<内容>
<感想>
<内容>
ネヴァダ州の砂漠を突っ切るハイウェイ50。一人の警官が、通りがかる人々を次々と拉致していた。彼らが幽閉されたのは、デスペレーションという名の寂れた鉱山町。しかも、町の住民はこの警官の手で皆殺しにされていた。妹を目前で殺された少年デヴィッドは、神への祈りを武器に、囚われの人々を救おうとするが・・・・・・
<感想>
主題は“神”の存在とでもいうのだろうか。あらすじだけ追うと、ただの善と悪の闘い、となってしまうのだが、そこに“神”の声を聞くことができるゆえに、一人悩む少年がいる。
彼は“神”の声が聞こえることによって、“神の存在”を認める。しかし自分の家族が死んで行くことを助けることができなかったことによりその“神”がどのような“存在として、何をなしてくれるのか”ということに悩む。人から「神は残酷なのだ」と教えられ、不条理のなか、少年は現実へと立ち向かっていかなければならない。世間や社会の不条理をより拡大し、より残酷なこの“デスペレーション”のなかで、普通の少年よりも早い時期にデヴィッドはそれを学び、歩き始める。これは残酷な、少年の成長の物語でもあるのだろうか。
<内容>
オハイオ州の閑静な住宅街に起きた突然の発砲事件。奇妙なワゴン車から発せられた銃弾が、非常にも、新聞配達の少年の命を奪った。だが、悲劇はそれだけでは終わらなかった。SFアニメや西部劇の登場人物たちが、次々に街頭に現れては、住民達を無差別に襲撃しはじめたのだ!
<感想>
一つの作品ではあるけれども、やはり位置付けとしては、デスペレーションのパロディというところだろう。これ一作ではえるという作品ではない。内容はデスペレーションとは関係ないといってよいのだが、それでもデスペレーションがあって初めて意味のある一つの作品になるといいきれるだろう。
<内容>
ベストセラー作家マイク・ヌーナンは、突如妻の死に遭遇することとなり、その死を乗り越えなければならない羽目に陥る。妻の死を引きずり続けるマイクはやがて小説を書くことができなくなる。マイクはある日思い立ち、妻との思い出が残る別荘へと行き、そこでしばらく過ごすことを決める。すると、そこでとある少女と出会ったことにより、地元の権力者がからむトラブルに巻き込まれる羽目となる。そうしたなか、別荘にてマイクは数々の怪奇現象に見舞われることとなり・・・・・・
<感想>
文庫版で発売されたときに購入したもので、約15年もの積読本。ようやく読むことができたのだが、これが読み始めは、全く面白いとは思えなかった。主人公である作家の妻が不慮の死を遂げるのだが、その後、その妻の死に対する虚無状態のような描写が延々と続く。そうした場面に何の面白みもなく、この作品を最後まで読み通すことができないのでは? と考えたくらい。しかし、中盤以降、それまでの展開が嘘のように物語が動き始める。
主人公が別荘へと移り住むようになってから、話の展開がやたらと早くなる。度々遭遇することとなる別荘での怪異、母娘との出会いと邂逅、地元の権力者からの嫌がらせ、さらにその嫌がらせは母娘をからんでの裁判沙汰へと発展してゆく、そして妻が生前調べていた“何か”。そういった出来事が矢継ぎ早に現れ、さらには読み手の予想を覆す展開がどんどんと続き、一気に濁流に巻き込まれるようにラストのカタストロフィへと向かうことになる。
地元の権力者が出て来てからは、単なる偏執狂との戦いというような話なのかと思ってしまったのだが、実はしっかりとした動機が隠されていたことに驚かされた。この真相により、それまでの町の人々の様相の裏に隠されたものが明らかとなり、全てが腑に落ちるように作り込まれている。単なるホラー作品としてだけではなく、ミステリとしてもなかなか読み応えのある作品であった。
読み始めた時は、全く手ごたえがなかったものの、これは序盤我慢をして、最後まで読み通して良かったと思える作品。
<内容>
9歳のトリシアは、母と兄との3人でメイン州のアパラチア自然遊歩道に来ていた。兄は父と母が離婚したことにより引っ越したことで、現在の学校でうまくいかず、今回の小旅行の間も母親と口論を繰り返すばかりであった。そんな二人にうんざりしたトリシアはトイレに行きたくなったのをきっかけに二人からそっと離れてゆくことに。するといつの間にかトリシアは道に迷ってしまい、巨大な森の中で一人彷徨うこととなってしまう。ラジオを聞くことができるウォークマンのみを拠り所とし、トリシアは独り歩き続け・・・・・・
<感想>
スティーヴン・キングにしては珍しい短めの作品。森で家族からはぐれた9歳の少女がどのようにして、その脅威に立ち向かうのかを描いた作品。ある種のサバイバル小説でありつつも、そこはキングらしくホラー色もふんだんに取り入れて物語を脚色している。
9歳の少女の絶望的な状況をよくぞ描き切ったとも言えるし、もしくは単に遭難が描かれた作品と切り離すこともできると思われる。前者としては、よくぞ読む側を飽きさせずに、その状況を描き切ったと言えるし、後者としてはかくべつな盛り上がりや強弱もなくとも感じられる。
まぁ、それでもただ単に遭難を描くだけではなく、メジャーリーグのクローザーをヒーローとして、それを心のよりどころとして孤独に立ち向かうという要素をうまく生かしているなとは感じられた。限定的な設定のなかでよくぞ書き上げた作品とも言えるであろう。
<内容>
1960年、母子家庭で育つ11歳のボビーは、新しい自転車が欲しくて悩んでいた。そんなとき、近所に謎の老人テッドが引っ越してくる。母親はテッドを胡散臭く感じているようであるが、ボビーはテッドに惹かれ、次第に仲良くなってゆく。テッドが言うには、彼は“黄色いコート”を着た者たちから逃げていて・・・・・・
<感想>
スティーヴン・キングの作品と言えば長いことで有名なのだが、この作品は読んでいていつも以上に長く感じられた。通常であれば、どこかで盛り上がってから一気に結末へと至ることが多いものの、この作品はそのへんがちょっと違うものとなっていた。
上巻はひとりの少年と引っ越してきた老人との邂逅が語られてゆく。怪しげな存在のものたちから逃げているという老人。母親との生活、買いたい自転車、ガールフレンド、いじめっ子などに悩む普通の少年。その少年の生活がやがて一変するような出来事が起こる。というところで上巻の後半になってようやく盛り上がり下巻へ突入となるのだが、その下巻からはまた別の話が語られることとなる。
下巻は中編と短編が掲載されたような感じになっており、トランプゲームにあけくれる学生、ベトナム戦争帰りの男二人の物語が紹介されてゆく。この作品の主人公は上巻に出てきたボビーとテッドなのかと思いきや、実は作品を通してキャロル・ガーバーに関わったもの達の様相が描かれた物語となっているのだ。読んでいくと次第にそれらが明らかになってゆく。
そして最後に全ての伏線が回収されるかのように物語がまとめられることに。とはいいつつも、そこまで劇的かというと、それほどでもない。これは、もし最後の章で劇的な印象を与えたいのならば、全体的にもっと短めの連作短編としてまとめるべきであったと思われる。結局、話が長すぎて最後にまとめようにも何が何だか・・・・・・
<内容>
ベストセラー作家、スティーブン・キングが自らの体験に照らし合わせて綴った自伝的文章読本。
「履歴書」
「道具箱」
「書くことについて」
「生きることについて」
「閉じたドア、開いたドア」
<感想>
本書は「小説作法」というタイトルで出ていた作品の新訳であり、補遺の一部を追加したもの。スティーブン・キングによる小説の書き方が描かれた作品。
序盤はキングの人生を描いたものであるので、そこに興味がなければ飛ばしてもよいかもしれない。その後からは、思っていたよりも深く“小説の書き方”について描き上げられている。
小説を書く際にここまで深く考えているのかと感心させられてしまった。自分なりの気に入った書き方だとか、他の作家の好きな文章なども取り上げられている。また、プロットを重要視していないという作法については驚かされた。書いているうちにストーリーが自然に湧き出てくるという感覚で書いているよう。また、書く環境も大切なようである。
私自身は別に作家を目指しているわけではないのだが、本を書こうとしている人にとっては、結構役に立つ作品ではないかと思われる。ここに書かれているのが唯一の方法というわけではないのだろうが、少なくとも一つの作法であるということは間違いない。また、キングがどのように作品を書いているのかを知ることによって、読む側のほうも別の楽しみが増えることになる。
<内容>
幼なじみのジョーンジー、ヘンリー、ビーヴァー、ヘンリーの四人は大人になってからも互いの交流を絶やさず、毎年秋になると山小屋に泊まり、鹿討ちを楽しんでいた。しかし、今年はその山小屋に一人の奇妙な遭難者が現われたことを発端に、大きな事件に巻き込まれていくことになる。
<感想>
最初は、4人の少年が成長して、彼らが集まったときに過去を掘り起こすなんらかの出来事が起こり、恐怖を体験することになる、というような物語を想像していた。ところが話は段々と大きくなり、やがては異性人との生存をかけた戦いにまで勃発していくことになる。
全体的な感想からすれば、面白いし、なかなか読める本であるといえる。しかし、それはスティーブン・キングの本であれば当たり前であろう。だからキングの著書であれば、常にそれ以上のものを期待してしまう。本書がそこまで応えることができたかというと微妙である。
やはり一番に感じるのは話が大きくなりすぎたという点。そのために物語の幅は広がり、展開を読むことができなくなるという効果はあるものの、逆に主人公達の過去のエピソードの効果というものが薄れてしまったようにも思える。ホラー作家であるがゆえに、ただ単にいい話で終わるようなことはないのであろうが、もう少しダディッツのエピソードをわかり易く交えてもらっても良かったのではないだろうか。また、軍隊の投入により登場人物が増えるのだが、カーツの存在が必要であったのかも疑問に感じるところである。
本書では部分部分では、それぞれ楽しむことができる。現われ出でる“怪物”の存在や四人がひとりひとりになったときの描写などには恐怖を感じ、“追跡”の部分ではサスペンスと楽しめ、過去のエピソードは心温まる良い話として、それぞれ読むことができる。しかし、それらの話が一つにまとまりきらなかったように感じられた。もう少し、単純な話でもよかったのではないだろうかという印象が残る。
<内容>
「第四解剖室」
「黒いスーツの男」
「愛するものはぜんぶさらいとられる」
「ジャック・ハミルトンの死」
「死の部屋にて」
「エルーリアの修道女 <暗黒の塔>外伝」
<感想>
キングの短編集。「Everything's Eventual」というタイトルのもとに色々な作品が収められている。日本では2分冊されており、「第四解剖室」はその一冊目。
「第四解剖室」 意識があるのにも関わらず、解剖されている男の恐怖を描いた作品。単に夢物語で終わらせていないところがまた恐ろしい。仮死状態で埋葬された話というのは小説でたまに目にするが、解剖される話というのは珍しいのでは?
「黒いスーツの男」は、少年時代の夏の一幕を描いた作品。“ひと夏の夢”というか“ひと夏の悪夢”といったほうがふさわしいか。少年のみの話ではなく、大人が介在しているところが現実味があって恐ろしくも感じられ、またその大人の登場によって救いも感じられる。
「愛するものはぜんぶさらいとられる」は、セールスマンのとある行動を描いた作品。なんとなく大人であれば、行動には移さないかもしれないが、誰もが考えそうな一幕という感じがしてならない。ただし、結末がなければ、なんとも判断のしようがないような・・・・・・そのほうが救いがあってよいのかな?
「ジャック・ハミルトンの死」は、実在したギャング、ジョン・ディリンジャーと行動を共にしたジャック・ハミルトンについて描いた作品。ただし、そのジャック・ハミルトンという人物が実在の人物なのかはよくわからない(キングの添え書きでは史実であると言っているが)。まぁ、そんなギャングらの生活の一風景。
「死の部屋にて」は、拷問を描いた物語・・・・・・に終始するのかと思いきや、最後にもうひと盛り上がりを見せる作品。ちょっとしたスパイ・アクション小説のような雰囲気。
「エルーリアの修道女 <暗黒の塔>外伝」は、ローランドの別の物語を描いた作品。ただ、ローランドがずっと登場している割には、肝心なその活躍場面は少なかったような。ローランドが経験した、まさいく悪夢のような物語といったところ。
<内容>
「なにもかもが究極的」
「L・Tのペットに関する御高説」
「道路ウイルスは北に向かう」
「ゴーサム・カフェで昼食を」
「例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚」
「1408号室」
「幸運の25セント硬貨」
<感想>
「Everything's Eventual」というタイトルで出版された短編集。日本では2分冊されており、本書は「第四解剖室」に続く二冊目。
印象に残る作品と、あまりパッとしない作品の両極端にわかれたような。「なにもかもが究極的」 少年が日々行うこととなった不可解な仕事の顛末を描くもの。とっかかりは面白そうであったが、そのまま盛り上がらずに終わってしまった。今作では一番長い作品のわりには一番印象の残らなかった。
「L・Tのペットに関する御高説」は、ネコ派? イヌ派? そして夫婦の仲は・・・・・・というようなものを描いている。単に夫婦の顛末を書き上げたものであるが、イヌ・ネコを効果的に使ってうまく描かれている。
「道路ウイルスは北に向かう」は、不気味な絵を買った男の行く末は!? という内容の作品であるが、以前読んだキングの作品で「写真」で同じようなことをやっていた作品があったような。
「ゴーサム・カフェで昼食を」は、離婚調停を行うはずが、なんとも理不尽な出来事が起こり・・・・・・。これが一番印象に残った作品。単なる離婚調停の作品のはずがとんでもない展開が待ち受けている。その出来事の理不尽さがなんとも言えない。
「例のあの感覚、フランス語でしか言えないあの感覚」は、夢か? 幻か? 白昼夢か? キングの作品で、今までこういうような白昼夢的な内容のものってあったかな? 日本ではありがちな作品のようにも思えるのだが。
「1408号室」は、とあるホテルのいわくつきの1408号室で起こる不可解な出来事を描く。ありがちなホラー作品でありながらも、その部屋で起きる恐怖をうまく描いている作品だと思われる。理不尽なわりにも、ホラーゆえの説得力がある作品と感じた。
「幸運の25セント硬貨」は、幸運の25セント硬貨がもたらす幻?? ちょっとしたおまけという感じの作品。
<内容>
ペンシルヴェニア州の州警察、D分署。そこにネッド・ウィルコックス少年が度々訪れるようになる。彼の父親はD分署に勤める警官であったのだが、勤務中に不慮の交通事故で殉職したばかり。そういうわけで、ネッドは家族ぐるみの付き合いがあったD分署に訪れるようになったのである。そのネッドが目にとめたのは、ガレージにしまわれていたビュイック8。何故、こんな車が保管され続けているのか? ネッドの父の親友であったサンディ・ディアボーンは、ビュイック8に関する信じられないような逸話を話し始め・・・・・・
<感想>
スティーヴン・キングの積読のひとつ。ようやく読み終わった。キング作品にしては薄めのページ数と感じられたので、すぐに読み終えられるかと思っていたのだが、思いのほか時間がかかってしまった。というのも、全体的に興味を引くような内容ではなかったというのが一番の要因。さらには、遅々とした展開で、話が全然先に進まない物語といったところもまた要因の一つ。
基本的には怪しげなビュイックという車に対し、警察署員たちが、ただひたすら振り回されるというもの。一応、読んでいれば、そのビュイック自体が異世界の扉のような存在で、簡単に触れたり近づいたりしたら危ういということはわかるのだが、どこかひたすら大人たちが車の近くで右往左往しているだけのようにも感じられた。
読んでいる最中は、そうした手に負えないものがあれば、しかるべき機関へ受け渡し、そして事態の解決を図ったほうが良いのではと思えてならなかった。しかし、読み終えた後には、こうした未知のものに対して、あえて公にせずに、誰の目にもとまらないところで封印して朽ち果てさせるということも重要なことだと思い直すこととなった。これを公にしなかったからこそ、田舎町のガレージのなかだけで事が収まったのだとも考えられる。そんな教訓を描いた一冊という印象を残したうえで、ビュイックの存在と共にページを閉じて、物語を終えた。
<内容>
美術教師のクレイがひとりでボストンを歩いていると、突如世界が地獄へと変貌した。後に“パルス”と呼ばれるその事象は、携帯電話を使用していた人々が突如凶暴になり、争いを繰り広げ始めた。携帯から遠ざかっていた少数の者のみが、その“パルス”から逃れ、凶暴化した人々から身を守ろうとする。クレイは、口髭の小男トムと15歳の少女アリスと共に、ボストンを脱出しようとし・・・・・・
<感想>
雰囲気的にはよいのだが、見せ場があまりない作品という感じ。結局、何のために? とか、何故? とかいった理由が全く語られていないところが原因か。とはいえ、その実は、そういった雰囲気のみを楽しむべき作品であるのかもしれない。
携帯電話を使用した者に対して起きた“パルス”という現象。それにより、携帯電話を使用していた者は、皆狂人化してしまう。いたって普通の人という感じである主人公は、偶然出くわした者たちと共に、事態から脱却し、自分の家族の行方を捜しに行こうとする。
と、そんな感じの内容であるが、携帯電話を利用するということよりも、その現象により携帯電話を使えなくするという発想にこそ感心させられた。それだけで、一気に人々のコミュニケーション手段が限られて、混沌とした世界に迷い込むことになってしまうというのは、現実的にもありえそう。
と、そういった発想は良かったのだが、そこからは単に彷徨うだけとなる展開は、なんとももったいなかったような。一応、途中途中で、打開策というか、反撃というか、そういった行為がなされはするものの、それがどれほどの効果があり、何を意味しているのかさえも、よくわからない程度でしかなかった。やはり、もう少し全体像がはっきりしていたほうが良かったのではなかろうかと。
ちなみに、映画化されたらしいこの作品であるが、映画自体はかなり酷評されたらしい。と、付け加えておく。
<内容>
自身が経営する建設会社で働いていたエドガー・フリーマントルであったが、業務中の事故により重傷を負い、片手を失ってしまうことに。さらには、その怪我が元で精神的に不安定になり、妻と離婚することとなってしまう。医師の勧めにより療養のためメキシコ湾に浮かぶ島“デュマ・キー”にひとり滞在することとなったエドガー。近所に住む島のオーナーである老嬢エリザベスとその使用人であるワイアマンと邂逅し、特にエドガーはワイアマンとの仲を深めていく。そうしたおり、エドガーは昔ながらのちょっとした趣味であった、絵を描き始めることに。すると、その絵に宿る力が思わぬ効果をもたらすこととなり・・・・・・
<感想>
キングの積読本のひとつを読了。結構分厚い作品であった。本書のタイトルから想像する内容はどんなものであろう? いわくありげな島に人々が集まり、そこで呪われたような惨劇が繰り広げられ、最後には生き残った人々がからくも脱出する・・・・・・というような想像をしそうな作品であるが、読んでみたらずいぶんと異なるものであった。
簡単に言えば、一人の初老の男の再生を描いた作品と言う感じ。仕事中の事故により、片腕を亡くし、精神的におかしくなり、妻とは別れ、大きくなった娘たちとも離れて暮らすことに。そんな彼がとある孤島で静養することとなり、そこで絵を描きながら自身を取り戻していく。さらには、その島に住む同じく孤独な初老の男と懇意になり、友情を結び、充実した日々を送ってゆく。やがて、彼が描いた絵が世間に認められることとなり、家族や元の同僚らから賞賛を浴びることとなる。
そんな良い話、良い展開が進むものとなっている。ただ、その物語の根底には島に棲む亡霊の姿があり、島の持ち主であるエリザベスの心をとらえ続けていて、彼女の周辺にいる者たちを不幸に陥れて続けてゆくのである。
なんとなく、全体的に良い話で終わらせてしまっても良かったのではないかと思わずにはいられない内容。不幸の前兆は最初からあるものの、それらが最後の最後になって吹き上がるという形で展開している。ホラー作品ゆえに、こういう展開は致し方ないとはいえ、もっとハッピーエンドで終わってくれてもなぁと、思わずにはいられなかった。むしろ、これくらいに、ハッピーエンドにならないような展開と結末こそがモダンホラーたるものなのかもしれないが。
キングの作品にしては、単行本から文庫化されるまでに、ずいぶんと時間がかかっている感じがする。あまり売れ行きがよくなかったということなのであろうか。世間的には、このようなちょっと良い話めいたものよりも、大いなる惨劇のほうが受けるということなのかなと考えてしまう。
<内容>
「ウィラ」
「ジンジャーブレッド・ガール」
「ハーヴィーの夢」
「パーキングエリア」
「エアロバイク」
「彼らが残したもの」
「卒業の午後」
<感想>
スティーブン・キングの短編集。「Just After Sunset」という短編集を日本ではこの「夕暮れをすぎて」と「夜がはじまるとき」の2分冊にして刊行。
「ウィラ」は、駅舎での一幕が描かれた作品。気が付く人は、序盤でどのようなものなのかネタがわかってしまうであろう。ノスタルジーというか、もはやその先の物語というか、なんとも。
「ジンジャーブレッド・ガール」は、ジョギングに目覚めた女性の話。ただ、それだけではなくその女性がとんでもない事件に巻き込まれることとなる。この短編を読むと「ミザリー」や「ジェラルドのゲーム」といった他のキングの作品を思い起こす。ジョギングが話に何の関係があるのかと思いつつも、後半で見事にスポットが当てられることとなる。
「ハーヴィーの夢」は、リドルストーリーのようなちょっとした話。嫌な予感が実際のものとなるのか? それとも杞憂で終わるのか?
「パーキングエリア」 ホラーという観点からはこれが一番かもしれない。日本ではどうかわからないが、外国のパーキングエリアでは遭遇しかねない事件。パーキングエリアの中のトイレでカップルが喧嘩しており、女が男に殴られていたらどう行動する? というもの。
「エアロバイク」 ダイエット・ストーリー。平凡なエアロバイクによるダイエットをキングが描くと、このようなホラーとして描かれてしまう。
「彼らが残したもの」は、とある男のアパートメントにさまざまなちょっとした品が置かれているという綺譚が描かれる。若干ネタバレとなってしまうのだが、9・11事件の跡に残された者としてキングなりに考えて描いた作品とのこと。非常に印象深い内容であった。
「卒業の午後」は、恋人との関係に思い悩む女の話かと思いきや、最後に物語はとんでもない方向へと転換してゆく。まぁ、日常に幸せが崩れるときというのは、こういうものなのかもしれない。
<内容>
「N」
「魔性の猫」
「ニューヨーク・タイムズを特別割引価格で」
「ろうあ者」
「アヤーナ」
「どんづまりの窮地」
<感想>
スティーブン・キングの短編集「Just After Sunset」を日本で2分冊にしたもの。もう一冊の「夕暮れをすぎて」は既読(感想は↑)。今作は、意外というよりもキングらしい作品がそろっていたような。
「N」 Nという患者に対する精神医の書簡。
「魔性の猫」 殺し屋は不気味な猫を始末してもらいたいという依頼を受けるのであるが・・・・・・
「ニューヨーク〜」 死者と電話がつながり・・・・・・
「ろうあ者」 ヒッチハイクしていた“ろうあ者”を拾い、自分の愚痴を効かせた結果・・・・・・
「アヤーナ」 ひとりの少女が起こした小さな奇跡の話。
「どんづまりの窮地」 土地の利権でもめていた男が、恨みを持つ者からある場所に閉じ込められ・・・・・・
「N」は、キング作品というよりは、サスペンス・ミステリとして、ありがちな題材のように感じられた。ミイラ取りがミイラになるというか、精神分析医が患者の境地にはまってゆくこととなる。
「魔性の猫」は、理由も意味もなく、何か怖い。何で猫が? と思いつつも、ネコの存在感が見事に不気味さを出している。
「ニューヨーク」は、9・11の事故にからめての作品であるのだが、時間をおいて死者と電話がつながってしまうという綺譚を描いた作品。ホラーというよりは感動系であるのだが、ありがちなように思えて、実はこういうネタはあまり見かけなかった気がする。
「ろうあ者」は、これまた「魔性の猫」のように理由なき不気味さが醸し出されている。何故? とか関係なしに、何かやってしまったというような恐ろしさ。
「アヤーナ」は、一見感動系の作品のようであるのだが、あえてきっちりとした結末を付けずにぼかしているような内容。キングの短編集ゆえに、このくらいの感じがちょうどよい。
「どんづまりの窮地」は、これこそがこの作品集のなかで随一。とにかく恐ろしく、とにかく息苦しく、とにかく不快。自分がこのような目に会ったらなどと、絶対に想像したくない。
<内容>
アメリカ東部メイン州にある小さな村チェスターズミル。その村が突如、目に見えないドームに覆われた。透明なドームに気づかずに、飛行機や車がドームに激突するという事故が次々と起こる。徐々にドームの内外の人々がドームの存在に気付き始めるが、その未知なる存在に人々はなすすべはなかった。特にドームの中に閉じ込められた人々はパニックに陥り、一部の者たちは打開策を考え始めようとするものの、ビッグ・ジム・レニーの手による専制統治が始まることとなり・・・・・・
<感想>
スティーヴン・キングの大作であるのだが・・・・・・あまり面白くなかったかな。未知なるドームに閉じ込められるという設定は面白いのだが、そこから繰り広げられる人間模様については、あまり好みのものではなかった。
展開については、日本との文化の違いというものがあるからなのかもしれないが、閉じ込められた中で、人々が協力せずにこのような展開になってしまうのはかなり違和感があった。ただ、ホラー作品ゆえにこういう展開がふさわしいといえるのかもしれないが、それでも恐怖というよりは、ただ単に胸糞悪い展開が繰り広げられるだけなので、なんとも読んでいて面白くなかった。
また、ドームの存在についても不満気味。単に閉じ込めるだけというのはアイディアとしてもったいなかったような。そのドームに囲われたことによる、なんらかの付随効果をもたらしても良かったのではないかと思われた。それゆえに、胸糞悪い人間模様が繰り広げられるだけとなってしまっているので、中盤はやや読み進めづらかった。
善玉の主人公は元軍人で現在コックのデイル・バーバラ(バービー)。この人物が主人公という位置づけのわりには、存在感が薄かった。群像小説のなかで埋もれてしまったという感じ。また、一番気になったのは、別の登場人物で同じ“バービー”呼びの人物がいたことでややこしくなったこと。ここは登場人物が多いゆえに調整してもらいたかった。
悪玉の主人公は町政委員で中古車販売店主のビッグ・ジム・レニー。この人物の悪辣な部分が前面に出ていて、悪人としての存在感は存分に醸し出されていた。なんとなく本書の主人公は実はこのビッグ・ジムであり、著者のこの人物の場面を書くときはノリノリであったのではないかと予想される。物語的には実に嫌な存在であるが、印象に残る登場人物となっていたのは確か。
それでも後半のカタストロフィぶりについては、スティーヴン・キングの面目躍如といったところか。最後にしっかりと見所を持ってくるところはさすが。
<内容>
「1922」
土地を売る、売らないで、妻と求めた男。男は息子を味方につけ、妻の殺害を計画し、実行に移す。その後、妻の亡霊に苛まれることとなり・・・・・・
「公正な取引」
男は“公正な延長”と書かれた店に入り、そこで自分自身について話し出す。男はとあるライバルの存在により、肩身の狭い生活を送ることとなり・・・・・・
<感想>
「Full Dark, No Stars」という作品集に収められた四つの中編。それらが文春文庫により「1922」と「ビッグ・ドライバー」の2冊に分冊して、本書には2編の作品が掲載されている。そのうち「1922」が本書の大部分を占め、長編に近い形。一方「公正な取引」は、短編くらいの分量。
「1922」は、妻を殺害し、古井戸に埋めるのだが、その後妻の亡霊に苛まれるという内容。内容だけ書くと、なんだか日本の怪談話のようにも捉えられる。そこに一味付け加えられているのが、息子の存在。
まぁ、内容は普通のホラーというか怪談のようなものであり、妻を殺した男が亡霊におびえるというよりは、良心の呵責に苛まれているように感じられる。そうしたなかで展開で意外と思えたのが、おとなしくて親の言いなりになっていそうな息子が思わぬ行動をとるところ。この息子の存在が、本書を単なる怪談話から一風変わった家族の物語へと変えたといってよいであろう。ただ、終わり方はこれまた普通に怪談らしいような結末。
「公正な取引」は、キング作品ではお馴染みの怪しげな店が出てくる内容となっている。こういった、なんらかの取引を行うような作品はよく見られるものの、その後の展開はちょっと変わっていたように思えた。通常であれば、主人公の身にろくでもないことが起きるという展開になるはずが、主人公自身がろくでもない目に会う別の家族の人生を目の当たりにするという内容になっている。これまた、普通のホラーでありそうな話を変化球気味に描いた作品である。
<内容>
「ビッグ・ドライバー」
作家のテスは講演の依頼を受け、その仕事の帰りに依頼人から教えられた近道をして帰ることに。その途中、車がパンクし、立ち往生する。そこにトラックに乗った大男が来て、助けてくれるかと思いきや、テスはレイプされてしまい・・・・・・
「素晴らしき結婚生活」
30年以上の結婚生活をダーシーは幸福に過ごしてきた。二人の子供が生まれ、育ち、家から巣立っていった。そして夫の仕事も順調。そんなある日、ガレージで夫の秘密の隠しものを見つけることに。それを見てダーシーは夫が巷をにぎわすシリアルキラーであることを知り・・・・・・
<感想>
「1922」に続いて、「Full Dark, No Stars」に掲載された中編集の残り2編。今作も、キングの作品らしからぬ意外な展開を楽しむことができた。
「ビッグ・ドライバー」は、女性作家が人気のない場所で、車がパンクして立ち往生し、そこで助けの手を伸ばしてきた男に襲われるという内容。従来のキング作品であれば、そのまま囚われの身となって、そこでの恐怖を描くという展開になりそうなのであるが、ここに書かれているのは、命からがら逃げだして、復讐を図ろうとする女性の行動。傷んだ体に鞭打ちながら行動する様に胸を打たれる。一見、希望を描いた作品のようでありつつも、当事者からしてみれば終始暗闇のなかでの出来事であり、その闇は決して晴れないのであろう。
「素晴らしき結婚生活」は、長年連れ添った夫がシリアルキラーであったことを知った妻の行動を描いたもの。そのまま夫と暮らし続けるのにも抵抗があり、なおかつ、警察に届け出れば自身の生活のみならず、それぞれ独り立ちした子供たちの人生にまで影響が出てしまう。そうしたなかで、妻はとある行動をとるというもの。単に“勇気”の物語と言いたいところであるが、実際の感情としてはそんなに単純なものではないのであろう。その葛藤だけで、何ページも描けそうな題材のような気がする。そして、最後に現れる元刑事が実に良い味を出している。
<内容>
ハイスクールの英語教師ジェイク・エピングは、知人である“アルズ・ダイナー”の店主から、とある秘密を打ち明けられることに。それは、アルズ・ダイナーの店から、現在と過去を結ぶ“穴”が空いていると。店主のアルは実際にその穴を通って、なんども過去と現在を行ったり来たりしていた。そんなアルは病にかかり、自分の命が長くはないことを知る。そこでアルはジェイクにその穴の存在を知らせ、彼に一つの使命を託そうとする。それは、JFKの暗殺を防ぎ、歴史を変えることだと・・・・・・
<感想>
過去へ遡って、ケネディ大統領暗殺を阻止しようとする試みがなされる作品。キングの小説にしては珍しい基軸か。私は文庫本で読んだのだが、上巻は長いエピローグという形であり、いかにして過去へと遡るか、そしてそのルールは、というものについて描かれている。そして中巻からJFK暗殺阻止への長い準備が始まり、後半へと入り、事態は佳境を迎えることとなる。
全体的に内容は面白く、特に後半に入るほどページをめくる手が止められなくなっていった。うまく書かれた作品であると思う。ただ、いくつか不満に思える点もあった。
というのは、私がこの作品に期待したのは、どのような緻密な計画を立てて、JFK暗殺の阻止を試みるのかという点。この物語も実際に、そのような流れて途中までは展開していったと思われる。しかし、後半に入るにつれ、JFK暗殺阻止の話よりも主人公自身の人生における物語のほうが大きな存在を示すようになっていった。暗殺阻止という件に関しては、緻密な計画が必要で、より周囲と関わることなく不確定事項を少なくするべきだと思われるのだが、主人公はそれに反するように自分自身の人生の成功に夢中になってしまったように感じられる。
そして最後にとあるラストシーンを迎えるのだが、それが実に映画的な感じ。というか、このようなエンディングを迎えるのであれば、JFK暗殺というモチーフではなくても良かったのではと思ってしまう。これだけ長大な物語で読者を引っ張っておいて、このエンディングというのもなぁ、と。
<内容>
大学生のデヴィン・ジョーンズは、恋人とうまくいかない居心地の悪さから逃げるように、夏休みの間は家から離れた海辺の遊園地“ジョイランド”でバイトをすることを決めた。そこで出会う仲間や、遊園地の従業員たち。そして、犬の着ぐるみ、思わぬ人命救助、車椅子に乗った少年とその母親、そして過去に起きた殺人事件と幽霊。デヴィンはジョイランドで様々な体験をすることとなり・・・・・・
<感想>
キングの作品には珍しいような気もする、昔懐かしちょっと良い話といった内容のもの。大学生が夏休みのバイト先であるジョイランドという遊園地で様々な出来事を体験するという物語。昔懐かしというか、1970年代のカントリーといった雰囲気はキング作品でもよく見られたような気がする。ただ、純粋に大学生のバイト体験記と成長物語というような作風は珍しいような気がする。といいつつも、しっかりと超自然的な内容を持ってきたり、最後の最後にサスペンス風な場面を持ってきているところはいかにもキング作品らしい。ということで、結局のところ、ちょっと短めないつもながらのキング作品と言って良いのかもしれない。ただし、通常の作品よりは“悪意控えめ”といったところで。
<内容>
職探しのために市民センターに並んでいた人々の列に、突如現れたメルセデスベンツが突っ込んできた。その事件により8人が死亡し、加害者は盗難車であるベンツを置き去りにして逃走した。事件後、定年退職となったビル・ホッジズのもとに、事件の犯人らしきものからの挑戦状が届く。退職後、生きる意味を失っていたホッジズは、個人の手で犯人を挙げようと捜査に乗り出し・・・・・・
<感想>
スティーヴン・キングの手によるミステリ作品。キングがこのような作品を書くのは珍しい事のよう。ここでは退職刑事対殺人鬼の様相が描かれたものとなっている。
ただ、この作品って、キングが書いたものでなければそれほど有名にはなっていないのではないかなと思えなくもない。作品の構図としてはいたってよくあるものであるし、また肝心の“ミスター・メルセデス”呼ばれる殺人鬼が、あまりにも未熟で軽率な人物であるところもどうなのかと思われる。このような犯人であれば、もっと早くに警察にマークされたり逮捕されたりしてもおかしくないのかなという感じであった。
退職刑事のラブロマンスや、未熟な犯人が幼稚に切れている様相を見せられてもな、と思いはしたものの、後半へ行くにつれてしっかりとした見せ場が作られてゆくことに。いつの間にか、退職刑事ホッジズとコンピュータに強い高校生ジェロームと意外なところから関わることになるもう一人との、三人のチームが出来上がることとなる。そしてチームで結託して、犯人が甚大な被害を及ぼそうとする犯行を阻止しようと知恵を絞り行動へと移してゆくことに。
さすがに物語を書く熟練者だけあって、最後のほうは話に惹きこまれて一気に読み通すこととなった。肝心のホッジスは・・・・・・と思えなくもないのだが、終わりよければすべてよしということであろう。そして、うまくシリーズ化してゆく流れについても完璧であると思われた。最後まで読んでみると、うまくできている作品と納得させられるものに仕立て上げられている。
<内容>
1978年、モリス・ベラミーは引退した有名作家ジョン・ロススティーンの家を襲撃する。モリスはロススティーンのファンでありながら、彼の作品の終わり方に納得がいかなく、その作家が続編を書いていないかと期待していたのだ。モリスは仲間と共に、ロススティーンを殺害し、現金と多くのノートを強奪する。モリスは現金とノートを一時的に隠すのだが、酒を飲んでへまをして、終身刑を食らう羽目に陥り・・・・・・
ピーター・ソウバーズ少年は悩んでいた。父親がメルセデスベンツによる襲撃事件に巻き込まれ怪我をして働けなくなり、一家が財政危機に陥ったのである。両親は常に喧嘩をし、離婚の危機が迫っているように思われた。そんななか、ピーターは、多くの現金とノートが収められたトランクを発見することとなり・・・・・・
<感想>
「ミスター・メルセデス」に続く、退職刑事ビル・ホッジスが活躍するシリーズ2作目。とのことで読み始めたのだが、そのホッジスが登場するのは、話が始まってからだいぶ先。上巻の後半でようやくの登場となる。
本書は、強盗を働いたモリス・ベラミーと、現金とノートが入ったトランクを発見するピーター少年との二つの視点が主となって語られてゆく物語となっている。その物語がよくできていて、非常に面白かった。キングの作品というと長めのものが多いが、この作品に関しては、かなり凝縮された感じになっており、それゆえに物語のテンポが良い。スピィーディーとまではいかないものの、キングの作品にしては速い展開のサスペンスを味わえるといったような内容に仕立て上げられている。
物語の中盤になって、私立探偵を開業したホッジスがようやく登場。前作で活躍した仲間と共に仕事をし、現在は私立探偵の仕事にやりがいを感じている。そして、悩める少年の妹から相談を受け、事件に介入していくこととなる。
下巻の後半は、ほぼ数時間で起きたことをスピィーディーかつサスペンスフルに描いており、ページをめくる手が止まらなくなる。話の流れとしては意外な展開という感じでありつつも、最終的にはそんなに意外という終わり方ではないと思われる。それでも、存分にサスペンス・ミステリを堪能できたなという感じ。なんだかんだ言っても、冗長になり過ぎずに、適度なページ数にまとめた(それでも上下巻合わせると十分長いが)ところが良かったと思われる。シリーズ最終巻となる次作もすでに文庫で出ていて購入してあるので、これは続けて読んでしまいたいと思っている。
<内容>
探偵社を営むビル・ホッジズは、刑事時代の同僚ピート・ハントリーから呼び出される。かつて起きたメルセデス・キラーによる事件の被害者が自殺を遂げたというのだ。その状況には、どこか不審なものがあるとピートは感じ、ホッジズに連絡してきたのである。ひょっとすると何者かが自殺を操作しているのではと!? メルセデス・キラーこと、ブレイディ・ハーツフィールドは病院で昏睡状態のまま動けないはず。そのブレイディが入院する病院内では、不気味な出来事が頻発しており・・・・・・
<感想>
退職刑事ホッジズ・シリーズ、三部作の完結編。このシリーズ、読んでみると面白く、今年1年の間で、シリーズ3作を読み通すこととなった。キングの作品としては新機軸と言えよう。と、その最終巻も新機軸の作品が続き・・・・・・と言いたかったのだが、ここで何故か従来のキング作品に戻ってしまっている。それゆえに、三部作のなかでは一番不満が多い作品でもあった。
最初の「ミスター・メルセデス」の作品の方針としては、スティーヴン・キングが書くミステリ作品というお題目であったように思われた(著者本人がどう思っていたのかは知らないが)。それならば、三部作全てをミステリとして突き詰めた内容にすべきだと思えたので、従来のキング作品の方向に戻ってしまったのはとても残念。さらには、三部作と言いつつも、二作品目の内容が最終巻ではほぼ活かされていなかったのも、もったいなかったように思えた。
そしてこの三部作で一番不満に思えた点としては、最初の作品の犯人である“メルセデス・キラー”を最後で引っ張る必要があったのかということ。キングとしてはこの犯罪者に思い入れがあったのかもしれないが、読んでいる分ではどう見ても小物の犯罪者としか思えなかった。決して最後まで引っ張るような大物犯罪者ではなかったと思われる。この小物の犯罪者を引っ張ったがゆえに、シリーズとして尻つぼみになってしまったのではないかと感じられてならない。
まぁ、それでも普通にエンタテイメント作品として楽しむことができる作品であったことには違いはない。むしろ新たなキングのファンを発掘するという意味では、非常に取っつきやすいシリーズではあったのではなかろうか。作品の分量的にも長すぎず、ちょうど良かった。こんな感じの取っつきやすいキング作品というものも、決して悪くないと思われる。
<内容>
1962年、6歳のジェイミー・モートンは町に新しくやって来た牧師チャールズ・ジェイコブズと出会う。彼は妻と幼い子供と3人でやってきて、牧師として徐々に町に溶け込んでゆく。彼は3年間、その土地で牧師をし、村を出ていくことに。牧師がその町で過ごしていた間、ジェイミーと仲良くなり、そしてジェイミーに大きな印象を残すこととなる。その後、ジェイミーは青年となり、再びチャールズ・ジェイコブズと出会うこととなり・・・・・・
<感想>
近年のスティーヴン・キングの作品はページ数がさほど厚くないので、読みやすい。そんなわけで今年文庫化されたばかりのこの作品も積読にせずに読み終えることができた。本書については、古き良きホラー小説という感じ。原点回帰というか、昔に良くこのようなタイプのものが書かれていたのではないかと思うような、そんなモダンホラー作品に仕立て上げられている。
一人の男が過去の生活を振り返り、幼少期のころの自分の家族と、その後彼の人生を変えることとなった牧師との出会いを思い返す。その後、青年期、中年期、初老期と振り返るのだが、その振り返りの時期には必ず牧師の存在が影を差すこととなる。そうして、最終的に彼らはどのような道をたどることになるのかが語られていく。
普通小説のような感じでも捉えられる作品であった。超自然的なものも取り上げられるのだが、それもある種科学的なものの一種と捉えられなくもない規模のもの。そんなわけで、普通に一人の男と牧師との出会いと邂逅、そして牧師の頭のなかに秘められた思いと行動、といったところが語られる小説として読むことができるものとなっている。そんなわけで、キングの作品としては取っつきやすい、ノスタルジックな小説という感覚で読める作品。
<内容>
文芸書籍のエージェントを務めるシングルマザーの母緒と暮らすジェイミー少年は自分が幽霊を視ることができることに気が付く。その幽霊と言葉を交わしているうちに、彼らは決して嘘をつけないということが分かりはじめる。ジェイミー少年が持つ能力により、母親の恋人である刑事のリズによって、厄介ごとに巻き込まれる羽目となり・・・・・・
<感想>
今年邦訳されたキングの作品。キングにしては短めの作品となるからか、いきなり文庫での刊行。ちょっと読むのが遅くなったが、年末になってようやく着手することができた。
意外といっては失礼だが、これが面白かった。超自然的な設定については、主人公の少年が幽霊を視ることができ、その幽霊と話すことができるというもの。しかもその幽霊は話す時に嘘をつくことができないことが明らかとなる。この設定を用いて、ストーリーが進行していく。
また、本書はある種の少年の成長物語ともなっている。伯父の残した仕事と負債を抱えながら奮闘するシングルマザーの母親と共に暮らしていくジェイミー。母親には同性の恋人がいて、しかも刑事という役職についている。そうした背景の中で、借金や厄介ごとなどの苦境から打開するための策として、ジェイミー少年の能力が使われてゆくこととなる。
ストーリーに関しても奇抜な部分があるので、これは是非とも、まっさらな状態で読み始めることをお薦めしておきたい作品。また、文庫本で350ページ近くと、そこそこの厚さではあるものの、キングの作品の中ではかなり薄いほうであるので、入門書としても扱えそうな作品。そして、ただ薄いだけではなく、内容もしっかりと面白く、あっという間に読み終えることができるものとなっているので、是非ともお薦めしておきたい。