SF あ行−う 作家 作品別 内容・感想

紫色のクオリア

2009年07月 アスキー・メディアワークス 電撃文庫

<内容>
 私、波濤マナブは普通の中学生。ふとしたことから親友となった毬井ゆかりはどこにでもいそうな天然系でドジな女の子。しかし、ゆかりは通常では考えられない、とてつもない秘密をもっていた。それは、彼女の紫色の目には自分以外の人間がすべて“ロボット”に見えるというもの。そのゆかりの特殊な能力(?)のせいで、私はとある事件に巻き込まれることになり・・・・・・

<感想>
「SFが読みたい!」を参考に購入した一冊。ライトノベルとあなどるなかれ、これがなかなか面白い。

 毬井ゆかりという、自分以外の人間がロボットに見えるという変わった能力を持った少女の周囲で起きる事件を描いた作品。他の人々がロボットに見えるからといって、何の役に立つのかというと、そのロボットの形状から人の内面を読み取ることができるのである。例えば、攻撃的な性格であるとか、そういったこと。さらには、それ以外にもとんでもない力を秘めていることが、ここで起きる事件を通して明らかになってゆく。

 本書は大まかにいえば、2つの章にわかれていて、前半は毬井ゆかりの能力が明らかにされる章。そして後半は、毬井をよそに、単なる語り部でしかないと思われた波濤マナブが予想外の活躍(といってよいのかどうか)をする内容になっている。

 ただ、できれば毬井ゆかりをもっと登場させてもらいたかったというのが本音である。後半の展開はSF的には良いのかもしれないが、物語的には決して楽しめるとは言えないものであった。

 また、文章についても気になった。やたらと章ごとにぶつ切りとなっていて、読みすすめづらかった。なんとなく、連作短編というか、ショートショートのかたまりでできている長編小説というような流れであった。ライトノベルゆえに、読みやすさを期待していたのだが、そのへんがちょっと裏切られた感じである。

 全体的にいえば、そこそこ読めるSF作品といったところ。アイディアは良かったと思えるのだが、物語や文章がそれにきちんと付いていかなかったという感触。


魚舟・獣舟

2009年01月 光文社 光文社文庫

<内容>
 「魚舟・獣舟」
 「くさびらの道」
 「饗 応」
 「真朱の街」
 「ブルーグラス」
 「小鳥の墓」

<感想>
「SFが読みたい!」で取り上げられていたので試しに読んでみた作品。読む前はもう少しライトな内容かと勝手に想像していたのだが、実際に読んでみるとSFとしての密度の濃さに驚かされることになった。

 短編集ということで、最後の作品「小鳥の墓」以外は30〜40ページくらいの短めな作品となっている。にも関わらず、そんなに短かったかなと思わせるくらいに、設定・物語が濃密に凝縮されている。

 異形の生物“魚舟”と“獣舟”との関わりを描いた「魚舟・獣舟」はもっとページがあっても(むしろ長編であっても)よかったくらい。事の発端から結末までを一気に書き通しつつ、予想外の展開と厭な余韻を残し、しかも今後の展開を気にさせるようなという盛沢山の内容。

「真朱の街」は妖怪と人間が共存する町での出来事を描いた作品。キャラクターが栄えていたので、これ一作でおしまいにするのは惜しいと思われた。

「小鳥の墓」は作品の半分を占め、中編といってもよいボリューム。他の作品は濃密なせいもあって若干読みづらさも感じたのだが、その中にあって一番読みやすかったのがこの作品。近未来の管理体制下での少年の小さな反乱が描かれた内容。主人公の少年が求めるものは、それほど大きなものではなかったはずなのに、たまたま関わった同級生のために知りたくもなかった世界を目の当たりにすることとなる。

 本書を読むまでは新人の作家だと思っていたのだが、デビューは2003年であり、ミステリ・フロンティアから「ショコラティエの勲章」を出していて既読の作家であったことに気づかされる。とはいえ、本業はSFのよう。まだ作品数は多くないようであるが、この作品を読んだことにより、他のSF長編も読んでみたいなと思わされた。


華竜の宮

2010年10月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション

<内容>
 海底の隆起により陸地の多くが水没してしまった25世紀地球。一時は衰退するかのように思えた人類であるが、再び繁栄を取り戻しつつあった。現在地球上では、衰退時の土地を巡る争いの中で、発明によって作られた魚舟・獣舟や、さまざまな形態のものが現れることとなった。特に獣舟は人類を襲い、その襲撃から人類は身を守らねばならなかった。一方、海上でくらす者たちは、困難を乗り越えながら、魚舟と共に生活し、全世界に広がっていった。
 日本政府の外交官の青澄誠司は、アジア海域で海上民らが平和に暮らせるように骨をおっていた。そうしたなか、青澄は海上民の代表とも言える、女性長・ツキソメと会談し、交易ステーションの建設を図ろうとする。しかし、政府から思わぬ妨害が入ることとなり・・・・・・

<感想>
 短編集「魚舟・獣舟」を読んだ時には、この設定でこれだけの短編で終わるにはもったいないと思ったのだが、それを長編化したのがこの「華竜の宮」。物語の序盤で、何ゆえ地球上が「魚舟・獣舟」に登場するような荒れた世界となったのかが科学的に語られ、そして25世紀の水没後の世界を舞台に物語が始められてゆく。

 と、導入までは良かったのだが、その後の物語を見てゆくと、あまり「魚舟・獣舟」の設定が関係なくなってしまう。本書は小説の形態でいえば「日本沈没」のような内容の作品。地球に大規模な危機が訪れた時に、それを人類がどのように収めていくのかが描かれている。とはいえ、訪れる危機自体は大規模なものの、それに立ち向かうひとりの外交官にスポット当てているだけなので、大きな話というよりは、公務員奮闘小説というくらいにしか感じられなかった。

「日本沈没」風の話としてはよくできているのかもしれないが、「魚舟・獣舟」から派生した長編としては不満足である。もう少し、その設定を生かした内容で話を進めてもらいたかった。むしろ、こういった内容にするのであれば“魚舟”や“獣舟”を登場させる必要さえないのではと感じられてならない。


リリエンタールの末裔

2011年11月 早川書房 ハヤカワ文庫JA

<内容>
 「リリエンタールの末裔」
 「マグネフィオ」
 「ナイト・ブルーの記録」
 「幻のクロノメーター」

<感想>
 まだ上田氏の本はこれで3作目なのだが、本書や「魚舟・獣舟」を読むと、短編向きの作家なのかなと感じてしまう。この「リリエンタールの末裔」も楽しめる作品集として完成されている。

「リリエンタールの末裔」は、長編「華竜の宮」の設定を継いだ作品。とはいえ、内容的にはさほど関係ないので、これ単体で読んでも十分に楽しめる。厳しい世界のなかで、空を飛ぶことだけを夢見る少年の成長を描いた、工学系SF作品。現実の厳しさ、追い求める夢、そして実現させようという試みが絶妙の感覚で描かれている。

「マグネフィオ」は、事故により現実の一部を直視できなくなった男と、寝たきりになった男との、その後が描かれている。これも工学的な分野が描かれており、その技術によって二人は足りない部分を取り戻すことができるようになるのだが、時の流れと鬱積された感情に直面することとなる。技術力と、それが実現されるまでの時間、そして人の感情と、SFでありながらもより現実的な作品に仕立てられている。

「ナイト・ブルーの記録」は「NOVA」により既読。マニュピレーターやセンサを通して、海の感覚をじかに感じ取ることができるようになった男の葛藤。ただ、それが葛藤だけで終わってしまっているのが残念。もう一アイディア欲しかった。

「幻のクロノメーター」は時計職人の執念を描いた作品。1700年代に時計作りに挑戦した者達の様相が描かれている。完全なる工学作品かと思いきや、徐々にSFに浸食されていく描き方が見事。時計作りと航海との関連知識について描かれる内容も興味深い。


曲がれ! スプーン

2009年10月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション

<内容>
 「曲がれ! スプーン」(戯曲)
 「サマータイムマシーン・ブルース」(戯曲)
 「犬も歩けば」(短編)

<感想>
 劇の台本を書き下ろした作品集、つまり戯曲集。二編の作品が掲載されていて、それらを補足するような短めの短編がひとつ付け加えられている。

 劇という観点からすると十分に面白い作品と言えるのではないだろうか。ただ、この作品が書籍化された理由は、映画化されたということによるのだが、映画作品として向いているかどうかは微妙。映画を見てもいないのに、こういったことを言うのも失礼かもしれないが、結局のところ「曲がれ! スプーン」が興業的にうまくいったという話は聞いていない。

 本書では超能力とタイムマシーンのそれぞれを扱った二つの作品が描かれている。どちらもSF劇というよりは、コメディにSF的な味付けをしたというように思える。一応はSF劇という言い方は間違っていないのだろうが、書籍化されてこれをSFだと言われても、なんとなく違和感がある。そもそもこれが“SF Jコレクション”に並べる作品であったのかが疑問。ジャンル的に他にやり場がなかったというのが事実のような気がしてならない。

 余計な話が長くなったが、2作品を比べれば「曲がれ! スプーン」のほうが単純明快でよかったようにも思える。「タイムマシンマシーン・ブルース」に関しては、文章で読むと(図も付いているので)理解できるのだが、劇で見てもわかりにくいのではないかという余計な心配をしてしまった。

 とはいうものの、どちらの作品も本で読むよりも実際に劇を見たほうが面白そうな気がしてならない。


マルドゥック・スクランブル (全3巻)

2003年05月 早川書房 早川文庫JA (圧縮)
2003年06月 早川書房 早川文庫JA (燃焼)
2003年07月 早川書房 早川文庫JA (排気)

<内容>
 少女娼婦バロットは賭博師シェルの手によって殺されようとしていた。その燃え盛る車の中から彼女を助けたのは、委任事件担当官のネズミ型万能兵器ウフコックとその相棒のドクターであった。二人は連続して少女を手にかけている男とその背後にあるものを突き止めようとしていたのである。バロットは二人に協力し、自分自身のためにも犯罪組織に立ち向かおうとする。

<感想>
 SFだとかいうジャンルを抜きにして、これは本当に面白い本であったといえる作品。といっても、この作品はSFであることには間違いない。良質のSF作品といえるものでもある。

 物語は娼婦である少女バロットが殺される寸前に命を助けられるところから始まる。そこでバロットは自分自身の暗い過去に悩み、自分の生きている価値を見出せないという状況におかれる。主人公にトラウマのある少女を持ってきたというのはいかにもな話のようでもあり、少女の再生を描くというのもありきたりのようにも感じられた。しかし、そこからバロットの辿る再生の道は決してありきたりなものではなく、辛く、険しいながらもそこに必然性さえ感じられるという構成には目を見張るものがある。

 物語の最初の盛り上がりの部分はバロットがウフコックと組んでの銃撃戦の模様。バロットを付け狙ってくる者達を一刀両断にしてしまうかのような戦闘シーンは圧巻である。本書はこういったアクションシーンも一つの見所となっている。

 そして一番の盛り上がりどころといっても過言でないのがカジノシーン。2巻目から3巻目へとまたがって、ルーレット、ポーカー、ブラックジャックというゲームをバロットがウフコックとドクターの助言によって勝ち進んでいく。一見、カジノのシーンなどはSFの物語の場面としてはそぐわないように思えるが、これが物語の中にぴったりと当てはまり、そしてゲームを通してバロットが再生への道と人生の経験というべき糧を得る様子をうかがうことができる。

 また、ブラックジャックの最後の場面は見事というほかにない終わり方。ここで話が終わってもいいのでは、と思ってしまうほど見事な場面であった。

 そして物語はラストへと、ボイルドとの戦闘へと突入していく。

 この物語の主人公は元少女娼婦バロットであり、彼女自身の“再生”というものが主題である。バロットはネズミ型ロボット・ウフコックとの交流によって救われ、自分自身を構築していく。この二人の関係は、“共存”という形で描かれていくのかと思ったが、最終的にはそういう方向ではなかったように感じられた。バロットは最初はウフコックに依存するものの、徐々に“自立”の道へと進み始めていったような気がする。最初はこの物語はバロットとウフコックの物語であるかのように思えたのだが、ひょっとするとバロットと敵方のボイルドとの二人の物語というほうが合っているようにも感じられた。そのバロットとボイルドとの関係にこそ、バロット自身の再生と自立への道が示されていたのではないだろうか。


マルドゥック・ヴェロシティ

2006年11月 早川書房 ハヤカワ文庫(1、2、3)

<内容>
 戦地において友軍を誤爆し、心に深い傷を負い、麻薬依存症になっていた男・ディムズデイル=ボイルド。彼は後にパートナーとなる知能を持つネズミ・ウフコックの存在によって立ち直り、自制された兵士として甦る。しかし、兵器として特殊な訓練を受けた彼らは戦争の終結と共に不要となり、廃棄されるのを待つだけの存在となりつつあった。
 そんな中、彼ら自身で今後の生き方を選択できる機会が与えられ、ボイルドは数名の仲間達と共にクリストファー教授の指揮の下、商人保護システム“マルドゥック・スクランブル09”という任務に従事する事となった。

<感想>
 本書は「マルドゥック・スクランブル」の続編にして、その前段となる物語であり、前作では敵役であったディムズデイル=ボイルドが主人公となっている。簡単にいってしまえば、本書はいかにしてパートナーであったボイルドとウフコックが訣別することになったのかが描かれた作品である。そして、この作品ではこれでもかといわんばかりにボイルドの苦悩が描かれている。

 本書に対する感想はというと、煮え切らない、抑制、鬱屈しすぎ、というような言葉で表されるものである。前作を踏まえての作品であるが故に、本書もアクションシーン満載にエンターテイメント小説というように考えていた。確かにアクションシーンはふんだんにあるものの、そのどれもがスカッとした気分をもたらしてはくれないのである。それどころか、そのひとつひとつの戦いがボイルドの枷になっていくようにさえ感じられる。

 この作品はエンターテイメントというよりは、まるでハードボイルド小説のような展開がなされてゆく。この作品中でのボイルドらの仇敵となる“カトル・カール”の存在と裏で操るものの正体を巡って、ひたすらボイルドがその真実にせまろうとする様相が描かれている。そして、その背景やラストで明かされる真相もかなりややこしい相関関係図が描かれるものとなっている。

 その真実というものが主要登場人物に深く関わっていくものであれば、読んでいるほうとしてはわかりやすいのだが、ほとんど名前くらいしかでてきていない人物が重要な鍵を握っていたりと、ラストに明かされる真実を知ってもその全体像は実に把握しずらい。そういった書き方も物語上の一つの鬱憤となってたまってゆく事になる。

 また、本書で主題となるはずであった“有用性”という問題もどこまで描ききれたかということは疑問である。意外とボイルドとウフコックの訣別というものがあっさりし過ぎていたと感じられた。それにひとり事件の全てと責任を背負い込むボイルドに対して、パートナーであったはずのウフコックの対応というものがあまりにも子どもじみている(実際子どもといってもよいのかもしれないが)ように感じられた。定められた運命であり、ボイルド自身が望んだ選択であるとはいえ、決してボイルドのみを否定する事はできない結末であったと思われる。

 この「ヴェロシティ」という作品であるが、これはあくまでも「マルドゥック・スクランブル」という作品があるからこそ成り立っている作品であると言えるであろう。これが「ヴェロシティ」が先に出ていたら作品自体の評価もかなり微妙になっていただろうと思われる。ゆえに、正しい読み方としては「スクランブル」を先に読み、「ヴェロシティ」を読み、さらに「スクランブル」を読み返すというのが一番楽しめる読み方となるのではないだろうか。


火星兵団

1941年01月前篇 05月後篇 東京日日新聞社
2002年11月 沖積舎 海野十三傑作選B

<内容>
 地球はモロー彗星の激突によって、絶滅の危機にひんしようとしてた。しかし、人々がそのような危機に気づかない間に地球上では着々と火星人による侵略が進められようとしていたのだった。そのような現状に気づき、皆に警告を与えようとするが世間から変人扱いされてしまう蟻田博士、そしてその助手の新田先生。そして火星人にさらわれることによって、一連の事件に巻き込まれていく千二少年。彼らは地球の危機を救うことができるのか。

<感想>
 最初は物語の展開があっちへ飛び、こっちへ飛びとバラついていて、読みにくい感もあったのだが、中盤以降は展開も派手になり一気に物語りにひきつけられることになった。序盤のじわじわした展開がうそのように後半では火星人との先頭がど派手に繰り広げられていく。

 読み進めていながら細かい点にて結構気になるような部分はあった。しかし、本書は少年向けに書かれた本であるからして、大人から見て多少ちぐはぐに見えるのはしょうがないのかもしれない。さらには書かれた時代を考えればそれも当然のことであろう。私自身も小学生のころは乱歩全集やルパン全集といった子供向けの小説を夢中になって読んだことを考えれば、その当時の子供であれば熱狂的に迎えることができたかもしれない。

 またSF小説とはいうものの、さまざまな箇所で伏線を張ったり、謎が徐々に明らかになっていったりという展開はさすがである。こういった推理小説展開も挿入させるというのも当事においてはこの著者ならではのものではなかろうか。




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