江戸川乱歩<短編>作品別 内容・感想

二銭銅貨   

1923年(大正12年)04月 「新青年」

<感想>2005/08/17
 もうこの作品を読むのは少なくとも3回目くらいだとは思うのだが、大まかな内容は覚えてはいるものの細部に至ってはよく覚えていないということを今回の再読によって知らされた。
 単なる暗号物だと思っていたのだが、物語の始まりは新聞社での賃金強奪事件から始まる。その犯人はすぐに逮捕されるものの、奪われた5万円は行方知れずとなる。その5万円の行方を巡って、貧乏暮らしをしている二人の青年が知恵を競うという内容になっている。

 本編はいわゆる暗号物であり、ホームズの「踊る人形」を意識したかのような内容である。といっても、暗号部分に多くのページを割くような説明調の内容ではないので、かなり読みやすいものとなっている。そして、最後に仕掛けたどんでん返しがなんともいえない効果をかもしだしている。
 ようするに知識が過剰にある暇な学生がどうにも時間をもてあましたときに思いつくかのような気の効いたものと言ったところか。その当時で言えばこれは青春ミステリーと言っても良いものなのかもしれない。

<登場人物>
 私、松村武


一枚の切符   

1923年(大正12年)07月 「新青年」

<感想>2005/08/17
「二銭銅貨」と同時期に書かれた作品と言うが、「二銭銅貨」に比べれば知名度はやけに少ない作品であると思われる。しかし、その内容は驚くほど緻密な本格ミステリーが展開されているものとなっている。しかも扱っているのは“足跡トリック”である。これはなかなかの作品であると言えよう。ただ、最後の場面であえて効果を狙ってか、あいまいな形で終わらせてしまったところが当時ではマイナス要因となったのではないだろうか。そのせいで、あまり高く評価されなかったのだろうかと考える。
 また、もうひとつ興味深いのは「二銭銅貨」では松村という人物に対して私という形でしか出てこなかった人物が、「一枚の切符」では左右田五郎という名前で登場しているのだ。この左右田という人物、どうも明智小五郎の前身ではないかと思われる。そういった意味でもなかなか興味深い一編となっている。

<登場人物>
 左右田五郎、松村


恐ろしき錯誤   

1923年(大正12年)11月 「新青年」

<感想>2005/08/19
 北川氏の独白で語られる、少々変った形の復讐譚。火事で妻を亡くした北川氏が、その出来事を元にかねてからのライバルであった野本氏に復讐を仕掛けるという内容。
 これは“二人の男の対決”を描いた最初の作品であろうか。この後に書かれる乱歩作品の中で二人のライバル関係の男による“対決”が描かれたものをいくつか見てとる事ができる。その走りがこの作品となるのであろう。
 感想としては、短編のわりに少々長めといったところ。乱歩氏の作品らしく、きちんとひねりを入れてはいるものの意外性としては欠けていると感じられた。もう少しすっきりと収めてくれればもっと読みやすかっただろうと思える。
 あとがきに書いてあるのだが、3作目という事で自信満々で書いたものの編集者の評価はかんばしくなく、なかなか世に出なかった作品との事。

<登場人物>
 北川氏、野本氏


二癈人   

1924年(大正13年)06月 「新青年」

<感想>2005/08/19
 これは“夢遊病”を主題として描いたミステリ作品。
 短いページの中でうまくまとめられており、乱歩氏らしさがもっとも色濃く出ている短編作品と言えよう。
 本編にて強く感じ入ったのは、その内容よりも“あとがき”に書かれていた事。そこで乱歩氏は、探偵小説のトリックは殆ど外国人が書き尽くしている、と言ってしまっている。そして、そのトリックをひっくり返すことによって効果を狙ったのが乱歩氏自身の小説であると言及しているところは印象的。この事は乱歩作品を読み取る上でも重要なキーワードとなる事であろう。

<登場人物>
 井原氏、斎藤氏


双生児   

1924年(大正13年)10月 「新青年」

<感想>2005/08/19
 死刑囚の独白を綴った作品。男はできの良い兄を殺し、自分がその兄になりかわったというのだが・・・・・・
 乱歩氏の作品中でも有名な“双子もの”、“いれかわりもの”が最初に描かれた作品といえよう。ただ、本編で興味深かったのは、双子という設定が主題ではなく、実は描きたかったものというのは“指紋トリック”であるということ。
 とはいうものの、再読のはずなのに本書が指紋トリックを扱ったものであるという記憶はほとんどない。どちらかといえば、やはりタイトルにあるようにあくまでも“双子もの”という印象しかない。


D坂の殺人事件   

1925年(大正14年)01月 「新青年」

<感想>2005/08/19
“D坂”といえば乱歩氏の短編作品の中でもかなり有名な作品のはずである。しかし、その“D坂”というタイトルのインパクトと、明智小五郎初登場という事以外の内容についてはあまり印象に残っていなかった作品でもある。
 本編は喫茶店からずっとある家を監視していて、誰も人の出入りがなかったにも関わらず殺人が行われていたと言う事件を扱ったもの。殺害された婦人の体に無数の傷跡があったということや、目撃者の情報が白い服と黒い服を着ていたという全く違った証言がでてきたという事などが鍵となり、話が進められる。

 ここで興味深いのは明智が犯人を指名する際に“心理的な探偵法”を用いて事件を解決したと言っている事。しかし、本編の中ではその“心理的”という手法が成功しているようには感じられなかった。その手法と言うのがかいつまんで言ってしまえば、容疑者となりうる者が二人しかいなかったゆえに、その二人に尋問して、顔色をうかがってみたという事にすぎないように思えた。どちらかと言えば、何故乱歩が“心理的”というものを持ち出したのかという背景もふまえてある次の短編の「心理試験」のほうが、その効果が現われていると感じられた。
 あと、本編のもうひとつの特徴としては昭和初期に探偵小説に台頭してくる“エログロ”というものが扱われつつあると言う事が読み取れるようにもなっている。

<登場人物>
 明智小五郎、私


心理試験   

1925年(大正14年)02月 「新青年」

<感想>2005/08/23
 これも乱歩の代表的な作品のひとつといってよいであろう。犯人を特定するために“心理試験”というものを用いるというところは今でもある意味斬新だと感じられる。この作品以降も推理小説としては、ありそうであまりみられないタイプのものと言ってもよいのではないだろうか。
 また、本書を読んだときに感じたのは“乱歩版『罪と罰』”という事。と思っていたら、実際あとがきで乱歩自身が「罪と罰」をモチーフとして書いた作品と明かしている。ただし、こちらの主人公が感じる苦悩は罪を犯したということよりも、罪がばれはしないかという事。そして、それがばれないようにと積極的に策を張り巡らせるがゆえに、明智小五郎の心理試験によって罪が暴かれてしまう。
 ただし、よくよく考えてみれば推理小説としてはアンフェアであるような気がしてしまう。

<登場人物>
 明智小五郎、蕗屋清一郎、斉藤勇、笠森判事


黒手組   

1925年(大正14年)03月 「新青年」

<感想>2005/08/23
“黒手組”という着想は面白かったと思う(ひょとして当時実在の似たような事件があったとか?)。ただ、それを生かしきるには短編という形態が合わなかったというところか。そんなわけで、オチを作って話をひっくり返してしまったからこそ、“黒手組”の存在が薄くなってしまったという皮肉な結末を迎えてしまったように感じられた。

<登場人物>
 明智小五郎、私、私の伯父一家、誘拐された娘・富美子、書生の牧田


赤い部屋   

1925年(大正14年)04月 「新青年」

<感想>2005/08/25
 これも乱歩の代表作のひとつである。なんといっても、その秘密倶楽部という舞台着想が面白い。さらにはそこで語られる一人の男による完全犯罪の数々。そのひとつひとつのエピソードもさることながら、最後の最後まで息を抜く事のできないどんでん返しの様相がすばらしい。本編は“トリック”によるミステリーではなく、着想と物語とどんでん返しによるミステリーであると言えよう。

<登場人物>
 T氏


日記帳   

1925年(大正14年)03月 「写真報知」(「恋二題 その一」)

<感想>2005/08/25
 弟が遺した日記帳から兄がその裏に潜む悲劇を探り明かすというもの。「新青年」ではなく、「写真報知」という別の書誌に掲載されたもののためか、あまりミステリーという感じはしない。それでも“暗号”をわざわざ用いているところには乱歩らしさを垣間見える事ができる。


算盤が恋を語る話   

1925年(大正14年)03月 「写真報知」(「恋二題 その二」)

<感想>2005/08/25
 前述の「日記帳」と同様「写真報知」にて書かれた短編であるが、こちらは良くできていると思われた。本編は乱歩らしからぬ、微笑ましさと初々しさが感じられる作品となっている。とはいえ、恋文の代わりに算盤を使った暗号を用いる恋の不器用さは乱歩らしいと言えるのではないだろうか。


幽 霊   

1925年(大正14年)05月 「新青年」

<感想>2005/09/04
 実業家の平田氏が亡くなったはずの辻堂という男の幽霊に付きまとわれ、恐怖すると言う話。
 本書ではひねりというひねりがほとんどなく、どちらかといえばミステリーというよりも現代的にいえばストーカー・ホラーというような形態の小説である。読んでいる途中では心理的なトリックを駆使した作品かと思ったのだが、実は直接的なトリックだという結末。それこそをひねりといえないことも無いのだが。

<登場人物>
 明智小五郎、平田氏、辻堂親子


盗 難   

1925年(大正14年)05月 「写真報知」

<感想>2005/09/04
 宗教家に金を盗むと予告を出して、まんまと賊が金をせしめる話。
 読んでいるとなんとなく三億円事件を思い起こしてしまう。予告状を出しているところなどは後の二十面相ものへの布石かと言ってしまうのは言いすぎであろうか。そしてラストの、他の作品にもよく見られるのだが、ぼかした終わらせ方となっているところは人によって好みが別れるところであろう。


白昼夢   

1925年(大正14年)07月 「新青年」(「小品二篇 その一 白昼夢」)

<感想>2005/09/04
 本編は乱歩の短編の中でもかなり短い作品。乱歩の短編と言うよりは夢野久作を思い起こすような内容。
 本編で興味深いのはあとがきにて乱歩自身が語っているのだが、この作品が好評を得た事により、だんだんと本格から離れた作品を書くようになっていったという事。その作品群の分岐点となるべき所がこの短編であると言う重要な位置付けの作品である。


指 環   

1925年(大正14年)07月 「新青年」(「小品二篇 そのニ 白昼夢」)

<感想>2005/09/04
 汽車の中でのAとBという男同士の会話。ひとりは“すり”でもうひとりは・・・・・・
 という内容なのだが、短編というよりはショートショートという感触。特別な印象は残らない普通の小説といったところ。


夢遊病者の死   

1925年(大正14年)07月 「苦楽」(「夢遊病者彦太郎の死」)

<感想>2005/09/04
 夢遊病を扱ったものであり、「二廃人」の焼き増しという感じがする。ただ、そこに探偵小説らしいトリックを駆使することによって、なんとかそれらしいものに仕上げていると言えない事もない。とはいえ、ラストのオチからすると、ブラックユーモア作品と言うようにもとることができる。

<登場人物>
 彦太郎、彦太郎の父親


百面相役者   

1925年(大正14年)07月 「写真報知」(7/15、7/25 二回)

<感想>2005/09/04
 とある百面相役者がその能力を生かして犯罪を繰り広げているのではないかとRが僕に話を持ちかけてくるのだが・・・・・・
 今で言えばレクター博士の話を扱っているかのような内容の小説。オチとか、トリックとかそういったことよりも、この根幹となっているストーリー自体が一番の見るべきところであると思える。“人肉の面”などというのはいかにも乱歩らしく聞こえる単語である。

<登場人物>
 僕、R


屋根裏の散歩者   

1925年(大正14年)08月 「新青年」

<感想>2005/09/04
 純粋なミステリーとは言いがたいが、怪奇的な様相が色濃く出ている良作。屋根裏から他人の部屋を覗き見る秘戯と、そこから考え出される殺人遊戯。これらがうまい具合に重なり合い、奇怪で他に類を見ないような小説として完成されている。現代では成しえることができないからこそ、屋根裏からの遊戯というものがさらに怪しく感じられ、それが平成の時代になっても色あせない魅力となっている作品といえよう。

<登場人物>
 郷田三郎、明智小五郎


一人二役   

1925年(大正14年)09月 「新小説」

<感想>2005/09/04
 これはちょっとした悪戯が、大げさな話へと発展していく内容の作品。といっても、事件性というものよりもむしろ最終的には微笑ましささえ感じられる作品。「算盤が恋を語る話」とはまたかなり違っているが、これはこれで乱歩流のラブロマンスであると言えるかもしれない。

<登場人物>
 僕、T


疑 惑   

1925年(大正14年)09月 「写真報知」(9/15、9/25、10/15 三回)

<感想>2005/09/04
 乱歩にしてみれば一風変った作品。ようするに一般的か見地から言えば、普通の作品という事である。どちらかといえば、文学的な作品といえなくもないであろう。家族中から疎まれている父親が死んでしまうのだが、その死について家族中が互いを疑うという内容。最終的にも探偵小説らしい結び方をしているとはいいがたく、その終り方は乱歩の小説にしては、違った意味で中途半端に感じられた。結末を決めかねたまま終わってしまったような、という気がしてならない。


人間椅子   

1925年(大正14年)11月 「苦楽」

<感想>2005/09/04
 これは今までの作品と違い、推理小説でも怪奇小説でもなく、完全にエログロという分類に入るジャンルの短編といいきってよいであろう。ただ、グロテスクさはそれほどでもなく、言い方を変えるのならばフェチズムにあふれた小説といえよう。なんといっても椅子の中に入り込み、人が座る感触を楽しむという変態的な趣味が面白い。そのような性癖を手紙で明かしているのだが、その手紙を読んでいるほうにしてはたまらなく、身震いするほかないであろう。


接 吻   

1925年(大正14年)12月 「映画と探偵」

<感想>2005/09/04
 前述の作品のいくつかに見られたような、ちょっとした夫婦の恋愛模様を描いた作品。ただ、なんとも亭主の行動が子供地味過ぎているように感じられた。ちょっとした嫉妬話を大げさに描いたかのような作品。

<登場人物>
 山名宗三、妻、課長村山


踊る一寸法師   

1926年(大正15年)1月 「新青年」

<感想>2005/11/23
 こういう作品のことを“フリークス”と言えばよいのだろうか。今現在ではこのような作品は発表する事はできないだろうなぁと考えてしまう。要するに、ある種のいじめられっこが最後には復讐するという作品。その情景描写が効果的に実に気味悪く描かれている。最後の場面の一寸法師が踊っているところなどは、夕闇に黒いシルエットの中踊っている姿がまざまざと浮かび上がってくるようである。


毒 草   

1926年(大正15年)1月 「探偵文藝」

<感想>2005/11/23
 ショート・ショートといっても良い作品である。短いページの中で物語がまとめられており、ホラー作品のような薄ら寒さを感じさせるような内容となっている。
“堕胎”というものに対する、その当時の世相を書き表した作品とも言えよう。


覆面の舞踏者   

1926年(大正15年)1月、2月 「婦人の国」

<感想>2006/02/05
 物語の始まりは「赤い部屋」を思わせるようなものとなっている。ただし、この作品はタイトルどおり、そこから“仮面舞踏会”へと進んでゆく。つまり、退屈しきった金持ち達が集まり、そのうちの一人の男の提案により“仮面舞踏会”が開かれると言うもの。そして主人公は見知らぬ女と踊っていたのだが、その女にどこかで会ったかのような・・・・・・という展開。
 その後、主人公が悩む事になるものの、自業自涜しか言いようがない。というよりもむしろ主人公は楽しむべきなのでは? とまで思ってしまう。
 ただ、もっと驚くべきことは、これが当時の婦人雑誌に掲載されていたと言う事。こういう内容が求められていたのだろうか?


灰神楽   

1926年(大正15年)3月 「大衆文藝」

<感想>2006/02/10
 倒叙小説として展開されてゆく小説。読んでいくと「心理試験」に近いような内容になっている。最初は「罪と罰」のように主人公の後悔の気持ちを心理的に描く作品かと思っていたのだが、それほど深いものではなく、主人公の稚拙な作為によって犯行がばれてしまうというもの。乱歩の作品にしては、これという特徴もなく普通に終わってしまったなという作品。


火星の運河   

1926年(大正15年)4月 「新青年」

<感想>2006/03/12
 ひと言でいえば、幻想小説。もともと乱歩氏の作品は「パノラマ島綺譚」を始めとして、幻想色の強いものが多い。その幻想的な描写の中で探偵小説を描くのが乱歩流であるといえよう。
 そういった中で、この作品では幻想小説のみという趣になっている。ただし、最後にオチを付けて、いつもの乱歩氏らしい探偵小説へと帰結してはいるが、かえってその部分は余計であったようにも感じられた。


五階の窓   

1926年(大正15年)3月 「新青年」(リレー連作第一回)
平林初之輔、森下雨村、甲賀三郎、國枝史郎、小酒井不木(十月まで書き継がれた)

<感想>2006/03/12
 これは今までの乱歩氏の作品とは異なり、やけにモダンな雰囲気の小説であると思いきや、なんとリレー小説の第一回作品。ゆえに、その出だしだけで終わっている。その出だしだけで話に惹きつけられたので、できることなら他の人のパートも合わせて全て掲載してもらいたかった。さらに付け加えると、自作解説によって後のパートの内容がネタバレされていてさらにショックを受けることに。


モノグラム   

1926年(大正15年)6月 「新青年」

<感想>2006/05/02
 これは「日記帳」「算盤が語る恋」と同系統の恋愛もの。出だしの経験談を聞かされるところからの始まりは従来の乱歩らしさが感じられるのだが、この作品はいたってなごやかな雰囲気の中で話が進んでゆく。そして最後のオチもどんでん返しというよりは、ほろ苦さを感じるようなものとなっている。こういう話もたまには良いであろう。


お勢登場   

1926年(大正15年)7月 「大衆文藝」

<感想>2006/05/03
 これはある意味「パノラマ島」や「白髪鬼」に通ずる話ではないだろうか。途中で長持ちの中に閉じ込められた夫と、その外にいる妻との情景・心情の描写が切り替わる。そこに「お勢登場」というタイトルが生きてくる。色々な意味で書き手の“うまさ”が伝わってくる作品。これはなかなかの名作ではないだろうか。


人でなしの恋   

1926年(大正15年)10月 「サンデー毎日」

<感想>2006/05/31
 この作品は普通の新婚の夫婦であったはずが、あるとき妻が夫の奇行に気がつき・・・・・・というもの。これは乱歩らしさが存分に感じられる作品といえるのではないだろうか。個人的には好みの内容であったが、当時は不評であった様子。ひょっとしたら、発表した時期が早すぎたのかもしれない。題材を少し変えれば現代でも通用しそうな話であると思える。現代風に考えたほうがこれはグロテスクになるか。


鏡地獄   

1926年(大正15年)10月 「大衆文藝」

<感想>2006/06/01
 鏡やレンズなどといった、さまざまな“もの”を写すもの魔力に魅入られて狂っていく男の様を描いたもの。
 今でこそ、写真や映像といったものはあたりまえのものとなっているが、昭和の時代にそれらの魅力に取り付かれた者は多かったのではないだろうか。そして、それらに取り付かれたものがいたからこそ、映像などがここまで発展してきたといえるのかもしれない。この物語の中の男はあくまでも極端な例ではあるが、化学に取り付かれる、魅入られるという部分ではある種の共感をいだくことができる作品である。
 また、本書はもう様々な短編集等で何度も読んでいるのだが、この作品だけは忘れることなく記憶の片隅に残り続けている。それくらい印象深いラストである。


木馬は廻る   

1926年(大正15年)10月 「探偵趣味」

<感想>2006/06/04
 まさに乱歩流“フリークス”といった作品である。ミステリというよりは、恋愛小説というような内容になっているのだが、これもまた乱歩らしく、ゆがんだ恋愛模様が描かれている。


芋 虫   

1929年(昭和04年)1月 「新青年」(改題:「悪夢」)

<感想>2006/08/13
 これもなかなか有名な作品ではないだろうか。ただ、乱歩が妻から不気味だと言われたり、また自身で戦争により不倶となった人に申し訳ないとの思いから最初の発表以降は公表を避けてきたようである。また、戦争に対する恐怖を表すものとして発禁になったり、戦争の悲惨さを知らしめる作品ということで絶賛されたりと、さまざまな扱いを受けてきた作品でもある。
 と、そんなこんなの理由もあって、なかなか評価しにくい作品であるが、ホラー的な色合いが濃く、恐怖をそそる作品である事は確かである。色々な意味で印象に残り続ける作品。




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