ファウスト   Vol.1



2003年09月 ノベルスマガジン“ファウスト”ついに発売

 講談社から出版されている「メフィスト」という雑誌にて募集されている“メフィスト賞”という賞がある。これはミステリーに限らず、広義のエンターテイメント作品に贈られる賞であり、現在29作品が受賞している。そこから生まれたメフィスト賞作家たちは現在のミステリー界を引っ張っている一端であるといっても過言ではない。
 そしてそのメフィスト賞作家の中から特に若手であり、独特な作風を持つ作家たちを率いて講談社の編集者・太田氏が独断により編纂した雑誌。それが“ファウスト”である。



印 象

 読まなくてもわかることなのだろうが、この雑誌というのは“舞城+西尾+佐藤”この三氏のための雑誌と言ってよいであろう。この三氏のために太田編集者が作った雑誌だといってもいいし、またはこの三氏がいなければこの雑誌は生まれなかったのではないだろうかとも考えられる。とりあえず私はこの創刊号は“舞城+西尾+佐藤”三氏による雑誌だと考えている。そしてこれが2号、3号へと続いていくことによってどのように変化していくか、またはどのような新しい作家が出てくるのかということが注目すべき点であろう。本誌により年齢制限を設けた“ファウスト賞”というものが登場する。はたしてメフィストから派生したファウストが今後どのように進化していくのかが楽しみなところである。

 あと専門外なのだが、付け加えておくとするならば本誌におけるもう一つの特徴は“イラスト”という点であろう。なんでもイラスト系の雑誌である“コミッカーズ”をしのぐほどのスタッフがそろっているとの事である。そして装丁から文字フォントにまで力が込められたできばえ。見るからにして、細部までこだわった雑誌になっているということがよくわかる。これこそ、やりたい人たちがやりたいことを成し遂げたという思いが重々伝わってくる。今後、このクォリティがどのようになっていくのかということも注目すべき点であろう。



感 想

「ドリルホール・イン・マイ・ブレイン」 舞城王太郎
 これについては感想というようなものは何ら抱くことができない。ようするに最近の舞城氏らしい作品であるということだけ。タイトルのとおり、突き抜けているといえば突き抜けている。ただ、「阿修羅ガール」、「九十九十九」といった作品あたりから、なんら作品の印象が変わることはない。本編もそういった作品である。
 とりあえず、簡単にいえば舞城氏流のサイバー・パンク青春小説といったところか。

「赤色のモスコミュール」 佐藤友哉
「クリスマステロル」以降、沈黙していた著者がようやく動き始めたようである。次の作品を心待ちにしているので、とりあえず活動し始めてくれたというだけでもうれしいことである。
 本編の内容はミステリーではなく、ある種の私小説であるかのように思える(もちろんフィクションであるだろうが)。引きこもり青年の回想という構成。それなりに熟慮されたような作品のようでもあり、なんとなく書いてみました的な作品のようでもある。

「新本格魔法少女りすか」 西尾維新
 西尾氏は新しいキャラクターをひっさげて登場だ。これはどうやらシリーズ化しそうであり、次号以降にも登場してくるのであろう。ファウスト誌上における西尾氏のポジションは磐石というように感じられる。
 本編はミステリーという内容になっているのだが、背景に魔法というものを導入している。これは簡単に述べるならば、西澤保彦氏の“チョーモンイン”シリーズの魔法版といえばわかりやすいかもしれない。そこに腹黒で冷めた主人公の青年とこれもまた妙に冷めた魔法少女の二人が事件の解決に乗り出していくというものであるが、これはダーク・ファンタジーとでもいったほうが的を得ているように感じられる。

「ロスタイム」 飯野賢治
 現代の若者の見る悪夢という物はこういう感じなのだろうか? はたまた悪夢というより白昼夢か?
 全体的な印象というものがあまりない。挿絵の“ビキニ”と食堂のおばちゃん“シュンスケ”のみが強烈なインパクトを残していた。



「清涼院流水スーパーインタビュー」 「ヤバ井でSHOW」
 特に清涼院氏のインタービューや作品などで感じるものはない。清涼院氏はあくまで清涼院氏でありつづけるのであろうと、そのくらいである。ただ、編集者の太田氏ととても仲が良いということだけは十分に伝わってくる。

 そんな清涼院氏に一言だけ突っ込みたいところがあった。
 インタービューの中で、
 太田氏が舞城氏をデビューさせようとしたとき、本のカバーのデザインが周囲に認められなくて、会社を辞めてしまおうと思ったそうである。そのとき太田氏は電話で清涼院氏と話し込み、清涼院氏からこのように言われたという。
「太田さんがやめるならば、僕は『彩紋家』を書きませんよ」
 太田氏は辞めるのを思いとどまったそうである。

 清涼院さん、そろそろどうです「彩紋家」。いろいろな意味で。



「佐藤友哉の人生・相談」
 重版童貞とか、その他もろもろと悪い意味で取りざたされている不遇の作家、ユヤタン。しかし、世の中不遇の作家なんてたくさんいるはず。少なくとも佐藤氏には理解してくれる人たちがいて、活躍の場をこうして設けてもらえるのだから幸運な作家ともいえるのではないだろうか。ここは一念発起して本を書いてもらうことを望みたい。この“ファウスト”がいいきっかけになるのでは。

<今回のユヤタンの相談>
「カメラ映りを良くするにはどうしたらよいのでしょうか?」

<私からの解答>
「上京してソープへ行くというのはいかがでしょうか。」




「メタルリアル・フィクションの誕生」 東浩紀
 この評論においてはライトノベルに主題をおいて、小説との関連性、さらに漫画、アニメ、ゲームなどによる影響といったことが書かれている。

 私も以前はライトノベルといわれるものを数多く読み、数多くのゲームをこなしてきた。それでも私自身にとっては“小説は小説”、“ライトノベルはライトノベル”、“ゲームはゲーム”と別々なものであると思っている。ライトノベルはあくまでも気楽に楽しむことのできる“もの”であるという認識になるのであろうか。その辺は小説と重なる部分はあるものの、それでも意識としてはやはり別物なのである。

 その背景にはこういう理由があるかもしれない。私にとってのライトノベルの走りといえば「ロードス島戦記」である。そしてそれ以降読んだライトノベルというのは、「ロードス島」の流れを汲むようなRPG物、あるいはファンタジー物といわれるものが多くをしめていた。よって私のなかではライトノベル=ファンタジーという図式ができあがっていったのだろう。
 私が通常読む小説というと“ミステリー”というジャンルになる。そしてライトノベルのほうというと、それとは異なる“ファンタジー”というジャンルになるわけである。これにより無意識のうちに自分の中で区分けがなされていったのだろうと考える。

 現在のライトノベルにおいて、どのようなジャンルが一般的であるのかということは私にはわからない。ひょっとしたらそのジャンルがミステリーの方向に近づいていったり、ゲームをノベライズ化した作品が多く出版されたりということがあるのかもしれない。ただし、結局のところ小説、ライトノベル、ゲームにおいて多様化がなされているということなのではないだろうか。多様化されればどこか重なる部分が出てくるのは当然のことであろう。
 また、それらが互いに影響を及ぼしあうということについては、無視できないことなのかもしれない。しかしそれらが例え単独であったとしても、結局は同様の進化を遂げていくのではないかと考えればさほど重要ではないようにも考えられる。
 よって、私的にはそれらを無理にくっつけたり、同一視はしなくてもいいと思っている。“小説は小説”、“ライトノベルはライトノベル”、“ゲームはゲーム”で例え境界があいまいでも別物でいいのではないだろうか。

 以上がこの評論を読んで、なんとなく感じたことである。





最 後 に

 本書はどのようであったかと考えても、結局のところ最初に述べた“印象”のところに書いたことが全てとなってしまうような気がする。そして本書が成功か、失敗かといえば、それはこの本が企画に上がり完成された時点で成功であるということは間違いないであろう。この雑誌はあくまでも最終形態ではなくて、どこへ進むかを模索するためのものであると考えられる。我々読者としては、“ファウスト”がこれからどのように進んでいくのかということを注目しながら読んでいくというのが最良のとらえ方のような気がする。この“ファウスト”というものがどのような道をたどっていくのか最後まで注目していきたいと思っている。




Mystery Note に戻る

Top に戻る