SF ラ行−レ 作家 作品別 内容・感想

ソラリス   Solaris (Stanislaw Lem)

1961年 出版
2004年09月 国書刊行会 スタニスワフ・レム・コレクション(第1回配本)

<内容>
 海のみで構成された謎の惑星ソラリス。その探査ステーションに送り込まれた心理学者ケルヴィン。彼が到着したとき、そのステーション内には3人の人物がいるはずなのに、彼を迎えたのはスタウトという学者1人だけだった。彼が言うには、1人は死亡し、1人は部屋に引きこもっているというのだが、その話も全く要領を得ない。しかし、ケルヴィンはすぐにステーション内の異常を目の当たりにすることに。死んだはずの恋人が彼の目の前に実体として現われたのだ・・・・・・

<感想>
 これは考えさせられる小説である。海だけの惑星の謎とは? その惑星が人間に与える作用とは? ステーション内で見る幻覚はソラリスとどういう関連があるのか? などなど謎を挙げるだけでもきりがない。そしてこれらの謎が最後にいたって完全に結論付けられているわけではない。ゆえに、これを読んだ人はそれらについて考えさせられることとなる。

 本書は映画化されたり、さまざまな人によって評論されているようであるが、こうも本書が話題になるのは前述に述べたように、結論が付けられた物語ではないからであろう。本書を読む人によって、そしてその読み方によって、この内容から捉えられるものは如何様にも変ることになるはず。よって、読んだ人の数だけ“ソラリス”の物語は生まれ出るのだと考えられる。

 私自身は本書に対しての考え方を明確に表したり、結論付けたりすることはできないのだが、本書の持つ人工的な幾何学的ともいえる雰囲気はとても心地よいものであった。そして人によってはそこに“愛の物語”を見出す人もいるようなのだが、私にとってはそういった余計な感情は不必要なもので、もっと人工的で無感情な世界でのソラリスとのコンタクトを描いてくれたほうがなおのこと心地よいと思えたのだが。

 最近、ミステリーを読むよりも、こうした無機質なSFの世界のほうが心地よく感じてしまうことが多々ある。どうも年々SFの世界に入れ込みつつあるようなのだが、スタニスワフ・レムの作品群がひょっとしたらそういう感情を加速させてくれることになるかもしれない。


高い城・文学エッセイ   Wysoki zamek (Stanislaw Lem)

2004年12月 国書刊行会 スタニスワフ・レム・コレクション(第2回配本)

<内容>
 「高い城」

 (文学エッセイ)
 「偶然と秩序の間で 自伝」
 「SFの構造分析」
 「メタファンタジア あるいは未だ見ぬSFのかたち」
 「ツヴェタン・トドロフの幻想的な文学理論」
 「ドストエフスキーについて遠慮なく」
 「H・G・ウェルズ『宇宙戦争』論」
 「対立物の統一 ホルヘ・ルイス・ボルヘスの散文」
 「ロリータ、あるいはスタヴローギンとベアトリーチェ」
 「A&B・ストルガツキー『ストーカー』論」
 「フィリップ・K・ディック にせ者たちに取り巻かれた幻視者」

<感想>
 レムが幼少の頃を描いた自伝的小説「高い城」と文学エッセイがまとめられた作品集。

「高い城」はレムの幼少のころが描かれた作品ではあるが、大人になって成長してから思い起こすというような視点で描かれているように思われた(これが子供としての視点というのは成熟しすぎていると思われる)。よって、最初は子供の頃のことが書かれたものである故に児童文学のようなものを考えていたのだが、そんなことはなく、かなり難解な小説となっている。

 この「高い城」を読んでいて感じたのは、全編に渡ってやけに人間の匂いがしないということ。固有名詞はいくつか出てはくるものの、やけに孤独を感じさせられるものとなっている。また、両親が登場するものの、なぜか母親はあまり登場せず、ほとんど父親のみが扱われている(その父親の存在さえも記号のようではある)。そういった人づきあいの希薄さがこの作品(もしくは自伝としての)特徴の一つといえよう。

 また、“高い城”というのは、幼少の頃の視点からでは全てが高い位置にあるという単純な理由なのかと思っていたのだが、それ以外にも実際の地名であったり、追い求める理想であったりと色々な意味を持っているようである。

 エッセイに関してだが、最初に書かれている「偶然と秩序の間で」は自伝的内容を完結にまとめたものとなっている。故に「高い城」よりも完結にまとめられていて、レムの人生をたどる上ではこちらを読むほうがわかりやすい。よって、この「偶然と秩序の間で」を読んでから「高い城」を読んだほうが、より深く内容に踏み込むことができると思われる。

「偶然と秩序の間で」「SFの構造分析」「メタファンタジア」を読むとレム自身のSF作品の変容を読み解く事ができるようになっている。何ゆえレムが「完全なる真空」や「虚数」といった作品を書き上げる事になったのかがここに描かれている。

 あと、他にも文学エッセイが多々書かれているのだが、そのどれもこれもが難しい。特に私自身は読む本がミステリ小説に偏っているため、ここで取り上げられている作品のほとんどを読んでいなく、その内容についていくことができなかった。とはいえ、果たしてそれらを読んでいたとしてもついていくことが出来たかは定かではない。レムの描く文学エッセイはかなり敷居が高いようである、ということは理解することができた。


宇宙創世記ロボットの旅   Cyberiada (Stanislaw Lem)

1967年 出版
1976年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 「哲人『弘袤大師』の罠 −第一の旅−」
 「詩人『白楽電』の絶唱 −番外の旅−」
 「獣王『残忍帝』の誘拐 −第二の旅−」
 「竜の存在確率論 −第三の旅−」
 「汎極王子の恋路 −第四の旅−」
 「舞踏王の戯れ −第五の旅−」
 「コンサルタント・トルルの腕前 −番外の旅−」
 「盗賊『馬面』氏の高望み −第六の旅−」
 「トルルの完全犯罪 −第七の旅−」

<感想>
 読んでみて、びっくりした。これまでスタニスワフ・レムの作品というと、まともに読んだのが「ソラリス」のみであったのでそのイメージしかなかったのだが、この作品は普通のSFとは全く異なる作風。

 内容は宇宙のさまざまな星にでかけて援助や助言を行う宙道士という資格を持った者がおり、その中のトルルとクラパウチュスの二人による珍道中が描かれたものとなっている。この二人が巻き起こす騒動はまるでおとぎ話のようなもの。ただし、内容は当然SF風にアレンジされている。また、驚かされたのは内容がややアジアンテイストに描かれていること。レム氏は東洋に関する造詣が深かったのであろうかと、感じさせるような中身になっている。

 似たような内容の作品を思い起こしてみると、ジョージ・R・R・マーティンの「タフの方舟」あたりか。そのような感じで二人の優秀(らしい)なコンサルタントが各惑星の住民たちの悩みを解決してゆく。兵力増強、無類の猛獣を作り出せ、存在しないはずの竜退治、王子と姫の恋路の解決、王を満足させる娯楽の提供などなど。こうした悩みを二人の宙道士が依頼主の思惑とは関係なく、騒動を巻き起こしつつ収束させてゆく。

 おとぎ話のように、ということで何となく教訓めいているような、皮肉が込められているようなということがそこらじゅうに感じられるのだが、各惑星に起こる非喜劇を無責任に楽しむことができる。この作品を読んだことにより、スタニスワフ・レムに対する興味がずいぶんと高まった。レム氏の積読本が結構あるので、これはちょっと優先的に読んでいこうかな。


完全な真空    (Stanislaw Lem)

1971年 出版
1989年11月 国書刊行会 単行本

<内容>
 「完全な真空」 スタニスワフ・レム
 「ロビンソン物語」 マルセル・コスカ
 「ギガメシュ」 パトリック・ハナハン
 「性爆発」 サイモン・メリル
 「親衛隊少将ルイ十六世」 アルフレート・ツェラーマン
 「とどのつまりは何も無し」 ソランジュ・マリオ
 「逆黙示録」 ヨアヒム・フェルゼンゲルト
 「白 痴」 ジャン・カルロ・スパランツァーニ
 「あなたにも本が作れます」
 「イサカのオデュッセウス」 クノ・ムラチェ
 「てめえ」 レイモン・スーラ
 「ビーイング株式会社」 アリスター・ウェインライト
 「誤謬としての文化」 ヴィルヘルム・クロッパー
 「生の不可能性について/予知の不可能性について」 ツェザル・コウスカ
 「我は僕ならずや」 アーサー・ドブ
 「新しい宇宙創造説」

<感想>
 本屋へよく行くという人は、何度かこの書籍を見たことがあるのではなかろうか。そう言いたくなるくらいに、長らくの間絶版することなく、発売され続けている作品である。では、それほどまでに名作なのかというと、そういう理由ではなく、この作品が他に類を見ないほど変わった内容であるから、ここまで書棚に並び続けるのであろうと思われる。

 この作品は、実在しない本に対する書評集である。そう言われてもピンとこない人も多いであろうが、読んでみたところで実のところあまりピンとこない。大まかな内容については、序文とも言える最初の作品「完全な真空」にて説明されているので、それを読むのが一番早い。その後は、「ロビンソン物語」など、実際に描かれていない書籍を想像しつつ、それぞれの書評を行うという一大事業が行われている。

 おおざっぱにわけると、二つの流れを読み取ることができる。ひとつは実在する書籍に対して、その続編やパロディめいたものが描かれたことを前提に書評をするもの。もうひとつは、書評と言うよりも“論調”に対して思われることを、書評という形態をおって評論しているもの。

 前者においては「ロビンソン物語」や「ギガメシュ」などがあげられるのだが、一番書籍として興味深いと思えたのは「親衛隊少将ルイ十六世」。これは、ナチスの親衛隊将校たちが、戦後ドイツを脱出し、未開の地であるアルゼンチンの奥地へ逃亡し、そこで王国を再建しようとする話である。この内容そのものよりも、この設定を使えば、奇想系のミステリ小説を描くことができるのではないかと想像してしまった。できれば、島田荘司氏あたりに書いてもらいたいところ。

 他に興味深かったのは、内容がわかりやすい「あなたにも本が作れます」。本の作り方、書き方を解説した書籍ということなのであるが、今の世の中で似たようなものをちらほらと見ることができるような気が。

 それ以外にも興味を持てるものがいくつかはあるものの、基本的にほとんどが何が書かれているのかよくわからない。元々、書評というもの自体が難しいものであり、さらにそれが架空書評集というものにまでなれば、難解となるのはあたりまえのことか。とはいえ、本読みであれば書棚に飾っておきたい一冊であることは間違いないであろう。今後の人生のなかで、何度か繰り返し読むことになりそうな作品である。


捜 査   Sledztwo (Stanislaw Lem)

1959年 出版
1978年08月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 ロンドンにて、死体が何者かによって持ち去られるという事件が頻繁に起こっていることが発見された。ただし、その死体は少し離れたところで必ず発見されていたことから、最初は事件性が薄いと考えられていた。そうした事件が複数起こることによって、スコットランドヤードも放っておくことができなくなり、グレゴリイ警部補が主となって捜査にあたることとなった。しかし、グレゴリイは科学者であるシス博士が述べる超自然的な現象により死体が移動したという説が気になり・・・・・・

<感想>
 スタニスワフ・レムによる異色作・・・・・・と思いきや、実際にはこのような作品を数冊書いている模様。スタニスワフといえば、「ソラリス」などが有名であるが、通常のSF作品を想像してこの作品に取り組むと、思いもよらぬ様相を見せられることとなる。

 本書はタイトルの通り警察捜査が繰り広げられる内容となっている。事件は死体が移動するという事件。何者かが死体を持ち運ぶ途中で、何故か放置してしまうという事件が頻繁に起きていると思わせられる。その事件の真相にグレゴリイ警部が挑むのであるが、その捜査の途上が一筋縄でいかないのである。

 読んでいる方もスタニスワフの作品という事もあり、そしてハヤカワSF文庫から出版されているという事もあり、単なる刑事小説ではないだろうとつい疑ってしまう。しかも実際に作品の雰囲気は、モダンホラーのような様相を見せ、死体自身が勝手に動き回っているという仮説が提示される。しかし、刑事はその説をよしとせず、その仮説を提示した博士自身が事件に関わっているのではないかと疑い始めるのである。

 と、全編そうした怪しい雰囲気のまま話が進んでゆくものとなっており、どこに着地点があるのかわからないまま、まさにロンドンの霧の中をさまよい続けるような内容。決して優れた結末が待っているとはいえないものであるのだが、怪しい雰囲気を堪能できる不思議な小説となっている。


泰平ヨンの航星日記   Dzienniki Gwiazdowe (Stanislaw Lem)

1957年 出版
2009年09月 早川書房 ハヤカワ文庫SF<改訳版>

<内容>
 広大な宇宙を旅する泰平ヨンの活躍を描く航星記。

<感想>
 内容が簡潔すぎるが、このようにしか書き表しようがない。本書を読み始めた時には、宇宙版ドン・キホーテのように感じられ、ユーモアSF調の作品なのかと思った。しかし、先を読んでゆくと、政治や宗教、果ては進化についてと、それらにたいする思想が書かれた論評のように感じられるようになっていった。

 どうもこの作品、何度も改稿されているようで、その改稿に従い作品の本質が変わっていったようである。当初は冒険譚にように捉えられたようであるが、それが途中の改稿によってあとがき曰く“空想の未来における文的考古学の研究成果を中間発表するための論文集”というような位置づけになっていったようである。ようは、レムのメタ・フィクションとして有名な著書、「完全なる真空」「虚数」に並ぶものとなっているのである。

 そんなわけで、なんとも評価しがたい作品であった。宇宙船のなかに過去と未来の泰平ヨンが大勢集まって騒動を繰り広げる冒険とか、ロボットの国でのスパイ活動を描いた作品当たりなどは、冒険譚として読むことができて面白かったので、そうした内容のものが少なかったところが残念。というか、ようはレムがそういったわかりやすいものだけを書きたくなかったということなのであろうが。


泰平ヨンの未来会議   Kongres Futurologiczny (Stanislaw Lem)

1971年 出版
1984年06月 集英社 単行本
2015年05月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 地球の人口問題解決の討議のために開催される世界未来会議に出席することとなった泰平ヨン。その会議の最中テロが発生し、軍が鎮圧のために投下した化学爆弾の影響により、泰平ヨンは未来の世界へ紛れ込むこととなり・・・・・・

<感想>
「泰平ヨンの航星日記」につながる作品。つながるというか、“航星日記”自体がいくつものエピソードをまとめた作品集となっているので、本書もそのエピソードのひとつという形である。本書は一冊の本としては短めで、ひとつの短編としては長めという分量。

 今作では泰平ヨンが世界未来会議に出席することとなったのだが・・・・・・会議どころか、それがなんともいえない混沌とした様子で日常的にテロが起きているようなありさま。そうしたなか、当然のごとくテロと軍の争いのなかに巻き込まれ、とんでもない世界を体験することとなる。

 この作品では泰平ヨンが未来へと飛ばされる(?)こととなるのだが、その未来像が変わったものとなっている。未来へと飛ぶ前の現在の世界からすでに使用されているのだが、薬物を多用する世界が描かれているのである。薬物によって幻覚を見せられる泰平ヨン、そして薬物により平和な世界を維持することができるようになった未来、そして薬物により・・・・・・

 なんともブラックユーモアあふれるような内容であったのだが、あとがきを読んで、実はこの作品が全体社会主義の恐怖を描き出した作品でもあるということに気づかされる。町レベルくらいの実験的な話としてなら、すでにありそうな内容の話であるが、これを世界規模で考えてしまうところがすごいなと、ただただ感心。


虚 数   WIELKOŚĆ UROJONA i GOLEM XIV (Stanislaw Lem)

1973年、1981年 出版
1998年02月 国書刊行会 単行本

<内容>
 <序 文>

 『ネクロビア』 ツェザーリ・シチシビシ
  <序 文>

 『エルンティク』 レジナルド・ガリヴァー
  <序 文>

 『ビット文学の歴史』 第一巻 ジュアン・ランベレーほか
  <序 文>
  <第二版への序文>

 『ヴェストランド・エクステロペディア』
  <プロファーティンク>
  <見本ページ>

 『GOLEM ]W』
  <まえがき>
  <序 文>
  <注 意>
  <GOLEM就任講義 人間論三態>
  <第四十三講 自己論>
  <あとがき>

<感想>
 スタニスワフ・レムが書く、存在しない未来の書物への序文集。ゆえに、上記に作品名と著者名が記載されているが、どれも架空のものである(スタニスワフ・レムを知っている人であれば、そんなことはご承知のことであろうが)。

 もう既に“書物”という枠組みから飛び出してしまっている。「ネクロビア」は画像のようなものであり、「エルンティク」は細菌文学のようなものであり、「ビット文学の歴史」は人間以外のものによる作品、「ウェストランド・エクステロペディア」は未来予測が可能な百科事典、「GOLEM ]W」は意志を持ったコンピュータによる講義の様子が描かれている。

 と、ざっとそれぞれについて簡潔に述べてみたが実際にそれらが合っているかどうかはわからない。「エルンティク」などは、日本の漫画「もやしもん」を読んだスタニスワフ・レムが感じたものを序文として描いた・・・・・・と想像してみたが、それは的外れが過ぎるかもしれない。

「ビット文学の歴史」に関しては、人外のものということでエイリアン文学のようなものを期待したのだが、終始“コンピュータによる”というような内容のもので、やや期待外れ。とはいえ、書かれた年代を考えれば大したものなのは間違いない・・・・・・というか、当時ほとんどの人が理解できそうもないものを書いていたのではないかと。

 やはりなんといっても凄いと感じてしまうのは「GOLEM ]W」。これは今の世(2019年4月に読了)であれば、すかさず誰もが“AI”によるものと想像の羽根を広げてゆくこととなるであろう。これに関してはレムが50年以上も時代を先取りしていたのではと感じずにはいられなくなる。そしてそこに登場する“GOLEM”を待ち受けていた結末についてもなんとも言えないものが・・・・・・


短篇ベスト10   Antologia Wedlug Czytelników (Stanislaw Lem)

2015年05月 国書刊行会 スタニスワフ・レム・コレクション(第5回配本)

<内容>
 「三人の雷騎士」
 「航星日記・第二十一回の旅」
 「洗濯機の悲劇」
 「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」
 「ムルダス王のお伽噺」
 「探検旅行第一のA(番外編)、あるいはトルルルの電遊詩人」
 「自励也エルグが青瓢箪を打ち破りし事」
 「航星日誌・第十三回の旅」
 「仮 面」
 「テルミヌス」

<感想>
 スタニスワフ・レムの作品のなかからポーランドにて読者投票で15編が選ばれ、そのうち未訳作品である10編を集めた日本オリジナル短編集とのこと。この選出についてなのだが、単体の企画であれば、このような選出でもよいと思うのだが、“スタニスワフ・レム・コレクション”と銘打ったなかで、この選出はどうなのかと思ってしまう。「航星日記」とか「泰平ヨン」あたりは、それのみで作品として固めてしまい、ノン・シリーズ短編のようなものを全部ひとまとめにして、出してしまってもいいのではと思われた。ただ、レムのノン・シリーズ短編がどれぐらいあるかはわからないのだが。

 と、それはさておき、スタニスワフ・レムの短編集ということであるが、いかにもレムらしい内容のものが集められている。神の視点から見ているような作品があったり、くだらない事をなんやかんやと討論し、いつの間にかとてつもない時間や事象が流れまくるというようなものなど。

 何気に、このレムの作品を見ていると、実はどれもユーモア小説というような内容なのではないかと感じてしまう。ただ、それを壮大に難しく扱っているがゆえに、わかりにくい小説にはなっているものの、その根底にあるのはユーモアや冗談であるような気がする。それが顕著に表れているのが「洗濯機の悲劇」ではなかろうか。

「仮面」という作品を読んで思ったのは、これはスタニスワフ・レムが描いた恋愛小説なのではないかということ。この作品はちょっと他の作品と毛色が違うような。ただし、いかにもレムが描くと恋愛小説もこんな具合になってしまいますよというような固めの作風がなんともいえない。


天の声・枯草熱   Glos Pana / Katar (Stanislaw Lem)

2005年10月 国書刊行会 スタニスワフ・レム・コレクション(第3回配本)

<内容>
「天の声」(1968年)
 宇宙から発せられるニュートリノ粒子波を異星人からのメッセージとみなし、それを解読しようという試みがなされる。それはマスターズ・ヴォイス計画と呼ばれ、その計画に関わった数学者ホガーズ博士が手記により当時の出来事を語りつくす。

「枯草熱」(1976年)
 イタリアで原因不明の怪死事件が頻発する。その事件の謎を探るべくアメリカ人の元宇宙飛行士が現地へ出向き調査する。すると、その宇宙飛行士も原因不明の異常な出来事に巻き込まれることとなり・・・・・・

<感想>
 積読となっていた作品。今となっては、スタニスワフ・レム・コレクションの第2弾が出てしまっているが、まだこちらのコレクションを読み切っていないので、そちらには手を出す暇もなく、購入は見送っている。

 この第3回配本には、二つの長編作品が収められている。「天の声」と「枯草熱」。

「天の声」のほうは、読みにくい。レム作品らしい、読みにくさという感じ。また、主題がわかりにくい。異星人のメッセージを解読するという試みがなされる様子を描いているのだが、そもそもそれが本当にメッセージかどうかもわからないところであり、何をもって成功とするのかどうかさえ五里霧中という試み。それゆえか、最初からすでに、この計画は失敗に終わっているが・・・・・・という前提で始まっている。

 そんな感じの内容なので、話自体も分かりにくいというか、そもそも物語とも言えないもの。なんとなくではあるが、異星人のメッセージを読み解くという行為によって、現段階での人類の限界を確認できるという様相が描かれているように思われた。


 この作品のなかではもう一つの「枯草熱」のほうが、内容を理解しやすい。最初のパリまでの旅立ちの様子については、よくわからなかったのだが、パリについてからの捜査活動については、興味を惹かれる内容となっている。各地で起きる不可解な死の理由を突き止めるという内容。一見、途方もない話のように思われるが、この内容に関してはしっかりとした結末が付けられるものとなっている。

 主人公の旅路と彼の行動については、なんとなく偶然性というか不思議な事象もみられたものの、事件そのものについては、超自然的な内容ではなく、しっかりと不確定要素のない事件として収束されたところは良かった。あくまでも漠然とした印象ではあるが、SF系刑事もののというような感じで読むことができた。


砂漠の惑星   Niezwyciezony (Stanislaw Lem)

1964年 出版
1977年12月 早川書房 ハヤカワ文庫SF
2006年06月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(新装版)

<内容>
 宇宙船“無敵号”は砂漠の惑星に降り立つ。この惑星にはかつて宇宙船コンドル号が到達していたはずなのだが、後に消息を絶ってしまった。事態を調べるため、“無敵号”の乗員たちは、惑星探査を始めてゆく。そして彼らはコンドル号の残骸を発見するものの、生存者を見つけることはできなかった。いったいこの何もない惑星で、何が起きたというのか!?

<感想>
 これはレム作品のなかでは読みやすい部類の作品。中身に関してもわかりやすいテーマとなっている。ある種の異星人とのコンタクトものというような作品である。

 とはいえ、普通のSFのような異星人とのコンタクトが描かれているような作品ではない。探査する者たちは、以前の調査しに来た者たちがどのような目にあったのか、そして今この惑星では何が起きているのかということを調べつつ、何もないはずの惑星で起こる事象の恐怖と戦ってゆくこととなる。

 本書で印象的な言葉は「この宇宙全てがわれわれ人間のために存在しているように考えるのはまちがいだ」というもの。宇宙で起きるのは、決して人類にとって都合の良いコンタクトではなく、人類の想いなどは尻目に、勝手な法則で事象としてただ働き続けているのである、ということを体現するような作品となっている。なんとなく、地球上で人類が天災による災害に翻弄されているかのように、宇宙では遙かにスケールの大きい事象により、なおさら翻弄されてゆくという姿が描かれているようである。


エデン   Eden (Stanistaw Lem)

1959年 出版
1987年11月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 地球から旅立ち、惑星エデンへと調査に向かった6人の科学者を乗せた宇宙船が着陸に失敗し、惑星の大地にめり込むような形で不時着してしまう。なんとか体制を立て直しながら現地調査を行っていく6人であったが、そこで文明を感じさせる工場などの痕跡を発見することに。さらには何者かが、彼らにコンタクトをとってきているような気配がするものの・・・・・・

<感想>
 レムの作品である「砂漠の惑星」と同様、未知の惑星での異生物との接触を描いたもの。ただ、この作品に関しては色々とわかりづらかったという感触であった。

 異生物らしきものが出てきはするものの、なかなかコミュニケーションがとれず、もやもやした状態のまま話が進められてゆく。最後の最後になってようやくコミュニケーション行動がとれるようになるのだが、それを中盤くらいでやってもらいたかったところ。

 本書に関してだが、ひょっとすると、そういった異生物とのコンタクトを描きたかった作品ではなく、文明の成れの果てを描き表そうとした作品と捉えられるような気もする。あえてはっきりと断定して書いてはいないものの、その惑星で地球人たちが見るものは、何らかの末に文明や文化が破綻し、その痕跡のみが残されている星の様子を表しているように思われる。また、登場する異生物らも、ひょっとすると文明の成れの果ての末にはこうならざるを得なかったという体系を表していたのかもしれない。




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