竹本健治  作品別 内容・感想1

匣の中の失楽   8点

1978年07月 幻影城 単行本
1983年12月 講談社 講談社文庫
1991年11月 講談社 講談社ノベルス
2002年10月 双葉社 双葉文庫(対談、評論集、資料付)

<内容>
 大学生たちを中心に、いつしか集うこととなった探偵小説の会。その中のひとりがその会に参加しているものの名を借りて、実名小説としてミステリを書き上げると宣言した。さらにはその小説にて最初に殺されるのは曳間であると・・・・・・。数日後、その予言されたとおりに曳間が友人宅で奇妙な状況の中殺害されてしまう! さらに続く殺人事件。それらの事件は小説の中と実在の出来事と交互に交わってゆき、現実か虚構かの垣根がなくなっていくかのように・・・・・・

<感想>
「匣の中の失楽」再読。再びじっくり読んでみると改めてすごい小説であったということに気づかされる。

 本書においてどこが特筆すべき点かといえば、なんといってもその構造があげられるであろう。序章で予告された殺人が第1章にて行われる。そして第2章に入ったときには、第1章で起きた事件は小説の中のできごととして語られており、第1章で殺害された人物を中心として2章での別の事件が展開されてゆく事になる。第3章では、また1章の続き、第4章では2章の続きと偶数章、奇数章によって生きている登場人物や、その性格までもが移り変わり、激しい錯覚を起こしそうになるなかで物語りはどんどん進行してゆく。この眩暈を起こしそうな構成は斬新であり、かつその構成そのものに強いミステリ性をうえつけられることとなる。

 そして、本書のなかでは数々の殺人事件が起き、それらに対して学生達がそれぞれの意見をぶつけ合い、真相究明へと挑戦してゆく。この部分についてはいかにも探偵小説らしい展開であると感じながらも、いくつか不満の残る点も見受けられる。

 それは事件の解明についてなのであるが、章ごとにひとつづつ殺人事件が起きてゆくわりには、第1章と第2章の事件を最後の最後まで引っ張りすぎではないかと感じられた。故に、第3章以降で起こる事件については、現場の状況についても、解明についてもかなりおざなりであったと感じられた。

 また、事件自体についてであるが、第1章における事件は奇妙な状況であるにもかかわらず、犯人が行った殺害手順は最初から示されており、ほとんど議論の余地がないと思われる。故に、犯人を特定するにはアリバイ崩しと動機という2点のみになるのだが、それだけにも関わらず最後の最後まで真相は究明されないようになっている。

 第2章で起こる事件については、こちらは設定が難解すぎたのではないかと思われる。結局、本書のなかでも真相が明かされないまま終わってしまっている。これについては第3章の後半にて“ワトソン探し”という点での打開策が図られるにもかかわらず、結局それも未消化に終わってしまっている。

 というように、実は推理小説の真相を究明するという上ではいくつか不満がのこる部分が見受けられる。できれば第1章に起きた事件は次の章である程度解明してもらい、また次の事件へと移っていってもらったほうが読んでいるほうとしてはすっきりする。そういうこともあってか、第3章以降の事件があまり印象に残らないまま終わってしまったのは残念である。

 とはいえ、全体的にすごい構造の小説であり、探偵小説としての構成・手腕も見事といえる。こんな作品を処女作として書いてしまっていいのだろうかと思わずにはいられない。また、こんな作品が1978年に出てしまったら後から出た作家は何を書けばよいのかとも考えさせられてしまう。

 さらに付け加えれば、前述した中で未消化と思えた部分についてであるが、どうやら竹本氏はこの作品を書いているときには、本書の続編やこういった作品を何冊も書けるだろうと思っていたらしく、わざと課題を残していたようにもとれる発言をしている。そういうったことを考えると案外と今後の竹本氏の作家生活のなかで「続・匣の中の失楽」が出ないともかぎらない。そんなわけで、未消化と思えた読者はそれを待ち続けるのも一興であろう。

 もしくは、本書が多くの読者を惹きつける理由は未完成といえる部分があるからなのかもしれない。それゆえに本書に魅力を感じるもの、もしくはそれゆえに自らペンをとるもの達が出ることになったとも言えるのであろう。そんな多くの人々に影響を与えた本が、30年近くの時を経ても色あせずにその名を残し続けている。


囲碁殺人事件   6点

1980年07月 CBSソニー 単行本
1985年09月 河出書房 単行本
1994年03月 角川書店 角川文庫
2004年02月 東京創元社 創元推理文庫
2017年02月 講談社 講談社文庫

<内容>
 第七期棋幽戦第二局、槇野九段と氷村七段の対局。槇野有利のまま対局は次の日に持ち越されることとなったが、なんと槇野は次の日の対局に姿を現さず、その後首無し死体となって発見される。小学生棋士の牧場智久、その姉の典子、大脳生理学者の須堂が事件の真相を推理する。果たしてこの事件の前に起きたと思われる歯科医が死体となって発見された事件は何か関係があるのか!?

<感想>
 牧場智久シリーズの第1弾。久々に読む故に、こんな話だったのかと楽しみながら読むことができた。まさか最終的な探偵役が・・・・・・だったとは。

 短いページ数のなかで事件後も淡々と進んでいくゆえに、こんな単純な事件なのかと思いながら読み進めていくと・・・・・・なんと最後にしっかりとした落としどころが用意されていた。何気に伏線が張り巡らされていたことに気が付き感嘆させられた。

 本書のポイントは動機に関する“何故”にあると言ってよいであろう。事件前の背景がヒントとなり、さまざまな設定がしっかりと生かされた内容の作品となっている。


将棋殺人事件   6.5点

1981年02月 CBS・ソニー出版 単行本
1994年02月 角川書店 角川文庫
2004年05月 東京創元社 創元推理文庫
2017年03月 講談社 講談社文庫

<内容>
 巷で“恐怖の問題”という怪談話がはやり、まるでその怪談をなぞるかのように、土砂崩れによって明らかとなる2つの死体。この事件が気になり、牧場典子と智久の姉弟は大脳生理学者・須藤の力を借りて色々と調べ始める。すると、線路に飛び込んだOLの自殺事件、詰将棋界の盗作騒動など、不思議な事件が次々と浮かび上がり・・・・・・

<感想>
 最初はサイコ・サスペンス風な場面から始まり、その後は断片的にいろいろな謎や事件が語られていく。シリーズ主人公、牧場姉弟が追っていくのは怪談話について。ゆえに、それが中心として語られてゆくことになるのだが、他の謎がこの怪談話にどのように絡んでくるのかが全く予想がつかない展開となっている。

 徐々に、それぞれの事件が調べられてゆき、色々な事実が明らかになるものの、末広がりとなるばかりで、終盤へ来ても一向に収拾がつかない。それが最後の解決の章に入ると、一気に全てがつながり、一つの解へと導かれてゆく。納得できる解というよりも、思わず納得させられてしまうというか、それしかありえないというような力業にぐうの音も出なくなる結末。


<怪談の内容>
 謎々が書かれている1枚の紙を拾った男。その謎が面白いので、男は皆に出題をしてまわる。すると男は、だんだんと様子がおかしくなっていく。隣人が心配し、男の後をつけてゆくと、夜中へ墓地へ入っていく姿を目撃することに。男は墓を掘り返し、中から死体を引きずり出し、死体が握っていた紙の束(謎々が書かれている)をもぎ取り・・・・・・


トランプ殺人事件   6点

1981年08月 CBSソニー 単行本
1986年01月 新潮社 新潮文庫
1994年04月 角川書店 角川文庫
2004年09月 東京創元社 創元推理文庫
2017年04月 講談社 講談社文庫

<内容>
 精神科医の天野は、いつもの仲間4人でコントラクト・ブリッジを行っていた。その最中、突然火にかけられたやかんの音に注意を奪われ、やかんを見に行った隙に密室となった部屋から仲間の一人が消失した。消失した者は、後に郊外の廃墟で死体となって発見されることに。いったい現場で、何が起きたというのか?

<感想>
 全体的にかなり薄味。コントラクト・ブリッジの用語集など、それに関連する書き込みが結構なページ数を取っているからであろう(その用語集等に暗号が込められているとはいえ)。また、シリーズ3作目として牧場智久、その姉の典子、大脳生理学者の須堂が出てくるのだが、登場場面が少ないために、シリーズとしても薄味であったという感じである。

 人間消失と自殺事件のみでは、物足りなかったなと。書く側としては暗号の作成にかなりの労力と時間を費やしたのだろうということはわかるのだが、読む側としては「あっ、そう・・・・・・」と思うぐらい。

 一応、心理学的に解決し、結末にもちょっとした工夫も凝らしているのだが(肩に猿をのせた患者の件)、もうちょっと中心となる事件を広げてくれても良かったのではなかろうか。


狂い壁 狂い窓   7点

1983年04月 講談社 講談社ノベルス
1993年05月 角川書店 角川文庫
2018年02月 講談社 講談社文庫

<内容>
 産婦人科病院の跡地に建てられたアパート“樹影荘(こかげそう)”。そこに住む住人たちは、住んでいるうちに奇妙なものを見るという噂が立っていた。その3階建てのアパートに今住んでいる6組の住人達も実際に奇妙な体験に見舞われることに。何者かが覗いているような視線、謎の侵入者、どこからともなく湧き出てくる水と血。これらは人為的なものなのか? それとも住人の妄想なのか? そしてついてには住人が死亡するという事件までが起き・・・・・・

<感想>
「匣の中の失楽」でデビューした竹本氏であるが、その後の作品のなか(初期作品のミステリ)で本書は、かなり出来の良い作品と言えよう。この作品の前にゲーム3部作というものが出ていて、その3作目の「トランプ殺人事件」でも本書と同様の雰囲気が感じられたが、この作品こそ、その作調の完成系という感じがする。怪奇と幻想とミステリがうまく交じり合った作品。

 図面で表された、これ見よがしに怪しいアパートにて繰り広げられる怪奇劇。ただ単に怪奇現象というだけで終わるのか、それとも裏に何らかの意図が秘められている人為的なものなのか。興味の尽きない怪奇的な物語が語られてゆく。また、色々な人の視点で怪奇現象が表されているのだが、それが誰の視点であり、何故そのような現象を見ることになるのかという背景を追っていくという楽しみも味合わせてくれるものとなっている。

 色々な要素がてんこ盛りにされているなかで、後半になって真相が徐々に明らかにされていくことにより、視界は冴えわたることとなるのだが・・・・・・全体的に物語をまとう雰囲気は、最初から最後まで鬱屈したものとなっている。その鬱屈した雰囲気が、非常にこの物語にマッチしている。


腐蝕の惑星   6点

1986年10月 新潮社 新潮文庫
1994年07月 角川書店 角川ホラー文庫(改題:「腐蝕」)
2018年01月 角川書店 角川文庫(「腐蝕の惑星」)

<内容>
 17歳のティナは航宙士試験に合格し、幸福の絶頂にあった。しかし、その日を境に、彼女は妙なものを度々見かけることとなる。最初は正体不明の不気味な影であったが、それが徐々に世界を侵食していき、記憶の喪失にもつながる恐るべき出来事が・・・・・・

<感想>
 竹本氏による初期のSF作品が復刊。それなりに楽しめるSF小説という出来栄え。

 作品は第1部と第2部に分かれている。第1部では、日常の風景が徐々に崩壊し、それぞれ個人のアイデンティティまでもが崩壊の危機を迎えるというもの。この第1部の内容については、さまざまな本やゲームなどでも似たようなものを取り上げており、さほど目新しいものではないのかなと(ただ、この作品が刊行された1986年であれば斬新であったのかもしれない)。

 しかし、それだけにとどまらず、そこから第2部へと移行し、その後の物語をしっかりと紡ぎあげているところはさすがと感じられた。何気に著者のSF作家としての力量に非凡なものを感じさせる作品。

 この作品を読んでから、今まで読んだ竹本氏の作品を思い返してみると、何気にこの著者は女の子を主人公にしたり、語り手にするのが好きなのかと、ふと思い当たる。


”魔の四面体(テトラヘドロン)”の悪霊 パーミリオンのネコ4

1990年01月 徳間書店 トクマノベルズミオ
2000年03月 角川春樹事務所 ハルキ文庫

<内容>
 表題作をはじめ全六作を収録した、パーミリオンのネコ第四弾!

 「青い血の海へ」
 「”魔の四面体”の悪霊」
 「夜は深い緑」
 「スナイピング・ジャック・フラッシュ」
 「銀の砂時計が止まるまで」
 「死の色はコバルト・ブルー」

詳 細


殺人ライブへようこそ   6点

1991年06月 徳間書店 トクマノベルズ
1996年04月 徳間書店 徳間文庫

<内容>
 高校2年、剣道部の武藤類子は、偶然OBの高杉と出会う。高杉はデビュー間近というバンド“パルス・ギャップ”のマネージャーをしていて、類子は彼に連れられ、バンドのメンバーに紹介される。バンドのメンバーに気に入られた類子は、バンドのマスコットにされたり、彼女の引っ越しをメンバー総出で手伝ってもらったりと、すっかり親しくなる。しかしその引っ越し先に、身元のしれない人物からしょっちゅういたずら電話がかかってくることに。さらには、バンドの周辺で不穏な事件が起き、類子は事件の渦中に巻き込まれてゆくこととなり・・・・・・

<感想>
 竹本氏の古い作品を手に取ってみた。主人公は女子高生の武藤類子であり、この人物は後に竹本作品のシリーズ探偵である牧場智久とコンビを組んで、レギュラーキャラクターとなる。その武藤類子、最初の登場作品となるのが本書である。ちなみに今作には牧場智久は登場していない。

 この作品はメジャーを目指すロックバンドとその業界を背景としたサスペンス・ミステリとなっている。また、女子高生であり、剣道部員でもある武藤類子の青春小説という側面も持ち合わせている。

 ロックバンドのライブ中に人が殺される事件。その事件を皮切りに、ロックバンド“パルス・ギャップ”周辺でさまざまな事件が起きる。いつの間にか事件の渦中に置かれた武藤類子が、巻き込まれる形で事件解決の糸口を見出すこととなって行く。そんなミステリが展開されている作品。

 作中で色を付けているのが、武藤類子にかかってくる、いたずら電話の主とのやり取り。類子が不審に思いつつも、いつしか電話の主に心を許し、事件について相談をしてゆくこととなる。この電話の主が事件に関わっているのか、いないのか、という点も作品のポイントと言えよう。

 普通に青春サスペンス小説のような感じで楽しめる作品。今の時代に読むと、電話によるコミュニケーションというものが懐かしく感じられる。その当時の若い人向けのミステリ小説という感じがした。


ウロボロスの偽書   6.5点

1991年08月 講談社 単行本
1993年08月 講談社 講談社ノベルス
2002年06月 講談社 講談社文庫(上下)
2018年04月 講談社 講談社文庫(上下)<新装版>

<内容>
 竹本健治は雑誌に新連載のミステリを掲載し始めた。それは主に3つのパートからなり、ひとつは殺人鬼の独白、ひとつは竹本健治自身と彼の知人たちが実名で登場するというパート、もうひとつは“トリック芸者”という芸者ミステリ。その連載を続けていく最中に、竹本健治は違和感を感じ始める。「自分が書いたはずのない文章がここに掲載されている」と。現実と虚実が入り乱れる中、小説のなかの事件が竹本健治の周辺にも影響し出し・・・・・・

<感想>
 新装版が出たのをきっかけに久々の再読。久々に読んだ割には前半部(文庫版の上巻)に関しては、結構その内容を記憶していた。しかし、後半部(文庫版の下巻)のほうは、あまりよく覚えていなかった。その理由は、やはりその内容によるものかと。

 本書は“殺人鬼”“著者自身”“芸者”と3つのパートからなる作品。特にポイントとなるのは、著者自身が登場しているのみならず、竹本氏の身近な人々が実名で登場しているところであろう。綾辻氏を始め、本格ミステリ系の有名作家も数多く登場しており、しかも彼らが物語上で起こる事件に深く関係しているのである。

 そうした実名小説というものが基本にありつつ、他の殺人鬼のパートやトリック芸者のパートが徐々に交錯し、あくまでも物語上の人物と思われた者たちが、実名小説のパートのほうへ繰り出してくるようになるのである。そうしてメタ小説へと展開し、錯綜と混乱を招きつつ、物語は終幕へとなだれ込む。

 ただ、前述したようにこの物語の後半部分をあまりよく覚えていなかったのは、物語全体が決して収束しきれていなかったゆえのことではなかろうかと。特に前半の流れで読者を散々期待させたうえで、それらが収束しきれていないというのは残念なところ。それでもなんとか荒業とも言える方法で、一定の幕引きにはいたっているのだが。

 もともとこの作品をどのようにして書こうと思ったのかはわからないが、それでも“試み”としては面白いものだったのではないかと。それぞれで書かれているパートについては、ちょっとしたエッセイ風であったりとか、ミステリとしてはボツネタのようなものであったりとかするのだが、そういった要素をひとつにまとめあげ、一連の物語としての流れを形作るという創作の仕方はすばらしいと思える。たぶん、この連載を始めようとしたときも、きっちりと結末を考えずにある程度見切り発車であったのではないかと思えるが、それゆえの前半部分のすばらしさといえるのかもしれない。

 何はともあれ、完成度は高くなくとも、ミステリ史に残る傑作のひとつであると思われる。ただ、数年経ったら、やっぱり後半の展開についてはスッパリと忘れてしまうのだろうなぁと。


閉じ箱   6.5点

1993年10月 角川書店 単行本
1996年01月 角川書店 角川ノベルス
1997年12月 角川書店 角川ホラー文庫
2018年03月 角川書店 角川文庫

<内容>
 「氷雨降る林には」
 「陥 穽」
 「けむりは血の色」
 「美樹、自らを捜したまえ」
 「緑の誘い」

 「夜は訪れぬうちに闇」
 「月の下の鏡のような犯罪」
 「閉じ箱」

 「恐 怖」
 「七色の犯罪のための絵本」
  「赤い塔の上で」「黒の集会」「銀の風が吹き抜けるとき」「白の凝視」「ラピスラズリ」「緑の沼の底には」「紫は冬の先ぶれ」

 「実 験」
 「闇に用いる力学」
 「跫 音」
 「仮面たち、踊れ」

<感想>
 最近の竹本作品文庫化の流れで購入した作品。以前、角川ノベルス版で読んでいたのだが、感想等を書いていなかったので再読。竹本氏によるノン・シリーズ作品集。ミステリ、幻想ミステリ、ホラーというようなジャンルの作品が収められている。

 最初の5編はミステリ色が強い作品となっている。感触的には、江戸川乱歩などが書いていた戦中、戦後ミステリ作品のような色合いが強く、特に「陥穽」はその趣が強い。その「陥穽」は、過去の事件が現在の語り手たちへと結びつくように描かれているのだが、ラストまで目が離せないものとなっている。自分探しの旅の顛末を描いた「美樹、自らを捜したまえ」や、森と絵画と毒を用いて描く「緑の誘い」などもそれぞれ読み応えがあった。

 中盤の作品は短めのホラー系幻想小説といった感じ。それぞれ綺譚というような感じで、きっちりとした結末が付けられているわけではなく、それゆえに個人的には印象に残りづらかった。

 最後の四編はどれも“佐伯千尋”という名の登場人物が登場する作品。ただし、あくまでも同じ名前を使用しているだけで、同一人物ではない。ただ、個人的になんとなく最後の「跫音」と「仮面たち、踊れ」の佐伯千尋が同一人物のような感覚で読むことができたせいか、ちょっと不思議な余韻を残すこととなった。4編ともそれぞれ異なる内容の作品ではあるが、そのどれもが味わい深い。


ウロボロスの基礎論   6.5点

1995年10月 講談社 単行本
1997年09月 講談社 講談社ノベルス
2018年05月 講談社 講談社文庫

<内容>
 作家・竹本健治の手により「ウロボロスの偽書」に続く、新しい実名小説「ウロボロスの基礎論」。そんな竹本健治や、有名ミステリ作家らが巻き込まれたのは“うんこ事件”。これは昔、京都大学ミステリ研の部室で起こった事件。本の上に大便が置かれていたというもの。それと同じ連続“うんこ事件”の犠牲者になるミステリ作家たち。さらには、惑星に関わる名前が付けられたものたちが集まる屋敷にて殺人事件が! その事件を解こうとした探偵の消失、そしてさらなる殺人事件。これら全ての事件の行く末は・・・・・・

<感想>
 決して整合性がとられた作品ではないのだが、その整合性がとられていなくても強引に話をつなげて、それっぽいミステリに仕立て上げてしまうという強引さに心惹かれる。これはもうミステリというよりは竹本氏による“ウロボロス”という新ジャンルとして楽しんでよいものと思われる。

 どうやらこの作品、あまり先行きを考えて作り上げているものではないようで、行き当たりばったりで書き上げているよう。ゆえに、最初は著者の竹本氏が書いたパートに前作「ウロボロスの偽書」で出てきた“俺”という存在が顔を出し始めるものの、それがいつしか姿を消してしまったりと、全体的な構成については微妙と思われるところが多々あった。

 それでも本書では“事件”というものに関しては二つに絞られているので、その点に関しては読みやすい。ひとつは京都大学ミステリ研に伝わるという“うんこ事件”。そしてもうひとつは、とある屋敷で起こる連続殺人事件を描いたもの。基本的には、これらが二つの話が交互(というわけでもないが)に物語が展開していくように書かれている。そしてやがて二つの事件が交錯していくこととなる。

 ちょっと気になったのは、事件に関係ない事柄が多々ページを割いて書かれていること。これこそが“ウロボロス”であり、そういう作風だと言われれば何も言えないのだが、連載といく形式がとられているゆえに、ページを埋めるためにただ書かれているという印象が個人的には強い。そういったところは人によって好き嫌いがわかれそうな感じがする。

 ただ、この「ウロボロスの基礎論」、「ウロボロスの偽書」と比較すると、最終的な結末の付け方がずいぶんと綺麗にまとめられているなと感じられた。決して全体的な整合性が取れて、うまく書かれているというほどではないものの、本書はそれなりにうまくまとめられたミステリの体裁がとられている。それゆえに「偽書」に比べると、取っ付きやすくわかりやすい作品と言う風に捉えられる。まぁ、ひょっとすると綺麗にまとめあげられているほうが“ウロボロス”らしくないという意見もあるかもしれないが。


風刃迷宮   4点

1998年02月17日号〜11月24日号 「女性自身」連載(風祭りの坂で)
1998年12月 光文社 カッパノベルス

<内容>
 智久は「僕はどこにでもいるんだよ」と、謎めいた台詞を口にした。インド古代遺跡での火災事故、六本木路上での殺人、巣鴨での質屋の女主人の失踪。まったく関連性が見えず、次々におこる事件に、若き天才囲碁棋士・牧場智久の影がちらつく。智久本人は大事な対局を控え、ほかのことを考える余裕はないはずなのに・・・・・・。智久の姉・典子をも巻き込んだ、面妖な事件の真相は何処に?

<感想>
 まったく話の中に関連性がみえず・・・・・・全体を通してよく分からなかった。何がなんだか。待ちに待った牧場智久ものだったのに、こんなんではちょっと・・・・・・


フォア・フォーズの素数   5.5点

2002年07月 角川書店 単行本
2005年10月 角川書店 角川文庫
2018年06月 角川書店 角川文庫(新装版)

<内容>
 「ボクの死んだ宇宙」
 「熱病のような消失」
 「パセリ・セージ・ローズマリーそしてタイム」

 「震えて眠れ」
 「空白のかたち」
 「非時の香の木の実」

 「蝶の弔い」
 「病室にて」
 「白の果ての扉」
 「フォア・フォーズの素数」

 「チェス殺人事件」
 「メニエル氏病」
 「銀の砂時計が止まるまで」

<感想>(再読:2020/03)
 単行本で読んだ作品を新装版にて再読。この作品集については、あまり覚えておらず、しかも印象に残った作品もほとんどなかったような(そんなわけもあり再読)。再読してみて納得、全体的にノン・シリーズの幻想的なちょっとした作品というようなものが多いからであろう。

 特に最初のほうは“ぼく”というような一人称で語られる作品が多く、その主観となる人物のちょっとした体験が描かれている。ちょっとしたといっても、SF的なスケールの大きなものから、ホラーのようなものまで色とりどりに描かれている。ただ、結末があいまいなものが多いせいか、ほとんどが印象に残りづらい。

「非時の香の木の実」は、二台のビデオでダビングするさいに、互いの入出力をつなぐとどうなるかというものをSF的に描いている。青春小説っぽく読むことができ、発想も面白い小説なのだが、最後がスプラッタ調になってしまうのはいかがなものかと。

「白の果ての扉」は、“スピードの向こう側”ならぬ、“カレーの向こう側”を描いた作品。カレー好きが興じて、カレーのうまさと辛さの究極を求めてゆくという作品。本書のなかでは一番印象に残る、というか残りやすい。

「フォア・フォーズの素数」は、理数系成長物語とでも言いたくなるような小説。ただ、これまた最後に普通に良い話で終わらせないところが、この作品集らしいと言えるのかもしれない。

「チェス殺人事件」は牧場智久シリーズ、「メニエル氏病」はトリック芸者、「銀の砂時計が止まるまで」はバーミリオンのネコとシリーズものが最後に3作続けられる。ただ、どれもシリーズを続けて読んでいるものとしては、やや読み足りない。

 そのなかでも「チェス殺人事件」はチェス愛好家が殺され、二人の容疑者が用意されるというものであるが、結末が曖昧過ぎて、微妙としかいいようがない。きっちりとした結末をつけてもらいたかったところ。「メニエル氏病」は、面白く読めたのだが、壮大なSF過ぎてあまりにも外伝的な内容。「銀の砂時計〜」は、ネコが未知の惑星で出会ったひとりの少年との邂逅を描いたものであるのだが、この終わり方だと、少年に対してあまりにも救いようがない気がしてならなかった。


<感想>
「閉じ箱」以来の待望の第二短編集なのであるが、ひととおり読んでみて短編集という呼び名はどうであろうと思った。どちらかというと選集のような感じもする。確かに単行本という形では初出のものが多いのだろうが、いくつかは他で読んだことのあるものだった。特に、的場智久ものの「チェス殺人事件」、トリック芸者もの「メニエル氏病」、ネコの作品からの「銀の砂時計が止まるまで」らが入っているのはどうかと思う。的場智久ものとネコの作品はもともと別の形でまとまっていたものであるし、トリック芸者ものは別の形として作品集を出してもらいたいものである。

 そんななかでも題にもなっている「フォア・フォーズの素数」はすばらしいできだと思う。数字群からなる作品とそこにひそむ少年たちの感情、そして話の展開となかなかにすぐれた作品である。今回は「閉じ箱」がホラー的な要素が強かったのに対してSF的な要素が強かったと思う。それであれば、その辺に統一して優れた作品を列挙してもらいたかった。これで第三弾をまた長い間待たねばなるまい。




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