SF ア行−ア 作家 作品別 内容・感想

鋼鉄都市   The Caves of Steel (Isaac Asimov)

1953年 出版
1979年03月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 突然、警視総監に呼び出されたニューヨーク・シティの刑事ベイリは、宇宙人惨殺という前代未聞の事件の担当にされた。しかも、指定されたパートナーは、ロボットのR・ダニールだった。ベイリはさっそく真相究明にのりだすが、巨大な鋼鉄都市と化したニューヨークには、かつての地球移民の子孫であり現在の支配者である宇宙人たちへの反感、人間から職を奪ったロボットへの憎悪が渦巻いていたのだ・・・・・・

<感想>
 SFではあるが、ミステリファンを喜ばせ、納得させる構成となっている。とくに刑事のベイリが論理的に殺人を証明しようとするところなどはなかなかのもの。

 アシモフ氏が提起するロボット三原則。これに基づいた論理的な推理がなされるのだが、感心するほど綺麗にまとまっている。さらにあとあじが悪くないのも見事だ。SFという人によってはとっつきにくい分野ではあるのだが、そのなかでも洗練された味わいを出し、陰惨さや残虐さなどを感じさせずに展開される論理的なミステリ。妙なサイコキラーや残酷さをかもしだすだけの小説などとは一線を引く妙である。ただただ、脱帽。


はだかの太陽   The Naked Sun (Isaac Asimov)

1957年 出版
1984年05月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 すべてがロボットによって管理される惑星ソラリア。だが、そこで、有史以来初の殺人事件が発生した。ロボットしかいない密室で人間が殺されたのだ。ロボットに殺人ができるはずはない。ソラリアの要請で急遽地球から派遣されたイライジャ・ベイリ刑事は、ロボットのオリヴォーとともに捜査に着手するのだが・・・・・・

<感想>
 本格推理小説とSFが見事に組み合わさっている。本格推理小説の構成をとっているが、話の根底はSFにある。しかし単にSFかというと、主題は推理小説となっている。うまい具合の配分である。

 ソラリアというロボットによって管理された国。そこは人口が2万人しかいなく、人と人同志の直接的なコミュニケーションが通常はとられない。夫婦でさえも別々の地域にいるという。そんなとき、とある夫婦が直接会っているときに事件が起こった。夫が撲殺され、その横には気絶した妻が! しかし兇器はどこにもない!! どうみてもその妻が殺人を犯したとしか見られないのだが・・・・・・という内容。

 しかしベイリ刑事はもうすこしオリヴォーと仲良くやれないものかねぇ。「鋼鉄都市」で互いに理解し合えたような気もしたのだが。

 この話を読むと、ある意味一つの地域文化として確立され近未来を表しているかのようなソラリアという都市がある。しかしここで起きた事件というのは、まさに創世記に起きたアダムとイブの事件的思想が感じられる。結局人というのは・・・・・・


われはロボット   I, Robot (Isaac Asimov)

1950年 出版
2004年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(決定版)

<内容>
 「ロビイ」
 「堂々めぐり」
 「われ思う、ゆえに・・・・・・」
 「野うさぎを追って」
 「うそつき」
 「迷子のロボット」
 「逃 避」
 「証 拠」
 「災厄のとき」

<感想>
 アシモフの代表作・・・・・・というよりは、SF史上でも有名な作品である。特にロボットものと限れば、1番の代表作となるのではなかろうか。アシモフは、ロボット三原則というものを提唱し、現代のSFにおいても大きな影響を及ぼし続けている。そのロボット三原則を背景とし、ロボット社会の未来を描いたのがこの作品である。

 最初の「ロビイ」という作品は、ロボットと女の子の邂逅を描いた作品で、これ以外の作品は“ロボット三原則”に関連した内容となっている。それは、本来であればロボットはその三原則に基づいた行動をとるはずが、時に人間の予期しない行動をとることがある。それが一見、三原則に反しているように思えるのだが実際はどうなのか? というものについて言及した内容である。ある種、ロボット三原則をルールとし、それに対して論理的に推理を進めるミステリ小説のように思えなくもない。

 自我を持ち、自己主張が強くなったロボットへの対処法、ロボットが制御不能になってしまう原因とは?、未来を予知するロボットの正体とは?、などなど、こうした問題に対して、シリーズキャラクターとも言える人々がやりくりをしていくこととなる。

 こうした話を読んでいると、ロボットってすばらしいという感触よりも、ロボットって厄介だという印象のほうが強くなってしまう気が・・・・・・。ただ、科学者としては、例え例外的であっても、ロボットが暴走する可能性というものについて常に対処し、そうしてより素晴らしいロボットを作り上げなければという気持ちのほうが強いのであろうか。とにもかくにも、興味深いロボット物語の数々である。


ロボットの時代   The Rest fo the Robots (Isaac Asimov)

1964年 出版
2004年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(決定版)

<内容>
 「AL76号失踪す」
 「思わざる勝利」
 「第一条」
 「みんな集まれ」
 「お気に召すことうけあい」
 「危 険」
 「レニイ」
 「校 正」

<感想>
「われはロボット」に続く、ロボットSF作品集第2弾。第2弾というか、「われはロボット」とひとくくりにしての作品集という感じでもいいのかもしれない。

 本書だけでみると、前作と比べればやや主題が微妙と思われる作品もいくつかある。最初の2編「AL76号失踪す」「思わざる勝利」は、コメディ調といってもよいような内容。むしろトンデモ系SFとなっている。

 その後の作品では、ロボット主体と言いつつも、前作で登場した人物をアシモフが気に入り、それらにまつわる作品を描いたという趣きが感じられる。マイク・ドノヴァンが登場する(といっても語り手でしかないのだが)「第一条」、スーザン・キャルヴィンがちょこっとだけ登場する「お気に召すことうけあい」。この2編は必然性はなきにしも、わざわざ彼らを登場させているという感じである。

 最後の三編「危険」「レニイ」「校正」になって、ようやくロボットSFらしくなってきたかなと思えた。「危険」ではロボットの不完全さを描き、「レニイ」では働く側の感情と発展性を描き、「校正」ではロボット社会に対する警鐘を描いている。どれもが、未来に向けた社会派小説のようになっており、ロボットの発展から派生するさまざまな問題に向き合っている。

 これらを読んでいると、ロボット小説イコール、未来の問題を取り上げた擬似社会派小説というように捉えることができる。ロボット小説というと、単に便利なロボットが出てくるだけのように思えてしまうが、実際に読んでみると意外に奥が深いことに驚かされる。


銀河帝国の興亡1 風雲編   Foundation (Isaac Asimov)

1951年 出版
1968年03月 東京創元社 創元SF文庫(「銀河帝国の興亡1 風雲編」)
1968年03月 早川書房 ハヤカワ・SF・シリーズ3176(「銀河帝国衰亡史」)
1984年04月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(「ファウンデーション 銀河帝国興亡史」)
2021年08月 東京創元社 創元SF文庫(「銀河帝国の興亡1 風雲編」 新訳版)

<内容>
 銀河を支配する帝国に没落の影が刺し始める。それを的確に予言した心理歴史学者ハリ・セルダンは、このまま時の流れに身を任せてしまえば、銀河帝国が築いた知識や技術が失われ、暗黒時代が到来すると告げる。もはや帝国の衰退を止めることは不可能であるが、暗黒時代を短縮し、再び帝国を再興させるために今から、銀河の全てを記載する“銀河百科事典”の編纂に取り組むことを提唱する。帝国はセルダンを辺境の惑星テルミヌスへ、半ば追放という形で送るのだが、それをあらかじめ予期していたセルダンはその辺境の地で銀河文明再興の拠点づくりを始めてゆく。

<感想>
「ファウンデーション」という作品が、かつてハヤカワ文庫で書店に並んでいたのを覚えているが、そのときは手に取らず。やがてアシモフの作品を読むようになり、「ファウンデーション」を読んでみたいなと思っていたら、それが新訳によって復刊されることとなった。調べてみると、創元社や早川書房などから今まで色々な形で出版されていた模様。

 読んでみたらこれが面白い。銀河帝国の滅亡を予言し、そこから来る暗黒時代を極力抑えるために心理歴史学者セルダンによって、辺境の地で銀河帝国復興の準備が着々と進められていくという話。セルダンの死後もその計画は進められてゆき、何代にもわたって一つの計画が成されてゆく壮大な物語が繰り広げられてゆくこととなる。

 壮大な物語が繰り広げられつつも、話の進行が数名の登場人物による会話が基調として成り立っているところが面白い。また銀河帝国の復興を行うという名目も、辺境の地で帝国の目が届かないところでは何の威光もなく、数々の妨害に会うこととなる。そうしたなか、数々の困難を乗り越えて、世代を超えた銀河帝国復興計画が行われてゆくこととなる。また、そうした困難を予測していたように、ところどころで過去からのセルダンによる提言がなされてゆくこととなる。

 武力行使も若干あるものの、基本的には政治や知略で困難を乗り切るという展開が興味深い。また、銀河帝国で栄えた技術が、その衰退によって徐々に失われ始めるということに関しても考えさせられる。一定の技術の上昇があれば、その技術は失われることはないのではと思っていたが、国が失われることにより、文化のみならず、発展していた技術さえも失われることが有りうるのだということを痛感させられた。

 この第1巻では、まだまだ復興どころか、銀河帝国自体が完全に滅亡したわけでもない。ゆえに、これからさらに予想だにしないような困難が待ち受けることとなるのであろう。これは続きを読むのが待ち遠しいと思えるくらい。


銀河帝国の興亡2 怒濤編   Foundation and Empire (Isaac Asimov)

1952年 出版
1969年10月 東京創元社 創元SF文庫(「銀河帝国の興亡2 怒濤編」)
1984年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(「ファウンデーション対帝国」)
2021年12月 東京創元社 創元SF文庫(「銀河帝国の興亡2 怒濤編」 新訳版)

<内容>
 銀河帝国の滅亡後に、その暗黒期をできるだけ短縮しようと心理歴史学者セルダンの手によって辺境に造られたファウンデーション。そのファウンデーションは、帝国が衰退を辿る中、科学力をさらに発展させつつ、勢力を増していくことに。それがやがて帝国の目につくようになり、帝国との戦線が繰り広げられることに・・・・・・。そして、さらなる時を経たのち、今度はファウンデーション自体が衰退を辿るような出来事が起きてゆく。しかも、セルダンの未来予測にはなかった、正体不明のミュータントによる勢力が手を広げ始め、ファウンデーションは危機にさらされることとなり・・・・・・

<感想>
「銀河帝国の興亡」もしくは「ファウンデーション」の第2作品。私はこのシリーズ未読であったので、この新訳版での初読となる。

 前作では「ファウンデーション」が設立され、困難を乗り越えつつ順調に発展していく様子が描かれている。今作では皮肉なことに、帝国の再発展のためのファウンデーションと帝国自体との闘争が進行していくこととなる。そこではファウンデーションが発展しつつも、帝国に関しては着々と退廃していっている様相がうかがえるものとなっている。そして帝国との闘争に決着をつけるためにとられた行動が、いかにもこの作品らしいものとして決着が付けられている。

 本書ではもう一部、別の出来事が描かれている。そこで問題視されるのはなんとファウンデーションの衰退について。ファウンデーションが強力な力を持ち始めると、帝国の歴史と同様に腐敗・退廃し始めるという皮肉が込められているようでもある。そこにさらなるとどめを刺すように、ミュータントの脅威にさらされることとなる。

 あらすじなどで見たときには、ミュータントというものは、外惑星からの異星人の再来かと思っていたのだが、どうやら突然変異により現れた人種のようである。よって、単体であるようなのだが、最後の最後までミュータント自身が正体を現さず、得体の知れない存在となっている。そのミュータントが徐々にファウンデーションを席巻してゆき、いつの間にかファウンデーション全体がミュータントの魔の手に落ちてゆくこととなる。

 正直言って、ミュータントの存在がファウンデーションを席巻していくという状況については理解しがたかったのであるが、これはこれでシリーズのなかで書きたかった主題であるようだ。どうやら物理的な支配ではなく、感情効果による支配というものを描きたかったようであり、それがファウンデーションの弱点ということになっていたようである。ただ、それについての対策が成されていて、それが”第2ファウンデーション”の存在とのこと。この巻ではその第2ファウンデーションの存在については何度も示唆されているのだが、それがどういうもので、どこにあるかはまた次巻でとのこと。


銀河帝国の興亡3 回天編   Second Foundation (Isaac Asimov)

1953年 出版
1970年04月 東京創元社 創元SF文庫(「銀河帝国の興亡3 回天編」)
1984年12月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(「第二ファウンデーション」)
2022年05月 東京創元社 創元SF文庫(「銀河帝国の興亡3 回天編」 新訳版)

<内容>
 銀河帝国から発展した技術の衰退を妨げようと、計画された“ファウンデーション”。その計画が長い年月にわたり着々となされる中、ミュールと名乗るミュータントにより、ファウンデーションは破滅の危機を迎えることに。そうしたなか、非常時に備えた“第二ファウンデーション”の存在が浮き彫りとなる。しかし、その別のファウンデーションはいったいどこにあるのか? ミュール自身も、自分の地位を確たるものにしようと、第二ファウンデーションの正体を探ろうとするのであったが・・・・・・

<感想>
 続けて読んできた「銀河帝国の興亡」の新訳版もこれで完結。読んだ感想としては、第1巻がピークだったかなと。

 2巻から出てきたミュールの存在によって、全体的に話があやふやになってきたように思えた。そのあたりでファウンデーションの創始者であるセルダンの意思が途切れてしまったことも、物語の興味深さの流れを止めてしまう大きな要因のひとつと言えよう。また、“第2ファウンデーション”という存在自体が、最初は魅力的に感じられたものの、その存在を明らかにする場面が、どんどんと先延ばし先延ばしされてゆくことによって、読んでいる方の期待は徐々に薄れて行ってしまった。なんとなく、ミュールと共に漠然としたもので終わってしまうのであろうなとしか思えなかった。

 そんな形で、2巻から3巻へと話が進むにつれて、物語の期待度や熱量が尻すぼみとなっていった。第3巻の最後の章で****少女を重要人物に据えることで、物語の巻き返しを図ったのかもしれないが、それもあまり効果が出ていなかったような。そして最終的に、ファウンデーションたるものが、本来の目的を遂げたものとなったのかどうかもはっきりしないまま終わってしまった。

 読み始めは、斬新な“銀河帝国史”であるなと期待をもって読めたものの、中盤以降はその期待度が薄れてしまったのは残念なところ。心理歴史学者ハリ・セルダンといえども、本当に遠い未来のことまでは、予想通りというまでにはいかなかったのだろうか。それとも、どのようなことが起きても、ある程度の成果は達成できるものとしての計画であったのか? 物語の最後に、そういったまとめてきな言及が欲しかった。


vN   vN:The First Machine Dynasty (Madeline Ashby)

2012年 出版
2014年12月 早川書房 新・ハヤカワ・SF・シリーズ5018

<内容>
 フォン・ノイマン式自己複製ヒューマノイド“vN”である5歳のエイミー。彼女は同じく“vN”である母親の複製であり、人間の父親と共に3人で暮らしていた。普通の子供と同じように過ごしていたエイミーであったが、卒園式に祖母のポーシャが表れたことにより、それまでの生活は一変する。その後、エイミーは追われる身となり、独りで生きてゆくことを強いられるのであったが・・・・・・

<感想>
 カナダ在住の女性作家、マデリン・アシュビーの第一長編。女性型アンドロイドが主人公の話。それも単なるアンドロイドではなく、通常が人間を傷つけないためのフェールセーフという機構がつけられているはずであるが、なぜかそれが外れてしまっているという特殊なアンドロイドを描く。

 アンドロイドの成長を描くというか(5歳だったのが、いきなり大人の世界へと突き落とされる故に、肉体的にもそのままの意味であるのだが)、両親から離れて外の世界を知り、そして自分自身のルーツを知ることとなる。

 アンドロイドとかロボットの話を語っているようで、実は人間的な家族・世代・家柄についての話のようにも捉えられる。一族の因習からどのようにして主人公が脱却できるかという話と言ってしまえば、それだけでまとめられるような。

 全体的に、わかりやすく、とっつきやすいSF作品。ちょっとグロいかもしれないが、映像化すればより見栄えがよくなる作品というようにも思える。


銀河ヒッチハイクガイド   The Hitchhiker's Guide to the Galaxy (Douglas Adams)

1979年 出版
2005年09月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 道路のバイパス建設のため自分の家が壊されることに気づき、ブルドーザーの前に立ちはだかり、必死で阻止しようとするアーサー・デント。しかし、そんな事は些細な事で、アーサー・デントは突然、宇宙に放り出され銀河を駆け巡る冒険へと駆り出されることになる。銀河を旅するには必携の“銀河ヒッチハイク・ガイド”を携えて。

<感想>
 笑える、確かにこれは笑えるSFである。

 最初に主人公のひとりであるアーサー・デントの家がバイパス建設のためにブルドーザーにつぶされそうになるのだが、ここから“強引”にというか“爆笑”な展開で宇宙へと飛び出して行ってしまうところはお見事としか言いようがない。序盤ですでに心をつかまれた。

 その後の展開でも次々と奇妙な事件が起き、それらがまた笑わせてくれるという、本当に楽しませてくれる小説であった。一応本書には大きな目的のようなものがあり、それを成すためにという難解な問題があるのだが、その辺は脇に置いといてもかまわないのであろう。変わった登場人物たち、明らかにされる地球の支配者、愚痴ばかりいうロボット、役に立つのかよくわからないガイドブックと、ひとつひとつの事象を笑いながら読み進めていけばよい本である。

 今のところ、次の巻の「宇宙の果てのレストラン」までが訳されているのだが、本国ではシリーズ全五冊が出ているそうなのでこれを機に全部訳してもらえればと思っている。こんな肩の力を抜いて読むことのできるSFもたまにはいいだろう。


宇宙の果てのレストラン   The Restaurant at the End of the Universe (Douglas Adams)

1980年 出版
2005年09月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 ヴォゴン人に襲われたことにより、<黄金の心>号に乗っていた一行は離れ離れになってしまった。そして元銀河帝国大統領であったゼイフォードは自分が記憶を失っている間になんらかの計画を推し進めていた事を徐々に教えられていくのだが・・・・・・
 やがて再開した彼らは<宇宙の果てのレストラン>へと行くものの、再び離れ離れになり・・・・・・

<感想>
 前作に続いて、今回も充分に楽しませてくれる内容となっている。抱腹絶倒ぶりは相変わらずであるが、それだけではなくきちんとハードSFしているところこそが、この作品の大きな特徴と言えるだろう。今作は宇宙を駆け巡るだけではなく、さらに時空までもを超えての冒険となっている。

 前半は特にゼイフォードにスポットが当てられ話が進められている。破天荒な行動を取り続けるゼイフォードであるが、どうやら今までの行動には何らかの理由が隠されているらしい。とはいっても、本人がその記憶を失っているのだから、本当に意味のある行動かどうかは微妙なところ。

 一見、シリアスな陰謀劇が繰り広げられるのかと思いきや、鬱病ロボットのマーヴィンがうまい具合にシリアスさを(実際、それほどシリアスでもない)ぶち壊してくれる。特に、5760億3579年間かけてのギャグは天下一品。今回はマーヴィンの一人勝ちといったところであろう。

 また、後半に入りようやくアーサー・デントとフォード・プリーフェクトの二人にもスポットが当たり始める。この二人は、いつの間にやら移民船団に乗り込んでしまっているのだが、その行く末には驚愕の事実が待ち受けている。ただ、話に完全に決着が付く前に終わってしまっているので、後は続刊を待つのみである。

 ところで、このシリーズ2005年9月に出て以来音沙汰がないのだが、本当に続刊は出してくれるのだろうか??


宇宙クリケット大戦争   Life, The Universe and Everything (Douglas Adams)

1982年 出版
2006年04月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 時空を超えて、宇宙の果てまでと飛ばされたり、はたまた戻ってきたりと、運命に翻弄されるアーサー・デント達。そんな彼等が今回は、銀河系を破滅させようとするクリキット星の陰謀に巻き込まれる事に。封印された鍵を見つけるために宇宙中を探し回るクリキット星の殺戮集団。アーサー・デント達は宇宙を救う事ができるのか??
 銀河大統領ゼイフォードの若き日々を描いた短編「若きゼイフォードの安全第一」を収録。

<感想>
 待ちに待った、シリーズ第3弾! ということなのだけれど、あまり前作から続いているという感じはしなかった。とりあえず本書はこの作品だけで楽しめばよいという内容になっている。

 今回はアーサー・デントを中心に銀河系の危機を救う、という内容であるのだが、その過程は楽しめたものの決着のつけ方がいまいちだったかなと。ラストにおいても、もう少しこのシリーズらしいバカらしさを炸裂してもらいたかったところである。

 随所随所には、B級SFコメディらしい展開が見られてそこそこ満足できるのだが、作品全体として見てしまうとインパクトに欠けていると感じられた。とはいえ、このシリーズを通してみるのであれば必見であることは間違いないであろう。

 あと、短編作品の「若きゼイフォードの安全第一」は風刺が効きすぎていてよくわからなかった。解説を読んでどういう意味なのかやっと納得。


さようなら、いままで魚をありがとう   So Long, and Thanks for All the Fish (Douglas Adams)

1984年 出版
2006年06月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 宇宙を駆け巡っていたアーサー・デントがたどり着いたのは、破壊されて今やなくなってしまったはずの地球であった。地球の人々は、その地球が破壊された時点に幻を見たということになっているらしい。そして、それを除けば地球上のイルカがすべて消えてしまったというだけで、昔の地球と何一つ変わらない様相をしめしていた。
 アーサー・デントは地球に以前と変わらぬ日々と過ごす中、フェンチャーチという女性と運命の出会いを果たすことに!!

<感想>
 さて、4作目ではどんなことをやってくれるのやらと思っていたのだが、今回は既に外伝のような内容になっていた。

 1作目で崩壊したはずの地球が元に戻っていて、とまどいながらもアーサー・デントがまた再び元の生活を始め出すというもの。その生活のなかでデントがフェンチャーチという女性を見出したとき、物語はそこからラブ・ストーリー(?)へと突入していく。

 今回はSFっぽさがほとんどなく、また他の主要人物の登場も極力抑えられている。よって、アーサー・デントのひとり舞台となるがゆえに、話がやたらとわかりやすくなっている・・・・・・別に皮肉で言っているわけでもなく、普通に読みやすい小説というような内容であった。と、そんなわけで従来のシリーズ作品としてみれば喰い足りない部分が多々ありはするのだけれども、まぁ、この作品が書かれた背景を知れば(詳しくは解説を参照)いたしかたないのかなと。

 ただ、私自身はこの小説の“タイトル”にものすごく惹かれてしまった。もちろんタイトルを見たときにはどういう意味なのかはさっぱりわからなかったのだが、内容がわからないままでなんとなくタイトルに惹かれてしまったのだ。そして、本書のなかで明かされるタイトルの意味というのもなかなか面白いものであった。善意と言ってよいのやら、ただ単に馬鹿にされているのやら・・・・・・


ほとんど無害   Mostly Harmless (Douglas Adams)

1992年 出版
2006年08月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 突然の事故により、またひとりぼっちで放浪することとなったアーサー。別の世界でひたすらキャスターへの道を歩み続けるトリリアン。銀河ヒッチハイク・ガイド社がのっとられた事により、ひとり奔走するフォード。そんな彼らの行く末は・・・・・・
“銀河ヒッチハイク・ガイド”シリーズ最終章。

<感想>
 この本を読むと、前の4巻目は何だったのだろうと思わずにはいられない。それほど、本書は他の作品と結びついておらず、これだけ単品か、もしくは4巻目との並列世界を描いたものではないかとさえ思えてしまう。

 まぁ、このシリーズ自体があらかじめ、最初から最後まで構想があって書かれた話ではなく、3巻目以降は付け足しによって書かれ続けてきたのだからしょうがないといえば、しょうがない。ただ、本書は他の作品と異なって、全編暗い雰囲気で書かれており、そこが一番残念な点であったといえよう。

 ただ、何はともあれ、シリーズ完結という形が整ったということはよいことであろう。どのような内容であれ、終わらない話となってしまうようりは、ずっとましなことであると思える。

 ただ、ひょっとしてこの著者が生きてさえいてくれたら、このシリーズを全編書き直しをして、またちょっと異なる物語として我々の前にお目見えするという可能性もあったのではないかと考えると、誠におしいかぎりである。


新 銀河ヒッチハイク・ガイド   And Another Thing... (Eoin Colfer)

2009年 出版
2011年05月 河出書房新社 河出文庫(上下巻)

<内容>
“銀河ヒッチハイク・ガイド”シリーズで冒険した面々、アーサー・デント、フォード・プリフェークト、トリリアン・アストラ、ランダム・デント、ゼイフォード・ビーブルブロックスらは平和な晩年を過ごしているはずであったが・・・・・・実はそれは虚構であり、彼らの冒険は決して終わることはなかった。

<感想>
 ダグラス・アダムスの死後、決して書かれるはずのなかったシリーズ続編であったが、オーエン・コルファーが依頼され、続きを書き上げることとなった。このコルファーという作家は児童書の作家であるがシリーズのファンということもあり、この話を引き受けたそうである。

 結論から言えば、外伝的な付け足しのような気はしなくはないのだが、それなりにシリーズらしい作品となっている。おおむね問題はないものの、やや動きが少なかったかなというのが唯一不満な点。

 話はほぼ一つの惑星を中心に巻き起こる。例によって地球が破壊された後、少数の地球人が移住していた微妙な惑星。そこにシリーズ面々がたどり着き、ヴォゴン人やら雷神トールやら悪態をつき続ける不死身の異星人やらを巻き込み騒動を起こす。

 今作は細かい芸というか、事細かい笑いの要素が多いようで、日本人には理解しにくいというのも難点。とはいえ、雰囲気で笑えないことはないのでそれなりに楽しめる。この作品が終わったからといって、登場人物らには決して安息は訪れないのだが、シリーズらしい終わり方でむしろ安心できるとも言えよう。読んでも決して損はしない完結編であることは間違いない。


ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所   Dirk Gently's Holistic Detective Agency (Douglas Adams)

1987年 出版
2017年12月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 馬を求める電動修道士、手品を披露する教授と呼ばれる老人、浴室に出現する馬、階段にソファがひっかかり、殺された男は亡霊と化す。そして約束を守らねばと必死になった男は、何故か彼女の家に忍び込む。そうした謎に挑むのは、全体論的探偵と名乗る胡散臭い男、ダーク・ジェントリーであった!?

<感想>
「銀河ヒッチハイク・ガイド」でお馴染みのダグラス・アダムスの作品。

 難解というか、非常にわかりにくい作品。途中で殺人事件が起きてからは、なんとなく興味が乗ってきたものの、それでも最後の最後まで内容を理解できないまま読み終えることに。最初に「訳者まえがき」が載っているものの、その意味がわからず、「あとがき」を読むことによって、ようやく全体像が見えてくる。個人的には「あとがき」だけでもよくわからず、色々な感想サイトを見て、ようやく内容を理解できたという始末。

 ただ、この作品、本当に中身を理解するには、一度読み終えてから、「あとがき」を読み、そして「訳者まえがき」に戻り、再読しなければとうてい理解できないような物語。それは決して難解な内容であるからではなく、物語自体があまりにもぶっ飛んだものであるので、常人では理解しがたいというようなもの。

 壮大なる胡散臭い物語を体感したいという稀有な人向けの特殊な作品。ただ、あえてその難解さに挑み、細かく読みながら一つ一つ伏線を回収していくという事を目当てに読むのも面白いかもしれない。


長く暗い魂のティータイム   ダーク・ジェントリー全体論的探偵事務所   The Long Dark Tea-Time of the Soul (Douglas Adams)

1988年 出版
2018年03月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 仕事がなく秘書にも逃げられた私立探偵ダーク・ジェントリー。そんな彼のもとに久々に依頼が! しかし、その依頼人との約束を寝過ごし、大幅に遅刻しながらも依頼人の家に向かってみると、依頼人は何者かに殺害され、生首がレコードに乗せられた状態に!! 空港での爆破事件もからめ、身近に起きる不可思議な出来事のなかで必ず現れる謎の大男。いったいその正体は? そしてダーク・ジェントリーがたどり着く真相とは!?

<感想>
 全体論的探偵ダーク・ジェントリー、シリーズ第2弾! といっても、このシリーズ、2作品しか書かれていないけれども。

 今作は第1作目に比べれば、ずっとわかりやすい内容。ゆえに1作目のようなものを期待すると肩透かしになってしまうかもしれない。ただ、シリーズからすると、こちらを1作目としたほうが取っ付きやすかったのではなかろうか。まぁ、著者自身がそんな細かいことを考えて書いた作品ではないと思えるが。

 今回はオーディーンやらトールやらという神様が出てきたり、不可解な殺人事件やら、怪しげな自動販売機やら、胡散臭さはいかにもダーク・ジェントリーらしい内容。ただ、基本的な部分がヴァルハラの神様によるいたずらのような感じで全て落ち着いてしまうのはなんとも。まぁ、捻りはなくとも、作品全編に漂う胡散臭さは存分に堪能できるので、ダグラス・アダムス・ファンにとっては必見間違いなしと言ったところか。


リックの量子世界   The Man Who Turned Into Himself (David Ambrose)

1993年 出版
2010年02月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 出版会社の経営者であるリチャード・ハミルトンは、妻との間にひとり息子をもうけ、満ち足りた暮らしを過ごしていた。そんなある日、会社の経営に関わる大事な会議中に、ふと嫌な予感がよぎり、リチャードは会議を飛び出してしまう。彼はまるでそれを予感していたかのように妻が交通事故を起こした直後の現場へとたどり着く。そこで亡くなった妻を抱きしめようとしたとき・・・・・・なんと妻は生きていたのだが、彼女は何故か彼らには子供などいないと言い出し・・・・・・やがてリチャードは自分が今まで存在していたところとは別の世界に紛れ込んだことに気づきはじめ・・・・・・

<感想>
 著者のデイヴィッド・アンブローズという名前、どこかで聞いたことがあるようなと思いきや、読むのは初。アンブローズという名前が色々なところで使われていたり、同名の作家がいるのかな? この著者が書いた作品はさほど多くないようであるが、結構日本でも紹介されているとのこと。また、本書はこの著者の処女作でもある。

 本書を読んでの感想はというと・・・・・・タイトルで損しているなと。このタイトルを見た人は、絶対難しいハードSFであると思われるであろう。ただ、実際に読んでみるとそんなことはなく、細かい物理的現象などが語られることは少なく、基本的にはパラレルワールドを行き来した男の困惑ぶりを描いた物語なのである。

 偶発的なできごとから、主人公は自分の存在する世界から、別のパラレルワールドへと飛び越えてしまう。そこでは自分の世界では存在していた息子はおらず、しかも大統領などの有名人の生死や成り行きにも違いがあり、徐々に自分が住んでいた世界とは異なることを理解してゆく。

 ただ、こうした世界のなかで主人公が考えるのは常に自分の家庭のこと。息子の事や妻の浮気といった些末なことばかりを気にしているように感じられた。とはいえ、その分物語が大きく広がることはなく、庶民的なレベルとして読みやすい物語になっている。その後、主人公はなんとかして元の自分がいた世界へと帰ろうと奮闘してゆくこととなる。

 全体的にはSFというよりも妻の浮気とか家庭生活に関することのほうに重きが置かれているような。ただ、ラストでは一見、読者を煙に巻くような不可思議な終わり方をしている。このへん、もう少し工夫してくれればミステリとしても面白かったのではないかとおもえるが、そこまで要求するのは欲張りというものか。意外と面白い小説であったので、タイトルの難しさやSFということで敬遠されて手に取る人が少なそうなところがもったいないことである。




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