「新しい太陽の書」 The Book of the New Sun (Gene Wolfe)

拷問者の影   The Shadow of the Torturer

1980年 出版
1986年10月 早川書房 ハヤカワ文庫<新しい太陽の書1>

<内容>
“共和国”を統治するシステムの中に、秩序に逆らうものを罰するための“拷問者組合”というものがある。その“拷問者組合”の徒弟として生活を続ける少年セヴェリアン。彼は順調に“拷問者組合”の職人へと成長していく。しかし、その途上で反逆者ヴォダルス、囚われた貴婦人セクラと出会うことによって、その運命を変えてゆくことに・・・・・・

<感想>
 ここまでじっくりと描かれるファンタジー小説というのも珍しいのではないだろうか。この本の中では時間がゆっくりと進み、その背景となる世界のシステムが事細かに描かれている(それでも描かれている事項は、その世界のほんの一部にすぎない)。そうして背景が徐々にあらわにされつつ、主人公のセヴァリアンが成長していく様子が語られてゆく。

 そして、本書の大きな特徴のひとつは“拷問者”という職業。様々なファンタジー小説にて色々な職業が描かれているが、“拷問者”というものにスポットを当て、それを主人公に配する小説などは本書以外にはないだろう。その異様な職業を背負った少年が一見普通の子供達と同じように成長の過程をたどっていくという描かれ方もまた興味深いものがある。

 読んでいた当初はその“拷問組合”というものがこの世界の中では普通に受け入れられているもののように感じられたのだが、セヴァリアンが外の世界へと出たときに、その様は一変し、彼がいた世界の異様さを感じ取る事ができる。とはいえ、まだまだこの一冊だけでは世界観を完全に掴み取る事ができず、何が異様で何が普通なのかはなかなかわかりづらい。この辺の様相については、これから語られてゆく内容を見て判断をしていけばよいことであろう。

 物語の前半は“拷問者組合”の中でセヴァリアンが成長していく様子、そして後半ではその組合から追放され、別の町へと出かけていく様子が描かれている。この後半部分はすぐに新たな舞台での話しになるかと思っていたのだが、なかなかその目的地へとたどり着かせてくれない。正直言って、途中の“決闘”のパートについては必要ないようにも思えたのだが、意外にもきちんとした結末と意味を持たせて幕をひかせるという締め方をしており、最後には反対に感心させられてしまった。また、この後半部分はたぶんこれからセヴァリアンに関わってゆく人々が登場するという意味でのパートであるのかもしれない。そのような意味で、本書の後半は放浪と出会いというものが描かれていたのだろうと考えられる。

 とにかく、まったく内容を予想させない展開で進んでゆくこの小説。あと残りの三冊でセヴァリアンがどのように成長し、どのような道を進んでゆくのがとても興味深い。本書は決して読みやすい小説とはいえないのだが、一度読んだらその魔力に惹きつけられ、とりこになってしまうような力を持っている。普通のファンタジー小説ではぬるくて満足できないと言う人は是非ともごらんあれ。


調停者の鉤爪   The Claw of the Conciliator

1981年 出版
1987年02月 早川書房 ハヤカワ文庫<新しい太陽の書2>

<内容>
 流刑地スラック目指して旅を続けるセヴァリアン。その旅の途中、一座を率いるタロス博士と巨人のバルダンダーズのみならず、さまざまな人々と出会うことになる。捕らわれ、そして逃げのびながらも続けられるジョナスとの旅。さらには城塞で出会った人々との再開。セヴァリアンが旅の途中に片時もその身から離さないようにしているのは、一振りの剣、テルミヌス・エストと謎の力を発揮する“鉤爪”の2つのみであった・・・・・・

<感想>
 今作ではさまざまな驚くべき展開が待ち受けている。中でも一番驚いたのは、この2巻の間でまだ目的地スラックに着いていないということ。もはや、何のために何をしに行くのかという目的がぼやけてしまっているように感じられる。特に反逆者ヴォルダルスとの再会を果たしたときには、彼自身の使命の全てを投げ出さんとしているかのようにも思われた。

 そういったセヴァリアンの感情を揺れ動かすような出来事が色々と起こるのであるが、あまり一貫性というものは感じられなく、何者かに捕まっては逃げ出し、捕まっては逃げ出し、という事を繰り返しているうちに徐々に目的地へと近づきつつあるというような展開。

 その小さなエピソードが積み重ねられる中で、徐々にこの世界の全貌等が明らかになりつつあるのだが、それらを整理してまとめるのは難しい。今作では反逆者ヴォルダルスの口からある程度、世界の背景が語られつつあるものの、あくまでも対立する勢力の片側からのみ語られている話なのでどこまで信じてよいのか検討をつけにくい。

 さらには、本書があくまでもファンタジー小説のみに留まらず、SF小説でもあるということを改めて知らされる部分が多々あり、そういった描写を読むとこの物語の奥行きの深さをいっそう感じることができる。

 といった具合に、徐々に話がわかってきたような、はたまた複雑になりつつあるような、なんとも判断の付けようのない巻であるのだが、このシリーズに対する興味は消して失うことなく、さらに深まるばかりである。しかし、ファンタジー小説のようでありながら、これほど先の読めない小説というものも珍しい。この読むものに対して細かく解説したり説明したりせずに、読者を突き放すかのように話を進めていくというスタンスにより、読んでいる側は余計に話しにのめり込んでいってしまうのである。


(本文より)
 「どうやら、われわれは単一の瞬間よりも長い視点から自分自身を眺めているらしい」


警士の剣   The Sword of the Lictor

1981年 出版
1987年07月 早川書房 ハヤカワ文庫<新しい太陽の書3>

<内容>
 ようやくスラックスの街に到着し、拷問者としての仕事を与えられ、日々その仕事にいそしむ事となったセヴァリアン。望むべき仕事と生活が手に入ったにもかかわらず、結局セヴァリアンは拷問者の仕事を棄て、街を飛び出すことに。また、セヴァリアンは、肌身離さずに持ちつづけている“鉤爪”を返さなければとも思い続けていたのだが・・・・・・

<感想>
 3巻目にして物語りも佳境に入り、さまざまな事象が起き、セヴァリアン自信が運命に挑み続けるような内容となっている。

 この巻で驚くのは、セヴァリアンがスラックスの街での拷問者の地位を捨ててしまうこと。1巻で拷問者組合から出されてしまうこととなり、その代わりとして長い旅を経てようやくたどり着いたスラックスの地にて拷問者として働くはずであったセヴァリアン。この職業こそがセヴァリアン自身の天分であり、決して捨てることのできないものであるとわかりつつも、結局はその地位を捨ててしまうこととなる。

“鉤爪”を届けなければならないという使命を感じてというのは、ある種のいいわけのようにも感じられる。彼が“拷問者”という地位を捨てることになったのは、外部の様々な人々と触れ合ったことによるものではないのだろうか。人々に触れ、話し合うことによって、“拷問”というものになんらかの自己矛盾を感じ、そして結局はそれを捨てざるを得なくなったかのように思える。

 しかし皮肉にも、“拷問”の象徴ともいえるテルミヌス・エストだけは片時も離すことができないのは、身を護るための剣という役割だけの問題ではなく、幼少のころから授かってきた“拷問者”としての技能の象徴という意味で捨てる事ができなくなっているのではないだろうかと考える。

 また、本書にて興味深いのはセヴァリアンの同じ名を持つ子どもが出てきて、つかの間、二人が一緒に旅をするという場面。この子どもを庇護しながら旅をするというところには、どのような意味があったのだろうか。セヴァリアンが何かを護らなければならないという父性の表れか、もしくはセヴァリアン自信の幼い頃を思い起こさせるための記憶的な象徴であったのか、または鉤爪の力に対する警句であったのか、この辺は、はっきりと答えを出す事はできないのだが、何らかの重要な意図が込められていたのではないかと考えている。

 そしてラスト近くには、セヴァリアンはある人物と再会し、大きな戦いの局面を迎えることとなる。そこで、彼が得たものは? または失ったものは? というような終り方で3巻は締めくくられている。

 ただ、ここまで読んで感じられたのは、別にこの物語が3巻で終わってしまっても、おかしくないのではということ。正直言って、4冊目で語られるべき要素がまだ残っているのかと考えてしまう。

 あとがきを読んでみると、ここまでのセヴァリアンの旅についての全てが解明されるというような事が書いてあった。ひょっとすると、最終巻でようやくあいまいであったこの世界の背景がきちんと語りつくされるということなのであろうか。

 最終巻で明かされる真実とは何か? 読んだところで全てがわかるとは思えないが、とにかく最終巻に何がどこまで書かれているかが興味深い。これは全部読み終わった後に、何度も読み返すことによって、新たな真実が解明されるというそんな物語なのであろう。


独裁者の城塞   The Citadel of the Autarch

1982年 出版
1988年03月 早川書房 ハヤカワ文庫<新しい太陽の書4>

<内容>
 拷問者組合を追放され、流刑地スラックスから逃走し、ついにはテルミヌス・エストさえも失ってしまったセヴァリアン。胸に調停者の鉤爪のみを抱き、何処へ行くともなく、軍隊が横行する最中をさ迷い歩いていく。ついには病に倒れそうになりながらも、なんとか軍の病院へとたどり着く。セヴァリアンはそこで本来の鉤爪の持ち主であるベリーヌ尼僧団を見つけ、話をすることとなった尼僧から新たな使命を与えられる。そしてセヴァリアンの次の行き先とは・・・・・・

<感想>
 一年がかりで読んだこの物語もついに終局を迎えた。この最終巻で全てが明らかになるのかと思いきや・・・・・・結局のところ相変わらずわからないところだらけであった。

 前作で殆どの使命を終えたかのように思えるセヴァリアン。あとは調停者の鉤爪を返すくらいしかすることは残っていなさそうに思われる。何を目的とするのかもわからないままセヴァリアンはただ戦争が起きている中を放浪し、彷徨い続ける。そして、さらなる運命に放浪されていくようになる・・・・・・というのが今回の物語。

 相変わらずよくわからないのは誰と誰が戦争をしていて、誰がどちら側で、どこに何があってという背景。にも関わらず、そういった詳しい説明はなく、物語はどんどんと進行していく。まぁ、この辺は細かいところは読者自身がこまめに読み取らなければならないということなのであろう。再読するときにはメモを忘れずにしていかなければなるまい。

 また、今回はセヴァリアン自身について大きな転機というか、変革が訪れる事となる。この辺に関しては、この物語はいったいどこから始まっていたのだろうと考えてしまうところ。セヴァリアンが生まれたときからすでに運命は始まっていたのか、それとも成長していく上で彼に烙印がなされたのか。それはこの物語が始まったそのときからというようにも思えるし、もしくは本書の注釈のいくつかであきらかにされた事実により、さらに時間を遡ったところから始まっていたようにも感じられる。

 本来であればこの物語はセヴァリアンという拷問組合で育った少年の成長期と言いたいところなのだが、この4巻の展開にいたってはただ単に成長期とはいえない様相を示している。言い換えるのであれば、それは成長期というよりは進化とか変革という言葉のほうが相応しいであろう。ただし、とある少年の変革の物語といっても伝わりずらいであろうし、そのひと言だけで言い表されるものでもない。

 というように、全て読み終わって物語を納得できたというには程遠い。しかし、だからこそもう一度読まねばならぬ物語であると痛切に思える。こと細かく書かれた物語のほうが読みやすいのは当然ではなるのだが、このように読者を突き放すかのように描かれる物語というものにも奇妙に惹かれてしまう。これは一回や二回読んだくらいで理解できる物語ではないのだろう。できることなら生涯をかけて何度も読み返し、少しずつでも解明していきたい物語。そんな本である。




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