<内容>
海底探査船は偶然にも千メートルの深海にて、錘を付けられた他殺体を発見する事に。被害者は現在縄文遺跡の発掘が行われている現場の発掘主任であった。その発掘場所は産業処理施設が建つ予定であった場所であり、そのトラブルに巻き込まれて殺害されたのではないかと思われていたのだが・・・・・・
<感想>
柄刀氏、3作目の作品。1作目の「3000年の密室」を読んだときは、考古学の話ばかりでミステリーしていないなと感じられた。その1作目に対して著者がどう考えたのかはわからないが、本書ではその考古学とミステリーの二つを合わせたような体裁がとられている。ただ、あくまでも二つを別々に持ってきただけでほとんど融合していないのが欠点と言えよう。しかも、その二つ両方に力を入れすぎてしまっているがゆえに、作品自体が冗長になってしまっているということも取っ付き難さを増す結果となっている。
もう少し、主となる登場人物一人か二人のみにスポットを当てて、2/3くらいにまとめる事ができたら、評価が大きく変っていたのではないかと感じられた。遠く古代を夢見る部分など、まるでSFとして描かれているかのように感じられたりしたりとそれなりの見所もいくつかはあった。それだけにもう少しわかりやすく描いてくれたらなと、読んでいる最中何度も感じられた作品。
<内容>
400年の歴史を持つ浄土真宗の寺・龍遠寺。その庭園で庭師が殺害されるという事件が起こった。その庭師の死因は首にノギスを刺されていたため。そのとき、彼は寺の3歳の跡取り息子を手に抱いており、「この子を頼む」と言い遺した。その子どもは首に紐が巻きつけられた跡があったものの命に別状はなかった。周囲の予想では、こどもが何者かに襲われているのを庭師が助け、その庭師が何者かに殺害されたと思われた。ただ、その庭師の息子も四年前にこの庭園で死んでいた。これらの事件には何らかの関わりがあるのか? この寺に秘められた謎とはいったい!?
<感想>
柄刀氏の作品を読んでよく思うのが、トリックは良く出来ているけど、解決に到るまでがうまく書けていないという事。本書は特に、柄刀氏4作目の作品であるので、そのへんが非常によく表れているといえる。文庫で500ページと結構長い小説なのだが、特に前半がうまく書き表されていない。過去に起こった事件のことをいろいろと掘り起こしているのだが、それらが互いにどのように関わっているのかが分かりづらい。この序盤がうまく描かれていないというところがこの本の一番の欠点と言えよう。
というのも、後半の解決部分は非常によく出来ていると思えたからである。後半になり、事件の解決が徐々になされていくうちに全体が整理され、そこでようやく全体が見えて綺麗にまとまり始める。これらが最初からもう少し事件全体が見渡しやすければ、より読者を惹き付けられたのではないかと思われる。そうすれば、見事な解決がより一層深みを持つことになったのではないだろうか。
とはいえ、解決の部分が作品全体の3分の1を占めているというのは長すぎるようにも思える。しかし、非常によく出来たミステリであると言えるので、ためしに読んでみようという人は前半部分は我慢して読み通してもらいたいところ。後半になれば、もうページをめくる手が止まらないようになるであろう。
<内容>
生きている死者たちが殺人事件を起こす! 時間や物理的空間をも越境する屍が、最先端の科学的捜査を嘲笑っているかのような面妖な事件が連続する。旧家にして、最先端医療企業・SOMONグループの中枢を担う宗門一族。その本家で上半身を焼かれた若い女性の死体が発見される。慎重なDNA鑑定の結果、将来された新たな謎とは? やがて極限状況の地下密室での殺人が起こり、事件はさらに複雑化していく・・・・・・
<感想>
内容に圧倒されてしまった。単に不可能殺人とはいえないぐらいの不可解な犯罪。それらが最後にはきれいに結びつけられる解決とトリックのスケールの大きさはまさに圧巻だ。それらの謎に意図的な作用がないというところは欠点というよりも、遺伝子における先端科学に対する嘲笑を意識しているのだろうか。
この作品における最大の部分は謎が提示される部分であろう。捜査を進められるにしたがって不可解な謎が次々と現れ、その謎のまえには殺人者の像を浮かべることさえも許されない。この作品は謎が明かされて行く第Z章の前の第Y章までが一番読者をひきつけてくれるのではなかろうか。
おしいのは2年前の事件と宗門家の事件の関連性のなさと魅力的な人物が多数出場しているにもかかわらず、彼らを生かしきれなかったところ。それでも十分に2000年の本格推理の代表作になるだろう。
<内容>
三月ウサギに誘われ、宇佐見博士は目くるめく謎また謎の時空へと冒険し、数々の不可思議な事件に遭遇することに!!
「言語と密室のコンポジション」
「ノアの隣」
「探偵の匣」
「アリア系銀河鉄道」
「アリスのドア」
<感想>
近いところでは山口雅也氏の作品を思わせるような構成。山口氏のマザーグースがベースの短編に対し、こちらは学術的なアプローチ(もしくは理学的薀蓄?)による短編。
「言語と密室のコンポジション」は下手をすれば駄洒落で終わってしまいそうなところを行き過ぎないよううまくまとめている。ルール提起には楽しめたが分かりづらかった。全編このネタなら困るが、短編集のうちの一編であるならOK。
「ノアの隣」はしかけが分かりやすいものであるが、伏線のはりかたや学術的な説明による捕捉による、謎に対する説得力は見事。
「探偵の匣」はちょっとどこかで見た作品。事件自体も単純だし・・・・・・
「アリア系銀河鉄道」これは童話によるファンタジーと数学的発想、ミステリーそしてSFらが融合して、楽しい物語を創り上げている。ただ、時間的なアリバイの部分を理解するのが、自分には困難だった。
「アリスのドア」は大人パズル、はたまた頭の体操・応用編といったところか。
わかりやすい理系本か。はたまた少々わかりづらいミステリーか。などともとれるが、一風変わった面白い趣向の短編集である。少々読むのに頭が疲れるが、他の人にはまねのできない独自の世界が十分に築かれている。このような新しい世界の創り方ができたことによって、マンネリ気味のミステリーはまた新たなる所へと到達することができるのではないだろうか。
<内容>
内と外から施錠された「密室牢獄」の中で墜落死した男と、まわりを食べ物に囲まれたテーブルの上で餓死した男。現代に蘇った“マスグレイヴ館の島”は百年前の奇想のままに、不可思議な死で飾られた。また、島の対岸の岬でも、時を同じくして関係者の死。絶壁まで続いた足跡は飛び降り自殺としか思われなかったが・・・・・・
符号のように繰り返される“墜落死”、海を隔てた島と岬で起こった連続怪死事件にはなにが秘められていたのか。シャーロキアンらのイベントとして、ホームズの事件に関わるマスグレイヴ館に呼び集められた者達。彼女達は事件の謎と“マスグレイヴ家の儀式”を解き明かすことができるのか!?
<感想>
全体を見て通せばうまく出来上がっており、物語も綺麗に仕上がっている。さらには謎解きによる冒険、連続怪死事件、シャーロキアンという要素も詰まっている。しかしながら、それだけにそれぞれの押しが弱いのがおしいのだ。
冒険活劇は、はらはらどきどきするまでもなく淡々とこなされる。連続怪死事件も死体の発見の様子やそれにまつわる背景の部分が見えてこない。そしてシャーロキアンはどこへやら。読み進めていて後から前を振り返り、あぁなるほどという感じになってしまうのだ。後を読むことによって全体の整合性がだんだん分かってくる。しかし、推理小説がそれでは困ってしまう。ラストまで読んだとき話し自体はうまくできていると思っただけに惜しまれる一冊。
<内容>
「10円玉を持っていないか」という不思議な言葉を残しクラブ経営者が撲殺された。被害者は麻薬取引の疑惑を持たれていたが、その右手にはなぜか1円硬貨と50円硬貨が握られていた・・・・・・
小笠原諸島から初めて都会に出てきた純朴で愛すべき天地龍之介は、数々の奇妙な事件に遭遇する。料理コンテストや国際線の機上、はたまたフィリピンの田舎町で・・・・・・
学究一筋の青春を送ってきた龍之介が、科学者並みの頭脳とちょっとズレた感性で事件の謎に挑戦する。果たしてIQ190の天才推理は?
「エデンは月の裏側に」 (1999年1月号:小説NON)
「殺意は砂糖の右側に」 (1999年5月号:小説NON)
「凶器は死角の奥底に」 (2000年3月号:小説NON)
「銀河はコップの内側に」 (1999年9月号:小説NON)
「夕日はマラッカの海原に」 (2000年6月号:小説NON)
「ダイヤモンドは永遠に」 (書下ろし)
「あかずの扉は潮風の中に」 (2000年9月号:小説NON)
<感想>
純朴な天才少年というよりも、豆知識豊富な子供という感じがする。そのため事件の謎も理科の実験の延長としか見えてこない。さらにいうならば事件自体がそのネタとなる実験を成立させるために起きたもの、といあからさまに感じる。もう少し、事件自体になにか不可能犯罪を強調するとかいった工夫などがあればと思う。
理科の実験などとはいったが、そのネタのうちのいくつかは身近にありそうなものが題材になっていて面白く感じられるのも確か。「殺意は砂糖の右側に」や「凶器は死角の奥底に」などのネタになっているものは、実際に試してみるとおもしろそうだ。
<内容>
<トリノ羽ばたき音とともに、女の幽霊が現われる>。後見人捜しの旅を続ける天地龍之介が乗り込んだ貨物船には不気味な怪談が広まっていた。震え上がる龍之介を笑っていた従兄弟の光章は、その夜、奇怪な幽霊船に遭遇、失神する。気が付くと、船内はエメラルドのネックレス盗難事件で大騒動に。しかも、現場に残された指紋は龍之介のもので・・・・・・ “知能指数190、生活能力ゼロ”の名探偵・龍之介はこのピンチをどう切り抜けるのか?
「幽霊船が消えるまで」 (2000年12月号:小説NON)
「死が鍵盤を鳴らすまで」 (2001年3月号:小説NON)
「石の棺が閉じるまで」 (書き下ろし)
「雨が殺意を流すまで」 (2001年6月号:小説NON)
「彼が詐欺を終えるまで」 (2001年8月号:小説NON)
「木の葉が証拠を語るまで」 (2001年11月号:小説NON)
<感想>
感想は前作と全く変わらない。豆知識少年の事件簿というところ。しかしながら、2作目ということなので、特にかまえることなくゆったりと安心して読める本書。肩肘張らずに気楽に読むにはもってこいである。まぁ、これからもシリーズとして続くようであるし楽しみにもしているので、物語性などは重視せず末永く続けてもらいたいものである。
<内容>
教会で火災事故が起こったものの、集まるはずであった者たちが皆それぞれの理由で遅刻をし、誰も怪我を負うことがなかったという奇蹟が起きた。その事件で生き延びた者達は“十二使徒”と呼ばれることに。奇蹟審問官アーサー・クレメンスはこの奇蹟の真偽を見極めるために村へとやってきていた。
そんなアーサーの前で“十二使徒”達を襲う、数々の不可能殺人事件が起こる。衆人の前で行われた見えない殺人者による犯罪、グライダーにのっている空中で至近距離から発砲されるという事件、密室での撲殺事件、見えない手により絞殺される事件。これらの事件は何故、どのようにして行われたものなのか!? アーサー・クレメンスが不可能犯罪の謎を解く!!
<感想>
発売当時に購入しながらも、何故か読まずにいた作品。それが2009年になって続編が出たということもあり、慌てて読み始めた。よって、7年ぶりにこの積読本を読むことができた。
事件はひとつの村で起こる不可能犯罪を奇蹟審問官アーサー・クレメンスが解き明かしていくというもの。一応長編ではあるものの、事件のそれぞれを最後の最後に解くというわけではなく、個別に解き明かしていくようになっているので連作短編集を読んだという感じにさせられる構成。それぞれの不可能犯罪はよくできており、本格推理小説としてなかなかレベルの高い内容。
ただ、それを全て照らし合わせてひとつの物語としようとする“つなぎ”に関しては弱いと思われた。いまひとつ大きなくくりとしては、うまくいっていなかったなぁという感じである。
どちらかといえば、本格ミステリとしてひとつの物語をつなぐというよりも、宗教的な話として物語をつなぐほうに力が込められ過ぎたという気がしてならない。よって宗教レベルの話としてはそれなりに濃い内容となっていると言えなくもない。
ページ数の分厚さのせいか、なんとなく読みづらいというイメージを抱いて敬遠してしまっていたのだが、読み始めてみるとぜんぜんそんなことはなく、読み進めることができた。柄刀氏の作品としては、今の作品のほうが成熟実をおびているので、これはきちんと出た当時に読んでおいたほうがよかったかなと感じてしまう。その当時に読んでおけばもっと評価が高かったかもしれない。
<内容>
駿河湾沿いの温泉地。天地龍之介と光章、長代一美は、地元で幽霊館と呼ばれる廃ビルに浮上する女の幽霊を目撃した。こわごわと館に潜入しさらに驚愕。今度は三階の窓から落下する幽霊が。翌日、女性の死体が発見された。なんと殺人現場はその幽霊館、しかも犯行時間も彼らが居た時刻だった! 一転、容疑者となった彼らのピンチを、IQ190の龍之介はいかに救う!?
<内容>
日本に初めて設立されたクライオニクス財団を舞台に、永遠の生を夢見る者たちを襲う氷の殺人劇。死んでいるものの遺体の頭部を損壊したのはなぜか? また別の殺人において遺体が燃やされた理由とはいったい?
本格ミステリのフロンティアを切り拓く、最新科学とミステリーの融合。
<感想>
肉体のみならず、脳のみの冷凍保存をも背景にして、死体がなにゆえに損壊されたかに着目点がおかれたミステリ。
柄刀氏の作品には毎回同じような感想をいだく。犯罪がおき、不可能性が提示される部分においての記述が淡々と語られすぎるといつも思う。今回の作品においても、なぜ死体がこのような状態でおかれているのかという点が明らかになったときには感心させられる。しかし、前半の謎の提示の部分が希薄なために後半における読者を驚かせる効果といった部分が非常に弱いのである。トリックこそ、それなりに秀逸なものとなっているのだから、見せ方一つでもっとすごい作品になるのではないかということがいつも残念に感じるところである。トリックに対する整合性も大事であろうが時にはもう少し大風呂敷を広げてもいいのではないのだろうか。
また、今回の作品であるが、この作品こそが島田荘司氏の提言する「21世紀本格」というものに対して正面から捉えている一作であると強く感じる。島田氏編集の「21世紀本格」に柄刀氏も参加しているが、彼ほどこの近代科学(特に医学的なもの)とミステリを融合させた作品を意識的に書いている人はいないだろう。森博嗣氏のように物理学的な見地から描く人などは除くとすれば、提唱されている「21世紀本格」の旗手としては柄刀氏が一番であろう。その21世紀の先駆けとなる最初の作品がこの「凍るタナトス」ではないだろうか。
<内容>
富豪・比留間三兄弟の長男・長一が運転する車が崖に転落、祖父の遺産を詐取した塩原三絵の行方を追い同乗していた天知龍之介と従兄弟の光章は山奥の小屋に非難した。救出を待つ中、長一の妻が殺害された。小屋の中に犯人が? 不気味な夜が続くが、一方、比留間邸では、次男の光陽が墜落死し、三男の秘書・三絵の他殺体が発見される。詐取事件を調査していた光章の恋人・一美も地下シェルターに閉じ込められ死の危機が迫っていた。龍之介の頭脳はこのピンチをいかにして脱するのか!?
<感想>
柄刀氏の作品のなかでは読みやすく書かれ、気軽に読める龍之介のシリーズ。とはいうものの本書においては全体的にごちゃごちゃしていたという印象が強い。今回は龍之介・光章組のパートと一美のパートという具合に二手に分かれた形になっているのでそういう印象がよりいっそう強く感じられた。特に導入部分の状況がつかみづらかった。ただし、ある程度事件が進んでくるとそういった様相もあまり気にならなくなり、話が深まるにつれ内容に引き込まれるようになってくる。
今作では二手に分かれて事件がそれぞれ起こるという状況になっているのだが、最初はこの二手に分かれるという必然が感じられなかった。しかし事件が解決にいたり、この構造の必然性が明かされることによってなるほどと感心してしまう。さらにそこに事件の謎となる“腕”の存在をうまく絡めてアクロバット的な状況を作り出しているのは見事である。
また、シリーズものとしての龍之介の活躍もなかなかのものである。サバイバルにおいての龍之介の科学的知識の活用は実に面白く読める。また、一美も負けず劣らず、龍之介に負けじと科学的知識にて窮地を乗り切ろうとするのも見所になっている。
最初はクロスワードのみが目玉になっている作品かと思いきやなかなか推理小説としても濃いものとしてできあがっている。
<内容>
「密室の矢」 (鮎川哲也編『本格推理B』1994年4月 光文社文庫)
「逆密室の夕べ」 (鮎川哲也編『孤島の殺人鬼 本格推理マガジン』1995年12月 光文社文庫)
「獅子の城」 (書き下ろし)
「絵の中で溺れた男」 (書き下ろし)
「わらの密室」 (書き下ろし)
「イエローロード」 (書き下ろし)
「ケンタウロスの殺人」 (鮎川哲也編『本格推理H』1996年12月 光文社文庫 収録の「白銀荘のグリフィン」を大幅改稿)
「美羽の足跡」 (書き下ろし)
<感想>
柄刀氏の過去の短編作品が掲載された作品集。ミステリーにこだわった作品集といえるのだが、これほど探偵の扱いがすごい作品集というものもないであろう。全てが個々のストーリーであるのだが、今回一冊にまとめたことによって一連の流れを作ろうとしているようである。
最初に出てくる探偵役は職業がコックである鷲羽恭一。最初の三話がにて活躍するのだが、その三話ともオーソドックスなミステリーに仕上がっている。探偵がコックだということもあってミステリーの中に料理が出てくるもののうまそうには感じられなかった。何か料理がミステリーにもたらす効果というものはあったのだろうか?
次の二作で出てくる探偵は月下二郎。この二作はなかなか傑作である。「絵の中で溺れた男」は閉ざされた部屋の中で溺死しているというもの。さらには自分で描いた絵の中の水で溺れたのでは? という設定が面白い。「わらの密室」はラストにおいての皮肉でもあるかのような演出が気が利いているといえよう。
最後に登場する探偵は南美希風。「イエローロード」は柄刀版、“50円玉20枚の謎”といったところか。実際には硬貨の種類や枚数は異なるのだが。探偵役の美希風が淡々と語りながら犯人へと肉迫していくさまは圧巻である。「ケンタウロスの殺人」は雪上の足跡のトリックを用いたものであるが、改稿して長くなった分冗長に感じられた。短いほうがよかったように思える。トリックとしては面白いものの、ケンタウロスの存在を持ち出すのには違和感が感じられた。
<内容>
とある駅の近くにある喫茶店「美奈子」。その店は年齢不詳のママ・美奈とその実の娘の奈子(手伝い)の二人で営まれていた。その店の奥には温室があり、そこでさまざまな草花が育てられ、店の中に飾られたり、飲み物などにも用いられている。そしてその店に通う客達は美奈を頼りにし、身の回りで起きた事件のことなどを彼女にに話すとそれを鮮やかに解き明かしてしまうのであった。
<感想>
柄刀氏の作品の中では読みやすい部類に入る一冊。柄刀氏が日常系を書くと、このような作品ができあがるのか! 龍之介シリーズとはまた違う趣のある本に仕上がっている。
日常系とはいうものの主人公はいわゆる“魔女”。といっても、別にそれを強調しているわけではなく、彼女達は喫茶店の店主としてひっそりと暮らしている。それが控えめな態度であるにもかかわらず、圧倒的なインパクトで事件に乗り込んできて、そそくさと事件を解決してしまう。これは日常系の謎と不可能犯罪の二つを見事にマッチさせた作品集であるといってよいであろう。
白くもあり、黒くもあるといえる短編集。魔女の本格ミステリー、ご堪能あれ。
<内容>
「龍之介、黄色い部屋に入ってしまう」 (小説NON:2002年6月号)
「光章、白銀に埋まる」 (小説NON:2002年12月号)
「一美、黒い火の玉を目撃す」 (小説NON:2003年4月号)
「どうする卿、謎の青列車と消える」 (小説NON:2003年6月・7月号)
「龍之介、悪意の赤い手紙に息を呑む」 (書き下ろし)
<感想>
もうすでにシリーズ第5作目となっている。話としては前作にて龍之介は正式に祖父の遺産を受け取ることとなり、大金を手に入れた。そして本書ではその大金をどのように有効活用するかという事を龍之介が悩みながら考えていく。さらに本書のラストでは、また別のほうに話が展開して行き、このシリーズからますます目が離せなくなりそうだ。
といったようにシリーズという点で言えば気になる展開が続いているのだが、本書の中の個々のミステリー作品として目を向けると、ちょっとどうであろうという気にさせられてしまう。トリックについては相変わらず、秀逸というか奇抜であるといえる。化学的な分野の中から素材を見つけてきて、それらをミステリーの中に組み込んでしまう手法にはいつもながら感心させられる。しかし、どうかと思われるのは話の展開のさせかたである。何故かどれも平々凡々に終わってしまうという感想しか持ち得ないのである。
特に表題作といってもいい“列車強奪事件”に関しては、これはまたとないようなサスペンス的な展開が予想される素材である。一方は何も知らずに列車に乗り込み、一方は実行犯グループの片割れによりバスジャックされ、そしてその外部にいるもの達がそれらの事件を解決しようとする。いわば、三つ巴という状況が作られこれがどのように発展していくのかと思いきや、事件が解決されそうになるや否や急ブレーキにて流れの全てが止まってしまう。何のためにわざわざこのような舞台を築きあげたのだろうかと、逆に疑問に思ってしまう。
まぁ、本書に限った話だけではないのだがもう少しこれらの貴重なエッセンスを生かすような物語の厚みというものがあればと思わずにはいられない。その辺がうまくいけばいつブレイクしてもおかしくない作家なだけに惜しいことである。
<内容>
「人の降る確率」 (小説宝石:2001年2月号)
「炎の行方」 (小説宝石:2002年1月号
「仮面人称」 (『異形コレクション マスカレード』:2002年1月 光文社文庫)
「密室の中のジョゼフィーヌ」 (小説宝石:2002年5月号)
「百匹めの猿」 (『21世紀本格』:2001年12月 カッパ・ノベルス)
「レイニー・レイニー・ブルー」 (書き下ろし)
「コクピット症候群」 (書き下ろし)
<感想>
描写がわかりづらいというのは、いつものとおり。話の流れが見えにくく、最後まで読んでようやく全体の構図が見えてくるというのもいつものとおり。しかし、全編本格ミステリにあふれた作品であるというのもいつものとおり。結局、もったいない作品集だなと思うのもいつものとおりなのである。
本書の特徴としては探偵役と語り手が介護福祉士として施設で働いているというところ。また、探偵役自身も車椅子を利用している。そういった介護という背景を本書の中で読者に伝えようとしている作品でもある。
「人の降る確率」
この話は別のアンソロジーにてすでに読んでいた作品。事件自体は屋上から落ちたはずの人体が下に無く、時間をおいて死体として現れるというショッキングなもの。しかし、読むのが2回目のわりには、あまり記憶に残らない小説であった。事件当時の登場人物たちの配置がわかりにくいというもの一つの要因か。
「炎の行方」
火事場で発見された遺体をめぐるアリバイトリックが描かれる。といっても、アリバイトリックだけではなく、そこにはさまざまな要素が付く。よくできてる感と複雑すぎという感覚が半々。
「仮面人称」
これはなかなか面白い試みがなされていると感じられた。本書のなかでは一番のできではないだろうか。人を陥れるためにトリッキーな方法が用いられている。でも、最後まで読んでみないと全体がわからないのは相変わらず。
「密室の中のジョゼフィーヌ」
とある有名作品のオマージュとでもいうべき作品。面白いと思えるのだが、簡単な作品をわざわざ難しく表現してしまっているようにも感じられる。
「百匹めの猿」
男がガラスに自分から飛び込んだことにより死亡したという事件を殺人という線で検討してゆくもの。トリックとか、登場人物の互いの思惑など読むべきところは確かにある。しかし、最後までガラスに飛び込むという行為自体の必然性が納得できなかった。そこが難点。
「レイニー・レイニー・ブルー」
ミステリーというよりは、物語の色合いが強い作品。本書ならではの奇跡が描かれている。
「コクピット症候群」
ややこしい事件状況と懲りすぎのような突発性隠蔽作と長すぎる解決。トリックは普通であるが、その問題の解決の仕方が見どころといったという作品。
と、まぁ否定的な意見が多くなってしまったのだが、余裕のある方はもう1回読み直していただきたい。内容がわかったうえで読んでみると柄刀氏の作品は、初読とは違った輝きを帯びることがあるのである。著者が語ろうとする真の論理性に気がついたとき、そこに名作を見出すことができるかも!
<内容>
実業家の加瀬恭治郎が焼死体で発見された。恭治郎が息子とジョギングから戻り、ひとり部屋へと戻りしばらくした後、家から煙が出ているのが発見され、皆が駆けつけたときにはすでに手遅れであった。恭治郎がジョギングから戻った後、現場周辺には常に人がおり、特に怪しい人影を見たものはいなかった。しかし現場に残されていた鍵からひとりの容疑者が浮かびあがるのだが・・・・・・
<感想>
正直いって読む前は文庫書下ろしの薄っぺらい本であり、内容に期待してもしょうがないかなと思っていたのだが、思っていたよりもしっかりした内容に驚かされた。というよりは、柄刀氏の作品はへたに長い作品よりも、このくらいの長さで濃い密度で書いてもらったほうが良い作品になるのではないかとも考えられる。
本書は多少ネタバレになってしまうかもしれないが、“遠隔殺人”というものを用いての推理がなされている。現場には人が出入りできた隙がない。で、あるのならば誰がどういう方法でやったのかという事が“遠隔殺人”を前提に考え込まれ論理的な推理がなされる作品となっている。その推理には少々強引と感じられる部分もあるものの、その辺は張り巡らされた伏線によってうまく解決しているといえよう。また、過去の事件にからめた物語もうまく扱っていると感じられた作品である。
短いページ数ながら、それなりに本格推理の気分を味あわせてくれた一冊であった。
<内容>
行方知れずとなり、家族からその無事が心配されていた浜坂憲也であったが、とあるマンションの一室にて発見された。しかし、その発見された状況はというと、睡眠薬を飲まされていた浜坂は二人の射殺死体と共に内側から鍵のかけられた“密室”の中で発見されたのであった! 不可解な状況が見え隠れするも、浜坂以外の者に室内にいた二人の人物を殺害することはできないはず。浜坂は裁判にかけられ、死刑を宣告されるのを待つだけとなってしまうのだが、その友人である南美希風が無実を証明しようと密室殺人事件に挑みはじめる!!
<感想>
これはもう、ずばり柄刀氏版「ユダの窓」といってよいであろう。その名作と比べてしまうとどうかと思えるのだが、本書もそれなりに検討した力作であると感じられた。はっきりいって、そのトリック自体はさほど・・・・・・という気がしなくもないのだが、その状況を作り上げた綿密な計画性に関しては群を抜いていると言える。読んでいる側が、さらっと見逃してしまうような所にも気をつかって見事に密室殺人事件を完成しきっている作品であった。
ただ、本作品は短編か、せいぜい中編くらいのネタではないかと思える。特に、この著者は話を膨らませるのがあまりうまいとは言いがたいという事も枷になっていると感じられる。そんなわけで、ラストでは意外と感じられる事実も挙げられるのだが、それが本当に効果的であったかどうかは微妙なところ。
とはいえ、本格ミステリファンであれば、決して読んで損しない作品である。昨年読み逃した方は、どうぞお忘れなく。
<内容>
「青の広間の御手洗」 (「御手洗潔攻略本」島田荘司責任編集 原書房:2000年)
「シリウスの雫」 (「御手洗パロディ・サイト事件 下」島田荘司 南雲堂:2000年)
「緋色の紛糾」 (「贋作館事件」芦辺拓編 原書房:1999年)
「ボヘミアンの秋分」 (書下ろし)
「巨人幻想」 (書下ろし)
<感想>
これらのうち何作かはすでに読んでいた。しかしあまりよく憶えていなかったので、それなりに新鮮に読むことができた。御手洗もの2編、ホームズもの2編、そして御手洗とホームズの共同作が1編。御手洗ものとホームズものに関しては、それぞれ雰囲気は出ているのだが、ミステリーというよりはあくまでもパスティーシュとして楽しむものとなっている。ただし、最後の「巨人幻想」に関してはミステリーとしても強くお薦めできる一編となっている。
「青の広間の御手洗」
これはミステリーではなく、御手洗潔についてのエピソードを描いたパスティーシュとしての一編。御手洗ファン、または理系ミステリーファンでなければ楽しめないかも。
「シリウスの雫」
こちらも多少はミステリー色が出てはいるものの、あくまでも物語という風にとらえられる作品である。しかし、その内容は「暗闇坂」の後日譚となっており、巨人の家に対抗するかのような奇妙な建物が描かれているので、一読の価値あり。
「緋色の紛糾」
こちらはホームズもの。本書に出てくるホームズは現代に、それも日本でワトソンと一緒に暮らしているという設定になっている。しかも、それについては何の説明もなされていなく、普通に2人が存在しているという前提で話が進められている。このスタンスはこの後の短編作品でも同様である。
この作品を読んで思ったのが、どうしてパティーシュとして描かれるホームズというのは道化めいて書かれることが多いのだろうかという事。私が読んだ物に限っての話なのかもしれないが、どうもホームズの推理考察をあげつらったものが多いように思えるのは気のせいなのだろうか。
内容については、事件状況は「まだらの紐」に近いものとなっている。トリックは全く違うものである。
「ボヘミアンの秋分」
これはホームズ作品で有名な人物“アイリーン・アドラー”を描いた作品。一応、とってつけたかのように事件も起こるのだが、理論的というよりは直感的に犯人を指摘しているような作品であった。まぁ、これもあくまでもパティーシュとしての作品。
「巨人幻想」
この中編が本書の目玉となる作品。そしてこれは言うべきではないことなのかもしれないが、このネタで島田氏に作品を書いてもらいたかったと切実に思ってしまった。たぶん島田氏であれば、このネタだけで一冊の長編を書き上げることができたのではないだろうか。それだけ魅力的な設定をまとった作品である。
場所はイングランド。西岡が目撃した巨人の姿、村を襲う巨人の足踏みとその跡、窓から見えた巨人の顔と巨人に破壊された塔、そしてその巨人さわぎのなかで起こった誘拐事件。これらが島田氏の作品張りに展開し、しかもそこには御手洗潔だけでなくシャーロック・ホームズまでもが登場する。そして2人による共同推理によって謎が解かれてゆくというもの。正直言って御手洗潔だけで十分と思えなくもないのだが、そこはご愛嬌として2人の推理を純粋に楽しむべきなのだろう。
しかし、この作品の設定とか物語がよくできているように思えば思うほど、柄刀氏の書き方はあれであるため、やはり島田氏と比べてしまうと・・・・・・とついつい余計な事を考えてしまうのである。
<内容>
「瞳の中の、死の予告」 (小説NON:2003年12月号)
「アリバイの中のアルファベット」 (小説NON:2004年3月号)
「死角の中のクリスタル」 (小説NON:2004年6月号)
「溝の中の遠い殺意」 (小説NON:2004年9月号)
「ページの中の殺人現場」 (書下ろし)
<感想>
快調に続く龍之介シリーズの第6弾。話は天地龍之介が残された遺産によって学習プレイランドを建設しようと考えているのだが、その候補地選びが本書の中でなされている。一方、龍之介と行動を共にする従兄弟であり主人公である光章はというと会社の転勤により、ひとり秋田県に在住。とはいえ、物語の中では常に龍之介や恋人(?)の一美さんと行動しているので、本当に転勤しているのだかなんだかわからない様相である。
本書も科学知識を利用したミステリーが描かれているのだが、なかなかうまく書かれていると感心させられてしまった。
「アリバイの中のアルファベット」はパズルのような文字の組み合わせをうまくアリバイトリックに利用したものとなっている。ネタはわかりやすいとはいえ、パズルミステリーとしてそれなりに完成しているといえよう。
「死角の中のクリスタル」は根本となっているトリックはそれ程のものとは思わないのだが、その元となるトリックを成立させるためにあれこれと練られたその周囲の伏線はなかなか考えられたものがある。
「溝の中の遠い殺意」は本書において一番の出来であると思う。レコード盤に込められたトリックと、“遠見”という異能の能力をうまくからめて一つの物語が形成されている。
そして「ページの中の殺人現場」では“本”そのものを使ったトリックが描かれている。こちらはそのトリック自体よりも、そのトリックが明らかにされたときに自然と犯人の名が浮かび上がるようになっていく過程が見事であると思えた。
と、トリックというか科学的なもの自体だけ取ればそれ程でもないと思えたりもするのだが、それを話にうまく絡めて、物語自体に深みを与えていることに感心させられてしまった。このシリーズも意外となかなかあなどれないものがある。
<内容>
「エッシャー世界」
「シュレディンガーDOOR」
「見えない人、宇佐見風」
「ゴーレムの檻」
「太陽神殿のイシス(ゴーレムの檻 現代版)」
<感想>
「アリア系銀河鉄道」に続く、“三月宇佐見のお茶の会”シリーズ。このシリーズといえば、現代に事件が起きると共に、宇佐見博士が不可思議な空間へと飛ばされて、そこで変ったルールの中において事件を解き、そして現代に帰ってきて・・・というパターンで語られるものであった。それに対して、今作では前作と同様の形式を採っているのは、「エッシャー世界」だけであった。そういう意味では本書はちょっと残念な内容であった。
しかし、そういったマイナス面を差し引いても、短編作品「ゴーレムの檻」の内容は秀逸であると感じられた。この短編だけであっても本書は大きな価値のある一冊となっていると思う。逆に言えば、「ゴーレムの檻」と「太陽神殿のイシス」だけで、一冊の本にしても十分な内容であると思われたのだが。
「エッシャー世界」
これはそのまま宇佐見博士のシリーズらしい作品。現実と虚構の中で芸術を交えてミステリーの世界が構築されている。
「シュレディンガーDOOR」
なんかわかりにくかった、という印象しか残っていない。そんなに難しい事件のわけではないはずなのに、説明と設定をわざわざややこしくさせていると感じられた。結末だけを抽出すれば普通の作品という気もするのだが・・・・・・
「見えない人、宇佐見風」
これはまさに短編作品という感じである。本書の中ではおまけ的な位置付けだろうか。柄刀版“ちょっとした見えない人”といったところ。
「ゴーレムの檻」
“密室”モノである。久々に“密室”というものを正面から捉えた作品を読んだ気がする。これは伏線といい、物語といい、良く練られた内容となっている。“密室”自体の解といい、それをとりまく小道具といい、全体的なバランスも優れている作品。
また、本作品ではもう一つ別の謎が語られているのだが、そちらはちょっと説明不足であったと思う。うまく語ることができれば、さらに面白い内容になったと思うので、かえって残念。
「太陽神殿のイシス(ゴーレムの檻 現代版)」
これは「ゴーレムの檻」の別バージョン。新興宗教という舞台を用いての密室トリックが見事に語りつくされている。「ゴーレムの檻」と良く似た状況でありながら、まったく異なる解により解かれた作品。いや、本当にアイディア満載というしかない。
<内容>
龍之介たちは亀村一族による大企業“KISON”が催す晩餐会に招待された。その食事の席で、グループ幹部の一人が毒殺される。しかも、その前に犯人らしき人物から予告状が届いていたのだというのだ。警察や龍之介らが調べてみても、どのようにして特定の人物を狙って毒を混入したのかがわからないまま第二の事件へと・・・・・・。事件を解く鍵は魔方陣の中に??
<感想>
シリーズものという事で気楽に読める一冊かと思いきや、今回はかなり凝った本格推理が展開される作品となっていた。そのテーマは“毒殺”。とにかく検証が細かい。晩餐会の食事の中に毒が混入されていたのだが、それがどのようなタイミングで毒が入れられたのかをじっくりと徹底検証している。
と、ここからあれやこれやと書きたかったのだが、どのように語ってもなんらかのネタバレになりそうでうまく書くことができない。そんなわけで、とりあえずテーマだけここにまとめておくと、“毒殺”“動機”“殺人予告”とこういったものをひっくるめて一連の事件を組み立てている。そのいくつかについては、こちらが想像するようなものとは異なりやや肩透かし気味に思える部分もあったりするのだが、うまい具合にフォローをいれたりと、全体的にはとてもうまく組み立て上げられた推理小説となっている。
また、本書のタイトルとなっている“魔方陣”ももちろんのこと重要なテーマのひとつとなっている。ただ、物語終盤で出てくる魔方陣がもっと早く読者の目に触れるようにしておいても良かったのではないかとも感じられた。
本書はシリーズ作品ゆえに今までの作品を読んでいない人は手に取ることがないかもしれないが、それはもったいないと言えるほどの仕上がりになっている。案外これは、今年の隠れざる名作のひとつとして挙げられる作品となるのではないだろうか。
<内容>
「ピカソの空白」
「『金蓉』の前の二人」
「遺影、『デルフトの眺望』」
「モネの赤い睡蓮」
「デューラーの瞳」
「時を巡る肖像」
<感想>
一応ミステリ短編集という形態はとられているものの、通俗のミステリとは違った趣であると感じた作品集であった。本書の主題は芸術であり、その芸術における観点とミステリを融合させたような作品になっている。本作品は野心的な挑戦がなされ、それに成功した短編集と言えよう。
特に度肝を抜かれたのは一作目の「ピカソの空白」。屋敷に客として来ていた男が撲殺されるという事件が起こる。その夜、絵画修復士である主人公は屋敷の主人を目撃している。ただしそのとき、何故か屋敷の主人は右眼にしているはずの眼帯を左目にしていた。
この作品は、事件自体はさほどたいしたものではないのだが、ミステリのトリックを逆手に取ったような展開は楽しむことができる。そしてラストによってある登場人物が打ち明ける話によって、本作品の主題は事件自体にあらず、芸術家の観点そして考え方の異様さにあるということを目の当たりにされる。これはちょっと他に類を見ないような内容であった。
「『金蓉』の前の二人」は芸術が主題という感じはしなかったが、芸術を間接的に用いて、犯行を行う者の歪んだ動機を浮き彫りにしている。
「遺影、『デルフトの眺望』」では、母殺しの罪をきせられた娘に対して、父親が謎のダイイング・メッセージを残すというもの。これも芸術を通しての行過ぎた行動、異様な振る舞いが殺人事件を通して明らかにされている。
「モネの赤い睡蓮」は毒殺事件を描いたものであり、ミステリとしてもなかなかよくできていると感じられた作品。ただし、もちろんそれだけに止まらず最後には芸術家の力強さを垣間見る事の出来る作品として仕上げられている。
「デューラーの瞳」は島田荘司ばりの大きなトリックが仕掛けられた作品。本作品集の中の一編としてはミステリより過ぎるようにも思えるが、それはそれでなかなかうまくできている作品。
「時を巡る肖像」は絵画修復士の主人公が何故か絵を破壊するという奇妙な情景が描かれている作品。本編のみ書下ろし作品で、ページ数は少ないのだが、なかなか綺麗にまとめられている作品である。主人公が絵を破壊する行為には、実は三世代にわたる思いが詰め込まれている。
<内容>
「秋田・仁賀保 誰にも見えない4号室」
「長野・諏訪 龍神の渡る湖」
「三重・鳥羽 真珠とバロックとあたしの部屋」
「広島・厳島神社 神域の波打ち際」
「山口・秋吉台 空と大地の迷宮」
<感想>
もうこの作品で8作目となる“天才・龍之介がゆく!”シリーズ。すでにシリーズ作品としてこなれた感じがしながらも、毎回それなりのレベルを維持しているところはたいしたものである。今回は短編集となっているので、少々小粒のようにも感じられるのだが、それぞれの作品にひねりが効かされており、本格ミステリファンを充分に満足させるような内容となっている。
「秋田・仁賀保 誰にも見えない4号室」
連続犯罪者のミッシング・リンクを探すという内容。さらにはひとつのアパートを巡る謎もそのミッシング・リンクに含まれたものとなっている。解決の出来もさることながら、犯罪者の異様さが際立つ作品といえよう。
「長野・諏訪 龍神の渡る湖」
諏訪湖で起こる“御神渡り”という氷に長いひびが入る現象を用いたミステリ。物語の中では詐欺事件にあった被害者が“御神渡り”を利用して殺人事件を行おうとするもの。ただし、その行為そのものがメインではなく、実は他に犯人の意図がうえつけられている用意周到な内容となっている。
「三重・鳥羽 真珠とバロックとあたしの部屋」
これはネタがばれるので、どういうジャンルの事件なのかは書かないが、不可解な二つの事件がある観点から見ると実にはっきりと浮かび上がってくるというもの。また、この物語の背景となる真珠による犯人の証拠が表される点はうまく作られていると言うしかない。
「広島・厳島神社 神域の波打ち際」
この作品のみ書下ろし。これはミステリというよりは、ちょっとした物語という趣が強い。儀式的なものを描いているせいか、最近書かれたものでは三津田信三氏の作品を思いださせる。
「山口・秋吉台 空と大地の迷宮」
本書のメインともいえる作品。犯人があるトリックを用いて、とある人物を殺害しようというもの。この作品を読み終えた後に、ようやくこの短編集のタイトルの意味を納得させられる事となる。この作品もまた二重三重に練られたうまく出来た作品である。
<内容>
その昔、“壇上のメフィスト”と呼ばれる有名な奇術師がいた。しかし、彼は先天性の腕の麻痺によって奇術師を引退することを余儀なくされた。その後、彼は長いリハビリ期間を経て、再び舞台上へと姿を現すこととなった。その最初の舞台の矢先、観客達の目の前で棺から脱出するはずであった彼が、棺の中で死亡しているのが発見された。しかも現場は、鍵のかかった棺、内側から施錠された部屋、そして衆人環視という三重密室の中で殺害されていたのである。
その後、吝家に魔の手が忍び寄り、被害者が続出することに。しかも現場は常に密室の状態で発見されることに!
<感想>
“密室には意味がある”
密室を描いたミステリ作品というと、“どうしてそのような密室が必要であったのか”という意味づけが一番難しいところなのではないだろうか。それがこの小説は冒頭に記した一言を示すかのように、ここまでやるのかというほど、密室についての意味づけを試みようとしているのである。よって、本書では密室の構成の謎が明かされたときに驚かされるだけではなく、何故そのような密室を作る必要があったのかという真相を聞かされたときにまた感嘆させられることとなる。そして読者はそのような密室に、なんと5つも直面することとなるのである。
また、この作品では吝家(やぶさかけ)にまつわる秘密というものにもスポットが当てられ、最終的にその謎がクローズアップされ、全ての真相が解かれるというように描かれている。ただ、お家の騒動を描いた作品のわりには、登場人物らの心情描写はあまり書き込まれてなかったなという気がした。といっても、個人的には登場人物らの人間模様をこと細かく描かれるよりは、本書のように人々の様子は無機質気味に描いて、密室の構成や検討に力を入れて描かれた作風のほうが好みである。それに、これ以上のページを割いて他の事項までは書き込むのはさすがに無理であろう。
この作品を読んでいくと、次から次へと密室が現れ、読者の頭を悩ませることとなる。建物の配置図を見ながら、この密室はどのように作られたのかと考え込まされ、ときにはその考えの裏をかかれ、さらには証拠として残されていたちょっとしたものが示す真相に驚かされることとなる。
900ページという分厚い作品ではあったが、4日間という短い日にちで読み通すことができた。これは、この作品がいかに読者の興味を惹きつけるミステリ作品として完成されているかを示す証明に他ならないであろう。
本書は柄刀氏が現在までに描いた作品の中で最高傑作といえるできであり、私の中ではオールタイムベスト10の中に入れたくなるほどの作品である。この作品を見て、分厚さに腰が引けたという人もいるかもしれないが、そんなことを言っている場合ではない。必ずや本格ミステリファンであれば、今のうちに読んでおかなければ損をする作品といえよう。ミステリ史の一ページに名を残すであろうこの作品、是非とも読み逃しのないように。
<内容>
「召されてからのメッセージ」
「紳士ならざる者の心理学」
「ウォール・ウィスパー」
「見られていた密室」
「少女の淡き消失点」
<感想>
シリーズ9作目でありながら、抜群の安定感をほこるこの作品。目新しい作風という気はしないものの、用いられるトリックについては目新しさが見られ、何かを期待してしまうシリーズとなっている。このシリーズを読み始めた時には、さほど期待していなかったのだが、作品を書き続けることによって面白さが増してくるミステリ・シリーズというのはすごいことのように思える。
「召されてからのメッセージ」
この作品はある種の宝探しもの。遺言状がどこに隠されているかを、少しのヒントのなかから龍之介が電話越しに解決するというもの。これは単純に物語として楽しめる作品であった。また、ちょっとした良い話にもなっていたりする。
「紳士ならざる者の心理学」
これは「本格ミステリ07」にて既読の作品。ただし、ネタを知っていたとしても再読を楽しむことができる作品でもある。
研究室から盗まれた試作品と龍之介たちの前で起こる感電事故。それぞれの事件の真相と、事件同志の関連性を龍之介が導き出す。
この作品では心理トリックが多用されている。ひとつひとつについては、なるほどとくらいしか思えないものの、用意周到に何重にも張り巡らされた心理的な罠により、事件の結果の信憑性を増している作品。
「ウォール・ウィスパー」
過去の記憶を掘り下げた事件。改築される建物の壁をみて“云十年前”の事件の記憶をよみがえらせる女性。思い出される内容を聞きながら、龍之介が事件の真相を導き出す。
一見、強引な推理のようで、実はこれしかないという推理が導き出されている。光によるトリックというかネタはわかりやすいものの、それだけではなく、かゆいところにも手が届くような、きっちりと張られた詳細な伏線はお見事。
「見られていた密室」
今回の作品のなかで一番読み応えがあったのはこの作品。普通ミステリ小説では、知略をめぐらせるのは犯人や探偵。それがこの作品では、被害者が知略をめぐらしているのである。
突如、何者かに襲われた男が、閉ざされた部屋に逃げ込み、そこで犯人についての証拠を残そうとする。しかし、その部屋には監視カメラが設置されていて、犯人がそれを見ている可能性がある。被害者は残り少ない時間のなかで、なんとか犯人の手がかりを残そうとするというもの。
事件発覚後に龍之介による論理的な推理が展開されてゆくのだが、よくできていると思いつつも、ちょっとひねりすぎているとも感じられる。ここまで用意周到なダイイングメッセージというのもなぁ、と思えるのだが、その綿密さに感心される部分もある。特に最後に龍之介が明らかにする最後の種明かしについては、見事という他ない。
「少女の淡き消失点」
これらの作品群のなかでは、おまけのような作品といえるであろう。写真に写っていた謎の少女の正体を明らかにするというもの。特に事件性の感じられるものではないので、ここまで大騒ぎする必要性があるかどうかは疑問。ただし、テーマパークを創ってしまうくらい、知的好奇心旺盛な人々が集まっているのだから、このくらいの大騒ぎは必然なのかもしれない。
<内容>
龍之介は学習プレイランドの完成を亡くなった祖父・徳次郎に報告するために帰郷していた。墓参りをするにも外は荒れ模様、船も容易に出航出来ない状況のなか、島に来ていた観光客らにさまざまなトラブルが降りかかることに。やがては、行方不明者まで出てしまう・・・・・。この島には、島が消失したことがあるという伝説が伝えられる中、龍之介たちはさまざまな怪異を目の当たりにすることに!!
<感想>
うーん、物語が面白くない。本書はノベルスで340ページの本なのであるがやけに長く感じられた。事件らしい事件が起きないまま、平坦な話が延々と続くので読み続けるのが厳しかった。もうちょっと興味を惹くような内容にしてもらいたかったと切実に思う。
中盤くらいに来て物語が動き始めてから、ようやく読みやすく感じられるようになり、ページをめくる手も早まるようになっていった。
話の中盤になってようやく、人が消失(焼失?)したり、行方不明者が死体で発見されたり、祭られていた天船が不可解な状況で空中に浮いていたりとさまざまな怪異が発生する。そして、それらの全ての謎を龍之介が解いていくこととなる。
後半の龍之介の解説によって、実際に事件と思しきものは物語の最初から始まっていたということがわかるようになっている。その解を読めば感心することはできるものの、序盤もそれなりにうっすらとでも事件性を匂わせるような展開にしてもらいたかったと強く感じられた。
ただ、後半の100ページにもおよぶ龍之介の事件への解説は圧巻といえよう。こうも長ければ普通は間延びするところが、余計な展開をはぶきながらも濃密に真相への解説が成されていくさまは、もはや職人技としか言いようがない。それゆえに、前半のさびしい展開がさらに目に付いてしまうのは皮肉なことであるのだが。
<内容>
「神殺しのファン・エイク」
「ユトリロの、死衣と産衣」
「幻の棲む絵巻」
「『ひまわり』の黄色い囁き」
「黄昏たゆたい美術館」
<感想>
どうやら無事、シリーズ化された美術ミステリ・シリーズであるが、今回のできは前作に比べると、やや落ちるかなという感想。
本書に掲載されている短編は、どれもミステリ的な部分が弱まり、芸術に関する解釈の比重のほうが多いような気がした。
「ユトリロの、死衣と産衣」は現代的に京極作品の「姑獲鳥の夏」に挑戦したような作品であったのだが、終わってしまえば普通の内容(これがより現実的な解釈とも言えるのだが)。
今回の短編の中で一番目を惹くのは、中編といってもよい「『ひまわり』の黄色い囁き」という作品。これはゴッホかゴーギャンの作品らしい新たなものが見つかったのだが、一部が焼けて損傷している。そして、この絵からゴッホの人生の終末に新たな解釈を試みるというもの。さらには、その手掛かりとなるのが自殺事件の遺言にからんでくるという内容。
これは正直言って、長編にしたほうがよかったのでは、というほどのもったいない内容であった。これだけのネタがあれば、もっと大きく話をひろげることができたのではないだろうか。また、飛鳥部氏の作品のように、絵画の挿絵をところどころで入れてもらえれば、もっと効果が出たのではないかと思われる。
ということで、前作ほどの衝撃はなかったものの、これはこれで安定したミステリ作品であるといえよう。意外と芸術とミステリというのはマッチすると感じているので、これからも書いていってもらいたいシリーズである。しかし、こういったネタをよく思いつくなとただただ感心。
<内容>
世界の伝説を求めて旅するフリーカメラマンの南美希風が遭遇する不思議な事件の数々を描いた作品集。
「龍の淵」
「光る棺の中の白骨」
「ペガサスと一角獣薬局」
「チェスター街の日」
「読者だけにわかるボーンレイク事件」
<感想>
これはまさに本格ミステリが描かれた短編集といってよいであろう。奇怪な状況下での不思議な事件の数を現実的に解き明かすという内容。島田荘司ばりのミステリがこれでもかと言わんばかりに描かれている。
「龍の淵」は雪によって閉ざされたコテージのなかで、一夜にしてまるで龍が暴れたことにより人が殺害されたかのような事件を扱っている。
事件の大掛かり振りといい、見せ方といい、こういった形態のミステリの基本ともいえるような内容。ただ、状況がややわかりにくかったというのが欠点かもしれない。事件が提示されたときは、こんなことがありえるのか? と感じてしまうのだが解決が示されると、そりゃそうだよなと、納得してしまうのだからげんきんなものである。
ちなみに短編集の最後の作品「読者だけにわかるボーンレイク事件」は、この作品の前日譚。
「光る棺の中の白骨」は溶接されて閉ざされた小屋を開けると、そこに白骨死体が発見されたという話。しかし、閉ざしたときも開けたときも、そのようなものが入る隙はなかったはずなのだが・・・・・・。
似たような密室作品というのは色々とあったのではないかと思われる。ただ、こういう解が示される作品はなかったのではないだろうか。犯人の周到ぶりというか、偏執ぶりが嫌というほど伝わってくる作品と言えよう。
「ペガサスと一角獣薬局」は一角獣が現れるという森に、今度はペガサスまでが現れ、さらにはその一角獣とペガサスに殺害されたかのような二つの死体が現れるという事件。
事件の解は面白いとはいえ、偶然の要素が詰め込まれすぎていたかなと思えなくもない。かえって短編ゆえに、数多くの要素が都合よくまとめられてしまったという印象を受けた。もっと長めの作品に仕上げても良かったのかもしれない。
「チェスター街の日」は、男が訪ねた建物の様子が、一夜にして大きく様変わりしてしまうという不思議な事象を描いた作品。
これもネタとしては面白いのだが、短い作品ゆえに唐突という印象がどうしても大きくなってしまう。だからといって長編で描かれるネタでもなさそうなので、扱うのがちょっと難しい内容であったということなのだろう。