P. D. James  作品別 内容・感想

女の顔を覆え   6点

1962年 出版
1993年05月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 名だたる旧家、マクシー家に子持ちの家政婦サリーがやって来たそのときから、何やら不穏な気配がし始めていた。周囲の人々にうまく溶け込むことができないサリー。しかし、マクシー家の当主の息子のスティーブンには気に入られ始めている。そしてある日、サリーは皆の前でスティーブンに求婚された事を発表する。その夜、サリーは自分の部屋で何者かに首を絞められて殺されることに・・・・・・。事件の謎を解くのはスコットランド・ヤードの警視、アダム・ダルグリッシュ。彼は事件に秘められた謎を解くことができるのか!?

<感想>
 ふと、P・D・ジェイムズを読破しようと思い至り、集められるだけの作品を買ってきた。さっそく、第一作目から読むことにしたのだが、そのデビュー作となるのがこの「女の顔を覆え」である。主人公はシリーズ探偵となるダルグリッシュ警視。

 内容はといえば、いたって平凡。ひとりの嫌われ者の家政婦が家に住む誰かに殺害されたというもの。その家政婦が誰に殺害されたかをダルグリッシュは特定しなければならない。

 本書の特徴は何と言っても、女性作家ならではの心理描写。事件に至るまで、そして事件が起きた後についても、登場人物たちの心の揺れ動く様子がきっちりと描かれている。そして、この作品において心憎いともいえるところは、被害者である嫌われ者の家政婦の心理描写が一切描かれていないところ。探偵であるダルグリッシュは、彼女をとりまく人たちの反応や証言から、殺害されたサリーという女性が何を考えて行動していたかを推理し、そこから真相へと結び付けて行くのである。

 正直なところ、事件の回答についてはどうでもいいように思われる。それよりも、どういう経緯で事件に至ったのか。そして、どういう考えをもとに家政婦のサリーは行動していたのか。そういった点がポイントとなった作品である。

 地味な作品ではあれども、深読みすればさまざまなポイントを見つけることができるだろう。巻末の解説では、そういった深いところまで掘り下げたものとなっているので、是非ともあわせて堪能してもらいたい。


ある殺意   5点

1963年 出版
1998年08月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 ロンドンのスティーン診療所の地下室で、ボーラム事務長の死体が発見された。彼女はノミで刺殺され、木彫りの人形を胸に乗せた状態で横たわっていた。生前厳格であったボーラム事務長であるが、殺されるほど誰かに恨みをかっていたのだろうか? ダルグリッシュ警視は病院内の人々から事情を聞き、事件を解明しようとするのだが・・・・・・

<感想>
 ミステリの女王とも言われるP・D・ジェイムズの2作目となるダルグリッシュ警視が活躍するシリーズであるが、久々に退屈なミステリを読まされたという気がした。

 まず事件はすぐに起きる。しかしその後、警察が呼ばれて、警察による事情聴衆が行われ、それぞれの人々が家路に着き、という1日を描くだけで作品の半分以上が費やされているのである。

 P・D・ジェイムズに対する評価としては、ありきたりのミステリ小説が出てきた中で、重厚な作風の作品を描く作家が出てきたと言うことで話題になったようだが、もう少しメリハリがほしいところ。とはいえ、本書の注目すべき点は細かく描ききった、登場人物それぞれの感情を網羅した内容とのこと。興味のある方はじっくりと腰を落ち着けて読んでもらいたい作品である。

 最終的な結末は、確かにこれしかないというところに収まるものの、そこへ至るまでの決め手に関してはこれといったものがなかったようにも思える。ミステリ的なセンスにより名声を勝ち取ったというよりも、細かい人間描写や重厚さによってファンを勝ち取ってきたというP・D・ジェイムズの評判がよくわかる本という見方もできるかもしれない。


不自然な死体   6点

1967年 出版
1989年08月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 休暇をとり、サフォークの叔母のもとへと向かったダルグリッシュ警部。しかし、彼を待ち受けていたのはひとつの死体であった。近所に住む作家の死体がボートに乗せられているのが発見され、しかもその死体の両手首が切断されているという不可解な状況。この近隣に住む、ダルグリッシュの知人達の誰かが彼を殺害したというのか!? ダルグリッシュは不本意ながら、現地警察の手助けをすることとなり・・・・・・

<感想>
 時系列順にP・D・ジェイムズの作品を読んでいるのだが、3冊目のこの作品が今までのなかでは一番読みやすかった。ストーリー展開としては2作目の「ある殺意」と変わらないのだが、本書のほうが登場人物の数が抑えられており、物語的にもすっきりした印象を受ける。

 事件は不可解な状況で発見された、作家の死をめぐるもの。この作品も多視点となっており、主人公であるダルグリッシュの視点だけではなく、登場人物らそれぞれがさまざまな思惑を抱いている様子が表されており、こうした人間関係を密にしたミステリ小説が形成されている。

 最終的な結論にしても、事件のてん末にしても、普通というのがこの作品に対する感想。ただ、ここまでジェイムズの作品を読んできた立場としては、ようやく普通のミステリ小説になってきたなと高評価を与えたくなる。あとがきにも書いてあったことなのだが、P・D・ジェイムズの一連の小説を読むには、最初からではなくこの作品から始めるというのも、確かに大きな選択肢のひとつと言えるのかもしれない。

 とはいえ、濃密なミステリ世界を楽しみたいのであれば、最初の作品からどうぞと一応お薦めしておく。これらの作品を読むときは、片手間に読まず、じっくりと腰をすえて読むべきということもお薦めしておきたい。


ナイチンゲールの屍衣   7点

1971年 出版
1991年03月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 看護婦養成所での訓練中、事故が起こった。ひとりの学生が患者の役をし、胃に栄養剤を送るという実習をしている最中、突然患者の役をしていた学生が苦しみだした。その後、学生は死亡し、栄養剤の変わりに使用していた牛乳に毒が混入されていた事が明らかになった。どうやら患者の役をするものが急きょ交代となっていたようなのだが、それは今回の事件に関係があったのだろうか!?
 数日後、今度は養成所の別の看護婦候補生のひとりが毒物を飲んで変死を遂げていた。これは、前に起きた事件を悔いての自殺なのであろうか? 事件の謎を解くために派遣されたダルグリッシュ警視による捜査が始められる事に。

<感想>
 この4作目こそがP・D・ジェイムズの出世作であるということがよくわかる作品。途中まではずっと地味な内容としか感じられないのだが、最後まで読めばきっと強い印象を残すこととなるであろう。

 本書の特徴は、ダルグリッシュ警視の人物造詣について今まで以上に濃厚に書かれた作品であるということ。今までは、ただ単にダルグリッシュは優秀な刑事であるということぐらいしか書かれていなく、事件は解決するものの本当に鋭い刑事なのかどうかということはわかりにくかった。

 それが今作では部下の視点から語られたりと、ダルグリッシュ像が様々な角度からあらわにされており、どのように優秀で、どのような人物なのかと言う事が事細かに描かれている。最後の場面では、ダルグリッシュが冷酷ともとらえられるような、職務に忠実に事件を解決するというスタンスまでもを見て取る事ができる。

 本書は非常に良い作品であると思われる反面、妙に描きすぎであるというようにも感じられる。特に人物描写から風景描写まで、あまりにも隅から隅まで書き表し過ぎというように思えてしまう。これこそがP・D・ジェイムズの作風たるものだと思われるので、ここを否定するのは間違いなのかもしれないが、それでもそう感じずにはいられない。

 この作品はトリックなどが秀逸というわけではなく、心理描写に優れた逸品という位置づけになると思われるのだが、その情報量が多すぎるように思えてしまう。これがもっと整理されて、余計とも取れる部分を除いたほうが、よりインパクトの強い内容になったと感じられるのだが、どうであろうか。

 まぁ、そうなってしまうとP・D・ジェイムズらしさが無くなってしまうという意見もあるのかもしれない。ただ、その書き方がP・D・ジェイムズという名前が日本でメジャーであるか、そうでないかの分かれ道になってしまっているという気がしてならないのだが。


女には向かない職業   7点

1972年 出版
1987年09月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 共同で探偵事務所を経営していたのだが、その共同者が自殺を遂げ、一人残された22歳のコーデリア・グレイ。彼女はひとりでも探偵事務所を経営していこうと決心をする。そう決心をした矢先、依頼が舞い込んできた。依頼主は著名な科学者であるロナルド・カレンダー卿。彼の息子のマークが自殺を遂げていたのだが、何故息子が自殺したのかを調べてほしいという。マークは生前、大学を辞めて退役軍人の家に住み込みで庭師として働いていた。さっそくコーデリアはマークの生前の様子を調べに行くのであったが・・・・・・

<感想>
「女には向かない職業」は再読である。しかし、読んだのはずいぶんと前のことなので内容に関してはほとんど覚えていなかった。

 私がP・D・ジェイムズの作品を最初から読みとおしてみようと思ったのは、瀬戸川猛資氏によるP・D・ジェイムズの評論を読んだことによる。そこでP・D・ジェイムズの魅力を紹介しており、その評論に触れたことでジェイムズの作品をきちんと読んでみたいと思ったのである。特に「女には向かない職業」に対する瀬戸川氏の評価は興味深いものであったのだが、その内容はちょうどこの早川文庫版のあとがきに書かれているので、本文とともに必見である。

 久しぶりに読んでみた印象はというと、序盤は文章が固いなと。中盤へ行くにつれて展開がどんどんと動いてゆくので、あまり気にはならなくなるが、ひょっとすると序盤でつまづいてしまうという人もいるかもしれない。そこは我慢してもらい中盤までたどり着ければ、あとは自然に読み干すことができるだろう。

 本書の山場というと、もちろん事件の真相が明らかになる後半であるのだが、その後の最後の最後にダルグリッシュ警視が登場することにより真の大団円を迎えることとなる。そこでダルグリッシュが登場し、推理を披露する場面こそが一番推理小説らしいところといえるであろう。

 この作品のみしか読んだ事のない人にとってはダルグリッシュという人物については何の感慨も抱くことはないであろうが、実はこの人こそP・D・ジェイムズが描く作品群において最も主要な人物なのである。ということで、「女には向かない職業」以前に出ている4作品も読んでもらいたいといいたいところなのであるが、「ナイチンゲールの屍衣」以外がさほどお薦めし難いところが悲しい現実である。

 P・D・ジェイムズのこれまでの作品を読んでから「女には向かない職業」を読み、この作品のあとがきを読んで、ここまでの軌跡を振り返ってもらえれば、きっと感慨深いものが残ることであろう。今まで「女には向かない職業」のみしか読んでいないという人は、もし暇があればぜひとも他の作品を読んでから改めて本書を読みなおしてもらえればということをお薦めしておきたい。


黒い塔   6点

1975年 出版
1994年06月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 病気の疑いが晴れ、病院から退院し、仕事に復帰しようとしていたダルグリッシュ警視。そんな彼のもとに一通の手紙が来ていた。30年前に会って以来、手紙のやりとりだけをしていた老神父から、相談に乗ってもらいたいという内容のものであった。詳しい話を聞くために、ダルグリッシュは静養する期間を延ばし、復職前に神父に会いに行くことにした。しかし、彼を待っていたのは、心不全によりすでに神父は亡くなっていたという事実。ダルグリッシュは、神父が通い詰めていた療養所、トレイトン・グレンジにて、いくつかの事件らしきものが起こっているという噂を聞きつける。神父の相談ごとに何か関わりがあったのではないかと、ダルグリッシュは当てもなく、ひとり捜査を始めるのであったが・・・・・・

<感想>
 一見、モダンホラーと言ってもよいような陰鬱な内容。トレイトン・グレンジという数名の身体障害者が過ごしている施設。その施設を運営する医師と看護婦、そして入院患者たち。その誰もが曰くありげで、何か秘密を隠しているよう。とはいえ、そんな具体的な秘密があるというわけでもなく、ただ単に鬱屈している様子が何かを隠しているように見えるだけのようでもある。そして極めつけは、近くにそびえ建つ“黒い塔”。療養所の所長の曾祖父が建てたという、現在はたいした目的では使われていない塔。その塔の存在がさらなる不気味さをあおる効果を出している。

 基本的に鬱屈した雰囲気のなかで、事件が起こっているのか、いないのかさえ分からないような状況のまま話が流れてゆく。最後の最後では、突如地味な展開から一変して、まるで火曜サスペンス劇場のような終幕を迎えることとなる。静かな雰囲気の探偵小説が一変して、やけに派手な終焉を迎えたなぁ、という印象が最後に残った。

 本書で悩ましいのは、全体的な暗い雰囲気と描写もさることながら、登場人物の視点の切り替わりが多いこと。さほど重要ではないと(最後まで読まなければわからないことであるが)思われる人物に関しても、いちいち視点を抜いて行ったりするので、結構こんがらがってしまう。とはいえ、内容に関しては読みやすいものよりも、このくらいわかりづらいほうがP・D・ジェイムズの作品らしいとも言えるのであるが。


わが職業は死   5.5点

1977年 出版
2002年03月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 犯罪の科学捜査を行う研究所にて、所長代理のロマリーが殺害されているのが発見された。ロマリーは生前、多くの者から疎まれており、動機のある者は多数。そうしたなかで、彼を殺すことができたものは誰なのか? ロンドン警視庁のアダム・ダルグリッシュによる捜査が始まる。

<感想>
 読みづらいクリスティ系統の小説といってしまうと、一言で終わってしまうような作品。

 事件が起こる前に、ひとりの嫌われ者の人物にまつわるエピソードがさまざまな登場人物により紹介される。そして、当然のごとく、その嫌われ者が死体となって発見される。その後、ダルグリッシュ警視長による入念な聞き込み捜査が行われてゆくという流れ。

 群像小説のようになっていて、かつたまに突如視点が切り替わったりしていて、非常に読みづらい。また、簡単に流せそうな部分を事細かに描写しているところも読みにくさを強めている気がする。

 そもそもこの作品というかP・D・ジェイムズの作品が、ミステリ的な部分とか、警察捜査に重きをおいて描く小説ではないということ。どちらかといえば、登場人物らの心象や感情に強く言及した小説を描くという感じに捉えられる。そのへんは、ある意味クリスティーと似たようなところという気がするのだが、ジェイムズの作品はクリスティーのような読みやすさはない。まぁ、その読みにくさを重厚な小説だと捉えることも可能であるのかもしれないが。

 そんなこんなで読みにくいとはいえ、最後にはしっかりと真相が指摘されている。その真相については決して意外なものではないのだが、きちんと被害者とその周辺の人々に関する関係性や感情などをまざまざと書き表し、それゆえに、このような結末になったのだという説得力は十分にあると思われる。


罪なき血   7点

1980年 出版
1982年04月 早川書房 ハヤカワ・ノヴェルズ
1988年08月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 十八歳を迎えたフィリッパは実の両親について調べ始める。自身が養子であることは既に知っており、彼女は大学教授である父と優しい母親のもとで裕福に育てられたが、自身の本当の両親に幻想をずっと抱き続けていた。そしてフィリッパが両親について調べた結果、父親が少女を暴行した罪で刑務所に入った後に死亡し、母親は父親が暴行した少女を殺害した罪で今も刑務所に入れられていることを知る。そして母親がもうじき刑務所から出てくることを知った時、フィリッパは実の母親と暮らすことを決意し・・・・・・

<感想>
 密かにP・D・ジェイムズ氏の作品読破を目指していて、発表順に作品を読み進めている。久しぶりに着手することになったのがこの「罪なき血」。ノン・シリーズ作品であるが、なんとも変わった作品であり、しかも強烈な内容であった。

 恵まれた家庭で育ったはずの18歳のフィリッパが、自分が養子であるが故に、本当の両親を捜そうとするところから始まる。すると実は彼女の両親は犯罪者であり、父親は死に、母親が刑務所に入れられていることを知る。その事実に幻滅を抱いたはずのフィリッパであったが、何故か母親と会うことを熱望し、もうすぐ刑務所から出てくる母親との同居計画を進め始めるのである。

 これが序章であるのだが、なんとも共感を抱けない話というか、この主人公自身が何を考えているのかわからない。育ての親に関してもさほど悪い人物ではなく、何故彼らを見放して、実の母親のもとへ行こうとするのか、その気持ちが全く理解できないまま話が進んでゆく。ただ、この育ての父親が非常に癖のある人物であるということが徐々に明らかになってゆく。

 物語がそれだけであるのならば、単なる文学的な物語という感じであるのだが、そこにもう一つの要素が加えられる。それはフィリッパの母親が殺した子供の父親がかねてから復讐計画を練っており、彼女が出所した後に殺害を企てようとしているのである。ただし、この男あくまでも普通に暮らしてきた人間であり、殺人鬼というような猛々しい人物ではない。それでも執拗に犯行の機会をうかがい、緻密な計画を練っていくのである。

 と、そんな登場人物を配して流れてゆく物語。共感できないような人たちばかりが集まり、理解しづらい行動がなされていきながらも、意外と読んでいる方はその奇怪な物語の様相から目が離せなくなってしまう。こんな精神的には深くありつつも、事実としてはたいして奥行きがなさそうな物語のように思えるが、何気にラストの方では意外な事実が浮上してきたりして読み応えのある作品になっている。決して個人的に好みとはいえないはずの内容でありつつも、次第にその様相から目が離せなくなってゆくという魔力を持った作品であった。ミステリの範疇にとどまらない、非常に印象深い物語。


皮膚の下の頭蓋骨   5.5点

1982年 出版
1987年10月 早川書房 ハヤカワ文庫

<内容>
 私立探偵のコーデリア・グレイは、有名女優クラリッサの夫であるジョージ・ラルストン卿から仕事を依頼されることに。その内容は、妻のクラリッサが何者かから脅迫を受けており、彼女を守ってもらいたいというもの。クラリッサは知人が管理するコーシイ島へ行き、そこで芝居を上演するので、コーデリアに秘書として共についてきてほしいというのだ。そこでコーデリアは島へとわたり、クラリッサの警護を行いつつも、犯人の痕跡を探そうとするのであったが・・・・・・

<感想>
「女には向かない職業」に続いての私立探偵コーデリア・グレイが登場する作品。ただし本作も「女には向かない職業」同様、ライトに読めるような作品ではなく、今作ではさらに重苦しい雰囲気と描写の作品となっている。

 この作品、まるで古典本格ミステリを読んでいるような錯覚にとらわれる。雰囲気的にはマイケル・イネスのような感触であろうか。ゆえに、マイケル・イネスが好きであればこの作品も読みこなせると思われるのだが、そうでなければ合わないという人も多いことであろう。

 私立探偵コーデリア・グレイが女優の警護を依頼され、島へと渡るところから始まり、そこに住むもの、招待された者らと数日を過ごすこととなる。事件が起こるまでの間、そこでの生活の描写となるのだが、この辺はなんとも地味で作品の核心的な中身に本当に関連するのかと微妙に思えてならない(全く関係しないことはないのだが、そこまでページをとらなくてもと)。こういったところが、古典本格ミステリを感じさせるところ。そして登場人物らも暗めの人たちばかりで、作品の地味さをさらに増長させてゆく。

 そして事件が起こり、警察が介入し、やがて真相へと迫ることになるのだが、この辺は面白く読むことができる。ただし、作品全体における歪さを強く感じさせるようなものとなっている。というのは、最終的に一介の私立探偵では手に負えないような事件となってしまっているのである。最初のコーデリア・グレイの登場場面はいかにも市民的な町の探偵というところを表しているにもかかわらず、最後にはそれに反するような終わり方となっている。この辺は、物語のテーマとして一般人には手に負えないような巨大な“悪”のようなものを示したかったということなのであろうか。

 そんな感じで、なんとも一般的なミステリとかハードボイルド作品とかの範疇を超えた作品となっている。著者のP・D・ジェイムズはそうした奇抜なところが好まれて、一部の層に熱狂的に愛されている作家であるのかもしれない。


死の味   6点

1986年 出版
1996年12月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 教会の聖具室で、そこに泊まっていた元国務大臣のポール・ペロウンと、浮浪者のハリーが喉を切られて死亡しているのが発見される。事件を担当するダルグリッシュ警視長は、生前のポール・ペロウンからとある依頼を受けていた。それは、彼の元にスキャンダルに関する告発文が送られてきたことであった。その内容は、以前にポール・ペロウンの周辺で前夫人、看護婦、家政婦の3人が死亡していることについて言及しているものであった。その告発文が今回の事件に関わっているのであろうか? ダルグリッシュは、ポール・ペロウンに関わると思われる人々から事情聴取を行い・・・・・・

<感想>
 何とも言えぬ、難しい作品。読んでいる最中は、はっきりいって全く楽しくない。事件が起きたところまではいいものの、それ以降は単に登場人物への聞き取り調査が淡々と進められるだけ。しかも登場人物一人一人について、詳しい描写と心理状態までもが長々と書きあらわされるものとなっている。それゆえに、事件が発生してから2、3日の間の聞き取りで、作品の4分の3くらいまで埋められているような状況。

 ただ、それまでの退屈な状況が一変して、最後の最後で何故か派手な展開が待ち受けることとなっている。この辺のバランスはいかなるものかと、不思議に思えてしまうほどのもの。

 本書を読んだのち、あとがきを読んで考えてみると、どうやらこの作品は宗教的な部分に重きを置いた作品ではないかと言うことがおぼろげにわかってくる。確かに、事件現場は教会であり、その教会の神父も後に重要な役割(ミステリ的な証拠というものではなく)を担うこととなる。そして、何よりも重要なのは、ポール・ペロウンの死により、多くの人々の人生が変わることになるという点。本書のなかで様々な人々が登場するのだが、被害者の家族はもとより、事件発見者や、さらには警官たちまでもが、この事件により大きな転機を迎えることとなるのである。そうした影響と様相が極めて宗教的に書かれた作品というものがこの「死の味」なのではないかと解釈することができるようである。

 一見、最後の派手な展開も不自然のように思われるが、実はこの宗教的な流れと、とある警官に対する人生の変遷を考えれば、必然的なことであったのかもと考えられなくもない。まぁ、ちょっと無理やりな解釈かもしれないが。そういったことも考えれば、やたらと多くの登場人物の一人一人に対して、描写などでページ数を割いていることも、この物語上では自然な流れであったのかもしれない。そんな風に考えれば、この作品の見方も変わってくるかもしれないが、だからといって再読したいかと問われれば、なんとも・・・・・・


策謀と欲望   6.5点

1989年 出版
1990年11月 早川書房 ハヤカワミステリ
1999年02月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 ダルグリッシュ警視長は叔母の遺産として残された、海沿いの村にある風車小屋にて休暇をとることとした。近くに原子力発電所があることでも有名な村であるが、そこでは最近物騒な事件が起きていた。“ホイッスラー”と呼ばれるようになった犯罪者が、若い女性を襲う連続殺人事件を起こし続けているのである。そうした騒動をよそに、部外者であるダルグリッシュは、事件に関わらないように過ごす予定であったが、海岸で他殺死体を発見する羽目となり・・・・・・

<感想>
 ミステリとして変わっている作品という印象。シリーズものとして、ダルグリッシュ警視長が登場するものであるのだが、決して彼が主になって話を進めるという構成はとられていない。むしろ、群像小説のように語られている作品。ただ、その群像小説の形式も、通常のものとは異なり、同じ人物の視点で何度か繰り返されるというものではなく、次から次へと別の人物へとバトンタッチされていって、作品に登場する多くの人の視点や感情により一つの物語が紡がれるというような形となっている。

 とにかく、いかに登場人物の相関図を複雑なものにするかというところに焦点を当てているかと思えるような作り方。一つ一つの要素は深堀りせずに、とにかく全体的に網を広げるというような構成。それゆえに、最初は物語上重要と思われた連続殺人鬼“ホイッスラー”さえも単に一要素程度の扱いとなってしまっている。

 最初にスポットが当てられた反原発の活動家と、彼と共に住む子連れの女が重要人物なのかと思いきや、その後別の人物の視点となり、さらに別の人物の視点へと移ってゆく。読んでいくうちに、いつの間にか重要人物と思われていた反原発の活動家の存在が忘れられてしまうほど。ただ、それは全ての人物に言えることで、そのときそのとき語られている人が重要人物となり、視点が移り変わってしまえばそれまでといったところ。そんな形式で、とにかく多くの人々にスポットが当てられていく。

 ただ、そうして広がり切った網の目も、いつにまにかドミノ倒しのようにゴール地点がスタート地点へと戻るような形で収束していくことに。そんな具合に物語が紡がれていく、かなり変わったミステリ模様をうかがうことができる作品である。ミステリ云々よりも、人間関係の相関図の複雑さの方に圧倒させられてしまう作品。


トゥモロー・ワールド   5点

1992年 出版
1993年10月 早川書房 単行本(「人類の子供たち」)
1997年07月 早川書房 ハヤカワ文庫
2006年10月 早川書房 ハヤカワ文庫(改題:「トゥモロー・ワールド」)

<内容>
 2000年になる前に、人類から子供が生まれなくなるという現象が発生した。その後、月日は過ぎるものの出生者がいないために人口は減り続けてゆく。そんな2021年のイギリス、大学教授のセオの元に、反体制組織のメンバーが接触をしてくる。セオは国守のザンといとこであり、彼に話をすることができる立場。そんなセオを利用して、反体制組織の面々は、彼らの主張を国守ザンに伝えようとする。反体制組織といっても、たった5人で行っているだけのもの。それでもセオは、彼らの活動に関してザンに伝えることを決め・・・・・・

<感想>
 本書は子どもが生まれなくなった世界を描いた近未来SF系の作品となっている。P・D・ジェイムズの作品としては珍しい部類。

 そんなSF的な作品であるのだが、この世界設定が活かされた作品になっていたかというと、疑問が持たれる。そういった近未来SF的な内容というよりは、反体制的な活動を表したような作品という趣が強く、むしろそれであれば、このような設定はいらないとも感じられる(もちろん世界設定を生かした場面もありはするのだが)。

 さらにいえば、メインと感じられるような反体制的なものに関しても微妙と思われる。その反体制グループがたった5人だけの活動であり、しかもその5人の意思統一でさえ図られていないようなグループ。そして、本書の主人公とも言えるセオがその反体制グループと歩みを共にすることとなるのだが、セオ自身が別にそのグループの活動に共感を感じているわけでもなく、何故一緒に行動しなければならないのかさえよくわからなく感じられてしまう有様。

 そんなわけで、物語全体的に共感を覚えることもなく、惹かれることもなくというような感じであった。内容云々というよりも、P・D・ジェイムズ氏がディストピア的な作品を描こうとすれば、このような感じになるという一例が示されたものということであるのかもしれない。


原 罪   6点

1994年 出版
1995年12月 早川書房 ハヤカワミステリ(上下:1629、1630)
2000年04月 早川書房 ハヤカワ文庫(上下)

<内容>
 伝統の名門出版社“ペヴァレル出版”では、新社長の元で新たな経営体制を目指していたものの、密かに内紛が起きていた。そして、リストラを宣告された社員が社内で自殺を遂げるという事件が起きた。社内において、さらなるいたずらのようなものが立て続けに起きる中、とうとう新社長が死体となって発見されることとなる。一見、事故にも見えるような死亡状況であったが、ダルグリッシュ警視長らは、殺人事件と考えて捜査を進めてゆく。動機を持つ者は多いものの、実際に実行を成しえることができたものは誰なのか? 警察が捜査を進める中、さらなる事件が起きることとなり・・・・・・

<感想>
 元々の作風であったとも思えるが、「死の味」と「策謀と欲望」あたりから群像小説という作風が、がっちりと固まってきたように思われる。本書もそれらに続き、群像小説により事件が描かれ、シリーズキャラクターのダルグリッシュ警視長らが捜査を進めていくものとなっている。

 今回の舞台は伝統ある名門出版社。前任の社長が亡くなり、その息子が出版社を引き継いだことにより経営方針が変わって行こうとしていて、古くからいる社員たちの不満が徐々に溜まっていくという様子が描かれている。そのような背景の中で自殺事件が起き、そして殺人事件と思われる変死が続き、さらなる事件へと発展してゆくこととなる。

 P・D・ジェイムズの作品を読み続けていれば、いつも通りという感じ。ただ、今作については不満が2点。ひとつは、登場人物らが嘘のアリバイを申告しすぎると言うこと。事件に直接関係ない者たちが、自分に容疑がかかるのを避けるために嘘をつくというのは、少々ややこしい。

 そしてもうひとつは、最終的な動機がそこまでの物語の流れにほとんど関係していないこと。事細かく心理状況を描く群像小説ゆえに、憤懣がたまっていきとか、じつはそのときはどのような状況でとか、伏線とまではいわなくても、物語上なんらかのつながりがあってという描写を期待していた。それが最終的には、唐突に出てきたような動機によって犯行がなされていたということになり、そうするとそれまでの事細かい描写が無駄になってしまうのでは? と感じられてならない。

 P・D・ジェイムズらしい、重厚な物語は描けたと思えるのだが、ちょっとミステリがそこについてきていなかったような。最後に真犯人が明らかになる場面の前までは良かったと思えるのだが、結局最後の最後でダルグリッシュ警視長の存在さえもが希薄になってしまったのはいかがなものかと。


高慢と偏見、そして殺人   5.5点

2011年 出版
2012年11月 早川書房 ハヤカワミステリ1865

<内容>
 ジェイン・オースティン描く「高慢と偏見」のその後を描いたの物語。エリザベスとダーシーが結婚してから6年が経ち、二人には子供が生まれ、ベンバリー館で平和な日々を過ごしていた。そうしたなか、彼らの館には近づけないようしていたリディアとウィッカム夫婦であったが、突然リディアが馬車で館へやってきて、助けを求めてくる。夫とその友人が森に入り込み、その後銃声がしたのだと。ダーシーが現場へと駆け付けると、そこで一人の死体と生き残ったもう一人とを発見することとなり・・・・・・

ジェイン・オースティン「高慢と偏見」感想へ

<感想>
 今年に入って、ジェイン・オースティンの「高慢と偏見」を読み、セス・グレアム・スミスの「高慢と偏見とゾンビ」を読み、そしてとうとうこのP・D・ジェイムズの「高慢と偏見、そして殺人」と三冊続けて読むことができた。ちなみにこのジェイムズの作品は、本家「高慢と偏見」の続編という位置づけで書かれているので、これに関しては本家を読んでから手に取ることをお薦めしておきたい。そうでなければ、これだけ読んでも何が何だかわからないままとなるであろう。

 こちらは「高慢と偏見」のその後を描いたということで、それだけでも読み応えがある。しかも、そこに殺人事件を付け加えることによって、ミステリ作家らしい作品に仕立て上げられている。誰が殺害されることとなるのかな? などと考えながら読んでいくだけでも見所満載と言えよう。

 この作品を読んで思ったのは、本家よりも読み口が重たいなと。元々の作品のほうがもう少し軽口であったような。しかも登場人物のうちのエリザベス視点が物語後半に入ると少なくなり、ダーシー視点のほうが多くなっているというところも、本書が重く捉えられる要因になっていると思われる。後半は裁判が展開される様子が結構長々と書かれているところもあり、そこは本家の作品らしくなかったように思われる。

 あと、ミステリ仕立てで書かれてはいるものの、ここで起きる事件自体は悪くはないと思われつつも、決着の仕方は微妙なように思われた。結局、事件に関与する重要人物がひとりのみで、それ以外はほぼ本家の作品に関係のない人びとばかり。その辺は、あまり原典をいじりすぎるのは良くないという感情が働いたからなのか。それゆえに本書の生けるミステリとしての効果は薄くなり、オマージュとしての作品全体に対してもバランスが悪くなってしまったかなと感じてしまう。

 続編が書かれることによって、エリザベスとダーシーの行く末よりも、その周辺の人々のほうがどのように書かれるか(特に例の夫婦のその後)が気になるところ。そこをジェイムズは、エリザベスとダーシーにさらなる悩みを架するかのように描いていた(しかも例の夫婦のせいで)。その辺は、結構意外な展開であったと感じられた。ただ、ジェイムズなりに「高慢と偏見」に対する未消化に思えた部分の決着を付けたかったのかなという気持ちは充分に伝わってきた。




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