利用して一週間の天体観測合宿を予定していた。彼らが合宿を行うのは、学校近くのツグミの森のなかにある、部員の親が所有する小屋の中。その小屋は寝泊まりができるようになっている。彼らが合宿を始めるのを待ち受けていたように、大型の台風が接近し、その嵐とともに惨劇が幕をあけることとなる。かつて、このツグミの森では不気味な事件が起きており・・・・・・

<感想>
 かつて竹本氏が書いた「カケスの森はカケス」を思い起こさせるようなタイトル。さらには、竹本氏のかつての作品をほうふつさせるような青春小説ともなっている。竹本氏の作品を読み続けてきた人は懐かしさを感じることであろう。

 それでもさすがに昔と今では時代の違いを感じさせる部分もある。登場人物の高校生たちのオタクめいた語り口には現代的なものを感じとれる。

 本書の内容であるが、実は事件らしい事件というのは最後の方にならないと起きない。ゆえに、ミステリ作品というよりも青春小説という感覚のほうが強い。とはいえ、高校生たちが普通に合宿をしているはずでありながら、不穏な雰囲気と現実的とのずれがあり、なんとなく居心地の悪さを感じてしまうのである。そうして最終的には竹本氏らしく、物語に幕がひかれることとなる。

 今作では「ウロボロスの純正音律」とはまた違った竹本氏ならではの雰囲気を感じ取ることができた作品と言えよう。その雰囲気だけでも非常に満足である。ただ、一部の描写でやたらとエグいなと感じ取れたのも事実である(←読めばわかる)。


かくも水深き不在   6点

2012年07月 新潮社 単行本

<内容>
 「鬼ごっこ」
 「恐い映像」
 「花の軛」
 「零点透視の誘拐」

 「舞台劇を成立させるのは人でなく照明である」

<感想>
 患者から相談を受けた精神科医・天野不巳彦がその不可解なできごとに説明をつけるという作品集。最初の2編を読んだときは、これはつながった話なのかと思ったのだが、3編目を読むと、そうでもないよう。しかし、4編目まで読み終わると、最後の「舞台劇を〜」によって、全ての作品をつなぐ道筋が見出されるという連作短編集のような作品。

 一編、一編はそれぞれ面白く読むことができる。ミステリのようでもあり、ホラーのようでもありと、精神的に不安定な物語が展開され、読者を眩暈がするような世界へといざなう。特に「花の軛」のラストなどは映像化したものを見てみたいと思わせるくらい恐ろしい。また「零点透視の誘拐」での、何故誘拐事件がなされたのかという点についても興味深く読むことができた。

 そして、これらの作品をひとつに結び付けるラストであるが・・・・・・やや、蛇足であったかなと。あまり厳密でないというか、とりあえずくっつけてみた、という気がしてならない。単に精神科医・天野不巳彦という人物が登場する作品が4つあったので、というくらいにしか思えなかった。この結び付け具合の完成度が高ければ、この作品に対する評価がもっと上がったのだが・・・・・・これならば、無理にくっつけなくて単独の4つの作品でよかったかなと。


汎虚学研究会   6点

2012年09月 講談社 講談社ノベルス

<内容>
 「闇のなかの赤い馬」
 「開かずのドア」
 「世界征服同好会」
 「ずぶ濡れの月光の下」
 「個体発生は系統発生を繰り返す」

<感想>
 以前、講談社のミステリーランドにて刊行された「闇のなかの赤い馬」。その作品をまるまる掲載し、さらにそこに登場する“汎虚学研究会”の面々が活躍する短編を収録した作品。

「闇のなかの赤い馬」に関しては、以前読んだ時はミステリーランドという縛りがあったので、そぐわなさというものを感じたのだが、そうった縛りがなければ特に作品として問題ないと思われる。むしろ、この“汎虚学研究会”シリーズとして作品のなかに組み込んだ方が、すごく自然である。

 そのほか、短編が掲載されているのだが、これらがミステリという枠にこだわらなかったゆえに、面白さが増しているように感じられた。それらの中には、ホラーもあれば、ミステリもあり、思想的な内容のものまでもが含まれている。学園モノであるにもかかわらず、何が飛び出すかわからない内容となっているのである。これらを読んでいくと、途中で登場人物のひとりが「実は、自分は宇宙人です」と言いだしても違和感がないほどである。

 個人的にお気に入りなのは「ずぶ濡れの月光の下」。これは、はっきりと結末を示した作品ではないのだが、それゆえに色々と恐ろしい事を想像させられてしまう内容になっている。考えれば考えるほど、怖くなる作品。


涙香迷宮   5.5点

2016年03月 講談社 単行本

<内容>
 明治時代にジャーナリスト・作家・翻訳家として活躍した黒岩涙香。彼の隠れ家と思われる屋敷が発見され、牧場智久と武藤類子は涙香の研究家らに誘われて現地へとゆくことに。そこで待ち受けていたのは、涙香が残したと思われる数々の“いろは歌”。屋敷の謎を解こうと奔走していると、殺人事件が起こる。この屋敷に来る前に、囲碁にまつわる殺人事件が起きていたのだが、それが何か関係があるのだろうか・・・・・・

<感想>
 竹本氏による暗号ミステリ。あまりこういうジャンルの小説は触れていない気がするので、似たような作品で思いつくのは高田崇史氏の作品くらいか。本書は“いろは歌”を用いながら、その博覧強記ぶりと、謎の解き明かしっぷりを見せつけるものとなっている。

 ここに書かれている“いろは歌”であるが、全部竹本氏の創作なのであろうか? だとしたらすごいというよりほかにない。また、囲碁のネタでもかなり濃密なものを持ってきており、その専門性の知識についてはただただ感心させられるのみ。また、本書のメインともいわれる、黒岩涙香における研究についても深く掘り下げられている。

 個人的にもったいないと思ったのは、物語のなかで殺人事件が起き、真犯人が暴かれるのであるが、その根拠があまりにもおざなりとなっていたこと。事件は事件で、ミステリとして重要な部分なので、ここはしっかりと取り組んでもらいたかったところなのだが、扱いがあまりにも微妙。

 ゆえに、暗号ミステリとしてのみ価値ある作品という気がするのだが、全体的に万人受けのミステリとは決して言い難いと思われる。こうした文学的研究ネタが好きな人向けの小説という事で。


しあわせな死の桜   6.5点

2017年03月 講談社 単行本

<内容>
 「夢の街」
 「彼ら」
 「依存のお茶会」
 「妖かしと碁を打つ話」
 「羊の王」
 「瑠璃と紅玉の女王」
 「明かりの消えた部屋で」
 「ブラッディ・マリーの謎」
 「妙子、消沈す。」
 「トリック芸者 いなか・の・じけん篇」
 「漂流カーペット」
 「しあわせな死の桜」

<感想>
 2000年以降に書かれ、さまざまな雑誌等に掲載された作品が集められた作品集。ノン・シリーズ短編集という位置づけではあるが、竹本氏の作品を読み続けている人であれば、すでにご存じのシリーズの短編作品も含まれており、それらを見つけてゆくのも楽しいのではないかと思われる。

 序盤は幻想作品風のものが多かったという印象。個人的には後半にミステリ色の強い、「明かりの消えた部屋で」「ブラッディ・マリーの謎」「漂流カーペット」を読めただけでも満足。

「明かりの消えた部屋で」と「ブラッディ・マリーの謎」は、問題編と解答編に別れたミステリ作品。“つかさ”が事件に巻き込まれ、丸ノ内刑事がかき回し、芳川検事が解決する。特に「明かりの消えた部屋で」が面白く、海外旅行から帰ってきたら恋人(男)が死体となって発見され、アリバイ崩しが主軸となった捜査が行われてゆくというもの。複雑な内容の事件ではないものの、真相が明らかにされたときには、思わず“やられた!”と感じてしまった。

「漂流カーペット」は、SFチックな作品。3人の男女が記憶を失くした状態で謎の村に放り出され、そこで事件に関わってゆくというもの。何故か、村の人々は一人の質問に一回しか答えないというルールを持っており、その制約のなかで村にまつわる秘密を暴いていく。肝心のメインのネタよりも、その途上で明らかにされる“牛”に関わる謎のほうに衝撃を受ける。遊び心満載のミステリ??

 この作品集で唯一の書下ろしが「トリック芸者」。竹本氏の作品を読んでいる人にとってはお馴染みであるのだが・・・・・・ここまでくるともはやSFというか、なんでもありというか・・・・・・


狐火の辻   6.5点

2020年01月 角川書店 単行本

<内容>
 人を寄せ付けない森での腕を奪う者が出るという怪談。数々のひき逃げ事故がもたらす謎と怪談。いくつもの都市伝説? もしくは怪談? もしくは単なる噂のようなものを調べていくと、徐々に現実に交錯してゆくことに! 楢津木刑事らが執拗に調査した、これらの謎を聞いた牧場智久が出した答えとは!?

<感想>
 牧場智久が登場するサスペンス・ミステリ。都市伝説のような怪談話をメインに、そこから紐解かれる謎解きを描いた作品。

 物語の最初から半ばまで、怪談話や、さまざまなひき逃げ事故の事例が語られてゆく。その数はあまりにも多く、物語としては取り留めのないような感触であった。しかし、ひとつまたひとつと小さなひき逃げ事故の件については、解決がなされてゆき、さらには、そこから浮かび上がる大きな事件のくくりがなされてゆくこととなる。

 さまざまな事件をひとつの方向にまとめてゆく力技は見事であった。ただ、それでも全体的にみて、やや事件の規模が小さかったような気もする。とはいえ、短めの作品であるので、事件自体のボリュームもこれくらいでちょうどよかったのかもしれない。怪談話をうまくミステリに溶け込ませた作品であると思われる。


これはミステリではない   5点

2020年07月 講談社 単行本

<内容>
 霧によって閉ざされたミステリ研のものたちが集まることとなっていた屋敷。霧がかかる前に来た数名の者たちの中から殺人事件の被害者が出てしまう! 屋敷にいる者たちのアリバイが調査されるのだが・・・・・・という解答のない犯人当てクイズ。それに端を発したように、失踪事件が起きる。香華大学ミステリ研のものたちと、聖ミレイユ学園の汎虚学研究会の面々(マサムネ、タジオ、フクスケ、タマキ)らは実際に起きた事件の解決に迫られ・・・・・・

<感想>
 カバーに内容もなにも書いていなく、どんな作品かもわからなかったので目次を見た限りでは短編集なのかと思ってしまった。しかし、読んでみると長編となっており、しかも以前に登場したことのある“汎虚学研究会”の面々が登場する作品となっていた。

 最初は霧に閉ざされた館で起こる殺人事件が描かれ、そして犯人当てへと移行する。そこで香華大学ミステリ研のメンバーと汎虚学研究会(高校生)の面々が推理を行うこととなる。その犯人当てを書いた人物からの解答が行われるかと思いきや、その人物が消えてしまい、事態は混沌とすることとなる。

 そんな感じで展開される作品。ただ、元々のページ数が少なめの作品であるにもかかわらず、全体的に内容が薄いなと感じられた。正直なところミステリ作品としてさほど良い出来とは言えないものであった。夢の場面や幻想的な描写が多く、そこでページ数が稼がれているような気がしてならないのだが、そこはまぁ良いとしても作品自体は最後にきっちりと締めてもらいたかったところ。なんとなく最後のあやふやさが、どっちつかずの作品のタイトルに表されているという感じがする。これがもし新人作家の作品であるならば、出版以前にボツをくらいそうな感じの内容。


闇に用いる力学  赤気篇   6点

1997年06月 光文社 単行本
2021年07月 光文社 単行本(改訂決定版)

<内容>
 スクープされた六本足の豚にまつわる精肉工場の醜聞。謎の心臓発作により倒れゆく人々。街中を闊歩し、人々を襲う黒豹。その他、日本各地を襲う事件の数々。事件の裏には、超能力者や宗教団体の影が見え隠れし・・・・・・

<感想>
 1997年に単行本が刊行されたものの、それ以降は音沙汰無し。ただ、話が全く進行していなかったわけではなく、雑誌連載はずっと続けられていたようで、そのなかでしっかりと完結されていた模様。ただ、その後もなかなか単行本化されず、それが今年になってようやく一挙(最初に刊行された“赤気篇”も含めて)三冊の刊行と相成ったようである。

 その中身はミステリともちょっと異なり、超常現象を描いたSF作品というようにさえ捉えられるようなもの。秘密裏に育てられ、知られざるうちに食卓に上っていた、六本足の豚の肉。謎のウイルスと噂される、多くの人々の突然死。街中で人を襲う黒豹の存在。さらにはその他、数々のうさん臭い事件。そういったネタを調べる心理学研究所の人々や、スクープを狙うマスコミの面々。その裏に潜む、超能力少年や宗教団体の者達。と、こんな感じのテーマや登場人物が入り乱れての群像活劇となっている。

 正直なところ、この“赤気篇”だけでは、物語がどこへ行こうとしているのか全く見通せない。さまざまな事件の裏に何が隠されているのか? そして、なんらかの統一された意志が働いているものなのか? それはこれからの続きの作品により明らかになっていくのであろうか? まぁ、残り二冊あるので、こういった謎がどのようにして処理されていくのかを楽しみに読んでいきたいと思っている。

 最後にこの作品について一言いうと、全体的な雰囲気からして、この「闇に用いる力学」は、絶対に1990年代に書き終えるべき作品であったのではないかと思えてならない。ここに書かれているテーマが熱狂的に迎えられたのは、まさに最初の“赤気篇”が刊行された時期のことであろう。それを考えると、令和に刊行されたこの作品が、今の年代の人たちにどこまで受け入れられるだろうかと、考えずにはいられなくなる。


闇に用いる力学  黄禍篇   6点

2021年07月 光文社 単行本

<内容>
 日本のあちこちで謎のウイルス“メルド”が広がり、続々とウイルスによる死亡者が増えていく。その“メルド”による死亡者が高齢者が多いためか、世の中に“ウバステリズム”という高齢者を排除するような思想があちこちで聞かれるようになる。そうしたなか、超能力少女ミューと共に行動していた心理学研究所の茎田の行方がわからなくなる。ジャーナリストの佃が刑事の赤司と組んで、その茎田の行方を探すことに。そうこうしているうちに、各地で爆破事件や放火事件が起き、超能力者たちは何者かに追い詰められ、事態はさらに混沌とし・・・・・・

<感想>
「闇に用いる力学」の2冊目。中間点のはずだが、未だどこに進んでいるのか分からず。起承転結の、まだ“承”くらいの気がする。

 物語が動いているような、動いていないような。大きな事件が続いているように思えつつも、核心をつく事件であるのかどうかがよくわからず、未だ五里霧中。登場人物も主たる者が入れ代わり立ち代わりという形で安定しない。赤気篇のときは、茎田とミューが中心に据え置かれているように思えたが、この黄禍篇になると茎田は行方不明となってしまう。そこで今度は記者の佃と刑事の赤司が組んで、情報を集めつつ、状況を確認しあうが、それもまた途中で他の人物と入れ替わる。本書の後半になると、今までスポットを当てられていなかった人物が入れ代わり立ち代わり出てくるような感じになって、相変わらず主たる視点が定着しないままとなっている。群像小説という流れで突き進もうとするのが著者の考えなのか。

 本書を読んでいると荒俣宏氏の「帝都物語」を思い起こさせる。その帝都の魔人・加藤保憲のような鳥羽皇基という人物も出ていてそれっぽい。さらには、その鳥羽に対抗するような勢力や人物が表れず、人々が混沌に右往左往するのみというところも似ているような。

 いよいよ次で最終巻となるのだが、どのような展開が待ち受けているのやら。今のところ、巨大な陰謀らしきものを止めることができそうな者が表れていないのだが、そこがどう描かれるのかが興味深い。そのまま、登場人物らは起きたことを分析するのみで終わるのか? それとも陰謀を止めようとする勢力が表れるのか? はたまたハルマゲドンが実際に起きてしまう羽目に!?


闇に用いる力学  青嵐篇   5.5点

2021年07月 光文社 単行本

<内容>
 疫病は拡大し、降り続ける雨の中、日本は次第に蝕まれていく様相を見せ始める。メルドと呼ばれる奇病にかかる者たちが増え、死者は増える一方。そして病院の機能もパンクし始める。何らかの陰謀によるものなのか、行方不明者が多数出続ける中、いつからかミューと呼ばれるようになった超能力者グループは囚われたという噂が流れたものの、ひそかに活動を再開し始める。さらに多くの者達が暗躍する姿が見え隠れするなかで・・・・・・

<感想>
 7月に出た作品であったが、一気にこの完結編まで読み通すことができた。ただ、読んだ感想としては、最初に赤気篇が書かれた時から待たせされた時間と、かなり高めな本の値段に見合っていないなと思われた。

 最初の赤気篇は導入と言うことで良いと思われたのだが、続く黄禍篇とこの青嵐篇については、話の抑揚もなく、同じ流れのまま終わってしまったという感じ。少し物語が動くと、そこに何人かの人が集まって、その起きたことに対して情報交換を行う。これの繰り返し。しかも、物語の動き自体が少なく、情報交換が行われる時間の方が長く思えてしまう始末。それがただ単に集まる人が変わるだけで延々と続くような感じ。

 また、色々な事象についても、処理しきれず終わってしまったように思えて、モヤモヤした感じが残ってしまう。特に赤気篇の6本足の豚については、その後全く言及されていない。さらには、黒豹についてもそれでいいのかと思えるほど言及しつくされていない。ただ、黒豹が表れては消え、表れては消えというだけ。

 と、そんなこんなで消化不良でただ終わってしまったという感じであった。あと、個人的にはこの作品は、2000年を過ぎてではなく、やはり1999年までに書き上げておくべき作品ではなかったかと思われる。もしくは、作中では時代設定が曖昧であるのだが、きちんと1990年代の出来事とか書いておいても良かったも思われる。終末、もしくは世紀末の事件ということこそ本書の命題ではないかと個人的には思われたのだが。

 最終的に雨があがったから、もういいやという感じの終わり方がなんとも。この青嵐篇の途中で、なかなか話が収束していくという流れにならないので怪しそうな予感はした。せめてこの青嵐篇の半分くらいは使って、クライマックスとしなければ、本当の終局には至らないのではないかと。


話を戻そう   5.5点

2023年04月 光文社 単行本

<内容>
 時は幕末、外国からの干渉が始まり、国内では倒幕の機運が高まる中、佐賀藩もその流れに飲み込まれようとしていた。そうしたなか、佐賀藩内で起きた様々な事件を岩次郎という利発な少年が次から次へと解き明かしていた。そんな岩次郎であったが、おかっぱ頭の子供の姿を度々目にし、何やら不吉なものを感じ・・・・・・

<感想>
 上記の内容の説明ではわかりづらいと思われるが、基本的には小説というよりは、幕末における佐賀藩の細かいところを描写した作品と言う感じである。このタイトルと、あと単行本の帯にも書いてある通り、話が脱線して、なかなか先に進まないとされているので、それを想定して読むことができたゆえに、そんなにいらだつことはなかった。ただ、あまりにも脱線しすぎというか、話が脱線している部分の方が多いので、主軸の内容をきちんと把握することがなにより難しかった。

 幕末の歴史を描いた作品と言う割には、何気にしっかりとミステリ的な部分を付け加えているところは面白かった。連作短編のような感じで、それぞれの章で起きる事件を岩次郎が探偵役となって解決していっている。なかには密室殺人事件のようなものもあり、意外と読み応えがあった。

 ただ、結末の付け方はかなり不満が残る。途中まで、連作ミステリのような形式で描いてきたゆえに、全体をミステリとしてまとめあげるような結末が待ち受けているのかと思っていたのだが、それとは全く異なる結末を迎えることとなる。このような形になるのであるならば、ここまで必死にミステリとしてつながれてきた展開はなんだったのだろうと思わずにはいられない。何故か最終的には、歴史書として終わってしまっているような感じであった。


瀬越家殺人事件   5.5点

2023年11月 講談社 単行本

<内容>
 当主と三人の娘が住む瀬越家。家の壁に書かれた娘をさらうという文字。壁のなかから発見された謎の遺骨。何者が瀬越家に復讐を果たさんとするのか? 探偵・納谷治楼が事件捜査に奔走する。

<感想>
 48首のいろは歌で構成された作品。いろは歌とは、五十音の全ての文字全てを1回ずつ使って作られた歌。それを48首作るところも凄ければ、それで物語を構成させるといったところも凄い。

 ただ、小説として見てしまうと、いろは歌48首のみということもあり、説明不足に思える部分が多かった。物語の一筋の流れについては理解できたものの、全体的な肉付けは曖昧になってしまったかなと。まあた、いろは歌ゆえに内容を読み取りづらいというところもあるのだが、それぞれの歌に1枚のイラストが付けられているので、それにより内容を補完し、物語の中身をわかり易くするという工夫がなされている。

 著者の労力の度合いが大変であっただろうというのが全てと言って良いような作品。そんなわけで、万人には決してお薦めできない作品である(値段も結構高いので)。竹本氏のファンもしくは、いろは歌からなる作品というものに興味があるとか、版画絵的なイラストが掲載されている作品に興味があるとか、どこかマニアックな部分に引っかかるものがある人のみにお薦めしておきたい。




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