SF ラ行−ラ 作家 作品別 内容・感想

量子怪盗   The Quantum Thief (Hannu Rajaniemi)

2010年 出版
2012年10月 早川書房 新・ハヤカワ・SF・シリーズ5006

<内容>
 小惑星群にある監獄に幽閉された男、怪盗ジャン・ル・フランプール。そんな怪盗の前にミエリと名乗る少女が表れる。ミエリはジャンに、脱獄させる見返りにあるものを盗み出してもらいたいと言うのだ。その依頼を受けたはジャン・ル・フランプールは再び世に出ることとなり・・・・・・

<感想>
 怪盗対名探偵の戦いを描いたらしいのだが・・・・・・。ハードSFゆえか、世界観はあまりよくわからなかった(何ができて、何ができないのとか)。それでも物語はなんとなく理解でき、ファンタジックな内容といったところ。

 ただ、この作品で一番疑問に思ったのは、主人公の怪盗ジャン・ル・フランプールって、言うほど怪盗か? ということ。とりあえず怪盗と言ってはいるようだが、実際に怪盗なのか、何かそういった仕事をしているのかも不明。また、この怪盗が巷で有名なのか、どうなのかも不明。

 そして物語も何かを盗むという目的のはずが、結局主人公の自分探しに終始してしまっている。なんとなく、怪盗対名探偵っぽいことをしているような感じを表しつつも、怪盗自身が自分って何だったっけ? ということを模索していただけのような。変わった世界観のなかで主人公たちを表現するというのはいいのだが、そこで行われる物語については、もうちょっときっちりと書き込んでもらいたかったところである。


跳躍者の時空   Space-time for Springers (Fritz Leiber)

2010年01月 河出書房新社 <奇想コレクション>

<内容>
 「跳躍者の時空」
 「猫の創造性」
 「猫たちの揺りかご」
 「キャット・ホテル」
 「三倍ぶち猫」

 「『ハムレット』の四人の亡霊」
 「骨のダイスを転がそう」
 「冬の蠅」
 「王侯の死」
 「春の祝祭」

<感想>
 著者のフリッツ・ライバーって、「ファファード&グレイ・マウザー」のシリーズを書いた人だったのか。遠い昔にシリーズの何冊かを読んだ覚えがある。あとがきを読むまで全く気がつかなかった。

 本書はそういったファンタジー色のあるものではなく、いかにも奇想コレクションらしい作品の数々が掲載されている。中でも天才猫“ガミッチ”の冒険を描いた「跳躍者の時空」から「三倍ぶち猫」までの5作品が秀逸と言えるであろう。

 ハードSFを書く人が猫好きであり、ハードSFの視点で猫を描けばこんな風になるだろうという作品。ただ単に猫の日常を描くというだけでなく、唐突にSFらしい設定が出てきたりして、予想だにしない展開も楽しむことができる。

 ただ、「キャット・ホテル」と「三倍ぶち猫」の2作については、猫からの視点だけではなく、飼い主の視点もまじり、さらには何故か飼い主までもが不思議な力を持つように描かれており、このへんの展開は唐突すぎるという気がした。

 その他の作品については特筆すべきものがなかった。なんか、観念的というか抽象的な作品ばかりで、話に乗りきれないものばかりであった。書き方によっては「『ハムレット』の四人の亡霊」などは普通に良い話という感じになりそうなのだが、何故か普通の一作品として読み込みづらかった。

 あと、「春の祝祭」は男女が7の数字に関することを言い合うだけの作品なのだが、あとがきを読んでその作品の書かれた背景を知ると、なるほどと楽しむことができたりする。


ブラックジュース   Black Juice (Margo Lanagan)

2004年 出版
2008年05月 河出書房新社 <奇想コレクション>

<内容>
 「沈んでいく姉さんを送る歌」
 「わが旦那様」
 「赤鼻の日」
 「愛しいピピット」
 「大勢の家」
 「融通のきかない花嫁」
 「俗世の働き手」
 「無窮の光」
 「ヨウリンイン」
 「春の儀式」

<感想>
 この「ブラックジュース」というタイトルが奇妙にマッチしている幻想短編集である。本書は、著者の代表作を寄せ集めたものではなく、単行本「ブラックジュース」として出版された作品。それゆえに、本編のなかに「ブラックジュース」というタイトルの作品はなく、これはあくまでも全体を総称するようなタイトルとして付けられたものである。

 しかし、この<奇想コレクション>というものは、こういった微妙な絶妙さ加減を持った作家の作品を紹介するのがうまいといえよう。今までの作品群もそうであったし、今作についても同様のことが言える。
 本書は諸手を挙げて、良い作品であるとは決して言うことはできない。しかし、心の中に微妙に痕跡を残しそうな作品ばかりがそろっているのである。

 のっけから、刑罰によって底なし沼に沈められていく女性とそれを見送る家族を描く「沈んでいく姉さんを送る歌」が示され、奇妙な町でのテロリスト行為が淡々と描かれる「赤鼻の日」、象の集団のようなものが描かれている「愛しいピピット」、とにかく疾走し続ける「融通のきかない花嫁」、まるでイナゴの大群に襲われるような光景をもっとSF的に描いている「ヨウリンイン」などなど、とにかく奇怪ともいえる作品ばかりが語られている。

 これら作品群のどれもが、結末からすればなんとなく良い話で終わっているようにも思えるのだが、全部が全部あまり良い話と思えないように感じられてしまうところが「ブラックジュース」たるゆえんであるのだろう。

 とにかく、奇怪な幻想短編集を手に取りたいと思っている人ならば、必ず一読していただきたい作品である。


宇宙舟歌   Space Chantey (R. A. Lafferty)

1968年 出版
2005年10月 国書刊行会 SF<未来の文学>シリーズ

<内容>
 ロードストラム船長をはじめとする、宇宙船団の乗組員たちのさまざまな冒険を綴る一代絵巻。快楽の世界、巨人の闘う世界、人喰いの世界等々。かのホメロス「オデュッセイア」の舞台を宇宙に置き換えて繰り広げられるSF冒険譚。

<感想>
 宇宙の旅行というよりは、ガリバー旅行記のように地球上の奇妙なところを船乗り達が冒険するという感じ。と思えば、それもそのはず。元々この本は「オデュッセイア」という作品を元に宇宙史として描いたものであった。帯にも思いっきり書いてあったのに、見落としていた。とはいっても、「オデュッセイア」といわれても、その名をなんとなく聞いた事があるくらいという印象しかないのだが。

 本書は<未来の文学>の中ではわかりやすい作品であった。「オデュッセイア」という原作を除いてみれば、残るのは奇想天外な冒険譚。巨人と闘ったり、奇妙な“どーん!”ボタンというものを手に入れてカジノに挑んだり、全宇宙の調停者となったかと思えば、動物に変えられたりと、予想だにつかぬ、ありとあらゆる事を成し遂げる珍冒険小説となっている。なんといっても、その中心をなすロードストラム船長の単純ともいえる船乗り気質がなんともすばらしい。

「オデュッセイア」などと比較して深読みすれば、いくらでも検討事項は見つかるのだろうが、そういった難しい事は考えなくてもただ単に痛快な宇宙の旅を楽しめる本となっている。人によってさまざまな楽しみ方ができる本といえるだろう。


第四の館   Fouth Mansions (R. A. Lafferty)

1969年 出版
2013年04月 国書刊行会 <未来の文学>

<内容>
 新聞記者のフレッド・フォリーは、政界の大物が数百年前に実在した政治家と非常に似通っていることを発見し、同一人物ではないかと疑い始める。周囲から止められるのをよそに、謎を探り出そうとするフレッド。その件を追いかけてゆくと、政界に陰謀を張り巡らせている謎の超能力集団の争いに巻き込まれてゆくこととなり・・・・・・

<感想>
 最初は、ひとりの政治家の謎を追う物語として話が始まってゆく。するとすぐに、テレパシーにより精神世界で結びつき、人知を超えようとする集団たちの話にからめとられる。さらには、舞台が地球なのか、現代なのか、虚構なのかもだんだんわからなくなってゆき、謎の権力集団たちの争いが始まっていくという様相。

 のっけから話が分からなくなっていくのだがなにしろ、何が可能で、何が不可能なのかがよく分からないという世界観。陰謀を巡らす者たちは非常に大きな権力と力を有しつつも、何でもできるというわけでもなさそうであり、異分子であるフレッド・フォリーに対して、なかなかそれを排除できない様子。そうかと思えば、最終的には人知どころか、神の領域にさえ駆け込んでいくというようなステージへ上り詰めていってしまう。何でも“アリ”、というのと、何でも“可能”というのは、また異なることなのであろうか? その違いが理解しがたいところ。

 本書のあとがきを読んでみると、話の元が聖女テレサに関する内容を用いているようであり、その背景がわからないときちんと理解することができない話と捉えられる。旧約聖書や黙示録などからの引用もあるようで、それらを把握しなければ、何を書かんとしているかはとうてい理解できない内容のよう。ただ、摩訶不思議な感触を味わうといううえでは、読み手を選ぶことはないのかもしれない。考えるのではなく、感じる小説というところか。本当に内容を理解しようとすると、論文が書けそうな内容の小説。


とうもろこし倉の幽霊   Ghost in the Corn Crib and other stories (R. A. Lafferty)

2022年01月 早川書房 新・ハヤカワ・SF・シリーズ5055

<内容>
 「とうもろこし倉の幽霊」
 「下に隠れたあの人」
 「サンペナタス断層崖の縁で」
 「さあ、恐れなく炎の中へ歩み入ろう」
 「王様の靴ひも」
 「千と万の泉と情事」
 「チョスキー・ボトム騒動」
 「鳥使い」
 「いばら姫の物語−学術的研究−」

<感想>
 編者兼翻訳者である井上央氏が選出した R・A・ラファティの短編集。出版された年代順に作品が並べられている。

 ラファティ氏の作品は、そんなには読んでいない(二、三冊くらいか?)。そんないくつかの作品を読んだ中で、あまり作風が合わないな、と思い、読むのを遠ざけている作家の一人でもある。それが新・ハヤカワ・SF・シリーズから出ていたので、たまには読んでみようかなと思った次第。ただ、読んでみると、やはりあまり合わないなという感じ。

 何が合わないかというと(そんなにラファティ氏の作品を読んでいないので、ただの偏見かもしれないが)、あまりに無秩序的なところが合わないなと。超常現象が語られるのは、SFゆえに別にかまわないどころか、当然のこと。ただ、その超常的な事象が、何の意味もなく終わってしまうような作品が多々見受けられるような気がする。そんなところが、あまり好ましくはない。

「下に隠れたあの人」は、ある程度は意味のある物語だと思うのだが、入れ替わりを強調することなく、あっさり目に終わってしまっている。「サンペナタス断層崖の縁で」あたりが、象徴的な作品という感じで、話を広げるだけ広げつつ、最後にただしぼんで終わってしまうという感じ。「王様の靴ひも」も設定に意味がありそうで、結局のところ・・・・・・という感じで終わってしまう。

 そうしたなか「チョスキー・ボトム騒動」は、他とは異なり、話に意味を持たせていたように感じられた。作風がホラー・ミステリ風であったので、取っつきやすかったというだけなのかもしれないが、この作品は面白く読めた。

 と、そんな感じで、個人的には全体的に微妙という印象。といっても、ラファティ氏といえば、日本でも十分に有名な作家ゆえに、こういった作風が好きだという人が多くいるのだろう。好きな人は迷わず読めば良いであろう作品集といったところか。今後についても積極的にラファティ氏の作品を読む気はしないのだが、何かこういったレーベルに組み込まれる機会があれば手に取ることもあるかもしれない。


六つの航跡   Six Wakes (Mur Lafferty)

2017年 出版
2018年10月 東京創元社 創元SF文庫(上下)

<内容>
 クローン技術が発展し、人々が不死を得た世界。一隻の恒星間移民船が宇宙を漂っていた。その宇宙船は、2500人分の凍眠者と人格データを乗せており、未知の居住可能な惑星を目指し旅をしていた。宇宙船を操作するのは6人の乗組員とAI。しかし、その6人の乗組員が気が付くと、彼らは新たなクローンとなって甦る最中であり、何者かに元の体が殺害されたらしいのである。6人しか稼働している者がいないなかで、いったい誰が乗組員を殺害したというのか? そして、それぞれに秘められた6人の過去とは・・・・・・

<感想>
 宇宙船内で、6人の乗組員全員が殺害されているという事件に迫るSFミステリ。6人全員が殺害されているものの、クローン技術の発達により、生き返ることができた6人。しかし、それまで宇宙船で長らく生活してきたときのデータが保存されていなく、記憶は旅を始めたばかりのときに戻ってしまう。さらには、クローン機械が壊れており、今後死亡した場合は生き返ることができないという状況。

 そうしたなかで、現状把握、過去に何が起きたかの洗い出し、そして犯人探しといったことが行われる。なおかつ、乗組員たちは他の乗員のことについて何も知らず、各人の過去についても徐々に明らかになっていくように描かれている。

 SFミステリではありつつも、クローン技術における警鐘や問題点を描き出した作品というように捉えることができる。もし、近未来にクローン技術が発展し、一般の人々でも使うことができるようになれば、このようになるのではないかということが想像されているという感じ。最近のSFでは、AIによった作品が多いように思えたが、何気にクローン技術というものについても色々と考えさせられることがあるのだなと気づかされた一冊。

 物語の最後にとある機械が大活躍することになるのが印象的。絶望的なままで物語が終わってしまうのかと思いきや・・・・・・という感じで意外な幕引きの様子が描かれている。




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