SF マ行−マ 作家 作品別 内容・感想

タフの方舟   Tuf Voyaging (George R. R. Martin)

1986年 出版
2005年04月 早川書房 ハヤカワ文庫(1.禍つ星)
2005年05月 早川書房 ハヤカワ文庫(2.天の果実)

<内容>
 一介の商人であったハヴィランド・タフは、謎の“禍つ星”を巡る騒動に巻き込まれた結果、遠い昔に廃棄された超大型巨大宇宙船<方舟>号を手に入れることに。タフは自ら環境エンジニアリングを名乗り、星々へと出かけて行き、<方舟>号の力によってさまざまなトラブルの解決に乗り出すのであったが・・・・・・。ハヴィランド・タフの冒険を描く連作集。

<感想>
 最初に驚くのは、その読みやすさ。これはSFが苦手だという人も気楽に手に取れる一冊である。さらには、その内容にも惹きつけられ、“読みやすく”“面白く”“楽しめる”という三拍子そろった小説である。これはSFファンではない人にも広く手にとってもらいたい本である。

 そんな楽しめる作品ながらも、本書で一番残念なのは主人公の造形。この主人公がとらえどころのない人物であり、外見はかわっているのだが、それを個性というには乏しく、とにかくなんらヒーロー性がまったく感じられないのである。もう少し善人であるとか、もっと悪人であるとかそのへんがはっきりしていればよいのであるが、とにかくハヴィランド・タフというのは根っからの“商人”なのである。

 ただ、困った事にこの<方舟>号の所有者としてはハヴィランド・タフが適任だとしか思えないのである。善行とか悪行にとらわれず、ただ金をもうけるだけのために、巨大な力を持つ宇宙船をあやつり、星々の環境を変えることのみにまい進する。そういう人物でなければ、この舟自体を所有するのは大変危険なのである。ゆえに、たとえどれだけ読者が主人公を嫌ったとしてもこのハヴィランド・タフ以外の者が<方舟>号を手に入れてはいけないのである。それが、本書の最後の作品「天の果実」のなかで描かれる非情さに顕著に表れているといえるであろう。

 とにもかくにも、エンターテイメント性にあふれている読みやすいSF小説となっているので、是非とも手にとってもらいたい作品である。ひょっとしたら今後続巻も・・・・・・と噂されているらしいが、続編が出たら必ずや読んでみたいと思っている。


洋梨形の男   The Pear-Shaped Man (George R. R. Martin)

2009 年09月 河出書房新社 <奇想コレクション>

<内容>
 「モンキー療法」
 「思い出のメロディー」
 「子供たちの肖像」
 「終業時間」
 「洋梨形の男」
 「成立しないヴァリエーション」

<感想>
 うーん、面白い。「タフの方舟」もすこぶる面白かったのだが、もしかしてマーティンの作品って、外れがないのでは? とりあえずは家に置いてある「フィーバードリーム」を早めに読むべきであろう。ひょっとすると、あまり注目していなかった<氷と炎の歌>のシリーズも慌てて、かき集めるはめになるのかもしれない。

 いきなり、「モンキー療法」から、やられてしまった。こんなダイエット方法を考え付くなんて・・・・・・って言っても、誰にでも出来る方法ではないので、ダイエット目的で飛びつかないように。それに、できるとしても絶対にやりなくないダイエット方法であることは間違いないのだが。

 サイコサスペンス色の強い「思い出のメロディー」や「洋梨形の男」にはぞっとさせられる。特に「洋梨形の男」はぞっとさせられるだけではなく、ラストではさらなる一ひねりが待ち構えている。

「子供たちの肖像」もサスペンス性のある内容であるのだが、サスペンスというよりも、自身を振り返る物語という精神的な色合いが強い。また、煙にまかれるようなラストも印象的。

「終業時間」は酒場での冗談が現実のものになるような作品。最後のオチがまた色々な意味で強烈。

「成立しないヴァリエーション」は、ある種のタイムパラドクスものと言ってもよいであろう。全てのヴァリエーションを経験してきた男が過去のいじめの復讐を遂げようとする。前半部では、存在自体が目障りであった主人公の妻が最後の最後で重要な役割を担うところが印象的。


フィーヴァードリーム   Fever Dream (George R. R. Martin)

1982年 出版
1990 年11月 東京創元社 創元SF文庫(上下)

<内容>
 蒸気船の船長アブナー・マーシュはジョシュ・ヨークという男に呼び出された。その謎めいた男は資金を出すので、大きな最速の蒸気船を作り、アブナーにその蒸気船の船長になってもらいたいという。そしてその蒸気船にジョシュ・ヨークも乗り込み、彼の指示通りに船を動かしてもらいたいというのだ。胡散臭い依頼であったが、アブナーは最速の蒸気船という誘惑に勝てず、彼の言うとおり蒸気船を作り、乗組員たちとジョシュ・ヨークらと共に船に乗り込む。すると船で生活するうちに、ヨークの奇妙な行動が目につくようになる。事情を聞いたアブナーに語るジョシュ・ヨークの恐るべき秘密とは・・・・・・

<感想>
 帯に書かれているのを見て、吸血鬼の話らしいということは漠然とわかっていたが、それ以外の情報は何も得ないまま読み始めた。最初は“フィーヴァードリーム”というタイトルであるからして、疫病の話かと思っていたのだが、それが船乗りの話であるとは思いもしなかった。

 物語の始めに不細工で初老の船乗りアブナー・マーシュという人物が登場するのだが、まさか彼がそのまま主人公となり、話の最初から最後まで重要な役割をするとは全くもって想像していなかった。本書はこの老船乗りと吸血鬼との友情を描いた物語である。

 SFというよりも伝奇小説と言った方がよいであろう。簡単に言えば“吸血鬼”として一般的な闇の種族の過去から現代にいたるまでの物語が主軸となっている。その闇の種族のひとりジョシュ・ヨークは自分たち種族の在り方について考えを持っており、その考えを広めようと旅立つことを決める。また、そのようなヨークの考え方に迷い、振り回されつつも、自分の夢である最速の蒸気船の名が知れることを夢見てアブナー・マーシュは共に旅をする。

 といった具合で、闇の種族の先行きと、船乗りの夢を抱えた二本立てを主軸として物語は語られてゆくこととなる。これら物語に意外性があるかというと、それほどでもないと思う。むしろ王道のファンタジー小説といっても過言ではないだろう。しかし、ここで語られるジョシュ・ヨークとアブナー・マーシュの二人の愚直なまでの真摯さに心を打たれ、その二人の物語に惹かれてページをめくることとなる。

 また、主人公二人と敵対することとなるダモン・ジュリアンとその僕のサワー・ビリー・ティプトンの二人の関係が後に重要な役割を果たすということが印象的であった。二組の対照的な関係こそが二組の先行きを示す指標というように感じられた。


星の光、いまは遠く   Dying of the Light (George R. R. Martin)

1977年 出版
2011年06月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 銀河系の果ての惑星、ワーローン。かつて文明が発達したものの、今では辺境の星ということでうち捨てられ、少数の異なる種族が点在しているのみ。あるとき、宇宙を旅していたダークのもとに、かつての恋人から連絡が届く。よりを戻すことができるのではないかと期待して惑星ワーローンへといくものの、そこでかつての恋人は結婚しており、嫁いだ一族の奇妙な因習にとらわれている状態であった。ダークはかつての恋人と共にこの星から脱出しようと試みるのであったが・・・・・・

<感想>
 今まで読んだマーティンの作品は外れがなかったものの、この作品は微妙だなと感じてしまった。しかし、日本では最近出版されたものの実はこの本、はマーティンの処女長編であった。ここから数々の傑作を書き上げていったのかと考えると納得。

 読んだ感じはSFというよりは、マイケル・ムアコック風のファンタジー小説を読んだという感触。SF的な要素はきちんと練り込まれているものの、物語の流れ的にはファンタジーという位置づけのほうがしっくりとくる。

 読んでいて微妙と思われたのは、主人公の立ち位置。この主人公は普段何をしている人で、どんな人生を歩んできたのかというバックボーンが全く見えてこない。それが恋人とよりを戻したいという独りよがりな考えた方で他の種族の習慣をかき乱しているようにしか思えなかった。また、ここに登場するアイアンジェイドという一族についても決して善良とは言い難く、その傲慢な態度とそれに嫌々ながら従う者たちとの奴隷みたいな関係性には眉をひそめたくなるばかり。

 しかし、そうした悪い印象も物語が後半へ進むと一変することに。さまざまな思いが逆転してしまう物語の流れは見事であると感じてしまった。そして情けなさげな主人公が少しずつ男気を心に芽生えさせることとなり、衝撃的なラストへと突入することとなる。そのラストは「そんなところで終わるんかい!」と叫びたくなりつつも、実に印象的なものであった。最後まで読み終えると、もう一度最初から読みなおしてみたいと感じてしまう小説である。


ハンターズ・ラン   Hunter's Run

ガードナー・ドゾワ、ジョージ・R・R・マーティン、ダニエル・エイブラハム共作
2007年 出版
2010年06月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 辺境の植民星、サン・パウロ。探鉱師のラモンは酒場でエウロパ大使と揉め、ナイフにより大使を殺してしまった。事件のほとぼりが冷めるまで、ラモンは町を離れていようと、大陸北部へと探鉱の発掘へと出かけ、しばらくそこで時間をつぶすこととした。しかし、ラモンはとんでもないものを発見してしまう。明らかに人工物と思われるものを見つけてしまい、異種族に捕らえられてしまう羽目に。そしてラモンはその異種族の命令により、彼らのもとから逃げ去った人間を捕らえる手助けをすることとなり・・・・・・

<感想>
 元々、ガードナー・ドゾワが考案した短編をジョージ・R・R・マーティンが構想を膨らませ、それを新進の作家であるダニエル・エイブラハムに書いてもらったという、変わった経緯で出版された作品。

 主人公がさほど魅力的な人物ではないなと最初は思っていたのだが、物語が進むにつれて、徐々にそうした思いは変わっていくことに。また、序盤は古いSF作品でよく見かけそうな、典型的な冒険ものという感じがしていたのだが、話が進むにつれてそうした思いも吹き飛んでしまう。

 とにかくこの物語、予想外の展開がどんとんと繰り広げられる。章立てが微妙で、各章につながれるごとに、今まで抱いていた思惑とは異なる感情により、話が展開されていくこととなる。こうした物語のつなぎと、最終的にどこへ到達するのかが非常に気になってしまい、ページをめくる手が止まらなくなってしまった。そして、最後に行き着いた到達点も予想を裏切る見事なもの。

 いや、これはSF小説として、冒険小説として、エンターテイメント小説としてなかなかのものといえよう。主人公の欲望と葛藤を見事に描き切った作品である。映画化の話が出てもいいんじゃないか、と思えるくらい楽しませてくれた作品。


歌う船   The Ship who Sang (Anne McCaffrey)

1969年 出版
1984年01月 東京創元社 創元SF文庫

<内容>
 通常の状態では生きていけない幼児が“中央諸世界”によって体の一部を保護され、そして教育を施され、宇宙船の体を与えられることとなる。彼女ら(彼ら)は、自身が宇宙船となり、宇宙船の管理・操作を行い、人々を乗せて宇宙を旅立つことができるように成長していった。そうした船たちは、“筋肉(ブローン)”と呼ばれる乗組員とパートナーを組み、与えられた目的を達成するために宇宙へと出航してゆく。そうしたなか、“歌う船”と呼ばれることとなるヘルヴァは様々なパートナーたちと組んで、宇宙へと旅立つこととなり・・・・・・

<感想>
 2020年復刊フェアで購入した作品。今まで何度も本屋で見たことのある作品であったのだが、読んだことはなかった。そこでこれを機に一度は読んでみたいと思い購入。

 これはなかなか独特な魅力があって面白い作品。普通に生きることのできない幼児を特殊な方法で生き延びさせ、船のブレインとして新たな人生を送らせるという設定がなかなか。ただ、そういった設定は他のSFでも似たようなものは数多く書かれていると思われる。本書では、その船のひとつ“ヘルヴァ”を主人公とし、極めて女性的な視点でその成長も含めて描きあらわしているところが大きな特徴。

 基本的にはヘルヴァという頭脳船がパートナーと共に、色々なミッションをこなしていくという内容。その中身はSF作品というよりは、冒険ものと感じられるようなものとなっている。そしてそれが単なる冒険ものではなく、ヘルヴァという女性的な視点を中心に描きあらわしているところが特徴なのである。

 最初、ヘルヴァは幼児に近いような穢れのない感性を持っているものの、様々出来事を体験することによって大人の女性へと成長していく。そしてそこからさらに成熟を遂げてゆくかと思いきや、そこに幼さや普通の女性的な感情を持ちつつ、あれやこれやと愚痴りながら困難を乗り越えていくのである。この頭脳船の極めて人間的なところが一番惹かれる要因であると思われる。また、あくまでも普通の女性的なところは、この作品がより女性に受ける要素をもっているところではないかと推測される。これこそ普通に多くの女性に手に取ってもらいたいSF作品といえるのではなかろうか。


火星夜想曲   Desolation Road (Ian McDonald)

1988年 出版
1997年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 時間の中を自由に渡る緑の人を捜して、もう幾日もアリマンスタンド博士は火星の砂漠を旅していた。風に船をさらわれ、移動の手段を失った博士は、小さなオアシスに留まることになる。やがてそこに徐々に人々が住み着き、<荒涼街道 デソレイションロード>と呼ばれる町に育ち、さまざまな驚異や奇蹟を経て、ふたたび忽然と砂漠に還ってゆく・・・・・・

<感想>
 一代叙事詩というにふさわしい壮大な物語が展開される。何もなく、ただ一人の男が存在するだけの土地に少しずつ人がが集まってきて、やがては大きな都市となる。そして大きな都市になると決まったように、混乱、利権、奪取といった事象が繰り返されて、やがては・・・・・・と。まさに一つの世紀がこの一冊の本の中に収まっている。

 本書の全てにわたって感じることは、人間のパワーがあふれているということである。人々のパワーがみなぎり、人がいてそのパワーがみなぎる所こそが都市であり、その満ちたパワーに惹きつけられるように人々は集まってくる。さらにいえば、その人々のパワーが枯れてしまうと都市は衰退し、たとえそこに人々がまだ存在したとしてもパワーがみなぎっていなければそれを都市とは呼べなくなってしまう。そういった人的パワーというものがまざまざと描かれているように感じ取れた作品である。

 この街<ディレイション・ロード>というのは、それを求める人さえいればどこにでもありうるのではないのだろうか。たとえそれが火星ではなく、異なる場所でも、さらには時空を越えてでも、緑の人が示唆するように・・・・・・


サイバラバード・デイズ   Cyberabad Days (Ian McDonald)

2009年 出版
2012年04月 早川書房 新・ハヤカワSFシリーズ5003

<内容>
 「サンジーヴとロボット戦士」
 「カイル、川へ行く」
 「暗殺者」
 「花嫁募集中」
 「小さき女神」
 「ジンの花嫁」
 「ヴィシュヌと猫のサーカス」

<感想>
 イアン・マクドナルドって、「火星夜想曲」の人だったのか。似たような名前の人が多いので、別の人と勘違いしていた。このイアン氏、日本で訳されている作品は本書を含め、わずか3冊。本国でも「火星夜想曲」以降はパッとしなかったもよう。そうしたなか、ようやく話題となったのがこの「サイバラバード・デイズ」。

 大雑把にいえば、アジアンテイストな描写を楽しむ本。インドを中心とした、その未来の世界を描き、そこでのさまざまな物語を紡いだという感じ。インドというと、結婚式が派手ということが有名。そのせいもあってか、“結婚”をテーマにした作品が多いというのも特徴。

 全体的に物語として楽しめたかというと微妙なところ。起承転結のうち、“起”のところはよいのだが、肝心の“結”がどれも尻切れトンボという気がした。「暗殺者」なんかは、最後まできちっとしていたのだがその他の物語は、どうもあいまいな感じで終わってしまったという印象が強い。

 ロボット戦士にあこがれる少年の成長を描いた「サンジーヴとロボット戦士」、女神としてあがめられることとなった少女の行く末を描く「小さき女神」、デザインチルドレンの成長と革命を描く「ヴィシュヌと猫のサーカス」、といった作品は面白く読むことができた。ただ、前述したように設定や物語提起はよかったのだが、もっとしっかりした結末がほしかったところ。そうした印象もあってか、どうもアジア描写小説という趣のほうが強く感じられてしまう作品集であった。


失われた探険家   The Lost Explorer (Patrick McGrath)

2007年05月 河出書房新社 <奇想コレクション>

<内容>
 「天 使」
 「失われた探険家」
 「黒い手の呪い」
 「酔いどれの夢」
 「アンブローズ・サイム」
 「アーノルド・クロンベックの話」
 「血の病」
 「串の一突き」
 「マーミリオン」
 「オナニストの手」
 「長靴の物語」
 「蠱惑の聖餐」
 「血と水」
 「監 視」
 「吸血鬼クリーヴ あるいはゴシック風味の田園曲」
 「悪 臭」
 「もう一人の精神科医」
 「オマリーとシュウォーツ」
 「ミセス・ヴォーン」

<感想>
 読んでいて、山あり谷ありの作品集であった。面白く読める作品もあれば、いまいちだったり、読みづらかったりという作品もあったりと、消化しきるのはなかなか大変であった。

 今回の作品集は「血のささやき、水のつぶやき」という13編が収められた短編集に、単行本にまとめられていない6編を足した作品集とのこと。個人的、もしくは売れ行きの面で考えるのであれば、それらの中から良い作品を抽出したほうが良かったのではと思えなくもない。ただし、本書によってマグラアの短編が網羅されていると考えれば貴重な一冊であるとも考えられるであろう。

 街の孤独な酔っ払いが語る虚構と現実の狭間が描かれた「天使」や、奇怪な少女の成長物語のようにもとれる「失われた探険家」は印象的。「黒い手の呪い」もグロテスクな怪奇色を出した作品となっていてなかなか面白い。

 そこから文学的な作品が続き、個人的にはあまりぱっとしない印象であった。このへんから少し読み通すのがつらくなってきた。

 それが「アーノルド・クロンベックの話」のでまた盛り返してゆくことに。この作品は死刑囚とジャーナリストとの会話が収められたもの。そして最終的には意外な展開へと発展して行き、このような作品も描くのかと驚かされる。

 「血の病」という作品は、最初はバイオハザードを描いたものかと思ったのだが、これも思いもよらない方向へと進む話になっている。

 「串の一突き」は奇妙な光景を目撃する叔父の話を書いた、冗談のような作品であるが、最後にひとつどんでん返しが待ち受けている。

 そしていくつか飛ばしつつ、長靴の視点からシェルターの中で過ごす家族の様子を描いた「長靴の物語」、昆虫の食事を文学的に描いた「蠱惑の聖餐」、単なるストーカーの話のようで、その実、ある者の計略が塗りこまれている「監視」、単なる精神科医の経験談といっていいのか、実は隠されたミステリになっているのか、微妙な狭間をただよう「もう一人の精神科医」

 といったところである。上記に挙げたように印象に残った作品もあれば、とりあげていない作品のようにわかりにくいという作品も多々ある。そういうわけで、全面的には薦めにくい作品集ではあるが、奇想コレクションらしい作品集ではあるので、“奇譚”が好きな人は読んでみるのもいいかもしれない。




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