<内容>
推理小説家志望の氷川透は久々にバンド仲間と再会した。が、参会後外で別れたはずのリーダーが地下鉄の駅構内で撲殺された。現場は人の出入りなしの閉鎖空間。容疑者はメンバー全員。さらに連鎖する仲間の自殺!? 隠された真相とは??
<感想>
登場人物も明確にされ、謎もわかりやすく提示され、つい自分でも犯人を考えずにはいられない、という書き方がなされている。たいがいの小説はあまり犯人を考えることもなく読み進めてしまうことが多いなかで、この本は読者に犯人を考えさせるように書かれている、と思えた。最終的な論理による解決もなかなか見事で、読みながらなるほどとつい、引き込まれてしまった。
しかし、あらを捜せば、あいまいな点も多く、特に最初の和泉の殺人では、なぜこんなところでとか、和泉はなぜ戻ってきたかとか、どうやって和泉を殺害したかとか不明な点も残る。読者はこれらのことを考えて推理を組み立てるとどうしてもいきづまってしまうのではないかと思っていしまう。だから解決の部分も少々都合がよすぎるのでは? とも思えた。
そうやってほじくっていけば難点はあるものの、論理性に感心できるところも多く見受けられ、楽しみながら読み進められたのは確か。こういう路線でこれからも小説を書いてもらえたらと期待せずにはいられない。
<内容>
6階建ての出版社のビルで深夜に起きた殺人事件。事件発覚後、電話は外に通じず、ドアは外側から閉ざされ、中にいる者は外へ出られず、助けも呼べない状況。ビルに閉じ込められたのは、推理作家・氷川透を始め、編集者と外部の業者、警備員、合わせて8名。死体は2階のフロアで発見されたものと、エレベータの中で発見された2つ。ビルに残された8名のうち、誰が犯行を行うことができたというのか?
<感想>
もう16年前の作品であるのが、感想を書いていなかったので再読。近年、こういった作品が書かれることは少ないので、久々に新本格ミステリらしい作品を堪能することができた。タイトルにある“密室”と“パズル”という言葉が出てくるだけでも、本格ミステリファンであれば、心揺さぶられるはず。
本書での事件は逆密室と本文中で呼ばれている。つまり、外部の人が入ることのできないビルのなかで殺人事件が起き、ビルのなかに生存する8名のうち、誰が事件を成しえたのかを推理するものとなっている。事件は二人の人物が刃物により殺害されており、片方の人物が死の間際に犯人の名前を言うのだが、それがもうひとりの被害者の名前。さらには、死体が発見されたエレベータは6階から降りてきたものであったのだが、その6階は階段から入るルートは施錠されており、エレベータでしか行くことができない。そういった複雑な状況のなかで、推理作家や編集者たちの推理が展開されてゆく。
この作品では、事件が起きる前に推理作家と編集者たちによるミステリ談義がされており、短いページ数ではあるが、それが興味深い。その議論を追うように、実際の殺人事件に対する“フーダニット”がなされてゆくこととなる。ただし、本書は、“密室”とか“フーダニット”とかいうよりは、何気に“アリバイ崩し”のミステリであったなと。
再読故にか、なんとなく結末が読めた! と思っていたら、見事に作者にひっくり返されてしまった。結局再読でも騙されてしまった模様。前述したが、こういうミステリを書く人が少なくなったので、是非とも氷川氏には頑張ってもらいたいところだが、もう10年以上も新作が発表されていない。覆面作家に近い存在であった故に、現在どのような状況下にあるのかわからないのだが、その行方は如何に??
<内容>
女子大のゼミ室から学生が消え、代わりに警備員の死体が。当の女子大生は屋上から逆さ吊りに。居合わせた氷川透はじめ目撃者は多数。建物出入り口はヴィデオで、すべてのドアは開閉記録で見張られる万全の管理体制を、犯人と被害者はいかにかいくぐったか?
<感想>
まだ三作目ではあるが、あいかわらず奇抜な事件を提示してくれる。しかも今回は、ただの事件としてではなくゲーデル問題を取上げ、その問題とがぶり四つに組んだ状態での論理合戦が繰り広げられる。
それにしても氷川氏が提示する事件の謎はおもしろく、状況的に無茶な気がするとはいえ、ついつい考えさせられてしまうようなものになっている。これは読者を楽しませてくれるし、こういうものを読みたいと願う読者も少なくないのでは?
ただし、論理的な解決によって明らかにされる解答は少々難解(というか突飛)。どうも素直に頷けない点などもある。しかしながらゲーデル問題というものに取り組んだ意欲作ということでは、十分成功しているのではないだろうか。そのへんの作者のどういうものを書きたかったかという意図は確かに伝わってくる。それに、読む側も楽しんで読めたことに間違いはないのだから。
<内容>
病院内の面接室で身元もわからないほど焼け爛れた死体が発見された。人の出入りが明瞭な現場からなぜ出火したのか。その直後にも警察が取り囲む敷地内から新たな業火が。目まぐるしい展開を上回る速度で推理小説家志望の氷川透の頭脳が回転する。その夜、論理だけを武器に明かされる驚愕の結末とは!
<感想>
法月綸太郎に次ぐ悩める作家となるか? 氷川透。「最後から二番目の真実」から本書と、パラドックスに悩んでいるような記述が見られるが、そんな悩みとは裏腹に強引に事件に関わり、都合よく巻き込まれてゆく。構成は前作「最後から二番目の真実」と同様な様相。不可解な事件が起こり、それを論理的に解決して行くというもの。ラストの解決シーンは飲み屋で行われ、西澤保彦氏の小説をほうふつさせるような感もあるが、それとはまた一線を画しているものにはなってはいる。
論理的推理は穴があるようでないような・・・・・・まぁ少々あやふやにもとれるような気がし、唯一の解決というように強く納得させるには不十分のような気もする。しかし、アルコールの容器に着目した推理の展開にはなかなか目を見張るものがあり、そこから犯行可能な人物が搾り出されるという点については驚嘆させられる。私的には本格推理として十分及第点が与えられる納得のいくものと思える。
<内容>
おれは彼女のストーカーになった。彼女の全てを知るために後をつけ、盗聴器も仕掛けた。あるとき彼女がある男のことで困っていることを知る。そこでおれは彼女の故郷のS市を訪れることにした。
わたしは不安でならない。誰かにつけ狙われているらしい。あの男のことも気になって仕方ない。それではらちがあかない。思い切ってS市に行くことにした。
S市ではあの男が家の中で殺され、さらにおれの会社でもひとりの男が命を落としていた・・・・・・
精緻と変幻のあわいに読者を落とし込む気鋭の快作登場!
<感想>
読み始めるとすぐに、これは叙述トリックによって何らかの仕掛けをしているのだろうということがわかる。どんな仕掛けか暴いてやろうと考えつつ、疑いをもって読み進める。しかし、どんなトリックなのかは結局わからずラストへと・・・・・・。うーーん、なるほどそういう仕掛けか。思わず、最初のページに戻り読み直してみる。確かにそういうふうに書かれている。こういう書き方というのもあるのかと感心するしかない。
しかし“先入観”によってこうも印象が変わってしまうとは・・・・・・
これは、人によってはトリックがわかる人もいるのかもしれないが、わからないほうがかなり楽しめるのではないだろうか。気づかずに読み進められることを祈るのみ。なお、内容に関しては普通である。要はこのトリックにおける一冊と言ってよいであろう。
<内容>
殺される前も後も室内には被害者ひとりきり。左右の廊下には複数の人間が、非常口の前には監視カメラが出入りをずっと見張っている。こうして密室状況は作りだされた。一見平凡な殺人事件は、論理的に不可能犯罪へと飛躍したのだった・・・・・・
<感想>
氷川氏お馴染み、論理的推理によって犯人を指摘しようという試みがなされる。今回は論理的な密室というものを取り上げている。部屋自体の施錠はされていないものの、その部屋から出て行くには必ず人がいる通路を通らなければならないというものである。設定はわかりやすいので、ついこちらも論理的推理に参加して犯人を当ててみたくなる。
そして結末で一つの解答が提示されるものの、それにはどうも首をひねりたくなってしまう。解答においては犯行は衝動的なものであろうと推理される。それはよい。しかしながら、そのような状況で犯人が計画的であるかのように逃走できるのだろうかと考えてしまう。また、結局のところA地点からは犯人は部屋に出入りするところを必ず目撃できるようにも思えるし、B地点とC地点同志は互いに見通すことができるようにも感じる。こちらで考える際には、それらをどのように説明付けるかという点において考えていたのだが、解答においてはそういった点には着目せずに進められているのでどうしても不満が残ってしまう。
解答における“携帯電話”に着目した論理の成立のさせ方というのは面白く感じられた。たぶん本書はこの論理の成立により書かれたものだといってもかまわないのだろう。とはいうものの、それだけの点に着目して、他の部分はおざなりにして解決してしまうのはどうかと感じてしまう。
結局のところ、本書においては、その論理的解決を完成させるための“問題”のほうに欠点があったのではないだろうか。ひょっとすると不可能性が薄れてしまう可能性ものあるが、A地点とB地点をせめて角を曲がったところに置いたほうがよかったのではないかと思う。
なんだかんだと文句を付けながらも、これだけ考えさせてくれる推理小説というのも最近ではめずらしい。あれやこれやと言ってしまうのもファンならではの、もしくは読んだものの特権であろう。これからも氷川氏の論理的展開ゆえに、考えさせられる推理小説というものを期待していきたい。
<内容>
“ぼく”(リョウ)は高校で軽音楽部に所属しておりピアノを担当している。ある日、その軽音楽部の部員の女子が部室内で首吊り自殺をはかり死亡した。彼女ピアノを踏み台にして自殺したようなのだが、自分が担当する楽器を足蹴にするのはおかしくないだろうか? ぼくは事件に興味を持ち、真相を調べてみることにした。そんな僕が何か困ったことがあったとき、頼りにするのは、変わり者の用務員・各務原氏であった。
<感想>
タイトルからしてチェスタトンを意識したものであるとういうことは理解できる。では、内容はどうかというと中味まではチェスタトン張りというには物足りない気がする。確かに、それらしい“逆説”っぽい語りなどが挿入されて入るものの、かなり軽めのものとなっている。逆にいえば、チェスタトンを読む、前段階としては本書は最適なのかもしれない。どうやら全体的にやや若年層を狙った本にしたのかなという印象がある。ちょっとした学園推理物ということで、理屈っぽい高校生男子なんかにお薦めである。
以下2点ばかり思うところがあったのでネタバレ反転で。
<その1.逆説について>
前述したように、本書は“逆説”というものを用いたにしては、それが軽すぎるような印象がある。しかし、よく考えてみると本書では大きな逆説を提示しているのではないかと思われる。それは何かというと、
「男の主人公に好意を持つ美少女が出てきたからといって、ラブコメになるとはかぎらない!」
という“逆説”(逆説ってほどでもない?)である。
読んでいるときは、本書における一ノ瀬という少女が登場する意味合いがわからなく、かえってじゃまな存在に感じられた。しかし、ラストまで読むと、この一ノ瀬という少女の存在意義が浮き彫りにされる。これがある意味、本書のメインとも言えると思うのだが、著者はこれを逆説として表したかったのではないかと考える。
<その2.登場人物について>
本書で気になることの一つは登場人物表に「ひとりだけ重要な人物が抜けている」と書かれていることである。そしてこの意味はラストにて明かされる。最初、そのラストを見たときには、主人公が二人いて交互に登場しているのかと思い、最初から読み返してしまった。しかし、そういったトリックは一切用いられていないようである。それならば、この登場人物の表記にいかなる効果があったのだろうと疑問に感じてしまう。それは決して最初から最後まで引っ張るような類の問題ではないだろう。
ただ、ここで深読みをして考えてみると、これは次回作を予兆するものと考えることはできないだろうか。実はこの作品はシリーズとして続くことになっていて、次回作は別の主人公の視点によって語られるのではないかと予測する。これは森博嗣氏の“Vシリーズ”の1作目「黒猫の三角」と似たような趣向ではないかと思う。・・・・・・とまでいうのは考えすぎなのだろうか。
<内容>
女性を狙った連続殺人事件が起こる。犯人は女性を殺害した後に、その足の小指を切り落とし、さらに足に赤い靴下を履かせるという行為を続ける。そして警察はその行為に関する重要な事実を突き止めるのだが・・・・・・
<感想>
前作「各務原氏の逆説」に引き続き、てっきりライト系の作品かと思っていたのだが、本書はなんと警察小説という形式をとった作品となっている。といっても警察の捜査のみで事件が解決されるというわけではなく、そこにはきちんと(?)変った名探偵のご登場と相成っている。ちなみに本書で登場する探偵は「最後から二番めの真実」にも登場していた祐天寺美帆。
本書を読んでの感想なのだが肝心な部分はちょっとわかりにくかったという印象。論理的というよりは理屈っぽいとでもいうべきか。また、本書において論じられる焦点が作中の推理小説を読んだ印象によって語られているという事も伝わりにくい要因のひとつではないかと思われる。
レベルとしては今年のカッパ・ノベルスの登竜門から出版された警察小説と同レベルではないだろうか(女性捜査官が主人公という事でつい比べてしまった)。とはいえ、この先続編が出てシリーズとして続きそうなのでこの先のさらなる活躍を期待したいと思う。
<内容>
栗林晴美はサッカー部のマネージャーをやっていた。無気力な性格にもかかわらずマネージャーをやることになったのは、サッカー好きの兄せいで、生半可なサッカーの知識を持っていたため。
その彼女が所属するサッカー部もインターハイを目前に控え、各選手それぞれ調整に余念がなかった。しかしある日突然、サッカー部のエースストライカーが失踪するという事件が起きる。やがて彼は死体で発見されることに・・・・・・。失踪する前の夜、彼はグラウンドに残り、フリーキックの練習を何者かと一緒にやっていたというのだが・・・・・・
<感想>
まだ2005年も始まったばかりでこんなことを言うのも何なのだが、これは今年のワーストミステリーと言いたくなる様な作品であった。
本書はどのようなタイプのミステリーとしても成立していないと感じられた。事件が起きてもその周辺の状況がきちんと説明されることなく、事件自体とは直接関係のない事象から強引な推理によって犯人が指摘されている。そこではチェスタトンの有名なトリックのひとつが使用されてはいるものの、さほど有効に使われているようには思えなかった。そして、その動機についても決して納得がいくとは言い難いものであった。
また、主人公のスタンスも微妙であり、その感情の推移も事件に対する姿勢も理解しづらかった。それであるならば、前回の語り手“桑折亮”をそのまま使えば良かったのではないだろうか。また、逆に主人公として用いなかったために“桑折亮”の存在が妙に浮いてしまい、存在意義が薄れるどころか、かえって邪魔であったように感じられた。
このような内容であるならば、殺人事件など起こさずにサッカー小説としたほうがよほど面白かったのではないだろうか。というほど、著者のサッカーに対する情熱だけは感じることができた作品である。