平成の奇書
2002/11/24



 ミステリ界において三大奇書といえば、「黒死館の殺人」小栗虫太郎、「ドグラ・マグラ」夢野久作、「虚無への供物」中井英夫の三作である。

 今現在時代は平成に変わり島田荘司、綾辻行人によって本格推理ブームが復活し、新本格派と呼ばれる人たちの台頭が続き、その後第2、第3の波によって数々のミステリが出版されている。そしてこのブームが100年後くらいにはどのように評価されているかというのをここで“奇書”というものを持ち出して勝手に予想してみたい。

 なぜこんなことを思い立ったのかというと、最近になり古典ミステリの復活というのがブームになっている。そのおかげもあって、我々は知られざる作家たちの貴重な作品を手にすることができ思う存分満喫することができる。
 しかしふと思うのは、今出版されて我々が手に取ることのできる作家というのはその当時評価されていた人々なのであろうか。例えてみると、画家のゴッホのように生前全く売れなくて死後になって高く評価されたという人もいるわけだ。今紹介されている作家の中にもそのような人はいるのではないだろうか。また、逆に当時は飛ぶように売れていた作家であったのに今現在においては全く紹介されていないという作家もいるかもしれない。もっと深く突っ込めば、昭和初期当時読んでもつまらない本が平成の時代に読むと新鮮味を感じるものとか、また逆に昭和初期に読むからこそ面白い本であって、平成の世の時代に読んでもまったくわからないものなどもあるだろう。
 そう考えると今現在の本も今は売れているからといって、それが未来に高く評価されるとはかぎらないだろう。また逆に、今は日の目を見ないにしても先の未来の世においては高く評価される本というのもあるのではないだろうか。特に先に述べた三作であるが、決して三大名作とか三大推理小説などとは呼ばれずに、必ず“奇書”と呼ばれるということにもなにか引っかかるところがある。




 そんなわけで、ここではさまざまな観点から、未来に残り評価されるかもしれない本というものを勝手に予測してみたいと思うしだいである。








その1.新本格への歩みたる三大名作

「匣の中の失楽」竹本健治  「占星術殺人事件」島田荘司  「十角館の殺人」綾辻行人


 うーーん、あたりまえすぎるラインナップ。とはいうものの“歩みたる本”なのだから選択肢がないに等しいのもあたりまえ。他にあげるとしても「バイバイエンジェル」笠井潔といったあたりぐらいか。
 ここで絶対の一冊といえば、当然「十角館の殺人」であろう。新本格から現代ミステリへの出発点はここであるといいきっても過言ではない。かつて「館シリーズ」を一気に読んだあのときの事がなつかしい。
 また、「匣の中の失楽」「占星術殺人事件」については新本格への先駆でありながらも早すぎた作品であったともいえよう。とはいえ、これらの作品によって、今現在の作家たちの本格推理小説を書いてみたいという意識に火をつけたのは間違いない。








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その2.新本格における三大名作

「時計館の殺人」綾辻行人  「生ける屍の死」山口雅也  「魍魎の匣」京極夏彦


 これは各人の好みであると思うので他にもたくさんあげることができるだろう。三冊に絞るのが難しいくらいである。
 他にも著者名としては島田荘司、笠井潔、竹本健治、有栖川有栖、法月綸太郎、麻耶雄嵩、二階堂黎人、北村薫、森博嗣、西澤保彦など人物名を挙げるだけでも大変である。なおかつその作品といわれると膨大な数になってしまう。
 このテーマについてはオールタイムベスト10などで取り上げているだろうから、そういったものを参照したほうがいいかもしれない。とはいうものの、自分なりにベスト10を作るという誘惑は捨てがたい。いつかこのHPでも国内外のオールタイムベスト10を作りたいものである。








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その3.新本格三大短編集

「法月綸太郎の冒険」法月綸太郎  「キッド・ピストルズの妄想」山口雅也

「どんどん橋、落ちた」綾辻行人


 短編集は意外と作品数を挙げるのが難しい。各自一遍の短編を挙げるというのであれば数多くの作品があるのだろうが、短編集となるとどうであろう。少し前までは短編集といえば少なくとも5、6編は載っていたと思うのだが、最近は2、3編くらいで短編集を出してしまうというなんともはや悲しい風潮である。まぁ中編というものなどもあるのでこれもまた一概にそう決め付けてもしょうがないのだろうが。
 近年、短編集における代表的な作家といえば法月綸太郎氏といっても良いのではないだろうか。まぁ、長編を出していないからというのも一つの要素なのかもしれないが。とはいえ、短編集の一編一編が本格ミステリとしてこれだけ水準が高いものを書く人というのは他にいないのではないだろうか。
 他に本格ミステリにおける短編の書き手というと、私の好みでは以前であれば島田荘司氏、最近であれば倉知淳氏といったところか。








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その4.三大館・邸(城も含む)系ミステリ

「哲学者の密室」笠井潔  「霧越邸殺人事件」綾辻行人  「人狼城の恐怖」二階堂黎人


 ミステリといえば“密室”。ミステリといえば“大量殺人”。ミステリといえば“雪の山荘”“絶海の孤島”。だからこそやっぱりミステリといえば“館”“城”である。
 その2.の<三大名作>と甲乙つけがたいラインナップ。他にも類似品は数あれど名作といえば数少ないはず。本の分厚さだけで「哲学者の密室」「人狼城の恐怖」を敬遠している人はもったいない。ぜひとも読んでもらいたい逸品である。
 個人的にはこういった作品を読みたいのだけれども最近は挑戦者が少ないようである。特に舞台が外国になってしまうという点もあるせいか“城”を扱う人はあまりいない。それでも最近、「双月城の惨劇」加賀美雅之といった作品が出てきたのはうれしいかぎりである。

 もしくはわざわざ外国まで足を伸ばさずに、日本にある城でミステリを書く人はいないのだろうか。『名古屋城の惨劇』なんてのはどうだろう。うーーんつまんなそう。っていうか違うタイトルにするだろうなきっと。








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その5.三大理系ミステリ

「すべてがFになる」森博嗣  「ifの迷宮」柄刀一


 さて理系ミステリですが・・・って、あれ2作品しか思い浮かばない。なんか理系ミステリって一大ジャンルであったような気がしたのに・・・。
 うーーん、以外に数を挙げるほど代表作がない。というよりは、森氏がひとりずば抜けているだけのことなのかもしれない。他の人で正面から理系ミステリ書いているのは柄刀氏くらいしか思い当たらない。

 また、島田氏が提唱している「21世紀本格」というものはある種、理系ミステリという分野に近いように思える。今世紀には現代科学とミステリが融合した本格ミステリというものが増えつつあるのだろうか。
 いずれにしても理系ミステリという分野は読者を納得させるものとしては難しい分野であるといえそうだ。








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その6.三大日常の謎系ミステリ

「空飛ぶ馬」北村薫  「魔法飛行」加納朋子  「日曜の夜は出たくない」倉知淳


 だんだん奇書からは外れてきつつあるような気が・・・。それはさておき、現在のミステリにおいて非常に重要な位置をしめているラインナップではないだろうか。これ以外にもと、推薦したくなる物は多々あるだろうが、それだけこのジャンルが現在浸透しているということであろう。この日常系ミステリというものが存在したからこそミステリの息が長くなったともいえるのではないだろうか。

 しかしながらマンネリがちになりそうという危惧も感じられるのがこのジャンルの特徴といえよう。現在はいろいろな作家が進出してきているせいもあって、いまだポピュラーではあるものの、これからはだんだんと形態が変容していくのではなかろうか。少なくとも、日常の謎系のみをテーマにして書き続けるというのは難しいのかもしれない。








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その7.三大青春ミステリー(なんとなくメフィスト系)

「記憶の果て」浦賀和宏  「すべては密室でできている」舞城王太郎

「クビキリロマンチスト」西尾維新


 そろそろ突っ込みどころが満載になってきているようだが、今現在のミステリにおいては“定義が広げられたミステリ”というものの存在は無視することができなくなっている。また、新本格系の作家が書き悩んでいるところに別の観点からミステリをせめてくる者達が台頭しているのも事実。そんななかの一ジャンルとしてこういった作品をここで提示したい。

 この他にも独特の世界観を持つ作家たちが現在数多く出現してきている。これらの作家たちの中からでも上記に述べるような力のある作家たちによって現在のミステリが支えられつつある。特にメフィスト賞のなかから(当たりはずれが多いものの)こういった新世代の作家たちの台頭が多く見られるのでここであげさせてもらったしだいである。








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その8.三大バカミス

「ミステリー・クラブ」霞流一  「六枚のとんかつ」蘇部健一  「コズミック」清涼院流水


 この企画で避けて通れないのは・・・えっ、そんなことないって! いやいや、やはりこの不況の世の中であるからこそ、触れておくべきジャンルではないのだろうか。まぁ、急がば回れということで。

 とはいうものの、あまり台頭しているとはいいがたいこのジャンル。というか本人はそんなものを書いているつもりではないのだろう。バカミスを提唱する霞氏はともかく、このバカミスに数えられて喜ぶ人はあまりいないかもしれない。大真面目に書いた作品がアホらしいといわれれば誰でも腹はたつだろう。とはいってもミステリにおいて、そんな馬鹿な!! といいたくなるような荒唐無稽さが飛び出てくるような作品がもっとあってもいいのではないのだろうか。一世一代、超バカトリックをこれから先も期待したい。

 とはいいつつもお馬鹿なトリックだけではけなされておしまいというのは世の常である。








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その9.そろそろ本気で三大奇書

「鴉」麻耶雄嵩  「奇想、天を動かす」島田荘司  「壺中の天国」倉知淳


 そろそろそれらしい作品を挙げていかなければ。 うーん、このラインナップはいいんじゃないだろうか。麻耶氏、島田氏の作品であればこのような作品を持ってくるというのも乙かもしれない。

 他にも「殺人鬼」綾辻行人、「ウロボロスの偽書」竹本健治、「二の悲劇」法月綸太郎などといったところも捨てがたい。その2の本格路線から少し外れているところをあえて当ててみた。








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その10.軽く三大奇書

「邪馬台国はどこですか」鯨統一郎  「黒い仏」殊能将之  「怪人と名探偵」芦辺拓


 ちょっと脱線しましたか? いやいやこんなところこそ捨てがたい。

 その9の作品がカーブを描いてストライクとくれば、こちらはシュートしながらボール気味に低めへという感じで(なんかわかりにくい)。幅が広げられつつあるミステリの中からこんなラインナップを選んでみた。谺健二氏、古処誠二氏などの作品なんていうのも良いかもしれない。「白夜行」東野圭吾という選択もありだったかも。








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その11.えっ! 三大奇書?

「カーニバル」清涼院流水  「血食」物集高音  「消失!」中西智明


 いやぁー、今までの中で一番それっぽい気がする。こんなのもいいかもしれない。こういう作品を挙げることに、こんな企画をやる意味があるのではないだろうか。

 冗談抜きで、これらの作品こそが先の未来にどのような評価を受けているかということこそ知りたいものである。以外に清涼院氏などはその時代の寵児とされて、<清涼院流水全集>というものが出版されているかもしれない。








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その12.なんちゃって三大奇書

「匣の中」乾くるみ  「蝶たちの迷宮」篠田秀幸  「ジョーカー」清涼院流水


いや馬鹿にしているわけではないんです。

本当です。

本当なんです。

べつにそういうわけでは。

ああーーー、違うって・・・









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 というようにいろいろな観点からさまざま著者の作品を選んで見たがここで本当に平成の奇書たるものを選択したい。今までの前振りは意味がないのかというと、そういうわけでもない。数ある作品の中から選択するというのはなかなか難しく、自分なりに勝手なジャンルわけをしながら整理整頓してきたしだいである。



 ではここで自分なりの“奇書”たるものをいくつか定義付けてみると、

一、奇書たるものページ数があるていど厚くなくてはならない。

 (2百ページきっていると寂しいものがある)

一、奇書たるもの、一回読んだだけで理解できるようではならない。

 (なんてったって奇書ですから)

一、奇書たるもの、代表作からは若干ずれている趣があることが望ましい。

 (名作を選ぶとのは若干趣旨がことなるから)








といったところを考慮に入れて、ずばり選んだ平成の三大奇書はこれだ!!









決定! 平成の三大奇書


「塗り仏の宴」京極夏彦


「夏と冬の奏鳴曲」麻耶雄嵩


「死の泉」皆川博子







 どうであろうか。京極氏については作品としては「魍魎の匣」や「絡新婦の理」が有名だろうが、ここはあえて「塗り仏」を選択。なんといっても「塗り仏」のすばらしさは、この前に出版された「姑獲鳥の夏」から「絡新婦の理」までを読んでいなければ理解できない、というところがすばらしい。順番にいっぺんにでも読まなければ混乱してしまう登場人物。さっそく文庫版から手に入れて、登場人物表を作りつつ読破してみよう。ちなみに内容も十二分にすばらしい。

 麻耶氏については奇書といえばこれしかない。「翼ある闇」に続いて出版された2作目。前作に続いてどんなトリックを見せてくれるかと思いきや、その謎はメルカトル鮎によって・・・・。この作品こそがある意味、現在の麻耶雄嵩の地位を位置付けた金字塔的作品ではないのだろうか。いやはや、いろんな意味で。

 皆川氏のこの作品に関しては、ずばりこれは代表作になってしまったかもしれない。それでもこのナチスドイツを舞台にした怪しい雰囲気、閉鎖された空間、読者を欺く展開はミステリとして無視することができない存在となっている。そしてラストのさらに読者を困惑させるかのような仕掛け。これこそがここで提示するべき代表的奇書である。




 といったラインナップに落着いた。いかがなものだろうか。自分としては満足のいく作品を選ぶことができたつもりであるが、反省点としては平成という時代に即していないというところ。“平成の”と名づけるのであればそこまで考えればよかったのかもしれない。とはいうものの実際の“平成”という時代に捕らわれては今回のような奇書の選択はできなかったような気がするのも事実。結局時代背景までを考慮に入れるとするならば、未来の視点からのみでなければ不可能というようにも考えられる。今現在、昭和の奇書というものを選ぶことができるように、平成の奇書というものが選択されるのは50年後くらいのことだろうか。できることならば、平成という時代が終わるまで10年おきくらいに、このような企画を行い、そして平成の世が終わったときに再度本格ミステリを顧みてみたいものである。


 最後までお付き合いくださり、ありがとうございました。お疲れ様でした。



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