江戸川乱歩<長編>作品別 内容・感想

闇に蠢く   

 1926年(大正15年)01月〜1926年11月 「苦楽」連載(9回連載〔4月と9月は休載〕の後、中絶)
 1927年(昭和02年)05月 波屋書房 波屋書版世界探偵文芸叢書第六編
 1927年(昭和02年)10月 平凡社 平凡社版現代大衆文学全集第三巻(結末書下ろし)

<内容>
 親から残された遺産によって気楽に生きてくる事のできた画家を自称する野崎三郎。ある日、野崎は踊り子のお蝶を見初めたときから運命が変わっていくことに。何もかも放り出し、野崎とお蝶が山奥の温泉に出かけたとき、そこで事件が・・・・・・

<感想>2005/10/9
 これが乱歩の初の長編となる作品なのであるが、書いているときは途中書くのを投げ出したり、単行本化するに当たって結末を書き足したりと、なかなか散々な目にあったようである。
 その遍歴の通り、内容も良い作品とはいいがたいものであった。感想としては、短編作品を無理やりつなげただけの作品と言うところ。作家と踊り子の奇態、不気味な温泉宿、刑務所返りの元夫の復讐、閉じ込められた洞窟、海上での出来事、といったそれぞれが短編作品となりうる要素がぶつ切りに並べられているだけというものでしかなかった。カニバリズムというものを作品中に持って来ようとした事はわかるのだが、あまり効果として生かす事ができなかったようである。

<キーワード>
 洞窟


湖畔亭事件   

 1926年(大正15年)01月03日〜1926年05月02日 「サンデー毎日」連載(11回連載)
 1927年(昭和02年)09月 春陽堂 創作探偵小説集第四巻『湖畔亭事件』(八短編併録)

<内容>
 神経衰弱により湖畔亭という旅館に泊まっていた私は、退屈な日々のなかで暇をもてあまし、銭湯の脱衣所に覗き眼鏡を仕掛ける事にした。それからというもの私は、その眼鏡を覗いては楽しむという時間を過ごしていた。しかし、ある日いつものように眼鏡を覗いていたところ殺人事件を目撃してしまう事になる。とはいえ、覗き眼鏡を仕掛けていたなどとは警察に話すことなどできはしなかった。私はどうしてもその殺人事件の事が気になり、同様に旅館に泊まっていた河野という青年と共に探偵の真似事をするのであったが・・・・・・

<感想>2005/10/16
 長編第一作「闇に蠢く」はうまく出来ていた作品とは言い難かったが、第二作目となるこちらの出来はなかなかではないだろうか。できれば、これを乱歩の長編第一作としておきたい様な気もするのだがどうであろう?

 内容はヒッチコックの「裏窓」を連想させるような内容となっている。覗きをしていた男が、とある犯罪を目撃し捜査をしていくというもの。本書はミステリーながらも、覗きをしていた事を打ち明ける事のできない主人公の苦悩がうまく描かれており、一種の文学小説のような香りを漂わせている一面もある。そして前作と違い、話を首尾一貫させて通しぬいたところが成功につながったと言えよう。
 ただ、伏線が張られた謎の全てを解決し切れたと言えないところが残念なところか。とはいえ、これこそがようやく乱歩らしい長編が完成され、日の目を見たといえる作品であろう。

<キーワード>
 覗き眼鏡


空気男   

 1926年(大正15年)01月05日〜1926年02月15日 「写真報知」連載(4回連載の後廃刊により中絶:「二人の探偵小説家」)
 1931年(昭和06年)08月 平凡社 江戸川乱歩全集第四巻(未完のまま掲載)

<内容>
 北村五郎と柴野金十という二人は似たもの同志で何をやっても直ぐに飽きてしまう。二人はいろいろな事を試しているうちに、ついには探偵作家になってしまう。さらには、二人でペンネームを代えて作品を出したりという事などをやっていたのであるが・・・・・・

<感想>2005/10/16
 読んでみて、これはどうにも「空気男」と言いつつも短編の「二癈人」の焼き増しにしか思えなかった。すると、突然場面が変わり・・・・・・終わってしまっている。って、これは短編ではなく、未完の長編作品の一部であったのか! どうりで全然聞いた事のないタイトルのわけだ。
 どうやら著者がうまく書けなかったと言う事もあるようだが、何よりも連載していた雑誌が廃刊になった事により途中で終わってしまった作品という事のようだ。短編の「二癈人」から発想を広げて書こうとしていたようであるが、果たして全部書かれていたらどうなっていたのだろうか?


パノラマ島綺譚   

 1926年(大正15年)10月〜1927年(昭和2年)4月 月刊誌「新青年」連載
 1927年(昭和02年)03月 春陽堂 創作探偵小説集第七巻『一寸法師』に「パノラマ島奇談」と改題され併録

<内容>
 人見廣介は大学を卒業した後、定職にも付かずぶらぶらと日々を過ごし、既に三十を過ぎようとしていた。ある日、人見は知人から菰田源三郎の死を知らされる。源三郎は大学時代に人見と外見が瓜二つという事から、よく同級生達からからかわれていた。そんな源三郎は人見とは全く違った境遇であり、M県随一の富豪の跡継ぎであった。人見は源三郎の死を知り、なんとか源三郎との入れ替わりを謀り、自分の夢である楽園を創設しようと考えるのであるが・・・・・・

<感想>2005/11/06
 乱歩作品のネタというのは、ミステリー好きな著者が自分でさまざまな世界を創造したり、または他のミステリー好事家と色々な意見を交わしたとき出てきた話とか、そういったものから創作しているのだろうと想像できる。そして本編「パノラマ島綺譚」とは、人が想像するうえでの最たるもののひとつなのではないかと思う。
 本書で目を見張るべきとろこは、その想像上の世界の描写につきる。これでもかといわんばかりの、芸術美、建築美、想像美が詰め込まれ、彩り豊かな筆致で描かれている。ただ、その描写が乱歩らしく、“パノラマ”という何か夢を描きたくなるような言葉であるにもかかわらず、そこで描かれているのは狂気に近い世界である。

 内容としては、似たもの同士の入れ替わりのみなのであるが、本書でみるべきところは、そのような物語性にあるのではなく、想像される暗く歪んだ世界への旅であろう。乱歩の小説の象徴的なものというと、推理小説上のトリックとかではなく、この「パノラマ島」に見られるような“猟奇的な世界観”ではないだろうか。

<キーワード>
 探偵:北見小五郎


一寸法師   

 1926年(大正15年)12月08日〜1927年(昭和2年)02月20日 「東京朝日新聞」連載(67回連載)
 1927年(昭和02年)03月 春陽堂 創作探偵小説集第七巻

<内容>
 ある夜、小林紋三は人間の腕を大事そうに抱えて歩いてゆく“一寸法師”を目撃する事に。そして、それが不気味な事件の幕開けとなった。
 次の日、小林は一寸法師を見失った寺へと訪ねてみるも、再び目にする事はかなわなかった。その帰り道、知人の山野夫人に出会い、相談を持ちかけられる。なんでも、彼女の娘が失踪したと言うのだ。そこで、小林の友人の素人探偵・明智小五郎に相談したいというのである。明智と小林が捜査を進めてゆくと、次第に事件は不気味な様相へと・・・・・・

<感想>2005/11/20
 今までの長編作品と比較すると格段に推理小説らしさが出てきた作品である。その象徴として短編にて活躍をしていた明智小五郎がようやく登場してきたという事があげられる。また、家屋からの人の消失といったトリックが用いられていたり、その後、さまざまな作品にてよく見ることのできるその他のトリックも発見する事ができる。そして、最後には人々を集め、明智の口から犯人の正体が明かされるという大団円。ここからようやく長編も書ける推理作家としての乱歩の歩みが始まったと言えるのではないだろうか。
 ただ一つ気になったのは、事件が起きたときの、その様相の告げ方が遠慮がちに思えるところ。後の作品であれば、ここまでやるかと言わんばかりに大風呂敷を広げて、事件の始まりを告げるというのが乱歩作品の見どころであると私的には思っている。この辺の差異はやはり初期の作品ならではという事なのであろう。

 あと、今回の登場人物でワトソン役として小林紋三という男が出てくる。これはひょっとして小林少年のはしりなのでは? と考えたのだがどうだろう。まさか、小林紋三の息子が・・・・・・までと言えばできすぎだが、これは小林少年自体がいつ出てくるかというのを追いつつ実証していきたい。

<キーワード>
 一寸法師、邸からの人間の消失


陰 獣   

 1928年(昭和03年)08月〜10月 「新青年」連載(8月増刊、9月、10月の計三回)
 1928年(昭和03年)11月 博文館 単行本

<内容>
 作家である私は実業家・小山田氏の夫人、静子からとある相談を受ける。なんでも彼女は昔付き合ったことのある男から執拗に付け狙われ、脅されているというのである。その男は私と同様、探偵小説を書いている、平田一郎という作家であった。彼が描いた探偵小説の中の世界でのできごとになぞらえるかのように、平田は静子夫人を付け狙い、とうとう夫の小山田氏にまで被害がおよび・・・・・

<感想>2006/8/13
 乱歩の作品というと、よく“エログロ”と形容されるのだが、その代表的な作品ともいえるのがこの「陰獣」であろう。これまでの作品では、たいがいは直接な性的描写は避けていたように思えたのだが、この作品ではかなりあからさまに性的な描写が描かれている。

 また、その性的描写にのみならず、内容としても乱歩の代表作といえるほど、なかなかのものとなっている。
 本書の大きな特徴は、悪役の作家の名前が“平田一郎”としてあり、これは乱歩自身を表している。さらには、この作中の“平田一郎”が書いたとされる作品に「屋根裏の遊戯」とか「B坂の殺人」などと乱歩自身が書いた作品をなぞらえるものが用いられている。そして、タイトルのみならず、乱歩は今まで自分が書いた作品のトリックをふんだんに使い、この「陰獣」を書き上げている。
 よって、オリジナリティが欠けているともいえなくもないのだが、この作品単体で見れば、なかなかよくできた作品であると評価できる。

 この作品が書かれるまで乱歩は極度のスランプに陥っていて、なかなか長編が書けなかったということなので、これまでの作品をなぞらえることによって、スランプを脱出し、ようやく乱歩の第二期ともいえる活動が始まりつつある、分岐点的な作品といえるのではないだろうか。


空中紳士   

 1928年(昭和03年)02月〜09月 「新青年」連載(8回連載:改題「飛機睥睨」)
 1929年(昭和04年)02月 博文館 単行本
 (土師清二、長谷川伸、國枝史郎、小酒井不木、江戸川乱歩合作:または“耽綺社”同人合作)

<内容>
 R国の内紛により、ルール殿下が一時的に国を逃れ、秘密裏に日本へとやってきた。しかし、安全であったのもつかの間、ルール殿下は何者かに拉致され、行方がわからなくなってしまう。新聞記者の星野龍子は単独でルール殿下の行方を探ろうとする。次々と殺人事件や不可解な事件が起こるなか、龍子はいつも犯人に肉薄しながらも響という怪紳士に邪魔をされてしまう。これらの事件の裏にひそむ真実とは!?

<感想>2006/8/12
 タイトルを見たときは、てっきり怪人二十面相が空を飛ぶのだと思っていたのだが、読んでみてびっくり、全くそのような内容ではなく、それどころかこれは乱歩作品にしては異色作だとまで感じられた。それもそのはず、この作品は五人の作家による合作ということであった。

 まず、従来の乱歩作品と違うなと思えたのは、貴族などの上流階級の人々が多く出ているということ。今までの乱歩氏の作品といえば、庶民的な視点のものや、乱歩氏自身の視点から書かれていたものが多かった気がする。それに対して、この作品は舞台の背景が、がらりと変えられた作品となっている。
 また、女性が主人公となっていることも珍しいのではないだろうか。短編の中には確かに女性の視点から描かれたものがいつくかあった気がするが、とはいえ、それは“主人公”と感じるものではなく、あくまでも“視点”のみに収まるようなものといえるであろう。本書では女新聞記者が自ら事件を解決しようと奔走するというように、はっきりと女性が主人公として描かれている作品であるといえよう。

 本書の内容は謀略ものとでもいえばいいのだろうか、従来乱歩氏が描く探偵小説というよりは、アルセーヌ・ルパンが活躍するような冒険小説といった体裁となっている。
 最初読んでいるうちは、細々とした事件が多く描かれており、かなり頭の中でごちゃごちゃになってしまった。しかし、最後に物語が解決されると、それらがきちんとまとめられており、ミステリーとしての構成のうまさに感心せざるを得なくなる。
 シリーズものでないがゆえに、登場人物の役割がはっきりとわかりづらく読みにくい部分もあるのだが、一度読み終わった後に、もう一度読めば、細部まで納得のいくよくできた作品であると言う事が理解できるであろう。
 合作という割にはずいぶんと出来のよい内容であったなと感心してしまう作品であった。


何 者   

 1929年(昭和04年)11月28日〜12月29日 日刊新聞「時事新報」夕刊連載(28回連載)
 1930年(昭和05年)04月 先進社 「名探偵明智小五郎」に収録

<内容>
 私、甲田伸太郎が経験した事件。友人である結城弘一(父親は陸軍少将)の屋敷に遊びに行ったさい、奇妙な事件に出くわす。銃声の後に皆を呼ぶ叫び声がし、駆けつけると、そこには足を撃たれて気絶している結城弘一の姿が。さらには、彼の部屋から盗まれた金製品の数々(現金などには手を付けていない)、井戸のもとで消えている往復の足跡、その他の犯人によると思われる数々の痕跡。当初は強盗目的と思われたのだが、病床のもと結城弘一は私に、とある推理を披露する。

<感想>2014/8/2
 江戸川乱歩氏の作品としては珍しい、純然たる本格推理作品。中編小説。

 一応、犯人当てという体裁はとられている。犯人当てというほどフェアで、“これ”というほどの決定的な証拠があるわけではないのだが、数々の伏線が絶妙に張り巡らされている。また、推理の過程における論理的な考察も見事なもの。

 個人的には乱歩作品としてよく出来ていると思われたのだが、当時はこのような本格推理小説は流行っていなかったため、乱歩自身もその後はあえて取り組まなかったよう。ある意味、乱歩らしさが欠けている作品ともいえるのだが、それ故によく出来た本格推理小説ともいえるであろう。初期の短編「二銭銅貨」などに通じるものがある作品。

<キーワード>
 頭の毛をモジャモジャさせた痩せ方の男で・・・・・・

<小道具>
 (波多野警部)


孤島の鬼   

 1929年(昭和04年)01月〜1930年02月 「朝日」連載
 1930年(昭和05年)05月 改造社 単行本

<内容>
 私(蓑浦金之助)は会社の同僚木崎初代と熱烈な恋に陥った。彼女は捨てられた子で、先祖の系図帳を持っていたが、先祖がどこの誰ともわからない。ある夜、初代は完全に戸締りをした自宅で、何者かに心臓を刺されて殺された。その時、犯人は彼女の手提げ袋とチョコレートの缶とを持ち去った。恋人を奪われた私は、探偵趣味の友人、深山木幸吉に調査を依頼するが、何かをつかみかけたところで、深山木は衆人環視の中で刺し殺されてしまう・・・・・・

<感想>
 いまさらながらともいえる江戸川乱歩の代表作なのであるが、この作品は読み落としており、ようやく手をつけるにいたった。読み終えて、あぁまさにこの本一冊に乱歩の多くが描かれていると感じる一冊であった。探偵小説、怪奇小説、孤島における作られた世界、白髪、その世界を構築する者、そこに棲む者、翻弄される者。見事なまでに乱歩の世界である。この作品を読むにあたり、いまさらながらとも思うのだが、逆にこの本は先に読まなくてよかったなとも思ってしまう。この代表作こそが乱歩の集大成として読むべき本なのではないのだろうか。


蜘蛛男   

 1929年(昭和04年)08月〜1930年06月 「講談倶楽部」連載
 1930年(昭和05年)10月 大日本雄弁会講談社 単行本

<内容>
 東京にて突如、女性をかどわかして残酷無比な殺人を繰り返す青髭という男が世間を騒がせるようになった。その殺人鬼は、女性事務員募集という広告に誘われてやってきた女性をバラバラ死体にして各地にばらまいたり、別の女性の死体を水族館にかざるという残虐極まりない犯行を繰り返す。そして次に狙われたのは有名女優。青髭と名乗る殺人鬼の犯行をとめようと犯罪学者・畔柳博士と波越警部が奔走するのであったが・・・・・・

<感想> 2009/05/18
 江戸川乱歩氏の作品を数多く読んでいるものにとっては、本書を読み始めればだいたいどのように展開される内容なのかはすぐにわかるはずである。ただ、長編作品を時系列順に並べてみると、このようなパターンが繰り広げられる最初の作品がこの「蜘蛛男」であるということがわかる。これは記念すべき乱歩作品のうちのひとつといってよいであろう。
 この後に描かれる乱歩氏の作品は、この「蜘蛛男」の流れをなぞったものが多く見られる。むしろ「蜘蛛男」のような流れをたどらない作品こそ乱歩氏にとっての新機軸の作品とみなすことができるのではないだろうか。それについては、以後の作品を読みつつ検討して行きたいと思っている。

 本書にて注目すべきところは自動車が使われ始めた初期のころの探偵小説であるということ。作中では犯行を犯すものは大概が貧乏であるので、自動車を使うような事はない、と書かれている。これは時代検証として重要な一項であると言ってもよいであろう。この記述はある意味、作中での真犯人を示す手掛かりと言ってもよいのかもしれない。

 内容については乱歩作品を初めて読む人であれば驚くべき展開といってもよいのかもしれないが、何冊か読んでいる者にとっては普通の作品というような位置づけ。そういったなかで読んでいて感じたのは、初期の作品は表現が結構グロテスクであるということ。これは少年探偵団ものや、後半期の作品ではある程度、表現を抑えるようになったのではないかと思われる。しかし、初期の作品ではかなり大胆に残酷な描写が描かれている。

 また、本書で不思議に思えたのはタイトルとなる“蜘蛛男”。作中の最初の段階では“蜘蛛男”という描写はなく、犯人は“青髭”と呼ばれ、自身でも名乗っていた。それが途中から突然“蜘蛛男”という名称が飛び出てきた。このへんは連載で書かれたということもあり、途中で作品に対しての心境の変化でもあったのだろうか。ただ、よく考えてみると連載中もタイトルが変わったというようなことはなかったようなので、最初から“蜘蛛男”というタイトルで書いていたとしたらますます不思議に思えてくる。

<キーワード>
 自動車

<小道具>
 石膏細工、水族館、(波越警部)


猟奇の果   

 1930年(昭和05年)01月〜12月 「文藝倶楽部」連載
 1931年(昭和06年)01月 博文館 単行本

<感想> 2004/01/10
 これまた、こんな奇作というか、企画によって奇作になってしまった作品があったんだなと妙な関心をしてしまう。

 前半は大人向けの乱歩作品の展開にて進められる。もう1人の私という題材による進められかたが非常におもしろい。ある種のサイコ・サスペンスという見方もできる。ドッペルゲンガーから、覗き部屋までを加えた妖しすぎる展開に心躍らされる。

 そして後半になるといきなり、作調が変わり、明智小五郎が登場しての謀略スパイ・サスペンスが展開される。こちらもまた見るべきところがいろいろとあり、特に気になったのは社会派的な記述がいくつか見られた点。乱歩氏の作品のなかで、労働争議が取り上げられる作品なんてあったのだろうかと考えてしまう。今まで私が読んできた作品の中には見受けられなかったで、なんとなく変に新鮮に感じられてしまう。また、後半の欠点をあげるとするならば、首謀者たる犯人が最後はグズグズで終わってしまったところだろうか。

 また、今回の全集化にあたって、この作品の前半部分に対しての別のエンディングが掲載されているところがうれしいところである。こちらはこちらでまた、前半に見合った終わり方をしていて読み応えがある。しかし、やはりこの作品は片方のエンディングだけではなく、終わり方が二つあってこその奇作という見方をするのが一番良いのではないだろうか。

 あと最後に付け加えさせてもらえば、もう1人のわたしという題材のなかで、乱歩作品特有の“変装”ネタに終始してしまうのは反則のように思える。とはいっても乱歩作品から“変装”を除くという事は不可能なことであろうが。

<キーワード>
 変装、見世物小屋、覗き

<小道具>
 (波越警部)


吸血鬼   

 1930年(昭和05年)09月〜1931年03月 「報知新聞」夕刊にて連載
 1931年(昭和06年)03月  博文館

<内容>
 未亡人である柳倭文子(やなぎ しずこ)を巡って、美青年・三谷房夫と中年紳士・岡田道彦は毒薬による決闘を行う。決闘に敗れた岡田は命は助けられたものの、恥を忍んで入水自殺を果たす。その後、東京へと帰った三谷と倭文子は日々逢瀬を重ねていたが、彼らの平穏を脅かすように不気味な男の影がさす。その男は唇と鼻が欠けた不気味な風貌をしていた。謎の男は執拗に倭文子を追い回し、やがては倭文子の息子である茂にまで魔の手を伸ばしてきた。三谷青年は明智小五郎の手を借りて、倭文子の身を守ろうとするのであったが・・・・・・

<感想> 2012/05/7
 本来は「魔術師」のほうが先でその後にくるのがこの「吸血鬼」という作品になるのだが、単行本の発売順で並べさせてもらうと、こちらの方が先。乱歩作品は、おおむね順列は関係ないと思われるのだが、「魔術師」にて文代さんが登場し、その後の物語が描かれている「吸血鬼」という観点で行くと、「魔術師」が先になる方が正しいと言えよう。

 内容は詳しく覚えていなかったのだが、決闘で始まる冒頭は印象的で、そこだけは覚えていた。その後は、いつもならではの乱歩活劇が始まって行くのだが、この作品では以前の作品よりもエログロ的な描写が少ないと感じられた。子供向けとまではいえないものの、新聞に掲載されていたということもあってか、大衆向けの活劇ものという趣向が色濃く出ている。

 個人的にはずいぶんと冗長な作品というのが強い印象。たいていの人は犯人の正体を序盤で既に気づいてしまうのではないだろうか。最終的に真相が明らかになると、全体的には思いのほか、複雑な構成であることに気付かされるのだが、犯人があまりにもストレートゆえに、むしろ感心しにくくなってしまっている。それでもラスト数ページでは意外と濃い人間ドラマを魅せてくれている。

 内容的にはどうこう思わないのだが、小林少年が初登場していたり、浪越警部ではなく恒川警部という人が出ていたりと、シリーズとしてはちょっとした見どころがある。特に小林少年と文代さんによる犯人の行動をなぞる殺人劇はなかなか見もの。また、本書を有名な作品としているのは、このタイトルの「吸血鬼」よりも、映画化された際のタイトル「氷柱の美女」にあるのかもしれない。こちらの方が、映像としてはまさに見ものといっても決して過言ではないであろう。私も映画ではないのだが、天知茂のテレビシリーズにて(リアルタイムではないけれども)見たものが印象に残っている。

<キーワード>
 決闘、小林少年

<小道具>
 氷柱、棺桶(文代さん、恒川警部)


魔術師   

 1930年(昭和05年)07月〜1931年05月 「講談倶楽部」連載
 1931年(昭和06年)05月 平凡社 江戸川乱歩全集第8巻収録

<内容>
「蜘蛛男」事件を解決した明智小五郎は骨休めの休暇を過ごしていた。そこで明智は玉村妙子という女性と出会い、ひと時の安らぎを得る。妙子は先に実家へと帰ってしまったが、明智は浪越警部から、その妙子を含める玉村家の者達が何者かに狙われてるという情報を得る。さっそく休暇を中断し、上野駅へと戻った明智は、そこで何者かに拉致されることに・・・・・・。一方、妙子を含む玉村家の者達は、過去に恨みを持つという魔術師と名乗る者により執拗に襲撃されることとなる。明智は、なんとか魔術師の娘であるという文代の力を借りて、魔の手から逃れるのであったが・・・・・・

<感想> 2012/05/3
 過去に何度か読んだはずなのだが、細部は完全に忘れていた。乱歩作品というと、結末の予想がある程度つくのだが、今回は終盤に近づくまでネタを読み切れなかった。

 本書の一番の特徴としては、後に明智小五郎夫人となる文代さんの登場であろう。悪の首領である“魔術師”の娘ということで初登場を遂げるのだが、当然のことながらこのネタは二度と使えないということもあり、乱歩の作品群のなかでオリジナリティを感じ取ることができる。

 すでに色々な作品を読んでから、この作品にたどり着いているので、とりわけこの作品がベストとは思えないのだが、年代順に読んでいた人にとっては、かなり良い作品に思えたのではないだろうか。最後に明かされるどんでん返しも見事に決まっていると感じられた。

<キーワード>
 文代さん、犯罪予告カウントダウン、謎の巨人

<小道具>
 獄門舟、水攻め、(波越警部)


盲 獣   

 1931年(昭和06年)02月〜1932年03月 「朝日」連載
 1932年(昭和07年)03月 平凡社 江戸川乱歩全集第9巻収録

<内容>
 盲目の醜い男が、有名女優・水木蘭子につきまとっていた。男は執念により、盲目である事を利用しながら水木蘭子をかどわかし、自分のモノとする。そして凄惨なる饗宴が行われることとなり・・・・・・

<感想> 2009/05/23
 今まで読んだ乱歩作品のなかでは「陰獣」がもっともグロテスクな作品だと思っていたのだが、それをはるかに超える作品が存在していたことに驚かされる。それがこの「盲獣」である。

 この作品は、短編の傑作「人間椅子」をはるかに超えるフェチズムと陰惨な描写にあふれており、「陰獣」などの他の乱歩作品からミステリ部分を差し引いて、グロテスクな部分のみを残したような怪作である。
 サディズムの名称の元となった「サド侯爵」という人物がいて、その著作が話題になったそうだが、日本のそういうサドマゾやグロテスクの代名詞たる作品こそがこれといえるかもしれない。その内容は乱歩自身をも惑わせたほどの凄惨のきわみといってよいような描写にあふれている。

 これを読むと昔の日本の探偵小説がキワモノもしくはエログロなどと言われた理由が理解できる。


白髪鬼   

 1931年(昭和06年)04月〜1932年04月 月刊誌「冨士」連載
 1932年(昭和07年)04月 平凡社 江戸川乱歩全集第11巻収録

<内容>
 資産家の大牟田敏清は、美貌の妻をめとり、心の置ける親友を近くに住まわせ、幸福の絶頂にあった。そんな大牟田は不慮の死に・・・・・・と思いきや、大牟田は自身の棺のなかで目覚める。大牟田家の墓は変わった構造をしており、外国風の感じで、閉ざされた石室のなかに墓地が建てられ、土葬されることとなっていたのだ。死の縁から生き返った大牟田は、墓地のなかで海賊が隠していた宝と、抜け道を見つけ、愛する妻の元へと向かおうとする。しかし、そこで目にしたのは、妻と親友の痴態であった。生き返ったことにより、白髪の老人と姿を変えた大牟田は、二人に対し復讐を誓い・・・・・・

<感想> 2022/08/30
 たぶん再読作品のはずなのだが、自分のイメージとしては小説よりも土曜ワイド劇場で映像で見た記憶の方が上回っている。そんな印象に残る作品であるのだが、なんと乱歩のオリジナル作品ではなく、マリイ・コレルリという人の「ヴェンデッタ」という作品を改作したものとのこと。元は黒岩涙香がこの作品を訳し、それを読んだ乱歩が感銘を受けて改作したという流れらしい。

 この作品を読むと、なんとなく「パノラマ島綺譚」と重なるものを感じた故に、「白髪鬼」も乱歩のオリジナルかと思っていた。ひょとすると「パノラマ島」のほうも、海外作品からインスパイアされて、色々な要素を用いることにより構築された作品と言うこともありえるのかもしれない。

 生き返った男による復讐劇というものがよくできている。ただ、その生き返り方が、よくよく考えればかなりのご都合主義的と言えなくもない。と思いきや、海外作品が元だと考えると、実は全く不思議ではないことと考えられる。さらに海賊のくだりにしても、同様のことが言える。

 まぁ、そういった違和感は抜きにしても、よくできた作品であると思われる。物語の構成、流れもうまくできていると思われ、乱歩・・・・・・ではなく、元の作家のマリイ・コレルリの発想と力量を称賛したい。

<キーワード>
 生き返り、白髪への変貌


怪人二十面相

 1936年(昭和11年)01月〜12月 「少年倶楽部」連載
 1936年(昭和11年)12月 講談社 単行本

<感想> 2003/10/25
 あぁ、こうして文庫で少年探偵団シリーズが読めるなんて。「怪人二十面相」これを読むのはもう何年ぶりだろう。読んでから15年以上が経過しているにもかかわらず、内容をいまだに断片的に覚えている。これからも誰もが手軽に読める一冊であってもらいたい。

 江戸川乱歩が有名である重要な要因の一つとして、“怪人二十面相”を創造したということが挙げられるだろう。世間一般からすれば、横溝正史よりも江戸川乱歩のほうが名前としては売れているのではないかと思える。横溝氏は金田一耕介を創造し、江戸川氏は明智小五郎を創造した。そして江戸川氏はさらにここで明智小五郎のライバルたる仇役を創造したということが大きかったのではないだろうか。しかもそれが若年者向けのものであり、二十面相と少年探偵団という構図が多くの少年達の心をつかむにいたったのだろう。
 要するに、江戸川乱歩が有名である理由は少年少女向けのミステリーを刊行したというところにあるのだろう。私自身もポプラ社から刊行されていた江戸川乱歩全集を読んだことが、その後のミステリーを読むきっかけとなった。
 また、“怪盗”を創造したということは非常に大きなことであると思う。現在のミステリーにおいても“名探偵”はたくさんいるものの、“名犯人”たる仇役というのはほとんど見ることがない。そういったなかで、“二十面相”という存在はかなり大きな存在であるといえる。今後も、この“二十面相”を超える存在は決して出てくることはないように思える。

 さて、そんなこんなで久しぶりに読んでみた感想はというと、これは「怪盗紳士」に似ているなと感じられた。「怪盗紳士」というのは言わずと知れた、モーリス・ルブラン著のフランスの大怪盗アルセーヌ・ルパンが登場する作品である。

 ここで、2作の構成を比較してみると
「怪盗紳士」
 ルパンの登場と逮捕 → ルパンの犯行 → ルパンの脱走 → ルパン対ホームズ

「怪人二十面相」
 二十面相の登場 → 二十面相の失敗 → 二十面相の犯行 → 二十面相対明智小五郎

と、構成が似ている点に気づかされる。また、「ルパンの犯行」と「二十面相の犯行」で使っているトリックが同様のものであるということも明らかである。
 大きな違いというのは、「怪人二十面相」はあくまでも主人公は探偵側の明智であり、それに対して「怪盗紳士」では犯人側のルパンが主人公であるという点であろう。そのスタンスの違いのみに両者の相違が感じられるものの、基本的には「怪人二十面相」は「怪盗紳士」のオマージュとして考えてよいのであろう。
 そして江戸川氏によるあとがきでもそのことには触れている。どうもあとがきを読んでみると、これは単発で考えていた作品のようである。それが人気が出たがゆえに連載として話が大きくなり、そしていつしか永遠ともいえる大作シリーズになっていったのであろう。

 子どもの頃に読んだものをこうして大人になってから読んでみるということはとても面白い。昔には考えなかったことやわからなかったことが見えてきたりとか、いろいろと考えさせられる。
 また、そんなことよりも単純に楽しめる作品であるということが一番であろう。いまだに“大仏トリック”は好きである。


大暗室   

 1936年(昭和11年)12月〜1937年06月 「キング」連載
 1938年(昭和13年)09月 新潮社 単行本(『江戸川乱歩選集第1巻』)

<感想> 2003/11/09
 本書には明智小五郎と怪人二十面相はでてこないものの、彼らに相当するような善と悪の二人の主人公が対決するという物語になっている。そして読んでみて、そのスケールの大きさに驚かされる。これも乱歩の代表作たる一冊といってよい本であろう。

 乱歩氏の作品を読んでいて、いつも考えてしまうのは他の乱歩氏自身の作品との共通項という点である。乱歩氏の作品では結構同じトリックや設定が流用されており、いろいろな作品で見ることができる。ここでは、それをキーワードとして挙げる事にしてみたいと思う。

 まず、一つは“変装”。これはトリックでもあるのだろうが、いわば乱歩作品のスタイルといってもいいものであろう。他の作品でもというよりは、乱歩作品の多くで用いられているものである。特に二十面相が出てくれば“変装”なくして終わることはない。
 なんとなく“変装”というものは悪役の専売特許のようでもあるのだが、乱歩作品においては明智小五郎も変装の名人であるというのは周知の通りである。そして本書も、善の主人公と悪の主人公が余すことなく“変装”による騙しあいがこれでもかとばかりに行われる。

 次に挙げるのが“対決”。これは明智対二十面相という構図が代表的なのであるが、他の作品においてもこの対決の構図というものがいくつか見られる。ただし、主人公が明智小五郎以外のものであると、対決ものというとどちらかといえば、悪役の存在が大きくなり、善側のほうはただ傍観するのみというような展開が多いように思える。
 しかし、本書は善と悪の両方に比重が置かれており、ある種バランスの取れた対決物となっているのではないだろうか。ゆえに、本書は“対決”ものの代表作といってもいいと思われる。

“一寸法師”。乱歩作品のなかで頻繁に見受けられるのがこの“一寸法師”の存在。これは別の作品ではタイトルになっているものまである。本書では登場はするものの、特にこれといった役どころはない。そして他の作品でも大きな役割を果たすわけではないにもかかわらず、登場していることが見受けられる。
 これは乱歩氏なりの作品に怪奇性を見せるための効果であったのだろうか。もしくはその時代にそれほど頻繁に見ることができたということなのだろうか。結局のところ、時代性を見出すことができる一端であるというべきところであろう。

 そして“王国の建設”。この王国の建設というと、私のなかで代表的なものは「パノラマ島奇談」という作品である。この“パノラマ島”というのは強烈な印象が残っており、私の中では乱歩作品の象徴たるひとつとなっている。
 そして本作でそのタイトルとなっている“大暗室”というものが本書における“王国”である。これこそがまさに本書の大きな特徴をなすものではないだろうか。というのも、パノラマ島とは異なってこの大暗室というのは悪意の王国というべきものだからである。

 また、キーワードとは別に、小道具として潜望鏡、アドバルーンなどが本書にて出てくるが、これも他の作品でも見ることができるものである。時代をうかがわせる小道具といったところであろう。
 そして、明智小五郎が登場しないにもかかわらず、捜査一課の中村警部がでているあたりは乱歩作品として小道具といったところだろうか。

 最後にあげるものとして、これは私自身知識不足で気がつかなかったもので、あとがきによってわかったことだが、乱歩の作品はエドガー・アラン・ポーの作品の着想を流用しているとの事だ。確かにペンネームですら流用しているのだから、そこに気づくべきなのだろうが残念ながら本家のポーの作品はほとんど読んでいないのでわからなかった。ポーの小説について研究することも“乱歩”を解くのには必要な事項であるのだろう。

<キーワード>
 変装、対決、一寸法師、王国の建設

<小道具>
 潜望鏡、アドバルーン、(中村警部)


少年探偵団   

 1937年(昭和12年)01月〜12月 「少年倶楽部」連載
 1938年(昭和13年)03月 講談社 単行本

<感想> 2004/02/11
 乱歩小説における代表的な要素といえば“変装”であるが、それに続く重要な要素として挙げられるのが“誘拐”である。“誘拐”といっても必ずしも営利目的であるというわけではないので、“人さらい”という言い方のほうがあっているかもしれない。
 乱歩の小説において、ここまで“人さらい”の場面が出てくるというのは当時の世相に影響があるのではないかと考える。実際に戦後の混乱した時期においては、人がいなくなるとか消えてしまうという事柄も珍しくなかったのではないだろうか。昔は親が子供に対して「悪いことをしたら、悪いおじさんに遠くへ連れて行かれちゃうよ」というような躾をしたのも世相が現れている証拠ではないだろうか。そしてまさにそれを体現して小説としたものが乱歩の作品といえるのであろう。特に子供に読まれる“少年探偵団シリーズ”に“人さらい”という犯罪が頻繁に出てくるのにはいろいろと考えさせられる。これは小説を怪奇的に表現するという事と共に少年少女たちへの警句を含めているというようにとるのは考えすぎであろうか。

 そして、面白く感じられたのが本書で登場する“インド人”という存在。有名な“ノックスの十戒”ではミステリーに中国人を登場させてはいけないという記述がある。これは当時、東洋の文化が生活に伝わっておらず、東洋人が不思議な術を使うという印象があったからであろう。そしてこの本が出版された当時は日本人にとって神秘的であったのは“中国人”よりも“インド人”のほうであったといことだろうか。たぶん、これもインドの文化が日本に正確に伝わっていなかったということからなのであろう。何も知らなければ、髭を生やして、ターバンを巻いた異国人というのは不思議というほかはなかったのであろう。

 この作品ではさまざまなトリックがふんだんに使われている。衆人環視の状態から人が消えるトリック、警官に取り囲まれた状態からの屋上からの脱出、予告状を出しての美術品“黄金の塔”の強奪と豪華満載といってもよいであろう。少年少女向けの乱歩作品が出たばかりの当時であれば、さぞかしこの作品により子供達は熱狂したのではないだろうか。また、少年探偵団の七つ道具などもさらに子供心に火をつけたのではないかと思われる。

<キーワード>
 変装・人さらい・インド人

<小道具>
 アドバルーン(軽気球)、(中村警部)

<少年探偵団(全10人)>
 桂正一(少年相撲の選手)、羽柴壮二(身軽)、篠崎始(お金持ち)、小原(表門の見張り)
 七つ道具(縄梯子、B・Dバッジ)


妖怪博士   

 1938年(昭和13年)01月〜12月 「少年倶楽部」連載
 1939年(昭和14年)02月 講談社 単行本

<感想> 2004/04/17
 本書は「怪人二十面相」「少年探偵団」に続く話となっているので、読む順番としては丁度よかった。内容は“妖怪博士”が登場して明智小五郎と少年探偵団との対決がなされ、そして“妖怪博士”による犯罪、さらに場所が変って鍾乳洞を舞台にした対決という3部構成になっている。

“妖怪博士”というと“仮面ライダー”に出てきた天本英世氏を思い浮かべるが、時代から考えると本書のほうが先となるのだろう。ひょっとしたら“仮面ライダー”のほうのモチーフはこの本であるのかもしれない。そういえば、仮面ライダーに出てくる“妖怪博士”は変身して蝙蝠の怪人になったような・・・・・・。ちなみに本書での“妖怪博士”の正体については・・・・・・わざわざ言わなくてもご理解いただけると思う。

 今回の作品は少年探偵団のための事件という感じがする。わざわざ“妖怪博士”が少年探偵団に対して事件を起こし(一応復讐という名目において)、明智を引っ張り出すという体裁をとっている。雰囲気的には重い感じがするものの、なんとなく少年探偵団たちを楽しませるアトラクションのようにも見えてしまう。何かのネタであったかもしれないが、実は全ては明智が仕組んだ罠であり、悪役と明智が一人二役(当然影武者も用意して)で子供達を楽しませるために事件を起こしているのではないかなどと穿った見方をしてしまう。アトラクションにしては、事件自体はどぎついかもしれないが、本を読んでいる限りでは昔の子供達は強く、ちょっとやそっとの監禁でもめげずに生き生きと行動している。“トラウマ”などという言葉とは無縁のようである。
 ただ考えてみると、そのアトラクションめいた様に見えるということは重要なのかもしれない。そのアトラクションめいたところが、かえって昔の少年少女の心をつかむにいたった原因とも言えるのであろう。いったい全国にどれだけの“少年探偵団”ができたのだろうかと考えると決して馬鹿にはできないのである。そして私自身も小学生の頃、このシリーズに熱狂した一人であることはいうまでもない。


<キーワード>
 変装・人さらい・鍾乳洞

<小道具>
 仕掛けのある洋館、魔法の上着、蛇、蝙蝠、(中村警部)

<少年探偵団(全10人:中1-3人、小6-6人、小5-1人)>
 相川泰二(小6、父は軍需製造工場の技師長)、大野敏夫(小6)、斉藤太郎(小6)、上村洋一(小6)
 小泉信雄(小6)
 桂正一(中1)、篠崎始(中1)、羽柴壮二


悪魔の紋章   

 1937年(昭和12年)10月〜1938年10月「日の出」連載
 1938年10月 新潮社 単行本(『江戸川乱歩選集第2巻』)

<感想> 2004/04/26
 この「悪魔の紋章」という作品を私は「三重指紋」というようなタイトルで記憶していた。これはテレビ化されたときのタイトルだったか、ポプラ社で出版されたときのタイトルであったかは忘れてしまったが、いずれにしてもその“三重指紋”というものが鮮烈に記憶に残るインパクトのある作品であったことは確かであろう。

 この作品で探偵を務めるのは明智小五郎に並ぶといわれる宗像博士という探偵。後半になってようやく明智小五郎も出てくるが、話のほとんどが宗像博士の行動と共に進められてゆく。
 また、本書における別の特徴を挙げるとするならば、そのグロテスクさである。この作品の前に読んだものが“二十面相シリーズ”であったので、そちらと比べれば当然大人向けとなっており、怪奇的な描写が多くなっている。特に“衛生展覧会”という舞台などは現代では見ることのできないような舞台設定であり、当時の姿を垣間見ることのできる貴重な描写といえるであろう。
 そして犯罪者が行う復讐劇は残虐性に満ちたものであり、時代による怪奇性がさらにそれらをあおるものとなっている。本書はこれぞ乱歩作品というべき、代表作の一つといっても過言ではないだろう。

 本書はトリックという面においても見るべきところが多々ある。特になかなかのものと思えたのは、衆人監視の部屋の中から娘を拉致するトリック。外から見張っていたにもかかわらず、いつのまにか部屋にいる娘が消えてしまうというものなのだが、これはなかなか面白いものであった。
 ただし、全体的に見てみるとこの作品のトリックは全てある一点のみに寄りかかったトリックであるといえる。あえて、それが大味なものとなっていて良い雰囲気を出しているともいえるし、逆に言えばそれだけに頼りすぎているという見方もできなくはない。しかし、これでもかといわんばかりに主となるトリックを露呈せんとするかのような小刻みなトリックの連発には、かえって小気味良ささえ感じられる。それに乱歩作品を始めて読むという人であればともかく、何冊か読んでいる人であれば、この本にてどのような犯罪がなされているかを解くのは容易なことであろう。なんといっても乱歩作品はその雰囲気を楽しむことができればよいのである。

 本書を読んでいたら、昔テレビで放映されていたものがなつかしくなってしまった。当時の子どもの頃は乱歩のテレビドラマ(土曜の夜にやっていた2時間もの)といえば、かなり怖いという印象を持っていて、見るのも躊躇していたほどだった。最近では、あの当時の怪しい雰囲気をもつような作品というのは見当たらないような気がする。あぁ、天地茂が恋しくなってしまった。レンタルビデオ屋あたりで探してみるとするか。

<キーワード>
 衛生展覧会、お化け屋敷

<小道具>
 鏡の部屋、(中村警部)


青銅の魔人   

 1949年(昭和24年)1月〜12月 「少年」連載
 1949年(昭和24年)11月 光文社 単行本(痛快文庫)

<感想> 2004/07/05
 前作「妖怪博士」に続いての少年探偵団もの。今回の相手は“青銅の魔人”、ということでますます戦隊モノめいているような気がする。というよりも、仮面ライダーなどの戦隊モノシリーズのほうが乱歩作品をモチーフにしたのだろうかと考えてしまう。
 今回の適役“青銅の魔人”の設定はなかなか面白いと思う。あたかも機械で作られたような体はSF色が強く感じられ、いつもの不気味な怪人たちとは異なる味が出ている。しかも、四つんばいで歩いて逃げたりとか、突然街中で消えうせて、はたまた衆人監視の中で現れたり消えたりを繰り返したりとサービス満点の怪人物である。トリックが明かされてしまえば、なんだそんなものかと思ってしまうのだが、そんなことは隅においといて、怪人のがんばりように注目してもらいたい。

 今回は少年探偵団らなぬ“チンピラ別働隊”という少年達が参戦する。少年探偵団の面々は一般家庭の普通の子供であるので、活動に制限がなされてしまう。そこで、巷にあふれる孤児たちを小林少年が集め、別働隊を組織するというもの。この“巷にあふれる孤児達”というものには時代性を感じてしまう。もし、現代でこういった別働隊を組織するならばどういった人たちを集めるのだろうかとここで想像してみる。
 ・ひきこもり別働隊(出てこないって)
 ・チーマー愚連隊(これが一番現実味がありそう)
 ・リストラ愚連隊(・・・ごめん、話が暗くなった)
 ・外国人愚連隊(コストが安そう、しかも強そう)
 ・女子高生愚連隊(組織した人がつかまりそう)

と、余計なことを考えてしまったが、今後の作品にもこの別働隊の面々が出てくるのかは注目しておきたいところである。今回活躍の場が与えられなかった、少年探偵団も負けずにがんばってもらいたいところだ。

 今回の見所はなんといっても“青銅の魔人”が仕掛けた数々の罠を明智小五郎があっという間に、すべて露わにしてしまう所だろう。いつもは怪人に押され気味の明智も、今回は完全勝利といえる内容に仕上がっている。
 また、内容において、一点だけ驚いたところがあった。本書は全体的にはあっさりしていて、どろどろとしたところを極力省いたかの内容になっている。しかし、“青銅の魔人”が今回の事件を起こすにあたって、執念深いともとれるような周到な準備をしているところに驚かされた。少年向けの本であるにも関わらず、こういったところは乱歩らしさが出ているといえよう。もしくは、こういった背景も時代性によるところがあり、当時珍しいことではなかったと考えると薄ら寒さえ感じてしまう。

<キーワード>
 時計収集

<小道具>
 井戸、ゴム、道化師、(中村警部)

<チンピラ別働隊(16人)>
 副団長ノッポの松


虎の牙   

 1950年(昭和25年)01月〜12月 「少年」連載
 1950年(昭和25年)12月 光文社 単行本(『少年探偵全集(2))

<感想> 2004/07/19
 当初の構想では「巨人と怪人」という題であったらしい。しかし「虎の牙」にせよ「巨人と怪人」にせよ、どちらも“アルセーヌ・ルパン”シリーズを意識したものである。

 本書に登場する怪人は“虎男”。しかし、これは現実的には、ちょっときついかもしれない。虎を意識した髪型、虎を意識したかのような扮装・・・・・・それでは単なるタイガースのファンにしか見えない。インパクトが強かったのは虎の牙の跡くらいなものか。

 話的には今回の作品は苦しかったかなというように感じられた。というのも、そろそろワンパターン化してきたところもあり、他の作品との区別をつけるのが難しいようになってきたのではないかと思える。特にそう感じられたのが、今回の怪人の犯行動機。通常であれば、美術品を狙うだとか、何かしらの動機が設けてあるのだが、今回はそういったものが設けられていない。ただ単に復讐ということのみで片付けられてしまっている。まぁ、動機なんていう面に関しては、そういうものであると割り切ってしまったほうが、このシリーズを楽しんで読むことができるという事なのであろう。

 しかし、ワンパターンなどと言いつつも本書では本書なりの楽しみがきちんと設けられている。“館”のとあるトリックなどは外国の有名作品のにあるものを持ってきていたり、また、今回の明智による怪人の出し抜き方なども、なかなかの方法を(といってもシリーズを通読していればお馴染みなのだが)とっており、これも十分楽しむことができる。
 本シリーズは毎回似たようなトリックを使っていながらも、毎回シリーズ集大成のような作品作りを感じさせられ、うまく楽しまされてしまうのだから不思議なものだ。このへんは、乱歩の“編集の妙”とでもいったところか。

 あと、久しぶりに出てきたためか、少年探偵団のメンバーが初めての名前ばかりであった。少年探偵団の設定までには気を使ってはいなかったのかな。

<キーワード>
 虎、魔法博士、手品

<小道具>
 コマ犬、紙芝居、(中村警部)

<少年探偵団>
 花田(中2)、石川(中1)、田村(中1)


三角館の恐怖   

 1951年(昭和26年)01月〜12月 「面白倶楽部」連載
 1952年(昭和27年)09月 文芸図書出版社 単行本

<感想> 2004/07/19
 乱歩の長編で一番好きなものはどれかと聞かれれば、人によって色々な答えが出るであろう。一昔前に聞かれたならば、私は「三角館の恐怖」と答えたであろう。この作品は、それほど私に大きなインパクトを与えた作品であった。ただ、何故“一昔前”という注釈を付けたかというと、本書が乱歩のオリジナルの作品ではなく、ロジャー・スカーレットの「エンジェル家の殺人事件」という作品を日本風に訳したものだと知ったからである。確かに今読んでみると、通常の乱歩の作品とはかなり趣が違うものとなっていることがわかる。
 これを知ったとき、本書が乱歩のオリジナルの作品ではないのは残念と感じてしまった。それほどの名作だと私は思っているのである。

 では本書のどこが名作に値するのだろうか。その一つはさる有名な殺人トリックが用いられていることが上げられる。ひょっとしたら“エレベーター内での殺人トリック”といっただけでわかる人もいるのではないだろうか。このトリックはそれほど有名なものである。
 ただ、私が本書を推しているのは、このトリックに感心したからというわけではない。では、どこに注目しているのかというと、それは動機である。本書に出てくる犯人のその異常な動機がとても印象に残っているのである。
 私が本書を読んだのは小学校高学年のころか、中学の始めのころである。それ以来一度も本書を手に取ることはなかった。何故ならば、犯人を忘れずにずっと憶えていたからである。よって、今回久々に本書を手に取りながらも登場人物表を見れば、犯人を指摘することは容易であった。そのくらいのインパクトが私の中に残されていたのである。

 そして犯人を知りつつも、今回再び本書を読んでみたのだが、犯人を知っていることによって、その仕掛けの入念さに改めて感心させられてしまった。やはり本書は私の中で乱歩作品の上位に位置するものであることを痛感させられてしまった。何度もいうようであるが、「三角館」が乱歩のオリジナルではないことが誠に残念である。それとも、あえて乱歩が日本風に訳したことによる功績を褒め称えるべきなのだろうか。




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