SF カ行−コ 作家 作品別 内容・感想

ハローサマー、グッドバイ   Hello Summer, Goodbye (Michael Coney)

1975年 出版
1980年 サンリオ文庫
2008年07月 河出書房新社 河出文庫(新訳)

<内容>
 夏の休暇を過ごすため、政府高官の息子ドローヴは両親とともに港町パラークシを訪れる。パラークシで昨年会った少女ブラウンアイズと念願の再開を果たすことができ、休暇の間、ドローヴは幸福な日々を過ごすことに。そんな彼らのもとに大きな世界の転機が訪れることとなり・・・・・・

<感想>
 SF史上屈指の青春恋愛小説と聞き、これは一度読んでみなければと思い手にとって見た。そして読んでみたところ実際に面白い作品である事を実感できた。確かにこれはSF史上に残る名作であると言ってよいであろう。

 本書は主人公の少年が社会的秩序と父親に反発感をおぼえながら、宿屋の娘である少女に恋をし、互いに惹かれてゆく恋愛模様を描いた作品である。ただ、この恋愛模様に関しては、書き足りなかったのではと思える部分も多々ある。というのも特に鮮烈な出会いもなく、ただ単に無条件に互いが惹かれてゆくというだけであり、あまり恋とか愛とかの必然性や結びつきというものが感じられないのである。

 ただ、ある程度の限られたページのなかで短めにまとめた作品というようにもとれるので、逆に言えば最低限の中でうまくまとめきっているとも感じられる。このへんは良い作品ゆえに、あれこれと口を出したくなると感じてしまう人も多いのではないかと思われる。

 そして本書が単なる恋愛小説であれば、ここまで評価されるということもなかったであろう。この作品はSF小説としても優れているのである。寒さというものに、やたらと嫌悪感を表す人々。その根底に隠れているものがやがてはっきりと現れ始める。本書では戦争のさなかという背景が用いられているのだが、この背景が徐々に主人公が平和に暮らす世界へと侵食し始め、彼の生きる世界を大きく転換させることとなるのである。

 後半では前半ののどかさと打って変わり、退廃的ともいえる世界が繰り広げられることとなる。その変化にともない人の心も変わってゆく様子がまざまざと描かれている。そうして物語は崩壊の一途をたどることとなる。

 実は本書を読み終えた後に、あとがきを読み、最後の最後で物語全体を転換させるような仕掛けが描かれているということにようやく気づかされる。最初は自分で気づくことができずに、あわててラストを読み返し、あぁ、最後にこういうことを描きたかったのか、とようやく真のエンディングを読み解くことができた。といっても、そのエンディングでさえ、いくつかのパターンを感じ取ることができるので、物語の終決の付け方は人それぞれになるのかもしれない。

 本書を最後まで読んでみると、かなり深い内容の小説であったということに気づかされる。SFながら読みやすい作品であり、ページの長さも調度良く、きちんとした内容に仕上げられている。こういった作品はなかなか見られないであろう。入手しやすいうちに、ぜひとも読んでおいてもらいたい一作である。


パラークシの記憶   I Remember Pallahaxi (Michael Coney)

2007年 出版
2013年10月 河出書房新社 河出文庫

<内容>
 狩猟を中心とする部族の村長の甥であるハーディ。彼は村長である叔父の暴虐に悩みながらも、それに我慢強く対応する父と共に村での生活を送っていた。そんななか、気候が悪くなり村で食料がとれなくなったため、近くの漁業を中心とする村へ交渉へと出向く。そこでハーディは、チャームという少女と出会い恋をする。しかし、異なる部族同士の結婚はタブーであり、悩みを抱くハーディ。さらに、ハーディの父親が殺害されるという事件が起こる。この世界の人々は代々記憶を受け継ぐという特性をもっており、罪の記憶の遺伝を恐れ、犯罪はほとんど起きないはずであった。なのに何故!? しかも今度はハーディが命を狙われることとなる。さらに、冬季が近づき地域全体を不可避の災害が訪れることとなり・・・・・・

<感想>
 マイクル・コーニイによる「ハローサマー、グッドバイ」の続編。ただし、時系列的に続きというわけではなく、前作から数千年ほど経った世界の様相を描いている。

 なんとなく物足りないと思えたのは、この作品のおおよそは「ハローサマー、グッドバイ」の焼き増しであるということ。基本的な物語の流れはほぼ変わっていないと感じられた。ただ、前作に比べれば、細かい点について詳しく描き、前作で謎とされていたこと全てに解を付けた内容という風にとらえることができた。

 今作では、星の外から来たという地球人が登場しており、はっきりと異星であることを設定づけている。また、前作に登場した主人公らが伝説の人々と位置づけられており、それらの記憶をたどることがこの作品のポイントにもなっている。

 前作に比べて物語に厚みを持たせたり、世界の設定をはっきりと表したりと、きちんと描かれた世界であることは確か。物語としても風俗的な差別や対立は読んでいて良い気はしなかったが、“記憶”というものを用いて、ミステリ的な展開へともっていっているところは見事。最終的には隅から隅まできちんと、この世界を描き切ったと感じさせられた。

 ただし、もし読んでいないのであれば、この作品ではネタバレもあるので前作から読んだほうが良いと思われる。意外と、前作のほうがミステリアスなまま物語を終わらせているので、そのほうが魅力的な作品と捉えることができるかもしれない。


ブロントメク!   Brontomek! (Michael Coney)

1976年 出版
1980年 サンリオ社 サンリオ文庫
2016年03月 河出書房新社 河出文庫(新訳版)

<内容>
 人類は宇宙に進出し、惑星アルカディアにも入植し、その各地にサブコロニーを築いていった。ここは人が住みやすいところであるが、52年に1度、マインドと呼ばれるプランクトンの巨大な群れが人類や動物を海へと誘い、大量死させるという大きな問題を抱えていた。そんな惑星で暮らすヨットの造船技師ケヴィン・モンクリーフ。彼は隣人らとうまく生活していたものの、プランクトンによる大量死が原因となり、人口流出という大きな危機に直面することになる。そんなときにやってきたのが、巨大企業ヘザリントン機構。そしてこの大企業がやがてアルカディアの住民らと大きな衝突を巻き起こすこととなる。そうしたなか、ケヴィンはキャンペーン・ガールとしてやってきた美女スザンナに一目ぼれし・・・・・・

<感想>
「ハローサマー、グッドバイ」でおなじみのマイクル・コーニイの作品。本の帯には青春恋愛SFなどと書かれていたが、個人的には恋愛小説という印象は薄かった。

 舞台は、地球からはるか離れた惑星であるのだが、地球のような住みやすい環境での物語であるので、なんとなく普通小説っぽい。その惑星において、人口流出という問題を抱え、人々の生活がやがて立ち行かなくなるだろうというところに、大企業がやってきて地域を取りまとめ始める。すると地域住民が反発し、企業と住民が対立し始めるという展開。

 SF的な部分を差っ引いて内容をまとめると、どこか地球上の島や過疎地域で普通に起こる騒動を描いているようにも感じられる。個人的な意見としては、この企業と住人の騒動を描いた政治的な社会小説という赴きが強いと感じられた。

 他にも地球人とは別に惑星に住んでいるエイリアンや、企業が連れてきた労働力としてのエイリアン、企業のアピールのためのヨットによる世界一周など、さまざまな要素が組み込まれている。タイトルの“ブロントメク”というのは、作中に出ている自動制御で動く土木農耕マシンのこと。この“ブロントメク”は、別に物語上重要な地位を占めているというわけではないのだが、妙な存在感を出しているのは確か。これをタイトルとしてしまうところは、センス(良い意味で)と言えよう。

 痛快な内容の物語というわけではなく、地域事情の移り変わりをじわじわと描き表した社会派SF小説という感じであった。


巨獣めざめる   Leviathan Wakes (James S. A. Corey)

2011年 出版
2013年04月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 氷運搬船カンタベリー号の副長ホールデン。彼らが乗り込む船が何者かによって襲撃される。船外に出ていて、なんとか生き延びたホールデンとその他数名。小型艇一隻が残された中でホールデンらは生存をかけた運航を決意するものの、火星と小惑星の戦乱の深みに徐々に巻き込まれてゆく。
 一方、小惑星ケレスにて警備を司る刑事として生きるミラー。彼は、行方不明となった富豪の少女を探ることを命じられる。しかし、その事件をよそに、ケレスは小惑星と火星の戦乱の渦中へと入り込むこととなり、刑事の仕事自体が危うくなる。そうして、ミラーはある決意をするのだが・・・・・・

<感想>
 昨年の積読SF小説を、「このSFが読みたい!」が出る前に読んでおこうと思い、ギリギリで間に合った。ちなみに「このSF」2014年版ではこの作品は10位にランキング入りを果たしている。

 実際読んでみて、かなり面白かった。物語は氷運搬船の副船長と、小惑星の刑事二人が主人公となり、それぞれのパートが交互に語られることとなる。船が何者かに襲撃されてとまどいつつも、その正義感から、自らどんどん深みにはまっていくホールデンと、かつて有能な刑事であったはずの男ミラーがひとつの行方不明事件を執拗に追っていく。互いの関連なさそうなパートがやがて結びつき、ホールデンとミラーが出会い、物語は加速していく。

 設定自体は火星周辺の小惑星近郊の話ということで大きなものとなっているが、物語自体は小さなところで語られるものかと思っていた。それがいつしか、小惑星のみならず、火星や地球を巻き込んだ大規模な紛争へと発展していくこととなり、スケールの大きさを感じ取ることができる。ただ、この作品のタイトルである「巨獣めざめる」というものが、そういったスケールを感じさせるものではなく、なんらかの工夫をしたほうが、もっと多くの人に読まれたのではないかと残念に思われる。

 スケールの大きな話が旨い具合に収束というところで見事終幕となるのだが、実はこの物語まだまだ続く作品の序章にすぎないとのこと。現在では長編六部作の構想が予定されているらしい。ただ、現在出版されているのは第2部までで(今年に第3部が刊行される予定)あり、日本でも翻訳はゆっくりとなされていくこととなるであろう。本書では異星人の存在が浮き彫りとなりつつあるものの、具体的なところまでは語られていなかった。今後はそのへんが表に出てくるのであろうか? また、今作で登場した人物たちは、次回作以降どのように関わってくるのかも楽しみである。続編が出ることを心待ちにするとしよう。


メアリ・ジキルとマッド・サイエンティストの娘たち   The Strange case of the Alchemist's Daughter (Theodora Goss)

2017年 出版
2020年07月 早川書房 新・ハヤカワ・SF・シリーズ5048

<内容>
 ヴィクトリア朝、ロンドン。母親を亡くし、ほぼ一文無しに近い状態となったメアリ・ジキル令嬢。屋敷の使用人や遺産を整理していたところ、母が“ハイド”という人物に毎月送金をしていたことを知る。その“ハイド”は殺人容疑者として指名手配されている人物。メアリは有名な探偵、シャーロック・ホームズの手を借りて、事実関係を調査することとなり・・・・・・

<感想>
 小説「ジキル博士とハイド氏」の登場人物のジキル博士の娘と、ハイド氏の娘。H・G・ウェルズ描く「モロー博士の島」のモロー博士の娘。「フランケンシュタイン」のフランケンシュタイン博士の娘。そして、ナサニエル・ホーソーンの短編作品「ラパチーニの娘」に出てくる毒を帯びた娘。これら5人が一同に会するという作品。

 主人公はジキル博士の娘でメアリ・ジキル。彼女が母親の死を機に、自分の生活状況を改善していこうと思った矢先、自分の親や謎のハイド氏の秘密に触れていくこととなる。そうした秘密をシャーロック・ホームズの手を借りて探り出していくうちに、上記に挙げたマッドサイエンティストの娘たちと出会い、邂逅していくというもの。

 また、物語の書き手であり、語り手であるマッドサイエンティストの5人の娘たち(と召使も含む)が度々登場し、誌面をにぎわすというメタ調で描かれているところも本書の特徴。ただし、そのメタ調が物語上、効果を上げているかは微妙。個人的には、物語の進行上邪魔でしかなかったように思われた。

 そんな5人とシャーロック・ホームズとワトソンがそろい冒険を繰り広げるのかというと、本書では5人の登場と紹介でほぼ終わっているような感じ。実はこの作品、3部作の1作目と言うこともあり、それゆえ、こうした登場のみとなってしまっていると思われる。キャラクターとしては魅力的に思われるので、彼女たちがチームを組んで、冒険に乗り出せばがぜん話は面白くなるであろう。そんなわけで、本書は序章として後の作品に期待をしたい。


宇宙へ   The Calculating Stars (Mary Robinette Kowal)

2018年 出版
2020年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(上下)

<内容>
 1952年、アメリカ・ワシントンDC近海に巨大隕石が落下した。その隕石の落下により、アメリカ東海岸は壊滅状態となる。しかし、問題はその後であり、この隕石落下により環境の激変が起き、やがて地球は急激な温暖化により人類が住むことのできない星と化すと予想された。その報告により、人類は宇宙を目指すこととなる。隕石落下の被害をまぬかれたロケット工学博士のナサニエルとその妻で数学博士のエルマ。エルマは飛行機のパイロットでもあり、この緊急事態の中で自ら宇宙飛行士の道を目指すことに。ただ現実は、男性社会、そして人種差別主義がまかり通った時代であり、女性が現場進出への道のりは遠く・・・・・・

<感想>
「SFが読みたい!」で取り上げられていた、昨年翻訳された作品。SF小説のわりには非常に読みやすく、一気読みできる作品であるのだが・・・・・・

 物語は、1952年のアメリカに隕石が落ち、そのせいで地球の急激な気候変動が予測され、人類は宇宙へ旅立たなくては絶滅してしまうというところから始まる。そこから宇宙開発と、宇宙への進出が進められるという内容かと思われたのだが、話は思っていたのと異なる方向へ。

 この作品、SF的な内容のものを描くというよりも、主人公である数学博士エルマという女性の社会進出を描いた作品になっていた。1957年という年代ゆえに、人種差別がまかり通れば、男性主権が当たり前の社会。それゆえに、女性宇宙飛行士などは考慮にすらいれられないという状況。そうしたなかで、エルマらは女性による社会進出と、初の女性宇宙飛行士を目指していくという話になっているのである。そんな感じの内容ゆえに、SF小説を読んだというよりは、架空の女性宇宙飛行士の伝記を読んだというような感触であった。

 読み始めたときは、地球から宇宙への進出を目指す壮大な物語が始まると思っていたので、なんとも微妙と思えた。しかも、あまりにも個人的な視点での話に終始しているのもどうかと。物語の導入部で、これから壮大な物語が始まりゆくというときに、主人公とパーカー大佐という人物との個人的ないさかいの様子が書かれていたあたりから、なんか微妙なものを感じ取れたのだが、結局それが話の最後まで延々とひっぱられてゆくというのもなんとも・・・・・・

 この作品では、ラストでようやく宇宙へと飛び立つ様子が描かれており、人類の宇宙進出というにはほど遠いところで終わってしまっている。実はこの作品、シリーズとなっているようで、これ以後に人類が宇宙へと進出していく様子が描かれているとのこと。ただ、個人的にはこの作品だけで充分お腹いっぱいという感じ。




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