SF や行−や 作家 作品別 内容・感想

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2012年05月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション

<内容>
 後にスーパーディザスターと呼ばれる大災害が起き、地球は危機に遭遇した。そうしたなか、なんとか生きのびた少年アーウッドとその仲間たち。彼らは特別な施設で生まれ育ったため、外の世界を知らなかった。しかし、大災害により彼らの世界が開けたため、自分たちが普通の人間とは違うノンオリジンという存在であることを知る。アーウッド達は自分たちのコミュニティを作り、大災害後を生き延びていたのだが、あるとき別のノンオリジンと出会うこととなる。その出会いが彼らの生活を一変させることとなり・・・・・・

<感想>
 もの凄く良くできたSF作である。個人的には凄く好みの作品。きちんとした世界設定が創られながらも不必要に説明をすることなく、物語が進行することよりその世界の中にうまく溶け込んでいくことができる。そして、章が変わるごとに大きく物語が展開してゆき、あきることなく読み続けることができる。地球と月を結び付けるという壮大な物語が非常にうまく創り込まれている。

 ただ、中盤くらいまでは、よくできた“物語”と呼べたのだが、後半に入ってからは理論とか観念的な方向へ行き過ぎているような気がした。そのまま一つの物語として結末をつけてくれた方が、個人的には好みであった。観念的な方向へ行ったことにより、前半でまいた伏線が生かしきれていなかったように思われた。

 とはいえ、このような壮大なSF作品を手ごろなページ数で書き上げたというところは十分称賛に値すること。久々に夢中になって読むことができた国内SF作品であった。


〔少女庭国〕

2014年03月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション

<内容>
 少女たちが卒業式のために講堂へ向かう途中・・・・・・気が付くと暗い部屋に寝かされていた。部屋には2枚ドアがあり、内一つには貼り紙がしてあった。「下記の通り卒業試験を実施する。ドアの開けられた部屋の数をnとし死んだ卒業生の人数をmとする時、n−m=1とせよ。時間は無制限とする」 その貼り紙を見て少女たちがとった行動とは!?

<感想>
 なんとなくデスゲームっぽい小説なのだが、あまり厳密性・緻密性がない。それよりも、大まかな設定の中でありとあらゆるパターンを検証するシミュレーション小説という風にとらえられる。

 大雑把にいえば、部屋で目覚めた少女が別の部屋にいる少女を排除することにより部屋から脱出することができるという条件を突きつけられるというもの。部屋の扉を開ければ開けるほど少女の数は増えてきて、排除しなければならない数が増えていく。そうしたなかで、どのような行動をとるかということが“延々と”描かれている。

 数パターン語られると、若干飽きがきてしまう。そのへん、もっと整理できなかったかなと。著者が書きたいことは理解できなくはないのだが、それをSF作品とするのであれば、もうすこし物語性をしっかりと持ってもらいたかったところ。厳密性、現実性というものを無視すれば、それなりに興味深く読める作品ではあった。


鳥はいまどこを飛ぶか  山野浩一傑作選T

2011年10月 東京創元社 創元SF文庫

<内容>
 「鳥はいまどこを飛ぶか」
 「消えた街」
 「赤い貨物列車」
 「X電車で行こう」
 「マインド・ウインド」
 「城」
 「カルブ爆撃隊」
 「首狩り」
 「虹の彼女」
 「霧の中の人々」

<感想>
 山野浩一傑作選のTのほう。順序を間違えUから読んでしまい、後からTを読むことに。結果としては、そのほうが良かったような。Uのほうは、ノン・ジャンルSFというような色々な作品を読むことができたのだが、Tのほうは統一したテーマの作品を集めたものとなっている。

 この作品集のテーマは“現実世界からの逃避”というようなもの。どの作品でも、現実とは異なる世界や“もの”が登場している。主人公は、異空間へと放置されたり、見えない電車が出てきたりと、それぞれの作品でさまざまな事象に遭遇する(シリーズ短編ではないので、登場人物は全て異なる)。それらの異世界が何故できたかということについては、ほとんど触れられていない。ただ、そこに存在するだけというもの。“それ”に遭遇した時の主人公の行動や行く末が描かれている。

「鳥はいまどこを飛ぶか」は、学生運動の影響が残っているようなところが感じられるが、それ以外の作品はほとんどがサラリーマン社会からの逃避というように感じられた。突然街が消えたり、電車のなかで非現実的な出来事に遭遇したり、奇妙な社会現象が起きていたり、未知の世界に放り込まれたりというような出来事に会社員がさらされる。

 基本的にどれも受動的というか、何かが起こったからそれを打開するというものではなく、その世界にただ流されているというような、あきらめに似たようなものを感じ取れた。それゆえか、全体的にやや気だるい感じ。個人的には、いろいろなものが描かれていた「傑作選U」のほうが好みであった。何が起こるかわからない「赤い貨物列車」は面白かったのだが、それ以外は突飛な設定の割には、ドラマチックな方向へは進んでいかないものばかりというのが残念。


殺人者の空  山野浩一傑作選U

2011年10月 東京創元社 創元SF文庫

<内容>
 「メシメリ街道」
 「開放時間」
 「闇に星々」
 「Tと失踪者たち」
 「Φ(ファイ)」
 「森の人々」
 「殺人者の空」
 「内宇宙の銀河」
 「ザ・クライム(The Crime)」

<感想>
 購入してから、しばし時間が経過してしまった“山野浩一傑作選”にようやく手を付けることができた。読んでからしばらくして気づいたのだが、何故か2巻目のほうから先に着手してしまった。できることなら1巻目から読みたかったところだが、そのへんはあまり気にすることはないかもしれない。

 色々な作品を書いているなという印象。最初の「メシメリ街道」や「開放時間」などはハードSFを分かりやすく描いていて、取っ付きやすいと感じられた。不条理な横にのみ延びる街道を描く「メシメリ街道」は、人間社会の在り方を風刺しているようにも捉えられる。「開放時間」は、タイムマシーンの分岐点というものを、ひとりの人間の視点から描いた内容。

「闇に星々」は、エスパーの女性との出会いを描いたもの。
「Tと失踪者たち」と「Φ(ファイ)」は、どちらも終末を描いたかのような作品。
「森の人々」は、木乃伊取りが木乃伊になるといったような、短めの作品。
「殺人者の空」は、学生運動真っ只中での事件を描いたもの。
「内宇宙の銀河」は、体を丸めた状態だと安心するという症状を描いている。
「ザ・クライム(The Crime)」は、山岳小説?

 ハードSFっぽいのは、最初の2編のみで、他は色々なジャンルの小説となっている。「闇に星々」などは、今風に描けば、ちょっとしたボーイ・ミーツ・ガール風になりそうな小説。「Tと失踪者たち」は、スティーヴン・キングの「ザ・スタンド」などの類似作品を思い起こさせる。「内宇宙の銀河」は、鬱病小説風。書かれた時代を考えると、その当時では斬新というか、理解されづらかった内容であったかもしれない。

 色々な内容の小説を楽しむことができた。「殺人者の空」は、時代を感じさせる背景となっているのだが、それ以外は古さを感じさせない感触の作品ばかり。まさにSF的なジャンルらしさを感じ取れる作品集と言えよう。


ドンデモ本? 違うSFだ! RETURNS

2006年02月 洋泉社

<内容>
 □第1章「小説編」
 <インターミッション> SF版ノックスの十戒を考えよう
 □第2章「映画編」
 <インターミッション> これは本当に現実ですか? パラノイアSFの系譜
 □第3章「マンガ編」
 <インターミッション> パクリはどこまで許される? あの名作の元ネタはこれだ!
 □第4章「テレビ編」
 <インターミッション> 心は今も15歳 わが青春の『SFマガジン』の日々

<感想>
 SFを愛して止まない山本氏が描く、SF関連の本や映画などを紹介した本である。ただし、タイトルでもわかるように一筋縄でいくようなものではなく、かなりマニアックな作品などを取り上げているところが従来の紹介本とは異なるものとなっている。これならば少々マニアックな方であっても楽しんで読むことができるであろう。

 と、紹介に関してはマニアックな部分もあってSF初心者にお薦めするようなものではないのだろうが(かく言う私はSF初心者であるのだが)それとは別の楽しみがこの本にはある。それはこの本は紹介だけではなく、各章の間で<インターミッション>として、著者のSFに対しての色々な意見を述べた、長めのコラムのようなものが挿入されているのである。これがたいへん面白い。

 特に、“SF版ノックスの十戒を考えよう”というパートでは、これを読むことによって私自身がSFに対する視野を広げる事ができた。その十戒のひとつで「異星人は人間そっくりであってはならない」とあるのだが、これがどのような意味をもって書いてあるのか気になるという人は是非とも本書を読んでもらいたい。

 というように、本書を読めばSFの紹介だけに留まらず、山本氏自身のSFに対する愛をひしひしと感じる事ができるものとなっている。そして前述にも述べたように、ここに書かれている考え方を読むとSFに対する視野を広げる事ができるのではないかと思われる。そういう意味でこの本は初心者こそが手に取るべき本であるといえるのかもしれない。


まだ見ぬ冬の悲しみも

2006年01月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション

<内容>
 「奥歯のスイッチを入れろ」
 「バイオシップ・ハンター」
 「メデューサの呪文」
 「まだ見ぬ冬の悲しみも」
 「シュレディンガーのチョコパフェ」
 「闇からの衝動」

<感想>
 本書はハードSFといっても遜色のない内容なのだが、にも関わらず読みやすい。わかりやすく、読みやすく、内容も面白く、さらにはガチガチのSF作品として玄人さえも納得させるようなできばえに仕上がっている。これはSF作品を薦める際にはもってこいの本と言えるであろう。

 また、私はこの作品を読む前に著者の山本氏が書いた「ドンデモ本? 違うSFだ!」という本を読んでいる。これは山本氏がさまざまなSFを薦めたり、自分なりのSFに対するスタンスを描いたりしている作品である。これを読むと、山本氏がどのようなSFを描きあげたいのかということがよくわかるので、こちらを読んでから本書を読んでみるとさらに楽しく読むことができるのでお薦めしておきたい。

「奥歯のスイッチを入れろ」
“奥歯のスイッチ”と聞いて誰もが思い抱くのはサイボーグ009の加速装置のこと。この作品では加速装置というものをできるだけリアルに科学的に描いている。なんとなく、空想科学小説読本を読んでいるような気分にさせられる。

「バイオシップ・ハンター」
 これは地球人と異星人とのある種の邂逅を描いた作品。ここに出てくる異星人が人類と比べるとやけに達観しており、その異星人から人類の生き方というものをひとつの事件を通して示唆されるような内容となっている。そしてさらには人類の愚行だけではなく、可能性までもが描かれている。

「メデューサの呪文」
 これも異性人との邂逅を描いた作品。ここに出てくる異星人は姿形こそ違えど、人類と同じような繁栄を遂げ、その後にさらに進化を遂げていったものという設定で描かれている。ただし、それは外見上では退化したようにしか見えない。では、何が進化したのかというと言語体系による進化というものがここでは取り上げられている。故に、その異性人たちと交渉することになるのは宇宙船内唯一の“詩人”が選ばれる。この作品で印象的なのは“力のない言葉”“力のある言葉”というものを文章によって描きあげたことである。この作品を書くにあたって著者はそうとう苦戦したのではないかと思うのだが、これは野心的な作品と言えよう。

「まだ見ぬ冬の悲しみも」
 主人公がタイムスリップをしたところ、そこで彼が見たのは滅び行く世界であった・・・・・・。タイムスリップによるひとつの可能性を描いた作品。これを事実としてとらえるとなんとも空虚な事である。

「シュレディンガーのチョコパフェ」
 ハードSFを一組の普通のカップルとチョコレートパフェを用いて描いた作品。電波による世界の崩壊というカタストロフィが日常レベルの中で表現されている。地球規模の大きな混乱が描かれているわりには、何故かほのぼのとした作品。

「闇からの衝動」
 ひとりの女性SF作家の数奇な人生を描いたもの。これはSFというよりはファンタジーという気がする。海外のホラー作家あたりが似たような作品を書いているかもしれない。ただし、“触手”までは登場していないと思うのだが・・・・・・


MM9

2007年11月 東京創元社 単行本

<内容>
 自然災害の一種として“怪獣災害”が存在する世界。怪獣大国日本では、怪獣のスペシャリストとして“気象庁特異生物対策部”を設置していた。通称“気特対”の面々が活躍する様を描いたSF怪獣小説集

 「緊急! 怪獣警報発令」
 「危険! 少女逃亡中」
 「脅威! 飛行怪獣襲来」
 「密着! 気特対24時」
 「出現! 黙示録大怪獣」

<感想>
 特撮モノを小説化した、見ごたえ(いや、読みごたえか)満点の怪獣小説。これは面白い! というか、テレビ化の話とかないのかな。

 怪獣が出てきても、それを退治するウルトラマンのような存在はなく、人類が科学の力で殲滅しなければならない。そこで出てくるのが地球科学防衛軍ならぬ“気特対”である。彼らは普通の人々で、サラリーマンっぽいお役所勤めの人々が怪獣に立ち向かう物語が描かれている。

 本書は楽しませてくれる面白いSF小説といえるのだが、面白いがゆえに少々注文を付けなくなってしまう。

 ひとつは、もうすこしオーソドックスな怪獣を出してもらいたかったということ。この作品では5作の短編が載っており、どれも従来の怪獣とは異なるひとひねり加えられた怪獣が描かれている。これはもちろん著者が意図したところなのであろうが、1匹くらいはいかにも怪獣というモノを出してもらいたかった。

 また、最後の作品で“黙示録”になぞらえた怪獣が出てくるのだが、なんとなくこの話が物語り全体を形作ってしまっているように思えて、ちょっと納得がいかなかった。別に、この一連の物語では怪獣が出てくる理由とかルーツとかそういったものは抜きにして、さまざまな怪獣と“気特対”との闘いを描いてくれればよいと思われた。そこにわざわざ怪獣の存在を結論付けるのは蛇足のように思えてならない。

 ようするに、そこで物語を終わらせずに今後も続いてくれればいいなという希望である。できることなら、もうすこし“気特対”の活躍が見たいところである。


地球移動作戦

2009年09月 早川書房 ハヤカワSFシリーズ Jコレクション

<内容>
 西暦2083年、ピアノ・ドライブの普及により人類は太陽系内のすべての惑星に到達するという時代を迎えていた。そうしたなか宇宙船“ファルケ”は謎の新天体の調査のため、太陽系を離れて観測場所へと向かっていた。そして宇宙船のクルーたちは命を賭して、新天体の調査を暴き、その天体がやがて地球へと迫り壊滅的な被害をもたらすことを突き止めた。期限はわずか24年。地球ではその大災害を回避するために、大きなプロジェクトが行われることになったのだが・・・・・・

<感想>
 よくできていて、内容も盛りだくさんのわりには、どこか食い足りなさを感じてしまう作品。タイトルからなんとなく予測できる通り、ニアミスしようという天体に対し、地球を動かして避けてしまおうという内容。

 地球を動かすという考え方、地球を動かすためのアイディア、地球を動かすことによる起こりえる事象のシミュレーション、どれも良くできている。また、天体を発見した宇宙船クルーや地球移動作戦に関わるキャラクターら、それぞれがよく書き込まれている。しかし、あまりにもまんべんなく書かれ過ぎていて、全体的に平均的で平坦なように感じられてしまうのである。

 さまざまな要素があまりにも多すぎたと言えるかもしれない。欲張り過ぎた故に、強調したいものがあいまいになってしまったというのが欠点か。キャラクター小説にこだわるべきか、もしくはガチガチのハードSFにこだわるべきだったのか。その書きこみ方の境が非常に難しいと言えるだろう。

 良くできているSF作品であるということは間違いないと思えるんだけどなぁ。


MM9 -invasion-

2011年07月 東京創元社 単行本

<内容>
 7年前に出現した、少女の姿をした怪獣6号・通称「ヒメ」。ヒメは現在、小さな姿となり眠りについていた。そのヒメを移送中のヘリが何者かによって撃墜される。
 高校1年生の案野一騎、彼の母親は“気象庁特異生物対策部”通称“気特対”で働いていた。母親に忘れ物を届ける際に眠りについている“ヒメ”の姿をみせてもらうことができた。そのとき、一騎の頭の中に何者かが語りかけてきたような気がした。その夜、一騎の頭の中にはっきりと「早く来て」と語りかける声がして・・・・・・

<感想>
 約4年ぶりとなる「MM9」の続編であるのだが、こんなゆるい作調だったっけ!?

 前作の時は“気象庁特異生物対策部”という組織がメインであり、その“気特対”と怪獣との戦いが描かれていたはずであった。それが今作ではいつのまにか“気特対”が蚊帳の外におかれ、少年少女と少女怪獣ヒメの物語となっていた。

 今作の内容は一言でいえば少女型ウルトラマンの活躍を描いた作品ということ。前作とはなんとなく趣旨が違ってしまったなぁという気がする。ラストではこのままの形式で次回作へ続いていきそうな布石がうたれているので、次もこんな感じで話が続いてゆくのだろうか? できれば、もう少し“気特対”に頑張ってもらいたいものである。

 ただ、こういう作調になったので読みやすかったということは確かである。万人向けのSF作品という感じか。


MM9 -destruction-

2013年05月 東京創元社 単行本

<内容>
 少女の姿をした怪獣“ヒメ”の力によって、大怪獣ゼロケルビンを退け、なんとか平和を取り戻した東京。力を失ったヒメ、そのヒメと対話ができる一騎、そして同級生の亜紀子は、とある神社に連れて行かれヒメの秘密について明かされる。そうした平和もつかの間、地球を狙っている異星人の存在が明らかになり、そして新たな宇宙怪獣がまたも地球に襲いかかる。その襲撃をヒメや“気特対”らは退けることができるのか!? 最後の闘いが今始まる。

<感想>
 3作目にして、「MM9」シリーズの完結編のようであるが、回を数えるごとにつまらなくなっていったなと。

 1作目は突如現れる怪獣に対して、日本の“気象庁特異生物対策部”通称“気特対”が知恵を絞って、いかに怪獣を退けるかということがメインテーマとなっていた。しかし、2作目3作目になって、何故怪獣たちが現れるのか? とか、それに対して地球はとか、そういった背景が語られるに従って、段々と話が盛り下がっていってしまう。

 要するに2作目3作目では、単なる普通の伝奇小説になってしまったなと。地球が云々、神話が云々とかについては、全く興味がわかなかったし、さらに安っぽいボーイ・ミーツ・ガールものの展開も不必要にしか思えなかった。そんなわけで、最終的には中途半端なウルトラマン的な話で終わってしまったと。“気特対”も2巻3巻では“ウルトラマン”の物語同様、地球防衛隊くらいの存在でしかなくなってしまっていた。

 一作目のようなアイディア小説となると、続けるのは難しいということか。それでも、一作目のように怪獣と地球の科学技術で勝負するような物語のほうを読み続けていきたかったところである。


アリスへの決別

2010年08月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 「アリスへの決別」
 「リトルガールふたたび」
 「七歩跳んだ男」
 「地獄はここに」
 「地球から来た男」
 「オルダーセンの世界」
 「夢幻潜航艇」

<感想>
 まさに短編集という出来のもので、特に作品内容の統一もなく、いろいろなSF短編が集められている。純然たるSF作品のみならず、社会派色やホラー色の要素が強いものまでが組み込まれていて、内容のみならず様々な系統のSFを楽しむことができる作品集となっている。

「アリスへの決別」と「リトルガールふたたび」は、社会派SFというか、社会派小説という感じ。「アリス」のほうは児童ポルノ法についての問題を提起した内容。「リトルガール」のほうは、救いようのない未来史を描いたもの。この「リトルガール」のほうは、行き過ぎた内容と感じられるところもありつつ、現実的にありそうとも感じられるところが怖い。近年、戦争を経験した人々が亡くなりつつあることに警鐘が発せられる中、これに似たような事件が未来に起こったとしても不思議ではないのかもしれない。

「七歩跳んだ男」は、宇宙ミステリを描いた作品。初めて月面で起きた殺人事件を描いている。死亡した男は何故、宇宙服も付けずに外へと飛び出したのか!? この作品の内容が、実は前の作品である「リトルガールふたたび」に通じたものが核となっている。

「地獄はここに」は、SFというよりは、サスペンスホラーというようなもの。この作品群のなかでは一番の異色。内容はありがちのように思えるが、話の持って行き方はうまい。

「地球から来た男」は、未来の理想郷ともいえる小惑星船に地球から生身の男が密航してくるという物語。本書のなかでは一番のSFらしい作品と言えよう。その世界観を楽しみつつも、密航者の正体と彼がここに来るに至った真の理由も見どころとなっている。

「オルダーセンの世界」と「夢幻潜航艇」は同じ世界を描いた連作のような内容。この2作だけは順番に読んだほうがよいかもしれない。「オルダーセン」のほうは、自身の世界とアイデンティティの崩壊が描かれているが、「夢幻潜航艇」のほうは、その崩壊された世界で生きる者たちをあえて描いている。幻想を通り越して、まさに夢というものの危うさを描き出したかのような世界。それでもSF色はしっかりと感じ取れる作品。


闇が落ちる前に、もう一度

2004年08月 角川書店 単行本(「審判の日」)
2007年08月 角川書店 角川文庫(改題:「闇が落ちる前に、もう一度」)

<内容>
 「闇が落ちる前に、もう一度」
 「屋上にいるもの」
 「時分割の地獄」
 「夜の顔」
 「審判の日」

<感想>
 結構、長い間積読にしてしまっていた作品。山本弘氏の作品集。SFのみならず、ホラーっぽい作品も含まれている。

「闇が落ちる前に、もう一度」が、短いながらも一番感心させられた作品。学生がちょっとしたシミュレーションから、世界の成り立ちの真実に気づいてしまうという内容。その考え方が面白く、常人では考えつかないようなものであり、ただただ感嘆。

「屋上にいるもの」は、部屋の中で異音を感じるというところから始まる。それが、付近で発生している謎の失踪事件へと派生し、やがて主人公当人が事件の真相にからめとられることとなる。ありそうでなさそう、なさそうでありそう、という狭間の物語としてうまくできていると思われる。

「時分割の地獄」はAIの物語が、こんな時期からすでに書かれていたのかと感心させられてしまった。AIのみならず、現代のSNS的な内容さえも包括している。何気に時代の最先端SFと言ってもいいものなのかもしれない。

「夜の顔」は、夜のみにあらわれる謎の顔に悩まされる男の話。そして、それが悩まされるだけではなく現実の事件として・・・・・・という話であるのだが、そういったことを事実だと話してみても誰にも信じてもらえないということろがなんともやるせない。また、ただ単にというわけではなく、原因を突き詰めていることにより、より一層ホラー的な恐怖度を増している。

「審判の日」は、ある日突然人々がいなくなり、少数の人間のみ世界に取り残されたらという話。主人公らは、物のみが残され、多くの人々がいなくなった世界でサバイバル生活をすることを強いられる。そうしたなかで、結局のところ、この世界に残された人はどういう理由で残されたのか、というところが焦点となって行く。その理由がなかなか興味深いところであった。


神は沈黙せず

2003年10月 角川書店 単行本
2006年11月 角川書店 角川文庫(上下)

<内容>
 幼いころに災害で両親を失い、兄妹離れ離れになって暮らさなければならなくなった和久良輔と優歌。二人は成長して、良輔はコンピュータプログラマとなり、優歌は編集者を経てフリーライターとして活動するようになっていった。やがて良輔は遺伝的アルゴリズムを用いた人工生命の進化を研究していくうちに、この世の真理について考え始めるようになる。優歌は、UFOカルト教団への潜入取材を経て、オカルト分野への興味を抱いてゆき、後に小説家の加古沢黎と出会うこととなる。兄妹と、加古沢黎の3人はやがて、世界の心理に触れることとなり、騒動の渦中へと巻き込まれてゆく。彼らが見出した“神”の真理とは!?

<感想>
 長らくの積読本。20年前の作品と言うと、ずいぶんと昔のような気がするが、実際に本書を読んでみるとさほど昔の作品と言う気がしない。それほど先鋭的な作品であったのか、はたまた20年前から時代がさほど進んでいなかったのか、という見方もできそう。

 序盤は本書の語り手であるフリーライターの和久優歌が自ら活動し、動きのある物語の流れを見せる。しかし、中盤以降は個人の動きよりも、過去に起きた超常現象の事例紹介みたいになっていって、動きはおとなしめとなっていく。では、その超常現象が羅列されるのみで、物語が成立するのかというと、それが成立しているところこそが本書の焦点であると思われる。あえて、超常現象を羅列することにより、主人公らが見出す“神”の証明となっていくので、決してそれらの羅列が無駄ということにはならないのである。

 また、この作品を読んでいて感じられたのは、“評判”というものに敏感な内容であると言うこと。ここが20年前から現在に至るまでにおいて変わらないと感じられた部分である。ネット社会において常に周囲の評判を気にしなければならない。しかもそれが政治の分野にまで波及していくと言うことを考えれば、決して“評判”というもの自体を軽く考えることができなくなるのである。

 全体的に、主人公らが何かするというのではなく、現象や事象、そして世界のあり方についてSF的に考察していく物語であったと思われる。全てにおいて肯定できるというような内容ではないものの、部分部分では納得させられたり、新たに気づかされたりという事柄があり、非常に興味深く読める作品。エンターテイメントよりの作品でありつつも、深さを感じられるSF小説であった。




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