<内容>
ニューヨーク地方検事のジョン・F・X・マーカムは、ウォール街の株式仲買人アルヴィル・ベンスンが殺害されたとの知らせを受け、現場へと出向くことに。その折、友人のファイロ・ヴァンスが犯罪捜査に興味を示していて、一度現場へ連れて行ってほしいと言っていたことを思い出す。ヴァンスとその友人のヴァン・ダインを連れてベンスンが殺害された、彼の屋敷へと向かう。そこには、銃によって撃ち殺されたベンスンの姿が。状況証拠によって犯人を推測するマーカムとヒース部長刑事に対し、ヴァンスは異なる見解を示し・・・・・・
<感想>
個人的には記念碑的な作品。遠い昔、一時期海外ミステリから離れていた時期があったのだが、この本を読むことによって、再度古典ミステリの良さを感じて、海外ミステリ回帰を図ることとなったのである。実際再読してみたところ、手放しに面白い作品ということはできないのだが、一風変わった考え方が用いられていて、見所が備わった作品であると言うことは再認識できた。
何気に基本的な道筋はあまり面白くない。というのも、殺人事件が最初に一件起きているだけで、その捜査のみで終わってしまう作品だからである。それゆえに、退屈であると感じられてしまうのが普通であるかもしれない。
ただそこで語られる探偵役のファイロ・ヴァンスによる推理の手法には目を引くものがあった。それは、単に状況証拠に振り回されず、心理的な面から犯行の様子を見渡せば、真犯人の存在が明らかになるというようなもの。昔読んだときには、この“状況証拠に重きをおかない”という考え方が新しく感じられて、魅入られることとなった。とはいっても、ヴァンス自身が決して状況証拠を軽視しているわけではなく、あくまでも、犯人の手や偶然などによる状況証拠に目を惑わされるべきではないと言うことを示しているものである。
本書を読んでいて、微妙と思われる点は、ヴァンスがなかなか真相を示唆せず、犯人の名をあげるのを引き延ばしているところ。ただ、その点に関しても最後まで読めば納得できるものとなっており、実はヴァンスなりの考えを持って、最後の最後まで犯人の正体を明かさなかったということがわかる。実はこの作品の隠れた主題として、ヴァンス対マーカムという構図が用いられていたのである。いかにして、ヴァンスが真犯人の存在をマーカムに納得して受け入れてもらえるかと言うことが実は隠された焦点となっていたのである。それを成すために、ヴァンスは簡単には真犯人の正体を示唆しなかったのである。
そんな感じで読みどころ満載の作品ではあるものの、最初に言った通り、万人に受け入れてもらえる作品かというと微妙かもしれない。そんなわけで、心に余裕があるときに、ゆっくりとじっくりと手に取って読んでもらいたい作品だと言っておきたい。そうすれば、楽しんでいただける作品なのではないかと。
<内容>
ブロードウェイにて“カナリア”と呼ばれた元女優のマーガレット・オウデルが自宅で絞殺されているのを発見された。被害者に関係があるとされている者達が容疑者として挙げられるものの、入り口を監視された状態の被害者のアパートの部屋にどのようにして犯人が出入りしたのかがわからないという不可能犯罪の状況。探偵ファイロ・ヴァンスは独特な手法で犯人の正体をいぶりだそうとするのであったが・・・・・・
<感想>
感想を書いていなかった作品を再読。2018年に新訳版が出て、それを購入していたので、今回はこの新し目の本で再読をした。
この「カナリア殺人事件」であるが、最後に明かされるトリックが悪い意味で大味すぎて、未だにそれだけは忘れられないでいた。これは改めて読んでもアンフェアに思えるトリックのように思えるのだが、この作品が書かれた時代にはどのように受け止められたのかが気になるところ。この作品に対しては、どうしてもそのトリック一点のみが印象として残ってしまう。
ただ、今回改めて再読し、全体を見渡してみると、そんなに悪い作品ではないと感じられた。ある種、簡素な事件とも言えるものであるが、それを工夫を凝らして、なんとか複雑な状況へ持っていっているという感じ。その複雑に作り上げた状況は決して悪くはなく、ある種の魅力を兼ね備えている。複数の容疑者のうち、どの人物がこの不可能犯罪を、どのようにして成し遂げたのかということが、読むものを惹きつけるように描かれている。
また、ファイロ・ヴァンスが犯人を特定するために行うポーカーゲームもまた味が出ていると言えよう。決してそれが決め手の証拠になるとは思えないものの、心理的に真犯人をあぶりだすという試みは面白いものである。これが書かれた当時でも、こんな特殊な方法で犯人を指摘することを試みる探偵はいなかったのではなかろうか。
というわけで、なんだかんだで楽しむことができるミステリ小説となっていたと思われる。最後のトリックのみにとらわれずに、古典的ミステリ作品として広い視野で受け止めてみれば、それなりに見所のある作品である。
<内容>
グリーン家に何者かが押し入り、銃で長女を殺害し、三女に怪我を負わせるという事件が起きる。長男のチェスター・グリーンに請われて、地方検事のマーカムは素人探偵のファイロ・ヴァンスと共に調査を行うことに。ヴァンスは事件の状況から、これは外部の者による犯行ではなく、内部の者の犯行ではないかと疑い始める。しかし、犯人を特定する間もなく、第二、第三の惨劇が次々とグリーン家に襲い掛かり・・・・・・
<感想>
久々に読んだグリーン家殺人事件、これで3回目か4回目の再読となるのだが、全体的におぼろげな印象しか残っていなかったので、再度読んでも面白かった。改めて、ヴァン・ダインの作品の中でも1、2を争う面白さの作品であると再認識できた。
本書の何が良いかというと、派手でサスペンスフルな内容であること、それに尽きると思われる。何気にこの作品、粗があったり、わかりやすい部分があったりと、実は本格ミステリに慣れた読者であれば、思うところは多々あることだろう。しかし、本格ミステリ初心者であれば、これは魅了される作品であること間違いないと思われる。それだけ、派手で見栄えのある作品なのである。実は本書は、初心者が読むミステリとして恰好の作品といえるかもしれない。
なんとなくではるが、あえて熟読するよりも、初読でサッと読んだほうが強い印象が残りそうな作品という気がした。ゆえに、ミステリ初心者は色々と作品を読んで慣れるよりは、まずはサッとこの作品を読んでおくことをお勧めしたい。とりあえず、ヴァン・ダインの「ベンスン殺人事件」から「僧正殺人事件」までの4冊はお勧め。ただ、海外ミステリが苦手な方は、読むのに若干苦労するかもしれない。
<内容>
エジプト博物館内で復讐の神を前にして殺されていた死体は、犯人を指摘するあらゆる証拠をそなえていた。しかし、その証拠はあまりにも明確に犯人を指摘しすぎている・・・・・・。法律的には正義の鉄槌をくだしえない犯人に対してエジプトの復讐の神は、いかなる神罰を用意していたか? 神を信じないヴァンスは、いかにして神の手を利用したのか?
<感想>
凝りに凝った一作である。「グリーン家殺人事件」や「僧正殺人事件」などの派手さはないものの、完成度はかなり高いと思う。犯人がわかった上で、最初から追っていってみるとヴァンスの行動が妙に納得のいくものになっている。
ただ、被害者らを取り巻くエジプトの装飾品やら背景やらが効果を持っているかというには疑問が残る。せっかくそういったものを持ち出すならば、それならではの犯罪などを含めてもらえればまた違った色がでてきたのではないだろうか。
ただラストのヴァンスの行動はみえみえ。これは「僧正殺人事件」を読んだ人であればわかるであろう。
<内容>
密室に鍵をかけて“自殺”していた男をいかにして殺すか?
ファイロ・ヴァンスが、中国の陶器とスコッチテリアという奇妙な取り合わせでもって、その不可解な謎にメスを入れる。アリバイと密室研究に熱をあげる弟、公然とわたしでも殺せると断言する姪、収集された名陶器に垂涎する鑑定家、劣等感を犬によって満足させている友人。犯人はそのうちの誰なのか?
すべての登場人物が動機と機会をもちながら、しかもそのいずれもが犯罪と直接結びつかない。けがをしたテリア一匹を手がかりとしたファイロ・ヴァンスの、明晰な推理とは?
<感想>
死体の状況が興味深く、どのように?という部分に着目を置くとなかなか面白い。解決は少々強引のような気もするが、かなり良い仕上がりになっているのではないかと思う。
誰が? という犯人に着目すると、容疑者が少ないせいか、あまりぱっとしない。ヴァンスの推理の着目としては、そこに存在するはずのない一匹の傷ついたテリアによって推理するというものだが、もっと間単に犯人がわかるのでは?ともいいたくなる。容疑者が少ないからお、おのずとアリバイによって・・・・・・
死体の発見状況から死因の特定、そして次の死体の発見というように、序盤のスピィーディーな展開による謎の提示までは、かなり面白く読み進めた。ただ、その後の捜査方法で少々退屈になってしまったかもしれない。解決に至る、殺害方法が明かされる部分は良かったと思うのだが。やはり犯人の人物像が弱く感じられたからかも。
<内容>
ニューヨークの心臓部マンハッタンにほど近い邸宅の屋内プールに飛び込んだ青年は、そのまま忽然と姿を消し、死体すら発見されなかった。水底には巨竜の足跡が・・・・・・。奇怪な熱帯魚を集めた河畔の古い邸にかり集められた男女の一群のなかに、殺人犯人はひそんでいるのか? 幻想世界と現実世界にふたまたかけて、真相をつきとめようとするヴァンスの七度目の試練は、はたして成功するか?
<感想>
なかなかの名作であると思う。解決の前までは!
プールからの人間消失を題材にした事件。すべての証拠が巨大な竜の仕業であると示唆している。果たして・・・・・・。という内容のものであるのだが、結構興味深く書かれていて読者を惹き付ける物が十分にある。しかし、結末がやけにあっさりとしすぎているように思える。題材は見つかったのだが、結末の見当がつかずに締め切りが来たから、えいやっ! とばかりにやっつけ仕事・・・・・・というようなことはないだろうが、そう考えてみてもおかしくはない。
ヴァン・ダインの小説でよくいわれる、前半6冊と後半6冊の内容の差であるが、もう少しでこの7冊目の作品が前半のレベルに追いつくことができたのではと思う。いや、それどころか「カブト虫」や「ケンネル」は越えていただろう。なんとも残念な一冊である。
<内容>
毒殺されたと推定されるのに胃から毒物が検出されぬ謎。ただの水をのんでは、つぎつぎと倒れる被害者・・・・・・ただの水にはたして毒物が含まれているのだろうか。H2Oのモチーフをたどるファイロ・ヴァンスはついにD20にたどりつく。重水ははたして毒性か否か。カシノのルレットの輪のように、ひとの運命をのせて、いずこにとどまるとも知れず旋回をつづける事件は、一発の銃声とともに、ぴたりとその回転をとめ、全貌を白日のもとにさらす。
<感想>
ヴァン・ダインの第8作目であるが、どうやらこの辺から作品としてのトーンダウン化が始まっていったということが分かり易いほどよくわかる。
今作はいままでの作品と比べてヴァンスがやけに直感的に解決を進めていく。いままでの作品にも直感で何かを感じるということはもちろんあったのだが、今回は裏づけなしでそれだけでかたずけられてしまったという感がある。どうしてもその辺に荒が目立つのだ。
また、今作最大のポイントは“毒”にある。ただしその焦点が「いかなる毒を用いたか?」という点にこだわりすぎている。通常毒殺ものであれば、その毒を“どのような方法で”とか“どのタイミングで”ということが焦点になる。しかし、どのような毒といわれても、それは薀蓄としての部分でしかない。
これらの観点から、どうも間に合わせで書いてしまったという感がぬぐえない作品になってしまっている。
<内容>
突如銃声が響き渡り、ニューヨークのアパートの屋上で一人の青年が死亡した。その青年は競馬に多額の金を賭けたものの、その賭けに敗れ、ピストル自殺を遂げたものと思われた。しかし、その現場に立ち会っていたファイロ・ヴァンスはこの事件は自殺ではなく殺人であると看破する。そしてそのヴァンスの推理を裏付けるかのごとく、次々と事件が起こり・・・・・・
<感想>
これでようやくヴァン・ダインの作品をコンプリートすることができた。この「ガーデン」が絶版されていたため、なかなか読めなかったのだが復刊重版され、ありがたく読むことができた。
感想はというと、思ったよりもうまくできているのではと妙な感心をしてしまった。事件も、最初に起こる自殺に見せかけた殺人事件から次々と連続して事件が起こり、後半はなかなかスピーディーな展開となっている。犯人に罠を仕掛けるヴァンスの手際もなかなかのものである。しかし、結局のところ普通のできのミステリーというところに納まってしまう。
本書ではその普通のミステリーに対し、競馬という小道具を使って作品に味付けをしようとしたのだろうかと思うのだがその効果を感じることはできなかった。本書がもっと心理的な部分ですぐれた味付けがなされていたら、もう一段階レベルの上がった佳作となったのではないかと思う。残念ながら本書はそれがうまくいかなかった本ということであろう。しかし後期の作品としては「ドラゴン殺人事件」と並ぶくらいのできといえよう。
<内容>
旧家の道楽息子が誘拐され、現場には五万ドルの身代金を請求した紙が残されていた。現場を検証したファイロ・ヴァンスがいった。「彼はもう死んでるかもしれない」。夫のあとを追うかのように行方不明(誘拐?)となる被害者の夫人、奇妙な毛筆のしるしがついた脅迫状。すべてがいつわりの謎のなかから、ただひとつの真実の謎を発見したヴァンスは、みずから死地に飛び込んで、犯人を押えようと決心する。
<感想>
いつものようにさっそうと登場する名探偵、ファイロ・ヴァンス。しかしながら事件自体は・・・・・・
誘拐事件と聞けば、身代金の受け渡しと人質の身柄の引渡し。それらの方法を犯人側がいかに奇抜に警察の裏を書いて行うか、さらには警察の側はいかに人質の見を気遣いつつ犯人を捕らえるか。それが焦点となるはずなのであるが、肝心のその誘拐事件自体が成立しているとはいいがたい。そして犯人がわかっているかのようなヴァンスも事件が起こりつつも最後の最後まで傍観しているだけである。作品がどうのこうのというよりは、探偵としてのヴァンスの力量が落ちてしまっているように受け取れてしまい、寂しい限りである。さらには追い打ちをかけるかのように、作中のワトソン役のヴァン・ダインがヴァンスをかばうかのように、しきりにヴァンスを過剰に持ち上げている。フィロ・ヴァンスの作品群を読みつづけている中で徐々に寂しさがつのりつつある。
予断ではあるがこの作品では端役にすぎないのだが中国人が登場する。ヴァン・ダインの作品としてはある意味意外なのでは・・・・・・。さらには登場しての第一声が「何の用ある」。おぉ、まさに中国人だ!?
<内容>
アラビア伝説の悪鬼のすみか“ダムダニエル”を名のるカフェーの密室で、いかなる怪奇な犯罪が行われたのか。中世紀の毒の花を思わせる歌姫と脱獄囚の死を賭けた恋。死期の近づいたギャングの首魁とファイロ・ヴァンスの禅問答、そして、すべては有限の世界から、無限の世界にうつろい消え去る。
<感想>
心身ともに元気がなくなってきた様子が著書にもうかがえるようになるヴァン・ダインの十一作目である。徐々に気力が無くなってきたのか、事件自体が説明不足に感じられる。では本書に見るべき点が全くないかというとそういうわけではなく、推理小説というよりはサスペンス小説という視点で見ればなかなかのものではないだろうか。推理小説というこだわりを捨てて、サスペンスの方向に大きく傾倒した書き方を心がければかなり面白いものになったような気がする。本書のアレン家の人たちによるヴァンスを煙に巻くような行動はなかなか笑いを誘うものがある。まさにこの作品は“グレイシー・アレン殺人事件”ではなく“アレン家の人たちのための事件”といいたくなってしまう。なかなか光るものがあったとおもうのだが。
<内容>
深い森林と断崖にかこまれた大邸宅ではニューヨーク社交界の常連が集まって、大騒ぎを演じていた。その最中に突如、発見された二つの死体とエメラルドの首飾りの盗難。折りしも氷上では可憐な美少女精魂を傾けてフィギュア・スケートの妙技を披露し、一方ではファイロ・ヴァンスが精緻をきわめた論理を展開する。
<感想>
とうとうこれがヴァン・ダインの最後の作品となってしまった。ヴァン・ダインの後半の作品については評価が低いのは有名な話である。前半の作品が優れているというせいもあるのだろうが、実際に読んでみて確かに力不足を感じた。これは出来・不出来というよりも、本を描く情熱が後期においてなくなってきたのではないだろうかと思わせる。それは本作品においても言えるのであるが、まず事件の導入の展開部分での描写に苦しんでいるように思える。この「ウインター」を含めた後期のものは、その当時の時流に合わせたのか、たまたまそうなったのかはわからないが、推理小説というよりは通俗小説かサスペンスに近いようなタッチに感じられる。そして作品の後半部分において突如論理的な説明をファイロ・ヴァンスが始めるのだが、その部分部分にひらめきがあっても全体がそれについてこなくなっているのだ。
「ベンスン」以降、立て続けに十二作を発表したヴァン・ダインであったが、彼にもう少し時間と余裕が与えられていたらと強く思う。
<内容>
「緋色のネメシス」
「魔女の大鍋の殺人」
「青いオーバーコートの男」
「ポイズン」
「ほとんど完全犯罪」
「役立たずの良人」
「嘆かわしい法の誤用」
「能なし」
「ドイツ犯罪の女王」
「探偵小説論」
「推理小説傑作選 序文」
<感想>
ファイロ・ヴァンスの短編集が初の翻訳!! ・・・・・・とのことなのだが、実際にはミステリ短編集というよりはフィクションのような犯罪実録小説という内容。ヴァンスが登場するものの、単なる語り手という位置づけ。しかも、最初の2作品では語り手としてさえ登場していない。
というわけで、ちょっと肩透かし気味の短編集であった。この作品に掲載されている話はどれも実話をある程度脚色した話となっているようである。実話をもとにしたもののせいか、あまり印象に残る作品は少なく、唯一劇的ともいえる内容の「緋色のネメシス」と本格ミステリ風の実話「ほとんど完全犯罪」あたりくらいが面白かったという程度。
ただし、実話といえどもこれだけのものが並べられていると、それなりに犯罪のさまざまなパターンというものを垣間見ることができ、詳しく分類すればそれなりの犯罪総論として読むこともできるほどのもの。とはいえ、事件がそのまま語られているだけなので、劇的な展開がなされていなく終始地味な流れとなっているのは残念なところ。もう少し、読み物として脚色してもよかったのではないかと感じられた。
という内容であったのだが、本書は日本のみの出版作品である。まぁ、このような内容であるから、今まで出版されなかったということもあるのだろう。また、本国では日本ほどヴァン・ダインに対する人気がないようで、今でも気軽にヴァンダインの数多くの作品を読むことができる日本だからこそ出版された作品であるともいえるようだ。
そんなわけで、本書は海外ミステリ作品の資料として、またはヴァン・ダインの熱烈なファンのための書籍という位置づけになるであろう。