SF カ行−カ 作家 作品別 内容・感想

死者の代弁者   Speaker for the Dead (Orson Scott Card)

1986年 出版
1990年08月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 エンダーの活躍により人類は異星人との戦いに勝利を収めた。しかし、その戦争により相手の種族を皆殺しにしてしまった事を後の世に人類は後悔をし始める。
 その戦争から3千年後、人類は再び知的生命体に出会うことに。人類はかつての過ちを繰り返さないように慎重に交渉をし始める。しかし、その一連の交渉の中で地球人が異種族に殺されてしまうという事態が起きた。なぜその者は殺されなければならなかったのか。その真実を探り出すために“死者の代弁者”が呼ばれることに。

<感想>
 本書は「エンダーのゲーム」の続編でありながら、打って変わった内容の小説となっている。「エンダーのゲーム」のほうはエンターテイメントの属性が濃かったと思えたのだが、この作品は思想書とでも呼ぶにふさわしいような内容と感じられた。

 この物語の中心になるところは、異星人との接触において何故人類が殺されなければならなかったのか? という事と、本書の主要人物の1人であるノヴィーニャの結婚にまつわる謎についての2点が核となっているといえよう。

 ただ本書において、この提起される問題とその解答については良かったと思うのだが、謎が提起されてからそれらが解決へ到るまでの間の部分がかなり冗長であると感じられた。話が何故冗長になってしまったのかといえば、本書が「エンダーのゲーム」の続編という位置付けにあるからである。その背景がこの物語の主題になっている部分と係わり合いが薄いにも関わらず、前作の内容を引きずってしまっているがゆえに全体的に冗長になってしまったのではないかと考えられる。

 では、本書は「エンダーのゲーム」の続きではないほうが良かったかといえば、それもまた微妙なところなのである。本書は「エンダーのゲーム」の続編であるからこそ感じられる深みというものがあるのも確かなので、いちがいにはどちらが良かったとは言いがたい。

 とはいえ、「エンダーのゲーム」とは趣が違うからこそ、あえて異なる物語にするというのも一つの手ではなかったかと思える。

 本書は実際、ノヴィーニャの半生についてが代弁者から語られるところや異星人との接触など、見るべきところは満載である。ただ、その余計とも思える冗長な部分があったゆえに異星人の生態について語られるべきところが削られ、その様相がわかりづらくなったのではと感じられた。

 全体的には見事なストーリー展開であったために、あれこれと余計な注釈を付けずにはいられなくなってしまう作品であった。ただ、やはり全体的に落ち着きすぎる印象の内容ゆえに、万人にお薦めできる内容とはいえない作品である。もう少し読みやすくしてくれれば、「エンダーのゲーム」並に名をはせたと思うのだが。


エンダーのゲーム   Ender's Game (Orson Scott Card)

1977年 出版
1987年11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF
2013年11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下:新版)

<内容>
 地球は宇宙からの侵略者バガーによって襲われたものの、なんとか侵攻を撃退し、難を逃れた。地球では、さらなるバガーの脅威に対抗するため、選抜された子供たちを特訓し、優秀な指揮官を育てようとしていた。そうしたなか、6歳のエンダーがその人員として選抜され、バトル・スクールに入れられることに。エンダーは、過酷な訓練を強いられることとなり・・・・・・

<感想>
 SF史上に残る有名作品。遠い昔に読んだことがあったのだが、新版が出たのを機に(それも結構前となってしまったが)再購入し、再読してみた。

 これは、改めて読んでみても傑作と納得できる作品。しかし、少年の成長物語を描いた小説は数多くあると思われるが、ここまで苛烈な成長物語というものは珍しいのではなかろうか。しかも、それが6歳の少年に対しての過酷な訓練を描いたものであるのだからなんとも言えなくなってしまう。

 ただ、再読してみると主人公エンダーの兄のピーターの存在が大きいように描かれている割には、物語上ではあまり意味をなしていないように思われた。むしろ、ちょっとだけあるピーターのパートは余分なのではと思えたほど。

 と気になったのはそれくらいで、あとは引き込まれるように読み入ってしまった。そして、この作品に関しては最後まで読むと、それ相応の驚きが待ち受けていることとなっているので、未読の人はなるべく情報を入れないうちに読んでもらいたい。


氷   Ice (Anna Kavan)

1967年 出版
1985年 サンリオ出版 サンリオSF文庫
2008年 バジリコ 単行本
2015年03月 筑摩書房 ちくま文庫

<内容>
  気候変動により世界が氷にの浸食を受けつつある世界。“私”が思いを寄せる少女が姿を消したとき、“私”は全てを投げうって少女を追い求め続けるのであったが・・・・・・

<感想>
 序文によりクリストファー・プリーストがこの小説のジャンルを“スリップストリーム文学”と定義している。スリップストリーム文学が何かはよくわからなかったのだが、このように定義づけるとうまく当てはめられるような作品もあるかのように思える。例えばカフカの「変身」あたりは、この定義に当てはめられるのではなかろうか。

 本書は、幻の傑作とも言われていたようであるが、個人的にはあまりしっくりとこなかった作品。内容をダイレクトに受け止めれば、男が少女を追い求めるという、やや偏執的な冒険譚のような。ただ、実際にはそのようなダイレクトなものではなく、“私”や“少女”という存在を何かに当てはめるべきような抽象的な作品ではないかと考えられる。ただ、それがあまりにも漠然で、受け入れがたいというか、容易に立ち入ることのできないような雰囲気がある。

 あと、小説の手法としては、なんらかの効果を狙ったものなのかもしれないが、途中で人称が突然変わったりと、読んでいて混乱させられる部分もあった。これは一見、“私”という一人称の小説のようでありながら、実際には三人称で捉えるべきものであったのかもしれない。

 どうも難しいというか、心情的には妙に風に歪んだ世界を描いていたような。それともそれを冷酷な世界と捉えるべきなのか。


アサイラム・ピース   Asylum Piece (Anna Kavan)

1940年 出版
2013年01月 国書刊行会 単行本
2019年07月 筑摩書房 ちくま文庫

<内容>
 「母 斑」
 「上の世界へ」
 「敵」
 「変容する家」
 「鳥」
 「不満の表明」
 「いまひとつの失敗」
 「召 喚」
 「夜に」
 「不愉快な警告」
 「頭の中の機械」
 「アサイラム・ピース」
 「終わりはもうそこに」
 「終わりはない」

<感想>
 アンナ・カヴァンの短編集。SF小説というわけではなく、幻想的に人間の内面や不安を描いたというような作品集。これら作品を書いた心持というのは、アンナ・カヴァンの人生に深く直結しているようである。

 一番印象に残ったのが「母斑」。日常から非日常への不条理に突如落と仕込まれるという内容。漠然とした不安が、突如現実のものになるというような感じで描かれている。

 そして表題作でもある「アサイラム・ピース」も変わった作品。これは、ひとつの話でできているのではなく、とあるクリニックで繰り広げられる日常の様子を断片的に描いた作品。この「アサイラム・ピース」の中に、いくつかの短編があるという構成。これを読んだ時には、普通にありそうな精神病院の日常を描いているようで、何故、わざわざノンフィクションのようなものを描かなければならないのだろうと不思議に感じた。ただ、アンナ・カヴァンの人生を紐解いていくと、ひょっとしたらこれは彼女が実際に見た場面・場面を描いたものではないかと想像してしまった。特にアンナ・カヴァンが精神病院に入っていたという表記はなかったものの、それらしい施設にはいっていた可能性はありそうである。もし、これらが自分の見た経験でないというのであれば、自身の中でそうした不安にさいなまれ続けたということなのであろうか。


ロボットには尻尾がない   Robots Have No Tails (Henry Kuttner)

1952年 出版
2021年12月 竹書房 竹書房文庫

<内容>
 「タイム・ロッカー」
 「世界はわれらのもの」
 「うぬぼれロボット」
 「Gプラス」
 「エクス・マキナ」

<感想>
 2023年版「SFが読みたい!」のランキングに掲載されていたので購入。飲んだくれの天才科学者の日常を描いた作品。この科学者、天才で依頼主のどんな無茶苦茶な頼みであっても、それを満足させるような発明品をいとも簡単に作ってしまうという人物。しかし、いつも酔っぱらっているがゆえに、何を依頼されたのか忘れてしまい、目覚めたときにはどのように使うのかが不明なわけのわからない機械が目の前にあるという状態。依頼主から発明品をせかされながらも、なんとかどのような依頼をしたのかを再度聞き出し、目の前にある機械をどのように扱うのか悪戦苦闘するという話。

 読んでいる最中、てっきり最近書かれた作品なのかと思いっていたのだが、読んでいるうちに出てきた科学的な背景に古さを感じ取り、確かめてみれば1952年に書かれた作品であった。著者もすでに亡くなっているとのこと。そんな古い時代に書かれたSF作品である割には、むしろ新しいとさえ感じてしまうような内容となっている。それだけ著者の感性が時代の先を行っていたということなのであろうか。

 こちらの作品集であるが、それぞれの作品の展開は上記に書いたとおりであり、その同じ繰り返しばかりとなっていたので、ちょっと飽きがくる部分もあった。ただ、それぞれの作品に詰め込まれた新発明のアイディアは素晴らしいものばかりで、SFとして完成されていると感じられた。ユーモアとアイディアに彩られたSFシリーズ短編集ということで、これはなかなか貴重な作品を掘り起こしてくれたという感じである。


「タイム・ロッカー」 大きなものを押し込めることができるロッカーを製作したものの、中に入れた物は何処へ??
「世界はわれらのもの」 ギャラガーが三匹の異星人と祖父とともに過ごしていると、突然庭に死体が現れる。その後、何度も繰り返し繰り返し・・・・・・
「うぬぼれロボット」 自分がつくった装置が何なんだかわからかくなったギャラガー。鍵はこれまた彼が造った役立たずのロボットが握っていると・・・・・・
「Gプラス」 3つの依頼を受けたはずのギャラガー。装置は目の前にあるものの、何のための装置なのか、そして依頼は何だったのか・・・・・・
「エクス・マキナ」 部屋に依頼人と祖父がいたはずなのだが、ギャラガーが酔っぱらっているうちに消え失せてしまった。そして目の前の装置はいったい!?




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