ロバート・J・ソウヤー 作品別 内容・感想 (Robert J. Sawyer)

ゴールデン・フリース   Golden Fleece (Robert J. Sawyer)

1990年 出版
1992年11月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 宇宙船“アルゴ”は地球の人々を乗せて、47光年かなたの惑星コルキスを目指していた。宇宙船の中はコンピュータ“イアソン”が完璧に制御しているのであったが、地球から離れて2年が経ち、惑星コルキスへ到達するのはまだまだ先で、船内の人々の精神は徐々に不安定になってゆく。そんな中、船内で事故が起こり女性科学者の一人が死亡する。彼女と離婚したばかりの元夫のアーロンはその死に不穏なものを感じ、単独で調査へと乗り出していくのであるが・・・・・・

<感想>
 本書がソウヤーの処女作であり、後の作品と比べれば荒が目立つような気もするが、それにも増して見るべきポイントの多い優れた作品であったと感じられた。

 そのポイントとなる部分をいくつか挙げてみると、ひとつは知能を持ったコンピュータについて。この作品では、なんと語り手が人工知能によるコンピュータという設定となっている。そのコンピュータの視点により物語が語られてゆくものの、これがなんとも薄気味悪いものとなっている。というのは、意思を持ったこのコンピュータが船内の全てを支配しており(しかも人間に気づかれることなく)、人々の生殺与奪も含めた全てがコンピュータ次第というようにもとれるのである。

 ただ、そのコンピュータにも制約はあり、後半になるといくらコンピュータといえども全能ではないということに気づかされることになる。

 他に注目すべき点は、宇宙船による他の惑星への探索について。本書に登場する宇宙船は何年もの時間をかけて他の星へと旅をしている途中であるのだが、その間宇宙船内では、いまから地球へ戻ろうという動きが高まりつつある。多くのSF小説で語られている通り、地球から出た宇宙船内での時間と地球での経過時間とでは差が生じることとなる。ゆえに、旅に出た宇宙船が地球へと戻ってくる頃には、地球ではかなりの時間が経過し、まさに“浦島太郎状態”になってしまうのである。

 さらに、宇宙船の中でひとりひとりの乗員に役割が与えられているというわけではなく、何もしないで船内で過ごすということ事態に苦痛を感じ始める人々が徐々に出始めてくるという事も語られている。

 一見、夢のある惑星探索の旅であるはずが現実には乗員レベルでさまざまな問題を抱えることになる可能性があるということが本書では浮き彫りにされている。

 また、こういったことの他にも、他の宇宙人との通信による接触、宇宙船内で起きた殺人事件の真相、そしてこの宇宙船が旅をする本当の目的などと、色々な事柄がこのわずか300ページの中に凝縮された作品となっている。

 これはソウヤーの作品の入門書としても持って来いの作品と言えるだろうし、SF作品の入門書としても最適といえる本である。さらには、ミステリーファンにも必見のSFミステリーの傑作品とも言えよう。


さよならダイノサウルス   End of An Era (Robert J. Sawyer)

1994年 出版
1996年10月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 考古生物学者のブランドン・サッカレーは、同じく学者のクリックスと共にタイムマシンに乗って五百万年前の白亜紀へと旅立つこととなった。彼らはそこで“恐竜が何故滅びたのか?”という謎の真実を見出そうとする。彼らが五百万年前の地に降り立ったとき、驚くべきものを目にすることに!

<感想>
“恐竜が何故滅びたのか?”という問題をSF的設定によって解明を試みた野心作である。

 この問題について私の知っている限りでは、隕石が落ちたとかどうたらこうたらとかいう定説があったように思えた。しかし、作中ではその説に対する矛盾点をいくつも述べることによって否定している。この作品に書かれていることが正しければ、現在では恐竜が滅びた理由というのは、未だあいまいなままという事のようである。

 この謎に対して、今までわかっている事象から矛盾のない解決を用いようとしてソウヤーが描いたのがこの作品ということである。ただ、それにしても・・・・・・ものすごいアクロバット的な解決というか、ここまでやるかというか・・・・・・絶対学会では認められない説だろうな。さすがSFならではの話である。とはいえ、その説に対しての説得感があるのは間違いなく、この説を採りたくなってしまう気持ちも湧き上がってきてしまうのだから困ったものである。

 本書はタイムマシンを用いての時間旅行ものであるのだが、恐竜に対する説に力を入れたためか、ほかの部分はやたらと手を抜いているようにさえ思えた。過去へ遡る人選の問題とか、それに取り組むプロジェクトもあいまい。また、古代に来て車を乗り回し、猟銃をぶっ放すというのも、ぶっ飛んだ発想に思える。確かにアクションもの、サスペンスものとしての面白さを強調しているのはわかるものの、精密で繊細なる時間旅行とは程遠いものと感じられた。

 とはいえ、恐竜に対する解釈について力の入ったものになっているのだから、それだけでも十分といえよう。多少強引でもそれなりに筋の通ったSF作品として見ることができるので、コアなSFファンに対してもゴリ押しで満足させてしまうような気がする。


ターミナル・エクスペリメント   The Terminal Experiment (Robert J. Swayer)

1995年 出版
1997年05月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 医学博士のピーター・ホブスンは、かつて若き日に臓器摘出手術を目の当たりにしたときから、生と死の境界線というものについて考えるようになった。そして彼は、研究の末、人が死に行くときに魂が抜け出ていく様子を測定することに成功した。魂の存在を目の当たりにしたピーターは、次に三つの条件を設定した自分の脳の複製をコンピュータ上に作り出した。その成長過程を見続けていったとき、コンピュータ上の知能が、自我を持ち、勝手に行動をし始め・・・・・・

<感想>
 なんとなく、SF社会派サスペンスとでも呼びたくなる作品であった。というのも、主人公が医師見習であった時期に臓器摘出の手術を見て、人の死の境界というものの曖昧さを目の当たりにし、そこから主人公は、はっきりとした死の境界というものについて考え続けて行くことになるのである。そういった展開であることから、SFの要素を差し引けば、社会派ドラマ風であるなと感じられたのである。

 そして主人公は、発達した測定装置を用いることによって、人が死ぬ際に魂が抜け出て行く瞬間の観測に成功する。

 と、ここまではひとつのパートとしてよいと思うのだが、私にとっては、この前半における考え方と、後半に展開される別の研究とがうまく結びついてくれなく、それがどうも不連続な印象を受けることとなった。

 後半では、主人公が自分の脳の複製をコンピュータ上に展開させ、その発達具合を観測していくというもの。魂というものの実体を観測できたがゆえに、肉体ではない別の場所に魂というものを展開できるのかという考え方はわかるのだが、それでも前半と後半の思想が綺麗に結びついているという風には思われなかったのである。

 ただし、そういった私自身が不満に思った部分をのぞけば、後半はサスペンスフルな展開を楽しむことができる内容となっている。暴走するAIとそれを食い止めようとする女警察官。後半へ来て、ようやく冒頭の部分と物語が結びつくことになる。そして、結末のつけ方も、決して崩壊というありきたりなもので終わることなく、未来への可能性を示唆するものとなっている。これはSFサスペンス小説として、十分に楽しむことのできる作品であった。

 予断をひとつ述べると、この物語というのは一言でいうと、“中年夫婦の離婚の危機を避けるためだけに、その他大勢の人々を犠牲にした話”という気がした。そして、結末を見るとまさに“大山鳴動して鼠一匹”というような・・・・・・


スタープレックス   Starplex (Robert J. Sawyer)

1996年 出版
1991年01月 早川書房 早川文庫SF

<内容>
 探査宇宙船スタープレックス号は地球人のキースを船長とし、異種族が混在するスタッフを乗せて調査へと旅立った。彼らは宇宙を自在に行き来することができる通路、ショートカット付近にて謎の物体を発見する。その発見がやがては未知なる異性人とのコンタクトへと発展して行くことに・・・・・・

<感想>
 ひと言でいえば、“異性人との接触”を描いた作品と言えるのだが、そこには様々な要素が詰め込まれている。

“異性人との接触”を描いたと書いたのだが、本書ではそれが地球人の最初の異性人とのコンタクトというわけではない。すでに銀河系内における様々な種族と邂逅しており、その様々な種族の者たちが宇宙船に乗り込んでチームを作っている。本書での見所のひとつは、宇宙船内での異種族間の共同生活にあると言えよう。異種族同士であるがゆえに、彼らは姿形だけでなく生活様式から考え方までが全く異なるものとなっている。そうした中で、お互いにどう折り合いをつけて生活していくかという事がとても興味深く描かれている。

 また、“異星人との接触”というものにおいて“ダークマター”というどこかで聞いた事のあるような物がキーワードとなっている。そのキーワードを元にどのような形で異星人とのコミュニケーションが図られるのかという事は是非とも本書を読んで確かめてもらいたい。

 そしてさらには、その異星人の存在を用いて宇宙における神秘のいくつかを解き明かそうともしているのだから、ハードSFとしても見ごたえ十分である。

 本書はジャンル的に言えば、ハードSFになると思うのだが、そこに異種族同士のコミュニケーションを踏まえる事によって、とっつきやすい小説になっていると言えよう。SF初心者の私でも楽しく読むことができるのだからこれはお薦めである。といっても、ソウヤーが描く本であれば、たいていのものはお薦めと言えるのではあるが。


フレームシフト   Frameshift (Robert J. Sawyer)

1997年 出版
2000年03月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 ピエール・タルディヴェルは18歳のときに、自分がハンチントン病の遺伝子を受け継いでいる事を知る。ハンチントン病は高い確率で発症し、その後必ず死に至るという不治の病であった。その後、学問に集中し始めたピエールはヒトゲノム・センターに勤務し、遺伝子の研究を続けていた。そんな中、ピエールは心理学者であるモリーに惹かれ、付き合い始める。そしてある日、ピエールはネオナチの暴漢に突如襲われ、危うく命を落としかけることに。いったい自分の身に何が起きたというのか・・・・・・

<感想>
 本書は今までのソウヤーの作品から比べると大きく異なる内容で、SF小説からは少し離れたものとなっている。大雑把に言ってしまえば遺伝子を扱ったサスペンスミステリ作品といったところである。

 内容は不治の病に冒されている可能性のある主人公がその運命と必死に闘おうとしているところに、予想だにしないネオナチの影が見え始めてくるというもの。作品の冒頭でナチスドイツのユダヤ人虐殺の場面が描かれているものの、その後のピエール・ラルディヴェルを主人公とした物語のなかでは、全く関係がないように見え、それらがどのように話にかかわってくるのかというのがポイントとなっている。

 序盤は物語の展開としては退屈である(それでも読みやすい小説であることは確か)。基本的にひとりの学者の苦悩と人生が描かれたものとなっており、普通の理系小説としか言いようのないものである。

 しかし、後半へと行くに従い、かつてのナチスの亡霊の正体を暴こうとする試みや、他にも予想だにさせぬような展開がいくつも待ち受けており、終盤はあっという間に読み終えてしまうほどのリーダビリティを持っている。まさしくすごい事を考え、すごいことをやるとしか言いようがない作品である。

 最初にSF小説ではないと言ってしまったので、中にはそれで興味がなくなってしまった人もいるかもしれないが、理系ミステリとしてかなり面白い作品なのでそこは一度手にとってもらいたい。まぁ、ソウヤーの作品が全て面白い事は周知であるので、いまさらこんな事は言わなくてもよいのかもしれない。ただ、ソウヤーの作品を読んだ事のない人は、SFとか理系ミステリとかいったジャンルに関係なく、一回手にとって読んでもらえればと思っている。本書もお薦めの一作である。


イリーガル・エイリアン   Illegal Alien (Robert J. Sawyer)

1997年 出版
2002年10月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 人類は初めてエイリアンと遭遇した。四光年あまり彼方のアルファケンタウリに住むトソク族の滞在する施設で、地球人の惨殺死体が発見されたのだ。片脚を切断し、胴体を切り裂き、死体の一部を持ち去るという残虐な手口だった。しかも、逮捕された容疑者はエイリアン・・・・・・世界が注目するなか、前代未聞の裁判が始まる!

<感想>
 SF作品はまだそうたくさんは読んでいないのでよくよく考えてみれば、“未知との遭遇”ものは初めて。よって、物語の冒頭でのファーストコンタクトはなかなか刺激的で楽しむことができた。

 このエイリアンとのコミュニケーションがいろいろと語られるのかなと思いきや結構はやい段階で殺人事件へと移行する。物語の大部分が人が殺された後のエイリアンの容疑に対する法廷関連の場面にとられている。しかし法廷場面などが大半といってもそれらの部分が非常にわかりやすく書かれていて、これについては感心してしまった。法廷場面だけではなく当然エイリアンを裁くのであるから、SF的なエイリアンの文化、形態、生息場所等が描かれているのだがこれらも非常にわかりやすい。

 またミステリ的な意外性もあれば、殺人が行われた動機なども設定が生かされて十分に納得のいくものとなっている。これはSFファンのみならず、ミステリファンでも必見の一冊であろう。

 私はソウヤーの作品を読むのはこれが初めてなのだが、今年はこのソウヤーの作品にかかりきりになってしまうかもしれない。


フラッシュフォワード   Flashforward (Robert J. Sawyer)

1999年 出版
2001年01月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 ヨーロッパ素粒子研究所(CERN)にて大規模な実験が行われた。その実験が行われた瞬間、研究員達は時を同じくして2分ばかりの奇妙な光景を見ることに! それはどうやら20年先の未来の風景であったようなのだ。そしてその現象はCERN内部だけではなく、全世界の人々が同様の光景を目撃したと・・・・・・。 後にこの事件は“フラッシュフォワード”と呼ばれるようになる。

<感想>
 研究所で行われた実験により一瞬だけのタイムスリップが発生するという話なのだが、そのタイムスリップが世界規模で行われるというのだから発想がすごい。そしてそのタイムスリップ事件“フラッシュフォワード”が起きた後、物語は3つの視点によって進行されていく。
 1.“フラッシュフォワード”後の世界の動向
 2.“CERN”職員たちの動向
 3.20年後までに殺されているということを知った研究員テオの調査

 しかしなんといっても本書において圧巻なのは、世界レベルの動向であろう。“フラッシュフォワード”によって起きた死亡事故についての調査から、何ゆえ未来が見えたのかという検討。これがニュースという形式によって、各地の状況が伝えられていくという手法には感心してしまう。しかも、未来に起こりうることや、検討される事項が妙にリアリティを持っている事に感心させられてしまう。また実在の人物を拝借して未来の動向が描かれている部分もあるが、このへんはご愛嬌といったところか。

 それに平行して殺人事件の調査がなされていくのだが、この部分は“タイム・パラドクス”の問題に関連する。死ぬべき者が死ななかったらどうなるのか、または生きるべき者が死んでしまったらどうなるのかといったことなどについても考えられている。

 こういったことも含めて、本書では“フラッシュフォワード”の現象に対してあますことなく細部まで練りこまれている。この練りこまれ方に対して、何か擬似的なリアリティのようなものを感じ取ることができ、それが本書のなんともいえない魅力となっているのである。

 SFでありながらもサスペンスとしても優れている内容には感心させられるばかり。そして何よりも本書が優れていると思えるのは読者の想像力を誘うという点である。自分がその場にいたらとか、未来は実際どのようになっているのかなどと本書を読んで色々と考えさせられる。これは非常に興味深い本といえるだろう。SF作品ゆえに知らない人も多いのではないかと思うのだが、ぜひとも多くの人たちに読んでもらいたい本である。


ホミニッド −原人−   Hominids (Robert J. Sawyer)

2002年 出版
2005年02月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(ネアンデルタール・パララックス1)

<内容>
 カナダの地下研究所、そこでニュートリノの観測を行っていると突如、重水タンクの中に人間が現れた。どこにも入口などないはずなのに。溺れている者を助けてみると、明らかに人類とは異なる容姿をしており、まるでネアンデルタール人がよみがえったかのようであった。実は彼はクロマニヨンが絶滅し、ネアンデルタールが進化したという並行世界からやってきたのであった。彼が突如消えてしまった世界では、同僚の研究者に殺人の嫌疑がかかり、裁判が行われることとなり・・・・・・

<感想>
 いや、よくこんなこと考えるな、という内容。今の人類ではなく、ネアンデルタールが生き残り進化したらどうなるかという世界を描いた作品。しかもその並行世界のネアンデルタールが現代に突如現れてしまう。

 しかし、ソウヤーの今までの作品を読み続けていると、本書が目新しいとは感じなかった。というのも設定は違えど「イリーガル・エイリアン」と内容がだぶっているところがいくつかあるからだ。「イリーガル」での異星人という設定をネアンデルタールに置き換え、また「イリーガル」でのメインとも言える裁判も本書において異なる形で行われている。というわけで、ある種ソウヤーらしい作品であると言ってしまっても過言ではない。

 ただし、本書は3冊のシリーズものの1冊であるというところが大きなポイント。よって、この作品だけで全体を判断してしまうのは間違いであろう。実際に、今後の伏線ではないかと思われる設定がいくつか見受けられた。一応、本書でこの物語はある程度の結末がついているのだが、2巻3巻と続くことによって、さらなる驚きがもたらされるに違いない。気鋭の作家、ソウヤーが描く大作ゆえに続刊も期待して読んで行きたい。


ヒューマン −人類−   Humans (Robert J. Sawyer)

2003年 出版
2005年06月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(ネアンデルタール・パララックス2)

<内容>
 無事にネアンデルタールの世界へと帰ることのできたポンター。しかしポンターは自分の世界と異なる文化を持つ異世界との交流を強く願い、特使として再び人類の世界へと旅立つことに。一方人類の世界ではポンターと別れることとなった遺伝学者のメアリも彼との再開を願っていた。そうして人類の世界へとやってきたポンターとメアリは再開することとなるのだが、二人の間にとある事態が持ち上がることとなり・・・・・・

<感想>
 前作にてネアンデルタールと人類の世界がつながり、今作ではそのつながりを恒久的なものにしようとする動きが出て、それが実現することとなる。

 今作を読んで感じたのは、SF的な内容よりも、異なる世界間での文化的な違いを検証していくという内容が強調されているということ。あとがきにも書いてあったのだが、それはまるで異なる世界の住人の目を用いて現代の社会のありようを批判しているようにさえ感じられるのである。ある意味、社会派SFといった雰囲気であった。

 また、それとは別に本書を読んで感じたのは、読みやすいものの内容が薄いように思えること。前作「ホミニッド」を読んだ時はまだ三作中の1冊ということもあり、あまり気にしなかったのだが、2冊目を読んでこの密度というのはいささか内容が薄いのではないかと感じてしまう。前作の最初に起こるメアリのレイプ事件についても、なにか遺伝子的な仕掛けが今後用いられるのかと思っていたのだが、2作目を読んだ限りでは社会倫理的な面のみで終わってしまったように思える。これらも含めてSF的にはいささか不満が残るところ。

 と言いつつも、まだ残り1作があるので、今後の展開がどのようになるのかはまだわからない。ひょっとしたら、その1作でこれまでの不満が全て払しょくされるということも十分にありえるだろう。全ての期待を第3巻の完結編にかけて熟読したいと思っている。


ハイブリッド −新種−   Hybrids (Robert J. Sawyer)

2003年 出版
2005年10月 早川書房 ハヤカワ文庫SF(ネアンデルタール・パララックス3)

<内容>
 ネアンデルタールの物理学者ポンターと人類の遺伝学者であるメアリは互いに惹かれ、二つの世界を互いに行き来するうちに結婚することを真剣に考え始めた。さらにはメアリは子供を欲しがったのだが、染色体の違いから妊娠は不可能と思われた。しかし、それを解決する手段がネアンデルタールの世界では非合法でありながらも可能性を見出すことができた・・・・・・のだが、その解決手段がネアンデルタールの世界に思わぬ災厄をもたらそうとすることとなり・・・・・・
 三部作、完結編。

<感想>
 あれ? これだけで終わっちゃうの?? という感慨が強かった。気鋭のSF作家ソウヤーの大作なだけにちょっと期待が大きかったのかなと。

 三部作の最終巻を迎え、今まで伏線をはってきた事項が色々と解決されてゆくのかと期待していたのだが、SF的な要素として一番大きな地球の磁場の崩壊に対しては、びっくりするほどあっさりと片づけられていた。これって、本書のかなり大きな要素のひとつのはずだったのに。

 本書にもそれなりの見どころはあるものの、3部作として期待するような見どころではなかったかなと。結局のところ、あとがきの言葉を用いれば“文明批判”ということのみで終わってしまったようにしか思われない。

 私見ではあるが、たぶん作者は現代の地球環境を見渡したときに、なんて取り返しのつかない状況に陥っているのだろうと感じたのではないだろうか。それでは昔の地球の状況を取り戻すにはどうすればよいか? タイムスリップか、新たな惑星を見出すか、エイリアンの力を借りるか、もしくはパラレルワールドか。ではパラレルワールドを用いた時に、どのような形の世界であれば素直に公害の少ない、自然と文明とが調和した姿を表すことができるのか。そこで現在の人類よりもおだやかではなかったかとされるネアンデルタールによる文明というのを構築していったのではないだろうか。

 出発点としては、環境が先か、ネアンデルタールが先かはわからないが、道筋としてはそんなに外れていないのではなかろうか。そしてネアンデルタールによる世界を構築して、その世界と実在の世界を比較し、現代の文明のありかたというものを考え直していると、そんな風にとらえられた。

 本書だけ取り上げても、言いたくなることはたくさんある。特に思うのはこの最終巻のタイトルが“新種”ということなのだが、それらしいところが全くないのが残念。いっそうのこと、2巻と3巻の年代を思い切って、数十年後くらいにしてもよかったのではないだろうか。結局、劇的な変化がないまま1巻から3巻まで淡々と続けられたようにしか感じられなかったので、もうちょっと見どころが欲しかった。

 現代に生きるものとして、現状の世界について色々と考えさせられることは確かであるが、できればもう少しSF作品として楽しませてもらいたかったという思いが強く残った。


占星師アフサンの遠見鏡   Far-Seer (Robert J. Sawyer)

1992年 出版
1994年03月 早川書房 ハヤカワ文庫SF

<内容>
 恐竜キンググリオ一族の少年アフサン。彼は宮廷占星師見習いとして日々勤しむ中、一族の通過儀礼となる巡礼の航海へと出発することに。その航海のなかで、師から渡された遠見鏡により、アフサンは一族が気づかなかったタブーとも捉えられる、世界の真実に触れることとなり・・・・・・

<感想>
 長らくの積読本。他のソウヤーの作品はすべて(たぶん)読んでいるのだが、これだけ残したままにしていた。何故かというとこの作品、三部作の一作目となっているから。それならば、全て出版されてから読めばいいやと思っていたのだが(ちなみに本国ではとっくに三部作が完結している)、いつまでたっても2作目以降が翻訳されなかった。そんなわけで後回しとなり、なおかつ読む機会も逃していて、今日にいたったという次第。

 この作品、読んでみてびっくり。なんと、文明を持った恐竜の世界を描いたものとなっている。そんな恐竜の少年が主人公となり、世界の真実に迫るものとなっている。いわゆる、ガリレオ・ガリレイの様相を違った形で表した作品という感じになっている。

 全体的に非常に読みやすく、面白かった。実は、恐竜を主人公と言うことを除けば、いかにもありがちなファンタジー小説と捉えることができなくもない。また、事の流れが起きるスピードがいささか速すぎていて、あっという間にすべてがなし崩しに展開されていくがゆえに、あまりにもお約束的な物語という印象も強い。

 ただ、恐竜世界ファンタジー、科学的な検証・考察、数々の冒険といった、様々な要素をひとつに集めて物語を構築しているところは素晴らしいと感じられた。良くできている作品だと思えるのだが、何故続編が訳されなかったのか? この作品自体、あまり人気がなかったのかな?? グレッグ・イーガンなどのハードSFが訳され続けている今の状況を見ると、ひょっとすると訳される時期が早すぎたのかもしれない。今の世であれば、普通に全三冊訳されていると思えるのだが。




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