<内容>
夜勤の弁当屋のバイトで働く4人の女たち。いつしか、家族と言葉をかわさなくなっていった雅子。姑の介護に疲れ切っていたヨシエ。浪費癖により夫に逃げられ、借金の返済に悩む邦子。借金を重ね、暴力をふるうようになった夫に耐え切れなくなる弥生。そうした悩みを抱える四人であったが、弥生が夫を殺害してしまい、他の者達が手を貸すこととなったときから、四人の人生は大きな転換を迎えることとなり・・・・・・
<感想>
久々の再読。かつてのミステリランキングを参考に読んだ作品であり、これが桐野夏生氏の作品のなかで初めて触れた作品であったはず。当時は、講談社の単行本で読んだのだが、今回は家に置いてあった双葉文庫の日本推理作家協会賞受賞作全集での再読となった。
純然たるミステリと異なるような内容であり、ある種、人生に疲れた女たちの小説という感じもするのだが、その割にはスピード感のある作品になっているなと感心してしまった。普通だと、こういう作品というのは、読み進めづらそうな気がするのだが、本書においては、ページをめくる手が止まらないような魔力を持ったものとなっている。また、その当時はまだ呼び名は流行っていなかったように思えるが、日本のノワール小説の先駆けと言ってもよさそうな内容になっているなと、今になって気づかされた。
夜勤のバイトで働く4人の女と、バーを経営する男と、貸金の男の6人が中心となって織りなす物語。不満を抱えつつも普通に生活しているはずの4人の女が、いつのまにか死体解体業を行うことになって行くという、とんでもない展開がなされてゆく作品である。
なるべくしてなったというような生き方をしつつも、簡単には底へ落ちずに、なんとか自分の人生を続けてゆこうというしぶとさと生命力に惹かれてしまう。普通小説のような感じでありながら、まるでサバイバルゲームが描かれているような感覚で読み通した作品である。なにはともあれ、深夜の弁当屋のアルバイトから始まったものが、ここまで得体の知れないような場所へとはみ出していく物語の描き方に感嘆するより他はない。
<内容>
「虫卵の配列」
「羊歯の庭」
「ジェイソン」
「月下の楽園」
「ネオン」
「錆びる心」
<内容>
森脇カスミは結婚し子供を二人持ちながらも、仕事の取引先の石山と不倫の関係を続ける。石山も結婚して子供がいるが、二人は何故か互いにひかれ、二人で逃げてもいいとまで考える。
そんな折、石山が北海道に別荘を買ったので、そこで二人で会おうと持ちかける。結局は二人とも家族ずれで北海道の別荘へ向かうことになった。実はカスミは18歳のときに、故郷の北海道を飛び出して東京に来ていて、その後親とも連絡をとっていなかった。そんなこともあり、この北海道行きを快く感じていなかった。しかし、その別荘地で家族がいながらもその目を盗み、石山との逢瀬を続ける。
北海道滞在のある朝、突然カスミの上の五歳の娘「有香」が失踪する。別荘地には外から人が形跡がなく、周りの人々も見ていないと・・・・・・
4年後、カスミは夫や下の娘を省みず娘の有香を捜しつづける。その間石山は離婚し、借金を抱えて逃亡生活を送るはめに。そしてテレビをも使って有香を捜すカスミをテレビで見た北海道の元刑事内海は捜査の協力を申し出る。内海はガンであと1年の命と宣告を受けている34歳。内海は有香失踪時の捜査にも少し関わっておりまた、カスミに何故か惹かれその捜査に残りの命をかける。
二人は捜査を続けながら互いに有香の夢を見る。
<内容>
女子プロレス界きっての強者・火渡抄子。人は彼女を「ファーアボール」と呼ぶ。火渡に憧れ入門し、付き人になった近田。仲の良かった同期・与謝野の活躍を前に、自分の限界が頭をかすめる。そんな折、火渡が付き人を替えると言い出した。近田は、自分にどうケジメをつけるのか。女の荒ぶる魂を描いたシリーズ完結篇となる連作短篇集。
<内容>
「40歳になったら死のうと思っている」38歳の村野ミロは自分の人生に決別することを決めた。獄中にいたはずの元の恋人が死んでいたという事実を知らされたことをきっかけとしてミロは探偵の仕事を捨てて行動し始める。義父はその事実を知っていて、何故ミロに知らせようとしなかったのか? 中学のときに母親が死んでから、残された義父とのぎくしゃくした関係。その関係にも終止符を打とうとミロは義父が仕事を引退して暮らしている小樽へと向かうのであるが・・・・・・
<感想>
女の人がノワール作品を書くとこんなのができあがっちゃうのかなと思わせるような毒々しく陰鬱な作品。本書も内容をたどればただ単にノワール作品と言えなくもないのだが、この本の中には凄まじいばかりの生々しさが含まれている。その生々しさがなんとも例えようのないグロテスクさを兼ね備えていて、一歩間違えればノワールを通り越して、ホラーといいたくなるような雰囲気に仕上がっている。
私は今回この作品を文庫で読んだのであるが、この「ダーク」よりも後に出た作品「グロテスク」のほうを先に単行本で読んでいる。故に、私はこの一連の毒々しさには免疫があったのだが、今までの桐野作品を読んできて、いきなり本書を目の当たりにした人は衝撃が大きかったのではないだろうか。
最初に「40歳になったら・・・・・・」などとかっこよさそうなことを書いている割には、ミロはなかなか死のうとしないし、だんだん死ぬ気もなくなりつつある。どこからそういうパワーが湧き出るのかがわからないが、ミロが探偵という職業をかなぐり捨て、それどころか女として、いや、人間の尊厳さえも捨てながらもそこを越えて生きようとするその姿が無様であり、そして生々しい。
何が生々しいかといえば、最初に「40になったら・・・・・・」などと書いているにもかかわらず、そこに一抹の死へのはかなさというものが全く感じられないことである。本来、ノワール作品というと破滅が描かれるものであり、最後は奈落のそこまで堕ちていき終結となるものが多いのだが、本書の主人公ミロはどう見ても死にそうにない。その奇妙な不死身ささえもがまた嫌な生々しさを放っている。
その生々しさから感じられるものと問われても困るところだが、ひとりの女の生き様をこれでもかといわんばかりに見せつけられたという思いのみが私自身の中に残された作品である。
<内容>
高校三年生の中山十四子の隣家の少年が母親を殺害して逃走した。十四子はその同い年の少年のことを影でミミズと呼んで馬鹿にしていた。ミミズが母親を殺害して逃げる際、十四子と偶然出会い、ミミズは十四子の携帯を盗んでいってしまう。そして、ミミズはその携帯を通して十四子の3人の友人達と話をする。いつしか十四子を含めた四人は、事件に関わりあうことに・・・・・・
<感想>
タイトルは“リアルワールド”となっているが、書かれているのは現実と虚構の狭間であるように感じられた。本来ならば、ノンフィクションであると笑い飛ばしたいところであるが、この手の事件が勃発している現実のなかでは簡単には笑い飛ばせないような雰囲気がかもしだされている。
本書では母親を殺害して逃走する少年と、その少年に関わることになった四人の女子高生のそれぞれの感情が語られている。四人の女子高生の感情や関わり方は四者四様で、無関心、心配、興味、そしてなかには自ら積極的に少年に関わりあいを持とうとする者もいる。当然のことながら、その描写は不安定な形で描かれてゆき、話の内容も目的もないままさまよい歩くかのように展開されてゆく。
そして、ラストにて話は大きく動くのであるが、この部分が一番“リアル”ではないなぁと感じられた。別にその展開に良し悪しというのはないと思うので、どういうものが良いとはいえないのだが、ただ単になんとなく“リアル”ではないと。ただただ悲しいだけであった結末。
ここへ来て、ようやく、やはりこれは小説なんだなぁと思い“リアルワールド”の幕が閉じられたと感じた。
<内容>
たぐいまれなる美貌を有していた妹のユリコ。彼女はやがて娼婦に身を落とし、その仕事の最中に殺害される。その1年後、かつてクラスメイトであり、一流商社のOLとして働いていた和恵がユリコと同様に娼婦として殺害された。名門女子高時代から彼女達がたどってきた人生とはいったい・・・・・・
<感想>
全編にわたって、まさにグロテスクという描写がなされている本書であるがこれは2通りの読み方で読むことができると思う。一つは、その雰囲気にのまれるかのごとく鬱々とした気分で読むか、もしくはその雰囲気に反するように“躁”の気分で読むかという方法である。この本は雰囲気としては明らかにグロテスクなものに包まれてはいるのだが、しかし本文中にて自身を語る登場人物たちは鬱な気持ちで語っているのかというとそうではないように思えるのだ。はたから見たらグロテスクととれる生き方であっても、本人たちはそろぞれの人生をむしろ楽しんでいるのではないかと感じ取れるのだ。。その主人公達の雰囲気に乗るように読んでいくと“躁”的な雰囲気に乗って読むことも可能なのである。そうすると語り手自身のグロテスクさを無視し、むしろその周囲の人々の行動を笑い飛ばしながら読めてしまうのである。
関連していえることなのだが、この本に出てくる登場人物たちはその自身の生き方を後悔しているのだろうか? そうではないように思える。周りから見て醜悪に見える行動であっても、本人の美観が周囲と異なったり、もしくはおかしいということに気づかなければ、“個”としてはそれはそれで幸せなことなのではないだろうか。ゆえに、ここに登場する人物たちの何人かは悲惨な末路を遂げるものの、それが後悔につながるとは思えないのである。本書の中で、生き方を真に後悔しているものは犯罪を犯して投獄されたもののみという気がする。
あと、付け加えると本書の構成であるならば、第5章「私のやった悪いこと」のパートは余計だったのではないかと感じられた。
本書は決してミステリーとしてとれるものではない。桐野氏の「OUT」のような小説を期待して読んだのならば裏切られることとなるであろう。本書はその題名にある“グロテスク”という描写を楽しむ(変な言い方だが)ための小説になっているようである。