<内容>
女子大生・里美の友人が突如謎の失踪を遂げる。里美は石岡に相談して友人・小幡の行方を探る。小幡の部屋を探ってみると、インターネットに流れる御手洗潔のパロディ小説を保存したフロッピーを発見する。石岡らはこのパロディ小説の内容に小幡の失踪の理由が隠されているのではと予想し、それらの小説を読んでみることに・・・・・・
<感想>
もともとはインターネットに関するネタによる島田氏の短編があって、そこに島田氏が感銘を受けたネット上の御手洗のパロディ小説を載せた、という形式になったものではないかと思う。
小説の中に22編の御手洗のパロディ小説が掲載されているのだが、同人的なキャラクターものから本格ものと幅広く色々なジャンルのものが楽しめるようになっている。
その中でも最もキャラクターも内容もしっかりしているものは、「シリウスの雫」ではないだろうか。これは作家の柄刀一氏が書いたものらしく、さすがに他を凌駕しており、謎といい推理といい島田氏の短編に遜色しないものになっている。他にも北海道で御手洗がハスキー犬と戯れる様子を描いた「北国騒動」や「Pの密室」に続くような「ベートーベン幽霊騒動」といった読ませる内容のものがそろっている。
また、個人的に気に入ったのが「巨乳鑑定士、石岡和己」である。島田氏なら想像もつかないようなタイトルであるが、内容も単なるドタバタと思いきや、誇張があるものの石岡らしさを出しているし、また思いのほかしっかりした結末となっている。
他にもキャラクターものとしては、御手洗が石岡に代わって書く「Dark interval & ダージリンの午後」、石岡の葛藤を描いた「愚かな深海魚は幻影の海で泳ぐ」ミステリーとは言えないが外伝のようなおもしろさがそれぞれにはある。またパロディとしては、言わずと知れた「スージー嬢」、「ある騎士の物語」を思わせる「鉄騎疾走す」などとなかなか楽しませてくれる。
ミステリー選というよりは同人誌的な趣があるが、御手洗ファンならば必見の一冊になっている。
この作品はいかに皆が御手洗潔の復活と登場を待っているかを強く感じさせるものとなっている。作中で石岡が感じた感動を島田氏も感じて、この作品の発行にいたったのだろう。この作品を世に出したからにはそろそろ御手洗の長編を期待してもいいのではないだろうか。
それにしても島田氏は最近法月氏のように執筆活動に悩みがあるのだろうか。最近の石岡を見ているとそういう感情が感じられるのだがだいじょうぶだろうか?
<内容>
「山手の幽霊」 (御手洗潔、読み切り中篇)
「御手洗潔の風景」
「一枚の写真から(第一回)」
(昭和二十九年、「プレジデント・ウィルソン号の応接室で」)
「L.A.日記 no.1」
「L.A.のユニークレストラン紹介 no.1」
「組曲 龍臥亭」
「日本学の勧め(第一回)」
「秋好事件の現在」
「新小説”金獅子”の世界への招待」
「地球紀行追想フォトエッセイ 思い出入れの小箱たち(1) オスロの木箱」
<内容>
「ロシア幽霊軍艦事件」 (御手洗潔、読み切り中篇)
「御手洗潔の風景」
「一枚の写真から(第二回)」
(昭和三十三年、大原町の家)
「L.A.日記 no.2」
「L.A.のユニークレストラン紹介 no.2」
「組曲 龍臥亭事件(2)」
「秋好事件の現在(2)」
「連載時代小説 “金獅子”」 (第一話 金獅子出現)
「地球紀行追想フォトエッセイ 思い出入れの小箱たち(2) ダカールの二つの箱」
<内容>
御手洗学ここに誕生!特上のパロディー小説、極上のコラムに学ぶ“御手洗ワールド”のほんの一部をここに紹介。さらに特別寄稿、島田荘司、ロスで御手洗潔で会う!
<感想>
題名を見たときは珍妙に思えた。アンソロジー集であればそれなりの名をつければいいのに・・・・・・と。目次などでこの本を判断したときはそう思ったのだが、中身を読むとそんな気分は一変する。アンソロジー色もあるけれど、それ以上に学術的要素が濃く、まさに「シャーロキアン」ならぬ「ミタライアン」とでも言いたくなるような内容となっている。なるほど、攻略本と命名するのにも頷ける。
ただ、色々なアンソロジーが含まれているので、どうしてもそれらを比較してしまい、あまりいいできでないなぁ、と思うと、結局は「パロディ・サイト事件」の延長にも思えてしまう。もう少し、精選したほうが攻略本らしくなったのではないだろうか?
気に入った作品は、美しくまとまっている「光の塔」や一見、御手洗とは何の関係もない話かと思いきや最後にとある名場面とシンクロしている「感音楽」などは非常に楽しく読める。
また、「パロディ・サイト事件」でも寄稿している柄刀氏の作品はいうまでもなく安定感あり、御手洗物のアンソロジーのなかで、柄刀氏の名前を目次で見つけることがひとつの楽しみとなりそうだ。
自分にとってのワーストは「躊躇するE」。作品としてはいいと思うのだが、作中の中での御手洗の行動が、どうもそぐわない気がして抵抗を感じた。まぁ、ファンの中にそれぞれの御手洗像というのがあるのだろうが・・・・・・
しかし、一般の方から作家の方までと、御手洗が多くのファンに熱望されている探偵だということがよく分かる。テレビ化していないぶん、一般的に知名度は低いのかもしれないけど、それだけコアなファンが集まっているのだろうか。本家本元も過去の話をほじくりだすよりもそろそろ現代への復活を遂げなければならないところに来ているのではないだろうか。ただ、島田氏も熱望の意思を目にすればするほど躊躇してしまうのではないのだろうか。それでも、御手洗潔を期待せずにはいられないのだが。
<内容>
「セント・ニコラスの、ダイヤモンドの靴」 (御手洗潔、読み切り中篇)
「L.A.のクリスマス」
「一枚の写真から(第三回)」
(昭和三十三年、ジングルベルの女性と、バスに乗ってきた女性)
「地球紀行追想フォトエッセイ 思い出入れの小箱たち(3) ミッキーマウスの指輪入れ」
<内容>
「石岡先生、ロング・ロングインタビュー」:島田荘司
「がんばれ石岡君 第1話、石岡くん披露宴騒動記 第2話、フルコースで対談を」:優木麥
「石岡和己のギターテクニックの変遷」:島田荘司+虫麻呂
「石岡君のお料理レシピ」
「石岡君が愛した、アイドル歌謡の女神たち」:虫麻呂
「違法の岸」:竹内玲子
「石岡君の散歩道」
<感想>
あまりにも、リアルになりすぎた御手洗、石岡像。こういった本が出始め、御手洗や石岡の周辺が著者の島田氏の手によってあきらかにされていく。そのなかでどうしてもがっかりしてしまうのが、石岡らの年齢の問題である。もうすでに50代。この年齢と今回の島田氏によるロングインタビューを見ていると、もう御手洗が復活してくることはありえないのだろうと思ってしまう。あとはどうしても過去の事件を石岡が掘り出していくという形でしか紹介されないのだろう。もうあの御手洗が復活し得ないのかと思うと・・・・・・
<内容>
日本海に浮かぶ孤島『飛島』。そこでホテルを経営する在日韓国人の金光。現在ホテルは休業中。金光の父は自殺、母は失踪。そしてホテルの地下には開かずの密室が・・・・・・。各部屋には前オーナーがコレクションした御手洗パスティーシュ・ノベル。
猫好きの老婦人はいかにして殺されたのか? 女子大生はなぜ首を吊ったのか? 何故ワラビーは死んでいたのか? どうして美容室が爆発したのか?
御手洗が解決する事件の数々は、密室を開く鍵となり得るのか? パスティーシュ・ノベルとルーム・カラーの関係は? 多重構造の謎に翻弄される石岡に、ついに名探偵御手洗潔の天啓が下る。今、地下室に隠された驚くべき事実が明らかに!
<内容>
「シアルヴィ」 (御手洗潔)
「ミタライ・カフェ」 (ハインリッヒによる御手洗近況)
「デジカメ日記」
「創作クラブQ&A」
「100万人の伝言版」
<感想>
本書は御手洗潔近況というよりは、島田荘司近況といったほうがよいだろう。去年2001年には本書と同じ出版社での「季刊・島田荘司」が一冊も出版されなかった。それが形を変えてかのようにこのような形で同社から本が出版されている。御手洗の近況を綴るのであれば、「季刊」こそがふさわしいのではないのだろうか。また、去年出版されなかった「季刊」について、さらに今年はこれをどうするのかにも少しは触れてもらいたかった。
それでも本書ではこれからの御手洗作品を示唆するような記述もある。社会情勢報告においては、ミステリーの題材となるかのようなキーワードがいくつか含まれているようだ。そして、具体的には御手洗のスウェーデン時における活動として、ハインリッヒをワトソン役として、作品を発表するかのような記述も含まれている。そろそろ、御手洗の21世紀の幕開けが期待できるのでは・・・・・・と思ってよいのかな??
<内容>
「最後の一球」 (書下ろし小説)
「鞆の叙事詩」
「誌上再現 島田荘司展」
「第4回・一枚の写真から」
「広島県立誠之館高校講演録・鎖国の終り、世界に出よう」
「阿部正弘伝・窪田次郎伝」
「本格評論 第4回・日本学の勧め」
「地球紀行追想フォトエッセイ」
<感想>
久々の“季刊”であるのだが、それについての言及はいっさいなし。ひょっとして本人は全く気にしてないのだろうか・・・・・・
で、その内容はというと小説が「最後の一球」のみのせいか、全体的にやけに説教くさいものと感じられる。まぁ、そういうのが好きな人はどうぞといったところ。そんなわけで、小説以外のところはかなり飛ばし読みしてしまった。たぶん、面白いことを書いているのだろうが、なんか興味が持てないんだよねぇ・・・・・・
「最後の一球」
まぁ、面白いといえば面白いのだが、御手洗が出てくる内容ではないと思える。どちらかといえば、吉敷向きの内容ではないだろうか。
内容は金融関係とプロ野球についての話。でもその金融関係の話にしても、島田氏が書くにしてはいまさらという内容に感じられた。プロ野球に関するところはそれなりに楽しく読めたのだが、これは御手洗とは全くといっていいほど関係のない話。
結局、話の内容には感動できるのだが、ミステリーとしてはどうかと・・・・・・というかタイトルが“最後の一球”ではあからさますぎるように思える。
と、そんなわけで待たせたわりにはと、思えなくもないが、とりあえず“季刊”がちゃんと継続して出てくれたということだけでもよしとするべきであろう。
<内容>
昭和58年、「火刑都市」の事件の捜査を終えた中村は休暇をもらい妻の実家の埼玉県秩父市に帰省していた。そこで中村はある事件が起きた事を知る。その事件とは線路の鉄橋での首吊り自殺であると言う。さらには不思議な事に、首を吊った人の下に舟も一緒に吊られていたというのである。まるで、舟と人とが天に昇るかのように。その奇妙な様相の事件に興味を覚えた中村は単身捜査に乗り出す事に。しかし、それは連続殺人事件の始まりでしかなかったのであった・・・・・・
<感想>
結論から言えば、あくまでも“島田荘司推薦”という事でよかったのではないかと思われた。
本書は共作という位置付けになっているのだが、どこが共同という事になっているのかわからなかった。ただ単に島田氏が創造したキャラクターが使われているだけのものという風にしかとらえられない。ようするにアンソロジー的な作品である。
内容はそこそこ良くできているように思われた。ただ、どうしても島田氏の名前があるがゆえに、島田氏の作品を2レベルくらい下げたような内容だとしか感じられないのである。
ミステリーとして連続殺人事件や見立て殺人などを盛り込んだところは良かったと思う。また、動機とか根本的なトリックについてもうまく創られていた。しかし、そこには多々粗が見られるのも確かである。例えば、事件と事件の間をつなぐ場面がやけに退屈であるとか、見立てといっても何に見立てているのかという出発点の部分がわかりづらかったりとか、探偵の役をするのかと思ったキャラクターが生かしきれていなかったり、というあたりの事が特に強く感じられた。
前述したように、これが新人作家のデビュー作というのであれば、期待の新人というくらいの言葉ですむのであるが、“島田氏”の名前を使い、物語の構成がいかにも島田氏風になっているからこそ、かえって悪い部分が大きな穴として取り上げられることになってしまうのであろう。確かに私自身も“島田氏”の名前がついていなければ、本書を買ったかどうかは微妙なところであるが、もう少し、自由な形態でデビューさせてもよかったのではないだろうか。
あと、時代設定のせいもあるかもしれないが、新人の作家のわりには書き方がやけに古めかしく感じられたのも気になるところ。
<内容>
“石嶺シン”は第二次世界大戦末期の日本で母親とふたりで暮らしていた。そんな彼らを心配する軍の研究所で働くミツグ伯父さんや深町さんのおかげでシン少年は夢のような新兵器を目の当たりにすることができた。最新型のロケット戦闘機“秋水”と“火龍”、世にも不思議な能力を持つ“怪力光線砲”。しかし、それらの新兵器が日の目をみないまま、戦争は敗戦の色を濃くしてゆくのであった。そして、戦争がもたらす廃退的な状況が石嶺母子にも影を落とし始め・・・・・・
<感想>
感想は分量と区切りの関係から三冊いっぺんに。第三話までは導入編といったところか。
まぁ、“大河ノベルス”という企画上しょうがないことなのだろうけれど、三冊分をまとめて一冊にしてくれてもよいくらいの内容であったかなと。さらにはここで7ヶ月もあくのであれば、別に12冊にする必要はなかったのではないかと強く思われる。
それは別として肝心の内容であるが、戦時中に起こった怪異の内容を将来的に紐解いてゆく事になるミステリ作品というようにとらえられた。今回の三冊のなかで通常では起こりうる事のないような事柄や不可解な現象のいくつかが、きちんと説明付けされないままとなっている。これらの不可解な現象についてはやがて、ここに登場する主人公の少年が年を経て解決していくのだろうと考えられる。
ここに出てくる謎としては、怪力光線砲の本当の性能について、シン少年が見た大勢の人々による不思議な儀式、シン少年の母親の不可解な行動。こんなところが挙げられるのだが、ひょっとすると他にも伏線たるところが多々あるのかもしれない。それらについては、この先どのように物語が展開されていくのかを楽しみにしたい。
ただひとつ読んでいて思ったのだが、社会派ミステリの書き手として戦争による理不尽さを描きたかったのはわかるのだが、ここまで陰惨で嫌な話にしなくてもよかったのではなかろうか。この戦時中の社会的な影というものがミステリとして謎を解く鍵になっているのかもしれないと思えなくもないのだが、必要以上に不愉快な内容にしているように思えてならないのである。ある意味、この企画自体が少年少女向けのものとも思えるので、もう少しファンタジーめいた謎だけでも充分だと感じられるのだがどうであろうか?
<内容>
音楽と美にあふれた世界最大の都市サラディーンがわずか1年で滅びようとしていた。サラディーンは1年前、突然の大地震に見舞われて大きな被害を受けて、その後も度重なる地震と気候の大きな変化により廃墟と化しつつあった。
そんなある日、司祭によりサラディーン精鋭の王室守備隊千人が集められ、使命を与えられる。わずか五日間の間で、前人未到の3つの砦を越えてイスラエルへと旅をし、そこで再生の女神に会えと。無茶な使命ではあったものの、このままサラディーンの街が崩壊し続けるのを待つしかない状況のなか、千人の精鋭たちは旅立つ事を決意する。
ショーンを始めとした精鋭たちは第一の砦へと向かうものの、そこまでで千人の騎馬隊は命を落としてわずか十数名となり・・・・・・
<感想>
「Classical Fantasy Within」の第2部は第1部とは打って変わって、舞台は中世の中東が舞台のよう(ではあるが、はっきりとはわからない)。そこで起こるのは千騎の兵士によるサバイバルゲーム。ただしサバイバルといっても、千騎がわずか十数名となり、ほとんどがリーダーであるショーンの独壇場の物語となっている。ショーンが率いる騎馬隊の精鋭たちが、目的を達成しよう数々の困難を乗り越えてゆく。この第2部は冒険の物語でありつつ、謎解きにも比重が大きく置かれている。
内容としては面白い。謎解きに関しては、目新しいものではなく、どこかで見たことのあるようなものばかりであったがそれでも楽しめた。その読みやすさから、1冊1日のペースで読むことができ。第2部は4日で読み通すことができた(ゆえにコストパフォーマンスは悪いとも言える)。
ベタな物語とお約束の展開といえなくもないのだが、そのお約束振りを楽しめる正統な冒険モノの作品であった。
ただ、本書がこれだけの意味しかないのであれば、それほどの価値はない。この作品の重要な点は「Classical Fantasy Within」という作品の一部分であるということ。とはいえ、この第2部を読んだ限りでは第1部との関連性というものはまったくもって読み取ることができなかった。また、第1部を読んだときには謎となる部分と、今後解き明かされる部分というものが感じ取れたのだが、この第2部では何が謎なのかすらよくわからなかった。
というのは、この舞台設定では昔の中東を表しているようなのだが、実際の中東の様子とは異なるように思える。しかもここに登場するのが巨大な怪鳥、巨大な竜といったファンタジーにしか出てこないようなもの。さらには、SFに出てくるようなロボットや機械なども登場し、この物語がどのような背景をもとに描いているのかすらわからなくなるのである。
また、この第2部のラストについても話の結末がよくわからないまま終わってしまっている。最後のほうまでは話の流れを納得することができたのだが、ラストについてはこれで終わってしまっていいのか? と疑問に思えるものであった。
と、このような展開がなされていたのだが、今後の作品により納得のいく解決が待っているのだろうか。ここまで読んだ限りでは、第1部と第2部がどのように回収されて物語が今後へつむがれていくのかが全く予想ができない。これら全てを納得させるような物語が待っているようであれば本当に驚かされるのだが、どうなのであろうか。第3部が出るまで少々時間がかかるようであるが、続きを読むのが本当に待ち遠しい。
<内容>
ハロゥウイン・ダンサー市に住む25歳の男、エド。彼は市内でメラニーと名乗る女性と出会い、彼らが住む環境についてさまざまなことを話しあう。そのうちエドは自分たちが住んでいる世界に疑問を抱き始めることに。この世界は何か未知のものの手によって管理されているのではないかと・・・・・・
<感想>
一年以上経ってようやく続編。ただし、今作はこれ一作品のみでの完結となっているので、前後の作品に関係なく読むことができる。
今作は島田氏らしい作品と言えよう。ミステリとして大味なものとなっており、結構好みの作品であったりする。ただし残念なのは物語としての内容がほとんどないこと。話の展開がほとんど、世界設定の説明のみ。その展開がもっと面白ければ、さらに良い作品となったのだろうと思うと少々惜しいと感じられる。
シリーズとしての話なのだが、前後関係が全く見えない。第一部は日本の戦時下の話、第二部は中世の中東を舞台にしたファンタジー冒険小説、そして第三部は近未来を思わせるSF的な設定。これらがどのように結びつくのかが全くわからない。しかも次の作品はなんと“メガロポリス・エド”。とにかく早く結末まで読みとおしてみたいシリーズである。最終的には、全部最初から読みなおさなければならなくなりそう。