Raymond Chandler  作品別 内容・感想

大いなる眠り   6点

1939年 出版
1959年08月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 私立探偵フィリップ・マーロウは富豪のスターンウッド将軍から依頼を受けた。その内容はゆすりの処理。スターンウッド将軍には二人の娘がいるのだが、どちらもわがまま放題に育ち、いたるところでトラブルを巻き起こしていた。上の娘はギャンブル好きで三度結婚をし、現在の夫は行方不明となっている。下の娘は淫蕩で何を考えているかわからない。
 マーロウが事件を調べていき、やがて猥本業界へとたどり着く。その関係者を尾行し、屋敷を見張っていると突然銃声が聞こえてきた。マーロウが屋敷へ入っていき、そこで見たものは銃殺された男の死体と、裸で呆けている将軍の下の娘の姿であった!

<感想>
 だいぶ前に読んだ本の再読となったのだが、読んでみてけっこう内容を覚えていたことに気づく。事件自体は一見複雑なようで、紐解いてみれば意外に単純といえよう。やはり本書において大きな点というは私立探偵フィリップ・マーロウが登場したということにあるのだろう。

 このマーロウという探偵が人からの質問に対して、まともな返事を返す事がない。ひねくれたというのは言い過ぎにしても、とにかく不思議な言い回しで語り返してくる。この一見反抗的ともとれるような態度が反骨的な魅力となり、読者の目を惹くものとなったのだろうか。

 当時のアメリカ社会についてはよくわからないので、勝手な意見となるのだが、このマーロウの姿勢がある種のアメリカのヒーロー像につながっていったのではないかと思われる。権力に媚びず、女に媚びず、金に媚びないというそのような姿勢に皆が惹かれていったのではないだろうか。

 ということで、一通りチャンドラーの作品は読んでいたものの、最近原りょう氏のエッセイを読んだらむしょうにマーロウのシリーズが読みたくなったので、今回再読を試みた。一応これから一連の作品を時系列順にじっくりと再読していきたいと考えている。


大いなる眠り   

1939年 出版
2012年12月 早川書房 単行本(村上春樹訳)

<感想>
 村上春樹氏による新訳本で再読。

 創元推理文庫版で2回読んでいるので、もう内容はきっちりと覚えているだろうと思っていたが、そうでもなかった。改めて、プロットの複雑さに驚かされることとなった。もっと単純な話という印象であったのだが。

 内容は、私立探偵のフィリップ・マーロウが老齢のスターンウッド(元)将軍から、恐喝者との交渉を依頼されるというもの。ガイガーという男がスターンウッド将軍の娘のネタを盾に、金をせびり取ろうとしているのである。依頼を受けるフィリップ・マーロウであったが、何故か恐喝者との仲裁より、将軍の長女の夫で現在失踪中のラスティー・リーガンの行方を捜すほうに重きを置いた行動をとる。

 途中内容が複雑化するのは、マーロウがガイガーという男を思わぬ形で発見するも、そこで調査を終わらせることなく、スターンウッド家を取り巻く騒動全体の真相を突き止めようと奔走し始めることにある。その騒動全体には、様々な人々が関わっており、あっという間に退場するものもいれば、物語全体に幅を利かせる者もいる。さらには、最後の最後までスターンウッドの二人の娘が物語全体に影響を及ぼしているという事が明らかになってゆく。

 前述に、本書に対し単純な印象を持っていたとしていたが、その理由は、最後の最後で簡潔にきちんと物語をまとめているからであろうと考えられる。途中のプロットは複雑であるにも関わらず、最後にきちっとまとめてしまうところは、チャンドラーならではの力技。こうした力量が、長編第一作目から表れている。

 この「大いなる眠り」を村上春樹版で読んだのだが、全体的にチャンドラー節というものが、やや控えめであったようにも感じられたので、別に創元推理文庫版を再読でもよかったのかもしれない。中盤の展開自体が複雑なので、この辺は古い訳でも新訳でも同じように読みづらいのではないかと考えてしまう。


さらば愛しき女よ   6点

1940年 出版
1976年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 マーロウは前科者の大鹿マロイが殺人を犯す現場に偶然出くわしてしまう。マロイは刑務所から出てきたばかりで、昔の愛人を探しているというのだ。その後、マロイは逃亡し、警察から追われるはめに・・・・・・
 一方、マーロウはマリオというジゴロ風の男からギャングから首飾りを取り戻す際の護衛の仕事を依頼される。しかし、マーロウはその現場で何者かに殴られて昏倒し、マリオは殺害されてしまう。事件の背後に隠されている真実を追うためにマーロウは捜査を続けるのであったが・・・・・・

<感想>
 前作であり処女作品である「大いなる眠り」を読んだときは通俗のハードボイルド作品という印象をぬぐえなかったのだが、2作目の本書にいたってはチャンドラーらしい独特の雰囲気の出ている作品と感じられた。

 前作と違うのは、ひっとしたら雰囲気的なものもあるのかもしれないが、わかりやすい部分で言えばプロットにあるといえるだろう。今回は起こる事件についてかなり凝った書き方をしている。最初にマーロウが出くわすのは大鹿マロイという強烈な個性を発散する人物。登場したときには、この人物が物語を振り回していくことになるのかと思ったのだが、一旦舞台からは引っ込んでしまい、しばらくの間登場しなくなる。

 その後はマーロウが宝石の盗難事件を追うことになり、その事件を調べているうちに様々な厄介ごとに巻き込まれていくはめになる。中盤では、依頼された事件とは全く関連性のないものを追っているようにも感じられ、話も複雑になり、読んでいるほうとしてはやや混乱させられてしまう。しかし、話が進んで行き、後半になると今まで起きた事象が整理され、実は最初から関連のある一つながりの内容であるということが明らかにされる。そして物語を締める役割を担うの者として再度大鹿マロイが登場してくるのである。

 というように、本書は凝りに凝ったプロットにより読者に強い印象を与え、これから先に登場するチャンドラーの名作へのさきがけとなった作品であるといえるであろう。あと、余談ではあるのだが、“大鹿”というあだ名は日本では受け入れにくいなと考えてしまう。どうも日本では“馬鹿”という言葉があるゆえか、“鹿”というものが“大きい”とか“強い”というようなイメージから程遠く感じてしまうのだ。ここはいっそう、勝手に訳を変えて“大熊マロイ”としてみたほうが・・・・・・


さよなら、愛しい人   

1940年 出版
2009年04月 早川書房 単行本(村上春樹訳)

<感想>
 村上春樹版で読了。ハヤカワ文庫版でも読んでいるのだが、改めてこの作品はじっくりと読むべき内容であると確認できた。プロットが複雑であることのみならず、チャンドラーの文体がいかしていて、噛みしめて読めば読むほど味がでる。一気に読みとおすよりも、じっくりと時間をかけて読んだ方が感じ入る部分が多くなることであろう。

 この作品の特徴として、プロットが複雑ということがあるのだが、あとがきを読むことによってその理由がわかった。チャンドラーの本の書き方として、短編作品を書いた後に、それらのいくつかをつないで一つの作品にするという手法をとっていたようである。そう考えると、話が全体的にきっちりとつながっているというよりは、やけに印象に残る人々がチョイ役でたくさん出てくるという意味合いがわかるというもの。そういった理由により、読んでいる方としては、きちんと内容をかみしめていかないと、途中で路頭に迷うこととなってしまう。

 そもそも事件の発端は、大鹿マロイと呼ばれる男を探すというものであったはずが、いつの間にかマーロウは、盗難された宝石の引き渡し事件へと巻き込まれていく。そこからは、その宝石に関わる事件の背景をマーロウが調査を始めるのだが、事件の真の黒幕というものが見えてこないので、何を調べようとしているのかがわかりづらい。しかし、最終的にはいつの間にか、マーロウが調べている事件が最初に登場した大鹿マロイへとつながっていくこととなる。

 全体的にはややツギハギ感のある内容なのだが、それを最終的に一つにまとめてしまうという力技には恐れ入る。本書にはさまざまな個性のある人物が登場しているのだが、結局は大鹿マロイに始まりマロイによって締めくくられるというもの。読み終えてみると原題の“Farewell, My Lovely”というのが何とももの悲しい。


高い窓   7点

1942年 出版
1988年09月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 マーロウは裕福な未亡人エリザベス・マードックから家宝の古金貨をとりもどしてほしいとの依頼を受ける。エリザベスには息子がいて、息子は酒場で歌を歌っていた娘と結婚し、最近までエリザベスらと共に過ごしていたという。しかし、その娘が息子のもとから出てゆき、その後に金貨が無くなったことがわかったのだという。マーロウは家を出たマードック夫人の義娘を捜し始めるのだが、すると関係者が次々と殺害されてゆき・・・・・・

<感想>
 個人的にチャンドラーの作品の最高峰はこの「高い窓」と「湖中の女」であると思っている。

 処女作「大いなる眠り」では通俗のハードボイルド作品よりの作風であったが、2作目の「さらば愛しき女よ」によってようやくチャンドラーらしい作風に変ってきたと感じられる。そして本書はその「さらば愛しき女よ」からもう一ランクアップした、さらに完成度の高い作品といえよう。

 本書はあくまでもハードボイルド作品であり、フィリップ・マーロウ独特の男性観がにじみ出る行動が満載されている。しかし、それだけの作品ではなく、複雑なプロットとその複雑さをまとめあげてひとつの物語を構築してゆく、探偵小説としての側面もけっして見逃せない。

 一枚の古金貨の行方を捜すところから始まり、マーロウに接触してきた私立探偵の死、コイン商が隠す謎、さらには行方をくらました富豪の息子の妻とその周辺に位置するクラブの経営者達が事件にそれぞれどのように関わってくるのか。これらの人々がひとつの目的に向かっているというわけではなく、それぞれ別の目的をもちながらも、ひとつの事件の周辺にかかわることになり、より事件を複雑化させてゆく。そういったひとつひとつの事件を紐解いて、警察を出し抜き解決の道筋を示すマーロウの推理が圧巻であるといえよう。

 プロットが複雑な分、やや難解な小説ともいえるかもしれないが、読み通してみれば、これぞハードボイルド、これぞ探偵小説といわざるをえない作品となる事であろう。


湖中の女   7点

1943年 出版
1986年05月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 マーロウはキングズリーという会社社長の妻を捜すという依頼を受けた。湖の近くにある別荘から姿を消し、メキシコで他の男と結婚するという電報が来て以来1ヶ月音沙汰がないという。マーロウは早速事件の手がかりを見つけるべく、キングズリーの妻が住んでいたという別荘へと向かう。そこには別荘の管理人が住んでいて、その管理人の妻もキングズリーの妻が失踪したときと同じ時期に行方がわからなくなったというのだ。マーロウが別荘の管理人から付近を案内してもらっているとき、湖の中に女の死体を発見することに!

<感想>
 ずいぶん前にチャンドラーの作品を一通り読んだときには「高い窓」とこの「湖中の女」が双璧となる作品だと思ったのを覚えている。そして、今回最初の作品からここまで4冊読んできて、その思いは今も変わらなく、さらには「高い窓」と比べればこの「湖中の女」に軍配があがるのではないかと思うようになった。

「高い窓」と「湖中の女」、どちらもかなり練り上げられたプロットとなっている。ただそういった中で「湖中の女」のほうがやや構図としてわかりやすいように思われる。そのわかりやすさという面が、ミステリ作品としてよく整理されているとも感じられ、より優れた作品であると印象付けられるようになったのである。ただし今読むと、ミステリのネタとしては若干わかりやすいものであるなとも思われた。

 昔に読んだときに比べれば、今読んでいるほうがチャンドラーの良さというものを感じ取れているような気がする。本当にこれらの作品に関してはオールタイムベストであり、何年経っても新鮮な気持ちで読むことができる色あせない小説といってよいのであろう。本書も含めて、またいつか読み返すことになるであろう作品であると思っている。


かわいい女   5点

1949年 出版
1959年06月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 マーロウのもとにオファメイ・クェストという女が失踪した兄を探してもらいたいと依頼に来る。オファメイの態度に不審なものを感じたマーロウであったが、結局は依頼を引き受けることに。マーロウは失踪人を探しに彼が住んでいたと思われるアパートへと行く。管理人と話をし、アパートの部屋を探り、建物から出ようとすると、先ほど話したばかりの管理人が氷りかきで刺されて死亡しているのを発見することに。その後もマーロウが行く先々で新たな死体が・・・・・・。マーロウは如何なる事態に巻き込まれてしまったのか!?

<感想>
 この作品はチャンドラーの長編のなかで唯一読んでいなかった作品である。初読のためか、今回読んでみて内容全般を理解することが難しかった。

 今までの作品の中では「さらば愛しき女よ」に近い作風といえよう。特にプロットというか、話の展開の複雑さでは随一の作品ではないだろうか。「さらば愛しき女よ」のほうでは、まだ主となる人物がいて、それが物語をかき乱しているということがわかったのだが、本書はそれすらもよくわからない。

 元々の依頼は失踪人調査であるが、肝心の失踪人に関しては物語り全般であまり触れられないまま終わっているようにさえ思える。また、短いページの作品のわりには登場人物が多かったという印象も強い。

「さらば愛しき女よ」以降は、「高い窓」や「湖中の女」のようにミステリ性の強い作品が続いたものの、また作風が振り出しに戻ってしまったようにさえ感じられた。チャンドラーにとって、この「かわいい女」は5作目であるが、それまでの作品が一、二年の感覚で書かれたのに対して、この作品を書くのには6年の歳月がかけられている。こうしたところに、なんらかの遍歴があったということなのであろうか。とりあえず、またいつか再読して内容をじっくりと吟味する必要がある作品といえよう。


リトル・シスター   

1949年 出版
2010年12月 早川書房 単行本(村上春樹訳)

<感想>
 村上春樹版による新訳にて再読。以前、創元推理文庫版「かわいい女」を読んだのだが、プロットが複雑で、内容を完全に理解しきれていなかった。しかし、今回は新訳により、ある程度読みやすく、ようやく全貌を理解することができた。こうして、内容が理解できると、思いのほか力作であると感じられてしまう。本当に今更ながらではあるが、チャンドラー作品のなかでも、なかなかのものと言えるのではなかろうか。

 出だしは単なる失踪人探しの依頼から始まる。それが、行く先々で築かれる死体の山。マーロウが事件を調べていけば調べていくほど、何者かが事件の痕跡を消そうとするかのように殺人事件が起きてゆく。それらの事件により、時には最初に依頼された失踪事件の存在が消え去りそうになってしまうほど。しかし、事件の根底はその失踪事件からつながっているというところは、最後までぶれずに物語が作り込まれている。

 最終的にも話がどんでん返しというか、次から次へと真相がひっくりかえされ、こういった部分も物語を複雑化している。それでも、よくよく読んでいけば決して物語が破たんしているとも言えないので、この辺はなかなかの力技。

 以前、「かわいい女」を読んだ時には、前作から6年も経ってからの作品ということで、著者になんらかの遍歴があったのではと感じたのだが、この作品のあとがきにより、そのへんについてはきっちりと解説されている。本書はチャンドラーの4年にわたるハリウッド生活からにじみ出た作品ということなのであろう。今までの作品の流れからつながれたものというよりは、原点回帰という感じがするのだが、そのステップこそが次の「長いお別れ」へと続くことへとなったのであろう。


長いお別れ   6点

1954年 出版
1976年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 探偵フィリップ・マーロウはテリー・レノックスという青年と出会う。二人はいつしか意気投合し、度々酒を酌み交わすことに。テリー・レノックスが富豪の娘と再婚してからしばらくして、マーロウの元に早朝突然訪ねてきた。拳銃を手にしたまま・・・・・・。自宅で彼の妻が殺害され、彼は国外へ逃亡するというのだ。メキシコ行きの飛行機までマーロウは送っていった後、テリー・レノックスは妻を殺害した容疑で警察から追われることに。警察はレノックスを逃がしたマーロウにも共謀罪をきせようとする。そんななか、マーロウは驚くべき知らせを受けることに・・・・・・

<感想>
 今回この「長いお別れ」を読むのは3度目か4度目である。にも関わらず、以前読んだ内容を何故かおぼえきれないのである。テリー・レノックスという青年とマーロウの邂逅くらいしか憶えていなく、あとはラストシーンが印象に残るくらいか。今回こそは噛みしめて、ハードボイルド史上の名作とされる本書を読んでみることとした。

 この作品はあくまでも“ハードボイルドとしては名作”であり、ミステリという観点からすればまぁまぁというレベルであると思われる。その内容からすれば、「高い窓」や「湖中の女」のほうがミステリ作品としては濃厚といえるであろう。

 とはいえ、別に本書はそれほどミステリ作品というものを意識したというわけではないと思うので、そういう観点から見るというところが間違っているのかもしれない。そんな考え方は捨てて、濃厚なハードボイルド小説というものを堪能すべき作品なのであろう。

 本書はフィリップ・マーロウがテリー・レノックスと出会ったことにより得た友情を信じきるという、矜持を示した作品といえよう。もしくはマーロウ自身が信じたのは友情というものではなく、あくまでも自分自身を貫き通すという行為のみであったのかもしれない。何にしろ、フィリップ・マーロウが探偵としてではなく、ひとりの男として終始行動し続けるさまに惹かれる内容となっている。

 あとは、チャンドラー節ともいわれる(そんな風には言われてないか?)独特な言い回しも本書は有名である。それに関してであるが、村上春樹氏がこの「長いお別れ」を訳した「ロング・グッバイ」というものが出ているので、そちらを読みながら、このハードボイルド調というものを再度確認してみたいと考えている。


ロング・グッドバイ   

1954年 出版
2007年03月 早川書房 単行本(村上春樹訳)

<感想>
 チャンドラー作品で御馴染みの清水俊二版「長いお別れ」を読んでから、あまり間隔をあけずに、この村上春樹版「ロング・グッドバイ」を読み通してみた。今まで「長いお別れ」自体は2、3度読んでいたのだが、一向にあらすじを覚える事ができず、今回ようやく連続して読む事によってきちんと内容を把握しながら読み通すことができた。

 当然ながら2冊を比べてみるとどうかという感想が出るわけなのだが、これに関しては甲乙付けがたいと言うのが本音である。

 村上春樹版は清水氏の訳に対して、意図的に省かれている細かな表現部分までを表すためというのが目的のひとつとして挙げられている。ゆえに、どちらかといえば村上春樹版のほうが表現があえて回りくどくなっているようにも感じられる。しかし、当たり前のことながら村上春樹版のほうが訳が新しいのでとっつきやすさも多分に感じられるのである。

 というわけでどちらが良いともいえないのだが、もしできることならば清水版を読んでから村上版を読むというのが一番お薦めの読み方である。

 このチャンドラーの「長いお別れ」という作品であるが、何度も読んでいるうちにようやくわかってきたことがある。これは前述しているし、何度も書いていることなのだが、私はこの作品を何度読んでもあらすじをすぐに忘れてしまうのである。それが今回再読して今更ながら気づいたのだが、よくよく読んでみるとこの作品は話のあらすじから離れたエピソードや内容と直結しないような会話がかなり多いのである。それゆえに、この長い物語の細部を覚える事ができないでいたのであろう。

 ではこの作品は冗長なのかというと一概にそうとも言い切れない。本書はミステリ作品としてとらえてしまえば、それは冗長な作品だと言えるであろう。ただ、チャンドラー自身はこの作品を決して単なるミステリ作品として描いたものではないようである。また、読む側も単なるミステリ作品として捉えていないからこそオールタイムベストとして今の時代に読み継がれているのであり、伝説的な作品として名を残しているはずなのである。

 本書はチャンドラー流文学作品としての完成形であり、その一文一文に血の通った小説となっている。こういった背景に関してはさまざまな評論や解説などで書かれている事を読めば、徐々に納得していく事ができるだろう。そして、その回りくどくさえ感じられる数々の描写こそが本書の最たる特徴であり、そのある種の“ひねくれた目線からの描写”といったものを楽しみ、感じ取る小説だと言うことが何度も読んできて、ようやくわかったような気がしてきたのである。

 よってこの作品は単なるミステリとして読み流すべきものではなく、余裕のあるときに一文一文ずつゆっくりとたしなむべき小説なのであろうと今では感じている。ひとによって感じ方は異なるかもしれないが、少なくとも一度読んだだけで終わりにしてしまうにはもったいない作品である。もし、遠い昔に読んだ事があるという人はこの村上春樹版をきっかけにして、ゆっくりと熟読してもらいたいものである。そうすれば、また昔読んだ時とは異なる感慨が沸いてくるだろうことは間違いないであろう。

 かくいう私も今回の読書だけでチャンドラーをそしてこの作品を理解した気にはなれないので、またいつか再読したいと思っている。たぶん生きているなかで、何度も読み返す事になる作品であろうと思っている。「長いお別れ」はそんな小説である。


プレイバック   6点

1958年 出版
1977年08月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 マーロウのもとに弁護士のアムニーという者から仕事の依頼の電話がきた。ロサンゼルス駅に着く電車に乗っている女の行方を追ってくれというもの。不明瞭な依頼ながらもマーロウは仕事を請け、女の後をつけてゆくことに。しかし、その女は謎の男に付きまとわれ、まるで脅迫されているかのようにも思え・・・・・・。

<感想>
 チャンドラーの作品を時系列を追って再読し、その最後となるのがこの「プレイバック」なのだが、この作品には違和感が付きまとう。何かといえば、今まで読んできた作品でのマーロウの行動に比べて、この作品でのマーロウの行動がそぐわないのである。

 本書に対する違和感については、翻訳した清水氏もあとがきで書いている。また、この作品についてはチャンドラーについての一つの謎ともされているようである。「長いお別れ」を書いてから4年後に書かれ、これがチャンドラーの遺作となったのだが、本書については解明しきれない謎として今後も後世に残ってゆくのではないだろうか。ひいき目に見れば、こういったところもチャンドラーについてのミステリ性を冗長しているといえるかもしれない。

 この作品以外は邦題が付けられる際、日本語名が付けられているのだが、この作品のみ原題と同じ「プレイバック」となっている。実はこの“プレイバック”という意味合いですら謎となっているようなのである。

 このミステリアスとも言える作品、もちろんこの作品から読み始めるのはお薦めできないが、最後に本書を読むことにより、また最初からマーロウの物語を読み返さざるを得なくなるという魔力を持つタイトルとも言えるかもしれない。



<感想>(再読:2014/08)
 映画脚本「過去ある女」を読んだ後の再読。最初はこの「プレイバック」を再読する気はなかったのだが、「過去ある女」を読み終えた後に無性に読みたくなって、間を置かずに連続で読むこととなった。

「過去ある女」を読むと「プレイバック」を読んで不可解に感じたことの多くに説明がつくようになった。基本的にストーリーは一緒なので、全体を把握した形で「プレイバック」を読むと、内容が頭に入りやすい。というか、「プレイバック」だけを読んでも、わかりにくく感じるところが多々あり、これは単体のみではきついかなとすら感じられた。

 本書は「過去ある女」の内容をフィリップ・マーロウの視点のみで語った作品である。ゆえに、他の登場人物らがどのような行動をとっているのかということがわかりにくく、さらにはマーロウ自身ですら依頼内容がよくわからないまま行動をしてゆく始末。さらに「過去ある女」では、明らかになる犯罪も本書では、ぼかされたまま話が最後まで展開してゆくので、そこも話をややこしくしている一つの要因といえる。また、「過去ある女」での主要人物のひとりともいえるマーゴ・ウエストが、一場面しか出ておらず、むしろ何でわざわざ出したのかが不思議なくらい。

 チャンドラーというと、過去に書いた複数の短編をつなぎ合わせて一つの作品に仕立て上げるというのは有名な話。ただ、本書のおいては複数の作品ではなく「過去ある女」の脚本のみを一つの作品に仕立て上げなければならなかったゆえに、苦心したのではなかろうか。なんとなく、全体的に不必要な場面が多く、必要な場面が少ないと感じられてしまった。また、物語に直接関係のない場面を取り入れるというのは「長いお別れ」でも行われていたが、本書においてはそれがはまらなかったとも感じられた。

 少なくとも「プレイバック」の物語に関しては、不可解なところやよくわからないところが「過去ある女」を読んだことによって見当がつけられた。ただ、何故このような作品、作調になってしまったかについてはよくわからないところもあるのだが、単純にチャンドラーとしての失敗作であったという気がしてならない。


過去ある女  −プレイバック−   6点

1985年 出版
1986年07月 サンケイ出版 サンケイ文庫
2014年04月 小学館 小学館文庫

<内容>
 アメリカを逃れてカナダの港町にやってきた謎の女ベティ・メイフィールド、彼女に執拗に付きまとうジゴロのラリー・ミッチェル、ミッチェルの愛人マーゴ・ウエスト、そのマーゴのパトロンでありホテルのペントハウスに住む紳士クラーク・ブランドン、そして彼らの知人で事件に関わり合うこととなるジェフ・キレイン警視。過去ある女を巡って、いつしか事件が起き、その真相にキレインが迫ることとなり・・・・・・
 チャンドラーの小説「プレイバック」の元となった映画脚本。

<感想>
 小説「プレイバック」の元となった映画の脚本。長らく謎と言われた「プレイバック」の秘密を垣間見ることができる作品・・・・・・といいつつも、すでに1986年にサンケイ文庫から出版されていた作品の復刊。

 映画脚本としては面白く感じられたが、チャンドラーを感じ取れるという内容ではない。脚本であるがゆえに、いつものチャンドラー節を見ることができないので、チャンドラーらしさがないのは当たり前か。登場人物についても、フィリップ・マーロウは出ておらず、ジェフ・キルレインという警視がその代わりのように登場する。ただ、この作品の主人公は男たちではなく、ベティ・メイフィールドというタイトルのとおり、過去を持つ女にスポットを当てられた作品と言えよう。

 この脚本の内容としては、意外とミステリ色が濃いというのが特徴ではなかろうか。ゆえに、ハードボイルド作品というよりは、サスペンスミステリという色合いのほうが濃く感じられた。登場人物のひとりが殺害されるのであるが、その方法や犯人について、きちんと言及された内容となっている。

 まぁ、脚本として読むよりも映画として見たほうが面白そうな作品(それは、当たり前か)。結構、アクション的な部分も目玉となっているようなので、脚本だけ見せられても微妙かなと感じられる。また、個人的にはキルレイン警視の非情さが足りなかったかなと。本書を読んで一番感じ入ったのは、美人は得なのか、損なのか、というところ。


プードル・スプリングス物語   6点

1989年 出版
1997年01月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 リンダ・ローリングと結婚した探偵フィリップ・マーロウ。資産家と結婚したマーロウであったが、妻の反対を押し切り、個人探偵事務所を開き、昔と変わりなく探偵稼業を続けてゆくことに。そんな彼のもとに来た新しい依頼は、カジノ経営者からもたらされる。それは借金を返さずに行方をくらましている男を捜してもらいたいというもの。さっそく依頼を受け、失踪者を捜すマーロウであったが、その過程でいくつかの死体に巡り合うこととなり・・・・・・

<感想>
 レイモンド・チャンドラーが途中まで書き上げた遺稿をロバート・B・パーカーが書き継ぎ完成させた作品。初読ではないが、感想を書いていなかったので再読。

 話の4分の1くらいが、フィリップ・マーロウ自身の話になってしまっている。それは、「長いお別れ」で登場したリンダ・ローリングとの結婚生活の描写。誰がどう見てもうまくいくはずのない結婚生活は、二人の根競べの様相と化している。

 それはさておき、マーロウが扱う事件は意外と言っては失礼だが、なかなかうまくできている。失踪者を捜すというパターンはハードボイルドお馴染みのものであるが、その失踪者が二重生活を送っていた故に話はややこしくなり、さらにはそこに脅迫やら利権争いが生じ、事態は複雑な様相を呈してゆく。

 読み始めは“破綻”という言葉しか思い浮かべることができなかったのだが、読み終えてみると意外とうまく書かれた作品というように感じられた。マーロウが華々しく活躍した作品と比べると心もとないものの、これはこれできっちりと一つの作品として仕上げられていると言ってよいであろう。ロバート・B・パーカーの手腕が光る作品。




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