再選定した平成の奇書はこの三冊!
「生ける屍の死」 山口雅也
「ジョーカー」 清涼院流水
「匣の中」 乾くるみ
この三冊を挙げたい。あらかじめ言っておきたいのは、あくまでも“奇書”という選定であり、どれもが手放しで面白い作品というわけではない。では、何故奇書なのかという選定理由を踏まえながらそれぞれの作品について見てゆきたい。
「生ける屍の死」 山口雅也(東京創元社 1989年10月)
選定期間ぎりぎりの平成元年に登場した作品。山口雅也氏のデビュー作。こちらは本格ミステリの名作として推す人も多いかと思われる。ただ、実際に読んでみると、肝心のミステリ部分とは関係のない描写が何気に多い。この作品、著者からすれば単にミステリを書いたというわけではなく、自分が興味を持っていることに対し、色々と調べ、そして考察し、その結果を作品として世に送り出したかったのではと勝手に考えてしまった。実はミステリ部分さえも添え物ではないかと。
とはいえ、その書きたかったであろう“死”というテーマとミステリをきちんと融合させたことにより、ミステリとしての完成度が高いのは事実・・・・・・なのだが、やっぱり“死”というものやその他もろもろについてが多いな・・・・・・と感じてしまうのもまた事実。
そんなわけで単なるミステリにとどまらない、“死”をテーマに書き切った作品ということで、ここに選出。
「匣の中」 乾くるみ(講談社ノベルス 1998年08月)
タイトルから想像できる通り、竹本健治氏の「匣の中の失楽」のオマージュといってもよいような作品。しかしその実、一見似てはいるものの、その中身は全く違った様相をていしたものとなっている。
ミステリっぽいタイトルでミステリっぽいことを行っているが、ミステリとしてのみ見てみると、それがやや薄っぺらい・・・・・・というか、実はあまりミステリしていないような・・・・・・。密室殺人事件が次々と起こる内容であるにも関わらず、ミステリっぽくないと言い方もあれなのだが。
その代り、ミステリとしての肝心な部分を置き去りにして、博覧強記とも言える占星術とか物理学などの描写がてんこ盛り。それらをミステリの解に結び付けようとしているようだが、読んでいる方はちっとも納得がいかない。それでも困惑する読者を置き去りに独自の世界観の中へと突っ走りきる様子は見事だなと。
そして印象的で風変わりなエンディング読んだ際には、あぁ、これは奇怪な書だと。
「ジョーカー」 清涼院流水(講談社ノベルス 1997年01月)
個人的にはこの著者の作品については、あまり評価していない。デビュー作「コズミック」はまだ許せたが、2作目であるこの「ジョーカー」という作品からは、ミステリとしてほとんど評価していないといっていい。ただ、そうした個人的背景があるにもかかわらず、ここにこの作品を挙げたのはそれなりの理由がある。
この作品が出た当時は、あまり深く考えることはなかったのだが、今となってみると、実は小説界にそれなりの影響を与えた作品ではないかと思えてしまうのである。それはこの本が示す
“たとえミステリのような形態の小説として書き表していても、必ずしもミステリとして解決していなくてもよい”
という考え方。清涼院氏の作品はこの「ジョーカー」だけでなく、様々な作品で、超人的な独自の推理法を持ち合わせた名探偵と呼ばれる人たちが登場している。そして、その名探偵たちが各地で起こるとてつもない難解な事件に立ち向かうこととなる。しかし話が終わってみると、「何々推理法って、結局なんだったんだ?」とか、「名探偵がたくさんでてきただけで機能していないじゃないか」とか、「結局結末はなんだったんだ?」などといった感想しか湧き上がってこない。
しかし、こうしたことは裏を返してみてみると、通常書くのが難しいとされる推理小説であっても、その解決部分をあいまいとしても良いのであれば、小説を書くためのハードルが下がるのではないかということ。つまり、それっぽい人々を登場させたキャラクター小説という設定のみでも、“小説としては成り立つ”、ということを実践したものではないかと考えてしまうのである。
この清涼院氏の作品に影響された人がどれだけいるのかはわからないが、清涼院氏以後のメフィスト賞作品や、後のライトノベル・ブームにも一役買ったのではと勝手に想像せずにはいられなくなってしまうのだ。
何度も否定しつつも、その探偵の設定の魅力や、ひょっとするといつかすごいミステリ作品を書くのではないかと、なんども清涼院氏の新刊を買っては裏ぎられ・・・・・・という行為を繰り返した私にとっては、その始まりの書ともいうべきこの作品こそが平成の奇書と言えよう。
と、三冊選定してみたものの、ちょっと反省点。ここに挙げた三冊のうちの二冊「生ける屍の死」や「匣の中」は、最近読んだという事もあり、それゆえ挙げたてしまったという可能性も無きにしも非ず。本当は、奇書選定した作品を10冊くらい集め、再度読み直して、という作業が必要であったかもしれない。特に前回の選定で挙げた皆川博子氏の「死の泉」や麻耶雄嵩氏の「夏と冬の奏鳴曲」は長らく読んでいないので、これらを最近読んでいればまた選定内容も変わっていたかもしれない。
ということで、やや不完全ではあるが、とりあえず今個人的に思う平成の奇書だということは間違いないので、ここに挙げて起きたい。今後色々と読み直して、また考えが変わることがあったら、再度選定し直してみるのも良いかもしれない。ということで、次に元号が変わるころには“平成の奇書”と“令和の奇書”を両方とも・・・・・・などと軽く述べるのは慎んでおくべきか。