Ellery Queen  作品別 内容・感想

ローマ帽子の秘密   5.5点

1929年 出版
1982年06月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 ブロードウェイのローマ劇場にて“銃撃戦”という舞台が進行するなか、場内で騒ぎが起こる。客のひとりが近くの席で男が死ぬのを目の当たりにすることに。被害者はどうやら毒殺された模様。彼の職業は弁護士であるが、どうも悪徳弁護士として有名であったようだ。大勢の人々で囲まれた観客席のなかでの殺人、果たしてクイーン親子はどのようにして謎を解くのか? 注目すべきは被害者がかぶっていたはずでありがなら、現場から消えた帽子の行方!?

<感想>
 これで3度目くらいの再読となるか。クイーンの国名シリーズのなかで一番印象が薄いのがこの“ローマ帽子”。今回は、どうしてここまで内容を覚えられないのかを考えながら読んでみた。

 内容は大勢の客でにぎわう劇場にて、劇が上映されているなかで起きる毒殺事件。大勢人はいたものの、皆が舞台に夢中になっていた故に、当てになりそうな証言はないという状況。また、被害者の周辺を調べてみると、この被害者様々な人達から恨みをかっているようで、誰に狙われてもおかしくない。そうしたなかで、特定の犯人を指摘することができるのか、というもの。ヒントとなりそうなものは、現場から持ち去られた被害者の帽子のみ。

 以前に読んだ印象で覚えているのは、この作品やたら登場人物が多かったということ。しかし、よくよく読んでみると、それなりに重要人物は絞られ、ある程度は整理できる。ただ、登場人物表の作りが悪く、これが物語の全体を把握しようとすることを妨げているようにさえ感じられてしまう。また、重要人物が少なそうな割には、チョイ役と感じられる人々に多くのページ数を割いており、さらにはそのチョイ役の人々のほうが印象が強いのである。そんなわけで、真犯人の名前が挙げられた際にも、「あれ? これ誰だっけ?」となってしまうこととなる。

 それなりにロジックとか、犯人像とか、そういったものの出来が悪いわけではないのだが、その真犯人が登場しているシーンでの存在の薄さが気になるところ。また、必要以上に真犯人の存在を隠そう隠そうとし過ぎていたのではないかと思えるところもある。一見、明快なロジックなようであっても、そこまでの流れや、解決の展開が微妙であったかなと思えてしまう作品。


フランス白粉の秘密   6.5点

1930年 出版
1983年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 ニューヨーク五番街にあるフレンチ百貨店。そこではいつも昼に新型家具の展示が行われていた。係のものが収納式のベッドのボタンを押すと、ベッドと共に死体が飛び出してきた。死体の主はフレンチ百貨店の社長夫人。昨晩から夫人とその連れ後のバーニスがいなくなっており、バーニスは未だ見つからないまま。クイーン警視とその息子のエラリーは昨夜フレンチ百貨店で何が起こっていたかを調査しはじめ・・・・・・

<感想>
 久々に再読。読むのはこれで3回目くらいになるか。「ローマ帽子」を1年くらい前に読んだので、その続きという感じでちょうどよく読めた。本書は「ローマ帽子」に比べたら完成度は上がっていると感じられた。

 とにかくミステリとして内容が濃い。余計な描写はなく、ほぼ犯行現場の検証や推理のみにページ数が費やされている。一見、直接関係なそうな麻薬密売組織に関する部分も実は事件と密接に関連付けられている。殺人事件一つのみで、これだけのミステリを描き上げるところは凄いと思われる。

 被害者の手元から無くなっている鍵、本当の犯行現場は?、常備されている本の種類、ブックエンドに隠された秘密、死体が発見された時間に関する謎、犯人が百貨店に入ってから出ていくまでの足取り、現場に残された証拠が示すもの。こういった様々な証拠や謎を経て、エラリー・クイーンは真相へとたどり着く。

 ただ、残念なのは大部分の容疑者の存在が希薄過ぎるところ。その容疑者らに対する尋問も最後のほうでチャチャっと素通りのような感じのみ。と言いつつもこの作品、物語がわずか2日間くらいで完結しているのだから、そういった展開も仕方のないところか。それでも、もう少しそれぞれの登場人物に存在感を示してもらいたかったところ(この辺は「ローマ帽子」でも感じられたところ)。

 基本的にはしっかりと出来ているミステリ作品でありつつも、肝心の最後はややなし崩し的であったかなと。最後の最後まで真犯人がわからないという趣向は面白いのだが、心理的にではなく、もうちょっと理論的に追い込んでもらいたかった。


オランダ靴の秘密   7点

1931年 出版
1987年08月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 オランダ記念病院で、この病院の創設者でもある女富豪のアビー・ドーンが倒れた。緊急手術を行うこととなり、アビーと関わりの深い外科主任フランシス・ジャニーが手術を行うこととなった。そして、アビーが手術室前の控室に運ばれた後、そこでアビーが針金によって絞殺されているのを発見されることとなる。そばについていた看護婦が言うには、外科主任のジャニーらしき人が入ってきて、患者のそばに近寄った以外には、誰も部屋に入ってきていないという。後に、そのジャニーらしき人物は、何者かが彼に扮装していたことが明らかとなる。女富豪を狙った殺人事件、犯行を行うことができたのは誰か? そしてどのような方法で? エラリイ・クイーンは犯人の遺留品の靴からある推理をひらめき・・・・・・

<感想>
 感想を書いていなかったので、久々に再読。「ローマ帽子」「フランス白粉」に続く。国名シリーズ第3弾。エラリイ・クイーン描く国名シリーズであるが、この第3作目で一気に本格ミステリとしての完成度が上がったという印象。前2作については、確かに論理的なミステリが展開されているものの、どこか微妙と感じられる部分があった。そういった感情を払拭して、一気に本格ミステリとしての完成度を高めたものがこの作品であると思われる。

 ただ、ミステリとしての完成度が高いゆえに、一読すると犯人像について忘れられなくなってしまい、再読時には読み始めたときから、あぁ、あれが犯人かと思いながら読むこととなった。それほど、犯人の特定に関する論理的な指摘が優れている作品と言えよう。

 この作品では、二つの殺人事件が起きることとなる。ひとつめは、手術室の前室である控室で、担当医に扮した何者かが被害者を殺害するという事件。そして、もう一つは室内で、自分の机についた状態で医者が殺されているのが発見されるという事件。なんといっても、この作品の目玉的なものは、2つ目の事件にあると思われる。これにより、探偵役のエラリイ自身も犯人の特定が可能となるのだが、その論理的な思考が明快で素晴らしいものとなっている。

 実は犯人の動機については最後の最後までわからないのだが、最終的に明らかにされる動機やその周辺背景についても、しっかりと筋立てられているものとなっているので、そこも見事であると思われた。とにかく色々な面で良くできた作品と言えよう。国名シリーズベスト3に入る作品であることは間違いない。「ローマ帽子」や「フランス白粉」を読んで、クイーン作品から挫折した人がいるならば、最低でもこの「オランダ靴」までは読んでみてもらいたいものである。


エジプト十字架の謎   7点

1932年 出版
1959年09月 東京創元社 創元推理文庫
2009年01月 東京創元社 創元推理文庫<新版>

<内容>
 ウエスト・ヴァージニアの田舎町で奇妙な殺人事件が発生した。T字路にて、T字型の道標に首無し死体がはりつけにされていたのである。事件に興味を抱いたエラリーはさっそく現地に赴き、検死審問に出席したのだが、具体的な手掛かりは何も得られなかった。その事件後から半年後、別の場所で似たような首なし死体が発見されることとなり・・・・・・

<感想>
 クイーンの作品の中で再読を避けていた作品。何故かというと、あまりにも明快で論理的な謎解きにより犯人が指摘されており、未だにその記憶に残っているからである。ゆえに、読み始めたらすぐに、あぁ、あれが犯人だったなと気づいてしまった。とはいえ、その途上の物語については、すっかり忘れていたので、このような内容だったのかと中身についてしっかりと確認することができた。

 読んでみて思ったのは、全体的に長い話になっているなと。T字にはりつけされた首無し死体というショッキングな事件が連続して起こるものの、その背景には謎の裸体主義者の集団や、男女の三角関係などといった物語が挿入されている。これらについては、改めて読んでみると、あえて犯人の存在を隠すためのレッドヘリングとして扱われていたのかなと感じられる。ただ、もう少しシンプルにスッキリさせた物語にしても良かったようにも思える。

 エラリー・クイーンも警察も、姿が見えぬ復讐鬼の存在に振り回されつつ、結局のところ警察らの努力もむなしく復讐は成就されてしまう・・・・・・といったところで、最後に発見された死体と現場の状況からクイーンが全ての真相を看破してしまう。最初にも書いた通り、この論理が明快で実にうまくできていると感心させらるものとなっている。全体的な物語の流れはどうかと思うところもあるのだが、驚くべき真犯人の正体が明らかになるところと、その解決への導きについては、文句なしのミステリと言わざるを得ないであろう。まさに本格ミステリの代表作たる一冊。


ギリシャ棺の秘密   7点

1932年 出版
1979年12月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 富豪のハルキス氏が心不全にて亡くなり葬儀が執り行われた。するとその葬儀の最中に厳重に保管されていたはずの遺言状が無くなるという事件が起きた。葬儀に参加していた者の誰かが盗んだと思われるが屋敷の中はおろか、個別に身体検査をしても遺言状は発見されなかった。エラリー・クイーンはこの状況から遺言状はハルキス氏の棺の中にあると断言し、墓を掘り起こし棺の中を暴いてみたのであるが・・・・・・

<感想>
 十何年かぶりに本書「ギリシャ棺」を再読。憶えている部分もあったのだが、大部分は忘れていたのでそれなりに新鮮に読むことができた。

 本書は若き日のエラリイの事件を描いたものという設定になっている。そしてそれだけではなく、本書はクイーンの作品のみならず、ミステリにおいて重要な取り決めを提示している作品といえよう。それは何かというと

 「探偵は事件の真相が完全にわかるまでは、途中でその考えを述べなくてもよい」

ということである。この事を本書ではエラリイ自身が身を持って失敗することによって提言しているといってよいであろう。本書があるからこそ、エラリイが事件の途中で意見を求められても「まだお話しすることはできません」と自信を持って突っぱねることができるわけである。

 本書「ギリシア棺」ではエラリイが失敗を重ねることによって事件の真相は二転三転していくようになっている。その分だんだんと複雑になってゆき、最後の最後の真の解答は少々わかりづらかったという印象を受けた。また、どちらかといえば最初のほうの解答のほうがミステリとしては良く出来ているのではないかと感じられ、その真相が変るたびに事件のスケールがダウンしていくようにも感じられた。にしても良く練られた作品だということは十分に感じさせられる作品であることは間違いない。本書は国名シリーズの中においても上位に位置する作品であるといいきってもよい傑作である。


アメリカ銃の秘密   6.5点

1933年 出版
2014年06月 角川書店 角川文庫

<内容>
 ニューヨークでのロデオショーの出来事。かつてのスター、バック・ホーンが久々に登場するとあって、会場は盛り上がっていた。ハリウッド女優や有名ボクサーのみならず、クイーン親子もショーに訪れていた。彼らが見守る前で、颯爽と馬に乗って登場してきたバック・ホーンであったが、銃声の後に落馬し、死亡するという事態が起きてしまった。クイーン警視は、直ちに現場の指揮をとり、会場を封鎖し、凶器を捜すのだが、バック・ホーンを殺害したのに用いられたと思われる拳銃は見つからなかった。いったい誰が、どのようにして犯行を行ったのか? 現場の状況、活動写真などを駆使してエラリーは証拠となるものを集めるのであったが・・・・・・

<感想>
 遠い昔に創元推理文庫で一度読んだっきり。内容も全く覚えていなかったので、角川文庫から新版が出たのをきっかけに、改めて読んでみた。ほとんど印象に残っていない作品なので、地味な内容なのかと思いきや、ラストにおける真相はアクロバティックと言ってもよいほど。思いのほか真相に驚かされてしまった。

 起こる事件は、ロデオショーの現場における衆人環視の状況での銃殺事件。ロデオショーゆえに、ショーに携わっている者たちは皆、拳銃を持っている。しかし、犯行に使われた銃は25口径と小ぶりなもので、捜査をするも該当する拳銃が見つからないという状況。さらには動機もなかなか見えてこない。

 事件が起きてから、捜査が行われる場面へと移行するのだが、その捜査に関しては、地味で長いと感じられた。なかなか事件に対する核心が見えてこず、捜査に対してもやや退屈と感じられてしまう。ただし、主人公のエラリー・クイーンは、序盤からしっかりと核心となる証拠を見極めており、ある程度全体像を見通していたようである。

 なんとなく事件のポイントになるのではと思えたものが、序盤ロデオ場に、後の被害者となるバック・ホーンの知り合いという事で、仕事を得ることとなる男が登場すること。物語の一連の流れに関係しない故に、なんとなく気になったのだが、実際にそれがひとつのポイントとして取り上げられることとなる。

 最後の真相は、予想だにしないもので、これは騙されたなと感嘆させられた。一見、アンフェアのようにも捉えられるのだが、そこはエラリーが論理的にしっかりと証明してくれている。ただ、拳銃の隠し場所については、やや拍子抜けしたかなと。さほど期待せずに読んだものの、思ったよりも派手な真相が用意されていたので、読みがいがあった作品。


シャム双子の秘密   6点

1933年 出版
2014年10月 角川書店 角川文庫

<内容>
 休暇からの帰途につくクイーン父子。車での道中、山火事に遭遇し、ふもとに降りることができなくなり、山頂を目指す。そこには一軒の家があり、主人のゼイヴィア博士に迎え入れられる。博士は高名な研究者であるようで、人里離れたこの地でなんらかの実験を行っているようである。また、何故かそこに住む人たちは何かを隠しているかの様子で、不穏な状況。そうしたなか、クイーン警視は、“かに”にような異形のものを目にすることに!? そうした謎を探る間もなく、銃殺されたゼイヴィア博士の死体に遭遇することに。手の中には、引きちぎったと思われる一枚のトランプが! 一体、そのトランプは何を意味するものなのか? そして犯人は何故博士を殺さねばならなかったのか? そして山火事に見舞われたクイーン父子の運命は??

<感想>
 以前はハヤカワ文庫版で読んだ気がする。今回は角川文庫版で久々の再読。

 国名シリーズとしては、かなりの異色作。山火事によって、偶然にもクローズドサークルという状況になり、そこで殺人事件が起きるというもの。しかも、山火事が段々と迫ってきて、命の危険に脅かされながら推理をしなければならないという設定。タイムリミット・サスペンス小説のような感覚も味わえるミステリ作品となっている。

 ただ、いつもの論理的な犯人当てになっているかといえば、ちょっとそこが物足りない。そのためか、“読者への挑戦”も挿入されていない国名シリーズ唯一の作品となっているのだが、犯人当ての根拠が若干弱いと感じられた。

 とはいえ、真犯人が指摘された後に、明らかになった事件の構図を見直すと、実に凝った内容になっていることがわかる。その事件の構図という面では、一風変わっていて興味深い作品と言えよう。なんだかんだで、色々と読みどころのある作品であった。


チャイナ橙の謎   7点

1934年 出版
1960年01月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 宝石と切手収集家として著名な出版業者の待合室で、身元不明の男が殺されていた。しかも驚くべきことには、被害者の着衣をはじめ、その部屋の家具もなにもかも、動かせるものはすべて“さかさま”にひっくり返してあった。この“あべこべ”殺人の謎は何を意味するのか? 犯人はなんの必要があって、すべてのものを、あべこべにしたのだろうか?

<感想>
 実に奇妙な作品である。まずは衝撃的な“さかさま”の殺人が起こる。そしてその後の捜査なのであるが、これが他の作品などと比べて実に奇妙に感じる。登場人物らの関係などが暴かれてはいくものの、いっこうに犯人に言及するような直接的証拠が出てこない。そしてそのままラストへと・・・・・・

 しかし、そこで暴かれるものが非常に見事である。この奇妙な“あべこべ”殺人が何を隠していたのかという点が実にうまく書かれている。実はこの“あべこべ”によって二つの事象の隠蔽を犯人が図っており、それを暴くことによって犯人がおのずと決定付けられる。これは実に見事であり、また予想だにさせない犯罪トリックには脱帽してしまった。本書はある種の“奇妙な密室”とでも表現すればいいのだろうか。


スペイン岬の謎   6点

1935年 出版
1959年10月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 事件は不可解な人間違いによる誘拐事件から始まる。ローザ・ゴッドフリーとその伯父のデーヴィッド・カマーとが二人でいたところ、突然巨漢が現れ、彼らを拉致してしまう。しかし、その大男はカマーをジョン・マーコという男と間違えているらしいのだ。ローザは小屋に閉じ込められ、カマーは巨漢によって連れ去られてしまう。
 次の日、エラリー・クイーンらによって、無事に発見されるローザ。しかし家に帰ると、スペイン岬と呼ばれる花崗岩塊の突端にある別荘の海辺で発見されたのはジョン・マーコの全裸の死体。しかも事件の発生当時に、スペイン岬の所有者ゴッドフリー家には、いずれも一癖ありげな客が招待されていたうえに、さらに三人の未知の人物が加わっていたらしい。その理由はなにか?そして殺人犯は、なぜ被害者を裸にする必要があったのか?

<感想>
 読者への挑戦が付き、犯人あての妙はいつもどおり。しかも、死体がなぜ裸なのかという謎を提示し、そのことにより犯人をずばり当てることができるといいきるところは、まさにクイーンらしい正々堂々さ。

 ただそれでも、「ふーん、そう」というような感じでもあり、劇的感などは希薄であった。たぶんそのへんのところは、意外性に乏しかったせいなのかもしれない。また、誘拐事件、全裸の死体、ゴドフリー家に集まった客人たちといった事件上のパーツが一つの事件としてはバラバラな感があったのもひとつの原因だろう。


中途の家   6.5点

1936年 出版
2015年07月 角川書店 角川文庫

<内容>
 エラリーは旧友のビル・エンジェルと出くわした。ビルが言うには、妹の夫ジョーゼフの事で悩んでいるのだが、その夫から会いたいという連絡があり、これから出向くところだと。ビルが義弟から指定された場所へ行ってみると、そこで待ち受けていたのは死体となった義弟の姿であった。妻であるルーシー・エンジェルが呼ばれたのだが、もう一組呼ばれた者たちがいた。それは、その死亡した男の妻だと名乗る資産家のギンポール家の者であった。どうやらジョーゼフは二重生活を送っていたらしく、彼が発見された家は衣類や乗り物などを取り換える二重生活の“中途の家”であったのだ。その後、容疑者としてルーシー・エンジェルが逮捕されることとなり、弁護士である兄のビルが法廷へと乗り出すことに。エラリー・クイーンはエンジェル兄妹を助けようと捜査に乗り出すのであったが・・・・・・

<感想>
 久々に再読となった作品。角川文庫から新訳が出たので、これを機に購入して読んでみた次第。内容はほとんど忘れていたので、新鮮な気持ちで読書に取り組むことができた。

 本書は、なんといってもタイトルの“中途の家”というのが良い! 「途中の家」として出版された本もあるのだが、やはり「中途の家」のほうが合っていると思われる。

 この作品では、二重生活を送っていたものが殺害されるという事件が起こる。その真相を探るべくエラリー・クイーンが乗り出すのであるが、本書において面白いと思えたのは、被害者に対する言及がほとんどなされないということ。何故彼がこのような生活を送っていたのかとか、過去の人生において何があったのかなど、そういったことが一切掘り下げられない。被害者の何故? は一切問わずに、犯罪を犯したのは誰? ということと、それを指摘する根拠は? という点のみにスポットを当てた本格推理小説となっているのである。

 社会派ミステリ的な要素を一切排除し、パズルミステリとして貫き通している作風に好感が持てる。また、途中では法廷場面までが設けられていたりと、見どころは満載である。ただ、若干冗長のように思えるところと、アンドレア・ギンポールに関する謎を引っ張り過ぎているなど、少々余計なところもあったように思えないことはない。しかし、マッチの残された本数や、その他さまざまな点から犯人を指摘する論理的な推理が披露されるところは、さすがクイーンといったところである。


日本庭園の秘密   6点

1936年 出版
2003年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 マクルーア博士の娘のエヴァは博士と婚約している女流作家のカレン・リースの元を訪れた。そしてエヴァがカレンの部屋で見たものとは血を流して死んでいるカレンの死体であった。エヴァは驚きのあまり、凶器と思われるはさみに触れてしまったり、血に触れてしまったりと現場を荒らしてしまう。またその部屋は外部から人が入ってくることは不可能であり、エヴァ以外のものが殺人を犯すことができないような状況であった!

<感想>
 国名シリーズの最後を飾る本でありながら、国名シリーズとしてのタイトルを付けることができなかった本。それが本書「日本庭園の秘密」である(詳細については解説に書いてあるので読まれたし)。

 密室殺人という不可能犯罪を取り扱った作品。これにはとあるトリックが使われており、本書がそのもとになっているのかと関心したりもする。ただ、どちらが先かはわからないが、有名な某短編で似たようなトリックを読んだ覚えがある。

 全体的に地味というようにも感じられたが解答によってすべてが明かされると物語としてもよく練られているのがわかる。またエラリーによる解決で“三つの小さな事実と二つの大きな事実”というものによって論理的に解答がなされていくのは圧巻である。読む前は話題には上らない作品であるのであまり期待していなかったのだが、なかなか良い作品であることにびっくり。


悪魔の報酬   6.5点

1938年 出版
1979年09月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 ハリウッドへ脚本家として招かれたものの、仕事のない状態が続くエラリイ・クイーン、そんな彼が殺人事件に巻き込まれることに。水力発電所を経営していたソリー・スペースは、洪水により発電所が使えなくなったため閉鎖することを決める。それにより共同経営者のリースは大損失を被る。しかし、ソリーはあらかじめ株を売っており、資産を残したままという状況。ソリーの息子のウォルターはリースの娘のヴァレリーとの結婚を考えていたため、父親を激しく非難する。そうしたある日、ソリーが何者かに殺害される。状況からリースが容疑者となるのだが、ヴァレリーはウォルターがやったのではないかと疑いの目を向け・・・・・・

<感想>
 昔、創元推理文庫で読んだときは「悪魔の報復」というタイトルだったはず。今回はハヤカワ文庫版で再読。今までの国名シリーズとは打って変わって、エラリイがハリウッドへ脚本家として向かい、そこで探偵活動をするという設定。この設定は次の作品の「ハートの4」でも引き継がれている。これは著者のクイーンが実際にハリウッドへ脚本家として行ったことによる経験を生かしてのことらしい。

 そんなわけで、ハリウッド調などと言うほどのものではないにしろ、なんとなく今までの作風とは相容れないものを感じるような。ただ、作品自体は面白かったので、結局のところミステリとしては問題ないといったところか。

 事件は企業における利益と家族間の相続が背景となる殺人事件。容疑者らしきものは存在するものの、事件の核心にいたる決め手がない。そういった状況で、クイーンは凶器とされる剣が妙に高い位置にあったにもかかわらず何故選ばれたのか、などといった疑問を抱えながら捜査を進めてゆく。ただ、事件関係者たちの誰もが捜査に非協力的であり、なかなか真相へと結びつけるための手掛かりが得られないという状況。

 何気にしっかりと論理的に事件の真相へ導かれているところがクイーンの作品らしく見事と思えた。また、事件関係者が少なく、真犯人となりそうな人物が少ない中でどのように解決がなされるのかと思っていたら、意外なところから犯人があぶりだされることに。事件の動機が、感情の行き違いの狭間を見事にとらえたものとなっており、そのへんも非常にうまく仕立て上げられていると感心させられた。


ハートの4   6点

1938年 出版
2004年02月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 エラリイ・クイーンは映画の脚本を描くためにハリウッドを訪れていた。彼が脚本に取り組む映画とは、仲たがいしている事で有名なジョン・ロイルとブライズ・スチュアートという男女のスターを主演とする自伝的な作品であった。ロイルとスチュアートは昔から犬猿の仲であり、同じく映画スターである息子タイ・ロイルと娘ボニー・スチュアート同士も仲が悪い。しかし、その映画を撮ることが決まった後日、ジョンとブライズが仲直りをし、突然結婚することになる。そして飛行機にて新婚旅行に向かう日、その飛行機に乗った二人が何者かに誘拐され、二人は死体となって発見される。生前ブライズはトランプの札による脅迫状を受け取っていたようなのであるが・・・・・

<感想>
 昔に創元推理文庫版で読んだことがあるのだが、今回ハヤカワ文庫版の新訳で再読。

“ハートの4”と言うよりは、「エラリー・クイーン、ハリウッドに行く」とでも言った方が内容からするとしっくりいくかもしれない。要するにエラリーがハリウッドという、ちょっと特殊な世界にて殺人事件に巻き込まれるというお話。

 クイーンが書いた中期の作品としてはそこそこのレベルではないかと思うのだが、いかんせん事件の概要よりはハリウッドという特殊な世界とそこに出てくる登場人物らのほうにスポットが多く当たっているように感じられた。内容がミステリー版“ロミオとジュリエット”というようなものだから、恋愛沙汰にページが多く割かれるのはしょうがないことなのであるが。

 そういった中でエラリーはきっちりと論理的に事件を看破している。今回の事件のポイントとなるところは“動機”について。とはいうものの、主要登場人物が少ないので犯人を指摘できる読者も多いのではないかと思う(私ははずれてしまったのだが)。

 ただ、事件自体が全体的に行き当たりばったりで幼稚な感じもしたのだが、それを作品の中では犯人の人間性という事ですましてしまっているのはどうかと感じられた。ただし、こういったものがハリウッド的であると言われればそれまでなのだが。

 とはいうものの、それなりに佳作とはいえる作品であった。


ドラゴンの歯   6点

1939年 出版
1979年09月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 共同で探偵事務所を経営することになったエラリイとボー・ラムメル。さっそく来た仕事は、キャドマス・コールという富豪からの遺言についての相談であった。さらにキャドマス自分がもし死ぬような事になったら、その事件を調査してもらいたいとも依頼してきた。
 その後キャドマスは航海の途中で心不全により死亡してしまう。エラリイとボーはまず彼の財産を継ぐことになるはずの者を捜すことから始めるのであったが・・・・・・

<感想>
 うーん、これも何かクイーンが実際に書いたのかどうか疑わしい(年代からすれば本人が書いたのかな?)。推理小説というよりも、ハードボイルドのように思える作品であった。

 謎となるべきものは二つ。富豪の生前の奇妙な言動とその生死について、そして遺産を巡ることにより起きた殺人事件。一応二つの事件はリンクしてはいるものの、途中から後半の事件が起きたことにより、微妙に主題がずれてしまったかのようにも感じられた。

 とはいうものの、ミステリーとして抑えるべきところは抑えているように感じられたので、さほど評価は低くはない。ただ、その主となるべき謎の部分が少々わかりやすすぎたかなと思えなくもない。

 というわけで、全体的な感想としては微妙なところなのであるが、終わりよければ全て良し、というところで。


災厄の町   6点

1942年 出版
2014年12月 早川書房 ハヤカワ文庫(新訳版)

<内容>
 エラリイ・クイーンは新作を書くために心機一転、ライツヴィルという町に腰を落ち着ける。そこで彼が住むことになったのは、“災厄の家”と呼ばれるいわくつきの家。その家は、町の資産家で銀行頭取のジョン・F・ライトが次女が結婚するために新居として建てた家。しかし、その次女ノーラと結婚相手のジム・ヘイトは結婚式当日に結婚を破棄し、ジム・ヘイトは町から出て行ってしまい、新居は誰も住まない状態となっていた。そんないわくのある家に住み始めたエラリイであったが、ライト家の人々とも仲良くなり、執筆活動も進み始めていた。そんな平和な日々もつかの間、町から出ていったジム・ヘイトが帰ってきて、ノーラと結婚することとなったのである。そしてジム・ヘイトを中心とした事件が起きることとなり、ライト家は騒動の渦中に投げ込まれ・・・・・・

<感想>
 新訳版にて再読。エラリイ・クイーンによるライツヴィル・シリーズ作品の第1弾。シリーズといっても続きではなく、それぞれ独立した作品なので、特に順番とかを意識して読む必要はない。ただ、この後にライツヴィルという町を舞台にした作品がいくつか書かれているので、シリーズのような感じで紹介されていたりする。国名シリーズ後の作品として新たな舞台を模索して書かれた作品のようである。

 このライツヴィル・シリーズでは、今までのクイーンの作品と異なるものとなり、このあたりから論理的な探偵小説から脱却し、サスペンス・ミステリ風なものへと移行していく様子がうかがえる。また、本書はドラマチックな部分や、町の住人たちの事件への狂騒などを前面に押し出すような内容となっており、こういった部分も従来のクイーンの作品とは違う雰囲気を感じ取ることができる。

 ただそういった雰囲気や作風云々よりも、どうもこの作品は首をかしげたくなるような部分が多すぎるように思われた。事件は、ほぼ単発の毒殺事件のみ。それに対する捜査が行われるものの、最重要容疑者がひとりいるだけで、そこから捜査や推理が派生していく様子はほとんどない。エラリイ・クイーンの行動についても、単にこの容疑者が真犯人ではないと推測しているのみ。序盤から登場しているにも関わらず、クイーンによる積極的な捜査が一切ないところは物足りないどころか、ほとんど探偵として機能していないようにさえ思えてしまう。また、“真犯人ではない”という考えが、あくまでも推測のみで、それに対する根拠が一切ないというところも大きく首をかしげたくなる要因のひとつ。

 他にも、被害者に対する綿密な捜査がなされていなかったり、町の人が騒ぎ出しているものの、基本的によそ者による事件なのに何故ここまでライト家が責められるのかわからなかったりとか、微妙と思われるところは多々あった。状況を打開するための行動や推理がほとんどなされなく、ただ単に裁判の場に出されて、ライト家の人々とエラリイがくよくよするのみというのは、読んでいてあまり楽しくはなかった。

 最後の最後でようやく真相があきらかになるのだが、それについては素直によくできていると感心させられるものである。その真相は何気に意表をつくものであり、確かにそう考えるとうまく当てはまると感嘆させられてしまった。と、最後の真相は非常にうまくできていたゆえに、そこまでの流れをもう少しうまく書いてくれていたならばなぁと、思わずにはいれらなくなった。長めの作品になっているがゆえに、シリーズ1作目の割にはお薦めするのが微妙な作品。


生者と死者と   6点

1943年 出版
1959年09月 東京創元社 創元推理文庫

<内容>
 エラリー・クイーンは、知り合いの弁護士から、コーネリア・ポッツという女傑に紹介される。そのコーネリアは靴の販売で富豪となった伝説的な女であり、さらには変わった子供たちを持つことでも知られていた。前夫との間に生まれた3人の子供は精神異常の気が見られ、後夫との間に生まれた3人の子供はいたって普通の子供であった。そして、そのポッツ家で、惨劇が起こることとなる。連続して家族のなかから死者が出ることとなり・・・・・・

<感想>
 後に改題されて「靴に棲む老婆」というタイトルとなっている。靴販売で富豪となった女傑が当主である一族のなかで起こる連続殺人を描いた作品。

 私はタイトルに表したとおり、だいぶ昔に出版された書籍を持っているのだが、今の世となっては表現が微妙で今後復刊されないかもしれない。ポッツ家の当主である女傑には子供が6人いて、3人は精神異常、残りの3人は普通。その精神異常とされる3人に対する描写がちょっと微妙かも。

 倫理的にはどうかはわからないが、だからといって小説として微妙だということはない。意外とユーモアにあふれていて、楽しく読める作品である。クイーン作品としては論理的な面はやや弱いような気がするが、それでもしっかりと見せ場を設けていて、最後の最後まで目の離せないミステリとなっている。そしてクイーン読者として一番驚かされるのは、最後にあの人物が表舞台に現れることであろう。


フォックス家の殺人   6点

1945年 出版
1981年05月 早川書房 ハヤカワ文庫
2020年12月 早川書房 ハヤカワ文庫(新訳版)

<内容>
 故郷のライツヴィルに帰還した戦争の英雄デイヴィー・フォックス。故郷で妻が待ち受けていたものの、戦争による精神的な傷跡と、かつて父親が母親を毒殺したという過去の悲劇に囚われ続けていたことにより、普通の生活を送ることができずにいた。そんな彼の様子を見た妻のリンダは、過去に起きた事件の真相を突き止めようとエラリイ・クイーンに依頼をすることに。エラリイは収監されていたデイヴィーの父親を借り受け、ライツヴィルで当時起きた毒殺事件について詳しく調べるのであったが・・・・・・

<感想>
 新訳版が出たのを機に再読。実はこの作品、結構印象に残る結末ゆえに、ずいぶん前に読んだにもかかわらずラストの場面を未だ覚えていた。ゆえに再読を躊躇したものの、HP上に感想を書いていなかったこともあり、もう一度読んでみようと手に取ってみた。

 大雑把に言えば、昔起きた毒殺事件について、別の真相が隠れているかどうかを検証してもらいたいとエラリイが頼まれるという内容。しかし、昔判決がなされたとおり、検証すればするほど、逮捕された男の容疑は固まるばかり。そんななか、新たな証言により、一筋の光が差し込む。

 というような感じで話が進んでゆくのだが、毒殺事件の検証のみの作品となっているので、やや退屈に感じられてしまう。さらに言えば、クイーンが描く国名シリーズのような論理的な謎解きもないので、それを期待する人にとっては肩すかしとなるかもしれない。ただ、ラストで明かされる劇的な真相については見事であるなと。劇的な結末という意味合いでは、非常に印象に残る作品。


十日間の不思議   6.5点

1948年 出版
1976年04月 早川書房 ハヤカワ文庫
2021年02月 早川書房 ハヤカワ文庫(新訳版)

<内容>
 エラリイ・クイーンの元に旧友のハワード・ヴァン・ホーンが訪ねてきた。彼は、度々記憶障害に悩まされているといい、記憶がないまま、あちこちを彷徨っている自分におびえているという。ハワードはエラリイに自分の家に来て、記憶喪失中、どんな行動をとるのか見張ってほしいと頼まれる。そうして、エラリイはヴァン・ホーン家に行くことに。彼の家では、資産家である父親ディードリッチと、若い妻サリー、そしてディードリッチの弟のウルファートと4人で暮らしていた。そんななか、ヴァン・ホーン家で盗難事件が起き、エラリイはこの家に住む者たちの不穏な関係を知ることとなる。そうしてさらなる盗難事件と脅迫事件、ついには殺人事件までもが・・・・・・

<感想>
 新訳版が出たので、こちらを購入して再読。内容は忘れていたのだが、読んでみると家族の不和の話であったことがわかる。さらに本書の中味はそれだけにとどまらず・・・・・・

 資産家で偉大なる父親ディードリッチ・ヴァン・ホーン。その息子である彫刻家のハワードは、自分が養子であることを告げられてから悩みを抱き続ける。ディードリッチに養われつつ、成長した後、若くしてディードリッチの妻となったサリー。ディードリッチの弟のウルファートは、若い時にディードリッチの過ちにより怪我を負ってからは、独身のままヴァン・ホーン家でディードリッチらと共に過ごしている。

 そんな4人を抱える家の中で、宝石の盗難事件、脅迫事件、現金盗難、そして殺人事件が起きてしまう。犯行を止めることができなかったエラリイは、皆の前で事件の真相と驚くべき背景を披露することとなる。

 ミステリとして、決して手放しで面白いという作品ではないのだが、印象に残る作品であることは間違いない。ミステリ小説的というよりは、やや宗教的な面持ちが強いような気がしつつも、視点を変えれば、その宗教的な部分がミステリに色を添えているとも言えるのかもしれない。また、最後の最後にもう一幕、読者を待ち受けていて、さらに本書が特異なミステリ作品であることを強調している。

 これまで「後期クイーン的問題」という名前は聞いていたのだが、本書を読んで、解説を読み、ようやくその内容を理解できた。本書こそが、その「後期クイーン的問題」を提示した問題作ということである。


九尾の猫   5.5点

1949年 出版
1978年07月 早川書房 ハヤカワ文庫
2015年08月 早川書房 ハヤカワ文庫(新訳)

<内容>
 ニューヨークで“猫”と呼ばれる者による連続絞殺殺人事件が起きていた。その被害者の人数が増えるにしたがって、街はパニックに見舞われることとなる。この事件の特別捜査官に任命されたエラリー・クイーンは、父親のリチャード・クイーン警視と共に過去に起きた事件について調べてゆく。どこかに被害者に関わる法則性があるのではないかと・・・・・・

<感想>
 クイーンの裏代表作とでも名付けたくなるような、一部の好事家に愛されている作品。ミッシングリンクをテーマとした作品。また、クイーンのシリーズものとしての立ち位置で見ると、前作「十日間の不思議」で失意に陥ったエラリー再生の作品と言うような位置づけになるのかもしれない。

 全体的に見て、面白い作品かというと、うーんと首をひねってしまうようなもの。なんといっても、冗長なところが一番問題のような。計9件の殺人事件(話が始まったときには既に5件の殺人事件が起きている)が起きるという流れにもかかわらず、冗長と感じられるのだからどうなのかと。

 また、事件のミッシングリンクに関してはうまくできていると思われるが、そこから犯人逮捕までの流れも長すぎる。なんといっても、この作品、主要登場人物が少ないので、真犯人についてもおおよそ予想がつくものとなっている。ゆえに、もっとスピィーディーに話を進めてしまえば、全体的に凝縮した内容となり、もっと見栄えがする作品となったのではなかろうか。

 まぁ、色々と著者の思惑というか、エラリーの葛藤というか、そういったものを盛り込みたかったのだろう、と言う見方もあるのかもしれない。ただ、それゆえに“裏代表作”的なポジションの作品と言う感じになってしまうのだろうなぁと思わずにはいられない。


ダブル・ダブル   5.5点

1950年 出版
1976年06月 早川書房 ハヤカワ文庫
2022年08月 早川書房 ハヤカワ文庫(新訳版)

<内容>
 エラリイの元にライツヴィルに関する事件の記事が送られてくる。そこには、町の隠者の死亡、富豪の自殺、そして町の物乞いと言われていた飲んだくれの失踪が書かれていた。また、これらの死亡により一人の医師が莫大な財産を相続することも知らされる。その失踪した物乞い、アンダーソンの娘リーマ・アンダーソンがエラリイの元を訪ねてくる。彼女はエラリイに父親が行方不明になった事件を調べてもらいたいと。エラリイはリーマと共に、またもやライツヴィルへ足を踏み入れることとなり・・・・・・

<感想>
 新訳版で再読。ちょうどライツヴィル・シリーズ作品がハヤカワ文庫から新訳版として立て続けに刊行がなされているので、それに乗じて本書を久々に読んでみた。

 本書を読んで思うのは・・・・・・あまり見所がないかなと。ライツヴィル・シリーズを連続して読んでいくとわかるのだが、確かにそのシリーズらしい作品とは言えると思われる。ただ、国名シリーズのような読みどころがあるかといえば、やや疑問。

 序盤は、大した事件が起こらない割には、中盤以降にやたらと人が死んでいく。しかも話の最初に示されているわけでもない童謡が中盤以降に取り上げられ、その童謡の流れに沿って次々と人が死んでいく。ただ、その童謡もなかなか全貌が記されず、何故か小出しに表されるものとなっている。そしてエラリイがなすすべもないまま事件がどんどんと進んでゆくことに。

 ライツヴィル・シリーズの特徴と言えば、エラリイがなすすべもないまま、という感が大きいような。とにかく最後の最後まで流されるままという感じである。本書もとりあえず一通り事件が終わり、その終焉にてようやく事件解決という模様。さらに言えば、その解決の仕方も決してスマートと言えるものではない。

 結構、このライツヴィル・シリーズって、力技で強引に真相を紐解くというイメージが強い。そもそも童謡になぞらえてということ自体が強引であり、そこから導き出される解も、なんとか絞り出しましたという感じである。その辺の強引さは、前作の「九尾の猫」に通ずるところがあり、本書の同様の趣向で書かれた作品と言えよう。


悪の起源   6.5点

1951年 出版
1976年10月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 エラリイのもとにローレン・ヒルという娘がやってくる。彼女が言うには、父親が犬の死がいと共に届けられた脅迫状がもとで父親が死亡したという。その不審な事件を調べてもらいたいというのだ。死亡したリアンダー・ヒルは宝石商でロジャー・プライアムという男と共同経営をしていた。そのロジャーの妻もエラリイの元にやってきて、夫が何者かに脅されていると訴え出る。ヒルとプライアムの過去に何かがあったのではないかとエラリイは予想し、警察の手を借りて調べていくのであったが・・・・・・

<感想>
 久々の再読。というか、2度目の読書となり、再読までの期間もかなり開いていたので、全く内容を覚えていなかった。そうして読んでみた感想はというと、意外と面白かった。

 端的に述べると、脅迫状を元に不審死を遂げた宝石商のリアンダー。その共同経営者のプライムは、半身不随で車椅子生活を送っているのだが、尊大で皆に嫌われている。このプライムに対して脅迫が何度も続けられることとなる。色々な噂が絶えないプライムの再婚相手の女性。その女の自由奔放な息子と、変わり者の父。そして昔の記憶を失くしているというプライムの秘書の男。さらには、最初に死亡したリアンダーの娘のローレンは事件の真相を調べようと探偵活動を行ってゆく。と、こんな感じ。

 読み始めたときには、単に過去の事件を発端とする復讐劇というだけのように思われた。ただ、読み進めていくと、特に犯人の真理を細々とついた犯罪の過程が語られることとなり、なかなか見栄えのするミステリとして語られることとなる。また、脅迫状に関する仕掛けや、その他もろもろの細かい仕掛けが組み込まれていて、そういった点でも楽しめる作品となっている。論理的な要素はやや乏しいので、クリーンらしさは欠けているような気はするのだが、それでも異色作として十分に堪能できるミステリとして仕立て上げられている。


帝王死す   6点

1952年 出版
1977年06月 早川書房 ハヤカワ・ミステリ文庫

<内容>
 第二次大戦当時の機密島を買い取り、施設の陸海空軍を持つペンディゴ帝国に君臨する軍需工業界の怪物キング・ベンディゴ。彼の許に舞い込んだ脅迫上の調査を求められ、クイーン父子は突然ニューヨークから拉致された。
 彼らはその閉ざされた島でしばらくの間暮らすことになる。そしてその島に住む主要な人物はペンディゴ家長男であり、島に君臨する脅迫の主であるキング・ペンディゴ。そしてその妻カーラ。実質的にペンディゴ帝国を切り盛りする三男のエーベル。そしてただ、飲んだくれいているだけの次男ジュダ。
 その後も舞い込んでくる脅迫状からクイーンは脅迫の主を捜し当てるのだが、当の本人は悪びれたふうもなく脅迫状に書いてある時間にキング殺害するといい放つ。また、それを一笑にふすキング。キングは皆の説得にも応じずに、殺害予告がなされた時間にいつもどおり決まった習慣として機密室での仕事を行うと。その狭い部屋に妻とともに入り鍵をかけ、外には見張りを置くという厳重な警戒のなかで予告の時間が過ぎる! そしてクイーンらがその部屋を覗くと、そこには血まみれのキングの姿が!!

<感想>
 以外にもクイーンには珍しい密室物。まさに異様な空間で起こる密室劇であり、その不可能性は多大なものである。さらにはクイーンはその謎を解くためにライツヴィルにまで出向くサービスを!

 またこの作品では事件のみやらず、登場人物の三人兄弟の生き様も主題となっている。彼らの名前に込められたかのような皮肉な人生劇と失敗と成功譚。エラリーはそこに事件の活路を見つけ出そうとする。

 そして事件は終局へと向かうのであるが、なんか「へっ?」いいたくなるようなトリック。原理的には納得できるんだけど、心情的にはなんとなく納得したくないような。人物劇は結構おもしろいんだけどね。


緋文字   5点

1953年 出版
1976年04月 早川書房 ハヤカワ・ミステリ文庫

<内容>
 探偵小説家ローレンスと女流演出家のマーサは、誰もが羨む幸福な夫婦だった。しかし、結婚三年目から二人の仲が悪くなり、やがて凄じいトラブルが毎日起こるようになった。エラリイと秘書のニッキーは何度か仲裁に入りなんとか原因を突き止めようとする。一見、嫉妬の激しいローレンスのほうが作家活動がうまくいかないことからの乱心かと思い、クイーンはニッキーをローレンスの秘書として働かせてみることに。しかしニッキーが彼らを探ることによってわかってきたことは、マーサがローレンスに隠れて秘密の手紙を受け取り、とある俳優と逢引していることだった。クイーンとニッキーはなんとかこれを食い止め、彼らを仲直りさせようとするが・・・・・・。
 そしてやがてその騒動は“緋文字殺人事件”とよばれる姦通事件に発展して行くのであった。死者の残したダイイング・メッセージ、XYの謎とは?

<感想>
 クイーンの作品の中では異色作であろう。“フーダニット”や“ハウダニット”ではなく、どちらかというとサスペンス作のような体裁になっている。といっても作品半ばでは、仲たがいした夫婦をエラリーが必死に彼らの仲を取り持とうとする、というだけの話しにしかみえない。そして後半になりようやくサスペンスの要素が・・・・・・といった具合。

 というわけで、クイーンの作品に期待する内容ではなかった。それなりにどんでん返しは用意されているのだが、クイーンの作品でなければ日本で日の目を見たかどうか。


ガラスの村   6点

1954年 出版
1976年08月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 独立記念日の翌日、<シンの辻>と呼ばれるニュー・イングランドの寒村で、老女流画家が撲殺された。容疑者として逮捕された男は金を盗んだ事実は認めても、殺人い関しては頑強に否定した。女流画家の家に行ったのは薪割を頼まれたからだというのだ。肝心の証拠となるべき薪は煙のように消え失せていた・・・・・・

<感想>
 前半部を乗り越えて、事件が起きてからの後半部の法廷における展開までたどり着くと物語りは面白くなってくる。

 一つの閉塞的な村の中での殺人を描き、その村の中での村人達の手による“法廷”によって物語が進んでいく。ちょっとニュアンス的には違うかもしれないが、なにとはなしに“社会派”めいた様相を感じてしまう。結局のところミステリにおける謎解きよりも、その裏になにか教訓めいたものが見え隠れしているようでならない。

 ミステリとして論理的といえるかどうかはわからないが、少なくともその伏線たるものの扱い方はうまいと思う。読者の前に大きく提示されたものが犯人を指摘する鍵となるという部分は見事である。また、人口の少ない村ゆえの消去法にて裁判中に犯人を捜そうという試みも面白かった。


クイーン警視自身の事件   6点

1956年 出版
1976年05月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 夜ふけ、不吉な胸騒ぎを覚えて、飛ぶように帰ってきた看護婦のジェシイ・シャーウッドは、育児室に飛び込むなり思わずそこに立ちつくした。大富豪ハンフリイ氏の養子の赤ん坊が、顔の上に枕をのせたまま冷たくなっていたのだ!たまたま現場に立ちあう事になった退職したばかりのクイーン警視は、殺人を主張するジェシイを助けて、エラリイの手を借りずに単独で大胆不敵な犯人に立ち向かう。

<感想>
 ハードボイルド風にクイーン(元)警視が恋に事件に活躍する。気の利いた言葉が出てくるわけではないのだが、これはハードボイルドといってもいいだろう。

 内容は次から次へと事件の関係者が殺されていくというサスペンスチックな展開となっている。しかし、このような内容に合わせたからなのか、どうもクイーン警視の捜査活動が乱雑であるような気がしてならない。エラリー・クイーンシリーズにおいてのクイーン警視の位置付けは着実な捜査活動を行う謹厳実直な警官というイメージであったが、本書においては忍び込んだり罠をかけたりと今までのイメージとは異なったものとなっている。

 また、事件においての焦点は“消えた枕カバーの謎”と“誰が犯行を犯したか”という2点である。しかしながらこれらも、パンチ力にかけている気がしてならなかった。“誰が”におよんではクイーンの読者であればほぼ想像通りの結末を思い浮かべることができるだろう。“枕カバー”においても論理的というよりは、行動的展開によって明かされるといったものとなってしまっている。

 警察の仕事を終え、やり場のない心持ちから老警視が事件に取り掛かるというスタンスにおいては見るべきところがあるのだが、やはりエラリー・クイーンの作品としては物足りなく感じてしまうのは事実。


最後の一撃   6点

1958年 出版
1977年07月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 エラリイはクリスマスパーティに招待され、ジョン・セバスチアンの家へと向かう。そこに招待された12人の人々。しかし、12人しかいないはずの家から13人目の人物の姿が見え隠れする。そして、ある日家の中に見知らぬ男の死体が発見された! その事件をかわきりに毎日どこからともなく届く、おもちゃの家のパーツの数々。その最後のプレゼントが届いたとき、それは最後の一撃となり・・・・・・

<感想>
 一風変った展開のミステリー。冒頭にて、一組の夫婦が双子の赤ん坊を生むのだが、一人は正式に息子と認め、もうひとりは自分の子とは認知しないと宣言したまま、その夫婦は命を落としてしまう。そのような過去の物語があって、本題の事件へと入っていくものとなっている。

 ゆえに、話の中で気にせざるをえないのは、その双子のかたわれの存在。それがどのような形で関わってくるのかという事を読者に考えさせながら物語が進んでいくようになっている。

 と、そこまでの展開はよいのだが、今作ではエラリイが手をこまねきすぎていると思えなくもない。なにしろ最後の最後にプレゼントが届くまで何も事件が伸展しないのである。そういった部分には少々不満と退屈さが感じられた。

 そして事件の真相はといえば・・・・・・これも微妙といえば微妙。確かに事件の真相は意外なものの、それが最初からの物語を通して意味を持つものになっているとは思えなかった。その辺を納得させなくては、いくら犯人が意外だからといって、良い作品であるとは言えないと思うのだが。


盤面の敵   6点

1963年 出版
1977年11月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 四つの奇怪な城と庭園から成るヨーク館で発生した残虐な殺人。富豪の莫大な遺産の相続権を持つ甥のロバートが、花崗岩のブロックで殺害されたのだ。エラリイは父親から事件の詳細を聞くや、俄然気負いたった。殺人の方法も奇抜ではあるが、以前からヨーク館には犯人からとおぼしき奇妙なカードが送られてきていたのだ。果たして犯人の真の目的は?

<感想>
 趣向は非常に面白い。何者かによってその理性をくすぐられ、操られるかのように行動を起こす下男。その何者かは自分の手を汚すことなく、着々と富豪邸の遺産相続人たちを予告のカードを送りながら亡き者にしていく。

 登場人物はそれほど多くない。動機は? 誰か得をする者はいるのか? 犯人は誰か? 人を影から操るような知能犯に適合する人物は誰か?? 謎を解かずにはいられなってしまう。

 ただし、登場人物が少ないせいもあり、ある程度の結論には達する人もいるだろう。ただ、その結末を評価するとなるとどうだろうか。この趣向からいって、うまくまとめることができれば代表作の一つとなったのであろうが、あまりすっきりするほどのものでもない。後期になってから「十日間の不思議」以来、どうも神ががったかのような部分のある作品がちらほらとしているように思える。もう少し、強烈な何かが欲しかった。


第八の日   6点

1964年 出版
1976年06月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 ハリウッドからニューヨークの自宅へ帰る途中、エラリイ・クイーンは文明社会から隔絶された小さな村へと迷い込む。そこでエラリイは、まるで彼を待ち受けていたかのように歓迎される。その村の教師と呼ばれる指導者に告げられ、彼は何らかの役目を果たさなければならないと。そして、村に滞在して数日後、その村のなかで殺人事件が起きることとなる。誰も動機を持ち合わせないような村でいったい何が起きたというのか。エラリイは村人に審判を下すこととなり・・・・・・

<感想>
 昔に読んだ作品。感想を書いていなかったので再読。エラリイ・クイーン著となっているが、噂によると原案はクイーンで、書いたのはエイブラム・デイヴィドスンと言われている。

 クイーン作品としても異色作。舞台がニューヨークやハリウッドではなく、世間から隔絶された小さな村のなかで起きた殺人事件を描いている。善人しかいないと思われる村の中で、何故事件が起きることになったのかということに焦点が当てられている。

 もの凄くうまくできているとはいえないものの、それでもしっかりと見所は用意されている作品。殺人事件がメインというよりも、隔絶された村のなかでの共同体を巡る物語として描かれているような内容。あとがきによると、聖書が引用されているところもポイントのようで、私自身はその辺が理解できていないゆえに、作品を部分的にしか捉えられなかったようである。特に物語の最後に用意されている場面については、わかる人はわかるということなのであろうか。


三角形の第四辺   5点

1965年 出版
1979年09月 早川書房 ハヤカワミステリ文庫

<内容>
 売り出し中の作家デイン・マッケルは、厳格勤勉な大実業家の父に女ができたという母の打ち明け話にわが耳を疑った。デインは父の浮気をやめさせるため、問題の女シーラに近づいた。ところが、デートを重ねるうちに、彼の心はシーラの魅力の虜となってしまう。そんな矢先、シーラが自宅で何者かに射殺された! 男女の愛憎のもつれが引き起こした難事件に挑んだクイーンが、苦慮熟考ののちに探りあてた意外な手がかりとは?

<感想>
 エラリー・クインの名を冠するのであれば、もっと論理に、いやせめて推理くらいにはこだわってもらいたいものである。本作ではエラリーが安楽椅子探偵をするものの、ただよくよく思い返してみれば作中でなにか推理らしきものを行っていたのだろうかと首を傾げたくなる。最初のバーにおける父親のアリバイについては、なんで気が付かないのかと逆に問いたくなったし、母親のアリバイについてはただ単に証言がでてきただけである。法廷場面が出てくるものの特に緊迫感というほどのものもない。

 書きたいと思われる構成や流れについては理解できる。それだからこそ、中味のミステリの部分をしっかりしてもらいのである。エラリー・クイン名義の不倫もののサスペンス小説なんていうのは読みたくなるものではない。


恐怖の研究   5点

1966年 出版
1976年11月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 エラリーの元に、ある原稿が届けられた。読んでみるとそれは、ワトソン博士による手記でありシャーロック・ホームズが切り裂きジャックを追求していた一部始終が書かれたものであった! エラリーはその手記を読んでいくのだが・・・・・・

<感想>
 エラリー・クイーンによる“切り裂きジャック”を扱った作品。しかも、シャーロック・ホームズまでもを登場させた豪華な内容となっている・・・・・・のだが、決してできの良い内容とはいえないものであった。

 本書もエラリー・クイーン名義で別の作家が書いたものであろう。たぶんその作家はシャーロキアンでホームズの研究をし、そこに“切り裂きジャック”を含めた小説を書いてみたかったのだろうと思われる。しかしその濃い内容のものを中編というような少ないページで書き表すことは難しかったようである。“切り裂きジャック”の設定もいいかげんのように思えたし、史実からはずれた部分もあったように思えた。かえって豪華にしすぎてしまったために肝心の部分がおろそかになってしまったように思える(なにしろホームズの兄のマイクロフトまで登場させているのだから)。

 そして最後にそのワトソン博士による手記からエラリー・クイーンが真実を読み取るというものなのだが、それも取ってつけたような感じであった。まぁ豪華な顔ぶれの共演ということは認めるが、内容がそれに追いついていかなかったかなというところ。


顔   6.5点

1967年 出版
1979年09月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 エラリイの元を訪れてきたロバータと名乗る女優がとんでもない告白する。彼女は元有名歌手のグローリー・ギルドの夫であるカーロスと付き合っていたという。そして、そのカーロスから妻を殺害する手助けをしてもらえないかと頼まれたというのだ。そして、実際に当のグローリーが何者かに殺害されたとき、たまたまロバータはカーロスのアリバイを証明することとなっていた。犯行をなしたのはいったい誰なのか? そして残されたダイイングメッセージ“顔”とは?

<感想>
 クイーンの長編作品で未読であった本書。新刊を入手することができず、古本で購入。結構前に購入していたのだが、なかなか読む機会がなく、ようやく着手し読むことができた 実は読む前はあまり期待していなかったのだが、これが意外と面白かった。雰囲気的に言えば「災厄の家」を思わせるような感じである。

 内容は遺産目当てのジゴロが殺人容疑で疑われるというもの。このジゴロが、様々な資産家の女性の元を渡り歩き、金をせしめたり、失敗したりしながら生活している。その男が資産を持つ元有名歌手と結婚し、遺産目当てにかつての愛人の手を借りてアリバイを作り、事件を犯したのではないかと疑われることになる。そこに、有名歌手の遺産を継ぐこととなる姪が表れたり、今作においてなんとなくエラリイとコンビを組みつつも女優にひとめぼれする私立探偵が登場したりと、脇役たちも花を添えている。

 ダイイングメッセージである“顔”については、結局のところたいした存在感もなく、軽く流されてしまうが、真相についてはなかなかうまくできていると思われた。意外な真相と、真相を明らかにすることに苦悩するエラリイの様子こそが本書の焦点である。何気にサスペンス・ミステリとして、よくできた作品ではないかと思わされた内容。


真鍮の家   6点

1968年 出版
1987年01月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 ハネムーンから帰ってきたクイーン警視夫妻に奇妙な招待状が届く。クイーン夫人となったジェシイに資産家を名乗るブラスが自分の屋敷へ招待したいというのである。不穏なものを感じつつも、クイーン夫妻はその招待にのることに。ブラス邸へと行ってみると、そこにはクイーン夫妻を含めて集められた6組8人の人々。ブラスは彼らに資産を譲りたいと告げるのであるが・・・・・・その後ブラスが何者かから命を狙われることに・・・・・・

<感想>
 クイーン長編、未読作品残り数作というところで今回手にしたのはリチャード・クイーン警視が主に活躍する「真鍮の家」。これが思っていたよりも楽しめる作品となっている。ただし、ミステリ小説としてよりは、エンターテイメント小説として楽しめるという内容である。

 この作品では主たる内容は“宝探し”である。大富豪を名乗る男のもとに集められた8人の人々。彼らに多くの遺産を残したいというのだが、その遺産が何なのか、もしくはどのような条件で残すのか、はっきりしないまま話はすこしずつ引っ張られてゆく。そして待ち構えていたかのように殺人事件も起きて、その謎も解きつつ、この“真鍮の家”に隠された謎をクイーン警視が解き明かそうとする内容。

 今作ではやたらとクイーン警視が張り切る様子が描かれている。しかし、その張り切りようのほとんどが報われないのが警視らしいといえば警視らしい。しかも最後には、ちょこっと出てきたエラリイに肝心要の解決部分を譲ってしまうのである。

 でもそうした苦難もなんのその。新婚で甘い生活を送っている警視にとっては、これほどの苦難はたいしたことではないのである。


孤独の島   6点

1969年 出版
1979年09月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 内部からの導きによって、製紙会社の現金を強奪した男二人、女一人の三人組の強盗。彼らは現金は奪えたものの逃げあぐねていた。そこで彼らは警官夫婦の子供を人質にとって、一旦夫婦に金を預けて、その場を離れる事に。子供を自分の目の前でさらわれた警官は自らの手で子供を救い出そうとするのだが・・・・・・

<感想>
 うーん、クイーンらしい作品ではないなぁ。これも別の人が書いたのではないだろうか。この作品に関しては、特に他の誰が書いたというような説はなく、マンフレッド・リー自身の作品のように言われているのだが、本書を読んだ限りでは決してうなずけない。

 ただ、この作品を単独のものとして見ると、なかなか面白い作品であるといえる。本書はサスペンス・ミステリーというのがしっくりくるであろう。三人組の強盗と警察官の家族とによって繰り広げられるサスペンスなのであるが、これがなかなか一筋縄ではいかない。強盗が奪った現金の行方が、あちらこちらへと移動し、それによって度々強盗と警察官の家族との状況が変化してゆく。このような展開により、読んでいるほうは次の予測が不可能になり、どんどん物語りに引き込まれていく事になる。

 さらには、このタイトルの「孤独の島」。原題は「COP OUT」というものでかけ離れているのだが、邦題のほうがよくできているのではないかと思う。この作品の主人公である警察官マローンは組織の中にいても、また今回の犯罪の渦中にいても、常に自身の孤独を感じており、その葛藤と闘いながら自分の子供を救い出そうと考える。この主人公のスタンスこそが物語に厚みを出す効果をあげていると思われる。

 後期クイーンの数々の異色作のうちの良作という事で読んでみてはいかがだろうか。案外、映像化すると面白いかもしれない。


最後の女   5点

1970年 出版
1976年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 クイーン親子が知人から休暇を薦められた土地はなんとライツヴィルだった。その彼らを待ち構えていたように事件は起こる。その発端は富豪ジョン・ベネディクトが別れた3人の妻を同じ場所に呼び寄せたこと。最初は彼女達のそれぞれの持ち物が何者かに盗まれる事から始まった。それぞれ、“ドレス”に“かつら”に“手袋”といった、たわいもないもの。そしてそれをきっかけとするがごとく殺人事件が起こる! ジョン・ベネディクトが何者かに撲殺されたのだ。現場には盗まれた、ドレス、かつら、手袋の3点が何故か残されていた。いったい犯人は何の目的で・・・・・・

<感想>
 注目すべき点は殺害現場に残されたドレス、かつら、手袋という物品。さらにエラリーは現場を見て、なにか違和感を感じ、その違和感が全てを解く鍵となっている。そして、なぜこのような不可思議な犯行模様になったのかということに説明が付けられ、犯人が明かされたときには、確かにそれしかないと納得させられるものとなっている。

 しかし、本作品に付きまとう印象は“ナンセンス”というものであり、終始それをぬぐうことができないのである。

 話の展開としても事件が起きた後はグダグダという印象がある。話の本筋に関わる出来事も起こるのだが、大半はあまり直接的ではないことにしか思えなく、少々飽きが感じられてしまう。また、話の中に張り巡らされている伏線も、“伏線”というよりは“兆候”とでもいったほうがいいような程度である。

 贔屓目に見ているのかもしれないが、本書もエラリー・クイーン本人が書いたのかどうかは疑わしく感じられた。特にダイイング・メッセージのできは本当にナンセンスと言いたくなるものであった。


心地よく秘密めいた場所   5.5点

1971年 出版
1984年04月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 インポーチュナ産業の経営者ニーノ・インポーチュナ。彼は若い妻をめとり、その妻にある約束をした。結婚後5年経ったら、遺言書により財産の全てを譲ることにすると。その期日が近づきつつあるとき、ニーノの弟が殺害されるという事件が! そして、さらなる犯罪計画が進められようと・・・・・・。事件捜査に乗り出すこととなったエラリー・クイーンが導き出す真相とは!?

<感想>
 エラリー・クイーン最後の作品と位置づけられるもの。後期の作品ゆえに、あまり期待していなかったのだが、思っていたよりもクイーンらしい作品だと感じられた。

 物語の構造は単純。資産家の男と、その若い妻。遺産を巡っての事件が繰り広げられるというもの。資産家に弟が二人いて、その弟らにも魔の手がおよぶというのは予想外であったが、それ以外はだいたい予想通りに話が進む。ただし、登場人物があまりにも少ないので、犯人の条件を備える者は限られてしまうところが、ミステリとしてはやや弱い。

 面白く読めるのは、被害者自身と、犯人らしき者が犯行後に警察に送り付けてくる書状にも表れる9という数字へのこだわり。エラリー・クイーンは、これらが何を指し示しているのかを考え、そこから犯人を推理しようと試みる。

 ひとつ不満に思ったのだが、終盤においてのエラリーによる推理の失敗。これは余分というか、いらなかったというか、エラリーらしからぬ失敗ではなかろうか。いきなり、その場面で真犯人を指摘してもよかったと思われる。ただ、その真犯人についても、十分に予想はできるものの、決め手がなかったというのが残念なところ。雰囲気は十分にクイーンらしさが出ていた作品であっただけに、細かいところがいろいろと惜しまれる作品であった。




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