ファウスト   Vol.2



2004年02月 “ファウスト Vol.2”発売

 今回あとがきを読んでショックに感じたのは、この「ファウスト」という雑誌は試験的に出版されたものであり、1号と2号までを出版するという予定しか決まってなかったということである。「ファウスト」のこれからの続刊が出るのは1号、2号に対する反響しだいということらしい。
 別に私自身は「ファウスト」にそれほど入れ込んでいるわけではないのだが、せっかく始めたのであれば行き着くところまで行ってもらいたいと思っている。また、せっかく“ファウスト賞”という企画を立ち上げたのだから、なんとかそれを継続して形にしてもらいたいとも思う。だいたい、“ファウスト賞”というものを発表できる場は、「ファウスト」という場しかないであろう。
 雑誌の“良し悪し”というのは当然大事なことであると思うのだが、それを抜きにしても、この意欲的な挑戦を垣間見ることのできる「ファウスト」がまだまだ続いてくれることを望みたい。




感 想

「F先生のポケット」 乙一
 これは現代版“ドラえもん”というか、まさにそのもの。主人公に女の子二人を持ってきたところがポイントか。「もしも四次元ポケットを手に入れたら、あなたはどうします?」といった話である。いや、ある意味よく書いたなという話。これぞ「ファウスト」だからこそ書けた話ではないだろうか。他社の雑誌でも公表できたであろうかと余計なことばかり考えてしまった。
 とはいうものの、とても読みやすい一編であった。それなりに面白い。まさに「もしも四次元ポケットを手に入れたら」の“陰”のバージョンがうまく書かれていると思う。


「ECCO」 滝本竜彦
 最初ははSF的な感じで始まったのだが、全体的には青春小説といったような内容であった。いじめられっこの男子が転向してきた外交的な女の子と結びついてゆくのだが・・・・・・これはサイコホラー? 全く予想だにさせない展開によって、SF→いじめられっこの話→サイコな話→SFとめまぐるしく話が入れ替わってゆく。でも最終的には、話がちっちゃくなってしまったような気がしてならない。


「黒色のポカリスエット」 佐藤友哉
 今作は従来の佐藤氏の話とは異なり、強烈な祖父を主要人物に添えた話となっているため、普段の作品とは印象の違う物語となっている。話の展開は強引であり、特に何をいわんとしているのかはよくわからなかった。主人公たる僕が悩んでいるのは相変わらずである。とはいえ、それなりに読めたと思う。


「新本格魔法少女りすか」 西尾維新
 前作に続いての魔法少女シリーズ2作目。相変わらず、主人公がどす黒くてよろしい。この物語は敵の魔法使いとの駆け引きがメインというように思える。まぁ、それなにり考えられて作られているようである。さすがに“萌え”とまではいかないものの、主人公とりすかの関係からは目を離せなくなりそうだ。
 この著者はもはやこういった分野の作品では妙な安定感を感じられる。


「コールド・スナップ」 トム・ジョーンズ 舞城王太郎訳
 トム・ジョーンズの小説を舞城王太郎が訳したものなのであるが、わざわざ、こういう小説を訳してまで載せる必要があるのかどうかが一番の疑問。基本的には舞城氏の小説を読んでいるのと変わらない内容である。
 ただ、個人的にはこのようなアメリカの近代文学のような作品は好きではない。どれを読んでも薬でラリって書いちゃいました、というような気がして。



「成功学キャラ教授」 「ヤバ井でSHOW」
 ちょうど、この章を読んでいるときに「彩紋家」も平行して読んでいたので、清涼院氏によるダブルパンチを喰らった気分であった。なんでダブルで清涼院氏の作品を読まねばならないのだろうと自問自答を繰り返しながら「成功学キャラ教授」を読む。どやら清涼院氏はマルチ商法も始めるようである。これは実は「成功学マルチ商法教授」という作品なのではないだろうか。また続くようなのであるがビデオを買わされないように注意しなければ。といって「彩紋家」を買ってしまった私はすでに清涼院氏の術中にはめられているような気がするのだが・・・・・・。
「ヤバ井でSHOW」は相変わらずヤバイ。書いている人がヤバイのか、語っている人がヤバイのか、写真を本当に送っている人がヤバイのか、読んでいる人がヤバイのか、とにかくなんとなくヤバイ。


「佐藤友哉の人生・相談」
 ここでは「人生相談」が聞けるというよりは、佐藤友哉氏の近況報告を聞くことができるコーナーとしてとらえたほうが良いのであろう。実際、これを読んでいる人はそれを楽しみにしているということに他ならないのだろう。とはいえ、佐藤氏は本当に「人生相談」をやりたいのだという思いは伝わってくる。ただし、これはあくまでも人との触れ合い、つまりコミュニケーションの手段として「人生相談」をしたいと言っているように感じられるのだが。

 <今回のユヤタンの相談>
 「人生相談ができるほどの作家になるにはまず何をしたら良いのでしょうか?」
 <私からの解答>
 「まずはきちんと“作家”と呼ばれるようになれば、おのずと解決されるのではないでしょうか」




「メタリアル・フィクションの誕生」(第2回) 東浩紀
 うーん、前回はゲームのキャラクターやライトノベルス系などのことが書いてあったのでとっつきやすかったのだが、今回は内容が難しく(判りにくく?)なっているような気がする。中味を理解するにはもっと読み込まなければ・・・・・・。よくよく考えれば、いわゆる“メタ”について書かれているわけで、判りにくいテーマについて書いてあるのだから難しいのはあたりまえか。
 今回は小説の題材としては舞城氏の「九十九十九」がとりあげられている。まぁ、いろいろと書かれているのはいいのだが、これから先わけのわからない小説に対して「メタ・フィクション」とかいうような言葉によって持ち上げられることがなければいいなぁ、などと危惧したりする。



最 後 に

 かつて、その時代時代の総合誌というものを読んでみたことがないのでよくはわからないのだが、青少年が書く小説というのは基本的に“暗”とか“鬱”の色が濃く表れるものなのだろうか。もし、これが「ファウスト」のみに表れている色だとするならば「暗いね! 21世紀は!」と思わず言ってしまいたくなる。
 なにしろ、何編かの小説が掲載されているのだが、それらの共通項というものがたやすく見つかってしまう。そのいくつか気づいた共通項というものを挙げてみると、

 ○いじめ
 ○ひきこもり
 ○誘拐
 ○たいした理由のない殺人

と、こういったところ。確かに現代的であるといえば現代的であるのだが、夢も希望もなさすぎるように感じられるのは私だけであろうか。“夢も希望も”などと書いたが、今はこういった“夢や希望”などと口に出したり、それを書いたりすることは素直に受け入れられない時代なのであろうか。かつての“夢や希望”の象徴のひとつでもあった“ドラえもん”が乙一氏の手によってこのような書き方をされていると現代社会について色々なことを考えさせられてしまう。
 とはいっても、まだまだ若い世代の書き手というのはたくさんいるはずである。これだけで“暗い世代”などとは決め付けずに、多くの若い世代の人たちの小説を読んでみたいものである。そういう意味で「ファウスト」にはまだまだがんばってもらわなければ。




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