SF カ行−ク 作家 作品別 内容・感想

ギフト  西のはての年代記T   Gifts (Ursula K. Le Guin)

2004年 出版
2011年02月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
“西のはて”の高地は、代々ギフトと呼ばれる特別な力を受け継ぐ領主たちが治めていた。カスプロ家には“もどし”と呼ばれる強力がギフトが備わっていた。その力を受け継ぐ後継ぎの少年オレック。しかし、彼はとある理由により、父親から目を封印されていたのだった。オレックが目を封印することとなった運命とは・・・・・・

<感想>
 著者のル=グウィンといえば、「ゲド戦記」が有名であろう(といいつつも、私自身最初の2巻くらいしか読んでいないのだが)。その著者が書いた、新たな3部作が河出文庫から刊行されたので、購入し読んでみた。ちなみに、この三部作は既に河出文庫から全て刊行されている。

 物語は、狭い地域での小さな村々で起こる争いを描いたものである。ただし、それは普通の争いではなく、“ギフト”と呼ばれる魔法のような不思議な力が中心に置かれたものとなっている。そのギフトの力関係により、微妙な均衡状態が保たれている中、ひとりの少年が成長する様子が描かれている。

 なんとなくその“ギフト”というものがまるで核による抑止力のようなものを表しているようでもある。そこまで物騒でも、また強力でもないのだが、その大きな力に主人公の少年は人生を翻弄されることとなる。自分に本当にその力が宿っているのか、そして自分は人に対してその力を振るえるのか。少年はギフトの存在に悩むのだが、そんな悩みをよそに、現実には大人たちによる主権争いが繰り広げられ、彼の両親もその渦中に放り込まれることとなる。

“動”よりも“静”が多いというか、具体的に動くよりも悩み事のほうが多く描かれていたように思える。決して、“動”の部分がないというわけでもなく、ギフトの存在も抽象的ではないにもかかわらず、煮え切らなさを強く感じてしまう。しかし、あえてアクションを強調せずに少年の内面を描いたことにより、高いレベルのファンタジー作品として成功していると言えるのかもしれない。

 ラストでの主人公の選択が印象的で、続編の展開が気になるところ。次の作品を読むのが楽しみである。


ヴォイス  西のはての年代記U   Voices (Ursula K. Le Guin)

2006年 出版
2011年03月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 古くから交易地として栄え、文化の中心でもあったアンサル市。しかし、何年も前に東の砂漠から来たオルド人に侵略され、アンサルの人々は圧政を強いられ続けていた。そんな国で生まれたメマー。彼女はアンサルの名家ガルヴァ一族の血を引きながら、オルド人の血もひいていた。メマーは道の長から、本を読むという教育を受けつつ、オルド人を深く憎み、この地から彼らを追い出すことを心に誓っていた。そんな彼女が17歳となったとき、アンサルに語り人がやってきたと噂になる。メマーは語り人であるオレックとその妻で動物使いのグライと出会うこととなり・・・・・・

<感想>
“西のはて年代記”の2作目となる作品であるのだが、ずいぶんと内容が濃い。単なるファンタジーとしてではなく、政治、文化、精神の解放という事柄が描かれており、実に内容の濃い小説となっている。まさに大人が読むに値するファンタジー小説。

 前作「ギフト」では、魔法的なものが中心として描かれているが、本書では普通の人々の精神的な面が物語の中心を占めている。圧政を強いられてきた都市で育った女の子の視点と成長を背景に、一つの国の行く末が描かれている。戦闘とか直接的な力が加わる場面も描かれてはいるものの、そこは決して物語の核ではないのである。また、圧政から解放へと向かう様子が描かれていても、勧善懲悪でもなければ全てがめでたしというようにも書かれていない。そういった微妙な部分を残して極めて現実的な国の行く末を実に見事に描ききっている。

 ひとつの国の行く末を描いた小説とも言えるのだが、それをあえて一人の少女にスポットを当てて描いたことにより、物語の完成度が増したという感じである。魔法的なものも登場はするのだが、それらが決して超自然なものではなく、ごく普通の精神的な儀式として受け入れられてしまうのもまた不思議な感じがした。今まで読んできた数々のファンタジーとは異なる余韻を残す作品であった。


パワー  西のはての年代記V   Powers (Ursula K. Le Guin)

2007年 出版
2011年04月 河出書房新社 河出文庫(上下)

<内容>
 都市国家エトラ、そのアルタの館で奴隷として暮らす少年ガヴィア。彼は姉と共に物心がつくまえに水郷地方からさらわれて、奴隷として過ごすこととなった。奴隷ではありながらも、裕福な館と良心的な主人のおかけで教育を受けながら、心身共に豊かに生活をすることができた。そしてガヴィアは、だんだんと水郷に生まれた者がもつ能力に目覚め始める。読んだ本の内容を完全に覚えてしまったり、未来の風景を目にすることができたり。ただ、その能力については姉から周囲には打ち明けるなと固く言い聞かせられていた。そうした日々を送る中、都市国家エトラは周囲の国と戦争が続き、ガヴィアが今までに豊かに思えた暮らしに対し、亀裂がはいる事件が起こる。自分はここにいるべきではないと思い至ったガヴィアはエトラを出ることを決意するのであったが・・・・・・

<感想>
 ひとりの少年の長い旅を描いた物語。奴隷としての人生を送りながらも、裕福な雇い主に高度な教育を受けさせてもらうことができ、満たされた人生を送っていると感じていたガヴィア少年。奴隷仲間からいじめを受けたり、雇い主のひとりから邪険に扱われることがあっても、基本的な彼の暮らしぶりは変わらないと思われた。しかし、ひとつの大きな事件により少年は自身の奴隷という立場を改めて考えざるを得なくなる。

 本書は多岐にわたる主題を持ち掛ける内容の作品。奴隷と自由について、教育を受けるという事柄について、物事を伝えるという事について、本というものの役割についてなど、色々なことを考えさせられてしまう。さらには、自分がいるべき場所、そのカテゴリーやアイデンティティなどといったものまでも、投げかけられているようで、内容が深い。

 この作品が“西の果て年代記”の三作目となり、完結編であるのだが、今までの作品と比べれば“魔法”的な要素は少なかったかなと思う。故にファンタジーとしての背景に基づいてはいるものの、ごく普通といってよさそうな少年が旅をして、見聞を広げ、本当の自分のいるべき場所を見出していくという文学的な内容のようにもとらえられる。ただし、根底にあるものは難しくても、基本的には読みやすい物語に仕上がっていることには間違いないので、十分にファンタジー小説として読むことができる。

 最後の最後でガヴィア少年が今までビジョンとして見てきた、自分がいるべき場所に到達したときには、さすがに目頭が熱くなった。最後まで読み通せば、本当に長い旅をしてきたんだなと読んでいるほうが痛感させられる。本当は、ガヴィア少年のこの先のほうが気になるのだが、物語がここで終わるという事は、その後は平凡に幸せにくらしたということなのであろう。そう自身を納得させつつ、物語の余韻にひたりたい。


楽園の泉   The Fountains of Paradise (Arthur C. Clarke)

1979年 出版
2006年01月 早川書房 ハヤカワ文庫(新装版)

<内容>
 モーガン博士は歴史に残る有名な橋を建造した人物。そのモーガン博士が新たなる建造物を考案した。それは、赤道上の静止衛星と地上とをつなぐ“宇宙エレベーター”であった。論理的には可能でも、実際にそれを建てるとなると数々の問題が浮き彫りとなる。さまざまな困難を乗り越えて、“宇宙エレベーター”は現実に宇宙へと到達する事ができるのか!?

<感想>
 小川一水氏の作品で「第六大陸」という月に建造物を建てるという作品があったが、本書はその先駆けとなる作品といえよう。SFにこのようなジャンルを表す言葉があるのかどうかはわからないのだが、いわゆる“建造物もの”とでもいったところか。

 このクラーク氏といえば、科学的な分野において、実際に静止衛星の論理をいち早く述べた人でもある。故に、その静止衛星を使用して“宇宙エレベーター”を創るという発想もそのクラーク氏であれば自然のものといえるのかもしれない。

 本書では前述のとおり、“宇宙エレベーター”というものが考案されている。ロケットを使用して、毎回宇宙へと飛び立つにはさまざまな問題が生じる事から、あらかじめ宇宙までの道筋を創ってしまえばよい、ということで考案されたエレベーター。そのポイントとなるのは、未だ現実には存在していない“超繊維”。

 ただ、どうにも私自身が頭が固いせいか理解できないのは、そのエレベーターの建てかた。私自身が高い塔のようなものを建てると考えると、どうしてもまず、どでかい土台があって、そこから積み重ねていくという発想しか浮かばない。それがこの作品では、静止衛星から超繊維のワイヤーをぶら下げて可能にするというものとなっているのだが、どうもそこのところがうまく想像できないのである。そんなわけで、詳しいことはあまりうまく私の口からは説明できないで、詳細に興味がある方はぜひとも本書を読んでいただきたい。

 この作品では理論的な部分については問題ないとして、そのエレベータを建てる上でのさまざまな問題点が投げかけられている。ひとつは、そのエレベーターを建設する場所について。そしてもうひとつは、実際にエレベーターを建てる上での技術的なトラブルについて。

 こういったものを乗り越えて“宇宙エレベーター”が完成していく様子が描かれていく作品となっている。そのところどころで細かい問題点を挙げていくところがさすがと感心させられる。たぶん、この作品こそがSFにおける“建造物もの”の金字塔的作品といっても過言ではないのであろう。


幼年期の終わり   Childhood's End (Arthur C. Clarke)

1953年 出版
1990年 出版(第一部を改定)
2007年11月 光文社 光文社古典新訳文庫

<内容>
 地球の上空に突如として現れた巨大な宇宙船団。彼らは自らをオーヴァーロードと名乗り、控えめながらも地球の統治に干渉してくる。彼らは地球の代表者であるストルムグレンのみと会談し、しかもそのストルムグレンにさえ姿を見せようとしない。地球の人々はオーヴァーロードに不信感を抱きつつも、絶対的な科学力を持つ彼らの前に対して、その状況を淡々と受け入れてゆくこととなる。やがて地球には平和が訪れることとなるのだが、オーヴァーロードの目的が徐々に明らかになり始め・・・・・・

<感想>
 いくつかの出版社から出ているクラークにとっての代表作といってよい1冊であるが、光文社古典新訳文庫から出てたのを機会に、読んでみる事にした。名作といわれつつも私にとってはこれが初読である。

 のっけから、まさにSFらしい作品という展開が待ち受けている。人類よりも数段上と見られる文明を持った宇宙人により、やんわりと支配される地球を描いた作品。物語上の大きな流れとしては、異星人の目的は? ということになるのであろうが、注目したくなるのは別のこと。

 この作品を読んでいて感じたのは、今後地球全体の状況が良好な方向へと向かうには、このような手段しかありえないのではないかということ。本書では、異性人による侵略ではなく、ゆるやかに管理されるという状況で描かれている。その結果、人類は国同士で争うこともできなくなり、また争うことさえ無意味となり、やがて地球全体で一つの方向へと足並みをそろえてゆくこととなる。こういった劇的な変化がない限りは、実際に全ての人類が足並みをそろえるということはありえないことであろう。そう考えると、本書では地球が良い方向へと向かうための希望が描かれているとも捉える事ができるのである。

 もちろん物語上では、うまい具合にいきましたということで終わるだけではなく、その後、想像を超えるような展開が待ち受けることとなる。第1部から第3部まで徐々にページをめくっていくと、人類の視点であった物語がやがてもっと大きな位置から見下ろすような形となり、宇宙全体を見渡すような視点へと変化してゆく。そして最後まで読んだときには地球を支配していたオーヴァーロードと呼ばれる異星人たちのジレンマ(彼らがそう感じているかどうかはわからないが)さえも感じられてしまうのである。

 あくまでもSF作品的な展開でしかないとは言いつつも、ここには現在の地球がかかえる問題や先行きについてをやんわりと文章の中に埋め込んでいるようにも感じられてしまうのである。その内容は50年以上経った今でも決して色あせていないどころか、徐々に現実がクラークの作品に近づいてきているといってもよいのであろう。


都市と星   The City and the Stars (Arthur C. Clarke)

1956年 出版
1977年12月 早川書房 ハヤカワ文庫SF
2009年09月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(新訳版)

<内容>
 はるか遠い未来、人類は誕生と死を管理する“都市ダイアスパー”を建造し、人々は安寧の日々を送っていた。そうしたなか、都市に生まれ出たアルヴィンはその都市の在りように疑問を抱く。やがて彼は、この都市の外側はどうなっているのか? という禁忌に触れることに。そして、彼が都市の外側で見出したものとは・・・・・・

<感想>
 アーサー・C・クラークの作品は、そんなに読んでいないのだが、読んでみると非常に興味をそそられる。硬質な感じのSFというように捉えられつつも、ハードSFというほど難解ではないので、非常に魅力的でかつ読みやすい。これは、もっとクラークの作品を読んでみてもいいかなと思われるほど。

 本書は、人類の遠い未来の行く末が描かれているような内容となっている。これが1956年に書かれているというのは凄い事である。人々がディジタル化されて、コンピュータに管理され、不死の状態となって、ひとつの狭い都市のなかで生き続けているという世界が描かれている。これをディジタルとかネットワークとかいった現代的な言葉が使われないままで表現されながらも、まるで今の時代に書かれている作品であるような錯覚さえ感じてしまうような作品となっている。

 さらに本書では、そうした閉ざされた世界にとどまらず、都市の外の世界からさらには宇宙へと幅広いところまで描かれている。しかもそうした壮大な物語を登場人物を数人に絞って書き上げているところもまた見事であると感じられた。

 そしてなんといっても本書の魅力は、まるで本当にこうした世の中が何万年後には起こるのではないかと想起させるような内容であることであろう。まるで世の中が、徐々にクラークの頭のなかの世界に近づきつつあるようなそんな感覚さえ思い抱いてしまう。


タイムライン   Timeline (Michael Crichton)

2000年05月 早川書房 単行本(上下)
2003年12月 早川書房 ハヤカワ文庫NV(上下)

<内容>
 砂漠で行き倒れの男が見つかる。後に病院で死亡するのだが、男はどうやってその砂漠まで行ったのか、痕跡がつかめなかった。また、男の体からは異常と思われる部分もみつかっていた。実は、ITCという企業がタイムマシンを完成させており、それによる度重なる実験によって、思わぬ事故が起こってしまっていたのだ。さらにITCではさらなる問題が起きていた。それは、中世のフランスを研究していた教授が14世紀へタイムスリップしたものの、元に戻れなくなってしまったのだ。そこで、教授の助手である3名に依頼し、ITCは彼らを教授救出のため、14世紀に送り込むこととし・・・・・・

<感想>
 長らくの積読であった作品。上下巻でページ数が多く、SF作品ということもあり、読むのに時間がかかるかと思いきや、全体的に読みやすい作品となっており、意外とすんなりと読むことができた。

 読みやすいという割には量子力学などについてしっかりと書かれており、またタイムスリップの原理等しっかりと書き込まれているので、実はきちんとしたハードSF小説でもある。ただ、個人的に気になったのは、タイムスリップ先での出来事や行動について。

 タイムスリップ先の14世紀については、ひっちゃかめっちゃかという感じで、気にくわないから殺すとか、よくわからないから殺すとか、なんか殺伐とし過ぎる世界が描かれている。それゆえに、主人公らはただただ逃げ回るのみ。逃げ回って、窮地を脱し、さらにまた逃げ回って、窮地を脱しという繰り返しのみ。このへんは歴史学者たちがそれなりの格好をして過去へと旅立ったのだから、それ相応の行動を繰り広げてもらいたかった。

 せっかくタイムスリップしたのにもかかわらず、落ち着いて14世紀の風景や風習に浸ることができなかったというのはいかなるものかと思えてならなかった。また、途中でタイムパラドックスについて色々と説明していたのだが、その説明によると、ラストのシーンの話は矛盾が生じるような気がしたのだがどうであろう。エンターテイメントとしてはそれなりに面白く読めたものの、過去の世界ではもう少し落ち着いて話を展開させてもらいたかったという一言のみ。


アードマン連結体   The Erdmann Nexus and other stories (Nancy Kress)

2010年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 「ナノテクが町にやってきた」
 「オレンジの値段」
 「アードマン連結体」
 「初飛行」
 「進 化」
 「齢の泉」
 「マリゴールド・アウトレット」
 「わが母は踊る」

<感想>
 SFの積読本を読了。タイトルからして堅そうなSFという感じがしたのだが、読んでみてびっくり、非常に読みやすい作品集であった。ハードSFというよりも、どちらかというと文学よりの作品という感じ。ただ、読みやすくストーリーは追いやすいものの、読了後、最終的にその作品が何を言い表したかったのか、よくわからないものが多かった。考えさせる小説という感じである。

「ナノテクが町にやってきた」は、町にテクノロジーがもたらされたことにより、働かなくなった者が増えつつあるという問題を提起するような内容の作品。SF調に書かれているものの、何気に現代社会をそのまま表している作品のようにも捉えることができる。科学が発展し、それに追従する暮らしが良いのか、それとも昔ながらの生活が良いのか、考えさせられる内容。

「オレンジの値段」はタイムトラベルを描いた作品であるものの、あまり内容がしっくりと入ってこなかった。そもそも、過去に戻って、自分の孫娘の相手を連れてくるという発想がよくわからない。まぁ、そうした直接的な行為よりも祖父が孫を見守ろうとする心境を描いた作品だと捉えるべきであろうが、それでも意味のない行為ではないかと感情が先走ってしまう。

「アードマン連結体」は、超常現象により、ある特定の人々の意志が連結される様を描いたもの。ある意味、異星人とのコンタクトを描いたものとも捉えられるかもしれない。ただし、それでどうこうというわけでもなく、ただ単にその出来事に振り回されただけというような感じがしてしまう。

「初飛行」は、宇宙軍のパイロット候補生について描いた作品。ありがちな作品のような気がするが、むしろわかりやすく明快で良い。事細かに付け加えられる減点の様子にはイライラさせられるものの、読み終えてみれば笑い飛ばせる爽快感。

「進化」は、テロリストの裏に潜むバイオテロのような話のような、それとも過去に犯罪を犯したものの葛藤か? 最終的には主婦のたぐいまれなる暴走でカタストロフィに突入。

「齢の泉」は、老人が大切な指輪を無くしたところから始まり、そして老人の過去の犯罪模様から、それを受けての現在の行動が語られるという話。結局のところ、何をどうしたいのかがよくわからなかったのだが、最後の一文にある「ロボット犬に食われた指輪を追って、とても正気の沙汰とはいえない旅に出て、この人生でたったひとり愛した女を慈悲深く殺すのに手を貸し、この惑星一の犯罪人のひとりの命を救い、息子のやつが俺を誇りに思うというオチ」が全てを物語る。 「マリーゴールド・アウトレット」は、両親から虐待を受けた少年をホログラムの猫が救う・・・・・・かと思ったら救わない話。なんとも後味が悪い。

「わが母は踊る」は、異星人とのコンタクトを描いた内容・・・・・・らしい。なんかこれだけ突然にハードSFっぽく表されている作品。


重力への挑戦   Mission of Gravity (Hal Clement)

1954年 出版
1965年07月 東京創元社 創元SF文庫

<内容>
 人類はとてつもない重力を持つ惑星、メスクリンを発見し、その調査に乗り出すことに。その惑星には、長さ15インチ、36本足のムカデのような知的生命体が存在し、人類は接触に成功する。彼らメスクリン人の協力を得て、地球人ラックランドは惑星メスクリンの調査に挑む。

<感想>
 2004年の復刊フェアで購入した作品。読んだのが2019年4月と、随分と長きにわたる積読となってしまった。最近ではこの作品の新版が出てしまった模様。繰り返し復刊されるだけあって、価値あるSF作品と捉えることができる内容。

 本書は地球人が未知の惑星にて異星人とコンタクトし、その異星人と共に惑星探査に乗り出すというもの。その惑星は地球よりも多く重力がのしかかる地であり、人類は生身では耐えることができない。さらにはコンタクトした異星人と言うのが人型ではなく、形・大きさともにザリガニに似たような形状をしており、それゆえその異星人たちが繰り出す冒険の様が特殊な形で描かれている。

 単に惑星探査を描いたものではなく、主題というか、物語の中心になるべき要素がいくつもあって、それゆえに肝心の主題が何なのかがわかりにくくなっているところが欠点か。というのは、惑星探査を行うにも関わらず、遭遇した異星人が惑星全土を知り尽くしているわけではないということ。それゆえに、異星人自身が慣れない土地へと行き、初めて遭遇する別の人種(人ではないが)と遭遇し、そこで新たなコミュニケーションをとってゆかなければならない等々。

 そんなわけで、人類が未知の惑星を探査する話なのか、異星人が自身の星を調査する話なのか、というような感じで視点がぶれてしまっているという印象。ただ、話の最後まで辿りつくと、異星人の心の内に秘めたるものが打ち明けられ、感動させられてしまうことに。特に作品の表紙の絵を見たうえで(版によって異なるかもしれないが)、この最後の一幕にたどり着くことができれば、感激もひとしおであろう。


エンジン・サマー   Engine Summer (Jhon Crowley)

1979年 出版
1990年12月 福武書店 単行本
2008年11月 扶桑社 扶桑社文庫

<内容>
 はるかな未来、すっかり様相が変わってしまった世界の中で生きる人々。とある部族の少年<しゃべる灯心草>は、村で過ごしていたときから、今に至るまでの出来事を話し始める。ひとりの少女と出会い、その少女を追って村を出て、聖人になろうとしたことで出会ったさまざまな人との触れ合いが語られてゆき・・・・・・

<感想>
 物語として楽しむというよりは、芸術的に描かれた描写を堪能すべき作品。かつて映画でストーリーよりも、芸術的な風景に力を込めているものがあったが、本書はそれの小説版というように思える。

 話は遥か未来を舞台に描かれている。科学が衰退し、一部で高度な技術は残っているものの、基本的には大概の人々が原始的な生活を送っている。想像するに、かなり過酷で厳しい生活が強いられているように思えるのだが、話の中では一切そのような現実的な厳しさを感じさせない描写で送られている。それは一人の少年の目を通すことにより、物語が終始進められているからではないかと思われる。その語り部となる少年の目を通すことによって、過酷な世界が光り輝くように貴重でやさしく表現されている。

 最後の最後でとある仕掛けと現実が待ち受けているわけであるが、その効果としてはどうなのであろうか。個人的にはある人物にとっては厳しすぎる終わり方をしているようにも思える。また、読んでいる側としては、主人公がその後どうなったのかも気になるところである。このように読了後色々と思わせるところも、この作品の特徴を示すところであるのかもしれない。あくまでも、“少年ひとりの物語”ではなく、一少年を通して“世界を描く”物語ということなのであろうか。


古代の遺物   Antiquities (John Crowley)

2014年04月 国書刊行会 <未来の文学>(日本オリジナル短編集)

<内容>
 「古代の遺物」
 「彼女が死者に贈るもの」
 「訪ねてきた理由」
 「みどりの子」
 「雪」
 「メソロンギ1824年」
 「異族婚」
 「道に迷って、棄てられて」
 「消えた」
 「一人の母が座って歌う」
 「客体と主体の戦争」
 「シェイクスピアのヒロインたちの少女時代」

<感想>
 国書刊行会による<未来の文学>シリーズの第15回配本。ジョン・クロウリーという作家については、「エンジン・サマー」という作品が有名。ただその他についてはあまり知られていないよう。また、勝手に過去の作家かと思いきや、今も現役のようである。とはいえ、元々多作な作家ではない上に、すでに70歳を超えているので、近年は本が書かれていないようである。ここでの短編作品は1970年代から2000年代までと、幅広くクロウリーの色々な作品を取り上げた日本オリジナル短編集となっている。

 最初の「古代の遺物」については、過去に起きた古い話を取り上げ、その真相について言及するというもの。考古学系の内容ともいえるが、なかなか面白く話が語られている。

 次の「彼女が死者に贈るもの」は、著者は意識したわけではないのかもしれないが、ホラー系、トワイライトゾーン系の作品のように感じられた。甥と叔母のぎこちない会話の中でのドライブが急展開により収束を遂げることとなる。

 本書がこの2編のような作品ばかりであれば楽しめたのだが、その他の作品は文学よりのものも多く、エンタテイメントとはかけ離れていたかなと(元々<未来の文学>として取り上げられているから致し方がない)。

 他には「雪」という作品が興味深かった。データについて描いているのだが、書かれている年代によるものか、データの劣化がデジタル的でははくアナログ的に描かれているのが面白かった。古い考えなのであろうが、むしろ斬新と感じられた。




著者一覧に戻る

Top へ戻る