<内容>
津村沙世子・・・・・・とある地方の高校にやってきた、美しく謎めいた転校生。その高校には十数年間にわたり、奇妙なゲームが受け継がれてきた。三年に一度、サヨコと呼ばれる生徒が、見えざる手によって選ばれるのだ。そして今年は、「六番目のサヨコ」が誕生する年だった。その選ばれたサヨコはある指名をおびるのだが・・・・・・
<感想>
一冊の本の中に多数のアイディアが詰まっている。この作品は章がおおまかに、春の章、夏の章という具合に四季に分かれている。春の章を読み進めていくと、ここでもう話の大筋が終わってしまうのではないかなどと考えてしまった。それが、夏、秋と予想もつかない展開で見事に話が進んでいくのだが。
話が進んでいってもどのような展開になるか先が見えない点が楽しめた。そしてその展開は、引き継がれるサヨコ、うたごえ喫茶、学園祭初日の芝居といったさまざまなアイディアによって引っ張られていく。そして明るい登場人物達によって、必要以上に暗くならず、学園生活として踏みとどまっている点も自分の好みであった(あまりホラーしすぎると、現実離れしてしまうので)。
学校という舞台の中で、さまざまな演出家達によって、打ち合わせのない学校生活という芝居が彩られてゆく。それらが普通の学園生活に比べれば過剰ながらも、ある程度現実に踏みとどまった形で見事に高校三年生の一年間が演じられる。これは実に素晴らしい舞台ではなかろうか。
<内容>
四つの高校が居並ぶ、東北のある町で奇妙な噂が広がった。「地歴研」のメンバーは、その出所を追跡調査する。やがて噂どおり、一人の女生徒が姿を消した。町なかでは金平糖のおまじないが流行り、生徒たちは新たな噂に身を震わせていた。何かが起きていた。退屈な日常、管理された学校、眠った町。全てを裁こうとする超越的な力が、いま最後の噂を発信した!
<感想>
話の中に超自然的なものが出てくるものの、行き着くところは普通の高校生達の不満、不安が拡大して行く様が描かれる。普通の高校生らしく、まじないをしてみたり、妙な噂が流れたり、それを調べるものが出てきたり、といった風景が流れて行く。唯一特殊なのが、地域性だろうか。周囲から隔絶した田舎であり、テレビでは都会の風景というものを嫌というほど見せ付けられる。周りの大人を見ることによって、そのまま大きくなっただけという、やがては彼らが辿るであろう希望のない様を目の当たりにされる。ここから出たいとか、向こう側へ行きたいとかいう思いが、肥大して一つの力が形成されてしまう。現実と違うのが、向こう側というのが本当に“向こう側”といったところなのだろうが。
高校生、小中学生のみならず、大人でも感じる先行きの不安、または見えてしまう先行き。平穏な日常で暮らしているからこそ溜まってゆくなにかかそこにはある。そして溜まったものを吐き出そうとして、ある一線を越えてしまう人々もいる。そのとき人々は言う、“もう後戻りできない”と。
余談であるが、最初に追跡調査をしていたときに“口裂け女”の話が出てきたが、あれって100年後ぐらいには民俗学という分類によって研究されるのだろうか?(現在でも研究されてそう)
<内容>
「あなたは母の生まれ変わりです」大学教授秘書の古橋万由子は、二十五年前に変死した天才画家高槻倫子の遺子である高槻秒にそう告げられた。発端は彼女の遺作展会場で、万由子が強烈な既視感に襲われ、「鋏が・・・・・・」と叫んで失神したことだった。実は、倫子は鋏で首を刺されて殺されたのだった。万由子は本当に倫子の記憶を持つのか?
その倫子に秒は倫子に頼み事があるのだと。それは秒はもじき結婚することになり、家を片付けていたときに母、倫子の遺言が見つかったというのだ。そこには伊東澪子、矢作英之進、十和田景子、手塚正明にそれぞれ「犬を連れた女」「曇り空」「黄昏」「晩夏」という題名の絵を送って欲しいというものだった。秒はその絵を彼らに渡しに行くときに万由子についてきて欲しいと頼むのだったが・・・・・・
<感想>
全体像からいえばありふれたサスペンスのようでもあるのだが、読者をひきつけて行く仕掛けには感心する。四枚の絵がそれぞれ届けられた者たちの反応を見るというところなど、いやが上にもページをめくらざるを得なくなってしまう。仕掛けあり、伏線ありとただのミステリーにとどまらない構成になっているのは見事。
<内容>
鮫島巧一は趣味が読書という理由で、会社の会長の別荘に二泊三日の招待を受けた。彼を待ち受けていた好事家たちから聞かされたのは、その屋敷内にあるはずだが、十年以上探してもみつからない稀覯本『三月は深き紅の淵を』の話。たった一人にたった一晩だけ貸すことが許された本を巡る珠玉のミステリー。
<感想>
第一章は四人の好事家の前で屋敷内に隠された幻の本を探し出すことになる話。第二章は、幻の本の作者を探す旅に出る二人の女編集者の話。第三章は、自殺した二人の女子高生のうちの一人が残した手記をめぐる話。第四章はとある本を書こうとする話で三月の国と呼ばれる閉鎖された寄宿舎の話が描かれる。
これらはどれもが別々の話でありながら微妙な関係によって、ある意味結ばれているとも言える。その繋がっているか繋がっていないのかというギリギリの狭間にある秒妙さがこの本の特徴であるといえよう。そしてさらにその微妙さが全体をうまく一つの作品をまとめあげている。個々をとっても面白い四編の作品といえるものが一つの作品と呼べる巧な構成がこの本を成功させている。
ただ、もっと簡単にいえばこの物語は本好きの人が作家へと昇華して行くさまを描いているようにも見える。まさに本好きによって書かれた本であるというのはだれもが感じるのではないのだろうか。好感をもって読むことのできる作品である。
<内容>
膨大な書物を暗記するちから、遠くの出来事を知るちから、近い将来を見通すちから
「常野」から来たといわっる彼らには、みなそれぞれ不思議な能力があった。穏やかで知的で、権力への志向を持たず、ふつうの人々の中に埋もれてひっそりと暮らす人々。彼らは何のために存在し、どこへ帰っていこうとしているのか? 常野一族をめぐる連作短編集。
<感想>
今はもう忘れ去ってしまったものを、もう一度見つめなおすような・・・・・・なんというか、まぁそんな優しさがにじみ出ている作品。
ファンタジーのようであって、その中に残酷なリアリティーも存在する。そして登場人物が日々の生活の中で「常野」の一族という使命や力に目覚めていくというもの。
しかし、これはおもしろいのだが、この一冊では実に消化不良である。もっと読みたい!!シリーズものとしてもっともっと、書いてもらいたいものだ。
連作短編集とするならば、主人公をしぼってもらったほうが読みやすかったかもしれない。ただし、これ一冊で終りにせずに、もっと書いてくれるならばぜんぜん問題なし。
<内容>
引退した裁判官・関根多佳雄とその家族らが出会う様々な事件を扱った短編集12編。
「曜変天目の夜」
「新・D坂の殺人事件」
「給水塔」
「象と耳鳴り」
「海にゐるのは人魚ではない」
「ニューメキシコの月」
「誰かに聞いた話」
「廃 園」
「待合室の冒険」
「机上の論理」
「往復書簡」
「魔術師」
<感想>
感想を書いていなかったので再読。恩田氏の出世作・・・・・・だと思う。
本格ミステリ集というほどではないのだが、ハリイ・メケルマンの「九マイルは遠すぎる」風の作品が集められた短編集。引退した裁判官・関根多佳雄を主人公とし、彼と彼の家族が関わる様々な事件について語られてゆく。
最初の方の作品は、結末がどうともとれそうな終わり方をしていて、もやもやするものが多い。「給水塔」という作品は、結構内容が凝っており楽しめたのだが、もう少しきっちりとした結末を持ってきても良かったのではないかと感じられた。
後半に入ると、きちんとした幕引きになっているものが見られ、後の方の作品の方が楽しむことができた。連続殺人鬼を描いた「ニューメキシコの月」から、「廃園」「待合室の冒険」あたりがなかなか読み応えがあった。「机上の論理」は、他とはちょっと感触が違った内容にはなっていたが、これはこれで面白かった。あとは、最後の「魔術師」をもっときちっとした作品としてまとめてくれれば、いう事なしであったのだが・・・・・・
この作品以降も恩田氏の小説を結構読みはしたのだが、似たような趣向の短編集というのはなかったような。本書は、装丁も凝っているのだが、似たようなデザインの本は以降の恩田氏の作品になかったように思える。今後、恩田氏がこれと同じような装丁で出すとすれば、力作だという証明になりそうな気もするのでジャケットだけで判断して買ってしまいそう。
<内容>
耽美派小説の巨匠、重松時子が薬物死を遂げてから、四年。時子に縁の深い女たちが今年もうぐいす館に集まり、彼女を偲ぶ宴が催された。ライター絵里子、流行作家尚美、純文学作家つかさ、編集者えい子、出版プロダクション経営の静子。なごやかな会話は、謎のメッセージをきっかけに、いつしか告発と告白の嵐に飲み込まれてしまう。はたして時子は、自殺か、他殺か?
<感想>
恩田陸の本をすべてコンプリートしようと思っているので文庫になった機会に読んでみた本。というきっかけで読んだのであるが、内容の完成度のたかさと面白さに驚いてしまった。ひとつの屋敷だけで繰り広げられる、過去に起きた事件の追憶と推理。集まった女流作家たちの入り混じる感情。そして事件に対する推理と結末。
ひとつの屋敷の中だけの展開でありながら、かつ過去の一つの事件を掘り起こすというだけなのに、まったく飽きさせず読者をぐいぐい引き込んで行く。また、過去から現在にいたるまで親族でありながらもそれぞれの人物に嘘や打算が見え隠れする感情までもがうまく書かれている。そして過去に起きた事件に対してつけられた結末もきれいにまとまっている。ひとつのミステリーとして面白い試みながらもそれが成功している点には脱帽である。
著者の作品のなかの純然たる長編のなかではベストを争う一冊であろう。
<内容>
九州の水郷都市・箭納倉。ここで三件の失踪事件が相次いだ。消えたのはいずれも堀割に面した日本家屋に住む老女だったが、不思議なことに、じきにひょっこり戻ってきたのだ、記憶を喪失したまま。まさか宇宙人による誘拐(アブダクション)か、新興宗教による洗脳か、それとも? 事件に興味を持った元大学教授・協一郎らは<人間もどき>の存在に気づき・・・・・・
<感想>
じわじわ迫り来る恐怖がそら恐ろしい一冊。それがあまりにも日常に密接していて、いつのまにかそれらが周りにもそして自分にも! という間隔がひたひたとせまってくる。日常に近いところにありながらも被害妄想的な話でもあり、他の人に伝えることも出来ない。しかも自分が気づいたときには他の人たちはすでに・・・・・・
あまり事象を具体的に書かず、襲われるもの(というより囲まれるものとでも言ったほうがよいか)心情だけで描かれている恐怖。これはなかなか絶妙な書き方であろう。そしてそれがただ単に恐怖を描いただけではなく、そこになにやら懐かしさのようなものがぽっかりと穴を開けているような感覚におちいるのも本書の特徴ではないだろうか。
<内容>
伝統ある男子校の寮「松籟館」。冬休みを迎え多くが帰省していくなか、事情を抱えた3人が居残りを決めた。最近彼女とうまくいっていない美国。両親が離婚調停中の寛司。両親に死なれ、義理の母の保護にて生活を送る光浩。そしてそこに自宅から通う予測不能の行動をとる男、統。彼らが「松籟館」にて過ごす7日間のうちに、いつしかそれぞれ自らの本心や秘密を告白することになり・・・・・・
<感想>
本書の構成は「木曜組曲」や「黒と茶の幻想」と似ている。どのようなものかというと、何人かの少人数の固定された人たちが集まって、その人たちの思いや告白によって話が進められていくというようなもの。しかし、構成は似ているようでも内容としては全く別物に感じられてしまう。この辺はそれぞれの作品での登場人物の設定の違いのよるものであろう。さらには、著者による書き分けの手腕であるともいえるのかもしれない。
本書はミステリーというよりは少年たちがおくる青春絵巻とでもいったところか。学校の寮という普段は大勢の生徒が生活をなしていた世界が年末の帰省のために3人だけの世界となる。そこに自宅から通っているもう一人の生徒を加えての4人だけの生活が繰り広げられる。4人の少年は他の仲間に対するそれぞれの思いがあり、また皆がが自分のことで悩んでいるとう微妙な心持がうまく描かれている。部分的に見てみると結構どろどろとしている内容なのだが、少年ならではのはつらつさと4人という仲間による結束がそれらを打ち消し、爽快感のあふれる世界であるかのように描かれている。
<内容>
理瀬はその全寮制の学園に2月に転校してきた。本来ならば3月から始まる“三月の国”といわれる学園に2月に転校生が入ることはないはずなのに。そして2月に転校してきたものは学園に不吉をもたらすという言い伝えがあった。
その言い伝えのせいなのか、理瀬が転校してきてから学園に次々と不思議なことが起こり始める。失踪する生徒、逆に失踪していたはずなのに現われた生徒、さらには殺人事件までもが起こり・・・・・・
<感想>
とんでもないことが平然と起こる学園であり、数々の殺人事件が簡単に隠蔽され、本当にそんなにあっさり済ませていいのかと突っ込みを入れたくなる場面が多々ある。しかし、個人的にはそのあまりにも“創り物”めいた雰囲気が嫌いではなく、むしろその変った学園生活を好ましくも感じられた。
学園内で起こる数々の事件もその“創り物”めいた中に隠された何かのために起きたのだろうと思っていたのだが、そういうわけでもなく、あくまでも本書は主人公“理瀬”のための物語となっていた。個々の事件を突き詰めていけば、完全には解決されたとはいいがたい形で終わっているものも多々あるのだが、それは“創り物の世界での出来事”という解釈するしかない。
殺人事件が起こらなければ一風変ったお金持ち学校の寄宿舎生活が描かれた青春物語といってもよい内容である。しかし、そこで事件が起こるからこそ“変った学校”という部分がより引き立ち、ミステリーに華を添えることとなっている。少し浮世離れしたような変った小説であるのだが私的には好みの本であったりする。
<内容>
学校の体育館で発見された餓死死体。高層アパートの屋上には、墜落したとした思えない全身打撲死体。映画館の座席に腰掛けていた感電死体。
コンクリートの堤防に囲まれた無機質な廃墟の島で見つかった、奇妙な痛いたち。しかも死亡時刻も限りなく近い。偶然による事故なのか、殺人か? この謎に挑む二人の検事の、息詰まる攻防を描く驚愕のミステリー。
<感想>
「像と耳鳴り」の短編集の続きを読んでいるような作品。ただし短編としてなら2章までで終りにして、長編とするならばもっと書き足すべきだと思う。ページ数によるものか少々中途半端に感じてしまうのは残念であった。いい題材だし、おもしろいのに。
<内容>
夢に出てくる、あの女性はいったい誰なのか。そして現実にエドワードの前に現れるエリザベスという女性。初めて会ったはずなのに、決してそう思えないのはいったい何故・・・・・・
場所、そして時空をも越えて結びつけられる恋愛小説。
<感想>
時空を超えた恋愛小説というもののようだが、特にそこに根拠というものはないようだ。であるからして最終的には結局なんだったんだろうというように感じられた。果たして、ろくに記憶もないまま時を超えて、少しの時間だけ結び付けられた二人はそれでも幸せといえるのだろうか? それとも障害があるからこそ恋なのだろうか。よくわからない・・・・・・でも恋愛小説ってこういうものなのだろうか?
この本は文庫で読んだのだが、やけにいい紙を使っているなと最初に思った。なんでこんな紙を使っているのかと思いきや、各章の最初にその章の内容の元となっている絵画がカラーで掲載されている。これのために上質紙を使ったようである。で、その効果はどうかというと、物語が各章の扉絵に良くマッチしていると素直に感じられる。そこから考えると、なかなか練られた内容、練られた作りになっているということに気づかされる。
私は基本的にミステリーを主として読んでいるせいか、常に妙な疑いを持ちながら本を読んでいるのであるが、本書はそういったものは抜きにして素直に絵画から展開される世界と男女の二人の物語を楽しむべき本なのであろう。
<内容>
両親の離婚で別れて暮らす元家族が年に一度、集う夏休み。中学生の楢崎練は久しぶりに会う妹、母とともに、考古学者の父がいる中央アメリカまでやってきた。密林と遺跡と軍事政権の国。四人を待つのは後戻りできない<決定的な瞬間>だった。
<内容>
最果ての地に立つ白い建物。その中に入ると、建物の中で突然消えてしまった人々が数多くいるという。そのようないわく付きの建物の調査に旧友の神原恵弥から誘われて、時枝満は現地へと入ることになる。果たしてこの謎の建物の正体とは!?
<感想>
SF的な興味深い設定で楽しませてくれる内容である。しかし、こんな題材をよく思いついたなと感心しきり。ミステリー好きの人が多く集まって、このような内容のものを議題にかければさぞかし色々な意見が出てくるのではないだろうか。思い切って何かの企画とかで取上げて、読者公募するのも面白いかもしれない。
また内容のみならず、登場するキャラクターもなかなか興味深い。オネェ言葉を話す恵弥と冴えた小太り中年の満のコンビが味が出ていていい。著者もこのキャラクターが気に入ったのか現在、次のシリーズ作品として「クレオパトラの夢」という作品が刊行されている(この二人のキャラクターが出ているかどうかは確かめていないが)。たぶんこちらの作品も存分に楽しませてくれることであろう。
<内容>
関東生命八重洲支社では今日中に契約をとらなければ今月のノルマを達成することができない。そして契約は取れたものの、リミットタイムまであとわずか。時間までに契約書を持って帰ってくることはできるのか? 一方では関東生命が送るミュージカル「エミー」のオーディションが行われていて、また一方では彼女と別れるために従妹に協力してもらおうと考え、一方では次期ミステリ連合の部長を選出するための試験を行い、一方では来日中の映画監督がトラブルを起こし、一方では俳句のサークルのメンバーに会うためにはるばる東京へとやってきた老人がいて、そしてまた一方では爆弾を仕掛けようとする過激派たちが・・・・・・
彼等一同が時を同じくして東京駅に集まったとき、運命のドミノが矢継ぎ早に倒れていくことに!!
<感想>
ページを開くと登場人物の名前とプロフィールがずらっと列記されており、一瞬読むのを躊躇してしまった。しかし、そのプロフィールは読み飛ばして物語を読み始めても全く問題はない。話を読み進めていけば、特徴のある登場人物たち一人一人の特徴がすぐに頭に入ってくるようになっている。
本書は「ドミノ」というタイトルの小説なのであるが私が描いていたものとは若干印象が異なるものであった。私の想像では、一つの出来事をきっかけに、次々と他のもめ事などに影響をおよぼし、ひとつひとつ片付けた上で最終的になんらかの形で話が収まると思っていた。しかし、本書の内容は“ドミノ”というよりもむしろ“パニック”というような感じであった。思っていたよりも互いの人間関係や所有物の移動などが複雑にからみあう内容であり、一直線に事が進むというわけではなく、行ったり来たりの繰り返しというものであった。とはいえ、全体にただよう雰囲気はコミカルなものなのでタイトルはやはり軽快な感じがする“ドミノ”というほうがふさわしいのであろう。
とにもかくにもスピード感あふれる内容で、一気に読み通してしまうこと間違いなし! 旅行に持っていったら、現地まで行く途中に読み終わってしまうと思うので要注意!!
<内容>
目の前に、こんなにも雄大な森がひろがっているというのに、あたしは見えない森のことを考えていたのだ。どこか狭い場所で眠っている巨大な森のことを。
学生時代の同級生だった利枝子、彰彦、薪生、節子。卒業から十数年を経て、四人はY島へ旅をする。太古の森林の中で、心中に去来するのは閉ざされた『過去』の闇。旅の終わりまでに謎の織りなす綾は解けるのか・・・・・・
<感想>
読みやすくはあるのだが、読み進めづらかった。どうも物語の序盤は話が断片的すぎてショートショートの寄せ集めを読んでいるような気がした。せっかくの長編(連作短編でもない)なのだからもう少しテーマを絞っても良かったのではないかと思う。
それでも中盤にきて物語の焦点が薪生の周辺に絞られてきて一気に読みとおせるようになった。ただ、物語の大きなオチのようなものが第三章の結末で終わってしまっているような気がして、残りの第四章が蛇足に感じられた。もし、意識的にミステリーとして書いているのであれば、もう少し構成を考えてもらいたかったという気がする。
ただし、ミステリーとしてよりも一つの大河ドラマ的な小説としてみるならば、なかなか良い出来に仕上がっているのではないのだろうか。ある意味四人の男女の癒しが描かれていると考えれば良いのかもしれない。
<内容>
「春よ、こい」
「茶色の小壜」
「イサオ・オサリヴァンを捜して」
「睡 蓮」
「ある映画の記憶」
「ピクニックの準備」
「国境の南」
「オデュセイア」
「図書室の海」
「ノスタルジア」
<感想>
恩田氏のバラエティーあふれた作品集となっている一冊。
「春よ、こい」は恩田氏ならではの青春小説でありながら、SFチックな設定をからめ、にも関わらず最後はまた青春小説へと回帰しているという変った一編。
また、他の作品とリンクした「睡蓮」や「ピクニックの準備」なども恩田氏のファンにとってはたまらないと言ったところか。
さらには、ミステリー色が濃い作品も多く書かれている。屋外の密室を描いた「ある映画の記憶」。サスペンスタッチに描かれる「茶色の小壜」と「国境の南」。ホラーとノスタルジーを組み合わせた小説「ノスタルジア」。
他には戦争の情景を描きならも最後の最後で別のジャンルの小説へとひっくり返してしまう「イサオ・オサリヴァンを捜して」や、全編ファンタジーと言ってもよい「オデュセイア」などは変った小説となっており、これもまた見ものである。
ただ、何といっても恩田氏の作品とくれば青春小説というものも期待してしまう。そういった意味で一番恩田氏らしさが色濃く出ているのがタイトルとなっている「図書室の海」。今作ではこれをベストに押す人も多いのではないだろうか。
<内容>
秘密組織“ZOO”の中で特殊能力を持つ犬などの軍事兵器を開発していた伊勢崎博士はある日突然組織から姿を消してしまった。その博士の行方を追う“ZOO”の工作員たち。その工作員達は博士が日本に帰ってきているという情報を得て、以前の博士の家を見張る事に。その彼らの前に遥という名のひとりの少女が現われるのだが・・・・・・
<感想>
なんとなく、スティーブン・キングがもっとSFよりに作品を書くとこんな感じになるんじゃないかな、などと思って読んでいたのだが、あとがきを見ると実際にキングの「ファイア・スターター」を意識した作品であるそうだ。キーワードは超能力少女と犬。
本書は主人公を中心とした連作短編の形式で書かれている。その短編のひとつひとつには良い作品だと思えるものもあるのだが、全体的に見れば、展開が速すぎで事が大きくなりすぎと思われた。また、メインの設定と思えた“犬”の存在が結局は生かされぬままに終わってしまったのも残念なところである。
良い作品とは思えたものの、もっと小さな舞台の中で話をまとめたほうが良かったのではないかと感じられた。また、タイトル(こうじんどうじょ)から内容が読み取り難いのは商業的にどうかと思えた。宮部みゆき氏の「クロスファイヤ」くらい俗なほうがわかりやすいのではないだろうか。
<内容>
日本の近未来、膨大な廃棄物の処理に追われ夢も希望も持てない日々のなかで、生活を保障されたエリートとなるには「大東京学園」を卒業することが必要不可欠であった。そんな中、過酷な入学試験レースをくぐりぬけてきたアキラとシゲル。アキラは兄が大東京学園に入ったものの、その学園の唯一の脱走者となり、その後行方不明となっていた。アキラはそんな兄の行方を探るべく、この学園に入学してきたのだった。またシゲルにも入学するに当たっての目的があり・・・・・・
<感想>
近未来の日本における、エリート学校での学園生活を描いた反体制本。中身はまったく違うのだが、体制に反するという雰囲気がどことなく「バトルロワイヤル」を思わせるところがある。著者としてはSFにて「大脱走」を書きたかったようである。
SFにしては、やけにレトロな雰囲気を感じさせられる本である。こういう雰囲気は嫌いではないので、なかなか楽しく読めた。また、実直な主人公の少年らが悩みながら学園生活を過ごしていくという成長物語のような内容も好みのものである。少々ページは分厚いのだが、小難しい設定とかはほとんどないので、楽に読み通すことができる本である。
ただ、内容においては読了後いくつか不満を感じてしまう。まず、レトロな雰囲気というのはいいにしても、あまりにも“昭和”にこだわりすぎているのではと感じられた。確かにその“昭和”にこだわるというものがある種の伏線になっているといっていいのかもしれないが、もう少し近未来小説のスタンスというものをたもってもらいたかった。そしてラストにおいては、いくつかの問題が解決がなされないまま終わってしまったように感じられた。また、多くの登場人物が出てきたものの、あまりフォローがなされていなかったような気がする。もともとは連載形式で書いていた作品のせいかもしれないが、最後はあわてて終わりにしてしまったという印象が強い。よって、全体的な完成度としては微妙である。楽しく読めるのは確かなんだけど。
<内容>
時代が進み、時間遡行装置(いわゆるタイムマシン)が発明された。しかし、その発明により過去が大きく変えられてしまい、人類は絶望の危機を迎えてしまう。この事態に国連が率先し、過去の歴史を元に戻すという作業を行う事に。その介入ポイントの一つとして選ばれたのが日本の“二・ニ六事件”。歴史の改変を行う学者達と、その改変を行うために協力を求める事になったその時代の三人の軍人達。さまざまな思惑が錯綜する中、歴史の改変がスタートしたのだが・・・・・・
<感想>
今度はどのような作品が描かれているのかと思って読んでみたら、<二・二六事件>を用いての“SF小説”となっていることに、驚かされてしまった。
序盤は詳しい説明もなしに、いきなり“二・二六事件”の場面が展開されてゆく。しかし、その場面の中に時間が操られているかのような描写が盛り込まれており、本書はSF的な設定のもとに動いているということに気づかされる。それがどのような目的で“二・二六事件”が操られているのかというのは徐々にわかるようになってくる。
最初はSF的な設定の詳細もわからなぬままに“二・二六事件”が無理やり進められてゆくので、どういう話が展開されているのかわかりにくく、読み進めにくかった。しかし、上巻の中盤を越えて、像の全体が見えるようになってからは格段に読みやすくなっていった。
本書のような小説はタイム・パラドックスものと言えばよいのだろうか。行っていることは、タイム・パラドックスというよりも歴史が正しく流れるように調整しているというものなのであるが、最後まで読んでみるとやはり“タイム・パラドックス”という名称がふさわしいと思われた(どういう意味かは読んで確かめていただきたい)。
この本を読むと時間の調整というものはなかなか難しいということがよくわかる(当たり前のことかもしれないが)。時代に沿って流れてゆくはずが、ちょっとの行き違いで発生するトラブルや、人々の思惑によってあえてトラブルを起こしたりと、時間の調整というのも楽ではなさそうだ。ただ、本書の中で行われている計画の大きな目的は、あえてそのトラブルを見越すことによって、とある目的をなそうとしているのである。よって、時間の調整というよりも、その目的のための調整となっているのだが、この部分がよく考え込まれた小説であるといえるだろう。
まぁ、見るべきところも多々あり、面白く読めはしたのだが、こういう小説のことを“大山鳴動して鼠一匹”と表現するのかなと思わなくもない。
<内容>
学校でも有名な上級生の二人、香澄と芳野から毬子は演劇祭の舞台背景を一緒に泊りがけで描かないかと誘われる。嬉々として参加することにした毬子であったが、見知らぬ男子から、あいつに近づくのはよせ、と警告される。
誘った者達にはどのような思惑があるのだろうか? それは何年も前に起きた事件を呼び起こすことに・・・・・・
<感想>
期待していたよりも、普通の内容のままで終わってしまったという印象。予想外に起こる唐突な出来事もあるのだが、それは逆にバランス感を欠いているように思われた。
恩田氏がいままで書いた作品の中では「ネバーランド」に近いように思える。ただ、本書は「ネバーランド」に比べればすっきりしないような読後感が残る。
結局のところ、何か新しいものに挑戦しようというよりは、今までの作品などの構成を元にというように感じ取られ、後退的な作品であるという印象を受けてしまう。三部作のそれぞれの本において、語り手を替えたりというような工夫は見られるものの、あまりこれといったものを感じ取ることはできなかった。この著者の作品にしては珍しく平凡な内容に感じられた。
<内容>
私は異母兄弟の渡部研吾が失踪したということを研吾の彼女である君原優佳利から知らされる。私は二度しか会ったことのない優佳利と研吾の跡を追うために奈良へと旅をすることに。ほとんど知らないもの同士で歩む旅であったが、研吾の跡を追ううちに次々と意外な事実を目の当たりにすることとなり・・・・・・
<感想>
本書は恩田氏らしい作品で「夜のピクニック」の大人版ともとれるような内容であった。また、他の恩田氏の作品をうかがわせるようなところもあり、この作品を読めば、他の恩田氏のさまざまな作品名が色々と浮かんでくることであろう。
この作品を“大人版”と表現したのは、爽快さが徹底的に欠けていると思えたから。物語はたいして親しくもない二人が旅をするという非常に不安定な形で始まってゆく。その後も、徐々に安定した形が見えたかと思うと、そこに意外な事実を積み重ねて行き、常に不安定な形のまま物語が進行していくのである。このへんの徹底ぶりは見事としかいいようがない。
そうした展開からか、実際に行っていることはただ単に旅を続けているというだけのはずなのに、何故かサスペンスやスリラーというものを感じ取れてしまうのである。
各章の間に挿入されている“喪失”を表すかのような不思議な物語。また、ちょっと意味深なタイトル。こういったもの全てが集められて、ひとつの不安定な物語を創りだしている。なんとも不思議な雰囲気をかもしだしている本であり、恩田氏のそこの深さがうかがえる作品でもある。
<内容>
外見は端正な青年の容姿をしているにもかかわらず、おネエ言葉で周囲を戸惑わせる神原恵弥。そんな神原の実体は製薬会社に所属する凄腕のエージェント。今回、恵弥が北海道の地に降り立ったのは、双子の妹に当たる和見を連れ戻すため。和見は弁護士の職についていたのだが、不倫相手を追いかけて、家族を振り切り北海道までついて行ってしまった。また、恵弥は仕事に関わる別の目的も持っていた。それは“クレオパトラ”と呼ばれるものの正体を探るためであり・・・・・・
<感想>
前作「MAZE」に続いてのシリーズ2作目となる作品。とはいえ、シリーズといっても前作と共通するのは神原恵弥というおネエ言葉を駆使する男が登場するだけである。前の作品がSFのような謎が中心であった作品のため、今回もそのような内容のものを期待していたのだが、本書は普通のサスペンス・ミステリーという感じでしかなかった。よって、前作のような趣向を期待してしまうと、がっかりさせられてしまうかもしれない。
ただし、今回の作品もキャラクターが立ちまくっている神原恵弥が登場しているので、それだけでも見るべき作品には仕上げられている。双子の妹の不倫をめぐる騒動と、その関係者にからむ“クレオパトラ”という言葉の秘める意味を見つけ出す捜査が互いに絡み合い、うまく出来た作品となっている。
ただ、惜しいと思われるのは、前作で登場した事件を解くべき人物“時枝満”が登場していないという事と、“クレオパトラ”というもの自体が名前のみだけのもので、物語の進行においてあまり効果を挙げていないという事。できれば、このシリーズではもう少し大きな謎を取り上げてもらいたいと思うところである。
<内容>
強烈な百合の香りに囲まれた洋館、そこは周りに住む人々から魔女の館といわれていた。その噂を強調するかのように、その家の当主である老婆が不可解な死を遂げる。祖母の遺言によりイギリスに留学していた理瀬はその洋館に住むために日本へとやってきた。そして個性的な二人の叔母との共同生活が始まる。祖母の一周忌に二人の従兄がやってくる事になるのだが、その日が近づくにつれ次々と不思議な事件が・・・・・・。この洋館に隠された謎とはいったい!?
<感想>
久々に面白いと素直に納得できる恩田氏の作品を読んだという気がする。内容は本格ミステリではないものの、ひとつの洋館に関わる家族達のてんまつを描いたサスペンスミステリとして非常にうまくできている作品と言えよう。
まず洋館に住む個性的なキャラクタがよくできている。主人公は「麦の海に沈む果実」に登場していた理瀬という女子高生。その子がひとくせもふたくせもある二人の叔母と一緒に屋敷で過ごすこととなる。ひとりは和風のしっかりした叔母で、もうひとりはだらしのない酒びたりな叔母。理瀬は故人となった厳しい祖母の遺言によって、この屋敷で過ごさなければならない羽目になる。
そして一周忌ということで集まってくる二人の従兄。ひとりは大学院生でありながら実業家の純朴な青年、もうひとりは医者であり、理瀬と共に屋敷の秘密を握っている人物。さらには、近所に住む少年や理瀬の友人らをも巻き込んで物語は進められてゆく。
話は屋敷に隠された秘密を中心に、屋敷の周囲で起こる謎をからめながら徐々に真相が解きほぐされてゆくという構成になっている。また、魔女の館という所以でもある屋敷に住む女達のてんまつについても実に興味深く話が進められてゆく。
そうして最後には真相の全てが明らかにされるのだが、これは話としてうまくできているとしか言う他ない。謎についてもよくできているし、それぞれの登場人物を巡っての物語もうまく語られている。きっと読み出せば、興味がつきぬまま最後まで一気に読まされてしまうという作品になること間違いない。
こういった雰囲気から楽しむことができるサスペンス風ミステリの良作というのは、ありそうでなかなかないように思える。これは、年齢性別に関わらず誰もが楽しめる作品ではないだろうか。
<内容>
建築大学に通う平口捷は、何故か同じ大学に通うアーティストとして有名な烏山響一から一目置かれることに。また、美大でアーティストを目指し、作品を作り続ける香月律子もまた響一から目をかけられる。そんなふたりは烏山家の財力によって山奥に作られた巨大野外美術館に招待されるのだが・・・・・・
<感想>
作中やあとがきでも述べられているように、本書は恩田陸版“パノラマ島奇譚”である。世にも不思議な巨大建築物を創造し、その創造物が恐怖をあおるという内容になっている。さらに言えば、その建築物はそのものの存在が恐怖をあおるだけではなく、訪れたものの精神に訴えかけるさまざまな仕掛けが施されており、観覧者は内面に隠された恐怖までもを掘り返されてしまうのである。
というように、興味深く、さらに味わい深く、まさに創られた小説といえよう。
ただ、ページ数を長くとっているわりには、物語り全体に締りがないようにも思われた。登場人物が多すぎるというのも原因であろうし、また、肝心の創造物をメインにするのか、それとも登場人物の内面の物語をメインにするのかが定まりきっていなかったようにも思われる。
登場人物の心情描写とその人生の背景を創造物により掘り起こすという展開はわかったものの、後半はどこか尻切れトンボになってしまったようにも思われる。
また、思い起こしてみると本書のラストは“幻魔大戦”を思い起こすような展開でもあったかなと。
<内容>
郊外の大型デパートにて、大きな事件が勃発した。死者69名、負傷者100名以上という大惨事が起きたにもかかわらず、事件の原因が何なのか、はっきりとわからないのである。“Q&A”のみで進行される話の中で見出される真実とはいったい・・・・・・
<感想>
大型デパートで起きた原因不明の大災害。何故、誰が、何の目的でその災害を起こしたのか? その真相を究明するため、調査員が事件の関係者、目撃者にその時の状況を問いただし、事件の核心に迫ってゆく! ・・・・・・という内容の本なのかと思っていたのだが、読んでいくうちに、あれ? と思うような展開になっていき、物語は当初私が想像していたものとは、ずいぶん異なった方面へと着地していってしまった。
最初は、ひとりの調査員らしき人物が、関係者に事情を問いただしてゆきながら話が進んでいくのかと思われたのだが、途中から問いただす人物がどんどん変わっていくことになる。その問いただす人物が変わることによって、事件の原因究明からはわき道にそれ、話は異なる方面へとどんどん転がっていく事になる。
途中でようやく気がついたのは、この作品はデパートで起きた事件についての原因究明が本筋ではなく、奇怪な事件が起きた時に、その周辺にて奇怪な行動をする(もしくは奇怪な行動をせざるを得なくなる)人物達の様子を描いた作品であるということ。よって、中盤以降は長編作品というよりは、連作短編を読んでいるような気にさせられた。
というわけで、一通り読み終えるとモダン・ホラー小説を読み終えたという印象が残された。まぁ、このような変わった内容の小説が読めたということで、それなりに満足はしているものの、どちらかといえば、最初の展開のまま進められてゆく原因究明型の小説のほうが読んでみたかったという気がしてならない。
<内容>
北高では毎年、伝統行事として歩行祭というものが行われていた。それは全校生徒が夜を徹して80キロを歩き通すというもの。高校三年生の甲田貴子はとある誓いを抱いて、この伝統行事に望んでいた。それは、同じクラスにいながらも今まで一度も離す事の出来なかった、異母兄姉の西脇融に関係する事であった。
<感想>
恩田氏は既に有名作家のひとりといっても過言ではないと思うのだが、この作品によってさらにメジャー化したということも間違いないだろう。本書は“第2回本屋大賞”を受賞し、2006年には映画化されたという出世作品である。
既に何冊もこの著者の作品を読んでいるものにとっては珍しくはなく、本書はいつもどおりの安定した作品と言えるだろう。このような青春小説を書かせたら恩田氏の右に出るものはいない(とまでは言い過ぎか)。
そして、本書がなんともいえない雰囲気を出しているのは、そのタイトルにある“夜のピクニック”という背景にあるといってよいであろう。一晩かぎりの80キロを歩き通すという行事の中で、主人公を含む登場人物らそれぞれの感情が豊かに表現されている。特に主人公らを含める高校3年生にとっては最後の行事となるものであり、今までの3年間を振り返るものというそれぞれにとっての“貴重な一日”というものがうまく描かれている。
本書の内容の中心といえば、主人公の男女を巡るそのやりとりにあるのだが、それだけではなく、脇役の者たちの感情もきちんと書かれ、登場している全員で80キロを歩きぬき、物語を全員できっちりと締めている。物語上、特に強烈な起伏があるわけでもないのだが、その淡々と歩いていくという物語が綺麗に描かれた作品。
<内容>
山奥のホテルで開かれる毎年の慣例となったパーティ。その主催者は伊茅子、丹伽子、未州子の三人の重鎮。彼女達はいつも本当とも嘘ともとれる話を三人で語り、周囲の者達を惑わせる。その年のパーティーはいつもと違い、何か不穏な雰囲気が感じられ・・・・・・やがて当然のように殺人事件が起き・・・・・・
<感想>
本書を読んで思い出したのは貫井徳郎氏の「プリズム」という作品。あれとはまた違う雰囲気であり、内容自体も似ているというわけではないのだが構成が微妙に共通するところがあるように思えた。
という本書であるのだが、その評価は難しい。ただ一つ痛切に感じるのは、この作品が本格ミステリ・マスターズとしての一作にはふさわしくないのではないかという事。ただ単に駄作と斬り捨ててしまう作品でもないとは思うのだが、読む前に期待していたような推理小説としての内容は含まれてなかったと感じられた。本格ミステリ・マスターズの一作とうたってある本であるならば、どこへ行くともわからぬようなふらふらしたような内容ではなく、しっかりと一つの道標を持った作品にしてもらいたいと希望することは決して間違ってはいないであろう。
とはいうものの、恩田氏の作品自体としては特に外れたものというわけではないのかもしれない。恩田氏はミステリー作家というよりはストーリー・テイラーであると個人的には思っているので、本書のように読者に先行きを予想させない一風変った作品は十分に氏らしい作品であるといえるのだろう。
<内容>
昭和のある年、地域では名家といわれる医者の家で大量毒殺事件が起きた。医者の家族と客として来ていた十数名が死亡し、生き残りはわずか二人であった。事件の捜査は難航するものの、やがてひとりの青年の自殺により解決にいたることとなる。
その後、この事件をドキュメント風にえがいた「忘れられた祝祭」という本が出版され話題となる。この本の著者は何をもって、当時の事件を描こうとしたのか? そして事件の真相とはいったい!?
<感想>
なんとも回りくどい。特に作品の第一章はあまりのまわりくどさに、読むのを辞めてしまおうかと思ったほどイライラさせられた。第二章から先はそうでもなかったものの、この作品全体がなんとももどかしいということは変わりなかった。
何故これほどまでにもどかしく感じられるのかと言えば、この作品の描かれ方自体が複雑なものになっているせいである。昔ある事件が起き、その事件が本として出版され、さらにその本がどのようにして書かれたかということを取材していくというように、背景自体が非常にまわりくどいのである。故に内容自体にもどかしさが感じられるのはしょうがないことなのである。
そのようなスタンスから徐々に事件全体が明らかになりつつ、事件の真相へと徐々に踏み込まれてゆくこととなる。ただし、この作風どおり、きちんと解決される風でもなく、なんとなくこのようだったのである、というようなあいまいな記述と捉えられなくもない。
事件へのアプローチに変化をもたらしたかったというのはわかるのだが、その複雑な設定により、言いたいこと、語るべきこともわかりづらくなってしまったようにも感じられる。個人的にはもっとズバットと直球で行ってもらいたかったところであるが、最初から変化球勝負を選んだような作品なのでそれはしょうがないことであろう。
気分的には本格ミステリというよりは、幻想ミステリと言いたくなるような作品。