重力が衰えるとき When Gravity Fails (George Alec Effinger)
1987年 出版
<内容>
時は近未来、アラブの犯罪都市ブーダイーンで私立探偵のような仕事をこなすマリードは、ロシア人の男から行方不明の息子を探してほしいと依頼される。その依頼を受けている最中に、店で暴れた男により、依頼人が銃で撃たれ死亡してしまう。依頼が宙に浮いてしまったなか、今度は馴染みの性転換娼婦が仕事から足抜けしたいので仲をとりもってほしいと依頼されることとなり、引き受けることに。その仕事を引き受けた結果、マリードは襲撃を受けて怪我をし、さらに依頼をした娼婦は失踪してしまい、厄介ごとのみが残されることとなり・・・・・・
<感想>
2014年のハヤカワ文庫復刊フェアで見かけて購入した作品。タイトルからしてハードSFなのかと思っていたのだが、読んでびっくり、アジアの都市を舞台とし、サイバーパンクのような背景で、ハードボイルド的な展開がなされるという内容。かなり読みやすい作品となっているので、そこが一番びっくりした。
ただし、内容がどうかというと全体的に微妙な感じ。というのも、せっかくのSF的な背景を生かし切れていないところがもったいなかったかなと。それであれば、普通の世界を背景にしたハードボイルド小説でもいいのかなと思ったくらい。また、話自体がなかなか流れていかないところも気になった。それなりに興味深い事件を扱ってはいるものの、なかなか話が進まなくてもたもたしているといった感じであった。その辺は、もっと内容を凝縮してもよさそうだと思えたところ。
ただ、全体的な雰囲気はうまくできていたと思われるので、人によってはこういったSF小説が好きだという人も結構いそうな気がする。ところどころに不満はあったものの、基本的には内容に惹かれつつ、興味を持ちながら読み進めることができた作品であった。
世界の中心で愛を叫んだけもの The Beast That Shouted Love at the Heart of the World (Harlan Ellison)
1971年 出版
<内容>
「まえがき」
「世界の中心で愛を叫んだけもの」
「101号線の決闘」
「不死鳥」
「眠れ、安らかに」
「サンタ・クロース対スパイダー」
「鋭いナイフで」
「ピトル・ポーウォブ課」
「名前のない土地」
「雪よりも白く」
「星ぼしへの脱出」
「聞いていますか?」
「満員御礼」
「殺戮すべき多くの世界」
「ガラスの小鬼が砕けるように」
「少年と犬」
<感想>
この作品のタイトルに関しては、アニメの章題や映画のタイトルなどにも使われていて、多くの人がその存在を知っていることであろう。ただ、作品を見たことはあっても実際に読んだことはないという人も多いのではなかろうか。実は私自身も同様であり、20年前くらいから本書の存在は知っていたにも関わらず、読んでみようとは思わなかった。それが2、3年前になんとなく購入し、その後エリスンの作品が昨年、今年と立て続けに出たことから、そろそろ読んでみようと思うに至ったのである。
読んでの感想はというと、意外とわかりやすく、エンターテイメントにとんだ作品だと驚かされた。ただ、最初の「世界の中心で愛を叫んだけもの」がわかりづらく、ひょっとするとその一編で挫折した人もいるかもしれない。そこであきらめずに他の作品も読み通していけば、なかなか面白い作品集であることに気づかされることであろう。
「101号線の決闘」では、近未来的なカーチェイスが描かれている。「サンタ・クロース対スパイダー」は、ヒーローもののような趣き。「名前のない土地」は、時の牢獄とでも評したくなるような物語。「星ぼしへの脱出」は、まるでアンチヒーローもののような。「聞いていますか?」は、度々“聞いていますか?”と問われることとなるのだが、最後に問われる“聞いていますか?”が重みのある一言となる。「少年と犬」は、良さげなタイトルの割には、混沌とした世界での悪い話が描かれている。
全体的にもっと難解なSF作品なのかと思っていたのだが、決してそんなことはなく、十分に楽しむことができる内容に仕上げられている。ハーラン・エリスンについては作品云々よりも、当人が非常に破天荒な人物でその言動がSF界でも有名となっているらしい。その言動について書かれた、あとがきと共に楽しむことができる作品集。
死の鳥 The Deathbird and Ohter Stories (Harlan Ellison)
2016年08月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」
「竜討つものにまぼろしを」
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」
「プリティ・マギー・マネーアイズ」
「世界の縁にたつ都市をさまよう者」
「死の鳥」
「鞭打たれた犬たちのうめき」
「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」
「ジェフティは五つ」
「ソフト・モンキー」
<感想>
今年になってようやく読んだ「世界の中心で愛を叫んだけもの」に引き続き、ハーラン・エリスンの短編集を読んでみた。こちらの「死の鳥」は、昨年日本で出版されたオリジナル短編集。内容はといえば、「世界の〜」と同じような雰囲気の短編集である。難解過ぎず、しかし、わかりやすいというわけでもない未知の世界での冒険や体験が繰り広げられている。
「『悔い改めよ、ハーレクィン!』とチクタクマンはいった」は、思わず「モモ」という作品を思い浮かべてしまった。時間管理社会を描いた作品。
「竜討つものにまぼろしを」と「死の鳥」は、前短編集の表題作「世界の〜」に似ているような物語であるかなと。まぁ、これがエリスンらしい作品と言えるのであろう。時空を飛び越えつつ、物語が収束もしくは展開されていくのであるが、「死の鳥」については飼犬との邂逅が描かれているところが特徴的か。
「おれには口がない、それでもおれは叫ぶ」は、エリスンの作品のわりには、他のSF作品でもややありがちな話。未知の世界に生きる限られた数の生き物の顛末を描く。
「プリティ・マギー・マネーアイズ」は、スロットマシーンに文字通り取り付かれた男女を描いている。
「世界の縁にたつ都市をさまよう者」は、なんと切り裂きジャックが時空を飛び越える。ただし、本人は意図しない形で。ある意味、切り裂きジャックの解放を表しているような作品?
「鞭打たれた犬たちのうめき」は、恐怖におびえる女性が恐怖を超越していく様子が描かれている。超越し過ぎて、人間を逸脱してしまったようにも思えるが。
「北緯38度54分、西経77度0分13秒 ランゲルハンス島沖を漂流中」は、タイトルからして人間の体の中での冒険を描いているような・・・・・・それとも家系からの解放を目指すような話とも・・・・・・
「ジェフティは五つ」は、5歳から一切年をとらない少年を中心とした物語。ある種、古き良き時代を懐かしむ作品とも言えるかもしれない。と言いつつも、そこに関わっている人は現代へ必死に手を伸ばそうとしているのだが。
「ソフト・モンキー」は、虐げられるものの生きざまを描いたような作品。ただし、その虐げられている者が一番強いように思えてしまったのだが。
ヒトラーの描いた薔薇 Hittler Painted Roses and Other Stories (Harlan Ellison)
2017年07月 早川書房 ハヤカワ文庫
<内容>
「ロボット外科医」
「恐怖の夜」
「苦痛神」
「死人の眼から消えた銀貨」
「バシリスク」
「血を流す石像」
「冷たい友達」
「クロウトウン」
「解消日」
「ヒトラーの描いた薔薇」
「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」
「睡眠時の夢の効用」
<感想>
ハヤカワ文庫でのハーラン・エリスン作品集第三弾となり、これもまた、数ある短編作品のなかから以前の2作品に掲載されていないものが選出されている。ゆえに、1957年から1988年までと幅広い間に書かれたものが掲載されている。
序盤はエリスンの作品としては、やけに理知的な作品がならんでいるなと感じられた。未来の医療の様子を描いた「ロボット外科医」、人種問題を一台の車のなかの様子のみで描き切る「恐怖の夜」、苦痛を初めて感じるエイリアンの様子を描く「苦痛神」など。
「バシリスク」という作品あたりから、ぶっとんだ設定のものが徐々にみられるようになってきたかなと。「バシリスク」は、捕虜となった兵士の悲哀のみならず、“バシリスク”という怪物に囚われたゆえのカタストロフィまでもを描いた作品となっている。
その他、世界崩壊後の世界をたまたま生き残ってしまった男の様子を描く「冷たい友達」、マンホールの下に育つ世界の様子を描いた「クロウトウン」なども面白い。作品の表題になっている「ヒトラーの描いた薔薇」に関しては、ヒトラーという名前を入れる必要はなかったのではと感じたのだが・・・・・・別に固有名詞を伏せても良かったのではないかと。
「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」が、壮大な作品でありつつも、単なる芸術家の愚痴として作品を表しているところが絶妙であると感じられた。
愛なんてセックスの書き間違い Love Ain't Nothing But Sex Misspelled (Harlan Ellison)
2019年05月 国書刊行会 <未来の文学>
<内容>
「第四戒なし」
「孤独痛」
「ガキの遊びじゃない」
「ラジオDJジョッキー」
「ジェニーはおまえのものでもおれのものでもない」
「クールに行こう」
「ジルチの女」
「人殺しになった少年」
「盲鳥よ、盲鳥、近寄ってくるな!」
「パンキーとイェール大出の男たち」
「教訓を呪い、知識を称える」
<感想>
ハーラン・エリスンの短編集。元々、「Love Ain't Nothing But Sex Misspelled」という短編集があるようなのだが、それの全訳ではなく、そこから選出された作品と、他の短編を合わせたオリジナルの作品集となっているようである。
そんなわけで、主題としてはバラバラであるが、なんとなく前半と後半で主題の趣が変わっていったようにも捉えられた。前半は大人向けの落ち着いた物語が多かったように思われる。父親を捜す少年のことを心配して、彼と共に旅をする出稼ぎの男の視点で描かれる「第四戒なし」、ひとりの男の幻覚と狂気を描いたかのような「孤独痛」、ラジオジョッキーの裏側の会話がサスペンスフルに描かれる「ラジオDJジョッキー」等々、印象に残る物語が多い。
ただ、最後の2編「パンキーとイェール大出の男たち」と「教訓を呪い、知識を称える」は、ドラッグに彩られたかのような作品と言う感じがして、あまり好きな内容のものではなかった。とはいえ、この2編のなかで作品集のタイトルである“愛なんてセックスの書き間違い”という言葉が出てくるので、実はこの2編こそが本編の主題なのかなと。